当時のFloydと言えばRoger Waters (b,vo)、David Gilmour (g,vo)、Nick Mason (dr)、Richard Wright (key)の4人体制だったのだけど、正確なところはWrightがWatersの逆鱗に触れてサポート・メンバーに格下げされており、正式メンバーは3名でクレジットされている。それどころかWright、このアルバムには参加させてもらえず、ようやく復帰を果たしたのは新生Floyd『鬱』において。とは言ってもここでもサポート扱いのままで、やっと正式メンバーとしてクレジットされるようになったのが、その次の『対』。この辺から、Gilmourでも持て余してしまうWrightの人となりが何となく窺える。
もともと新生Floydは事実上Gilmour単独で作ったようなものであって、実際の制作にMasonとWrightはそれほど関わっていない。当時のFloydは世界を股にかけるスタジアム・バンドとしてド派手なステージ・ショウを行なっていたため、営業政策上、一人でも多くオリメンが揃ってる方が集客力が見込めると考えたのだろう。
取り敢えずライブで演奏はしているけど、ほぼオブジェ的な扱いの2人。そんな馴れ合いには頑なにそっぽを向け続けた元リーダー。生き方はそれぞれである。
前置きが長くなったけどこの『Final Cut』、前作『The Wall』に伴うツアーで発生した膨大な赤字を背負っての制作となったのだけど、知ってる人はみな知ってるように、非常に地味な仕上がり。とても「ここで一発当てて借金チャラにしよう」とはハナから思っていないような作りである。
一応当初のコンセプトとして、『Wall』の続編として制作がスタートしたのだけど、肝心のメイン・ソングライターであるWatersの書く曲書く曲どれもが、その『Wall』と関連性のない左翼的内容ばかりだったため、大きく方向転換してしまったのが終わりの始まり。
Gilmour曰く「ロクな曲がない」ということでレコーディングにもあまり姿を見せないようになり、当初Waters擁護側だったMasonも強まる独断専行に着いていけなくなり、次第にスタジオに顔を出す回数も減っていった。もはやバンドとしての体裁を為さなくなっていたけど、それよりも自分のコンセプトの具現化に執心していたWatersからすれば、これ幸いとさらに独裁体制を強め、自分の意のままに動くミュージシャンらを配置して制作を続けた。
プログレという枠を飛び越えて、もはや大御所ロック・バンドに成長していたFloydのブランド・イメージは健在だったため、このアルバムもUS6位UK1位と好成績を記録している。いるのだけれど、それはあくまで『Wall』の余波で瞬間最大風速的に売れたようなもので、累計の売り上げとしては『狂気』以降、どのアルバムよりも劣っている。何十週も続けてチャートインするような音楽ではないのだ。
ちなみにここ日本でも、オリコン最高11位まで上昇している。もともとプログレというジャンル自体の人気が高く、その中でもFloydは別格的にセールスも好調だった。ただやはり、ユーザーの期待とはまったく違ったサウンドには戸惑いを隠せぬ者も多く、ここで一旦彼らの人気がクール・ダウンしてしまったのも事実。
そんなわけでいまだに賛否両論が飛び交う、ていうか評判のよろしくないアルバムである。
リリース当時中2だった俺は洋楽に強い興味を抱くようになっており、新聞の番組欄で目星をつけてFMラジオをエアチェックすることを覚え始めた頃だった。そのうちFM雑誌なるものの存在を知ることになり、「これでエアチェックが捗るぞ」と思い立って、近所の本屋に駆け込んだのだった。
当時はFM全盛期、特に北海道ではFM北海道(現Air-G)が開局して間もない頃で、地域的にも俺の周り的にも盛り上がりの機運を見せていた。今ではすべて廃刊になってしまったけど、この頃はFM専門雑誌が4つあって、その中で俺が選んだのは一番地味な表紙の「週刊FM」だった。
