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 2004年リリース32枚目のオリジナル・アルバム。厳密に言えば、アルバム用に書き下ろした新曲はなく、1989年以前にリリースされた既発曲に新解釈アレンジを施している。
 現在に至るまでほぼ30年以上、サウンド・プロデュースを行なっている瀬尾一三との共同作業が本格的に始まったのが、この年リリースの『グッバイガール』だった。すでに世に出てしまったものだし、別に以前のアレンジを否定するわけではないけど、初リリースから四半世紀以上経った音源もあって、そろそろ時代に合わせてアップデートしたい意向もあったのだろう。
 ほぼブランクも浮き沈みもなく、コンスタントに年1ペースでオリジナル・アルバムをリリースしてきたみゆき、持ち歌はそりゃもう膨大な数にのぼる。ライブのセットリストを組む時は、新旧問わず、ほぼすべての楽曲が候補となるため、組み合わせパターンはさらに天文学的数値となる。
 近年の楽曲はいじらなくて良しとしても、デビュー間もない頃のアンサンブルは、古色蒼然とした歌謡フォーク的なアレンジが多いので、そのまま世紀を跨いで再現すると、かなりショボくなってしまう。そこから少し下って、やや彩りが増した80年代のサウンドも、悲しくなってしまうくらいシンセやドラムの音が薄くて古いため、抜本的なアップコンバートが必要になる。
 根幹のメロディや言葉は古くなるものではないけれど、時代に寄せすぎたアレンジは、時を経るごと古さを増してゆく。ノウハウやテクニックがおぼつかず、安直な歌謡フォークで妥協してしまったり、発表当時とは解釈が変わってしまったり、もっと相応しい形を模索したり。
 ちょうどこの『いまのきもち』リリース前後、ライブメンバーの入れ替えが行なわれた。前例にとらわれない新たな解釈やアレンジの幅を広げるため、みゆきは瀬尾と共にライブアンサンブルの強化を図る。
 そんな新バンドの叩き台として、その後のアンサンブルのコンセプト指針として作られたのが、このアルバムだった。ほんとはみゆき、瀬尾との初期作品も候補に挙げたかったのだけど、それは遠回しに拒否されたらしい。アレンジの引き出しは多い人なので、やろうと思えばできたはずだけど、一アレンジャーとしてのプライドだったのかな。

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 デビューして間もない頃のみゆきはもっぱら弾き語り中心で、伴奏にはほぼ不干渉だった。ギターと仮歌だけのデモテープを元に、ディレクターがこしらえたオケに合わせて歌い、それでおしまい。ミックスに立ち会うこともほぼなく、歌入れが終わったら逃げるようにスタジオを出た。
 歌謡曲テイストのブラスを多用したフォーク・ポップのアレンジは、みゆきの意に叶うものではなかったと思われるけど、まだ意見できるような立場ではなかったし、そもそも伴奏自体に関心が薄かった。ユーミンや吉田美奈子らによって、フォークの文脈にとらわれない楽曲やサウンドが台頭し始めていたけど、まだ世の主流は四畳半から片足抜けたライトな抒情フォークが主流で、ヤマハ所属のみゆきもその例に漏れなかった。
 政治的なメッセージや主張がひと昔前となり、愛だの孤独だのパーソナルな主題がメインとなった70年代フォークを歌う者にとって、大切なのは細やかな心の綾、それらが織りなす丁寧な心象風景だった。シンプルなコード進行を用いて、自分の言葉で自分語りをすることで、聴衆との距離が縮まり、共感覚が心の琴線を揺らした。
 ギター、またはピアノのみの伴奏で、歌以外の要素を極力排することによって、パーソナリティはあらわとなった。余計な装飾を施すこと、変に凝ったアレンジで歌うと、それは潔くないとされた。
 デビュー間もない頃のみゆきのコンサートもまた、基本はギター一本抱えて小さな会場を回るスタイルだった。まれに小編成のバックバンドがつくこともあったけど、移動費や経費の関係もあって都内近郊に限定されていた。
 初期のライブ音源を公式に聴く機会はないのだけど、たまにYouTubeに粗悪な非合法音源が転がっていることがある。この時期に場数を踏んでステージ慣れしたのかみゆき、ピッチや発声はすでに高レベルだし、自ら爪弾いているギターも、基本のアルペジオや3フィンガーを駆使して、どうにか自力で乗り切っている。
 ストロークに力が入った時なんかは、ちょっとヨタッたりすることもあるけど、全体的には無難に収めている。あんまりテクに走りすぎても初々しさがなくなっちゃうし、伝えたいところはそこじゃない、っていうのもあるので、このくらいでよかったんじゃないかと。

