221位 Rage Against the Machine 『Rage Against the Machine』
(364位→365位→221位)

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 真摯なアーティストが、強い問題意識を持ったり支持政党を表明し、それを作品に投影して同意を得ること、同じポリシーを持つ者同士による支援コンサートを開催したり、自由の国アメリカでは盛んに行われている。大統領選が近くなると、スプリングスティーンやマイケル・スタイプがご意見番として担ぎ出されるのも、ほぼ定例行事と化している。
 あくまで第三者である日本から見る印象だと、サウジ侵攻くらいまでは、まだ意見の衝突程度の論戦だったけど、近年のブラック・ライブズ・マターを発端とした人種問題になると、一気にヒートアップして、議論はたちまち硬直化してしまう。どっちにも言い分があるっていう大前提が置き去りになって、どっちも聞く耳持たなくなっちゃうっていうか。
 レイジがデビューした、ブッシュ父政権時•湾岸戦争で騒然としていた頃も、公然と国家批判したり弱者救済を強く訴えるアーティストが数多くいた。サブ・カルチャーでしかなかったポピュラー音楽が社会に与える影響はわずかなもので、社会的影響力を持つビジネス規模に成長したのは80年代中盤以降、彼らが活動し始めた頃とシンクロする。
 アンチを唱える音楽が採算的にペイできる環境が整っていたこともまた事実だけど、そういった外的条件もへったくれもなく、レイジのサウンドが熱狂的に支持されたこともまた事実。メタルとハードコア・パンクとヒップホップという食い合わせの悪さをまとめるだけではなく、権力側の不当な圧力や弱者庇護、メディアを用いた管理社会への言及など、ハードな論説みたいな言葉の機銃掃射が、圧倒的なカリスマ性を構築した。
 躊躇せず徹底的に相手を打ち砕くことを、デビューの時からはっきり表明した彼ら。普通ならキャリアを重ねてゆくと、どこかしら無難にマイルドになってゆくはずだけど、その切れ味は最期まで変わらなかった。
 ギリギリの緊張感とセンシティヴを保ったまま、彼らは10年走り続けた。逆に考えれば、そんなテンションで疾走し続けるのは、10年が限界だったということか。
 他のランキングは、『The Battle of Los Angeles』初版418位、以降圏外。
 前回221位はMy Bloody Valentine 『Loveless』。今回は73位。




222位 Madonna 『Ray of Light』
(359位→367位→222位)