これはあくまで俺の個人的なイメージだけど、鈴木英人のイラストが表紙を飾っていた「ステーション」はチャラすぎる感じがしたし、「レコパル」も小学館のカラーが強すぎて、当時ジャンプ派だった俺的に抵抗があった。「FMファン」はオーディオやクラシックに結構な紙面を割いていたので、中学生にとってはオヤジ臭く映った。そういった消去法的な選択で残ったのが、Laura Braniganが表紙の「週刊FM」で、その1ページ広告に載っていたのが『Final Cut』。Floydとの最初の出会いである。
80年代真っただ中を過ごしてきた俺が、どうしてプログレの世界に寄り道してしまったのかといえば、そりゃもう厨二病をこじらせちゃったから、としか言いようがない。その「週刊FM」のレビューや記事でも「観念的なメッセージがうんたら」「サッチャー政権がかんたら」といった感じで、「具体性はないけどとにかく傑作なんだよ」という内容がダラダラ書かれていた。そういった文章を読んでた俺、「何となく難しそうだけど、それを理解しなけりゃダメなのだ」という、今じゃ意味不明の強迫観念に囚われていたのだった。
「俺以外、周りの人間は誰も聴いてないだろう」というめんどくさい自己満足に浸ることに快感を覚え、いつしか俺はプログレの世界に足を踏み入れることになる。
とは言っても、プログレ的な視点だけでFloydを語るのは、実はちょっと無理がある。聴いたことがある人なら分かるように、一般的に言われているプログレのイメージとは明らかに異質なバンドである。
「ジャズやクラシック、現代音楽など異ジャンルの音楽のエッセンスを積極的に導入、変拍子や奇妙なコード進行の間を縫って敏腕プレイヤーの超絶テクニックが飛び交い、ファンタジックな寓話やら重厚なメッセージを伝える音楽」というのが一般的なプログレの定義だと思うのだけど、その重厚さと現代音楽テイスト以外はまったく当てはまらないのがPink Floyd、プログレ界の中でも唯一無二、孤高の存在である。
プログレやハード・ロック界特有の、グループ間を渡り歩くメンバー・チェンジにもほとんど絡まず、ほぼ不動のメンバーでの純血主義を貫いている。まぁこれはGilmour以外のメンバーの演奏スキルが人並み程度だったため、外部に需要がなかったせいもあるけど。
アルバムごとに繰り広げられる壮大なコンセプトを構築するリーダーのWaters、言うなれば戦略参謀的存在である。もちろんWaters単独だとサウンド・メイキング的には弱いので、実働部隊としてスタジオ・ワークを仕切っていたのがGilmourという構図。この絶妙なパワー・バランスが、凡百のステレオタイプなプログレ・バンドとは一線を画す作品を産み出していたのだけど、それが崩れてしまったのがこの『Final Cut』である。
この時点のGilmourは半ば職場放棄、ほんと必要最低限の仕事しかしていない。Masonに至ってはWatersに言われるがままドラムを叩いているだけ、2人ともスタジオ・ミュージシャン的な扱いしかされていない。
とてもビッグ・セールスを狙って作られたとは思えないし、かと言ってこれまでのFloydファンの期待を裏切らないクオリティであるとは、お世辞にも言えない。一応ここまでパーソナルな内容でありながら、アメリカでは200万枚も売れちゃってるのだから、多少なりとも共感を持った物好きもいるのだろうけど、まぁ数える程度だったんじゃないかと思われる。
何しろストーリーの主人公は、第二次世界大戦中に戦死したWatersの父親、その父親の視点から訴えWatersの超個人的左翼チックなメッセージの羅列が、アルバム・コンセプトの本質である。フォークランド紛争への反対表明、サッチャー政権へ向けたストレートな批判など、言ってしまえば新聞の社説や投稿欄レベルの事をドラマティックに描いているだけで、正直面白いものではない。
レコーディングが完パケしたことを機に、Watersはバンドの終了を考えるようになる。正式に脱退を表明したのはもう少し後だけど、彼的にはもうPink Floydでやり残したことはないと判断したのだろう。
Floydというプロジェクトを完璧に終わらせるには、これ以上はないというフィナーレだった。
