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 3/21にサブスク解禁されて、例年以上の盛り上がりを見せているナイアガラ界隈、手軽に聴けるようになったことで、しばらく離れていたファンもわらわら集まっていると思われる。ここ最近まで、俺もプレイリスト無限ループしていた。
 で、どのメディアでも「全楽曲配信」と謳っているのが、ちょっと引っかかる。熱狂的原理主義者「ナイアガラ―」からすれば「それはちょっと誇大表記なんじゃないの?」って思っている者も、少なくないんじゃないかと思われる。ナイアガラーじゃないけど、俺もそう思ってるし。
 リマスター再発時のボーナス・トラックやヴァージョン違いまで網羅するのは、さすがにマニアックすぎるし、「そこ突っ込むんだったらCD買えよ」で済むからまぁいいとして、でもなんで『Niagara Triangle Vol. 1』は入ってないの?多分、達郎がらみとは思うけど、でも2013年にiTunesやmo-raではダウンロード配信が開始されており、その辺の権利関係はクリアされていると思ってたんだけど。期間限定だったのかな。
 『Niagara Triangle Vol. 2』に至っては、佐野元春も杉真理も個々に配信済みなので、なんでこのタイミングで配信しないのか、ちょっとわけがわかんない。当時シングル・ヒットした「A面で恋をして」単体だけでも、入れてよかったんじゃないかと。
 『Best Always』。いわば追悼盤として急遽編纂されたベストなので、微妙な立ち位置のアルバムではあるけれど、入門編としてはベターな選曲だったので、残しといてもよかったんじゃないか、と。それとも今後は、ソニー時代にフォーカスした『B-each Time L-ong』が公式ベストって見解なのかな、ナイアガラ的には。
 一連の『CMスペシャル』音源は、三ツ矢サイダー以外のスポンサー許諾関連だろうな。何しろ多岐に渡るから。
 シュガーベイブ『Songs』は、達郎がそのうちなんとかすると思われるので、割愛。シリア・ポール『夢で逢えたら』は、今回のサブスクの反響待ちかな。
 いまのご時勢なら、『Let’s Ondo Again』もモンド的な観点で、カルトな支持を集めそうなんだけど。まぁ「河原の石川五右衛門」だけはムリだよな。でも『多羅尾伴内楽団』、あれは今後もパスだな。アレこそ、あってもなくても、ディープなナイアガラー以外、誰も困らない。
 インストだと、『ソングブック』関連は「井上鑑ワークス」って観点でアリなんじゃないかと。ただ『Sing a Long Vacation』、今回の『ロンバケVOX』で無修正モノが発掘されたので、もうコレクターズ・アイテム化ってことでお役御免。
 「世界初」のプロモーション・オンリーCD『Snow Time』、唯一の新録ヴォーカル・トラック「夏のリヴィエラ」が『Singles & More』・『Debut Again』にサルベージされちゃったので、他のインスト・パートは…、まぁ需要ねぇか、ナイアガラー以外は。
 -と、徒然なるままに書き連ねてしまったけど、ここら辺の配信は、来たる3年後の『Each Time Vox』まで待つことになるのかな。出るかどうかは知らんけど。


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 筋金入りのナイアガラーとまではいかないけど、『Each Time』をリアルタイムで買った俺のように、年季の入ったファンなら、いま羅列したアルバムのほとんどは持っているんじゃないかと思われる。手元にはないけど、PCに取り込んで手軽に聴く環境にあるユーザーは、それなりにいるんじゃないかと。
 なので今回のサブスク配信、俺のような古参ファンやディープなナイアガラーはお呼びではない。若い世代のライト・ユーザーを取り込んで、ファン層の裾野を広げることが目的と思われるラインナップなので、そんなマニアックな音源は必要ないのだ。
 ここ数ヶ月は、主に「Rolling Stone」の企画や80年代歌謡曲を追っていることが多く、ナイアガラ関連はほぼご無沙汰だった。今回、久しぶりにまとめて集中的に連続ループで聴いてみて、改めて気づかされた。
 -俺にとって大滝詠一とは、人生の何%かを占める大きな存在である。当時、北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺は、彼の書く旋律と歌声、そして軽妙なトークに魅了されたのだった。山下達郎や高田文夫くらいしかわからない冗談やギャグも、当時は必死に理解しようと努力したのだった。
 カナリア諸島もディンギーもシベリア鉄道もペチコートも、実生活では見たことも聞いたこともなかったけど、そのキラキラしたフィクショナブルな世界観は、俺を含め、80年代に青春を生きた多くの若者を魅了したのだった。ペパーミントな風ってなんだ?そんなヤボなことは思いもしなかった10代の夏。
 悪く言っちゃえば、アーバンでトレンディな軽薄短小バブル世代ど真ん中なんだけど、でもオシャレっぽいカタカナに弱いんだよな、俺世代って。あと夜露死苦みたいなヤンキー四文字熟語と。

