1987年にリリースされた6枚目のオリジナル・アルバム。一般的な人気に火がついた『Be Yourself Tonight』、さらにアリーナ/スタジアム・バンドへの飛躍としてコンテンポラリー・サウンドで固めた『Revenge』と続き、世界的ユニットとしてのポジションを盤石にするのかと思ったら、一転してダークで暴力的な側面を強く打ち出した問題作になっている。
ライブのダイナミズムを巧みに移植したバンド・アンサンブルや、多彩な豪華ゲストをバッサリ切り捨て、強力なネガティヴの磁場を放つサウンドが主旋律となっている。慈愛的かつポップな躍動感を内包した「There Must be an Angel」を期待した一般ユーザーは、その変貌振りに当惑するしかなかった。なので、UKでのセールスは半減、前作までトップ10には入っていたUSチャートにおいても、最高41位と低迷した。
長期に渡る2回の世界ツアーを経て、ちょっと疲れた2人は一旦距離を置き、休養や個人活動へと軸足を移す。いくらビジネスライクな関係とはいえ、元夫婦が始終顔を突き合わせていたわけだから、何かと割り切れないストレスも溜まったのだろう。
もともとサウンド・プロダクションには不干渉だったAnnie Lenoxは、早速バカンスへ繰り出す。同じくDave Stewartも暫しの休息に入るのだけど、この時期の彼はワーカホリックというか野心が勝っていたというか、バカンスもそこそこに切り上げて、次回作の構想を練り始める。最新型のシンクラヴィアを携え、プログラマー Olle Romoとたった2人、フランスはノルマンディーの古城に設置されたスタジオに篭るのだった。
ほとんどのベーシック・トラックは、この2人だけで作られた。DaveによるギターとドラマーでもあるOlleの生音以外は、ほぼシンクラヴィアで構成されている。バンド・スタイルでレコーディングされた『Revenge』とは、まったく逆のベクトルを向いている。躍動感やダイナミズムもすべて緻密にシミュレートされたものであり、収録された音のひとつひとつにDaveの思慮が込められている。バンド演奏による偶然性を排除して、自分の頭の中にある音だけを、ひとつひとつ丁寧に配置してゆく作業。やっぱ機材オタクだよな、この人って。
サウンドの方向性が固まった時点で、レコーディング作業はパリへ移り、ここでAnnieが招集される。多少の打ち合わせはあったのだろうけど、長い年月を共に過ごしたパートナーDaveとの間に、そんなに言葉はいらない。ていうか、もうこの時期になると、ユニットとしての寿命は見えていたと思われる。「話し合わなくても」と「話すことがない」とでは、明らかに違うのだ。
デモテープやDaveとの言葉少ない対話から、これまでとは明らかに異質、『Revenge』以前とは正反対のサウンドになることは、ある程度予想していたのだろう。ヒットチャート仕様だった『Revenge』とは対極の世界観を、Annieも幻視することになる。
華やかなエンタテインメントの「光」で隠されていたDaveの内面の「澱」は、ヴァーチャルな疑似バンド・サウンドとして、吐瀉物の如く排出される。同様に抑圧されていたAnnieの「闇」もまた、ここに来て急上昇カーブで覚醒、一気呵成に吐き出される。強迫観念と被害妄想にまみれた言葉、それらは硬い礫のごとく、無造作に強く吐き捨てられる。
「澱」と「闇」が混在して産み出された「憎悪」。肥大化した悪意は2人の力だけでは表現しきれず、さらなる具現化を希求する。そのために旧知の映像ディレクターSophie Mullerがプロジェクトに呼び出され、『Savage』収録曲すべてのMVを製作するに至る。
そこまで徹底的に深淵を掘り下げることによって、『Savage』的世界感は円環を描き、完成に至った。
前述したように、「There Must be an Angel」で確立された、「ポップで力強く、慈愛を放つ」ユニットEurythmics のイメージは、『Savage』によって粉々に打ち砕かれた。ここで彼らが放つサウンドの闇の深さは、一聴すると初期のゴシック調テクノ・ポップを彷彿とさせる。
中途半端なダンス・ポップ・バンドTourist の解散の経緯を踏まえ、初期Eurythmicsのサウンドは、従来とはまったく正反対、打ち込み主体の無機的なシンセ・ビートは、クレバーなロジックの積み重ねで構成されていた。そのサウンド・コンセプトに呼応して、Man-Machineと化したAnnieは感情を押し殺し、ノン・セクシャルなフェイスを貫いた。ヒットを渇望して、マスへの接近を強調したTourist時代のアンチとして、Eurythmicsは大衆へ媚びない純音楽的ユニットとして誕生したはずだった。だったのだけれど。
皮肉なことに、単調なシンセのブロックコードを基調とした「Sweet Dreams」がダンス・シーンで好評を期す。ポスト・パンク以降とMTVの隆盛とが複合要因となって、ある種キワモノ的扱いだったAnnieの風貌がまず注目され、次にサウンドが注目された。何がどう転ぶかなんて、誰にもわかったものではない。
