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 1996年リリース、5枚目のスタジオ・アルバム。バイオレンスと殺伐と魑魅魍魎が跋扈していた90年代アメリカ・オルタナ・シーンの中、ユルいハンドメイド風味な彼らのガレージ・ポップは、異端かつ新鮮だった。
 メガセールスとはまるで無縁の人たちだったはずけど、2005年、ディズニーからリリースした幼児向け教育アルバム・シリーズがヒットしてから、状況は一変した。ディズニーといえば著作権管理も含め、ポリコレ関連で何かと縛りも多そうで、皮肉屋のゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツとは相性が悪そうだけど、セールス推移も好調なため、シリーズは絶賛継続中である。
 シニカルが売りの彼らも、今度ばかりはさすがにわかりやすい構成を目指したのか、音のパーツは入念に吟味され、最小限の4〜5トラックに抑えられている。大げさに書いちゃったけど、要はいつもと同じ、歌詞とテーマさえ変えれば、いつものTMBQサウンドである。
 ディズニーの強力なバックアップを受け、安定した収入を確保したことで、シニカルとおちょくりの間を反復横跳びする彼らの活動方針は、ますます堅牢なものになった。普通のアーティストなら、大資本と組んだことで日和ったと批判されるものだけど、彼らの場合、そんな声も聞かない。
 ファンの目を気にしてディズニーへのアンチを表明するわけでもないし、それはそれ、あくまでビジネス・パートナーとして良好な関係を築いている。懐の深いパトロンぶりだな。
 最初のシリーズから15年ほど経過して、幼少時に自然とTMBGの音楽を刷り込まれてしまった世代が、そろそろスマホを手にいる頃である。単純なノスタルジーで、彼らがそのままTMBGファンになる確率はおそらく少ないだろうけど、もう10年くらい経てば、何かしらのきっかけでリバイバルが盛り上がっちゃうかもしれない。
 そんなことを真剣に危惧してしまう俺は、多分疲れてるんだな、きっと。

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 そんな杞憂はさておき、90年代オルタナを象徴する、耳をつん裂くラウドな音や、救いのない暴力的なテーマには馴染めない、または胸焼けしてしまったユーザーにとって、ライナスの毛布的な役割を担っていたTMBG。ニルヴァーナやパール・ジャムのようなメインストリームではなく、その裏道でコソコソ活動していた人たちであり、チャートでブイブイ言わせてたわけではない。ただ、そんなニッチで細かいニーズも、アメリカ全土からかき集めれば結構な数となり、このアルバムもUS最高61位と、そこそこの成績を残している。
 日本では輸入盤ショップや雑誌メディアからのウケが良く、90年代ロキノンやクロスビート界隈では、新作リリースごとにインタビューが掲載されていた。「ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ」。ついフルネームで口にしてしまいたくなるユニット名のおかげもあって、この時期の彼らは、そこそこ知名度があった。
 グラミーやアリーナ・ツアーとは縁遠い存在ではあったけど、メジャーで4枚もアルバム・リリースできれば大したもので、この『John Henry』の頃には、そこそこ固定ファンもついてたし、小ホールくらいなら充分ソールドアウトできる程度のポジションにあった。正直、スタジアムを埋め尽くすような芸風でもないし、フェスでメインを張るほどの威厳はまるでない人たちなので、この辺をピークと位置づけて、あとはダラっと低め安定志向でやってく心づもりだったんじゃないかと思われる。

