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 1981年リリース、「渚のラブレター」と同名シングル曲が収録された、ジュリー12枚目のオリジナル・アルバム。ソロデビューから長くバックを務めていた井上堯之バンドから、新たに結成されたエキゾティクスによる第一弾となる。
 それまでのGS人脈とは異なり、吉田健や柴山和彦らニューロック以降の世代中心に集められた彼らは、これまでとは違うサウンドを希求するジュリーの要望に充分応えられるメンツだった。単なる「歌手のバックバンド」的な扱いではなく、アーティスト・クレジットを「JULIE&EXOTICS」に統一していることから、新生ロックバンドとしてのスタンスを強く打ち出している。
 アルバムやシングルごと、もっと言えばコンサートや歌番組出演ごとに演奏メンバーが変わることも多かった歌謡界のセオリーにおいて、どのフェーズでもメンバー固定のバンドスタイルは、まだ珍しい試みだった。要は、歌手がメインの大前提においては、ギターが誰・ドラムは誰とこだわるのは、不毛とされていた。
 前身バンドから、ほぼ固定メンバーで一貫したサウンド・メイキングを行なっていたジュリーだったけど、メインのクレジットは「沢田研二」であり、ここに来てバンド・ネームを前面に押し出すのは、なかなかの決断だったと思われる。もう少し後年になると、菊池桃子がラ・ムーを結成する(させられた?)ことになるのだけど、それはまた別の話。
 この時期のジュリーのサウンド・プロデューサーは、GS時代からの盟友:元ワイルドワンズの加瀬邦彦が、ほぼレギュラーで務めていた。77年の「勝手にしやがれ」でレコード大賞を獲得し、すでに大スターのポジションを確立していたジュリーゆえ、ポリドールのディレクターやナベプロ含め、多くのスタッフがプロジェクトに絡んでいたのだけど、サウンド面のおおよその方針は、加瀬とジュリーが決めていたと思われる。
 新生バンド第一弾の景気付けもあってなのか、『S/T/R/I/P/P/E/R』は主にロンドン・レコーディングで制作されている。普通、ジュリークラスの芸能人だったら、半年・一年あとのスケジュールを押さえることさえ至難の業なはずだけど、これはおそらく前もって計画されていたものではなく、そこそこ強引にねじ込んだんじゃないかと思われる。
 アルバム制作に入る前、ジュリーは映画「魔界転生」の撮影に忙殺されていた。主人公:天草四郎を妖気的に演じ、過酷な撮影現場だったこともあって、他のスケジュールはほぼすべてキャンセルして臨んでいた。
 あらゆる方面にしわ寄せが及んだため、ナベプロサイドとしては、レコーディングは優先事項ではなかったはずだった。どこかでねじ込まないと、おそらくずっと後回しにされる。
 なので、映画撮了以降の隙を縫って、どうやら確保できたのが、81年の春だったんじゃないかと思われる。ジュリーもロンドン行きを強く望んだだろうし、天草四郎モードが抜けきらぬまま芸能仕事に戻るのも、ちょっとなんだし。結果的に、クールダウンになったんじゃないかと思われる。

 まだ洋楽アーティストが高嶺の花だった80年代、海外のスタジオやミュージシャンを起用した海外録音は、ひとつのステイタスとして認知されていた。歌手→アーティストへのステップアップとして、また、レコード会社側からしても、帯に「ロンドン録音」やら「有名ギタリスト参加」など、宣伝文句が増えることもあって、販促手段のひとつとして確立されていた。
 まだレコード会社で得体の知れない金が回っていた時代、多少名の知れた歌手やアイドルが、その恩恵を受けていた。ただ、その多くは長期バカンスや写真集撮影を兼ねたものであり、歌手本人が音楽性やサウンド・クオリティを追求することは、ほぼなかった。多分、スタッフがそそのかしたりしたんだろうな、「休みがてら、LA録音なんてどう?」とかって。
 とはいえ、まだ強力だったバブル前夜のジャパン・マネーを大盤振る舞いすることで実現した一流ミュージシャンの起用や、頂点を極めていたアナログ・レコーディング技術の恩恵を受けたことが、何の影響も及ばさないはずがない。こだわって追求したわけではないけど、一部の80年代邦楽作品が、結果的に高クオリティになったことも、また事実である。
 当時のアイドル購買層に、「河合奈保子のアルバムにジェフ・ポーカロ参加!」「野口五郎がLAレコーディング!(コレは名盤だけど)」って言ったって、そんなに刺さらなかったはずだけど、時間と予算をたっぷり使ったスタジオ・ワークが、後年になって再評価されている。70〜80年代シティ・ポップ/ヴァイパーウェイヴの一部として、またナイト・テンポのネタ元として有効活用されているわけだし。

