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 秀樹ファンにはとっくに周知されているはずだけど、今年から大々的なCD復刻企画がスタートした。オリジナル・アルバムはもちろん、これまで完全な形でのリイッシューがなかったライブ・アルバムも含め、順次紙ジャケ仕様でリリースされている。
 マニアックなリイッシュー企画だと、カセット・オンリーの音源やファンクラブ限定のソノシート音源など、とにかく声が入ってるアイテムをかき集めて、ボーナス・トラックに収録するケースもあるのだけど、今回の秀樹は、そういうのはなし。オリジナル意匠の忠実な再現をコンセプトとしているらしい。
 第3期まで発表された現時点では、1・2期がデビューから70年代のオリジナル、3期がライブ5枚と、緩やかな時系列に沿って、それぞれテーマ別で編纂されている。安直なベストやカセット企画は除外されるようだけど、おおよそ50枚を2年かけて復刻してゆく壮大なプロジェクトとなっている。
 Twitterのタイムラインの盛り上がりから見て、売れ行きも上々らしく、デアゴスティーニみたいにフェードアウトしてしまうことはなさそうである。デビュー50周年を迎え、本人不在は残念なことだけど、映像方面の発掘も進んでおり、結構な波及効果を生んでいる。
 熱狂的なファン層の厚みがそこそこあったにもかかわらず、他の同世代アイドルや歌謡曲シンガーと比べて、秀樹のリイッシュー状況は大幅に遅れている。サブスク界隈だと、iTunesでは70・80年代のシングル・コレクションとデビュー・アルバムは配信されているのに、Amazon Musicは後期のシングルが少しだけ。
 今回のリイッシュー音源が配信されそうな気配は、今のところなさそうである。何でだろ。

 iTunesのラインナップが象徴するように、秀樹のアーカイブのニーズは基本、全盛期とされる70年代の作品に集中している。あとは「ギャランドゥ」までの80年代シングル、「走れ正直者」、付け加えてターンAガンダムの主題歌、ってところか。
 多少の差異はあるにせよ、近年流通している秀樹のベストは、概ねこの辺の楽曲を中心に構成されている。リリース状況が活発だった80年代のシングルまでは、どうにかコンパイルされているけど、90年代以降はリリースも不定期だったため、アルバム単位でのパッケージが難しかった。この辺をどうまとめるかが、今後の課題だろうな。
 wikiのディスコグラフィーを参照してみると、94年のボックスセット『HIDEKI SAIJO EXCITING AGE '72-'79』にて、現時点まで復刻されたオリジナルがCD再発されている。99年には、そのうち初期4枚が分売、さらに、70〜80年代のライブ・アルバムを6枚組にダイジェストした『HIDEKI SUPER LIVE BOX』がリリースされている。
 94年と99年に何がしかのアニバーサリーがあったのかは、ちょっと不明。多分に、94年は10年ぶりの紅白出場、99年はレコード会社の移籍があったので、その辺がちょっと絡んでいたと思われる。
 前述したように、コンセプト色の薄い、レコード会社のリリース計画の穴埋めで制作されたようなベスト・アルバムは、リイッシュー予定から除外しているらしい。現時点で復刻されたベストは、79年の『YOUNG MAN/HIDEKI FLYING UP』のみ。
 収録内容を見てみると、タイトルが象徴するように「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」大ヒットにあやかった、70年代後半のシングル中心のベストであり、すごいレア音源が収録されている風でもない。なんでコレだけ復刻されたんだろ。。謎だ。しかも、95年にもベストでは唯一、コレだけCD再発されている。

