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 今年、モリッシーは新作スタジオ・アルバム『Bonfire Of Teenagers』を完成させた。させたのだけど、発売はされていない。
 2021年6月現在、彼のオフィシャル・サイトでは、アートワークも収録曲も公開されているのだけれど、肝心の音は届いてこない。多分いつも通り、それか、より一層の毒を吐いているとは思われるけど、公開される気配は、今のところない。



 昨年、所属していたBMGの経営トップが交代し、営業方針変更の煽りを食ったモリッシーは契約を切られた。そこでさらに毒を吐き、BMGをこき下ろしていたことは記憶に新しい。
 なので現在のモリッシー、自由契約的な状態が続いている。自分から他レーベルに営業をかけるタイプではないし、それなりにオファーはあるんだろうけど、何やかやで折り合いがつかず、こう着状態が続いている。
 何しろ自意識過剰でめんどくさい男なので、契約書面の細かい付帯事項にまで難くせつけてるか、はたまた上から目線で「そこまで頼んでくるんだったら、契約してやってもよい」って言える日を待ち望んでいるのか。どっちにしろ、めんどくせぇ。
 ただモリッシー、それなりに数字を持っている男ではある。ソロ・デビューから30年、もはや「元・スミス」という冠を使わなくても、南・北米ではバンド時代以上のセールス動員をマークしている。
 なので、本来なら引く手あまたと言ってもおかしくないはずなのだけど、正直、セールスのピークはずいぶん前に過ぎており、どのレーベルも興味はあっても、そんな事情で二の足踏んでいるんじゃないかと思われる。たとえ契約に至ったとしても、今どきのメジャーがモリッシー・クラスのアーティストを強くプッシュするとは思えないし、さらにCDだってプレス枚数は絞られる。なので、双方にとってメリットはあまりないのだ。
 そのうち配信限定でリリースされるのか、またはオフィシャル・サイトでアナログ/CDを限定プレスして販売するのか。日本だと、Pヴァインあたりが直輸入盤取り扱いで名乗りをあげるのかもしれないな。

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 一方、相変わらずマイペースのジョニー・マー。「ギター抱えた渡り鳥」よろしく、古今東西あっちこっちのバンドを渡り歩いていた彼も、近年はおちついたのか、もっぱらソロで活動している。ただ、あんまり本腰を入れて活動しているようには思えず、他のアーティストのゲスト参加や単発ユニットの結成も並行して行なっており、どっちつかずのモラトリアムは続いている。
 ほんの一瞬だったとはいえ、あのモリッシーと活動を共にしていた男ゆえ、どんな環境にも順応してしまうマー、同じくクセモノのバーナード・サムナーから若手バンド:モデスト・マウスまで、そのセッション交友歴は多岐に渡る。多分、モリッシーよりは付き合いやすいキャラなんだろうけど、ただクリッシー・ハインドやニール・テナントなど、ちょっと上か同じくらいのポジションのアーティストならともかく、モデスト・マウスみたいな若手からすれば、ちょっと扱いに困る存在である。
 「メンバーにジョニー・マーがいる」というだけで、バンドとしては充分なウリとなるため、極端な話、デモ・テープすら聴かずに契約しようとするレーベルは多い。特に、スミス神話がまだ通用する日本だと、ロキノン界隈でプロモーションもしやすいし、ZEPPクラスのハコなら即日ソールド・アウトも手堅い。
 キャリアも違えば知名度も違うマーに対し、既存メンバーが裏表なく接していたかといえば、それもちょっと怪しい。レコーディングのリテイクだって言いづらいし、まさか機材運びを頼むわけにもいかず、何かと気を使うことが多い。
 メディアやレーベル関係者だって、バンド・メンバーより先にマーに挨拶するだろうし、インタビューだってマー希望が多いしで、フロントマンの立場といったらもう。スタジオ・ワークで自分の意見をゴリ押しするキャラではなさそうだけど、イヤやっぱプレッシャーかかるって。他のメンバーのプレイ以上に見せ場を忖度しなくちゃならないし。
 その辺はマーも理解しているはずなので、極力出過ぎたマネは控えていたんだろうけど、逆にその辺が仇となり、マーが彼らのサウンド・メイキングに大きく貢献したかと言えば、それもちょっと。スミス時代を知っているディレクターや経営陣にとって、マーの存在は充分なアドバンテージではあるけど、モデスト・マウスやクリブスのメインユーザーにとって、彼の存在はプラスアルファでもなんでもない。
 さらにこの2バンドとも、マーの加入前からそこそこセールスと知名度を得ており、彼らのファンからすれば、「往年のギタリストと名乗るオッサンが、若手の人気に便乗してきた」という見方となってしまう。マー加入でセールスが爆上げしたわけでもなければ、バンド・サウンドに大きな変化をもたらしたわけでもないので、「じゃあ、何のためにいるの?」って微妙な感じになってしまう。
 この2バンドとも在籍したのは2、3年程度であり、結局何をしたかったのか、何を求めていたのかジョニー・マー。変に若手に気ぃ使わせるくらいなら、いいからエレクトロニックでもやってろよ、って言いたくなる。