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 新春放談の1回目から「これで終わり」「これが最後だから」と、後ろ向きな発言ばかり繰り返していた大滝詠一。年一の放談はその後四半世紀続いたけど、どの年もお約束とばかり、その常套句でやり過ごしている。
 細々かつ着実に、ロングテールで売れ続けるコンテンツ『ロンバケ』を原盤管理していたため、あくせく働く必要がなかったこと、そもそもアーティスト活動にそんなに執着がなかったことが、理由として挙げられる。ソニー移籍以降のライブは片手で数えられるほどだし、「テレビには絶対出ない」と断言するくらい、とにかく徹底した裏方志向を貫いた。ヒット実績を作ったことで意見できる者がいなくなり、その偏屈度はさらに増してゆくことになる。
 周囲は「復活」って騒いでたけど、本人いわく「復活」なんて一言も言ってないシングル「幸せな結末」が出るまで、彼の動向を知る術は、新春放談か萩原健太のラジオくらいしかなかった。何か話題があってもなくても、取り敢えずここで生存確認することで、ファンは胸を撫で下ろし、年明けながら一年の計とするのだった。
 多分に、大々的に引退宣言するのではなく、ひっそり忘れられるように業界からフェードアウトするのが、彼の美学だったと思われるのだけど、また新春放談、曲かからなくても面白かったんだよな。好評だったこともあって、大滝も悪い気しなかったから、それから延々四半世紀出演し続けちゃったわけで。
 で、あらゆる必然と偶然とが絡み合ったピタゴラスイッチ的な成り行きによって、「幸せな結末」は制作された。長らくレコーディングの現場から離れていたこともあって、事前にリハビリ的なセッションが繰り返され、ドラマ開始にほんと滑り込みで完パケに至った。
 テレビで初めて「幸せな結末」を聴いた俺の印象は、正直、肩透かしのものだった。当時は「新曲!」というだけで狂喜乱舞したものだったけど、少し経って冷静になって聴いてみると、TKサウンド全盛の90年代において、あのもったりしたサウンド・プロダクションは、かなりショボかった。
 初回スタート直前の番宣でも、使われるのは「君は天然色」や「恋するカレン」ばかりで、新曲が公開されたのは、かなりギリギリのタイミングだった、と記憶している。多分、御大のことだから、最後の最後までマスタリングで粘ったり、ミックスにこだわったりしているのだろう、と勝手に思っていた。大方のファンも同じよう思っていたことだろう。
 なので、「初回の音源は多分、ラフ・ミックスなのだろう」と、当時の俺は勝手に分析していた。多分、スタジオ・ワークがこじれにこじれたため、納期を優先して体裁だけ整えたのだろう、と。
 ドラマ終了までまだ10週もあるのだから、多分、この間にヴォーカル・ダビングやアレンジももっと厚くして、最終回くらいにはファイナル・ミックスが仕上がり、それが商品化されるのだろう―。そんなことを、同じくナイアガラ好きだった当時の女友達に対し、拳を握りしめて熱弁していたのだった。あぁ、俺のバカ。
 結局、最終回までその仕様は変わらず、CDにおいても、そのアンサンブルの中途半端さ・ヴォーカルの芯の細さは改善されていなかった。技術的な問題ではなく、サウンド・メイキングへのこだわりが、そしてノウハウが失われていた事実を刻んだ、残酷な記録である。