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 マドンナがマドンナらしくなくなったのは、一体いつくらいからだったのか。俺、というか多くの日本人が抱く彼女のイメージとは、アルバムで言えば『True Blue』くらいまで、「Papa Don't Preach」や「La Isla Bonita」がヒットした87年くらいで固定されてしまっていると思われる。異論はあるかもしれないけど、メディアで紹介されるのはこの時代のヒット曲がほとんどである。
 音楽以外だと、ほぼ話題性しか狙ってないドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』や、同じく、さんざんスキャンダラスを煽ったけど、実はそうでもなかった写真集『SEX』が、90年代の彼女を象徴していたりする。どんな風に「そうでもない」って?自分で調べろよ、そんなの。
 何かと誤解される面もあるけど、そんな誤解を自ら仕掛けてる部分もあるし、90年代まではそんなブラフがイメージ戦略として作用していたんだけど、21世紀に入ってからは、世代交代もあって、そんな小技も通用しなくなったっていうか、さっさとライブ・アクト中心の活動にシフトしたことによって、ゴシップでの自滅を回避したっていうか。
 そんな彼女、特に五十路を過ぎたあたりから妙に露出が多くなってきている。年齢なりポジションなり、いつも何かに抗う気持ちのあらわれだと思われるけど、単純に「マドンナが脱いだ」と聞くと、いまだピクッと反応してしまう俺がいる。初期マドンナを通過してきたアラフィフ世代なら、わかってくれるはずだ。多分きっと。
 対して音楽面でのマドンナだけど、ビジュアル戦略同様、随時、旬のトレンドを取り入れたサウンド・アプローチは一貫しているのだけど、ベスト・アルバム以降のオリジナルは、トータル・コンセプトに重点を置いた構造になっている。トレンドセッターの役割を担った、キャッチーでセンシティヴで、時々放送禁止になってしまう楽曲やPVで話題性を集め、それもきちんと組曲の一部として収まっている、ていうか、ねじ込んでしまう手腕。
 で、やっと『Ray of Light』、まだアングラ臭の濃かったアンビエント・テクノやエレクトロニカを大胆に取り入れながらも、絶妙かつ下世話なバランス感覚によって、マニアックになりすぎない独自のサウンドに仕上がっている。ボリウッド映画の先取りとも言える、インド・テイストのテクノ・ポップ、普通なら思いついても躊躇してしまうところだけど、敢えてそんなハードル高いお題にトライして、かつポップ・チャート仕様に仕上げてしまうポップ・センスは、さすが手練れなだけある。
 当時トランス~アンビエント界隈でブイブイ言わせてたウィリアム・オービットのプロデュース・ワークが「スゲェ」と言われた『Ray of Light』、サウンド面でのマドンナの貢献度は薄いとされているけど、イヤイヤ。オービットに任せっきりにしてたら、もっとレイブっぽく冗長になってたろうし、あくまでマスがターゲットであることを前提としたトータル・コーディネートを粛々と進めたのが、彼女なりのアートとビジネスのバランス采配だったんじゃないかと。
 マドンナの日本人カバーはほぼ初期に集中し、特に80年代は、カバーっていうかコンセプト自体、まんまコピーしちゃった本田美奈子がいるのだけど、ここは「True Blue」をカバーした立花理佐を。
 多分アラフィフ以外にはほぼ知られていない、ていうか同世代でも忘れちゃってる人が多い立花理佐。ドラマ「毎度おさわがせします3」の主役ヒロインであり、代表曲は「リサの妖精伝説」。ほら思い出した?まぁいいや。
 いま以上に歌唱力が問われなかった80年代、オートチューンなんて影も形もない時代、それなりに練習したんだろうけど、当時って過密スケジュールが当たり前だったものだから、出来は推して知るべし。まぁ可愛ければよかった時代だし。



 前回222位はProfessor Longhair 『New Orleans Piano』。今回は圏外。




223位 John Lennon 『Imagine』
(77位→80位→223位)

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 昭和のロック名盤ガイドでは、トップクラス常連だったこのアルバムも、今回は大きくランクダウン。リリースから50年経ち、もうさんざんリスペクトは受けまくった。未発表セッションや映像まで発掘し尽くされ、さすがにもう目ぼしいアイテムは残ってないよねアップル。
 同じビートルズつながりであり、不動と思われていたトップから24位に陥落した『Sgt. Pepper's』にも言えることだけど、「作品の評価が下がった」ってわけじゃなく、「今さらコレ挙げるのも、なんかちょっとベタ過ぎるし」「多分、黙っててもトップだろうから、俺入れなくてもいいんじゃね?」っていう少数派が案外多くなって、こんな順位になっちゃったんじゃなかろうか。いま敢えてビートルズを選ぶなら、大抵は『white Album』だろうし、ジョン・レノンは若い世代にとっては聖人過ぎて、そもそも選択肢に挙がらないだろうし。
 殺害された頃のジョンは、セミリタイアから復帰間もなかったため、世間的には忘れられた存在だった。何しろ5年も表舞台には出ていなかったため、いわば「あの人は今」的なポジションだった。
 その後、アップルとオノ・ヨーコ采配による計画的なイメージ戦略によって、一介のロックンローラー:ジョンレノンは「伝説」となった。「イマジン」が教科書に載るようになった辺りから、「愛と平和の人」という形容詞がセットになり、そして「聖人」として祭り上げられるようになった。
 海外紛争やオリンピックなどのニュース映像でさんざん聴けるから、わざわざ自分から進んで聴くまでもない。「イマジン」は愛と平和の象徴となり、公共物となった。
 ほんとはすごく個人的、すごくパーソナルな、そして大げさじゃない楽曲を無造作に並べたアルバム、それが『Imagine』。「Jealous Guy」と「Oh My Love」といったバラードだけじゃなく、「How Do You Sleep?」や「Gimme Some Truth」のような攻撃的なブルース・ロックもあったり、音楽的にいろいろ優れたアルバムであるはずなんだけど、愛と平和のバイアスがかかり過ぎて、実はちゃんと評価されてない、そんな不遇なアルバムでもある。
 まぁでも今回のランキング、ポールのソロなんてカスリもしていないから、それよりは充分恵まれているんだけど。
 コブクロから布施明まで、古今東西様々なカバーがいまも生み出されている「イマジン」だけど、どれが至高かといえば、問答無用でこれになる。やっぱり清志郎。意訳した歌詞も演奏も、そして何より、ヴォーカルは絶品。