 そんな2人の近況を見てみると、みんなやっぱり言いたくなっちゃうよな。
 -いいからもう、2人でやれってば。

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 結果的に最後のアルバムとなった『Strangeways, Here We Come』。揉めに揉めたラフ・トレードとの契約を解消して、晴れてメジャー・デビューとなるはずだったのだけど、ずっと燻っていた人間関係のこじれがピークに達し、スミスは解散してしまう。なのでこのアルバム、解散後にリリースされている。
 『Queen is Dead』発表以降、評価もセールスも大きく飛躍したスミスだったけど、その分、やっかみや誹謗中傷、痛烈な批判も激増した。80年代英国の音楽プレスは口が悪く攻撃的で、しかも叩きやすいキャラだったんだよな、スミス、それとモリッシー。
 当初はフロントマンであるモリッシーが多くのメディア対応を行なっていたのだけど、人気上昇に従ってマーがコメントすることも多くなってゆく。そうなると、揚げ足を取ったり論争を焚きつけたりする輩も出てきて、「モリッシー VS. マー」の抗争を煽ってくる。こういうのって、だいたいNMEが発端だったよな。
 悪意に満ちた記事に乗せられたのと、過密スケジュールによるストレスから、2人の関係性は次第にこじれてゆく。それもあってか、この時期のマー、トーキング・ヘッズやブライアン・フェリーなど、当時のビッグ・ネームから指名を受けて、レコーディング・セッションに参加する機会が多くなってゆく。モリッシーと長くいると、息が詰まったんだろうな、マー。
 モリッシーの独断なのかEMIの差し金なのか、末期のスミスはなかなか混沌としており、メンバー・チェンジや他アーティストとのコラボが錯綜している。アンディ・ルークがクビになったかと思ったら2週間で出戻ったり、これまでの音楽性とは何ら脈絡のないシラ・ブラックのカバーを取り上げたり、なぜかカースティー・マッコールがコーラス参加したりで、単なる思いつきのような企画ばかり。シラ・ブラックなんてモリッシーの好みだけで、マーの意向はほぼ反映されていない。
 多分、モリッシーお得意のまわりくどい嫌がらせと、かまってちゃんオーラから誘発されたジェラシーが相まって、マーへの仕打ちとなったことは察せられる。ただモリッシーの肩を持つわけじゃないけど、彼は彼でスミスのスポークスマンとして、あの悪名高き80年代英国メディアと対峙していたんだから、ストレスの捌け口が必要だったことも、同情に値はする。
 -いや、彼の場合、あれが素か。ていうか、毒づける存在なら誰でもよかったのか。

