中島みゆきはこれまで6枚のライブ・アルバムをリリースしているのだけど、その多くは2000年代以降にリリースされたものである。その2000年代までは、年に一度のアルバム制作と夜会を併行し続けていたのだけど、2010年代に入ってからは、活動ペースが次第に落ちてゆく。
夜会も1年ごととなり、これまで別枠と捉えられていた夜会楽曲が、オリジナル・アルバムに収録されることも多くなった。ヤマハのリリース・スケジュールとみゆきの創作ペースが噛み合わなくなった事情もあるのか、近年はライブ・アルバムが短い感覚でリリースされている。
ただ普通に考えれば、みゆきの年代であれだけ旺盛な創作意欲を維持し続けていたことは、むしろ賞賛に値する。ヤマハの看板アーティストとして、また経営陣の一人として、毎年何かしらのアイテム・リリースが必要という判断のもと、例えば今年はベスト・アルバム『ここにいるよ』が控えていたりする。
今世紀に入ってからベスト4枚・ライブ5枚か。オリジナルが平均2年で1枚ペースだから、みゆきクラスのアーティストとしては、かなりのハイペースだ。
で、80年代は30代、90年代は40代だったみゆき。シングルのコンピレーションはリリースしているけど、いわゆるベスト・アルバムの類は一切リリースしていない。ポニー・キャニオン企画による、グレー・ゾーンのカセット企画なんかは時々出ていたけど、あれだって本人が監修していたとは思えないし、大人の事情によるところが多分大きい。
かなり初期の段階から、みゆきは「レコーディング作品とライブ・パフォーマンスとは別物」という意識があったらしく、ギター弾き語りの時代から、レコーディングしていない未発表曲を歌ったり、また既発表曲も違うアレンジを試したりしている。ただ、ライブはあくまで一過性のものというポリシーのもと、それをわざわざ録音して発表するという考えには至らなかった。
もしかしてサウンド・チェック用など、音質は問わない「記録として」のカセット音源くらいは残っているのかもしれないけど、それが公開される見込みは、多分なさそうである。映像ソフト未発売の夜会も記録映像は残っているらしいけど、多分これも無理。そんなのいっぱいあるんだろうな、ヤマハの倉庫に。
80年代以降はほとんどテレビに出ることもなかったため、みゆきの動く姿を拝むことは、至難の技だった。時々、貴重映像としてオンエアされる「コッキーポップ」や「ミュージック・フェア」出演も、ほとんどは70年代のものであり、80年代の映像素材はほぼ皆無と言っていい。この前の「ミュージック・フェア」の「ホームにて」は、初見だったので、ちょっと驚いたけどね。
この当時、唯一、たった1曲だけど、甲斐バンドの解散ライブに客演した映像が発表され、俺を含め年季の入ったみゆきファンは狂喜乱舞した。
1986年の解散プロジェクトのドキュメント映画『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』にて、みゆきは「今夜の最高のクイーン」と甲斐自身のアナウンスを受け、クリスタルのエレキ・ギターを抱えて舞台に登場する。1986年といえば『36.5℃』制作期、プロデューサー:甲斐よしひろの指名を受けてのゲスト出演だった。そこでデュエットで歌われた「港からやってきた女」は、双方のファンにとって、歴史に残る名演として記憶されている。
当時の甲斐バンドといえば、マッチョな肉体性を伴うボトムの太いサウンドと、ハードボイルドな大人の男性を描いた詩情、そして、魅惑と激情のフェロモンを放つヴォーカリスト:甲斐のカリスマ性、それらのすべてが有機的にシンクロして、唯一無二のポジションを築いていた。個人的に甲斐バンドのファンだったこともあって、第三者からすればちょっと盛り過ぎかもしれないけど、まぁほぼこの通りなので、「いいからNY3部作聴いてみろよ」としか言いようがない。
熱狂的なファンが多い彼らの最後のライブという状況で、交流があることは広く知られてはいたけど、いわゆるアウェイの中、みゆきは堂々とした歌いっぷりを見せている。
活動末期になってからのファンだった俺にとって、「港からやってきた女」のオリジナルといえば、このテイクである。なので、後追いでオリジナルのステジオ・テイクを聴いたのだけど、正直、音もショボくて引き込まれることはなかった。
この曲はその後も、ソロや再結成・再々結成・再々々結成時にも演奏されているのだけど、どれもみゆきとのテイクには及ばない。最初っからあのインパクトを受けちゃうと、どれも当たりは弱く感じてしまう。そう思ってしまうのは、多分俺だけじゃないはずだ。