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 どれだけ卓越した技術や素養であっても、長いブランクを取り戻すには、相応の時間と根気を要する。「幸せな結末」の場合、そのどちらも足りなかったわけで。
 そのリハビリ・セッション期の音源が、『Debut Again』のボーナス・ディスクに収録されている。初回限定だったので、今回のサブスクには入ってない。多分、今後もする気ないのかね。
 まぁ本人が、リハビリって言い切っちゃってるし、それにヴォーカル同録だったこともあって、正規リリースほどの作り込みはない。ヴォーカル・パートの一音一音を切り貼りするほどこだわり抜いた『Each Time』レコーディングとは対極の一発録りだけど、それを差し引いても、声量の弱さは隠しきれない。
 ここから徐々に調子を取り戻しつつ、最終的には再度、松本隆とタッグを組んで、という心づもりがあったのかもしれないけど、まぁ結局叶わなかった。当時の50前後という年齢ゆえ、囁かれていた健康上の不安か、はたまたミドル・クライシスにぶち当たっちゃったか。
 ヴォーカルが本調子でないという点で言えば、この『NIAGARA CONCERT '83』も同様なんだけど、まだアーティストとしては現役だったこともあって、声の伸びは後年の比ではない。経験の少ないライブ、しかも野外球場、さらにサザンやラッツ&スターと共演のイベントゆえ、大滝目当ての客はおそらく3割、いや多く見積もっても2割強、っていったところか。条件としては、かなり不利だ。
 音響もPAも決して万全とは言えない状況の中、俺が言うのもなんだけど、よくやった方だと思う。可能な限り、レコーディング音源とシンクロさせようと、当初は手探りでありながら、後半に近づくにつれて声も張り、違和感が少なくなってゆくのも、アーティストとしてヴォーカリストとしてピークだった証だろう。
 ファンの間では、昔からわりと有名な音源であり、これまでもYouTubeや怪しげな海外サイトによって、非公式で流通してはいた。いたのだけれど、元のソースがAMラジオ音源のため、ステレオ感もなく聴きづらかった。俺も聴いたことがある。大っぴらには言えないけど。
 なので、コアなナイアガラー向けの歴史資料的なアイテムのため、ビギナーに進めるものではない。今回のサブスクに入ってたのが、むしろ不思議である。多分、初ナイアガラでこれを聴いて「ファンになりました」って人って、まずいなさそうだし。
 とはいえ、俺のように「特典DVD目当てでCD買いました」というファンでも、そこまでリピートして聴いてる人がどれだけいたんだろうか。要は歴史資料なので、レアなグッズとして消費され、2~3回聴いた程度で棚にしまいっ放し、ってケースが案外多いんじゃないかと思われる。
 今回の『ロンバケVOX』だって、入手したことで満足しちゃって、ちゃんと聴き通してないケースも多々あるんじゃないか、と。そう、どっちも俺のことだ。
 なので、極端なオーオタじゃない俺にとって、今回のサブスク解禁は歓迎すべき出来事であり、この『NIAGARA CONCERT '83』も、CD購入した時より再生回数が明らかに多い、という事実。でも、5曲目までは飛ばしちゃうけどね。





1. 夢で逢えたら (Niagara Fall of Sound Orchestral)
2. Summer Breeze (Niagara Fall of Sound Orchestral)
3. Water Color (Niagara Fall of Sound Orchestral)
4. 青空のように (Niagara Fall of Sound Orchestral)
5. カナリア諸島にて (Niagara Fall of Sound Orchestral)
 本文でも書いたけど、イージー・リスニング的なストリングス・パート。新日フィル総勢40名による、本格的なアンサンブルは、ラッツやサザン目当てで来た観衆にとっては、いわばコーヒー・ブレイク的な感覚でしかなかっただろう。
 当時、14歳だった俺がこの会場に居合わせたとしても、多分、まともに聴こうとはしなかっただろうし。よほどディープなラッツのファンが、かつてナイアガラ繋がりだったという事実を知っていたら、もしかして耳を澄ませていたかもしれないけど…、ねぇな、そんなの。
 ただ、野外球場という条件下において、この録音の良さ、またアンサンブルの揃い具合は、特筆に値するんじゃないかと思われる。それだけオーケストラのポテンシャルが高かったという証だし、また、主催スポンサーのひとつだったニッポン放送の録音技術も相当高かったんじゃないか、と。
 当時、多くの観客にとっては心地よいBGM程度の認知しかなかったと思われるけど、こういった実績を残すことができたのは、新日フィル・ニッポン放送にとっても財産だったんじゃないか、と、今にして思う。それまでの技術の蓄積だったのか、それとも今後の分水嶺になったのか、双方からの証言をぜひ聴いてみたいところ。