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 これまでの再発ラインナップからわかるように、70年代の秀樹のアルバム・リリースは、そりゃもうとんでもないペースだった。秀樹に限らず、トップグループはみんな、年間シングル4枚、アルバム3〜4枚リリースがデフォルトだった。
 ほぼ毎月、何らかのニュー・アイテムによって、レコード店の売れ筋エリアを死守することが、レコード会社の営業戦略の柱だった。とは言っても、過密スケジュールの彼らがレコーディングに避ける時間は限られており、オリジナル・アルバムは2枚が限界で、残りはライブやベスト盤で埋め合わせるのが実情だった。
 極端な話、一発録音でどうにかなってしまうライブ盤は、制作期間も短くて、リリース計画の埋め合わせとして好都合だった。70年代アイドルはやたらライブ盤が多いのだけど、そういう事情もある。
 80年代に入ると、案外ニーズがなかったのか、どのアイドルもライブ盤のリリースは少なくなってゆく。言っちゃ悪いけど、リリース点数を稼ぐためには、製作コストも少ないライブ盤は適しているはずなのだけど、これがちょっと疑問。誰か知ってる人いたら教えて。
 で、秀樹に話を戻すと、80年代に入ってからは世代交代もあって、リリース・ペースはだいぶ落ち着いた。レコード会社による企画ベストやコンピは相変わらずだったけど、オリジナル・アルバムには自身の意向が強く反映されるようになった。
 シングルの楽曲コンペでの発言権も増し、カバーする楽曲についてのプレゼンも自ら行なうようになってゆく。アルバム制作においても、自らコンセプト立案して企画書を作り、時にクリエイターを自ら指名したり、積極的にプロデュース活動を行なっている。
 そうなると、アルバムごとに手間暇がかかり、いきおい制作期間は長くならざるを得ない。ディレクターのお膳立てに沿って、スケジュールをこなすだけのレコーディングならともかく、それなりのベテランになると、自己プロデュース能力が求められるし、ディテールへのこだわりも、挙げればキリがない。

 ビートルズのアルバムが初CD化される際、EMIとアップルはアーカイブの抜本的な見直しを断行した。それまで世界各国、本社未公認で乱発していたベスト盤やコンピレーションを廃盤にし、UK仕様オリジナルに統一した。
 当時、定番ベストとされていた『Oldies』や赤盤・青盤がその煽りを食らい、市場から回収された。入門編の役割を果たす赤盤・青盤は、のちにリイッシューされたけど、各国で意匠を凝らした未公認盤の多くは、一部を除き未CD化のままだ。
 今回の秀樹のプロジェクトも、ビートルズ同様、アーカイブを時系列で整理し、カタログを一本化することでスタンダードとする構想が見えてくる。秀樹亡き後に立ち上がった企画ゆえ、遅きに失した感は否めないけど、一歩前に進んだだけでも良しとしなければならない。
 今後のリリース計画としては、カバー・アルバムも対象としているようだけど、こういうのって許諾関係が最大の障壁なので、こっちは時間がかかりそう。70年代の音源も、オリジナル・アルバムだけではすべてを補完できないはずなので、今後、何がしかの形でオリジナル・コンピの企画が控えているんじゃないかと思われる。
 ここで微妙なポジションとなってくるのが、80年代以降のベスト・アルバム。スーパーやホームセンターのワゴンに並んでいたカセット企画なんかは論外として、ある程度、秀樹の意向が反映されていると思われるコンピはどうなるのか。

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 で、『Myself』。思いっきりベストである。
 83年から84年のシングル中心にコンパイルされており、B面曲やアルバム楽曲も収録されている。当時の秀樹が志向していた、アイドル以降のAORテイストのサウンドで統一されており、トータル性を考慮した選曲になっている。
 ただレア曲や目新しさには欠けているため、リイッシューの基準としてはボーダーぎりぎりなんじゃないかと思われる。はっきり言っちゃえば80年代シングル・コンピで間に合っちゃうわけだし。
 84年のコンピレーションはもうひとつ、『背中からI Love You』があるのだけど、こっちは「ローラ」や「情熱の嵐」など、全方位的な選曲となっており、統一感はちょっと薄い。「ギャランドゥ」だけではインパクトが弱いので、保険として70年代ヒットを入れたんだろうけど、それが災いして散漫な作りなんだよな。こっちも再発は微妙だ。
 コンセプチュアルなベストという意味合いで『Myself』を取り上げたのだけど、でもコレ、ジャケットは地味なんだよな。シングル「抱きしめてジルバ」をそのまま引き延ばした、正直、あまり売る気が感じられないデザインである。
 85年のオリジナル『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、「西城秀樹」というアイドルの先入観を払底するため、ジャケットから名前やポートレイトを排除した。そんな意向の延長線上でのアートワークだったんじゃないかと思うのだけど、でももうちょっと飾り立ててもよかったんじゃね?とも思ってしまう。