 ただ配給するレーベル側としては、現状維持ではなく、「もう少し欲持ってほしい」希望もあったのだろう。ドアーズを始めとして、古いカタログは充実しているけど、現役の目ぼしい稼ぎ頭がメタリカくらいしかいなかったエレクトラにとって、ドル箱アーティストの育成は通年の課題だった。
 80年代にピークを迎えたモトリー・クルーやアニタ・ベイカーは、90年代に入ってからセミリタイアしてしまったし、手堅く安定したカーズも失速の上、解散してしまった。ようやくアメリカでブレイクし始めたキュアーも、この頃から解散するする詐欺で不安定だったし、ディー・ライトはキワモノオーラ満載の上、一発屋感が否めなかった。
 ようやくWindows95が広まりつつあったご時世ゆえ、ネット配信なんて夢のまた夢、CDセールスが絶対基準だった90年代は、メジャー・レーベルの傍若無人ぶりがまかり通っていた時代でもある。他社のヒットメイカーを引き抜く営業力に欠けていたエレクトラは、地味だけどチマチマ売り上げを伸ばしているTMBGに「伸びしろがある」と勝手に決めつけ、有無を云わせず育成枠に入れたのだった。
 ひねくれたウィットとねじれたペーソスがクロスオーバーする彼らの音楽性は、薄く広く万人に指向するタイプではない。CMJやピッチフォーク、または前述雑誌メディアを情報源とする、ニッチなシェアを対象にしたものであり、どうがんばったってマスに訴求するタイプではない。
 言っちゃ悪いけど、メガセールスをバンバン叩き出すタイプの音楽性じゃないことは、アーティスト自身が一番わかってるはずだし、そもそも本人たちにその気がないことくらい、現場ディレクターだったら察せられるはず。ただ、それを判断するのは現場クラスよりもっと上、きちんとTMBGを聴いてるとは思えない上層部の見当違いが、そもそものトラブルの発端だった。

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 長らく「アウトローと山師とどんぶり勘定の無法地帯」とされていた音楽ビジネスも、90年代に入ってからは積極的にビジネス・スキームが導入されるようになる。収益性を高めた企業としての体裁を整えるため、経営陣に会計士や弁護士が加わるようになった/デカい顔をするようになったのが、この頃だった。
 音楽業界はおろか、青年期にまともに音楽を聴いてこなかった彼らゆえ、自社の作品やアーティストに思い入れがあるはずもなかった。彼らにとっては、ゴールド/プラチナ獲得する楽曲が「いい商品」であり、それを量産できるアーティストが「最良」とされた。中身はどうであれ、収益性の高さが唯一の判断基準だった。
 エルトン・ジョンとカーペンターズとビートルズくらいしか聴いたことがない彼らにとって、絶妙なアンサンブルや迫真のパフォーマンスは重要ではなかった。彼らの関心はもっぱら、制作コストや株価推移に向けられていた。
 デモテープにもアーティスト・ビジュアルにも関心を示さず、売り上げ推移グラフと上辺だけのマーケティング・リサーチを判断材料に、机上の統計で「伸びしろありそう」と判断されたのが、当時のTMBGだった。当時のラインナップから察して、「まぁステレオラブよりはまだ成長株なんじゃね?」といった消極的な後押しもあったんじゃないかと思われる。
 マイナー志向ではあるけれど長いものには巻かれる、アングリー精神はなくはないけど、あんまり波風は立てたくない。
 あんまり人の意見は入れたくないけど、まぁエレクトラで3作目だし、あんまり意固地にならず、たまにはディレクターの次元も取り入れてやってもいいんじゃね?と2人で話し合ったのかもしれない。あんまり自分たちから進んではやりたくないけど、これも何かのきっかけとして、ちょっと型にはまってみようか、という経緯で行き着いたのが、ドラム&ベースを加えたバンド・スタイルのTMBQだった。

