61t2ldaBcDL._AC_SY355_

 2021年現在、ビーチ・ボーイズはバンドとして一応存続しているのだけど、何しろ60年の歴史があるバンドゆえ、関わってきたメンバーも多く、その内情は混沌としている。一応の「本家」ビーチ・ボーイズだけど、メンバーが亡くなったり内輪揉めがあったりで、常駐しているオリジナル・メンバーはマイク・ラブのみである。
 本家の中心メンバーであるブルース・ジョンストンは、厳密には結成当初からではなく、現在はセミ・レギュラー状態のブライアン・ウィルソンが『Smile』レコーディングでドロップアウトしてからの参加だけど、まぁほぼ初期メンみたいなもの。一般の会社同様、中途入社であるがゆえ、生え抜きとの扱いで差があったりとかなんとか、それなりに苦労もしてきただろうけど、イヤここまでよく支えてきたよ。嫌気がさして一回離脱したこともあったけど、今では紛れもなく、バンドの屋台骨を支える立役者である。
 初期メンの中核であったウィルソン三兄弟のうち、存命なのはブライアンのみで、現在はソロ活動と並行しながら、同じくオリメンのアル・ジャーディンと、時々、ビーチ・ボーイズ:リスペクト的なツアーを行なっている。全盛期のサウンドのほとんどを司ってきたブライアンがいる分、むしろこちらの方が純粋な意味での「本家」であり、その他メンバーで構成されたビーチ・ボーイズの方が「分家」であるはずなのだけど、長年培ってきたブランド・ネームはやはり強く、ブライアン側を本家と主張する人は少数派である。
 ただこの二派、別に対立しているわけではなく、タイミングが合うと合同でツアーを開始したり、ブライアンがビーチ・ボーイズのレコーディングに参加したりなど、ここ数年はつかず離れずの関係が続いている。若気の至りでいがみ合う年齢は過ぎてしまい、残された時間をマイペースに有用することが、老齢に差し掛かった中心メンバーたちの共通の願いなのだろう。

61zx7yj24KL._SL500_

 ビーチ・ボーイズに限らず、年期が入った大御所バンドだと、メンバーの分裂・バンド名称権の争いは、割とよく聞く話である。ELOなんてジェフ・リンとベブ・ベヴァン両名義のバンドが存在するし、90年代に勃発したイエスのお家騒動なんて、実際の音より記事やインタビュー読んでる方が面白かったし。
 クリエイティブ面の中心人物だったロジャー・ウォーターズは、「バンドでやれることはやり尽くした」ということでピンク・フロイドを解散、ソロ活動に移行した。したのだけれど、「聞いてないよ」と主張するデヴィッド・ギルモアが、フロイドの名称を強引に引き継いで再結成、CBSのバックアップを受けてアルバムを制作、世界ツアーを挙行した。
 「俺が解散したって言ってるのに、今さらなにを」と、ロジャーも負けじとアメリカ・ツアーで対抗する。ツアーの目玉として、エリック・クラプトンをギタリストとして招聘したくらいだから、かなりの気合だったことは察せられる。
 基本、グループのリーダーであり、多くの楽曲を書いてきたのはロジャーなので、彼が歌う「Money」が正統であり、本家を主張されると何も言えない。理屈上はそうなんだけど、でも実際、多くの楽曲でリード・ヴォーカルをとってきたのはデヴィッドであり、ライブで聴く側にとっては、ロジャー抜きフロイドがオリジナルと受け取ってしまう。ファンのニーズに的確に応えることを主としたロジャー抜きフロイドは、オリジナルに忠実なアレンジとショー・アップしたステージ演出によって、圧倒的なライブ動員を実現し、結果、ロジャーの売り上げを大きく抜いた。
 1988年に解散したBOOWYは、ソロになった氷室京介と布袋寅泰がそれぞれ、独自のアレンジ:ヴォーカルでBOOWYナンバーを発表しているけど、これもやはり氷室ヴァージョンの方が圧倒的に人気が高い。これもフロイドのケース同様、楽曲製作のほとんどを布袋が担っていたわけだから、「俺こそがオリジナル」って言われちゃうとまぁそうなんだけど、でもやっぱ心の底から素直にはうなずけないんだよな。
 例えが合ってるかどうか自信はないけど、布袋が歌う「Bad Feeling」はまだギリギリ受け止められるけど、「わがままジュリエット」はちょっと受け入れられない。そういうことなんじゃないかと。

