400_400_102400 去年書いた西城秀樹:80年代シティ・ポップ期のアルバム『GENTLE・A MAN』『TWILIGHT MADE …HIDEKI』のレビューが大きくバズり、洋楽関連が多かった俺のTwitterのタイムラインは大きく変化した。レビューに対して、リツイートや「いいね」してくれると、ほぼ無条件でフォロバする主義のため、フォロワーはヒデキのファンがかなりの割合を占めている。
 なので、ほぼ連日、ヒデキのメディア情報に加え、熱いヒデキ愛にあふれた様々なツイートを目にしている。没後2年経っているにもかかわらず、その勢いは衰えることを知らず、ますます盛り上がりを見せている。
 このブログは歌謡曲からジャズ・ファンク、それこそちあきなおみからウェルドン・アーヴィンまで、節操なく幅広いジャンルを取り上げている。なので、様々なジャンルのフォロワーの声を聞く機会も多いのだけど、ヒデキ・フォロワーの熱量は、そんな中でかなり高い。
 「ヒデキLOVE・好き好き」といった他愛もないつぶやきもあれば、どこから引っ張り出してきたのか、古い雑誌のピンナップや記事画像、または古いビデオ動画も盛んにアップされていたり、なかなかの賑わいとなっている。
 過去の情報・マテリアルを丹念に拾い集め、そしてより分ける。時系列でもテーマ別でも、ある種の一貫した基準でまとめ上げることで、散逸した情報は、固有の価値基準として生まれ変わる。
 それはひとつの考現学となり、また商品としての付加価値となる。精力的な活動を続けたヒデキのアーカイブは膨大であるけれど、きちんとした検証作業が行なわれるようになったのは、ほんとつい最近のことである。
 ここ1年の間に、若き日の写真集『HIDEKI FOREVER blue』、1985年のライブBlu-ray 『’85 HIDEKI SPECIAL IN BUDOHKAN -For 50 Songs-』が発売された。判で押したようなヒット曲中心のベストでお茶を濁すのではなく、ヘヴィー・ユーザーを満足させるコンテンツの提供に、やっと本腰を入れるようになったのだろう。
 そういった姿勢は、素直に喜ぶべきことであって。

6b63efba455ee500e44b183cf27e6c91

 ヒデキにまつわるツイートのほとんどは、様々な出演記録やエピソードに基づく、あふれんばかりのリスペクトが多くを占めている。斜め上からの否定的な意見や、アンチによる荒らしなどは、ほとんど見たことがない。
 これだけ知名度もあって評価も確立されたアーティストゆえ、悪意や揶揄混じりの意見が出てもおかしくはないのだけど、ほんとそういったのは目にしない。これは結構すごいことである。
 多くの夭折したアーティスト同様、ヒデキもまた皮肉なことに、没後から再評価が進んでいる。過去のドラマや映画出演、歌番組のアーカイブが商品化され、異例の売り上げを記録している。きちんとマーケティングすれば利益が出るコンテンツとして、需要は根強いのだろう。
 ただ肝心のところ、メインの活動である音楽面については、いまだ正当な評価が進んでいない。ていうか、評価対象となるアーカイブの整理作業が、あまり進んでいないのが現状だ。
 これが女性アイドルの場合だと、思うにディレクターの熱量や思い入れが強いのか、結構な博覧強記振りのアーカイブ構築が進んでいる。ファンクラブ限定のカセット音源やラジオのCMスポットまで、とにかく録音されたモノはすべてかき集めてボーナス・トラック化するマニアック振りなのだけど、ヒデキにおいては今のところ、そのような動きは見られない。
 煩雑な権利関係や社内事情、テープの保存状態如何にもよるので、レコード会社だけに責任を問うのは、ちょっと早計である。あるのだけれど、でももうちょっと、メディアの方から盛り上げてもよろしいんじゃないかと。