 それともうひとつ、前作『Apollo 18』がスマッシュ・ヒットしたことで、ライブのオファーが多くなったことも、心境の変化の一因だったと考えられる。基本、ライブでの再現を考慮してなかったTMBGではあったけれど、たった2人で全トラック演奏するのは、さすがにちょっと無理がある。だからといって、再現度を高めるためにテープ音源ばかり使うのも、ホール・クラスだと興覚めだし。
 小さなライブハウスから小ホールにグレードアップしたこともあって、サウンドもまたスケールにふさわしい、ライブ映え仕様にするのは、これまた自然の流れでもあった。
 まぁ、そんな風に自分たちに言い聞かせたのかもしれないけど、様々な思惑と大人の事情と成り行きを経て、『John Henry』は制作された。多くの楽曲制作はTMBG:フランスバーグ&リンネル2人によるものなので、大枠はそれほど変化はない。
 20曲も収録されているのに、トータルタイムは1時間を超えず、ほとんどの曲が2〜3分サイズなのは相変わらず。人生の深みや渋みなんてのはまったく考慮せず、どうでもいいくっだらねぇ主題やテーマばかりなのも、結局変わってねぇじゃねぇかといった次第。
 そんなユニットの本質は変わらないけど、上乗せするサウンドにはこだわったのか、なかなかの手練れが名を連ねている。ベースのTony Maimoneは、いにしえのポストパンク・バンドPere Ubuのオリジナル・メンバー。調べてみて初めて気づいたけど、もう1人のベースGraham Mabyは、あのジョー・ジャクソンの片腕的存在の人。デビューからずっとこの2人、腐れ縁みたいなものだけど、TMBGにも参加してたんだな。
 ギターで参加しているのが、こちらもルー・リードとのコラボが長かったRobert Quine。Maimoneはまだわかるとして、あと3人、どこで接点あったんだろうか。

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 ヒット作を作りたいという煩悩はちょっと足りないけど、今までよりも広い空間を想定したこともあって、ギターのエフェクトも重低音が強調され、リズムもまたラウドかつシンプルに変化している。グランジやメロコアというにはまだまだ牧歌的だけど、それでも充分、これまでより荒ぶった感は伝わってくる。
 演奏者が多くなった分、ピーク・レベルも広くなり、サウンドに重みが加わった。いわば外に開かれたサウンド・プロダクトで、グランジ系には見劣りするけど、音の厚みはそこそこ改善されている。
 エレクトラもそれに応じて、多分、メタリカの100分の1程度の経費をプロモーションにぶっ込んだはずなのだけど、肝心のチャート・アクションはほぼ前作並みという結果に終わった。とりあえずアベレージはクリアしたけど、結局、従来ファンが購入しただけで、新規ユーザーの取り込みは不発だった。
 エレクトラ経営陣としては、目論見が外れて不満だったけど、そもそも高望みしていないTMBGサイドからすれば、「そんなうまく行くはずないって」と肩をすくめるだけだった。サウンドはちょっと派手になったけど、基本姿勢は変わらないんだもの。そんなのは、本人たちもファンにも周知の事実であって。
 経営側としては、投下した資本は回収しなければならず、TMBGは引き続きスタメンの端っこあたりに位置づけられ、次作での挽回を期待される。ただ彼らがしくじったのは、TMBGにどれだけプレッシャーかけたって、右から左へ聞き流されてしまうことだった。だってTMBGだもの。
 その次作『Factory Showroom』は、引き続きバンド・スタイルで制作されたけど、『John Henry』で培ったオルタナ風味はきれいに拭い取られ、スカスカの作り込みポップに回帰していた。シャレで一回付き合ってみて、バンド・スタイルによるアレンジの可能性の広がりには理解を示した2人だけど、「やっぱガラじゃないよな」と悟ったのだろう。
 なんか思ってたのと違うカラーに染められそうになる危機感を覚えたTMBGの2人は、レーベルから要請されたプロモーション・ツアーを拒否し、その後、契約解消してインディーに戻ってしまう。拡大資本主義にとらわれたエレクトラの度量が狭かったということなのだろう。
 思えば、今も友好的な関係が続くディズニーのような懐の深さで、金だけ出して好き放題やらせてたら、また違った展開になってたんじゃないか、と思う。
 いや、そんな変わんねぇか、この2人じゃ。




