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 去年くらいから、自らの著作権・音楽出版権を、メジャー・レーベルや投資ファンドに売却する海外の大物アーティストが増えている。ディランに始まり、ニール・ヤングやスティーヴィー・ニックス、新しめのところではリル・ウェイン、ついさっき聞いた話だと、あのポール・サイモンも全著作権をソニーに売却した、とのこと。
 そこそこでも名を知られたアーティストにとって、著作権は絶対手放さない打ち出の小槌のはずだった。何しろ寝っ転がってても金を生み出してくれるので、ヘタな投資や利殖に手を出すより、ずっと堅実である。
 小室哲哉みたいに、それを担保に手を広げすぎちゃうと、大抵あんな風になってしまう。一発屋程度の歌手なら変に欲をかかず、ただ持ってるだけで食ってく分には困らないので、大事に手元に置いといた方が無難とされている。
 ただこれが、ヒット曲をいくつも持ってたり、加えてキャリアが長いとなると、ちょっとめんどくさくなる。単に売り上げ枚数だけなら、まだシンプルだけど、TV・ラジオで使用されたり、有線・カラオケ再生数、はたまた自作曲をカバーされたりなんかすると、それはそれで権利が発生するので、その都度契約や確認が必要になったりする。
 極端な話、「20年前に書いた曲をカバーしたい」というボリビアのローカル・バンドのオファーや、インドネシアのラッパーからのサンプリング許諾やら、そんなのいちいちチェックできるわけがない。
 クリエイティブ面に長けたアーティストであればあるほど、そんな煩雑なデスク・ワークとは相性が悪い。なので、そんな面倒なこと一切合切を引き受けてくれる版権管理会社、さらにその上のJASRACという組織が存在している。ある程度のマージンを払ってそっちに丸投げしちゃう方が、全部自分で管理するより効率もいいし、ストレスも軽減される。
 また極端な例えだけど、20年前にリリースしたアルバムがコートジボワールでリバイバル・ヒットして再プレスされても、知らなければそのままだし、申請しないと一銭も入ってこない。煩雑な手続きを第三者に委ねることで、取り分はちょっぴり減るけど、全部自分でやるより、圧倒的にコスパは良い。
 アーカイブの管理を委託されていることが多いレーベル側としても、新たにレコーディングするよりも製作コストは抑えられので、旧譜カタログの再発には積極的である。特に減価償却が済んだ古い大ヒットアルバムは、毎年安定した売り上げが見込めるので、多少値下げしても充分ペイできる。
 一時、往年の名盤にボーナス・ディスクを同梱したデラックス・エディションが乱発されたことがあった。丁寧なリマスタリングやサウンドボード音源のライブ・テイクを収録したり、良質なモノも多かったけど、あからさまな水増しのモノも多かった。単なる音合わせみたいなセッションをアウトテイクと称したり、明らかにブートレグをそのままコピーしたような低音質のライブ盤だったり。
 手を替え品を替え、パッケージに凝ったりボーナス・トラックをくっつけたりして、大手レーベルは旧譜カタログのブランド化に懸命だった。アーティスト側もまた、手持ちのデモ・テープやサウンドチェック用のカセットを引っ張り出して、レーベルの片棒を担いだりした。
 ディープなファンにとっても、新たな意匠が買い替えの後押しとなり、いわば誰も損しない一石三鳥の優良ビジネスが成立していた。
 ここまでが20世紀。