 ニューミュージックのアーティストにも見劣りしない、強いこだわりを持って作られた80年代のアルバムと並行して、秀樹はシングルにも同様の熱量を込めて製作にあたっていた。シングル・リリースにおいては、ある程度の商業的成功が前提としてあり、多くの場合はアベレージをクリアしていたと思われる。
 80年代に入ってからは、松田聖子が先鞭をつけたことで、それまで存在が薄かったアイドル/歌謡曲のアルバムにも注目が集まるようになった。ただ、70年代デビューの秀樹がその恩恵を受けることはなく、ほぼ黙殺されていた。
 人的時間的コストに見合う対価が得られなかったことで、80年代中盤以降、秀樹のリリース・ペースは緩やかになってゆく。オリジナルの製作コストを補填するかのように、70年代中心のベストは、絶えず市場に供給されていた。
 その間もシングルはコンスタントにリリースしていたのだけど、セールスは想定以上に伸びず、過去のヒット曲ばかり流通する状況が、しばらく続くことになる。この時代の音源を聴いてみると、ハンパな自称アーティストと比べて、そのクオリティの高さにビックリしてしまうのだけど、当時は気づかなかったんだよな。
 なので、80年代のリイッシューは、オリジナルだけを単純に復刻しても、その全貌はつかみづらい。ある程度、テイストの近い楽曲を中心に編纂したテーマ別ベスト、『Myself』と『HIDEKI SAIJO』をラインナップに入れることで、初めて「時系列で補完できた」と言える。
 アルバムとアルバムの間のミッシング・リンクを繋ぐこの2枚は、80年代秀樹を知るにおいて、はずせないアイテムである。だからお願い、復刻してください。よろしくお願いします。





1. 抱きしめてジルバ - Careless Whisper -
 1984年にリリースされた49枚目のシングル。世間的には、この次の50枚目のシングル「一万光年の愛」の方がアニバーサリー的な盛り上がりだったため、あまり印象に残りづらかったかもしれない。
 時系列を調べてみると、本家ジョージ・マイケルのシングル発売が7月で、秀樹が10月なので、発売前から音源を入手し、即断即決でレコーディングに踏み切ったんじゃないかと思われる。かなりディープな洋楽マニアだった秀樹、おそるべし。
 ちなみに盟友:郷ひろみも11月に両A面シングル「ケアレス・ウィスパー」をリリースしており、ごく一部でカバー対決として盛り上がりを見せたらしい。実際に「夜ヒット」でそんな企画で2人が出演したらしいけど、まぁ優劣がどうというものでもない。この頃になると、もはや2人とも別路線だし、たまたまカバー曲がかぶっただけのことだし。
 オリジナルについては、誰でも一回くらいは聴いたことがあるはずなので割愛するとして、2つのカバーの特徴について。
 秀樹:うまく緩急使い分けた、ソウルフルなジョージのヴォーカルに対し、バラード・パートはほぼ同じだけど、力のこもる大サビ・パートでは、もともとのロックの熱くたぎる血がほとばしる。当時、常連スタッフだった森田由美による訳詞は、アダルティな秀樹のアーティスト・イメージに寄せつつ、オリジナルにほぼ忠実。
 GO:作詞クレジットの「ヘンリー浜口」は、彼のペンネーム。怪しげな日系三世みたいで、センスが疑われる。御三家の中では歌唱力はやや劣るとされていたGOも、アダルト路線の楽曲が中心だったこの頃は、普通に歌いこなしている。ただ、高音パートやファルセットがちょっと弱いかな。
 オリジナルのストーリーに縛られず、比較的自身の解釈を多めに入れた歌詞になっているのだけど、「一人でいい あなたの子供 産んでみたいの」やら「死ぬほど愛した女は お前だけなのさ」というフレーズは、旧来の歌謡曲の作詞作法をそのまま持ち込んだ感があって、ちょっとミスマッチだな。誰か言ってやれるスタッフいなかったのか。
 ちなみにオリコン・チャートでは、秀樹が18位でGOが20位。まぁそんなに変わらない。