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 そんな感じで2枚目『みんな去ってしまった』まで「わたし歌う人/作る人」に徹していたみゆき、盛り付けは「自分には関係ねーし」と言わんばかりに、スタジオに寄りつかなかった。そういった孤高のフォークシンガー的スタイルが、そこそこ受け入れられた時代でもあった。
 シングルセールスはお世辞にもいいとは言えなかったけど、アルバムは2枚ともオリコン30位以内にチャートインしており、そこそこの固定ファンがついていたみゆき、研ナオコに提供した「あばよ」がスマッシュヒットしたことで、ちょっとだけ注目されるようになる。当然ヤマハ的にも本腰を入れるようになり、バックバンド付きのコンサートが多くなっていった。
 ある程度スタジオ慣れしてきたこともあって、歌入れ以外ではほぼ寄り付かなかったみゆきも、3枚目『あ・り・が・と・う』からスタジオに入る時間が多くなってゆく。具体的な要望を伝えられるほど、知識も経験も少なかったけど、オケ録りに前向きになったことは確かである。
 このセッションで特筆すべきなのが、坂本龍一と吉田健の参加。まだYMOともKinKi Kidsとも出会ってなかった頃の2人、当時はリリィのバックバンド:バイバイ・セッション・バンドのメンバーとして、また他のアーティストのライブやセッションから引く手数多で、そこら中でブイブイ言わせていた。
 まだ知る人ぞ知る存在だった教授、当時から斜に構えて負けん気が強くてめんどくさくてシニカルでニヒリストで、何を考えているかわからないけど、芸大仕込みのピアノは才気煥発で業界内の人気は高かった。厨二病の先駆けだったとも称される教授、エキセントリックなエピソードには事欠かないことでも知られている。
 「今日出がけに金魚を食べてきた。まずかった」だの「スタジオでひたすらミカンを貪り食っていたけど、本番ではキレッキレのプレイをしてみせた」だの、キレッキレのアウトサイダーぶり。とはいえ、そんな教授にとっても当時のみゆきは異質だったのか、「スタジオで新曲を弾き語りしてるうち、感極まって泣きながら歌っていた」とのちに回想している。
 お互い「変な人」という印象が先立ったけど、彼との出逢いが、創作者中島みゆきにとってのターニングポイントとなったことは確かである。教授もまた、日本特有のウェットな感性が死ぬほど嫌いなはずだけど、次の『愛していると云ってくれ』にも参加しているので、何かしら認める部分はあったのだろうと察せられる。