90年代は夜会が本格的に始動し、併せて映像ソフトも発売されるようになった。そんなわけで、これ以降は不定期ながら、北は北海道から南は沖縄まで、そうそう家を空けることができないファンも、自宅で鑑賞できる環境が整った。
40代という働き盛りだったこともあって、90年代以降はドラマのカメオ出演やCM出演など、さらに気軽にお茶の間でも触れる機会が増えている。オールナイトかコンサート以外では、現状を知り得なかった80年代と比べれば、かなり恵まれた環境だ。シングルのタイアップも多くなって、知名度やセールスの爆上げにも、それらは大きく貢献した。
21世紀になってからは、夜会やコンサートの開催ペースがややゆったりとなったため、人前に出ることは徐々に減っていったけど、前述したように、ライブ作品のリリースが増えていった。夜会で歌うみゆきもまぁいいけど、俺のように、ちゃんとバック・バンドを従えたライブのみゆきを見たい/聴きたいファンにとって、ほんといい時代になった。今後、状況が整ってくれば、オンライン・ライブ開催でスマホで視聴も、もしかして現実になるかもしれない。
ただ、80年代ご乱心期からずっと聴いている、俺のような年季の入ったファンがほんとに求めているのは、リアルタイムで聴き始めた頃の音源なのだ。近年のライブ作品でも、この時期の楽曲は必ずレパートリーに入っており、演奏レベルもみゆきのパフォーマンスも円熟の域に達している。いるのだけれど、でも。
いまのメンバーには申し訳ないんだけど、でもそうじゃないんだよな。古いファンのめんどくさい要望としては、まだ未完成で模索している過程の時期の音源を聴きたいのだ。
街から街へ、ギター1本抱えて訥々と弾き語ったデビュー時から、バック・バンドがつくようになってから音数も増え、次第にアンサンブルやバンド・アレンジに関心が向くようになった、その成長過程。ファンの間では、やはりこの80年代のライブ音源が聴きたいという意見が多い。
たまにファン有志による隠し撮り音源がYouTubeにアップされており、俺も時々チェックしたりするのだけど、まぁ限りなくグレーに近いブツのため、再度聴こうと思っても、削除済になっていることが多い。ヤマハの著作権・肖像権管理は、ジャニーズ並みに厳しいのだ。
今だから言ってしまうけど、87年の札幌公演に友人と行った際、俺もウォークマンで隠し録りを試したことがある。北海道の中途半端な田舎の高校生が初めて行ったコンサートで、荷物チェックにめちゃめちゃビビり、足首に縛ってズボンの中に隠して入場した。
今は亡き厚生年金会館大ホールの2階席から、はるか遠くに見える生みゆきの姿に興奮しつつ、周囲の大人の目線にビビりながら、シャツの下にウォークマンを忍ばせたのだった。いま思えばビビり過ぎだってば。
当時の大ホールでのライブ・スタイルは、あまりスタンディングという文化がなく、ラスト近くまでほぼ座りっぱなしだったことが、うっすら記憶に残っている。『36.5℃』と『中島みゆき』の間に行なわれたツアーだったため、ロック・テイストの強いアレンジだったはずなのだけど、ほぼ総立ちになるシーンはなかった。
初ライブ参加というバイアスを抜きにして、パフォーマンス自体は盛り上がっていたと思うのだけど、観衆の反応はほぼ手拍子ばかりで、温度差があるように思えた。フォーク/ニュー・ミュージック時代のファンが多く、舞台上のテンションと溝があったのかね、というのが、後で思った印象。
何の曲かはド忘れしたけど、終盤の盛り上がるシーンで、テンション爆上げとなっていた俺と友人は立ち上がったのだけど、周囲の大人は不動の姿勢で手拍子を崩さなかった。なんでそんな冷静なんだよ、あんたら。
終演となり、テンションが治まらなかった俺たち2人は、肩を組んでみゆきの歌を大声で歌いながら、大通公園を歩き、札幌駅まで向かったのだった。こうやって書いてると、すげぇこっ恥ずかしい過去だな。まぁ絵に書いたような青春だ。
帰りの電車の中、あの感動をもう一度といった想いで、録音したばかりのテープを巻き戻し、ヘッドフォンを2人で分けて再生してみた。オチは想像ついたと思うけど、服の擦れや手拍子でかき消され、まるで聴けたものではなかった。
激しいロック・ナンバーはどうにか雰囲気は掴めるけど、音は割れまくってるし、興奮した俺たちの話し声の方がよく聴こえる始末。2度と聴き返す気にはなれず、俺たちは記憶の中のみゆきについて、到着まで語り合ったのだった。
ちなみにこの日、俺の高校は1学期の終業式だった。適当な理由で休みは申請していたのだけど、ひょんなことからサボりがバレてしまい、担任からめちゃめちゃ怒られたことが、最後のオチとなる。
うん、絵に描いたような青春だな。
で、この半年前にリリースされたのが、初のライブ・アルバム『歌暦』。俺が聴いた生みゆきと時期が近い音源なので、声質はほぼ変わらなかったはずである。
