1988年リリース、ソロデビュー10周年として企画された9枚目のオリジナルアルバム。鈴木慶一と立ち上げたレーベル「テント」が何やかやでフェードアウトしてしまい、心機一転となるはずだったアルバムである。
なるはずだったのだけど、アルファ〜YENのようなこじんまりしたレーベルならともかく、ポニーキャニオンが本腰を入れちゃったため、大きなバジェットからスタートしたテントは、自分の音楽以外のこともあれこれ考えなければならず、気に病む案件も多かったことは、後の発言からも明らかになっている。だって、メインプロジェクトのひとつが「究極のバンド・オーディション」だもの。そういったエンタメ路線とは正反対のキャラなのに。
1988年といえば、世の中はバブル真っ只中、レコード産/音楽業界にも潤沢な予算があった時代である。オリコン・データを見ると、バブル時代ってシングル・アルバムとも案外ミリオンセラーが少なく、マーケット的には小さく思われがちだけど、音楽業界に関してはむしろ90年代がバブルで、21世紀に入ってからは縮小傾向に入っているので、規模としては今と同じくらいと思ってもらえればよい。
ただ、現在のように一部のトップ・アーティストやアイドル/アニメ系に購買層が集中しているのではなく、どのジャンルもまんべんなく、そこそこ売れていた時代でもある。地上波の音楽番組も数多かったし、ジャスラックも大人しかったおかげで、特に気負って探さなくても、音楽が自然に耳に入ってきた。いい時代だったよな。
テントが閉鎖して自由の身になった幸宏、せっかくならここでゆっくり休養すればよかったのだろうけど、あまり間を置かずに東芝EMIへ移籍、さっそく『Ego』のレコーディングを開始している。この時期はさらに加えて、サディスティック・ミカ・バンドの再編話も本格的な詰めに入ってきた頃なので、何かと落ち着いて自分の仕事ができなかったと思われる。なので、『Ego』レコーディングは断続的、たびたび中断の憂き目にあっている。
そんな周辺の騒がしさも要因だったのか、幸宏の作風は精神状態とシンクロするようにダウナー系、終わりなきレコーディング作業の泥沼にはまり込んでゆく。
80年代のスタジオ・レコーディング事情は、録音設備のデジタル化とMIDI機材の秒進分歩の進化と歩みを共にしている。昨日までの最新モデルが、一般発売された時点ですでに旧規格になっているのはザラで、ツールのアップデートが頻繁に行なわれていた。当初はメトロノーム程度の性能しかなかったシーケンス機材も格段に進歩し、デジタル楽器のマシンスペックは、生音にかなり近いものになっていった。
そうなると作業は効率化され、簡便になったと思われがちだけど、実際のところは膨大なポテンシャル/マテリアルの収受選択が困難になる。あれもできればこれもできる、じゃあその中からどれを選べば?
真摯なアーティストであればあるほど、そのこだわりは強く作用して、結果的にスタジオワークに費やす時間は長くなった。
やれる事が多くなった分、思いついた音は際限なく、いくらでも詰め込めるようになった。録音トラック数も増えてるし、コンソールの進化によって音がダンゴになったり、極端にピークレベルを抑える必要もない。以前は海外での録音が多かったけれど、機材も欧米並みになってるし、第一、スタジオに長期間篭るという前提なら、どうしたって国内のスタジオ一択にならざるを得ない。
ふんだんな予算と時間を使うことによって、サウンドは隙間なく埋められている。ヴォーカルも含め、すべての音はストレートに出したままではなく、あらゆるフィルターやエフェクトを通して加工されている。ひと癖もふた癖もある、頭の中であぁだこうだといじられまくった音だ。
ネガティブな負のパワーを秘めたアンサンブルは、一歩引いてしまうほど音圧が強い。そんなサウンドの中、幸宏のヴォーカルは細く、一聴すると弱々しく感じる。でも、ちゃんと聴き進めていくと、その細さの中にしなやかさ、決して折れることはないコシの強さが秘められていることがわかる。
ミュージシャンであるからして、サウンドに強くこだわるのは、いわば当たり前の話である。テクノロジーの発達と創作意欲のピーク、それに加えて新たなサウンド/ツールへの興味とがうまく噛み合っていたのが、80年代の幸宏である。
この時代までの幸宏がマスに浸透せず、サブカル業界人界隈で持てはやされるレベルに留まっていたのは、主に歌詞の世界観の弱さにある。