 とはいえ、「ヤング・マン」や「ローラ」や「情熱の嵐」や「走れ正直者」など、パッと聞かれて誰もが即答できるヒット曲が複数あるだけ、ヒデキはまだ恵まれている方である。あるのだけれど、メジャーな楽曲ばかりクローズアップされ、その他がないがしろにされている状況がもどかしいのだ。
 ヒデキに限ったことじゃないのだけど、70年代の歌謡界において、楽曲クオリティが論議されることは、ほぼなかった。「売れた曲」が「いい曲」で、キャッチーで覚えやすいサビを持つのが、「名曲」の条件だった。
 内輪のコミュニティ・レベルでは、ミュージシャン・クレジットへの言及やインスパイアされた洋楽などの分析も行なわれていたのかもしれないけど、外部へ拡散するほどの波及効果はなかった。そもそも、「歌謡曲の批評」という視点、論ずる土壌がなかったのだ。
 賞味期限が短く、早いスパンで消費されていたため、「多くの歌謡曲は、流れ作業で安直に作られている」というのが、近年までの定説だった。シングルこそ、著名なヒット・メイカーにオファーしたり、さらに楽曲コンペで候補を厳選したりはするけど、「B面曲やアルバム収録曲には、そこまで予算も時間もかけなかった」とされていた。まぁ大方は事実。
 歌謡界のセオリーとして、「シングル音源の二次利用」という扱いだったアルバムゆえ、予算も時間も限られていたのは事実だけど、だからといってすべてがすべて、手を抜いて作られていたわけではない。限られた時間の中、「最低限、歌手の声が入っていれば、何をやってもオッケー」という条件を逆手に取って、レコーディング・スタジオは大胆な発想と果敢な実験精神にあふれていた。
 以前も書いたけど、『サージェント・ペパーズ』のぶっ飛んだ解釈が伝説となった大場久美子、有名どころでは、いしだあゆみのブランドを利用して、従来歌謡曲とは別次元のサウンドをねじ込んだティン・パン・アレイなど、ディレクターやスタジオ・ミュージシャンらの暴走による怪作・奇作は、枚挙にいとまがない。
 まさか30年後、菊池桃子/ラ・ムーが海外ディガーのマスト・アイテムになるだなんて、当時は一体、誰が予想したことだろう。

51ElhaHlpkL._AC_SY355_

 80年代のヒデキのシングルで、一般的に知名度が高いのが「ギャランドゥ」、次に「抱きしめてジルバ」といったところだろうか。ちょっと地味なところでは、なぜかスティーヴィー・ワンダーの、なぜか地味曲カバー「愛の園」、当時はオフコース・ファンの間では名曲認定されていた「眠れぬ夜」カバーも追加で。
 80年代に入ってからは、アイドルの世代交代も進んでいたため、ヒデキがチャート上位に食い込める確率は、大幅に減っていた。どの曲もそこそこのスマッシュ・ヒットで終わっており、アイドルとしてのピークは明らかに過ぎていた。
 1983年、所属事務所からの独立以降は、歌手に限定せず、テレビの司会や俳優業の割合が多くなってゆくのだけど、リスクヘッジを考えた経営者目線で言えば、間違った選択ではない。結果的に仕事の幅を広げたことで新たな人脈も生まれ、その後の息の長い活動に結びついている。
 歌番組への露出が減り、芸能界的な仕事が多くなっていた80年代のヒデキ、大きなヒットに恵まれることはなかったけど、それでも音楽活動は地道に続けている。ディスコグラフィーを見ると、独立後初のシングル「ギャランドゥ」以降、ほぼ年2〜4枚のペースでシングルをリリースしている。思ってたより出していたのは、ちょっと意外だった。
 通常、シングル3か月:アルバム半年とされる、アイドルのリリース・ペースに対し、80年代のヒデキのアルバムは年1枚前後だけど、今回調べてみると、全盛期の70年代も年1ペースだった。ここにライブやベスト盤が追加されて、なんだかんだで年3枚程度にはなるのだけど、一貫して年1だったのは、ちょっと驚きだった。
 安易な水増しや量産を潔しとしない、事務所やブレーン、そしてヒデキ本人の強いこだわりだったのだろう。