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 ただ教授、それから間もなくYMOにかかりっきりになってしまい、みゆきとのコラボはここで一旦終了となる。どちらもクセの強い2人だから、どちらにせよ永続的な関係は難しかったことは想像できる。
 お仕着せのフォーク歌謡アレンジから始まって、次第にフォークロック的、あるいは歌謡ロック・サウンドの方向性を模索し始めたみゆき、従来のポニーキャニオンつながりから一歩踏み出し、後藤次利や萩田光雄、松任谷正隆らロック/ポップス系クリエイターとのコラボが多くなってゆく。当時、ライバルと称されていたユーミン旦那にオファーするみゆきもみゆきだけど、受ける方もよく受けたよな。奥さんに何か吹き込まれたんだろうか。
 キャリアを経るごとに知見を得、選択肢は増える。その都度、これが最適解と思いながらも、完パケした瞬間に、なんか違う感が湧き出てくる。そんな無限ループ。
 こだわり抜いたらキリがない、そんなサウンド・メイキングの沼にハマり込んだのが、黒歴史扱いとされている84年『はじめまして』から、88年『中島みゆき』まで続くご乱心の時代である。従来のイメージとはかけ離れた、ハードロックからシンセポップまで果敢にトライ&エラーを繰り返すことで、既存の中島みゆきイメージからの脱却を図っていた。
 ありとあらゆるコネを総動員し、多種多様なサウンドを模索していたため、この時期のレコーディングメンバーは百花繚乱を通り越して支離滅裂を極めている。久石譲から布袋寅泰、クリスタルキングからスティーヴィー・ワンダーまで、もう何が何だか。
 とにかくなりふり構わず、琴線に引っかかる音を模索し続けたご乱心期は、いまだ賛否両論が分かれているのだけど、創作者として必要な過程だったことは確かである。少なくとも、これらの作品をリアルタイムで聴いていた俺世代にとっては、その切実さが痛いほど伝わってくる。
 みゆき本人の意向はどうであれ、「歌姫」に「この世に二人だけ」に、俺は心揺らされ、そして虜になった。みんなには届かなかったかもしれないけど、俺にはわかる。
 当時、自分だけは思っていた同世代が数多くいた。それだけでも、この時代の作品は充分な価値がある。

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 伝えたい言葉は掴めているし、歌声だけで充分に魅了することはできる。でも、それだけじゃもう足りない。
 「こんなんじゃない」というのはわかっているはずなのに。「じゃあ、どうすれば?」そう自分に問うても、言葉に詰まってしまう。
 時間や予算、様々な制約を乗り越えてクオリティを追求しても、気力体力に限界はある。どこかで落としどころを見つけなければならない。
 妥協点は多々あれど、とにかく今の自分のせいいっぱいは尽くした。すでに完パケして手を離れてしまった作品をリテイクするのは、相当の覚悟が必要だ。
 みゆきと瀬尾、双方の切実な覚悟のせめぎ合いは、30年の長きに渡って続くことになる。音楽の女神はとても傲慢で、そして貪欲だ。どれほど新たな切り口や新味を用意しても、満足しきれない。
 なのでこの『いまのきもち』、決定版というよりは中間報告としてのニュアンスが、最も近い。ライブ用にコンバートしやすいよう再編成されたリアレンジは、おおむね好評ではあったけれど、実は大きな問題ではない。
 ここまで書いといてなんだけど、やはり最も大事なのはみゆきの声、みゆきの歌なのだ。瀬尾一三には申し訳ないけど、充分な吟味の上で構成されたアンサンブルも、結局は副次的な要素に過ぎない。
 歳月を重ね、経験を積んだことで、やっと思い通りに歌える歌がある。後述するけど「かもめはかもめ」のヴォーカルは、中島みゆき一世一代のベスト・パフォーマンスと断言できる。
 瀬尾もまた、このトラックでは極力エゴを抑え、歌を引き立たせるアレンジに徹した。余計な雑味は感覚を鈍らせる。きっとそう感じたのだろう。
 「歳を取るのは素敵なことです」と、かつてみゆきは「傾斜」でそう歌った。20代ですでに達観した言葉を書き連ねていた女性は、老成することで刹那な儚さを表現できるようになった。
 無為な日常と思っていながらも、継続はやはり力だ。壁にぶつかったり回り道したとしても、その過程に無駄なものなんて、何ひとつないのだ。

 ラストツアーが立ち消えとなり、新たなレコーディングの噂も聞かず、長い沈黙を守っているみゆき。
 一体いま、彼女はどこにいるのだろう。そして、何を想っているのか。
 天の岩戸はピッタリ閉じられたまま、気配を消し続けている。再び女神が顔を出すのは、一体いつになるのか。