unnamed

 特別「俺が本家」「いや私が本家」と言い争っていたわけではないけど、ビーチ・ボーイズ・ファンの中では「ブライアンこそがバンドの中枢であり、彼がいなければ正統なビーチ・ボーイズに非ず」という認識が強い。まだメンバーのパーソナリティが十分伝わっていなかった70年代くらいまではともかく、『Pet Sounds』がCD再発された80年代後半くらいから、ビーチ・ボーイズ原理主義=ブライアン崇拝という図式が形成されていった。
 80年代以前のビーチ・ボーイズ事情をリアルタイムでは知らないので、二次情報をいろいろ漁っての俺の印象だけど、彼らのイメージといえば、
 ① 「サーフィン」と「車」と「女の子」をランダムに組み合わせた歌詞。
 ② エレキとハーモニーをバックに歌う「お気楽パーティー・バンド」。
 日本だけじゃなく、世界的にこんな受け止め方だったんじゃないかと思う。60年代以降、ロックは次第にシリアスさを帯びてくるけど、そういった思索的な音楽とは無縁のスタンスにあったのが、彼らの音楽だった。
 時々、テレビの60年代風俗を取り上げた特集番組で流される、サイケな映像処理が施された「Good Vibrations」を見ると、なりふり構わず時代に媚びようとする反面、無理やりやらされてる感もちょっと漂っていたりして。どちらにせよ、80年代の彼らは盛りを過ぎた懐メロバンド程度の扱いだった。
 ほぼ誰にも顧みられれることのない状況ではあったけど、それでもビーチ・ボーイズは存在し続けていた。ガリガリに削られた精神を酒とドラッグで癒しながら、ブライアンは断続的にライブやレコーディングを続けていた。
 デビューから一貫して、クリエイティヴ面の多くを担っていたブライアンの失速に伴って、バンドの勢いも急降下した。メンバーとしては、そりゃいろいろ言いたいこともあっただろうし、実際、ひどい言葉を投げつけたりしたこともあったけど、ブライアンが戻ってくる場所は必ず空けておいた。
 ブライアンが沈黙している間、残されたメンバーたちは、世界を股にかけたドサ周りを続け、時々、それほど評判の良くないレコードを作り続けた。全盛期ほどではないけど、各地でそこそこの歓迎を受けた彼らは、彼らのリクエストに忠実に「サーフィンU.S.A.」を歌い、「ファン・ファン・ファン」をプレイし続けた。
 彼らには彼らの事情がある。