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 ただ21世紀に入り、世界的にCD売上が落ち込みを見せ始めたことで、音楽ビジネスの様相は変わってくる。高速ネット回線とデジタル圧縮技術の劇的進化によって、ダウンロード音源がCDのシェアを圧迫するようになってきた。
 年を追うごとに市場の右肩下がりはさらに加速、経営不振による吸収合併の末、メジャーはおおよそ3社に集約された。競合は減ったけど、パイは大幅に縮小されたため、シェア争いはさらにシビアになった。
 各社とも切り詰めた経営を強いられるため、かつてのように湯水のような販促費や製作費をかけることもなくなった。音楽雑誌の広告もずいぶん減ったし、新譜の予約特典だって、ペラッペラのクリアファイルばっかだもの。80年代は、各メーカー趣向を凝らしたノベルティグッズで溢れてたのにね。
 売れないから販促費をカット→充分な宣伝をしないので、リリースしても気づかれない→さらにコストカット↩︎。そんな悪循環の無限ループによって、ただでさえ小さなパイはさらに縮小、遂にはメジャーの存在自体が危うくなってゆく。
 なかなかチャンスを与えられない若手としては、どうせまともにリリースされないんだから、それならいっそメジャー流通にこだわらず、自分たちで仕切った方がいいんじゃね?って考えるようになる。メジャーの宣伝力に頼れないんだったら、自分たちでTwitterやYouTubeで宣伝してゆく方が効率いいし、中間搾取排除したライブ物販の利益率高いし。
 近年はそんな按配で音楽業界のパラダイムシフトが形成されつつあったのだけど、昨年の新型コロナ禍ですべてが吹っ飛んだ。感染リスクを最小限に抑えるため、多人数が集まるライブ開催だけじゃなく、密室空間でのレコーディングも困難になった。
 さらに追い討ちをかけたのが、サブスクの急速な普及。アニソンからノイバウンテンまで、あらゆるジャンルが一律聴き放題になったことで、音楽ユーザーの裾野は確実に広がったけど、アーティストの手元に入る収益は劇的に低下した。
 今後、このまま版権持ってたって、状況が好転する見通しも立たないだろうから、それならいっそ、高く売れるうちに売っちゃった方が得じゃね?って考えたのかね、ディラン。彼クラスなら、自前の版権管理エージェントくらい持っていそうなものだけど、今後はそっちの維持費の方が高くつくって判断したのだろう。
 一方、日本では今のところ、海外のような動きはなさそうである。世界レベルのアーティストがいないため、投資側のメリットが少ないこと、CD販売がまだギリギリビジネスとして成立していることも理由なんじゃないかと。

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 ここまで主に著作権中心で書いてきたけど、続いて原盤権。すごくざっくり言えば、マスター・テープの所有権である。
 一般的に知られているアーティスト印税は、販売価格の1〜5%くらい。活動年数やヒット実績に応じて率は変動するけど、おおむねこんな感じ。
 で、原盤権所有者の取り分は、なんと10〜15%。さらにシンガーソングライターだったら作詞作曲印税がプラスされるので、さらに収益増となる。
 ただこの原盤権、アーティスト本人が持っている例は少なく、製作費を出したレーベルが所持しているケースが多い。いわゆるエグゼクティブ・プロデューサー=出資した人だけど、大抵はそこの社員だったりする。
 レーベルとアーティスト双方が納得の上なら、そんなに問題もないのだけれど、例えば会社が倒産したりアーティストが移籍したりすると、ちょっと面倒なことになる。マスター・テープが行方不明になったり、杜撰な管理状態のおかげで破損したり、というのはわりとよくある話。権利者との折衝がまとまらず、リミックスやリマスターが進まなかったりなど、いろいろとややこしや。
 近年だと、テイラー・スウィフトの初期アルバムの原盤権が第三者に売却されてしまい、変に悪用されるのを防ぐため、該当アルバム6枚の再レコーディング計画を発表した。オリジナルと寸分違わぬ新たなマスターを正規版とすることで、旧マスターの価値を暴落させることが目的という、何とも手の込んだ対抗策である。
 これと似たケースで、プリンスこと殿下、ワーナーと泥沼の訴訟合戦を繰り返したあげく、まるで売り言葉に買い言葉みたいな勢いで、全アルバムの再レコーディングを宣言した。したのだけれど、宣言して満足しちゃったのか、結局やったのは「1999」のみだった、ってオチ。
 ワーナー・カタログの中では売れ筋であるはずの殿下のアルバムが、長い間リマスターもデラックス・エディションも発売されなかったのは、そんな事情がある。あの『Purple Rain』ですら、つい最近まで初リリース時のショボい音質でしか聴けなかったし。