シーケンス主体のゴシック・サウンドという点では、『Savage』も共通している。別の観点からすれば原点回帰と言えるかもしれない。ただ、同じ閉塞性と言っても、知名度の低さゆえフォロワーの少なかったデビュー当時と比べて、一旦はミリオン単位の共感を獲得してからの突然の方針転換は、意味合いが違ってくる。
地道に築き上げてきたポジションや共感を切り捨てるのは、並大抵の勇気ではおぼつかない。いや、それは勇気ですらない。そこにあるのは、長い間、いびつな形で封じ込められた衝動だ。それは理性で抑えられるものではない。こみ上げてくるものを吐き出さざるを得ないだけなのだ。それを商品の形を成すように取り繕う作業。歪んでいる。
取り立ててアバンギャルドな構造ではない。きちんとしている。一般流通を前提として作られているので、意味不明なモノではない。
一応、ポップの意匠に揃えられたサウンドの裏では、通り魔的な問答無用の暴力、それに対峙する弱者の過剰な妄想が、通底音として流れている。
救いもなければ、先行きも見えない。底の抜けた虚無が、音の塊としてそこにある。
エゴの洪水、強い徒労感が残る音。音楽に癒しを求めるのなら、このサウンドは明らかにnonだ。
リリース25周年を期して行なわれたDaveのインタビューを読んでみたのだけど、何だか拍子抜けしてしまう。何でこんなサウンドになっちゃったのか、Dave自身の中できちんと整理できていないのだ。
レコーディング・プロセス、また技術的なエピソードについては饒舌で、できるだけ真摯に答えようとしているのはすごく伝わってくるのだけど、発言はどうも落としどころが見つかっていない。肝心の動機、whyが伝わってこないのだ。
ストレスの溜まる長期間ロードに加え、レコーディングオタク気質をこじらせている彼にとって、大衆向けのパワー・ポップの量産とは、クリエイティヴとは相反するものだった。言っちゃえば器用貧乏的な性質のDaveにとって、ニーズに応じたサウンド・プロデュースはお手の物だったけれど、そればっかり求められると、ちょっと違った方向性も試してみたくなるものだ。
マスとのリンクを辛うじてつなぐ程度のポップ性を残しつつ、強いエゴを反映した『Savage』は、極めて暴力的なコンセプトで彩られた。「共感を得る」とか「ユーザーとの一体感」とは無縁の、極めてパーソナルな音。
ただ、その怒りの対象が外へ向けてなのか、それとも自身に対してなのか。
そのぶつける先が曖昧なのだ。
華麗なヒットメイカーとしてのEurythmics は『Revenge』で終わり、その後の彼らは初期とも中期とも違う、まったく新たな人格を獲得したはずだった。
この後、さらにダーク・サイドを掘り下げて行くのか、それともここで膿を出し切ったことによって、再度躁的なポップ・ソングへ回帰するのか、はたまたまったく別のベクトルを目指すのか。
-次回作は何が飛び出してくるかわからない。そんな行き先不明の期待感があったはずなのに。
彼らが選んだのは、そのどれでもなかった。ポップ・スターとしての膿を出し切った後に残ったのは、パーソナルな個、Ann Lenox とDavid Allan Stewart という2つの一個人だった。個人としての確立を得た2人が混じり合うことはなくなり、音楽のマジックは消えてしまった。
気の抜けたような『We too are One』。きちんとできている。確かに一人前の大人の仕事だ。
でも、そこにいるのはEurythmics ではない。DaveとAnnie、2人のソロ・アーティストによって作られた音楽。かつての強い記名性はなく、何となくEurythmics っぽい音楽。
こうすることでしか、Eurythmics を終わらせることができなかった。『Savage』の製作はそれだけ、互いの身を削る作業だったのだ。
ユニットとして掘り下げるものは、もうない。なので、ここで終わって正解だったのだろう。
1. Beethoven (I Love to Listen To)
先行シングルとしてリリースされ、UK最高25位。なぜかノルウェーやニュージーランドなどスカンジナビア方面ではトップ10に入り、高い評価を受けた。初期のサウンド・プロダクションのフォーマットを使用しながら、構成力は段違い。ポリリズミックなシンセ・ベースがそこはかとない狂気をあおっている。
PVでは、貞淑で平凡な主婦に扮したAnnieが、狂気に囚われてアイデンティティの崩壊、最後には別人格のディーヴァAnnieに変貌してしまう。どちらが本性なのかは不明だけど、案外グラマラスなAnnieのドレス姿を堪能するのも一興。
2. I've Got a Lover (Back in Japan)
以前のアルバムに収録されていたら、もっとバンド・グルーヴを前面に押し出したギター・ロックになっていたのだろうけど、ここではクールな打ち込み主体のサウンドでまとめられている。その分、Annieのヴォーカライズの多様性が引き立っている。