2. 哀しみのStill
 83年リリースの46枚目シングル。オリコン最高29位、デビュー以来、初めて売り上げ5万枚に届かなかったシングルという、不名誉な称号がある。この時期の「ベストテン」は、圧倒的に女性アイドルとジャニーズの力が強く、中堅どころである秀樹もGOもチャート的には奮わなかった。
 アダルトでAORなテイストのサックスと、ブイブイ響くチョッパー・ベースの連打のミスマッチ感は、いま聴くとキッチュでオツだね~ってところなのだけど、まぁこの時代だとお茶の間では受け入れられづらい。それをわかって我流を通しているんだから、ある意味、確信犯だよな後藤次利。

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3. ジェラシー
 「抱きしめてジルバ」のB面としてリリースされた、こちらも後藤次利による楽曲。正直、「悲しみのStill」より、こっちの方がシングルっぽい。基本の歌謡ロック・サウンドに森田由美によるドライな歌詞、ハードロック・テイストのギター・ソロは、多分吉野藤丸だと思うけど、短いサイズながらここぞとばかり、強烈なインパクトのプレイ。
 その辺の詳しいクレジットも知りたいから、『Myself』を復刻してほしいのだ。安直なシングル・コレクションだったら、そういうのって端折られるからね。

4. 背中からI Love You
 この時期は後藤次利がお気に入りだったのか、また登場。シャッフル・ビートで歌う秀樹は、なんか尾崎豊みたい。ほどよい歌謡テイストとパーティ・ソウルのアレンジは相性がいいんだけど、オリコン最高30位。もうちょっと売れてもよかったはずなんだけどな。
 前のめりなアップテンポ・ナンバーに森田由美は馴染まなかったのか、当時、チェッカーズで上り調子だった売野雅勇を起用しており、このキャスティングは正解だったと思う。時代を超えたサウンドとは言い難いけど、少なくとも80年代の享楽感を味わうには程よいトラック。

5. パシフィック
 「背中からI Love You」のB面で、作詞・作曲とも同じコンビでのトラック。一転してリゾート・テイストなバラードで、タイプは全然違うけど、これも味わい深い。
 こういった80年代LAサウンドも守備範囲だったのが当時の秀樹の特質であり、歌謡曲畑では異色の取り組みだったと言える。先入観抜きで聴けば上質のシティ・ポップなんだけど、彼の試みを受け入れる環境がなかったのが悔やまれる。

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6. Winter Blue
 47枚目のシングル「Do You Know」のB面収録曲。なんと作曲は秀樹本人。
 A面がオールディーズのリメイクだけど、普通なら裏表逆なんじゃね?って思ってしまうのだけど、何か思うところでもあったのだろうか?多くのアーティストがカバーしてきた「Do You Know」、確かにそこそこ知名度はあるけど、正直、地味なバラードだし、「秀樹初の自作曲シングル」って名目でA面リリースすれば、そこそこ話題にもなったはずだけど。
 ただ、実際に聴いてみると、際立った特徴も見当たらない、いわば置きにいったようなポップ・バラ―ドなので、その辺で秀樹が遠慮しちゃったのかもしれない。

7. Do You Know
 で、こっちがA面。「そこそこ知名度がある」ってさっき書いちゃったけど、実は秀樹ヴァージョンを聴くまで知らない曲だった。尾崎紀世彦がカバーしてヒットしたらしいけど、さすがに彼までは俺、フォローしてない。
 もともとは、オリジナル・アルバム『GENTLE・A MAN』の先行シングルとしてリリースされたこの曲、オリコン最高30位と地味なアクションだった。イヤいい曲ではあるんだけど、でももっといい曲があるんだよ、このアルバム。
 それについては以前書いてるので、どうぞこちらで。