 ソロデビュー以降、イギリス・フランスでのレコーディング経験があるジュリーだったけど、今回はちょっと事情が違っている。74〜75年のジュリーはヨーロッパ進出を本格的に進めており、現地でのテレビ・映画出演など芸能活動も積極的、まとまった期間を充てていた。
 今回のロンドンは純粋にレコーディングのみ、しかもたった10日。無理やりねじ込んだスケジュールなので仕方ないんだろうけど、「時間がないから国内で」ってことじゃないんだよな、きっと。
 気心も知れた手練れの井上克之バンドならともかく、まだ充分にコミュニケートできていない新造バンドとベクトルを合わせるには、一定の集中した時間が必要だったのだろう。過密スケジュールの合間を縫って、国内スタジオで細切れリハを重ねるより、互いに入念な下準備の上、雑事をシャットアウトしやすい異国のスタジオで、短期集中で作業する方を選んだことが、結果的に良い結果となった。


 アレンジャーとして参加した伊藤銀次が、当時のレコーディング状況を書いた記事を読んでみると、レコーディング本番まで顔合わせもない、かなりタイトなスケジュールだったらしい。単純計算で、1日1〜2曲をバンドで一発録り、最低でもヴォーカル録りは終えなきゃならないわけで、スタッフ陣のプレッシャーはハンパなかっただろう。
 そんな経緯だったため、ジュリーが隅々まで制作に関与できたわけではない。スタジオ内で実作業中、多少のアレンジ変更や歌詞の言い回しを変えたりはあっただろうけど、ほぼ仕上がった状態でのレコーディングだったため、その場で大胆なアプローチ変更を許される状況ではなかった。
 細かなニュアンスの行き違いはあれど、ジュリーの意向を汲んだメンバーとスタッフによって、ヴォーカルとアンサンブルとの乖離は感じられない。絶対的なサウンド・クリエイターとして司るのではなく、バンド・メンバーの一員として、一歩引いたスタンスで臨んだことが、結果的にエキゾティックスの成長につながっている。

 当時の反応を見てみると、アルバムとしてはオリコン最高13位と、まぁまぁの売り上げ。年間チャートは1位が寺尾聰で2位がロンバケ、3位がオフコースと、ほぼニューミュージック勢が独占している。なので、トップ50まで下っても、ジュリーの名は見られない。
 もう1、2年経てば、このトップ・グループが歌謡界に楽曲提供する時代に移行して、女性アイドルのアルバムがチャート上位に入るようになるのだけど、ジャニーズ独占時代が続く男性アイドルには、それほど波及しなかった。どちらにせよ旧世代、70年代デビュー組にとっては、急速な世代交代の波にさらされて、むしろ逆風となっていった。
 アイドル以降のキャリア・プランが充分に確立されていなかった時代、多くの歌手がタレントや俳優、または裏方へ転じてゆく中、ジュリーは異質の存在だった。ピークを過ぎた歌手が懐メロ/リバイバル路線で息をつないでるのを横目に、常に新たな路線/アプローチを提示し続けた。
 デヴィッド・ボウイ同様、ジュリーもまた、当時の才能あるクリエイターにとっては、最良の素材だった。特にビジュアル面において、エキセントリックとセクシャリティを両立させながら、決してマニアックにならないところは特に。
 フジテレビ系の懐メロ番組で、「夜ヒット」の映像が流れることがあるのだけど、他の歌手・アーティストと比べて、ジュリーへの扱いがひときわ違うのが、如実にわかる。そりゃレコ大受賞のベテランというのもあるけど、大掛かりなセットや演出など、ジュリーのキャラクター/楽曲の世界観をドラマティックに表現しようとする、番組スタッフの気概が伝わってくる。スタジオ一面に畳を敷き詰めた「サムライ」なんて、伝説級だもの。
 そんなスタイリッシュでありながら、志村けんとベタで絶妙なコントもこなしてしまう。鏡で向かい合わせのコントなんて、いま見ても笑っちゃうもんな。
 そんなギャップがたまらない。