1. Subliminal
 ピアニカによるイントロこそTMBGらしいけど、歌に入ると真っ当なギター・ロックなので、最も普通っぽく、同時に最も彼ららしくない、きちんとしたオープニング。年季の入ったファンなら、当時のムーヴメントへの痛烈な模倣/アンチテーゼと受け取れるけど、何も知らないウブなユーザーなら、つい正面から受け止めてしまいそう。
 多分、これ聴いて遡ってみて、期待はずれと思ったファンも多かったと思われる。

2. Snail Shell
 シングルカットされた、こちらもまともなギターロック。TMBGのくせにスラップベースまで入っていたりして、全体的にストイックかつソリッドなサウンドに仕上がっているけど、タイトルは「カタツムリの殻」。何かしらのハプニングで、殻からはずれてしまったカタツムリが困ってるところを、多分、親切な人間が元通りにしてくれて、その感謝の意を伝えている、といったくっだらねぇ内容。
 無理やりこじつければ、ヒューマニティな比喩が仕込まれているのだろうけど、そんなのをわざわざ探さず、鼻で笑って聴き流してしまうのが、年季の入ったファンのマナーであって。

3. Sleeping In the Flowers
 彼らの全レパートリーの中でも長尺の方に入る、なんと4分を超えるナンバー。多くの曲が2分台で終わってしまう彼らだけど、『John Henry』にはなんと2曲も収録されている。大方の曲のテーマが、わざわざ書き記さなくても済むような、くっだらねぇ内容ばかりなので、3分以上は間が持たないはずなのだけど、もしかするとこの時期は、マジでゴールド・プラチナを狙っていたのかもしれない。
 似合わねぇのにね。

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4. Unrelated Thing
 R.E.M.のパロディを真剣にやってみたような、牧歌的なポップ・フォーク。「いつもはフザけてるけど、その気になれば、これくらいできるんだよ」とでも言いたげな、なんかくやしいけどいい曲。

5. AKA Driver
 こちらはブリット・ポップの意匠を借りた、ちょっと懐かしい風味のパワー・ポップ。ヤダ、これも普通にカッコいい。予備知識なしで聴いたら虜になって、で、他のアルバム聴いて幻滅しちゃいそう。
 全体的にスミスのパロディっぽさが如実に出ており、彼らのファンなら血相変えて怒りそう。でもモリッシーなら、口元歪めるだけで許してくれるんじゃないかと思う。

6. I Should Be Allowed to Think
 中期ビートルズのテイストを90年代仕様にビルドアップした、軽快な8ビート・ロック。ポップでそこそこ粗野で、アバウトなユニゾン・コーラスで彩られ、よくできている。よくできているからこそ、なんかちょっと腹が立つ。
 やればできるじゃねぇか。

7. Extra Savoir-Faire
 やっと通常運転の彼ららしい、気の抜けたオープニング。まじめそうに歌ってるけど、これって「When I'm 64」じゃね?ヴォーカルもポール・マッカートニーに寄せてるし。

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8. Why Must I Be Sad?
 もうひとつの4分台、こちらはややサイケなグランジ風。ただ根がポップなので、どこか生真面目な姿勢の正しさは見え隠れする。強力で引き出しの多いリズム・セクションが加入したからこそ成立した曲であり、2人でチマチマやってたんじゃ仕上がらなかった、そんな曲。

9. Spy
 こちらもリズム・パートが大活躍のセクシーなロックンロール。クラッシュが解散してなかったら、こんな感じの切れ味鋭いナンバー連発してたんだろうな、と思うとちょっと惜しい。普通にレベル高い曲なのだけど、彼らに求められてるのはコッチじゃないのが、この曲の不幸だった。
 先入観なかったらともかく、従来ファンにとってはパロディに聴こえちゃうもの。

10. O, Do Not Forsake Me
 彼らのレパートリーの中では、また『John Hnery』の中でもひと際異彩を放つゴスペルタッチのアカペラ。ていうかヴォーカルを取ってるのは彼ら自身じゃなく、5人組のコメディアンらによるコーラス・グループ:Hudson Shad。
 彼らがクソ真面目に歌ってること自体がオチになっているのだろうけど、アメリカ以外じゃ伝わりづらいよな。まぁ「わかる人にだけわかりゃいい」っていう彼らのスタンスなんだろうけど。