サウンド面において、このアルバムに限ったことじゃないけど、お世辞にもWatersのベース・プレイが卓越しているとは言いがたい。ヴォーカルだって、はっきり言ってブルースをルーツとしたGilmourの方が声量もあって味もある。メロディだって、まぁこれはプログレだからこそ仕方ないけど、覚えやすくキャッチーなフレーズがあるわけでもない。口ずさみやすいプログレってのもおかしな話だけど。
プログレにとって大切なもの、それはコンセプトである。で、そのコンセプトを前面に打ち出しすぎ、サウンド面が疎かになってしまったのが、この『Final Cut』である。
メッセージ性は強い。あまりに強すぎるので、これなら音楽じゃなくて私小説の方が良かったんじゃないかと思ってしまうくらいである。実際ここまでやっちゃうと、あとは『Wall』タイプの拡大再生産しか途はない。少なくとも借金は返せるだろうし、バンド運営上はその方が正しい。
ただ、一般的に賢いとされるその選択は、Watersの中には最初からなかった。『Wall』の続編という当初のコンセプトが破綻した時点から、終了については覚悟の上だったのだろう。
で、その拡大再生産を潔しとして、サウンド面にこだわりコンセプトをフワッとさせた挙句、高級AOR路線の道を突き進んだのが、Gilmour中心となって再構築された新生Pink Floydである。もはや滅多なことでプログレを聴かなくなった俺的には、どっちでもいい話だけど。
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1. The Post War Dream
経済的に潤ってた頃の日本への批判を粛々と歌っているのだけど、いま訳詞を読んでみると、どうにも切り口が一面的で底が浅く、逆恨みっぽく読めてしまう。街頭インタビューの中年サラリーマン程度だなこりゃ。この辺がファッション左翼的なWatersの底が見えてしまう。ヒステリックなヴォーカルはともかく、独特なリズム感覚を持つMasonのドラムの音が重く深く、そこは好き。
2. Your Possible Pasts
ここから一気に舞台は第2次世界大戦中に飛ぶ。Watersの父親Ericが主人公になるのだけど、正直そこはどうでもよい。ここで注目するのは、やはりサウンド。
『Wall』直系とも言える、ブルースを下敷きとしたGilmourのドライヴするギター。それに寄り添うMasonの重厚なドラム・サウンド。
3. One Of The Few
ギター1本をバックに語るWatersの独り舞台。1分程度の小品なので、ブリッジ的な扱い。
4. When The Tigers Broke Free
長らくアルバム未収録で、今世紀に入ってからのリマスターによって初収録となったいわくつきの曲。もともと『Wall』の時代に先行シングルとしてリリースされ、本来なら『Final Cut』で収録予定だったのだけど、当初のコンセプトが変わってしまったためこの曲だけ宙に浮いてしまい、ほんとつい最近まで幻の曲扱いされていた。まぁそういった曲というのは案外拍子抜けというか、実際のところそこまで騒がれるほどのクオリティではない。Watersの呻くような歌声が続く、重厚かつ地味なナンバー。
コンセプトからは微妙にずれているらしいけど、ボーナス・トラック扱いのナンバーを躊躇なくアルバム途中にぶち込んで、かつ違和感がほとんどないというのは、さすがベテランの成せる業。まぁ全体的に代わり映えしない曲調だったおかげもあるけど。
5. The Hero's Return
そういった流れに沿っているのか、これもどちらかと言えば『Wall』テイストが強いナンバー。要するにGilmourが大きく貢献しているということなのだけど。
普通に聴きやすいスタジアム・ロックとして、クライマックスもきちんと設定されており、ちゃんとまともな曲になっている。
ていうか、Waters主導の曲が漫然とし過ぎているのだ。
6. The Gunners Dream
