img_0 今でこそ体型も貫禄がついて、熟練ゴスペル・シンガーっぽい風貌になった美里、元祖青春ソングの女王として、近年では「ミュージック・フェア」や「FNS歌謡祭」で時たまその姿が拝める程度になっているけど、デビュー間もなくから90年代中盤くらいまでは、「ちょっとアーティスティックなアイドル」的ポジションとしてメディアにクローズ・アップされ、お茶の間にも広く認知されていた。当時メディア戦略に関しては、他のレコード会社と比べて頭ひとつ飛び抜けていたソニーのプッシュもあって、ほぼ毎月のように「PATi PATi」や「GB」の表紙やグラビアを飾っていた。
 グラビアとはいっても、もちろんそこは「アーティスト」なので、水着になったり肌の露出が多いわけではない。
 真っ白な背景をバックに、悩めるティーンエイジャーの表情を見せる美里、モノクロ・トーンの中でポーズを決める美里。80年代ソニーの宣材写真やグラビアでよく使われたフォーマットは、彼女と尾崎豊の登場によって確立された。
 書いてみて思ったのだけど、これって今でも使われている技術だし、特に女性のセクシャリティの排除という面において、アイドル声優に近いものを感じる。

 ティーンエイジのアイドルでありながら、アーティスティック―。
 ある意味相反するスタンスであるはずのこの形容から、当時の美里のポジションというのはソニーの発明であって、それまで類を見なかったタイプのアーティスト/アイドルだったんじゃないだろうか、と今になって思う。
 同じくCBSからデビューした太田裕美に端を発する、アイドル的ビジュアルを併せ持ったアーティストの系譜だけど、その後も竹内まりやや杏里、石川優子など、どの時代においてもこのポジションには一定のニーズがある。時を経た現在においてもmiwaがその座に収まっており、多かれ少なかれど需要と供給のバランスは変わらない。変わらないのだけれど、基本ここにカテゴライズされる女性アーティストというのは、miwaでなんとなくわかるように、ほのぼのニュー・ミュージック系勢力が圧倒的に強く、特徴としてはアニメ関連や声優系との親和性が高かった。
 飯島真理なんかはその典型で、当初は坂本龍一プロデュースによって尾崎亜美ラインの「不思議ちゃんポップ」で売り出していたはずだったのだけど、たった一度、マクロスの主題歌に手を伸ばしてしまったがため、その後はずっと「アニメの人」としてのレッテルを貼られることになってしまった。まだアニメ主題歌がそこまでの市民権を得ていない時代だったせいもあって、一度そっち側の世界に行ってしまったら、なかなかリン・ミンメイのイメージから脱却することはできなかった。思えば黎明期のオタクたちに翻弄され振り回された、ある意味大きく回り道を強いられてしまった可哀想な人である。

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 女性アーティストとアニメ業界との相関性については本題ではないのでここら辺でやめとくことにして話を戻すと、そのアイドル的適性を併せ持ちつつももう少しロック寄り、バンド・サウンドを前面に押し出したアーティストとなると、あまり該当する者がいなかった、というのが美里デビュー以前の状況である。
 いや正確には山下久美子や白井貴子など、ロック・サウンドをメインとした女性はいたのだけど、彼女たちの場合、いずれもある程度の下積みを経てからのデビューだったため、みな20代を過ぎており、ティーンエイジャーの現在進行形をリアルに描写するには微妙なズレがあった。彼女たちの描写する10代とは、結局のところノスタルジックな視点のものがほとんどだったため、どうやっても脚色や美化というフィルターがかかってしまい、リアルさが薄れていたのだった。
 で、ここで登場したのが美里である。『明るくカワイイ元気なティーンエイジャー』。80年代エピックを象徴するアイコンとして、その後の元気印系女性アーティスト路線のフォーマットとなった。
 あと、これが結構重要なのだけど、美里を含むソニー系アーティストのビジュアル戦略として、セクシャリティを想起させるキーワードは悉く排除されていた。美里が長いこと10代・20代女子の代弁者として支持を受けていたのはこの点が大きい。次から次へと新人がデビューしてくるため、短いスパンで消費されてゆくアイドルとは一線を分かち、中性的なビジュアルを前面に押し出すことによって、女性ファンを多く獲得し、ティーンエイジャーの慰みものから免れることができた。飯島真理の二の轍を踏むことは回避できたわけで。