PVでは基本、ユニセックスなAnnieが主人公なのだけど、合間合間に過去のライブ映像が挿入されている。中には日本公演も。
3. Do You Want to Break Up?
サウンドもヴォーカルも、基本は全盛期のEurythmicsそのものだけど、過去の自分たちをなぞっているかのような、作りモノ感が拭えない。もともとまっ正直なポップを演じるのではなく、定石からちょっとポイントをズラしたサウンドを志向していた彼らだけど、ここでは過去の自分たちをもパロディ化した、どこか醒めた目線でのプロダクションである。
PVを観れば、それは歴然。そのズレ方がハンパないから。1.で登場した主婦Annieが再登場しているけど、もはや貞淑さはない。顔はすっかりディーヴァに侵食されている。
-アルプスの山中を模したセットをバックに、チロリアン音楽隊に囲まれながら、躁的引きつり笑意を浮かべながら歌い踊る主婦Annie。こうして書いてみると、気色悪い映像だな。
4. You Have Placed a Chill in My Heart
壮大なスケール感で演出された王道ポップ・バラード。このアルバムの中では最もEurythmics「らしい」楽曲でもある。その分、このラインナップの中では浮いており、目立たないのが惜しまれる。4枚目のシングルカットという、付け足しのようなポジションではあるけれど、UK16位まで上昇したのは、やはりこの辺のサウンドにニーズがあったことがわかる。
サウンド同様、壮大で荒涼とした大地にたたずむユニセックスAnnieから、PVは始まる。場面は変わって、スーパーでやたら洗剤ばかり買い込む主婦Annie、時々ディーヴァAnnieがフラッシュバックのようにインサートされる。3つの顔を持つAnnieそれぞれの顔の中、最もピュアでエモーショナルな感性を持つのは、ユニセックスAnnieである。
でも、それも本当の顔なのかどうか。
5. Shame
こういった従来タイプの楽曲を、こんな地味な場所に配置してしまうところが、セールス不振の要因だったんじゃないかと思われる。以前なら確実にシングル候補だったはずだけど、まぁタイトルがタイトルだし。彼らのベクトルは、そういったまっ正直なポップ・ソングではなかった、ということなのだろう。
PVでは初めてDaveが登場。上半身裸(全裸?)の2人が、ひたすら恋人のように愛しあい抱擁を重ねるだけの内容。映像的には美しい。でも、かつて恋人同士だったことを思えば、それは何だか気持ち良いものではない。そういった皮肉も含めて、自虐的な香りさえ漂う。
6. Savage
神々しささえ漂う王道バラード。安っぽいストリングスなんか入れず、シンクラヴィアとギターだけでまとめているのはDaveの美学。何でもかんでも弦を入れちゃう安直さとは、一線を画している。
PVはディーヴァAnnieの美しさが際立っている。堕天使の如く清廉とした表情。これもまた真実のAnnieなのだ。
7. I Need a Man
3枚目のシングルとしてリリースされ、UK最高26位。でもUSダンス・チャートでは6位まで上昇している。
ひとことで言っちゃえば、「地下室に幽閉されたサイコパスのマリリン・モンロー」。これに尽きる。アメリカでは最初にシングル・カットされたため、『Savage』といえばこの曲の印象が最も強い。シンプルなロックンロールとダンスのハイブリット、この種の曲はどの時代でも強い。
限定の輸入盤シングルは金属缶に封入されており、そのプレミア感につられて買ってしまったのが、俺。金がない時に売っちゃったけど、惜しいことをした。持っとけばよかったな。
8. Put the Blame on Me
ちょっと気だるさの漂うゴシック・ダンス・ポップ。サビも覚えやすいし、ファンキーなバックトラックもカッコいいしで、非の打ちどころのないナンバー。だからさ、なんでこんな地味な配置なの?もったいない。
9. Heaven
抑制されたシンセ・ビートを主軸とした、構造としては実験的な楽曲。だって、ずっとHeavenとしか歌ってないんだもん。ディーヴァAnnieも肩の力を抜いて、まどろむ様な表情を見せている。主婦Annieが浸食し始めている。もはや人格の境界線は曖昧だ。
10. Wide Eyed Girl
初期サウンドに近いものを感じさせながら、サウンドの構成力もヴォーカルの多彩さも、レベルが上がっていることを感じさせる。以前ならバンド・アンサンブルの勢いで押し通していたところを、きちんとシミュレートした上でクライマックスや破綻を演出している。
11. I Need You
Daveによるアコギのみをバックに、ギミックを使うこともなくストレートに歌うAnnie。ここまで変幻自在な側面をこれでもかと見せていた分、装飾を取り払ったアンプラグド・サウンドは効果的。
普通にやればこのくらいのことはお手のものなのに、なかなかまっすぐにやろうとしない。あまり人がやろうとしないことを実現させるのが、Eurythmicsというユニットのはずだった。それが変に人間的に覚醒しちゃってつまんなくなっちゃったのが、『We too are One』である。
12. Brand New Day
ラストはAnnieによる多重アカペラ・コーラスでスタート。こういった実験性は、やはり彼らの真骨頂である。後半はシンセが入って曲調が変わり、慈愛あふれるポップ・チューンとして昇華。
PVは少女たちによるバレエからスタートし、曲調が変わると共にAnnieが登場する。いつものユニセックスAnnieの表情は、とても柔和だ。最後のカーテン・コールによるエンディングも、とても和やか。ここだけは悪意のかけらもない。
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