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11. No One Knows My Plan
 一転して、陽気なスカ・パンク。王道オルタナ・ロックっぽさが薄いので、こっちの方が本来のTMBGっぽい。リズムがフィジカルになった分、躍動感が出ている。でもアクティヴなTMBGって、書いててなんか違和感だな。

12. Dirt Bike
 ジョン・リンネルのホーン・ソロから始まる、ルーズなタッチのロッカバラード。サウンドの質感はザックリしてるけど、歌メロがポップなので、親しみやすい。ねじれたギター・ソロも程よいアクセントとなっており、TMBGってクレジットしなければ、CMJチャートでもそこそこ健闘したんじゃないかと思う。






13. Destination Moon
 こっちはもう少しシンプルな、ステレオタイプなパワー・ポップ。そこまで凝った楽曲じゃないけど、市場ウケを考えるのなら、十分シングル候補。当時少しだけ流行っていたネオ・サイケ風味もあったりして、本気で売れるつもりだったんじゃないかと思えてしまう。やればこれだけできちゃうんだから、エレクトラも本腰入れちゃうよな。

14. A Self Called Nowhere
 続いて同系統の、もう少し荒ぶったパワー・ポップ。メロディや構成から見て、こちらの方が本来のTMBGサウンドで、バンド・スタイルでボトムアップした感が強い。でもやっぱ、ヴォーカルがムリしてるっぽいんだよな。どこかでハズして舌出すくらいでちょうどいいのに。

15. Meet James Ensor
 20世紀初頭に活動していたベルギーの画家:ジェームズ・アンソールに捧げた、という体のビート・ポップ。語呂がいいので歌詞に織り込んでみた感が強いけど、そういった軽いノリは彼らの真骨頂でもある。
 で、ジェームズ・アンソール、名前は聞いたことなかったけど、検索してみて記憶に残ってた絵があったので、さらにググってみると、やっぱ当たってた。
 ガブリエル・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』の文庫本表紙。昔読んだけど、この人の場合、短編よりも『百年の孤独』『族長の秋』など、ズッシリ重厚感のある長編の方が読みごたえがある。また再読してみたいけど、相当の気力と体力が必要だな。

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16. Thermostat
 「寒かったら上げろ、暑かったら下げろ」と、タイトル通りサーモスタットについて歌ったナンバー。リズムが立ってることもあって、普通だったらヨレヨレになってしまうところを、真っ当なロックチューンに仕上がってしまっている。隙がない分だけ、ビギナーなら引っかかってしまうかもしれない。

17. Window
 1分程度のサイケ・ポップなふざけた小品。本人たちもかしこまったロックばかり続いて居心地が悪いのか飽きたのか、箸休めでこういうのもあっていい。ていうか他のアルバムって、ほぼ箸休めばっかだけど。

18. Out of Jail
 気を取り直して、疾走感のあるロック・チューン。女性にそそのかされて冤罪で刑務所に入れられた男の独白とのアンバランスさは、彼らならでは。ラス前の目だたない所に入れるあたりが、彼らなりの営業面への配慮だったのか。





19. Stomp Box
 彼らにしては、やたらBPM走りまくりのスカ・パンク。デスメタルのパロディ的な歌詞も絶妙だけど、それよりも何よりも、2分弱で終わってしまうところが彼ららしい。これ以上引っ張ると息切れしちゃいそうだし。

20. The End of the Tour
 でも最後はしっとり、というのも彼ららしい。『Flood』の世界観が好きな従来ファンならたまらない、フォーキーなポップ・バラード。くだらなさは少ないけど、最後にこういった素顔をのぞかせてしまうのもまた、シニカルなウィットとのギャップ萌えとして成立してしまう。