 Kenny Logginsのカバー曲"I’m Free"という、なんとも微妙なデビュー曲から半年後、1985年末に発売されたのがこの『eyes』。当初のセールス・アクションは結構地味なもので、本格的に売れ出したのは翌年リリースのシングル”My Revolution”、これが大ヒットしてからである。
 当時のソニーの戦略として、新人アーティストは大々的なプロモーションを控え、ライブや自前のメディアに少しずつ露出させながら、焦らずじっくり育ててゆく方針を貫いていた。可能性としてはまだ未知数だった美里も同様で、この頃の内部メディア以外への露出はほとんどない。セールスをさらに伸ばすため、もうちょっと外部へアピールしてもいいはずなのに、テレビ出演は数えるほどだったはず。一過性で消費されてしまうだけのアイドルならここが売り時なのだけど、当時のソニーのスタッフは大局観を持った人間が多かったのだろう。
 当時の美里はちょうど2枚組のセカンド・アルバム『Lovin’ You』の製作まっ最中。当初から2枚組だったのか、はたまた『My Revolution』のヒットの余波を受けての2枚組になったのかは分かりかねるけど、レコーディングだ楽曲制作だ取材だと多忙を極めていたため、とてもテレビ出演できる状況でもモチベーションでもなかった。そういった現状に即した状況判断、また常に時代の数歩先を読んで戦略を練っていた、当時のソニーの懐の深さが窺える。

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 『eyes』リリース時の美里は19歳だけど、レコーディング時はまだ18歳だった。メイン・ユーザーである10代とは同じ目線の高さだったため、言葉もそうだけど、発する声自体に微妙な感情の揺れが混ざり、それがリアルに響く。彼らと近い存在の美里は、リアルな友達同様、何ら自分たちと変わらない等身大の存在として、ほんのささいなことで真剣に悩み、ちょっとしたことで喜び、そして大人たちへ抱く秘めたフラストレーションを、ソフトにコーティングされてはいるけど、ここでぶつけている。
 ジャケット表面の、ちょっとブーたれた表情の美里。
 ―まだ大人になりきれてない、できるならなりたくない、でも縛られた環境から、一刻も早く抜け出したい―。
 この頃の美里に、誰かを救う力はまだない。
 誰かのために役立ちたいと思ってはいるけど、今はまだ自分のことでせいいっぱい。
 後に彼女の歌が持つようになる、つまらない現実を吹き飛ばすパワー、傷ついた誰かをそっと癒す包容力。それが身につくようになるのは、もっと後の話である。
 この時点の美里の言葉は、まだ稚拙である。ここではまだほとんど自作詞は採用されておらず、美里のイメージに沿って、プロが多くの詞を書いている。等身大のティーンエイジャー像を想定して書かれたその歌詞は、客観的に見ても美里のパーソナリティーを的確に捉えており、プロの仕事としてきちんとプロデュースされている。ただし、他人が書いた言葉をさも自分の言葉であるように発することができるかといえば、それはちょっと話が違ってくる。ここでの美里はまだプロになりきれておらず、時に感情と言葉とが上すべりしている場面も見受けられる。
 ただその未熟さこそが、ティーンエイジャーにはリアルに映った。発する言葉はきちんと整理され、言わんとすることも理解はできる。でも、自分なりの言葉で伝えたいのだけど、その言葉がうまく探せず、それがすごくもどかしい。メッセージを伝えるというのは、すごく難しいことなのだ。普段近しい友人にでさえ、すべてを伝えきれていないというのに、どうして多くの人に伝えられるというのか。

 いま現在の美里は「かつての」ティーンエイジャーたち、そしてもっと広いフィールドの「誰か」へ向けて歌うようになっているけど、この『eyes』や次作『Lovin You』での美里の声は、まだ「たった一人」のため、自分の半径5メートル以内の「知ってる誰か」にしか届いていない。
 美里を評する際に形容される「人生応援歌」的なものではなく、もっとパーソナルなもの、それは「共感」である。慰めいたわるだけでは、本当の救いにはならない。けれど、そんな「共感」すら求めてしまうティーンエイジャーが多く存在していたことは、このアルバムのセールス・認知度が証明している。そう考えるとこの『eyes』、一人一人のユーザーを「知ってる友達」として捉え、真摯に対峙して創り上げた、非常にパーソナルな内容のアルバムと言える。