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 で、ここまでが長い長い前置き、やっとたどり着いたよナイアガラ。原盤権にちょこっと触れるだけのつもりだったのが、こんなに長くなっちゃった。
 デビュー・アルバム『大瀧詠一』製作時、2チャンネル・マスターに落とす前のマルチ・テープ素材を、当時のレコード会社に廃棄処分されたことが、ナイアガラ・レーベル設立のきっかけだった。せっかく心血注いで作り上げた渾身の力作であり、その過程でこぼれ落ちた断片もまた作品の一部である、と考えたのだろう。
 この時代から大滝、スタジオ使用時間は長いわミックス作業にこだわるわで、当時の基準からしても、異例の製作費となった。もともとバンドでもプレイヤーとしての貢献度は少なく、録音ブースよりミキサー卓の前にいることが多かったため、次第にそっち方面への興味が強まっていったんじゃないかと思われる。正直、歌入れ以外はやることなかったし。
 音楽にまつわる雑学や知識量は当時からずば抜けてはいたけど、コード理論や楽理に通じてたわけではなかった。エンジニアリングに興味を持ったと言っても、そこからアカデミックな音響工学を学んだりしていたわけではないので、ミキサーへの指示も抽象的なものだった。
 ミキサー卓の前に座る吉野金次の隣りで、「ここのギターはバッファローっぽいファズ」でとかなんとか、「こんな風にこだわる俺って、アーティストっぽいよな」ってスカしてたんじゃないかと思われる。こうやって書いてみると、単なる意識高い系のめんどくさい奴だな。
 アーティストとしての様々なスキルや商業的な実績はともかく、志だけは高かった若者の常として、自分なりのコンセプトなりビジョンはしっかり持ってはいた。いたのだけれど、まだそれを伝える言語も技術も拙かったことは察せられる。
 めんどくさいところも含めてアーティストたる所以だし、その辺は吉野金次も若者のたわごととして多くは聞き流していたんだろうけど。でも調べてみたら大滝と吉野金次、同い年なんだな。逆にめんどくさい同士で息は合ってたのかもしれない。

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 本気でエンジニアリングを極めたいのなら、きちんとした工学系の大学に入り直すか、スタジオの下働きから始めるのが筋なのだけど、そのどちらもやりたくない。本業になると、演歌や歌謡曲など好きじゃない音楽も受けなければならない。
 そうじゃなくて、作りたいのはあくまで自分の音楽なのだ。まだミュージシャン/アーティストとして、志も高かった大滝だった。
 自分の音楽を全部自分でコントロールしたい。スタジオの予約スケジュールや使用時間を気にせず、自分の納得ゆくまでレコーディングや編集をしたい。
 そんな大滝が考えに考え抜き、行き着いたのが、プライベート・スタジオの設立だった。のちのFUSSA 45 STUDIO、のちのナイアガラ・レーベルの拠点、またナイアガラーにとっての聖地である。
 -おそらく俺は20年後か30年後、この時の素材を使ってリミックスすることになるだろう。それに加え、収録しきれなかった未発表曲を追加収録したりして、10年ごとに再発を繰り返してゆくことだろうー。
 当時からそんな壮大な計画を持っていたとは信じたくないけど、そこまで大げさじゃなくても、いつかまた、別の機会に作り直したいという気持ちは持ち続けていた。多分、最期までそう思っていたはずだ。
 もしベルウッドが完全な形で、パートごとのマルチ・トラックを保管していたら、その後のナイアガラ・レーベル構想もなかったかもしれない。原盤権を持たぬ者に、マスター保管をどうこう言える権利は、当時もそうだけど、今もない。
 別にベルウッドを擁護するわけではないけど、テープの保管には経費がかかるし、いわば有形資産なので、さらに管理費や税金が発生する。そうなると、録音セッションすべてのテープ素材を保管するのはコスパが悪いので、完パケの2トラックマルチだけ残しておく。
 おおよそこんな感じで、担当ディレクターに諭されたんじゃないかと思われる。まぁバカ売れしたわけではないので、引かざるを得ない。モヤッとした気持ちを抱えつつ周囲に愚痴りつつ、大滝はベルウッドを去り、自前のレーベル設立に動くことになる。
 その後、ベルウッドはレーベル活動を休止、カタログ管理は親会社のキングが引き継ぐことになる。ロンバケで大滝が復活すると、わかりやすいくらいの電光石火で便乗商法に乗っかったのは、わりと有名な話。
 多くのナイアガラ・カタログが新たな解釈を加えてヴァージョン・アップしているのに対し、このアルバムだけリマスターが遅れたのは、おおよそこんな理由である。老舗のキングが、大滝クラスのアルバム1枚の売り上げに固執しているとは考えづらいけど、既得権って手放さないんだよな、損得抜きにして。
 多分にキング=ナイアガラの間で、『大瀧詠一』の原盤権=マスター・テープの買い取り交渉は水面下で行なわれていたのだろうけど、力関係もあるし他のしがらみもあるしで、こういうのってなかなか進まない。1995年になって、大滝監修によるボーナス・トラック収録のエディションが発売されたけど、あれもナイアガラではなく、ソニーの傘下レーベル:ダブル・オーからの発売だった。
 とはいえ、ダブル・オーは大滝が経営参加していることもあって、事実上、彼主導でのプロジェクトではあったのだけど、あくまでキング側としては「ソニー(ダブル・オー)へのマスター貸し出し」という体裁にこだわったのだろう。こうなると、腹の探り合い・意地の突っ張り合いは落としどころが見つからない。
 2012年、リリースから40周年を機に、大滝は未公開音源を追加したリマスターを企画するのだけど、キング側より独自で販促展開する旨を伝えられ、プロジェクトは頓挫する。実作業もほぼ済んでいたらしく、良好な関係だったら提携もありえたのだけど、やはり遺恨があったんだな。
 で、来年がリリース50周年。同時に『Niagara Triangle Vol. 2』40周年ではあるけれど、ソニー時代のストックは『Each Time Vox』(仮)で使いそうなので、プッシュするのは『大瀧詠一』の方なんじゃないかと思われる。
 多分、キングとナイアガラ間で何かしらの合意はあるんじゃないかと思われ、そうなるとまた年末あたりに盛り上がるのかな。当事の関係者も多くが高齢だし、どこかで区切りはつけとかないと。