 前回223位はU2 『War』。今回は圏外。




224位 Dixie Chicks 『Fly』
(初登場)

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 名前くらいは聴いたことがあったディクシー・チックス、当然未聴。ビジュアルすら予備知識もなく、なんとなくグループ名から連想して、南部を拠点としたジャム・バンドかカントリー・ポップなんじゃね?と思っていたら、後者の方だった。女性トリオっていうのも知らなかったんだよ。
 ここまでカントリー系のアーティストが何組かランクインしていて、うっすらだけど近年の傾向は掴めてきた。おおよそで大別すると、
 ① 幅広い客層に対応するため、カントリーっぽさをだいぶ薄め、ほぼダンス・ポップのテイラー・スウィフト。
 ② サザン・ロックやブルースの要素を取り入れた、野趣あふれるオルタナ・カントリー。代表的なところではルシンダ・ウィリアムス。
 で、彼女たち、バンド・スタイルなだけあって②に近いんだけど、カントリーっぽさは結構強い。リズムも切れててポップ要素も強いんだけど、オルタナというにはやさぐれ感は薄い。なので、ワールドワイド的な訴求力は薄いんだけど、アメリカ国内に限れば、保守的なカントリー・ファンにもウケは良さそう。
 日本だったら、坂本冬美や島津亜矢あたりが同じポジションかね。本業の地盤もしっかりしてて、かつ今どきのポップスも歌いこなせますよ的な。
 その流れで行けば、テイラー・スウィフトが氷川きよしって感じか。最近はなにかと吹っ切れてるしな。もうド演歌には戻る気ないのかもしれないな、あの感じだったら。
 話を戻してディクシー・チックス、日本では想像できないくらい、アメリカのカントリー市場は予想以上に幅広く、そして深い。なので、本国アメリカのランキングであるにもかかわらず、このポジションというのは、逆に低すぎて驚かれるくらいなのだ。
 去年、アメリカ南北戦争の主因となった奴隷制度に賛同した南部諸州の名称Dixieをグループ名からはずし、The Chicksと改名した彼女ら、政治的な発言で揚げ足取られることが多いようだけど、ヘコたれずにがんばってほしい。同じ女性トリオでも、TLCよりは図太くて仲良さそうだし。
 前回224位はNeil Diamond 『The Neil Diamond Collection』。今回は圏外。




225位 Wilco 『Yankee Hotel Foxtrot』
(493位→493位→225位)