悲惨な戦場を潜り抜けてきた兵士のつかの間の休息、そこで見た夢を描いたものだと思われるけど、ここはWaters主導、Michael Kamen指揮によるNational Philharmonic Orchestraのストリングスが、荘厳とドラマティックに空間を盛り上げる。地味なコンセプトが多い中、これは結構成功した方じゃないかと思う。間奏の情熱的なアルト・サックスもいい感じでむせび泣いている。いい意味での高級AOR。
7. Paranoid Eyes
と思ってたら、またWatersの陰鬱としたモノローグ。そう、このアルバムではサウンドはあまり重要ではない。彼のメッセージを余すことなく伝えることが最重要事項なのだ。
帰還後に無為の心境に陥った中年の元兵士の被害妄想が描かれているのだけど、ほんと何のひねりもない独白。何もここまでネガティヴなトーンにしなくてもいいのに。
8. Get Your Filthy Hands Off My Desert
最新鋭のホロフォニックス・サウンドを駆使した、静寂を切り裂くミサイル音。弦楽四重奏に乗せて軽やかに歌われるのは、冷戦末期の世界情勢。ブレジネフという名前を聴くのは久しぶりだった。
こういった軽やかなワルツに乗せて惨状を歌うというスタイルには、そこはかとない左翼臭さを感じさせる。
9. The Fletcher Memorial Home
ブルジョアや支配階級へ向けての痛烈な皮肉を交えた歌詞は、前曲に引き続き、左翼臭が満載。モノローグも絶好調で、ここまで来るとEricのことなんかどこか行ってしまって、それに名を借りたWatersの政治・社会批判がメインとなっている。
思わず途中で飛ばしたくなるけど、間奏ではGilmourの一世一代の名演と名高いソロ・パフォーマンスが堪能できる。この後のWatersのヴォーカルはただのおまけ。
10. Southampton Dock
ここで再びWatersのソロ・コーナー。Dylanほど味のあるシンガーでもなければ、暗喩を交えた世界観を提示するわけでもないWatersのメッセージは直截的でわかりやすいけど、もうちょっとひねってもいいんじゃないかといつも思ってしまう。
11. The Final Cut
やはり地味だけど、ストリングスとドラムが入ることによって、もう少し聴きやすくなったタイトル・ナンバー。ここでのKamenのアレンジは歌を邪魔することなく適切な構成になっている。どうせなら、もっと歌を凌駕するくらいでもよかったのに。
シンプルだけど、歌心にあふれるGilmourのソロ。弾きまくるわけではないけど、このストリングスに合わせて効果的なチョーキングを聴かせている。見せ場のわかってる人だ。
12. Not Now John
これは唯一、そのGilmourがヴォーカルを担当。この曲だけテイストが違い、ソウルフルな女性ヴォーカルを導入、シンプルかつゴージャスなロック・サウンドを展開している。普通にヴォーカルもそうだけど、モノローグのパートも聴かせてしまう味があるのがこの人の強み。
歌詞は結構暴力的なのだけど、このサウンドにはピッタリだし、ギター・プレイからもわかるように、この人はある意味ブルース・マンの系譜だと再認識してしまう。
このアルバムからは唯一のシングル・カットで、UK30位ビルボードAORチャート7位にランクインしている。メリハリの効いたサウンドのため、いま聴いても古く感じられないのはGilmour主導のプロダクションだからか。
13. Two Suns In The Sunset
このトラックのみ、なぜかAndy Newmarkがドラムを担当している。確かにMasonと比べるとアタック音がソリッドで、オカズもちょっと難易度が高い気はする。まぁGilmour以外はテクニックで売ってたバンドではないのだけど。
ラストっぽく爽やかなフォーク・ロックで歌われてる内容は、想像と違って陰鬱としている。大虐殺やら人類の滅亡やら自動車事故による自殺衝動など、サウンドとは大きくかけ離れている。ファッション左翼の面目躍如。
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