1. おもい 
 「ビーチ・ボーイズっぽいアカペラ」というのがコンセプトでレコーディングされた多重コーラスの曲。まだ『Pet Sounds』の存在を知らなかった中学生にとって、このオープニングは正直オカルトっぽかった。
 ヴォーカル・ダビングや編集に時間をかけ、も少しエコーを効かせたりしたら、幻想的な雰囲気になって聴きやすいんじゃないかと思うのだけど、右チャンネルだけで聴くと、一応ビーチ・ボーイズになってはいる。いるのだけれど、左右にパンした方がよかったんじゃね?

2. それはぼくぢゃないよ
 約1年前にリリースされたデビュー・シングル「恋の汽車ポッポ」B面が初出。ただ、この時の出来に満足できず、ここでリベンジの再録音。1995年版にシングル・ヴァージョンが収録されているのだけど、確かにちょっと未消化でデモ・テープみたいな印象。
 ソロ・ヴォーカル・パートもハーモニーも、かなりこなれて理想通りのテイクに仕上がったと思うのだけど、でもやっぱタイトルはロックじゃないよな。「恋の汽車ポッポ」も、最初タイトルだけ見たら四畳半フォークかと思ったし。

3. 指切り 
 当時19歳の吉田美奈子がフルート、リズム・セクションがはっぴいえんど2名という、いま思えば豪華な顔ぶれのセッションでレコーディングされた、ミステリアスな味わいの曲。主にオールディーズを範とする大滝の中では異端に属する曲で、起承転結感の薄いメロディ・コードの浮遊感は、風化しない構造を持っている。
 そんなわけで田島貴男を含めカバーしているアーティストも多いのだけど、大滝いわく「アル・グリーンっぽくやりたかった」というビジョンに最も近づいていたのが、シュガーベイブ=山下達郎のテイクだったんじゃないかと。当時は未発表だったけど、のちに『Songs』リマスターのボーナス・トラックとして収録されている。

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4. びんぼう
 いま思えばかなりディープなジャパニーズ・ファンク。ディスコやダンス・ビートとは逆のベクトルの、ほぼ骨格だけのスケルトンなファンク。アッパーなスライか、はたまた四畳半で生まれた岡村靖幸か。
 ほぼ40年前、北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺が背伸びして買った『大瀧詠一』のなかで、もっとも食いついたのが、このトラックだった。正直、1~3曲目までは何か眠たくて魅力を感じなかったけど、この疾走感だけの四畳半ファンクは何度も聴いた。「びんぼっ!」って言いたかっただけだけど。