 『eyes』での美里の言葉は、多くのティーンエイジャーからのリスペクトを受けた。それほど大げさなリアクションではない。ただ、ひとりひとりがそっと、胸の中にしまい込むだけだ。
 美里が抱いている思いは多かれ少なかれ、ティーンエイジャーの誰もが胸に秘めていたことだった。それを自分たちと同じ目線から、ポップなサウンドに乗せて届けてくれたことに対し、俺を含む当時のティーンエイジャーたちは強く勇気づけられた。


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1. SOMEWHERE
 小室哲哉作曲による、美里のヴォーカルのみ、多重録音+鬼ダビングで仕上げた、オーバーチュア的小品。いま聴いてみると、Beatlesの"Because"のオマージュとも取れる。元気いっぱいなティーンエイジャーのデビュー・アルバムのスタート・トラックとしては、ちょっと地味なオープニングのようにも思える。ただ、『eyes』を18歳の少女の成長過程を映し出すドキュメント的なアルバムとして捉えるのなら、これ以上のオープニングはない。変にシングル・ヒット狙いの勢い一発のポップ・チューンとは違い、「これまでのアイドル観」では計り切れない何かが始まることを象徴する、美里のキャリアのスタートとしては記念碑的なナンバー。

2. GROWIN'UP 
 記念すべき岡村ちゃんとのコラボが実質1曲目に選ばれたことは、なかなか感慨深いものがある。
 当時、岡村ちゃんはまだデビュー前、アーティスト兼職業作曲家として修行中の身であって、自らもデビューすべく、しこしこデモ・テープを作りまくっていた頃である。
 この頃から売れっ子アレンジャーだった後藤次利の手によって、パワー・ポップをメソッドとしたアレンジで組み立てられている。スピード感のあるAメロ、爆発するサビなど、当時の歌謡曲の必勝パターンで構成されたメロディもポップで歌いやすく、すでに才能の片鱗を感じさせるなのに、チャート的には最高83位。まだ受け入れられる素地が整っていなかったのだろう。
 いま聴いてみると、やたら英語を多用した歌詞がちょっと気恥ずかしくもあるけど、これが当時のティーンエイジャーにとってはツボにはまったのだった。



3. すべて君のため 
 これも岡村ちゃん作曲・後藤次利アレンジによるナンバー。ちょっと歌いづらそうな転調が多いのは、作曲家としてはまだペーペーだった岡村ちゃんの未熟さによるもの。最初から名作ばかり連発できるわけがないのだ。多分、これ以下レベルのボツ曲が多数存在するだろうし。
 ここはさすがプロの後藤アレンジ、大量に投入したシンセ・エフェクトやカウンター・メロディのコーラスなど、あらゆる手段を使ってデコレートしているけど、コード進行のクセの強さは隠しきれていない。ファンクっぽく仕上げたらカッコいいナンバーだけど、それじゃ当時の美里のイメージじゃないしね。
 
4. 18才のライブ 
 主に当時のアイドル歌謡曲方面で活躍していた作曲家、亀井登志夫によるプロ仕様のナンバー。このアルバム自体、小室や岡村ちゃん、大江千里など、いわゆるソニー系の若手クリエイターを集結したプロダクションなので、きちんと「商品」としてパッケージされたこの曲は安定感が強い。その分、瞬発力には欠けちゃってるのだけど。緩急の効いたリズム、この頃から使われていたカノン進行のメロディ・ラインなど、今後のJ-POPのお手本になりそうな技がバシバシ繰り出されている。
 今の美里ならもっとうまい解釈で歌いこなすのだろうけど、ここではまだテクニック的には稚拙で、オーソドックスにストレートな発声で歌っている。素直でまっすぐな歌唱は、この頃ならではのもの。

5. 悲しいボーイフレンド 
 大江千里もまた、当時はデビュー間もない頃、”十人十色”がスマッシュ・ヒットした程度で、まだまだ駆け出しだった。俺的にはこのアルバムのベスト・トラック。ちょっとシャッフル気味なリズムと、前述のカノン進行に則った、徐々にフラットしてゆくメロディなど、聴きどころ満載である。
 大江千里もまた、ちょっと背伸びしたティーンエイジャーの仕草や心の揺らぎなどをうまく描写しており、ほんと美里を想定して作られた歌となっている。

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6. eyes 
 コケティッシュな不協和音のメロディは、小室哲哉の盟友、木根尚登のペンによるナンバー。最近、全盛期はずっとエア・ギターだったことをカミングアウトして、何かと話題になったこの人だけど、"eyes"を後世に残すことができたこの一点だけで、木根はJ-POPの歴史に燦然と輝く功績を遺したと、俺自身は思っている。