6. オリーブの午后
 長い長い前振りが終わり、やっと大滝の登場。スネークマン・ショーでバカ売れした当時、猫も杓子も小林克也のDJを使うことがトレンドだった。達郎も使ってたしね。
 多分、客入れ前にリハーサルはやってるんだろうけど、ライブ自体久しぶりだし野外初めてだし、しかも観客入ると音の響きや返りも違ってくるしで、三重苦のプレッシャーからか、出だしはちょっとヘロヘロ。ピッチもちょっと不安定だけど、充分じゃないだろうか。

7. ♡じかけのオレンジ
 初っぱなで高いキーの曲を選んだのはウォーミング・アップだったのか、こっちの方が本来のキーには合っている。ストリングスは一旦お休みで、ここから『Each Time』レコーディング・メンバーによる演奏。
 百戦錬磨のミュージシャンだけに、ライブでもスタジオでもお手の物だろうけど、ここでもやはりエンジンをかけるのに苦労している感。まぁグルーヴするような楽曲でもなければ、そんなスタイルでもないし。

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8. 白い港
 第1期ナイアガラ時代なら、適当なリズム・タイプの楽曲でスタート・ダッシュをかけるところだけど、時代が変わればニーズも変わり、ここでは徹底的な二の線、歌い上げるクルーナー・タイプの楽曲・スタイルで通している。ここでいきなり「三文ソング」なんて歌っても、新日フィルが困っちゃいそうだし。
 ちなみに1983年7月24日に開催されたこのライブ、時期的に大滝は『Each Time』レコーディングの真っ最中だった。本来はこのライブで新曲を初お披露目、7月28日にリリースという計画だったのだけど、ライブ出演受諾後にリリース延期が決定、レコーディングの合間を縫っての参加となっている。
 なので、この時点でのレイテスト・アルバムが『Niagara Triangle Vol. 2』であり、そんな事情もあって、ここからの楽曲が多かったのか。まぁソニー的にも、最新アルバムに力入れるよな。ていうか、こういう形のプロモーションって、多分、最初で最後だろうって覚悟してただろうし。

9. 雨のウエンズデイ
 オリジナルのアレンジがシンプルだったこともあって、この曲がスタジオ・テイクと比べて一番近いんじゃないかと思われる。ナイーブな大滝のヴォーカルも程よい「濡れ」感を漂わせ、アンサンブルもしっかりまとまっている。ギターのソロ・フレーズはほぼ完コピ、ピアノの音がちょっと小さいけど、世界観を大事に保っている。
 二番に入ってからのヴォーカルは、会心の出来だったんじゃないか、というのが俺の私見。全般的にウェットな『Each Time』テイストが、ここではうまく作用している。

10. 探偵物語
 『Debut Again』がリリースされるまでは、この音源でしか聴けなかったレア・トラックのひとつ。『Each Time』レコーディングの合間を縫って制作された、ご存じ薬師丸ひろ子提供作のセルフ・カバー。
 映画タイアップだった事情もあって、ダサいタイトルはまぁ仕方ないとして、10代の程よい切なさと無常観を繊細に表現した松本隆の言葉は、俺的にここが頂点だったと思っている。彼の最高傑作である松田聖子をも凌駕する、ひろ子の透明感に触発され、この時期の「薬師丸ひろ子=角川映画=松本隆」のトライアングルは、濃密な詩情と刹那な憂いを見事に描き切っている。
 この三角地帯の時空の中では、大滝すら狂言回しの役割でしかない。