1. オーバチュア
 「宇宙戦艦ヤマト」でおなじみ、宮川泰によるインスト。タイトル通り、幕開けを象徴するものなので、コンパクトにまとめている。
 前時代のキャバレーやクラブを想起させる、大人のいかがわしさを演出している。昭和の時代は、「子どもはお断り」という大人の溜まり場が存在していたのだけど、平成に入ると、そういうのも少なくなった。

2. ス・ト・リ・ッ・パ・ー
 オリコン最高6位、年間チャートでも74位、と、テレビでの派手なパフォーマンスも話題となった、ジュリーの代表曲のひとつ。サザンやツイストはじめ、お茶の間に浸透しつつあった日本のロックへの、歌謡界からの強烈なカウンターパンチともなった。
 ネオ・ロカビリーの影響を受けた軽快なリズムと、三浦徳子の挑発的な歌詞が強烈な相互作用を生み出し、さらにジュリーのヴォーカルが強いインパクトを残す。妖しげないかがわしさを放つ大人のロック・サウンドは、その後のロック少年・青年たちに、強烈な刷り込みを与えた。
ただ、このダンディズムを再現できた者は、いない。

3. BYE BYE HANDY LOVE
 佐野元春作による、ロックンロール・チューン。ネオ・ロカビリーというより、バディ・ホリー:リスペクトの、ハッピーでノリの良いリズムに仕上げている。
 元春のセルフカバーと比較すると、どちらのヴァージョンも伊藤銀次が関わっているため、細かなニュアンスを除き、アンサンブルはほぼ変わらない。バンドの違いとしては、こっちの方がテンポも早く、リズムが立ったミックス。

4. そばにいたい
 小田裕一郎作曲のロッカバラード。「Oh! Darling」や「スローなブギにしてくれ」とほぼ似たコード進行ゆえ、日本人好みのウェットな感触がなじみ深い。
 なので、比較的70年代っぽさも残しており、この曲単体ではアルバムから浮いてるけど、このひと息ついた感じが、昔からのファンを納得させている。ソウルっぽいフェイクも交えたジュリーのヴォーカルも、曲調にハマってる。とてもリハ不足とは思えない仕上がり。

5. DIRTY WORK
 ジュリーのルーツのひとつである、60年代ブリティッシュ・ロックへのリスペクトにあふれたチューン。ロンドン録音の大きな成果のひとつ。
 乾いたリズムとルーズなジュリーのヴォーカル、もう少し時間があればブルース・ハープも入れられたんだろうけど。ライブ感あふれるミックスも絶品。
 何も足さず、何も引かない。そんなサウンド。

6. バイバイジェラシー
 シングル「渚のラブレター」のB面が初出、モータウン・リズムを効果的に使った、ちょど良い湿度の歌謡ロック。A面にしてもおかしくないくらいのキャッチーなメロディーは、前曲に続き、小田裕一郎によるもの。
 イントロがちょっとダサめだけど、軽やかなジュリーのヴォーカルが、ヨーロッパの乾いた空気と調和して、オンリーワンの雰囲気を作り出している。地元側ゲストとして参加している、元ロックパイル:ビリー・ブレムナーの間奏ギター・プレイは、ツボを押さえつつ、まぁ無難。
 ちなみにシングル・ヴァージョンは、少しエコーがかかり、柴山和彦のギター・ソロもニュー・ウェイヴっぽい艶やかな音色。正直、そっちの方がカッコいい。