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 シンセやホーンを使わず、極力、ギター・ドラム・ベース:3ピースでの表現を試みていた初期~中期スミスのサウンド・コンセプトは、これまたいろいろ見解はあるけど、3枚目『The Queen is Dead』で完成を見たと言っていい。リヴァーヴを効果的に使ったギターのエフェクト処理、ソリッドかつコンパクトにまとまったソロ・プレイ。ユニセックスなヴォーカル・スタイルから繰り出される、卓越したメロディ・センス。書き出してみると食い合わせが悪そうだけど、この2人が組むと、どうにかなってしまう。言っちゃ悪いけど、ドラムとベースは付け足しでしかない。
 のちのプリミティヴズやラッシュ、さらに下ってスウェードらUKギター・ポップ勢の活路を開いたのが、ここまでのスミスと言えるのだ。これがもしマーの主張が強かったら、もっとゴリゴリのギター・ポップ:ウエディング・プレゼントみたいになっていただろうし、モリッシー主導だったらマーク・アーモンドだったろうし。それはそれで見てみたい気もするけど。
 『The Queen is Dead』でひとつの到達点を迎え、さらにワンステップ上のステージに行きたいと願うのは、まだ血気盛んなアーティストとして、自然の流れである。単に安定を求めるのなら、「This Charming Man」や「Bigmouth Strikes Again」のヴァージョン・アップを繰り返していけばいいだけの話だけど、当時は2人ともまだ20代半ば、それなりに野心だってあった。
 ギター・サウンドの単純な「深化」ではなく、「広がり」を求めるという面においては、サウンド面の多くを担っていたマーが一段抜きん出ていた。他アーティストのレコーディング・セッションに参加し、交流を深めることによって、新たなジャンルの開拓を目指していたのが、この時期のマーである。
 もちろんモリッシーも、メジャー・デビューを控え、新たな展開は考えていたはずなのだけど、彼の場合、ヴォーカリスト専業ゆえ、サウンド・コーディネートでの貢献はわずかなものだった。なので、彼ができることといえば、できあがったオケにケチをつけたり、それこそ突拍子もないシラ・ブラックのカバーを提案したり、マーを混乱させることばかりだった。
 結果的に、「マーの音楽的成長を快く思わず、モリッシーが何かと茶々を入れ続けたことが、解散の引き金になった」という見方も、あるにはある。あるのだけれど、それはただの一面でしかない。
 モリッシーはただ、マーとすべてを共有したかった。それだけのことなのだ。





1. A Rush and a Push and the Land Is Ours
 「一年半前に首つり自殺を図った男の亡霊による、女々しく冗長な独白」をアルバムのトップに持ってくるという、なんて屈折した、なんて挑戦的なモリッシー、そしてマーの覚悟。そんなネガティヴなテーマ、っていうかそんなの彼らにとっては「日常」だけど、相変わらずのポップなアレンジで料理している。
 訳詞見ながら聴いてると、いつも疑問に思うのだけど、マーって歌詞見てるのか?曲調と主題が全然嚙み合ってないんだけど。ささやかではあるけれどホーン・セクションなんか入れちゃったりして、攻めた姿勢は感じられるけど、ギターの出番が少ない分、従来ファンには物足りなさも感じられる。

2. I Started Something I Couldn't Finish
 UKでは2枚目のシングル・カット、23位にランクイン。ストレートなディストーション・ギターによるプレイで、ギター・バンドとしてのスミスが好きな人には人気が高い。『Meat is Mueder』あたりに入ってても違和感なさそうなサウンドのため、いわばこの時点では完成形的な位置づけだったし、だからこそ解散後にシングル・リリースされたんじゃないか、と。
 こういうのばっかやってくれれば、ファンは大喜びだったのだけど、それだけじゃ満足できなかったんだよな、マーとしては。