DxS-KBXX0AAb5IB

 実はブライアンのソロ・デビュー・アルバムについて書こうと思っていたのだけど、途中で方針転換。いろいろ遡ったり下ったりして聴いてみると、案外、この『The Beach Boys』の方が、良質なポップ作だったんじゃなのか、と思ってしまった。
 この時期のビーチ・ボーイズは長いことシングル・ヒットにも恵まれず、グループ内の人間関係もこじれにこじれ、いろいろどん底の状態だった。ヒット・チャートに絡むことはなかったけど、懐メロバンドとしてのライブ・オファーは絶えなかった。あんまり知られていないけど、ライブ・エイドにも出てたんだよな、ブライアン込みで。
 そんな80年代のビーチ・ボーイズに対して、今さらシングル・ヒットを期待する物好きはいなかったけど、往年のヒット・ソングを多数抱えた懐メロバンドとして、リリース契約を望むレーベルはいた。新録のスタジオ・アルバムに期待はしないけど、過去のヒット曲を集めたベスト・アルバムには、手堅い需要がある。ぶっちゃけ、「California Girls」や「 Surfer Girl」っぽい新曲、またはセルフ・カバーが収録されていれば、そこそこのヒットは見込める。
 で、このアルバム、バンド名がストレートに冠されているため、いわゆる集大成的な力作と思われがちだけど、そんなことはまったくない。ていうか、ブライアンがまだ本調子じゃなかったこともあって、バンド側のイニシアチブはまるでない、CBSの意向が強く働いたアルバムである。
 総合プロデュースのスティーブ・レヴィンは、LAともサーフィンとも夏っぽさとも何の関係もないイギリス人で、当時、カルチャー・クラブを大ブレイクさせたことで注目されていた人である。彼のコネなのか、ボーイ・ジョージが書いた曲も収録されているのだけど、彼もまたビーチ・ボーイズに深い感銘を受けていたわけでもなく、提供曲からは「言われたから仕方なく、手持ちのストックを出してみた」感がバンバン漂っている。
 取り敢えずリリース契約できたし、ブライアンもそこまで頼りにならないしで、やらされてる感が漂うバンドのテンションはともかく、CBSとしてはそれなりに力を入れていたらしく、困ったときに頼りになるコラボ請負人:スティーヴィー・ワンダーを引っ張り出してきている。サプライズ人事はこれだけじゃなく、どこかで薄いコネはありそうなリンゴ・スターがドラムを叩いてたりするんだけど、そんな中でもキング・オブ・違和感はゲイリー・ムーア。まだブルース回帰する前、完全にメタル寄りのハード・ロック路線時代の参加だ。どこでどんなコネがあったのか、ていうかゲイリー、なんでオファー受けちゃったんだろうか。最大の謎だ。
 フル参加とまでは行かないけど、調子の良い日にどうにかスタジオにたどり着いたブライアンの曲は、悪名高い精神科医:ユージン・ランディとの共作クレジットになっている。往年のヒット曲のパロディ、っていうか焼き直し的な楽曲なので、本来なら収録できるレベルじゃないのだけど、多分ユージンがねじ込んだんだろうな。彼からすれば、印税さえ入れば出来・不出来はどっちでもよかったんだろうし。
 取り敢えずバンドの意向は置いといて、1985年のヒット・ファクターを思いつくまま、ありったけぶち込んでみたのが、このアルバムである。5年ぶりのオリジナル・リリースということで、大々的なプロモーションが行なわれたのだけど、スプリングスティーンとマドンナが席巻したビルボード・チャートでは、控えめな彼らの居場所はなかった。
 先行リリースされたシングル「Getcha Back」は、そこそこスマッシュ・ヒットしたことで、日本のラジオでもそこそこ流れていた。そりゃ全盛期ほど売れたわけじゃないけど、内容がそこまで酷かったといえば、そんなわけでもない。ただちょっと、地味で控えめだっただけだ。

8b0e8aa62f6dc8d013fb7694567e219b

 US最高52位・UK60位という、なんとも中途半端な成績で終わってしまった『The Beach Boys』、CBSとの契約も延長できず、それによってバンド内人間関係の不和も深刻化してしまう。取り敢えず食いぶちを稼ぐため、ビーチ・ボーイズは再び、世界ツアーという名のドサ周りを始める。そしてブライアンは、ソロ活動の準備に入ることとなる。
 「ダイアー・ストレイツやフィル・コリンズと肩を並べるサウンド・プロダクトを駆使した、ビーチ・ボーイズの再生プログラム」といったCBSのプランは、方向性としては間違っていなかった。ただ、事前の仕込みや段取りの粗雑さが影響して、互いにとって不完全燃焼な結果に終わってしまったことが悔やまれる。
 豪華ゲストによる話題性は充分だったし、当時のベテランが陥っていた「80年代サウンドのフォーマットに乗っかった駄作スパイラル」は回避している。でもね、やっぱゲイリー・ムーアはちょっと場違いだったんじゃないか、って今も思う。