 上質な和製AORサウンドで彩られた前作『TWILIGHT MADE …HIDEKI』は、元来洋楽志向が強かったヒデキの音楽センスが、強く反映された力作となった。なったのだけど、歌謡曲のサウンドとしては垢抜け過ぎ、選民的なジャパニーズ・ロック/ポップスのメディアからは徹底的に無視され、セールスも反響も芳しいものではなかった。
 「歌謡曲のアルバム」というエクスキューズ抜きで評価してもらうため、「西城秀樹ブランド」を前面に出さないプロモーション戦略を取ったにもかかわらず、当時の音楽メディアは意固地で排他的で性格がねじ曲がっていた。従来の固定ファンは無条件で受け入れたけど、ライト・ユーザーにまで波及するほどの勢いはなかった。
 ただ、ヒデキが描く「アイドル以降の大人の歌」というビジョンは、確実に具現化されており、製作現場やレコード会社の反応は良かった。クオリティ的にある程度の成果を残したこともあって、コンセプトは引き継がれ、次作『FROM TOKYO』へ発展する。
 アーバンでトレンディな80年代中盤の東京の空気感を表現するため、ヒデキが選択したのは、リズムを主体としたダンス・チューン中心のサウンド・プロダクトだった。当時、一時的なセミ・リタイア状態で、もっぱら裏方に徹していた吉田美奈子を前作に続いて起用したこともあって、ブラック・コンテンポラリー/R&Bへの接近が著しい。
 一般的にヒデキのパフォーマンス・スタイルといえば、ロッド・スチュワートやミック・ジャガーをモチーフとした、ロックのイメージが強い。強烈なエモーションを含んだ、リミッターを外したシャウトが、ステレオタイプの「西城秀樹」として広く認識されている。
 ただ70年代の作品でも、複雑なシャッフル・ビートを多用した「ブーツを脱いで朝食を」や、スケール感あふれる壮大なバラード「ブルースカイブルー」など、高度な表現力を駆使した楽曲がある。「ほとばしる熱情」というイメージはあくまで一面でしかなく、アイドルの枠を超えた早熟なエンターテイナーというのが、シンガー:西城秀樹の実像なのだ。

4926235_1

 もともとデビュー時点から、アイドル特有のバブルガム・ポップではなく、洋楽サウンドと歌謡曲メロディを強引にまとめた、ハード・ロック/ブラス・ロック主体のシングルが多かったヒデキであり、その傾向は自身の趣味・嗜好と一致していた。年齢を経ることによって、そのコアが変わることはなかったけど、新たなジャンルの吸収・異ジャンルのミュージシャンとの交流によって、嗜好の幅は広がった。
 このアルバムでも見られるように、派手なホーン・セクションや四つ打ちビートに頼らない、洗練されたブラック・ミュージックをソフトに、それでいてエモーショナルに表現できるようになったことは、シンガーとしての成長である。背伸びして歌っていたバラードも、年相応にしっくり馴染み、気負わず歌えるようになった。そして、その歌を活かせるサウンド・メイキングにも、深く関われるようになった。
 前作同様、セールスも評判も芳しいものではなかった。ただこのアルバムに限らず、80年代の西城秀樹が残した作品はどれも、同時期に勃興したバンド・ブームのアーティストよりも、ずっと挑戦的である。上辺だけ取り繕った、安易なマーケティングに基づいて構成された時代のあだ花より、丁寧に作られたサウンド・プロダクトは、深い傷跡を残す。
 今年に入ってからも、いち早くアルカトラスをカバーした1983年のシングル「ナイトゲーム」が再発されている。リマスターされた当時のバック・トラックに、ヒデキの未発表ヴォーカル・トラックを載せ、さらにオリジナル・シンガーのグラハム・ボネットがバック・ヴォーカルで参加という、ちょっとなに言ってるかわかんない状態になっている。誰も思いつかないすごい企画であるのと同時に、それがきちんと売れちゃってるのだから、もはや潜在ニーズと言えないところまで来ているのだ。
 ほんとはこういった動きを、もうちょっと深く突っ込んで語りたいのだけど、あいにく80年代を総括したコンピレーションもなければ、実はこの『FROM TOKYO』、2020年時点では今どき配信もされていないため、気軽に聴くことはちょっと難しい。辛うじてiTunes に80年代のシングルA面コレクションがあるけど、単にリリース順に並べているだけなので、何とも芸がない。さらにAmazon Musicときたら、ガンダム関連や90年代以降がごくわずか、といった体たらくである。
 「ニーズがない」というのは考えづらいので、「再発や配信の条件すり合わせが捗っていない」というところなのだろう。映像も含めた再発プロジェクトはそこそこ順調なので、近い将来、公開されるのだろうと信じたい。





1. CITY DREAMS FROM TOKYO
 フュージョン系のギター・ソロに絡まる、軽快なシンセ・ドラム。前作に続き起用となったMAYUMIの曲をトップに据えたことから、あくまで楽曲重視で選曲されたことが窺える。やたらアーバンでトレンディでセクシーなオケを作ったのは、まだアイドル仕事がメインだった頃の鷺巣詩郎。この前、久しぶりにバラエティのロケに出ててビックリしたな。
 初出はシングル「追憶の瞳 - Lola -」のB面で、なんでこれがA面じゃないの?と思ってしまうくらい。同時代の日本のロックやポップスより、ずっとしっかり作り込まれているのだけど、こういった洗練された楽曲を受け入れるには、当時の歌謡界は硬直化していた、ということなのだろう。シチズンのCMソングに起用され、アジア諸国のテレビで流されたのだけど、なぜか日本はスルー。謎だ。