アルファ時代のアルバムの歌詞は、自作半分/外部委託半分といった割合となっており、お世辞にもクオリティが高いモノとは言いづらい。かといって、外部ライターの作品が良いかといえば、これまた印象に残るほどのものではなく、「まぁ頼まれたから、幸弘のイメージに合いそうなモノを書いて見ましたよ」的なレベルである。もともと声を張るヴォーカル・スタイルではないので、聴き流せる英語詞ではフィットするけど、どちらにしろストーリー性は軽視されている。
自ら進んで身を置いたわけではないだろうけど、今に至るサブカルのルーツのひとつだったYMOの流れから、その後も「サブカルの人」と位置付けられていた幸宏である。彼自身、そこまで意識はしていなかっただろうけど、何しろ周囲が屈折したサブカル人脈ばっかりなので、前時代的な熱いメッセージや主張に拒否反応を抱くようになるのは、自然の成り行きである。
同じサブカル人脈の流れの中で、一時は共依存と言ってもいいくらい、それくらい近しい場所にいた鈴木慶一は、幸宏と同化した存在だった。慶一が幸宏に書く言葉は、それすなわち慶一の言葉であり、その逆も同様だ。
あれから何十年経っても、2人は不可分の存在である。
幸宏同様、ムーンライダーズ活動休止による燃え尽き症候群で虚脱状態にあった慶一も、当時は大きく心を蝕まれていた。「何もそこまで自虐的にならなくてもいいのに」というくらい、慶一は幸宏のパーソナリティを白日のもとに晒し、そしてそれは同時に、慶一自身の痛みでもあった。
ヒリヒリする痛みの強さと深さとが、互いの距離を測り、そしてまた2人に共鳴する感覚を持つ者もまた、その精神的Mプレイを自分に置き換え、露悪的になった。
育ちの良さから来るものか、あまりガツガツせず、飄々と生きてきた感のある幸宏だけど、作品を見聴きすれば、それは見当違いであることがわかる。深遠かつ茫漠としたダークサイドの澱は、曖昧な紋様を描いて奥底に溜まる。
そんな心の闇の実体は如何なるものか。結局のところ、本人にしかわからないのだ。その澱は、近しい者なら見たり感じたりすることはできる。ただ、その澱の元となる「痛み」までは感ずることはできない。「感ずる」=「同化」であるからして。
立ち上がれないほどの無力感に襲われながら、必死の形相で言葉を、音を刻むその姿勢は、高い作品クオリティとして昇華した。
-夢も希望もこれといってなく、昨日の続きの今日を生きるだけ。
これまでの人生に、何ら過不足のない30歳以降の男性がふと抱く、曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ。
それを言葉だけじゃなく、サウンド総体で表現したのが『Ego』である。細部まで強いこだわりを持って組み上げられた作品は、時に過剰なほどのマテリアルが詰め込まれているけど、そこに至るプロセス自体が、幸宏にとっての作業療法であり、また慶一にとっても同様だった。彼岸で石を積むが如く、不毛だけれど集中はできる。石を積んでいる間は、余計なことを考えなくてもよい。
ただ、このテンションのまま、アーティスト活動を継続していくと、最後に行き着くのは自我の崩壊だ。剥いても剥いても中心コアの見えない自我のタマネギは、いつしか無に帰してしまう。
慶一作「Left Bank」で描かれた「大人の男の無常観」が反響を呼んだことから、次回作からは、その世界観の軸足を恋愛の方向にシフトさせ、アコースティック成分を多めにした、間口の広いコンテンポラリー寄りのサウンドを展開することになる。
『Broadcast From Heaven』から始まるEMI3部作は、『Ego』をライトに希釈して、幅広い層の共感を得ることになる。
高橋幸宏
EMIミュージック・ジャパン (1995-10-25)
売り上げランキング: 56,446
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1. Tomorrow Never Knows
中期Beatlesの代表曲からスタート。Johnの原曲に加え、当時、Georgeがハマっていたラーガ風味をミックスしてしまう発想は、さすがマエストロならでは。間奏のギターの逆回転をエスニックに味付けしたり、小技もたっぷり。こうやってポップ・クラシックを自流の解釈でいじくり回すのは、要するに好きなんだろうな。カバー曲での幸宏はほんと生き生きしている。作品に持つ責任が少ないからなのか。
2. Look Of Love
安全地帯を思わせるオープニングに続くのは、デジタルシンセの緩急をうまく使いこなしたAORポップス。デジタル特有の硬い響きとボトムの弱さを逆手に取って、要所で使い分けることによって独自のリズムを形成している。