 ビーチ・ボーイズ関連はまだちょっと書き足りないので、また次回。やっぱブライアンのソロも書いてみよう。





1. Getcha Back
 アルバムに先駆けてリリースされ、US最高26位とまずまずの成績を残した4年ぶりの新作シングル。復活にあたって派手に花火を打ち上げようと、マイク・ラブが手を組んだのが、盟友テリー・メルチャー。
 創作者としての彼のピークはとっくの昔に過ぎてはいたけど、まだブライアンが「あんな」風だったため、まともに頼れるのは彼くらいしかいなかった、ってことか。
 ブライアン色は当然薄いけど、古き良き時代のビーチ・ボーイズ・テイストを残しつつ、80年代に沿ったモダン・スタイルのサウンドとの相性は、案外馴染んでいる。イントロからずっと流れるコーラス・アレンジは、もちろんブライアンによるもの。プレイする前から全体像が見えちゃう人なので、こういったディティールのこだわり具合は、やはり秀逸。
 普通にノリの良い、彼ららしいオープニング・チューン。もっと評価されてもいい。



2. It's Gettin' Late
 アメリカでは2枚目のシングルとしてリリースされており、ビルボード最高82位。まぁそんなもんか、ってうなずいてしまう曲。微妙に彼ららしさは残ってるんだけど、導入部や、間奏のヴァース部分のコーラスはさすがだし、取ってつけたようなシンセ・ポップもまぁいいんだけど、やたらワイルドにふるまうアル・ジャーディンのヴォーカルが浮いている。
 時代的に、「Born in the U.S.A.」がリリースされた頃と被っているので、こういった大味なアメリカン・ロックもやってみたかったんだろうか。幕の内弁当的なアルバム・コンセプトだったのかね。

3. Crack at Your Love
 なので、こういったMIDI機材をフル活用した、バリバリのシンセ・ポップは案外嫌いじゃない俺。ブライアンとアルの共作クレジットになっており、ていうか、バックトラックはほぼブライアンが独力で作り上げている。クレジットを見ると、ジュピター8やDX1など、懐かしい名前がちらほら。
 80年代のベテラン・アーティストがシンセ・サウンドに翻弄される構図はいくつも見てきたけど、ここでのブライアンはうまく使いこなしている。もともと宅録レコーディング歴は長いし、シンセの使いこなしは同世代でもずば抜けていたことが想像できる。
 
4. Maybe I Don't Know
 プロデューサー:スティーヴ・レヴィンのコネで担ぎ出された、ゲイリー・ムーアが参加したうちの一曲。ウィルソン兄弟の末っ子カールがリード・ヴォーカルを取っており、そのせいかビーチ・ボーイズ臭は薄く、ていうかシカゴっぽい。
 しかし彼らの流麗なコーラス・ワークと重いギター・リフって、相性悪いよな。程よい情緒を含んだソロ・パートは、そこだけ聴く分にはいいんだけど、そうだな、ELOっぽいんだよな、いい意味でも悪い意味でも。

R-9845411-1523860689-7133.jpeg

5. She Believes in Love Again
 ブルース・ジョンストン作による、シカゴ・リスペクトって言われても納得してしまう、そんなAORなメロディック・ハード。ジャーニーみたいになりたかったのかな、この頃って。
 先ほど登場のゲイリーも、普通のギターだけじゃなく、ギター・シンセまで引っ張り出してきて大活躍なのだけど、メロディが単調で弱いのかな、そこまでゲイリー・テイストは感じられない。それなら必要なかったよな、ゲイリー。