5. 五月雨 
 何かギクシャクしたドラムだよな「イーハトヴ・田五三九」、って思ってら、大滝の別名だった。どうりでリズムがもたついてるな、って印象だけど、トータルでは全然優秀なジャパニーズ・ファンク。繰り返すようだけど、スライ『暴動』もリズム・ボックス主体の雑な造りだけど、あれがその後のファンクのマイルストーンになったことを思えば、この異様さこそがファンクなのだろうか。日本では異端すぎて、しかも大滝もそれ以上追及しなかったものだから、結局根付かなかったけど。
 「さみだれ」という純日本的な言葉をリズムに乗せてしまえるほどの先進性、拙いリズム・ワークで異空間ファンクを召喚してしまった当時の力量は、もっと評価されてもいいんじゃないだろうか。ちなみにシングル・ヴァージョンも存在するのだけど、あっちは「ちゃんとやろう」感が漂ってて、ファンクっぽさにチョット無理がある。ていうか、最初に聴いたのがアルバム・ヴァージョンだったから、そのせいもあるのかな。

6. ウララカ 
 フィル・スペクター=クリスタルズの「Da-doo Ron-Ron」をリスペクト、っていうかほぼそのまんまで日本語詞を乗せた、お気楽極楽なポップ・チューン。のちに『Debut』でリメイクしているくらい、本人的にもお気に入りだったと思われる。
 
7. あつさのせい
 当時のウェスト・コースト・ロックをかなり忠実に表現した、「ロック」な大滝のヴォーカルが聴ける貴重なナンバー。特に『Niagara Moon』以降はまじめに歌おうとせず、晩年のプレスリー・カバーも「ロックンロール」テイストなので、粗削りな先走り感を求めるのなら、このアルバムまでなんじゃないかと。

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8. 朝寝坊 
 ジャズ・コンボをバックに、優雅なヴォーカルを披露する大滝。ていうか、既にここでクルーナー・ヴォイスの完成形となっている。若さゆえの色気もあって、このスタイルを活かす路線もあったのか、と今頃になって気づいた。
 中学生の頃はこの歌、眠くて聴き流してたもんな。年を経てから気づくっていうのは、こういうことなのか。

9. 水彩画の町 
 大滝自身のヴォーカルとギター以外はコンガとコーラスのみという、あまり見られない「ほぼ」弾き語りのナンバー。ストローク・プレイはいいんだけど、メロディ・パートになるとなんか危なっかしくて、聴いてるこっちがドキドキする。まぁデビュー作だし、その拙さが当時は評価されたのだろう。でも、これでやり切った感があったのか、その後の大滝はほぼヴォーカル専業となり、プレイヤーとしての側面は薄くなってゆく。

10. 乱れ髪 
 かなり練られたドラマティックなオーケストラによるイントロが印象的なバラードであり、これもその後、カバー曲として人気が高いのだけど、ここで最も注目するべきなのは、大滝のヴォーカル・パフォーマンス。多分、キャリアの中でも1,2を争うクオリティの高さ。何回か歌った末、ファースト・テイクが採用された、とのことだけど、まぁうまい。
 2分ちょっとの小品だけど、その濃密さは下手なアルバムの1枚分を軽く上回る。

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11. 恋の汽車ポッポ第二部 
 2.で四畳半フォークっぽいタイトルって書いたけど、実際聴いてみると、やたらテンション高いサザン・ロックのハードな日本的解釈。鈴木茂のギター・プレイが大きくフィーチャーされており、変にかしこまってない荒さが心地よい。
 しつこいようだけど、もっとスカしてても良かったから、タイトルどうにかしてほしかった。

12. いかすぜ! この恋
 多分、俺だけじゃないだろうけど、スピーカーが壊れちゃったんじゃないかと勘違いしてしまった、左チャンネルだけのモノラル・ヴァージョン。当時はすでにディナー歌手っぽくなっていたプレスリーへのリスペクトをあらわにするのは、ロック界隈ではなかなか異端だったんじゃないか、と。尾藤イサオあたりならまだしも、排他的だった日本のロック界で「プレスリーが好き」って言い切るのは、なかなかの冒険であり、それもあって少々の気恥ずかしさもあって、こんな聴きづらいミックスにしたのかね。
 のちの1995年版でステレオ・ヴァージョンが公開されたのだけど、普通にカッコいい仕上がり。しかしこの音源、キングではなく大滝の個人所有のものであり、現行CDには未収録。50周年エディションでは収録されるのかな。