ただ俺が参戦したツアー「SUPPIN Vol.1」とは違い、ここに収録された「歌暦Page86 -恋歌-」は、通常ツアーとは趣向を違えたスペシャル・コンサートであるため、選曲やアレンジを違えている。アルバムごとにプロデューサーを替えプレイヤーも替え、様々なアプローチを試していた時代なので、昔の曲でも全然違うアレンジになっていることも、多々あったらしい。
で、何で今回、『歌暦』について書こうと思ったのかといえば、最近、ブックオフで入手したこの本がきっかけだった。
もうずいぶん前に廃刊となったフォーク/ニュー・ミュージックのアーティストをフィーチャーしていた音楽雑誌『GB』のみゆき記事を再構成した本で、80年からのインタビューやレビューが極力、当時の空気感を損なわぬ形で収録されている。正直、序盤のこすぎじゅんいちによるインタビューは、半分雑談なのでつまらんし、夜会中心の話題となる90年代もそんなに興味はないのだけど、80年代の記事やインタビューは、まだ充分に検証されていない当時のライブ・レポートがあったりして、コアなマニアとしては興味深い。
1984年の秋ツアー『月光の宴』では、シティ・ポップにリ・アレンジされた「小石のように」が歌われている。ジャズ・コンボ編成で歌われる「ミルク32」なんかは、夜会でも同様のアプローチがあったし、最近でも満島ひかりが同スタイルでカバーしてたよな。特筆しておきたいのが、リズムが立ったロック・アレンジの「波の上」。う〜ん、どんな感じだ?想像つかねぇや。85年ツアー『のぅさんきゅう』では、自らアコギをかき鳴らして歌われる「世情」。いやぁー、聴きてぇっ。
取り敢えず、俺的に気になった箇所だけの抜粋だけど、多分、ここに書かれている以外のアプローチも、いろいろ試されていたと思われるのだ、この時期は。特に『歌暦Page86 -恋歌』のような、アルバム・プロモーションの絡まないコンサートの特別感演出として、未発表曲やリ・アレンジを試したりなんかして。
近年はみゆきに限らず、どのライブ・セットもパッケージ化が進んでおり、プログラミング機材の都合もあって、突発的なアレンジや曲目の変更は難しくなっている。それは時代の流れで致し方ないことなのだけど、アナログ機材が主体だった80年代は、突発的・衝動的な思いつきをすぐ試すことができ、またそれが受け入れられた幸福な時代だったのだ。
なので、このCDに収められている曲たちも、またかりそめの姿でしかないのだ。90年代以降の作品やリ・アレンジは、きちんと記録に残され、そして発表されているため、ファンの間でも体験の共有が可能である。
でも、80年代の活動の詳細は、オフィシャルなディスコグラフィー以外は、このようなメディアのアーカイヴでしか知りようがないのが現状である。ていうか、この本だって絶版扱いだし、
ちょっと大げさな話だけど、今後のみゆき作品の総括を本気で行なってゆくのなら、アーカイヴの整理と検証、そして公開は必須である。もちろん、みゆきの意向が最優先なのだけど、それに対してヤマハがどれだけ本気で取り組んでくれるのかが、今後にかかっている。
今後もずっと「糸」と「ファイト!」で食いつないでゆくのか、それとも得難い文化遺産としての位置づけをしっかり行なってゆくのか。資料は散逸されてゆくし、当時を知る関係者も徐々に少なくなってゆくので、うかうかしてはいられない。
1. 片想'86
ジャケットに描かれているように、冒頭、赤襦袢の出で立ちでステージに立った裸足のみゆき。
「今年のあたしは、こんな年でした」。そんな言葉の後に歌われたのが、これ。
初出は1979年のアルバム『親愛なる者へ』のB面1曲目。ギター弾き語りによるオープニングから、徐々にアンサンブルが加わってフォーク・ロックになってゆく。
7年前はもっと自分に言い聞かせるように、弱っていた心を隠せていなかったみゆきだけど、ここでは力強く、それでいながら丁寧に、ほどほどの距離感を取って歌い上げている。
2. 狼になりたい
前曲のアウトロに続いて、歌われるのはキラー・チューン。最近もマツコ・デラックスが推していたこともあって、多分、今後も地道な支持を受け続けるのだろう。「糸」や「ファイト!」と違って、あまり前向きじゃないテーマの楽曲として、そのポジションは不動だ。
オリジナルは弾き語りパートに突然挿入される、力強いギターのフレーズとのコントラストが印象的だったのだけど、ここではほぼ全面豪快なバンド・アンサンブルで構成されている。その音圧に負けないみゆきのヴォーカルのパワーもまた、特筆されるところ。近年のように張り上げない声でありながら、エンジニアの尽力もあって、クリアな音質。ある意味、パワー面でのステージ・パフォーマンスはこの時がピークだったという意見もある。