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 USオルタナでは結構な重鎮だけど、日本での知名度はかなり低い、コンテンポラリーなロックとは正反対で、ほんと生粋のオルタナとしか分類しようのないロック・バンド、それがウィルコ。基本はフォーク・ロックなんだけど、エクスペリメンタルやサイケ、ファンクやブルースもごちゃ混ぜで、ひとことで言うならジャム・バンド以外に例えようのないバンド、それがウィルコ。
 ほぼ夏フェスに合わせて来日することが多く、本国でもメインを張る集客力は充分あるんだけど、ジャム・バンド自体、キャッチーなシングル・ヒットで引っ張るジャンルではないので、フィジカル販売はもともと弱い。ただ、とにかく広大なアメリカ、多くの中堅バンドに言えることだけど、そこそこマメに地方都市をツアーし続けていれば、とりあえず食うには困らない。まぁここ1、2年、コロナ禍で先行き不透明になっちゃったけど。
 彼らにとって4枚目のスタジオ録音となった本作、当時の所属レーベル:リプリーズからリリースされる予定だったのだけど、親会社ワーナーのM&Aの煽りで社長が交代、マスター・テープの仕上がりに新社長が満足せず、メジャー・リリースが見送られてしまう。「ラジオでパワープレイされるシングル候補曲がなかったから」というのが理由だったらしいけど、彼らにそれを求めるのが、そもそもの間違いである。誰か進言しときゃよかったのに。
 「うちじゃリリースできないから」とバンド側にマスターと出版権を売却するのだけど、その音源がネットに流出してしまったため、事態は混乱を極める。流出音源の音質の悪さに憤りを感じたウィルコは、公式サイトで事情を説明、なんとマスター品質のアルバム音源を無料ストリーミング配信するに至る。前代未聞の行動だけど、漏洩を許した管理体制ではなく、粗悪な音質が流通してしまうことに憤るところが彼ららしい。
 そんなこんなで最終的に移籍先も決まり、正規のフィジカル・リリースに至るのだけれど、それが同じワーナー系列のノンサッチ。なんだ単なる配置換えみたいなもんか。
 前回225位はGreen Day 『American Idiot』。今回は248位。




226位 Derek and the Dominos 『Layla and Other Assorted Love Songs』
(117位→117位→226位)

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 ジョン・レノン『Imagine』同様、ロック名盤ガイドの常連であったはずの『いとしのレイラ』が、100位以上もランクダウン。先入観なしで最初から聴いてみると、3曲目のスワンプなブルース・ロックは勢いもあるし味もあるし、南部かぶれしていた同時代のストーンズよりもレイド・バック感があって、個人的に俺は好きなんだけど、タイトル曲のインパクトの強さが仇になっちゃってるよな。あまりに持ち上げられすぎて消費し尽くされちゃって、今さら推すのは気恥ずかしい感じになっちゃってて。
 盟友ジョージ・ハリソンの当時の彼女:パティ・ボイドへの叶わぬ恋心を、エモーショナルに綴ったのが「いとしのレイラ」であることは、70年代ロックを履修してきた人には周知の事実。それまで表面的なサウンド面でのアプローチ中心だったクラプトンが、心情をさらけ出すことでブルースの本質に一歩踏み入れることができた、渾身の出来のトラックではある。
 親友の彼女に恋しちゃったけど、彼を裏切るわけにはいかず、かといって抑え切れるわけでもなく、どうにも満たされぬこの想いを作品に昇華した、という経緯なのだけど、まぁここまでストレートに歌い上げて弾き倒してしまったのだから、相当思い詰めていたことは察せられる。だって、身近なスタッフやメンバーには一目瞭然、名前こそ変えてるけど、バレバレだもの。
 「多分、自分に捧げられてるんだろうな」って察しながら、そんなクラプトンの告白を拒否、その後もハリソンと破局後、ロン・ウッドを始め、様々な男に乗り換えた末、結局クラプトンと結婚するパティ。でも一緒になったらなったで諍いが絶えず、10年後に離婚してしまうんだけどね。普通の男女間でもありがちだけど、こういうケースって一緒になった途端、醒めちゃうんだよな、お互い。
 で、タイトル曲以外のトラックだけど、デュアン・オールマン含め、バンド・アンサンブルは思ってたよりソリッドで、単調になりがちなダルいセッション感はあまりない。これがセルフ・プロデュースだったら、もっと地味に冗長になりがちだけど、その辺は手練のプロデューサー:トム・ダウドの手腕が効いている。
 ただ欲を言えば、もっと強権発動して、コンパクトな1枚モノにしちゃった方が良かったんじゃね?と思ってしまう。特に「いとしのレイラ」の後半ピアノ・パート。
 昔から不思議だったのだけど、あそこってそんな必要?断りなくバッサリ切っちゃっても、大筋に影響ないと思うんだけどな。
 前回226位はBruce Springsteen 『Nebraska』。今回は150位。




227位 Little Richard 『Here's Little Richard』
(50位→50位→227位)