1. あぶな坂
 オリジナルはデビュー・アルバム『私の声が聞こえますか』の一曲目に収録。民話調のドメスティックなヴォーカル、ややモダンな演歌という形容がふさわしいフォーキーな伴奏は、陰湿で土着的な歌詞の内容とフィットしていたのだけど、針を落としていきなりこの歌だから、売りづらいよな。
 張りつめた前のめりな緊張感がにじみ出ていたオリジナルに対し、もう少し楽曲の世界観と距離を置いて、リアレンジでは聴きやすさ・完成度を高めている。近年のみゆきとはかけ離れた、絶望と憐憫にまみれた寓話的な世界観は、「糸」と「ファイト!」に惹かれたにわかファンの希望をどん底に突き落とす。
 新旧どちらもだけど、朗々としたノン・エコーの歌声は、あぶな坂の無常観を的確に表現するには必要だったということか。

2. わかれうた
 みゆきにとって初めてのオリコン1位シングルであり、「恨み節」と称された初期みゆきの代名詞となっている代表曲。昔からライブでも定番曲となっており、夜会でもセルフ・パロディ的なアプローチで取り上げられている。なので、このアルバム収録曲の中では、最も再演数が多く、時代ごと・バックバンドごとに様々なヴァージョンが存在する。
 あまりに知られている曲であり、センチメンタルなフォルクローレ風のオリジナル・アレンジは、この時代にしては完成度も高い。なので、変にかけ離れたアプローチでは、「ただ変えてみただけ」で終わってしまうため、実は最もリアレンジが難しい曲でもある。
 なので、アレンジの基本構造はほぼオリジナルを踏襲している。ここで大きく変わっているのは、みゆきのヴォーカル・パフォーマンスである。効果的なところでダブル・ヴォーカルを使用して、大人の女性による魔性度に拍車がかかっている。
 サビ・パートでのシャンソン風ヴォーカルは、年齢を経ての持ち味となっている。20代じゃ、ちょっと技巧に走りすぎちゃうんだよな。

3. 怜子
 オリジナルは4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』の2曲目に収録。ドラム:つのだひろ、ベース:後藤次利、エレピ:坂本龍一という、当時としても濃すぎるアンサンブルで録られたオリジナルは、切迫した焦燥感、いい意味での前のめり感が凝縮されており、名演となっている。
 とにかくみんな、前に出てる。音がデカい。そんな演奏陣に煽られるように、時々みゆき、声が上ずったりしている。
 ファンからすれば、当時の張りつめた空気感がリアルだったのだけど、年月を経てみゆき、解釈が変わったのか、それとも本来の意図に戻したのか、穏やかなバラードに仕立て直している。

 ひとの不幸を 祈るようにだけは
 なりたくないと願ってきたが
 今夜 おまえの幸せぶりが
 風に追われる 私の胸に痛すぎる

 玲子の友人の立場から歌われているこの歌、オリジナルでは後段の意味合いを強める、自虐めいたタッチだったのだけど、『いまのきもち』では、すべてを受け容れ癒す「女神」の視点で歌われている。

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4. 信じ難いもの
 オリジナルは5枚目『親愛なる者へ』4曲目に収録。軽快なカントリー・ロック調アレンジはイーグルス「Take it Easy」に激似だけど、まぁもう過ぎたことだし。
 リアレンジは、テンポを落としたオルタナ・カントリー風、ギターも力強くファズがかかっている。軽みを添えていたバンジョーがなくなり、ヴォーカルも低音が強くなっている。まだ独特のがなり調になる前で、やっぱりこのくらいがちょうどいい。

 いくつになったら 大人になれるだろう
 いくつになったら 人になれるだろう

 オリジナルではこのパート、サラッと流して歌っていたのだけど、ここでは諭すように、自分に問いかけるように力強く言葉を刻んでいる。
 きっと、それを伝えたかったのだろう。ここに来て。