7. 想い出のアニー・ローリー
 GS時代の盟友:かまやつひろし作、メロウ&ワイルドなソリッドなロック・チューン。コール&レスポンスもあって、ある意味、最もバンドらしい曲。
 ストレイ・キャッツ由来のネオ・ロカビリーを絶妙に消化した、伊藤銀次のフェイクっぽいアレンジが、ノスタルジックかつモダンな雰囲気を生み出している。ロックパイル〜パブ・ロックのサウンドをジュリーがどれだけ求めていたのかは不明だけど、ニュー・ウェイヴ人脈とはだいぶ離れているため、ロックンロール・テイストを求めての起用だったのでは、と勝手に思っている。それとも、スタジオ座付の便利屋だったかも。

8. FOXY FOX
 エキゾティクスのベーシスト:吉田建によるナンバーが、ここで登場。彼の持ち味である、重厚かつ盤石なリズムで引っ張るスタイルは、ここでも存分に発揮されている。
 ロック・テイストを強めたストイックなネオGSスタイルは、ジュリーのヴォーカル・プレイにも影響して、キーもテンションも高い。若いミュージシャンに煽られつつ、しっかり正面から受け止める姿勢から、バンドの一体感が伝わってくる。こういうソリッドなロック・チューンは、日本じゃできなかったかもな。すぐホーンやストリングス入れちゃいそうだし。

9. テーブル4の女
 「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」と同じサウンド・テイストを持つ、疾走感あふれるロック・チューン。タイトルこそ歌謡ロックだけど、ファンキーなアンサンブルがジュリーのテンションを上げている。イヤこれ、初見で歌うの難しいぞ。
 これ以降、永くジュリーのサウンドを支え続けることになる柴山和彦のギター・カッティングが、唯一無二の存在感を主張している。一応、2024年いっぱいでコラボ解消したらしいけど、多分また、そのうち一緒にやりそうな気はする。

10. 渚のラブレター
 オリコン最高8位・年間チャート63位をマークした、こちらもジュリー代表曲のひとつ。エコー深めでセクシャルなロッカバラードのシングル・ヴァージョンに対し、ここではリズム・パートを強調した、ネイキッド的で無骨なサウンド。
 柴山のギターもエッジが立って、安易なポップ・ロックに収まろうとしない気概が漂っている。初めてアルバムで聴いた時、「あれ?こんなにバッキングの主張って、強かったっけ?」と違和感があり、調べてみたら、ヴァージョン違いだったことに、だいぶ後になって気づいた。
 TVでは、もっとチャラくて軽やかだったもんな。アレはアレで好きだけど。

11. テレフォン
 「沢田研二は本気でロックに向き合うのだ」という覚悟を決めた、ソリッドかつセンシティブな夜の香りを思わせるチューン。ある意味、エキゾティックスと伊藤銀次からの、ジュリーへの挑戦状とも言える。
 アルバムも終盤に入り、ここまで最低限のポップ要素をクリア、ここからがバンド・サウンドの真骨頂となる。正直、ジュリーの歌より演奏陣の見どころ聴きどころの多い曲でもある。

12. シャワー
 前曲の加瀬邦彦から、こちらは吉田健のペンによる曲だけど、同じダークな世界観が、さらにディープに妖しさを増したロック・チューン。80年代UKニュー・ウェイヴに60年代サイケデリックをミックスさせた、かなり凝ったアレンジ。
 プログレ〜ネオ・サイケな間奏といい、変幻自在なジュリーのヴォーカルといい、互いに入念なプランを練った上での一発録りは、相当な緊張感が走っていたと想像できる。
でも、ここまで突き抜けちゃうと、UKミュージシャンの出番ないな。安定はしてるけど、独特のもっさり感は、この演奏には合わない。

13. バタフライムーン
 緊張感が飛び交った前2曲とは一転、ラストは明るく肩の力を抜いたレゲエ・ポップ。考えてみれば、この時代でレゲエを取り入れていたメジャー・アーティストは、日本ではまだ少なかった。そう考えれば、かなりの先取り感覚だ。
 「人生はバタフライ 花から花へ飛ぶよ」
 抜粋して抜き出してみると、まぁ他愛ない歌詞だし、実際、ジュリーも軽薄に歌っているんだけど、妙な説得力がある。
 時には重厚に、そしてまた軽やかに。ジュリーの生き様を、サラッと表現している。