6. California Calling
 全然マニアじゃない俺が聞いても一発でわかってしまう「サーフィンU.S.A.」っぽさ。多分、CBSから「せめて一曲くらい、昔のファンが聴いてもわかりやすい曲を。例えばサーフィンU.S.A.とか」なんとか言われたのを、ブライアンがそのまんま、真に受けて作ったんじゃないかと思われる曲。
 確かにわかりやすい。新旧どのファンでも、「あ、ビーチ・ボーイズだ」ってわかってしまう、そんな85年型ビーチ・ボーイズの名刺代わりみたいな曲。新しさはまるでないけど、共通言語としては伝わりやすい。
 ちなみに、リンゴ・スターが参加しているけど、もちろんリンゴ臭は感じられない。まぁビートルズ以降、リンゴが本気で叩いてるケースって、ほとんどないんだけど。

7. Passing Friend
 もしかして、「これが今回の目玉」って思ってたんじゃなかろうかプロデューサー。彼のぶっといコネで実現した、カルチャー・クラブのサウンド・プロデュースによるポップ・チューン。
 多少はビーチ・ボーイズ用に寄せてるのかもしれないけど、でもやっぱ「ヴォーカルがボーイ・ジョージだったらなぁ」って思ってしまう。メロディのフックが効いてるわけじゃないけど、彼らのアルバムに入ってても十分おかしくないレベル。なので、すごくもったいない。

R-2492324-1485808950-5336.jpeg

8. I'm So Lonely
 ブライアンがリードを取る、ちょっと大味だけど進化形のビーチ・ボーイズが聴けるナンバー。タイトルからして「僕は孤独だ」だもの。
 ちなみに、現在はカールとの共作クレジットとなっているけど、リリース当初は「あの」ユージン・ランディとの連名になっていた、という何かと曰くつきの曲でもある。ほぼブライアンのサウンド・プロダクションなので、ソロ・テイストが強いんだけど、しかし図々しいよなランディ。

9. Where I Belong
 カールが絡んでくると、ほんとシカゴっぽさが前面に出てくるんだよな。年齢も若いこともあって、新しいサウンドを貪欲に取り入れたい年頃だったのかも。当時の彼はソロ活動も積極的だったこともあって、外部から刺激を受けることも多かった。
 コーラス・ワークが入ってることでビーチ・ボーイズってのはわかるんだけど、ブロウしまくるサックスは、やっぱりミスマッチなんじゃないのかな。なので、ビーチ・ボーイズとしてではなく、カールのソロ・ナンバーって捉えた方がしっくり来る。

10. I Do Love You
 オケもメロディもスティーヴィー臭が強いこともあって、ヴォーカルまでスティーヴィーに寄っちゃってる、言ってしまえばスティーヴィーのカバーみたいな曲。膨大なストックの中から、彼らっぽい楽曲を適当にピックアップして、ついでにサービスでハープも吹きまくっちゃった、そんな曲。
 強引だけど、「スティーヴィー・ワンダー:トリビュートに参加するビーチ・ボーイズ」って構図を想像してみた。そう考えると、釈然としない想いも、ちょっとはスッキリする。…イヤしないって。

51IvM-JP9SL._AC_SY445_

11. It's Just a Matter of Time
 最後を締めるのはブライアン。マイクとのダブル・リードで歌われる、ちょっとオールディーズ・テイストあふれる、スウィートなポップ・チューン。
 生音と打ち込みとの配分、適宜なコーラス・ワーク、そして普遍的かつ唯一無二のメロディ・ライン。変に肩ひじ張らず、こんな曲ならサラッと作ってしまえるところが、やはりブライアンの天才たる所以なんじゃないかと、今になって思った。
 ちなみにこれも、当初はランディとの共作クレジット。多分、製作には全然貢献していないんだろうけど、でもレコーディングに参加できるくらいにまでリハビリさせたのは、やっぱこいつの功績なんだよな。
 彼についてはいろいろ書きたいこともあるので、それはまた次回。