5. この空を飛べたら
 オリジナルは加藤登紀子に提供した曲で、その後、『おかえりなさい』でセルフカバー、その後、四半世紀を経て、再度リアレンジされた。
 実はその『おかえりなさい』ヴァージョン、これまで聴き流していた。そんなに興味がなかった。
 メロディはいいんだよなぁ、っていつも思ってはいたけど、演奏や歌がしっくり来なかった。スッと自分に入ってこなかったのだ。基本、初期みゆきの楽曲は、程度の差こそあれ、ほぼ全肯定する俺だけど、「関心がない」楽曲というのは稀だ。
 久しぶりに『いまのきもち』を聴いて、グイっと引き込まれたのが、この曲だった。ストリングスを基調としたアレンジは、適度にドラマティックで歌をジャマせず、瀬尾の的確な采配が効いている。
 20代でこの曲を書き上げたみゆきは確かに天才で、確かに慧眼だったのだけど、肉体的なポテンシャルが、この曲には追いつかなかった。それは若さとかスタミナとかの問題ではない。
 世に出されることを望まれて生まれた楽曲を、あるべき形で出してあげること。過剰なドラマ性やテクニカルではなく、ふさわしい形を選び、それをそのまま組み上げる。
 『いまのきもち』の基本コンセプトは、そういったシンプルな動機である。そのプロットの最適解となったのが、「この空を飛べたら」になる。
 あんまり言っちゃいけないけど、この曲だけは聴いてほしい。

6. あわせ鏡
 オリジナルは『臨月』3曲目に収録。ユーミン夫が手掛けたジャズっぽいオリジナルに対し、こちらも基本は同じアプローチ。リアレンジはLA録音で本場ミュージシャンによる演奏なので、音が太く重厚感が増している。
 オリジナルのサビは、なんかあっけらかんとしたタッチの歌い方で、歌謡曲っぽさがにじみ出ていたのだけど、四半世紀を経て声に深みが増したため、ほどよいアバズレ感が軽みを払底させている。本来はジャズ・ミュージシャンを揃えたかったのだろうけど、当時はスケジュールやコストの関係で、いつものスタジオ・ミュージシャンに頼むしかなかったと察せられる。

7. 歌姫
 オリジナルは『寒水魚』ラストを飾った、アーティスト:中島みゆきの原点であり、ひとつの完成形を象徴するメルクマール的な楽曲。当然、コアなファンの間では、ヒット曲とは別枠の代表曲として知られている。
 「わかれうた」同様、代名詞とも言える曲なので、かなり練られたオリジナルを大きく逸脱せず、基本路線はほぼ同じ。こちらもみゆきのヴォーカルにフォーカスしたアンサンブルで構成されている。
 オリジナルでは、これから創作者として生き続けてゆく穏やかな決意=殉じてゆく冷たい熱意が感じられたのだけど、リアレンジでは、すでに「歌姫」として長く生きてしまったことへの諦念、前のめりに倒れて果てる覚悟が伝わってくる。

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8. 傾斜
 オリジナルは『寒水魚』2曲目に収録、高校現代文にも掲載された、寓話性が強く、不条理な現代社会を冷徹に活写している名曲。後藤次利のベースがブイブイうなるリズムのグルーヴに対し、皮肉交じりに穏やかなみゆきのヴォーカルとのコントラストが、当時のサウンドへのこだわりの強さを象徴している。
 腰が曲がっているほどではないけど、「傾斜」を書いた時のみゆきが想定していた年齢に追いついてしまった、2004年のみゆき。

 歳を取るのはステキなことです そうじゃないですか
 忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

 サラッと自然に、自分に、そして多くの同世代に語りかけるように諭すみゆき。年月を重ね、無理に背伸びせずに歌うことができたことはいい。
 ただひとつ。仰々しいシンセ・ブラスが下品。これだけはちょっと受け入れられなかった。他のプレイはいいんだけど、ここだけなんとかならなかったのか?


9. 横恋慕
 1982年にリリースされたシングルで、オリジナル・アルバムには未収録。「悪女」の大ヒットの余波が長く続いていたこともあって、なんとこれがオリコン最高2位。ほどよい歌謡曲っぽさが有線中心で人気を博したんじゃないかと思われる。
 言っちゃ悪いけど、みゆきの作品の中では、そこまで重要な位置を占めているわけじゃないと思っていたのだけど、軽いポップス調のアレンジに悔いが残っていたのか、リアレンジではガラッと変えている。
 まさかのスタンダード・ジャズ風。シャンソンっぽさも若干加味したりして、本来の「横恋慕」、あるべき姿に収まっているのを納得してしまう。こんな見せ方があったんだ。
 多分、リアルタイムでこのアレンジだったら、シングルとしては難しかっただろうし、みゆきもまた十分に歌いこなせなかったんじゃなかろうか。なので、ここまでの期間に熟成されて、あるべき姿に収まった、と考える方が正しい。