11. すこしだけやさしく
 その「探偵物語」のB面、またセルフ・カバー。本来、こっちをA面にする予定だった、というのはわりと知られた話。
 大滝の声質としては、こっちの方が本来のキーに近く、「濡れ」感のあるオールディーズ・ポップスをサラッと歌い上げている。でも、「探偵物語」とは違って、もろティーンエイジャーの女の子を想定して書かれた歌詞なので、ちょっとキモい。じゃなくてエモい。

12. 夏のリビエラ
 長いことUMA扱いされていたプロモーション・オンリーCD『Snow Time』に初収録、その後、1995年に一般発売されるまで聴くことができなかった、こちらもレア・トラック。もちろん森進一「冬のリヴィエラ」のセルフ・カバー。
 『Each Time』楽曲が確定していなかったこと、またラッツやサザンのファンにもアピールできるよう、わかりやすいヒット曲のセルフ・カバーという策だったのだろうけど、声を張りやすい楽曲なので、いい方向に作用している。なんで英語にしたのか、ていうかオリジナル日本語歌詞のヴァージョンは残っていないのか、など興味は尽きないけど、多分あるかもね。『Each Time Vox』待ちかね、そのあたりも。

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13. 恋するカレン
 演奏のキーはやや低めだけど、大滝のヴォーカルはオリジナルの通り。ちょうど喉もこなれてきたのか、結構高い音もがんばっている。ていうか、スタジオと同じキー、同じピッチで歌えるなんて、しかも決して良いとは言えないこの条件で、すごいな大滝詠一。やればできるじゃん。
 分厚いアンサンブルと凝りに凝ったオーバー・ダビングを重ねたスタジオ・テイクと比べ、ライブでの再現は限界があるのだけれど、そこをカバーするのが新日フィル。ポップス演奏はそんなに経験がないはずだけど、ここでの成功体験は、彼らにとっても自信につながったのでは。

14. FUN×4
 リズムは大きく変えてないけど、ライブ仕様で大胆なアレンジを施したイントロ。コーラスのシンガーズ・スリーがここに来て前に出てきて、大滝のヴォーカルを喰っちゃうくらい。そりゃ3:1だもの、しかも麗しき女性。勝てるわけねぇや。ていうか、紳士的に譲ったのかね。
 多分、ここで観客に手拍子を促しているのだろうけど、コール&レスポンスなんてやったのかな。手くらいは振ってるかもしれないけど。ライブ・ヴァージョンっぽく観客の拍手が収録されているのだけど、掛け声とか奇声とかは収録されていない。そんな雰囲気の楽曲でもないんだけど、その辺が80年代だな、みんな行儀がいい。

15. Cider ’83~君は天然色
 ここもライブっぽく、「サマータイム・ブルース」のイントロから入っている。ここがライブのクライマックスだ。「Cider」はほんのサワリ程度で、すぐに「君天」に突入。まぁオリジナルが30秒程度なので、これでもほぼフル・コーラスか。
 大滝のヴォーカル・パフォーマンスが、ここでピークに達している。いやスタジオ・テイクそのまんまなんだもの。そりゃ何回もできるはずもなく、本人的には「これが最後」と思って挑んだパフォーマンスなんだろうけど、これがソロ最後の曲だった、っていうのは惜しいよな。



16. 夢で逢えたら、もう一度 (Niagara Fall of Sound Orchestral)
 思っていたより良かったのか、大盛況の中で「今日はどうもありがとうございました」と、ボソッと呟いてステージを去る大滝。多分、照れくさかったんだろうけど、ご満悦だったんじゃないかと思われる。
 今のようにアリーナまで観客を入れることはなく、距離が遠かったことも、あまり緊張せず歌うことができたんじゃないか、と思う。ソロのホール・コンサートじゃなくて、いまみたいに野外フェスが一般的だったら、もっと気軽にライブのオファーも受けたんじゃないか、と。