3. Death of a Disco Dancer
 ホラー映画のようなイントロから、メランコリックな演奏に入り、モリッシーがシリアスに語るのは、「ディスコ・ダンサーの死」。
 まるで呪詛のようにリフレインされる「愛と平和、そして調和」。ディスコ・ダンサーが本筋とそんなに関連性がなく、単に「ディスコ・ダンサー」って語感を使いたかった、ていうかタイトルだけでもう用済みっていう印象。
 だって、所詮はディスコ・ダンサーだもの。そんな程度の扱いでしかないことを、モリッシーは言いたかったんだと思う。



4. Girlfriend in a Coma
 ほのぼのした牧歌的な曲調に乗せて、長らく昏睡状態に陥っている彼女(女友達?)を朗らかに歌うモリッシー。こういうギャップ萌えは、英国ポップ・バンドの伝統に倣っている。
 こんな主題だというのに、アルバムの先行リリースとしてシングル・カット、UK最高13位にチャートインしてしまうのは、当時の勢いが感じられるけど、こういうのが上位に入っちゃうお国柄っていうか。その辺がやっぱ英国だよな。

5. Stop Me If You Think You've Heard This One Before
  アナログではA面ラスト、丁寧にギター・ダビングを重ねたことで、厚みのあるサウンドに仕上げられている。珍しくアウトロでギター・ソロを弾いてたり、全体的に凝った構成は、マーの本気ぶりが感じられる。
 
6. Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me
 3枚目のシングルとしてリリースされ、UK最高30位と、中途半端なポジションとなった、アナログB面オープニング・ナンバー。イントロなしで始まるシングル・ヴァージョンと違い、アルバム・ヴァージョンでは、この少し前、英国で勃発した炭鉱労働者ストライの実況録音が、2分近く延々続く。こういった政治姿勢を堂々と表明できる懐の深さが、かつての英国エンタメ界には息づいていた。
 かなりコンテンポラリー志向でまとめられたアンサンブルといい、シンプルであるがゆえ、様々な解釈が読み取れる歌詞といい、また自己陶酔的なヴォーカルといい、連想してしまうのはブライアン・フェリー。あそこまで下世話な感じは出てないけど、どうにかそこに追いつこうとしているのか、モリッシーの力の入れようはなかなか。
 マーがけしかけたんだろうな。やたらドラマティックなエンディングといい。

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7. Unhappy Birthday
  ストリングスまで導入した前曲とは一転して、アコギをメインとしたネオ・アコ風味のコンパクトなナンバー。「君の不幸な誕生日を祝いにやってきたよ」なんて、モリッシー特有の底意地の悪さがにじみ出まくった秀作。

8. Paint a Vulgar Picture
 雑なギター・ロックに、雑な業界批判の歌詞。もうちょっと練ってから世に出してもよかったんじゃね?と思えてしまう、そんなラフな作りの曲。ネオアコ・テイストの楽曲が続いてるけど、まぁ曲の配置的に、ちょっと気を抜くところだな。

9. Death at One's Elbow
 ちょっと珍しいオルタナ・カントリーっぽいナンバー。歌詞はどうも平凡っぽいけど、サウンドのアプローチとしては面白い。ヴォーカリスト:モリッシーの可能性を引き出す試金石として、その後を聴いてみたかった。でも、もう聴けないんだよな。

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10. I Won't Share You
 スミスのオリジナル・トラックは、これが最後となった。それを象徴するかのようなタイトルだし、ここでのヴォーカルもギターも、どことなく感傷的に聴こえてしまう。
 「君は僕を共有しない」「ぼくは、君のものになんてならない」。どう訳せばいいのか、ニュアンス的に自身はないけど、反語表現であることに間違いはないと思う。
 繰り返される「知ってるさ」「だいじょうぶ」のリフレイン。その言葉に覇気はなく、演奏もどこか虚ろだ。
 エンドマークをつけられないまま、不完全燃焼のまま、3分足らずで曲は終わる。