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10. この世に二人だけ
 オリジナルは『予感』1曲目、シングルではないけどビギナー以上のファンの間では人気の高い楽曲。俺も好きだ。
 ちょっとファンクの入ったAORアレンジのオリジナルは、耳障りもいいのだけど、歌われている内容は結構ヘヴィーで、失恋した後に聴くと完膚なきまで打ちのめされる曲として、ある意味、スタンダードとなっている。ゴールデンボンバーの鬼龍院翔が推していたことで、近年もちょっと有名になった。
 「打ちのめされて脱力感に囚われた諦めの極致」みたいに、淡々と歌っていた31歳のみゆきに対し、そこから達観して、もっとラフに歌っている52歳のみゆき。もう、愛だの恋だのに振り回されず、それでいて突き放すこともせず、物語を言葉を紡ぐ役割に徹している。
 過剰な解釈を込めず、ただ思うがまま感ずるがままに歌える段階になったことで、はじめて「歌がうまい」と称される、極めて当たり前のこと。そこに至ることが難しいんだけど。


11. はじめまして
 オリジナルは『はじめまして』ラストに収録。考えてみればこのアルバム、ご乱心期の楽曲はあまりセレクトされていない。
 そもそも21世紀に入ってからのコンサートでは、この時期の楽曲がセットリストに入ることも少ないのだけど、おそらくオリジナルのアレンジも結構クセが強いので、リアレンジしづらいのかもしれない。みゆきも瀬尾も、いろいろ思うところはあるのかもしれないし、それかたまたまかもしれないし。
 で、当時から問題作とされてきた『はじめまして』、特にこのタイトル曲は、妙にポジティヴで不自然に前向きで、それでいて刹那なヤケクソさによって、「大胆なイメチェン作」という微妙な評価だった。せっかくなら、ミスチル桜井がカバーして注目された「僕たちの将来」のリメイクでもよかったんじゃね?と外野は思ってしまうのだけど。
 当時のみゆきが思うところの「ロック・ヴォーカル」は、前のめりに力み過ぎたところがあったのだけど、それは当時のアレンジ力、ミックスのメリハリの少なさもあったんじゃないか、と。このヴァージョンを聴くと、特にそう思う。
 「振り向いてくれるのを待つばかりの女」、「理不尽な男の言動を咎めず、飲み込んでしまう女」ばかりを描き続けてきたみゆきが、初めて「あんたと一度付き合わせてよ」と、前に踏み出す女を描いた。その言葉を歌うため、これまでより力強く声を張り上げたのだけど、当時はまだそのサウンドに対応する喉ができあがっていなかったのだ。
 そういう意味で言えば「はじめまして」、その後のみゆきの方向性を決定づけたる分水嶺となった曲なのだ。っていうことを、今さらながら気づいた。

12. どこにいても
 オリジナルはシングル「見返り美人」のB面としてリリース。アルバムにも未収録なので地味な扱いだけど、穏やかなR&B的アレンジのしっとりしたバラードで、地味に人気も高い。
 この曲のリアレンジも、そこまで大きな改変はなく、過去のリベンジ的なニュアンスは少ない。どちらかといえば、ライブのレパートリーのひとつとして、普遍的な主題とメロディを活かすため、21世紀に即したモダンなアレンジへのアップデートという意味合いが強い。
 
13. 土用波
 オリジナルはご乱心期の最終作、『中島みゆき』の3曲目に収録。オリジナルは北島健司のハードなギター・プレイが印象的な、ロック成分の多い歌謡ロックだったけど、リアレンジでもギターが鳴きまくっている。
 まだ若かりし頃のみゆきは、北島のギターと競り合うように怒張したヴォーカルだったけど、ここでのみゆきは余裕を持って、楽しみながら歌っているのが伝わってくる。時々、演歌っぽいこぶしが入っちゃうほど、セッションを楽しんでいる。