サウンドはすでに熟成されているとして、まだAORに吹っ切れていない甘すぎるヴォーカルと、フォーカスがボケて無難にまとめた自作詞が惜しいのかなと昔は思ってたけど、ダンサブルなイントロとギター・シンセのリフだけで、今はもう満足してしまう。
当時はまだレベッカ在籍だったノッコがなぜかコーラス参加してるらしいけど、ほとんどわからないくらい。何だそりゃ。
3. Erotic
Bryan Ferryをもっとダンサブルなリズム主体にして、疾走感を与えると、こんな風になる。ヴォーカル・スタイルも似てるしね。ただあっちはもっと自己陶酔が激しい分、幸宏よりエロだけど。当時の日本のアーティストで、ここまでデジタル・ファンクを消化していた人はいなかった。クオリティはめちゃめちゃ高い。でも、質の高さと一般性は比例しない。そこの薄め具合が問題だったのだ。
4. 朝色のため息
曲調といい歌詞の世界観といい、プレ「1%の関係」と言ってもよいミドル・ポップ。「これで最後」だというのにまだどこか尾を引いた関係性というのは、幸宏の永遠のテーマなんだろうか。その後のEMI3部作で、慶一がそこをもっと映像的・観念的に描写することになる。
5. Sea Change
この曲のみ、細野さん作曲。作詞は幸宏と盟友的ギタリスト大村憲司との共作。なので、この曲のみ『Ego』収録曲とテイストが違い、音も結構隙間を活かした構造になっている。制作中に亡くなったYMO時代のマネージャー生田朗に捧げられており、レクイエム的にしっとりしたアレンジでまとめられている。久々に大村のギター・ソロが堪能できるのも一興。
6. Dance Of Life
共作のIva Daviesは、当時、欧米で人気上昇中だったオーストラリアのバンドIcehouseのリーダー兼ヴォーカリスト。A-Haをもっとロック寄りにしたエレポップ・バンドと言えば伝わるだろうか。YouTubeでいくつか聴けたオリジナル曲は、どれも大味なアメリカン・ロックだったけど、ここではもっと硬質なダンス・ポップに仕上がっている。
ていうかヴォーカルはほとんどIvaで、幸宏の孫座感はほぼなし。多分、コーラスでちょこっと顔出ししてるのだろうけど、あぁいった線の細さだから、ほとんど出番はない。なんで入れたんだろうか?普通にいい曲だけど、まぁそれだけ。
7. Yes
ここまで硬質でバタ臭いメロディがここまで多かったけど、幸宏のもうひとつの特性である、歌謡曲とも親和性の高いメロウなポップ・バラード。A面と比べ、B面楽曲は録音トラック数を絞った印象が強い。音に隙間がある分、メロディに耳が行く瞬間が多い。
8. Left Bank(左岸)
このアルバム中、最大の問題作。その後の慶一との本格的なコラボも、もとはここからすべてが始まった。サウンドだけ取り上げれば、後期ニューロマ~ダーク系エレポップの進化形といった風に分析できるけど、
俺が言いたいのは、そういったことじゃない。
恐竜の時代から 変わってないことは
太陽と空と生と死があること 過ぎてしまうこと
向こう岸は、昔住んでいたところ
左岸を 海に向かって
僕は歩く 君を愛しながら
この愛はいつからか 片側だけのもの
お互いの心さらけだすそのとき
愛は黙ってしまう
向こう岸は、キミと住んでいたところ
左岸を 風に向かって
僕は歩く 君を忘れながら
最強の敵は自分の中に居る
最高の神も自分の中にいるはず
向こう岸に 僕の肉が迷っている
左岸で 骨になるまで
僕はしゃがんで
ついにキミに触れたことなかったね
つぶやいて泥で顔を洗う
文明然の太古からいま現代に至る壮大なスケール感、そこから急速にシュリンクする2人の関係、そして自虐的な退廃、滅びの姿。
これを書かずにいられなかった慶一と、歌わずにはいられなかった幸宏、そして打ちのめされた20代の俺。
この厭世観こそが、2人の出発点なのだ。
9. Only The Heart Has Heard
オープングとループするエスニック・リズムに合わせて歌われるのは、Bill Nelson作詞による柔らかなテイストのバラード。この時代はまだ、英語で歌ってる方が気楽そうである。そりゃそうだ、日本語ほど生々しくないし、自分で書いた言葉じゃないから責任もない。
軽い声質を逆手にとって、傷口に塩を塗り込むような言葉を慶一に発注、自ら身を削りながら歌うようになるのは、この後である。
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