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 名前だけは誰でも知ってる。はずのリトル・リチャード。ロックンロール創世記のレジェンドだけど、実際どんな功績があってどんなヒット曲があったのかと言えば、多くは即答できない。まぁ即答しなければならない状況なんて、多分ないけど。
 「トゥッティ・フルッティ」や「のっぽのサリー」、あと「ジェニ・ジェニ」など、彼がオリジナルと知らずに聴いてる人はとても多い。俺がそうだった。スティングがカバーした「トゥッティ・フルッティ」を初めて聴いて、ソロとはいえ、ポリスと全然違うよなと思って調べてみたら、彼にたどり着いた。ビートルズの「のっぽのサリー」も同様。
 プレスリーなんかもそうだけど、主に50年代に活躍していた彼らはシングル中心のリリースであり、シングル・コンピレーション以外のアルバムを売る発想が、ほぼなかった。そのシングルの販売状況も、今のように販売店網がしっかり確立されてたわけではなく、レーベルの営業マンがシングル盤を詰めたトランクを下げて、街から街へ一軒一軒回るスタイルが主流だったため、とんでもなく非効率だった。
 なので、商品管理や補充体制もかなり杜撰で、当時の売り上げデータは結構怪しいとされている。いろいろ中抜きがあったり水増しもあっただろうし、いまだ実数は判然としない。若者を中心に人気があったことは間違いないんだけど、まぁ今となっては調べようがないわな。
 チャック・ベリーもそうなんだけど、リチャードも基本はステージで日銭を稼ぎ、シングル・ヒットで吹き込み料をもらう、というサイクルだった。この時代の著作権管理は至って杜撰で、ちゃんとしておけば、今ごろ印税収入で左うちわだったはずだけど、晩年まで世界中の小さなステージを回る生活は変わらなかった。
 彼に憧れて、無数の「グッド・ゴリー・ミス・モリー」や「ルシール」のカバーが世界中にあふれ出たけど、彼の懐に入るのは、ほんのわずかだった。馬車馬のように働き続けた彼らの奮闘なくしては、その後のポピュラー音楽も語れない。
 で、日本人カバーだけど、多分、尾藤イサオや内田裕也界隈を探すのが一番早いんだけど、、聴く気以前に探す気が出ない。なので、ここはドリフターズ。
 伝説の武道館、ビートルズ来日公演での「のっぽのサリー」。ドリフ目線に立てば、スケールのでかい対バンである。仲本工事がヴォーカルだったんだな。思ってたより、演奏もしっかりしている。



 前回227位はPixies 『Doolittle』。今回は141位。




228位 De La Soul 『De La Soul Is Dead』
(初登場)

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 103位に入ったデビュー作『3 Feet High and Rising』に続き、2作目のこちらもランクイン。イヤそりゃ功績はわかるんだけど「でもなんで、今さらデ・ラ・ソウル?しかも2枚も?」って思ってしまう。
 ほぼ同世代のトライブ・コールド・クエストも2枚ランクインしていることから、オールド・ヒップホップの評価が定まりつつあるということなのだろう。アラフィフ世代にとっては、「俺たちのヒップホップ」って認識だろうし。
 シリアスな現状や社会問題、貧困など、外に向けられた批判や憤りを訴えるギャングスタ・ラップやコンシャス・ラップが主流となった90年代、どこか「プッ」と笑ってしまう遊びの要素をメインとした彼らは、異端の存在だった。「オラついていなければならない」「肩で風切って歩かなければならない」、そんな攻撃性を強調したスタイルが主流となり、多くのユーザーを獲得した。今もそれは続いてるけど。
 時代を経て21世紀に入り、ヒップホップが市民権を得られるようになると、異ジャンルとの交流も盛んになり、カジュアルにエッセンスを導入するアーティストも増えてきた。ジャンルの垣根が曖昧になり、R&Bっぽいヒップホップとラップ&フローを導入したアーバン・コンテンポラリーとの見分けがつかなくなった。
 今もアメリカの国内チャートでは、ギャングスタ系が根強く支持を受けており、日本でもラップ・バトルが認知されるようになってきてはいるけど、今後大きな広がりを見せるとは思えない。いくらR-指定がメジャーになったとしても、フォーマルな場での彼らはきちんと立ち位置をわきまえている。それまでの自分たちのやり方をねじ込むことは、おそらくないだろう。
 ヒップホップの中でも日々細分化が進む中、ほど良い脱力感が漂うデ・ラ・ソウルという存在は、そんなシームレスな音楽シーンの道筋をつけたと言える。ヒップホップが市民権を得て、一般層に浸透するその過程において、サウンド・コンセプトのソフト化は避けられない流れであり、それは彼らじゃなくても誰かがやったんだろうけど、ジャジー・ラップを広めたその一点だけで、俺的にはオールOK。
 前回228位はEric B. & Rakim 『Paid in Full』。今回は61位。