この時期の歌詞全般に言えることだけど、比喩・暗喩にしてもそんなに親切ではない。「空と君のあいだに」が飼い犬の視点で書かれた、というエピソードは有名だし、確かにそう思えばそんな解釈になる。わかりやすくていいのだけど、じゃあわかりやすいだけでいいのか?と思ってしまうのが、年期の入ったみゆきファンなのだ。
「狼」が何を象徴しているのか、様々な解釈が存在する。マツコの視点と俺の視点、他のファンの視点だって、それぞれ微妙に違ってはいるはずだ。
みゆきがいつも言うように、「歌が世に出てしまった時点で、その歌は聴く人それぞれのものになる」のだ。まぁわざわざそれを体系的に口にするのも、ちょっとヤボだけどね。
3. 悪女
このアルバム・リリース時点では最大のヒット曲だった、そして今もみゆきにとっての代表曲。しつこいようだけど、「糸」じゃないはずなんだけどな、代表曲は。いま思えば淫靡な解釈もできる楽曲なので、老若男女幅広く共感するには、ちょっと難しいのかね。
シングル:ゆったりしたフォーク・ロック
アルバム:淫靡なスロー・ファンク
ライブ:なんかスプリングスティーンっぽい大味なスタジアム・ロック
もともとみゆき、シングルのアレンジがお気に召さず、『寒水魚』収録にリベンジしたわけだけど、ここでまたガラッと違ったアプローチを取っている。この3つのヴァージョンについては昔からファンの間でも意見が分かれているのだけど、最近の俺的には①シングル②アルバム③ライブの順。昔はシングル以外受け付けなかったのだけど、最近は一周回って、ちょっとダウナーなアルバムのアレンジも好きになってきた。
でもゴメン、やっぱライブ・ヴァージョンはいまだピンとこない。
4. HALF
実際のライブでは、前曲から「勝手にしやがれ」~「髪を洗う女」と続いているのだけど、収録時間の関係もあってか、そこはカットされている。いつか完全版を望みたいところだ。
レイテスト・アルバム『36.5℃』からで、いわばここが序盤のピークにあたるところ。感情をあらわに激しいヴォーカルのみゆきに煽られてか、バンドのテンションも一気に上がっている。まだ若き斎藤英夫の長い長いギター・ソロが、一世一代の名演。
ちゃんと歌詞を感じて聴いていると、「片想」からここまでが、一編の恋愛模様として完結していることがわかる。そこまで詳細に書くとめんどくさいので、あとは自分で聴いて感じてみて。
5. 鳥になって
ここでシーン・チェンジとなり、バンドは一旦休憩、みゆきの弾き語りパートとなる。
『寒水魚』ではストリングスがメインとなっていたけど、ここではみゆきの繊細なギターと歌のみ。幻想的なムード演出という意味で、悠々たるストリングスの調べは効果的だったのだけど、こうしてネイキッドなスタイルで歌われると、やはりヴォーカルの力の凄みに改めて気づかされる。
ライブではこの曲に続き、アコースティックで歌われる「孤独の肖像」だったらしいのだけど、これも未収録。やっぱ完全版が聴きたいな。みんなでヤマハにお願いしてみよう。
6. クリスマスソングを唄うように
アマチュア時代に作られた、この時点ではほぼ唯一のクリスマス・ソング。ちゃんと調べてないけど、多分、これ以降も主題としてはないはずなので、いまも唯一かな。
デビュー前に作られたものなので、サビメロやフレーズは習作レベル、ありふれたものなのだけど、「クリスマスを理由に 雪を理由に 云えない想いを 御伽噺」なんてフレーズをすでに書いているのだから、その早熟振りが窺える。
これに続いて「まつりばやし」「不良」と続くのだけど、そこもばっさりカット。
7. 阿呆鳥
「弾き語りで歌っていた頃のファンにとって、いまのあたしは不思議に思うかもしれない。迷ったりとかしたけど、でもあたしは、ただ正直になりたいの。だから、好きな歌を歌いたい」
いつものトーンと違う、素顔のみゆきによる、そんなMC。サウンド・アプローチの変化は古いファンを戸惑わせたけど、でも、その時その時の自分が歌うと、こういった風になる。それは、わかってほしい。
妖し気なムードを醸し出す歌謡ブルース・ロックは、強力なシンセ・ポップにビルドアップされている。
悪い夢を見て 泣くなんて
いい年をして することじゃない
いつも通り あたし通り
続けるさ バカ笑い
研ナオコが歌えばすっぽりハマる歌詞とメロディだけど、みゆきの声なら確かに、分厚いバンド・サウンドの方がしっくりくる。流行りのサウンドに振り回されるのではなく、楽曲に最適のアプローチを追及していったら、このスタイルが最もフィットするんだ、ということを言いたかったんだろうか。