 ひとり 淋しくならないで
 さよならに 沈む時も
 何が大事なことなのか
 目を閉じないで 確かめたい

 つらく無口にならないで
 理由もなく 泣けてきても
 朝は誰にも新しい 一日を用意してる

 美里にとっても大事な曲で、ベスト・アルバムやライブでもほぼ必ず歌われるくらい、ファンにとっても人気の高い曲ではあるけれど、実はこれ、美里の作詞ではない。ただ、そんなことすらどうでもよく思えてしまうくらい、すっかり美里自身、この曲を取り込んでしまっている。
 ある意味、これから延々と続く美里のアーティスト人生のマイルストーンとなった、非常に重要な曲である。デビューでこの曲に出会えた美里は、アーティストとしてとても倖せだった。



7. 死んでるみたいに生きたくない 
 オリコン最高77位という、2.に続いて微妙なセールスを残した2枚目のシングル。
 キャッチ・コピーのようにインパクトのあるタイトル、すでに炸裂していた小室メソッドといい、当時のアイドル中心のチャートでは、かなり浮いていたはず。

 今の気持ちが 本当の自由なら
 何も感じなく なりたいと思う
 So, I feel blue
 
 愛が見えない 今が続くなら
 何も感じなく なりたいと思う
 So, I feel blue

 これも美里の作詞ではないのだけど、ティーンエイジャーの焦燥感を代弁した歌詞世界を創りあげたのは、製作スタッフだけでなく、小室を始め、若手クリエイターらの助力があってこそ。
 彼らもまた、かつてはティーンエイジャーだった。『渡辺美里』というフィルターを通して、いまのリアルな10代の不安定な瞬間を活写したのが、このトラックである。



8. 追いかけてRAINBOW 
 同じ事務所の先輩である白井貴子作曲によるナンバー。心なしか美里自身のヴォーカルも白井貴子タッチになっている。ここでバトン・タッチするかのように、白井貴子はライブのバック・バンドを昇格させた『Crazy Boys』を率いてロック路線へ移行、ティーンの代弁者的立場を美里へ引き継ぐことになる。
 で、ここで初めて美里の作詞が登場するのだけれど、う~ん…、といったところ。確かに10代の生の言葉なのだろうけど、あまりにかしこまり過ぎているため、逆にこっちが職業作家のモノなんじゃないか、とまで思ってしまう。やはり「見せる」テクニックというのは重要なのだ。

9. Lazy Crazy Blueberry Pie 
 岡村ちゃん3発目。ちょっとルーズな80年代ロック、若干のファンク・ビートは岡村ちゃんの得意技。ここでは岡村ちゃん、アレンジも担当しているのだけど、まぁやっぱり初めてだけあって、とっ散らかってまとまりのないこと。でもそこが魅力でもある。
 ほぼ同世代のデビュー前の男の子と女の子とが、ひざを突き合わせて(いたのかどうかは正確にはわからないけど)、あぁだこうだと曲をこねくり回してる姿が思い浮かんで、つい微笑ましくなってしまう曲でもある。このヤンチャ加減がまた良い。

10. きみに会えて  
 小室節は控えめで、美里の拙いヴォーカルを最大限に活かすことに専念したナンバー。難しい曲なので、当時から歌唱力には定評のあった美里でさえ、この曲ではピッチが揺れる箇所が多々ある。
 ただ、それすらも小室の計算だったとしたら?あえてテクニックを度外視して、会えない二人の切なさを表現するためだったとしたら、なかなかの策士だと思う。

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11. Bye Bye Yesterday 
 これで岡村ちゃんは4曲目。デビュー前の試走期間でこれだけのバリエーション、しかも他人の曲を書けるというのは、なかなかのもの。でもさすがにちょっとネタ切れしてきたのか、最後の曲はモータウンのリズムを借用した、シンプルなポップ・ロック。
 で、こういったシンプルなロックン・ロールというのは案外難しく、下手すると一本調子になってしまいそうなところを、辛うじて最後までノリのよいナンバーとして歌い切っている。




 今ならmiwaや大原櫻子あたりが、当時の美里のポジションに収まっていると思うのだけど、彼女らに美里ほどの求心力があるかといえば、その辺は微妙と言わざるを得ない。
 まぁ美里がフロンティアであった当時とは状況が全然違ってるし、そもそも狙ってる部分が違うと言われれば、何も言うことはないのだけれど。



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