229位 Patsy Cline 『The Ultimate Collection』
(230位→235位→229位)

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 200位台はカントリー系のランクインが多く、初版から安定したランキング推移のアーティストが多い。すごい「推しのアルバム」は別にあって、それとは別に「何となく手元に置いておきたいアルバム」「両親の影響で何となく耳に馴染んでいるアルバム」が、アメリカ国民にとってはカントリーってことなのかな。日本で言えばサザンや陽水、もう少し下れば、ドリカムやミスチルっていったところか。
 他で何度か書いてるけど、中学生の俺の息子が聴き続けているのが山下達郎。そんなに頻繁に聴いてるわけじゃないんだけどな。何でかな。まぁいいや。
 で、うっすら名前は知ってたけど、多分日本ではほぼ知られてない、カントリー女性アーティストの草分けパッツィー・クライン。それなりの大御所かと思っていたのだけど、1963年に31歳で亡くなっており、むしろ伝説の歌手というポジションっぽい。ジャンルは違うけど、日本だと赤城圭一郎、本国ならジェームス・ディーンみたいなものか。
 で、長々こんなこと書いてることわかるようにパッツィー・クライン、全然関心なかったのだけど、聴いてみてアラびっくり。ビートルズ以前にピークを迎えたとは思えない、モダンな歌い方であり、そして声のツヤ感。
 50年代に活動していた人だから、もっとフォークロア的な繊細な初期カントリーをイメージしていたのだけど、案外声も張り上げてて、当時の白人女性シンガーとしては、結構異端だったんじゃないかと思われる。そりゃサウンドは古いけど、それを補って余りある歌の力、そして引き込まれる求心力。ほんとの実力派であると同時に、ポピュラリティも持ち合わせてたんだから、今も根強い支持があるのも頷ける。
 前回229位はAerosmith 『Toys in the Attic』。今回は圏外。




230位 Rihanna 『Anti』
(初登場)

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 90年代から連綿と続く、ダンス・ポップやヒップホップを取り入れた、女性R&Bシンガーの亜流と思っていた。ほどほどに過激でエキセントリックで、それでいて基本の歌はしっかり押さえていて、PVでは計算し尽くされたコンビネーション・ダンスを嗜んでいて。
 まぁその通りなんだけど、出身地バルバドスに由来する、BPM弱めのレゲエ〜ダヴのビートが、そこまでせわしなくて聴きやすかったりする。ほど良い感じの躍動感と、いい感じの脱力感は間口が広く、言っちゃえば、世界的に売れるのも納得してしまうプロダクション。ただ、そこにまとわりついてくるはずの過剰な商売っ気は薄く、きちんとアーティストの意向を汲んだトラックメイクになっている。
 さっきのデ・ラ・ソウルのレビューでも書いたけど、ヒップホップもR&BもロックもEDMも一緒くたになっており、明確なジャンル分けに当てはまらない音楽である。これはリアーナに限った話じゃなく、カニエ・ウエストからアンダーソン・パークに至るまで、過去の膨大なアーカイブから「いいとこ取り」することによって構築された音楽であり、いわば最大公約数を結集しているので、悪いはずがない。全方位向けの音楽なんだよな、いい意味で。
 前回230位はBonnie Raitt 『Nick of Time』。今回は492位。