8. 最悪
『36.5℃』収録のハード・ロック・チューン。リリースされたばかりなので、アレンジもほぼまんま。
それは星の中を歩き回って 帰りついた夜でなくてはならない
決して雨が コートの中にまで降っていたりしてはならない
こういったさり気なく、それでいてスケール感の大きい書き出しって、「地上の星」と似た構図だよな、って思った。ただそれだけだけど。
9. F.O.
続いて「36.5℃」より。シンセ・ベースがリードするデジ・ロック。打ち込み感がハンパなく、さっきまでのしっとりした弾き語り空間は一掃される。そのギャップこそが、80年代みゆきの真骨頂だったと言えるし、それがのちの夜会のベースにもなったのだろう。
男はロマンチスト 憧れを追いかける生き物
女は夢のないことばかり 無理に言わせる魔物
想えば、この曲を十代に聴いてしまったことで、俺の恋愛観は決まってしまったんじゃないか、と今にして思う。
この後に「テキーラを飲みほして」があったのだけど、割愛されている。
10. この世に二人だけ
「この曲を最後に歌いたかった」というMCに続いて歌われた、『予感』収録のスロー・ナンバー。近年もステージで取り上げることが多く、みゆき自身も気に入っているのだろう。地味なんだけど気になってしまう、決してベスト10に入ることはなさそうだけど、年期の入ったファンなら確実に25~30位以内には入れてしまう、そんな立ち位置の曲である。
アレンジ自体はオリジナルとほぼ違いはないのだけど、淡々と歌っていた『予感』ヴァージョンとは違って、ここでのヴォーカルはもっと語りかけるように、切々と歌い上げている。その後のライブでもほぼこの解釈なので、数年経ってヴァージョン最適化したのだろう。
11. 縁
前曲でラストだと思っていたのだけど、実際のライブでは、これが本編ラスト。教えてくれた人、ありがとう。
ラストはプログレみたいに長大なイントロだったオリジナルとはまた違って、ピアノからのスタート。ややエスニック・テイストのパーカッションや鈴の音が、オリエンタルなムードを演出している。
ラストはプログレみたいに長大なイントロだったオリジナルとはまた違って、ピアノからのスタート。ややエスニック・テイストのパーカッションや鈴の音が、オリエンタルなムードを演出している。
圧巻は、オフ・マイクによるヴォーカル・パフォーマンス。純正な音楽コンサート仕様ではない、両国国技館の空気を響かせるみゆきのポテンシャルが、克明に記録されている。
12. 見返り美人
本編が終わって、ここからはアンコール・シーンがノー・カットで収録されている。メンバー紹介の後に歌われた、ひとつ前のシングル。ちょっと声が枯れてきているのか、低音パートがやや苦しげなのがリアル。
13. やまねこ
アッパーなチューンはまだ続く。これは当時の最新シングル。ある意味、ご乱心期と言われる時期の頂点とも言える、歌詞・メロディ・サウンド。その時点の最高の英知と感覚が、惜しみなく注ぎ込まれている。
なんとなく、工藤静香が歌ったらハマるんじゃね?と思って調べてみると、アラやっぱり歌ってたわ。でも、思ってたのとちょっと違う。このオリジナル・オケで歌って欲しかったな。
14. 波の上
シングル「あの娘」のB面という、ものすごく地味な扱いだったにもかかわらず、当時から隠れ名曲として評価の高かった小品。コンサートもほんと終盤のため、みゆきの声もかすれ、詰まるシーンも多くなる。涙声になるところを、観衆が励ましたりして、その臨場感が感動を呼ぶ。
「こんばんは、中島です」。
最後にそう言い残し、ステージは幕を閉じる。ANNのエンディングも、そんなかんじだったよな。