2. MADNESS
 再び、MAYUMI - 鷺巣のコンビによる、さらにブラコン色を強調したダンス・チューン。イントロのキラキラしたシンセ使いは、これはもう職人の技が冴える。そこからシーケンスとサンプラーの洪水で、今にして思えばチャカチャカ騒々しいのだけど、バブリーな空気感の演出には最適だった。
 打ち込みサウンドに対し、肉感的なヒデキの声との相性はあんまり良くないんじゃないか、と思っていたのだけど、いや普通に対応してるんだよな。あらゆるアレンジに対応できる反射神経は、ベテランの成せるわざ。

3. MESSAGE OF SILENCE
 ここで急に、ガクッとウエットに、歌謡曲っぽくなる。作曲・アレンジは中堅どころの水谷公生。歌謡曲の視点から見れば、安心できるバラードとしてアリだけど、まぁちょっと落ち着きすぎるかな。アルバムの中の1曲として、箸休め的なポジションか。
 ヒデキとは関係ないけど、この水谷公生という人、かつてGSを経て、柳田ヒロとLOVE LIVE LIFEを結成、イギリスのミュージシャン:ジュリアン・コープに「日本のフランク・ザッパ」と称賛されるくらい、実はなかなかのキャリアを持つ人だった。まぁジュリアン・コープ、今じゃ仙人みたいな風貌になっちゃってるけど、なかなか本格的なジャパニーズ・ロックの研究家なので、耳は確かだ。
 さらに話はズレて、日本のハード・ロックの祖と言ってもいいLOVE LIVE LIFE、テンションMAXで血管ブチ切れでシャウトするヴォーカルは、なんと布施明。あの布施明だよ、イメージと全然違うじゃないの。なんで俺、知らなかったの?
 はっぴいえんど史観とは別の次元に位置する日本のロック。まさかジュリアン・コープに教えられるだなんて…。



4. 夢の囁き
 同じ歌謡曲属性のバラードとは言っても、付き合いの長い鈴木キサブローの楽曲だと、ヴォーカルの艶がまた違ってくる。ヒデキのヴォーカルが最も映えるキーを多用することで、セクシーな男性像が浮かび上がってくる。
 ラス前にストリングスにアルト・サックスを絡めるという、まぁベタなシチュエーションを想起させるところも、ヒデキなら許せる。このヴォーカルは、そんな世界観を享受する力を持っている。

5. RAIN
 で、ここからレコードB面。吉田美奈子の独壇場となる。
 妖し気な美奈子のフェイクに、シンセ・ベースと軽快なギター・ワーク。一聴して思いっきりブラコン風味だけど、歌謡曲のセオリーである、明快なAメロ~Bメロ~サビという構造はきっちり抑えており、そこら辺はさすが業界が長い美奈子。

6. AGAIN
 いろいろギミック的なサウンド・プロダクトがクローズアップされることが多い『From TOKYO』、この時期の吉田美奈子を起用すること自体が大きなギミックでもあるのだけど、そういった事前情報を抜きにして、ストレートにいいメロディ・いいヴォーカル・プレイとなったのが、この曲。
 ちょうどバリー・マニロウやジョージ・デュークとの交流が始まっていた頃なので、英語で歌い直して海外展開するのもアリだったんじゃないかと、外野からは勝手に思ってしまうのだけど、まぁ何かのかけ違いでうまく行かなかったんだろうな。埋もれてしまうには惜しい曲だ。



7. ROOM NUMBER 3021
 初出は1986年のシングル『Rain of Dream 夢の罪』B面。しかし、この『FROM TOKYO』からまともなA面シングル・カットがなかったのが疑問。シングルとは別に、アルバム・アーティストとしての評価を欲していたのはわかるけど、もうちょっと周辺スタッフに柔軟性があれば、TVタイアップなんかでシングル・ヒットの可能性はあったんじゃないか、と。
 まぁ現場では努力はしていたのだろうから、外野のぼやきとして聞き流してもらえれば。

8. 今
 ラストは作詞・作曲・アレンジとも吉田美奈子による、ゴスペル・タッチの壮大なバラード。世界初の自主製作CDと謳われた『BELLS』制作時期と被るので、同じメソッドを使用したんじゃないかと思われる。