8. ギャランドゥ
 言わずと知れた秀樹80年代最大のヒット曲。オリコンは最高14位だったけど、もんたよしのりによるファンク・テイストを交えた軽快な歌謡ロックは、唯一無二の存在感をアピールし、そして「ギャランドゥ」という隠微な代名詞の普及にも大きく貢献した。
 ちなみにギャランドゥ、語感とフレーズが一致しただけで何の意味も由来もないらしいけど、それが何でかあんな俗語に発展してしまったのか。いろいろな説が流布しているけど、考現学・現代風俗の考証としては、興味深い題材ではある。
 秀樹自身のことを言えば、ちょうど芸映から独立後、初のシングルであり、何が何でもヒットさせる必要があった。あったのだけど、変に時代におもねったり媚びたりするのではなく、あくまで自分のやりたい音楽にこだわったことが、結果的に大きな成功につながったと言える。
 正直、アーティスト・パワーとしてはピークを過ぎていたもんたに楽曲を依頼するのはリスキーだったはずだけど、彼もまた、秀樹の心意気に打たれて、一世一代の名曲を書き下ろすことができた、と解釈すべきだろう。強烈なパーソナリティを持つ2人のコラボレーションが化学反応を作り出し、類似例のない楽曲が生まれた。
 確かにこんな曲、後にも先にも似た例がない。

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9. ナイトゲーム
 去年、アナログ再発で大いに盛り上がった、秀樹45枚目のシングル。オリジナルは、80年代、アルカトラスやマイケル・シェンカー・グループで名を馳せたグラハム・ボネットによるもので、ヘヴィメタはとんと明るくない俺でも知ってた有名曲。といっても洋楽ファンだけだけど。
 オリジナルはベテラン前田憲男による、ブラスも入れた歌謡ロック・アレンジだけど、2020年ヴァージョンは未発表ヴォーカルに加え、バック・トラックは日本のメタルバンド:アンセムが担当、さらにオリジネイターのボネット本人がコーラス参加という、めちゃめちゃ濃い豪華仕様。でも、初回分は完売で、気軽に聴ける手段がもうないんだよな。
 『Myself』復刻時に追加トラックで収録されるのか、はたまた別枠で準備中なのか。その辺も今のところ不透明なんだよな。まぁ期待しよう。

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10. Love・Together
 『GENTLE・A MAN』収録曲より。珍しく女性とのデュエット曲で、歌うはチバチャカこと鈴木晶子。この時期のレコーディングやライブでの常連メンバーなので、気心知れて息も合っている。
 歌謡界のベテランとして、これまでもデュエットのオファーはあったはずだし、また、秀樹ならもっとネーム・バリューのある歌手とのコラボも可能だったはずなのだけど、敢えてツアー・メンバーとのデュエットを選んでいるところから、楽曲との相性やクオリティを優先していることが窺える。ヒット性を考慮するならあり得ない選択なんだけど、そのこだわり具合が秀樹たる所以なんだろうな。

11. 陽炎物語
 「ナイトゲーム」のB面収録曲。ロック調の楽曲で抜擢されるのは後藤次利と決まっており、こちらもヘヴィ・ロックのテイストで、しかもバラード。こうやって書いちゃうと食い合わせ悪そうだけど、そこを強引にまとめてしまうのが、80年代ヒットメイカーだった後藤の力技。
 和のテイスト漂う森雪之丞の歌詞は、正直、サウンドとの相性はイマイチなんだけど、そんな逆境をさらに強引にまとめてしまう秀樹のヴォーカルの力。そう考えると、秀樹がすごく頑張っている作品と言える。

12. ロマンス - 禁じられた遊び 
 ラストは「ギャランドゥ」のB面収録曲。なんかこの曲だけ、異常に古く際。70年代と錯覚してしまうような、それでいてあからさまなオーケストラ・ヒットがアクセントで入っていたり、なんか「ヤングマン」のパロディみたいなアレンジがあったりして。
 って思いながらクレジットを見ると作詞作曲にJ.lglesiasの名が。フリオ・イグレシアスだ。この頃は世界を股にかけたディナー歌手として、また各国に多くの愛人を持つジゴロとして女ったらしとして、楽曲よりもそういったゴシップ関連の方が有名だった、あのフリオ・イグレシアス。
 彼の肩を持つわけじゃないけど、なんでこんな変な人生応援歌みたいなアレンジにしちゃったんだろう。ていうか、「ギャランドゥ」に見合う楽曲、他になかったのか。
 さらにさらに、何もこのコンピレーションに入れる必要があったのか。それなら『GENTLE・A MAN』からもう一曲くらい入れてくれよ、と言いたい。