folder 一般的にXTCといえば、アンディ・パートリッジのワンマン・バンドという印象が強い。アルバム2、3枚くらい持ってるファンだったらともかく、せいぜい『Skylarking』くらいしかまともに聴いたことのないライトなファンだったら、まず他のメンバーの名前は出てこない。
 80年代ロック史において、名勝負数え歌のひとつとされている「『Skylarking』製作時のアンディ VS. プロデューサー:トッド・ラングレンとの確執」によって、双方の知名度は爆上がりした。ただ、あくまでクローズアップされたのはこの2人であり、他のメンバー:コリン・ムールディングとデイヴ・グレゴリーが注目されたわけではない。
 どの社会においても言えることだけど、際立って注目されるのは、口が立つ奴か声がデカい奴である。必要不可欠な存在ではあっても、縁の下で支える役割にスポットライトが当たることは、そんなに多くはないのだ。
 メインのソングライターでありリード・ヴォーカルであり、口が立って声もそこそこデカい、そんなアンディの存在感が圧倒的ではあるけれど、「XTC=アンディ」というのは早計である。XTCという集団は、全員平等な民主制ではないけれど、かといってアンディが独裁をふるっているわけでもない。
 『Big Express』でも『White Music』でもなんでもいいけど、レコーディング・クレジットを見てみると、確かにアンディ作の楽曲は多い。ただ、すべての作詞・作曲を手掛けているわけではなく、どのアルバムでもアンディ作品は7割程度で、残り3割はコリンのペンによるものである。
 アルバムの印税配分を考慮して、1曲か2曲程度、他メンバーによる楽曲を入れるのはよくある話だけど、XTCの場合、ちょっと事情が違ってくる。単なる埋め草楽曲と違って、コリン作品は「がんばれナイジェル」や「King for a Day」などシングル・カットされた曲も多く、ファンに知られている代表曲もそこそこあったりする。
 バンド内に複数のソングライターがいる場合、当初は似た音楽性でスタートしても、キャリアを重ねるにつれて趣味嗜好が変わってくることが多い。よく言う「音楽性の相違」で、うまく続けば「多彩なジャンル/バリエーション豊富な音楽集団」に成長するのだけど、最悪ケンカ別れというケースもあったりする。
 アンディとコリンの場合だと、これまたちょっと特殊で、互いの作品から触発されリスペクトされ続け、しまいにはどっちがどっちか見分けがつかない、「どっちもXTC」という境地にたどり着いている。よほどのコアなマニアでもない限り、曲を聴いただけでどっちの作品か、判別するのはとても難しい。そういう俺も、「自信ない」ことに自信がある。
 アンディがコリンを侵食したのか、はたまたその逆か。それとも、2人のパーソナリティが有機的な融合を果たし、「XTC」という、第3のヴァーチャル・ソングライターが、2人の自動書記として作用したか。
 恐ろしくシンクロ率の高い似た者同士。それがアンディとコリンの関係性である。

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 「キャッチーで、ちょっぴりエキセントリックなパワー・ポップ」でシーンに登場したXTCは、その後、スタジオワークに力を入れる反面、アンディの神経症悪化によってライブ活動から撤退、それに伴って音楽性も変化してゆく。ライブでの再現を前提としないサウンド・メイキングによって、緻密に構築されたアンサンブルは、強いアーティスト・エゴと未知のレコーディング・テクニックで満たされていた。
 多くのエピゴーネンとフォロワーを生み出した、XTCサウンドを生み出すキー・パーソンとなったのが、エンジニア:ヒュー・パジャムと、プロデューサー:スティーヴ・リリーホワイトだった。無尽蔵に湧き出るアイディアの賜物である、ゲート・エコーやデッドに寄ったイコライジングは、後進のポスト・ニューウェイヴ・アーティストらに大きな影響を与えた。
 外部との接触を極力シャットアウトすることで純度を高めていったサウンド・アプローチとは対照的に、シーンとコミットする機会は減ってゆく。ライブ・シーンやTVメディアへの露出が少なくなったことで、時代の潮流からは遠ざかり、彼らは独自の変化を遂げてゆく。
 当時、アンディの神経症は一時的なものと思われており、多少のブランクを置いてメンタルが回復すれば、再度ステージ復帰もあり得る―、というのが、バンドを含め周辺スタッフの予想だった。アンディ自身も、以前ほどの集中的なライブ・ツアーまでじゃないにしても、単発的なお披露目ライブくらいなら、そのうちできるはず、と思ってたんじゃないだろうか。
 ―そんなこんなで30年あまり。いまだアンディ、人前でのパフォーマンスには及び腰である。インタビューなら饒舌なのにね。

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 ライブ活動再開の展望が見えぬ中、アーティストというよりパフォーマー気質であったテリー・チェンバーズの脱退を止めることは、誰にもできなかった。キャリアとしては中堅クラスであったけれど、同世代アーティストやバンドと比べてセールス実績は芳しくなかったのが彼らの置かれた現状であり、テリーが見切りをつけるのも仕方がなかった。
 すでにワールドワイドな成功を収めていたポリスやマッドネスほどではないにしても、そこそこ名前の知られたポジションであった彼らクラスのバンドにとって、ライブ・ツアーとはレコード・プロモーションの一環であり、避けては通れないミッションだった。とにかく場数を踏んで露出を増やし、ラジオでオンエアしてもらうことが、ヒットへの最短ルートだった。
 80年代前半といえば、デュラン・デュランやカルチャー・クラブ、スパンダー・バレエらUKポップ勢が続々、ビルボードにチャートインしていた時代である。「イギリス発」というだけでアベレージが上がるご時勢ではあったのだけど、あいにくビジュアル面で特に秀でたメンバーがいなかったXTC、彼らには何の影響もなかった。
 のちに「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」と称されるこの時代、ポップでキャッチーで見映えが良ければ、そこそこのバンドでも注目を集められたはずなのだけど、彼らの場合、見映えも冴えなければキャッチーでもない、ポップではあるけれど、それがちょっと屈折してわかりづらい、ときてる。「じゃあ中身で勝負だ」と言わんばかりに、大量に曲を書いてはスタジオに籠り、ひたすらクオリティ上げに没頭する。
 ただ、作ったはいいけど作りっぱなし。自ら積極的に外部発信するわけでもない。既存ファンやニューウェイヴ界隈では話題にはなるけど、大きな広がりを見せるはずもない。
 ―良いモノを作っていれば、評価される。至極まっとうな論理ではある。
 逆に考えれば、「多くの人に評価されたモノが、良いモノ」である。ゆえに、「評価=セールス」が十分でなければ、それは正しくない。とはいえ、ある程度広範に行き渡らなかったら、評価そのものが成立し得ない。
 商業音楽のパラドックスである。

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 1983年にリリースされた『Mummer』レコーディング途中にテリーが脱退を表明、3人で残りの作業を引き継ぎ、どうにかアルバムは完成させた。前述したように、プレイヤー気質のテリーが抜けても、クリエイティブ面で大きな影響はなかった。
 そんなこんなでメンバー減員となり、純粋に3名体制で製作された最初のアルバムが、この『Big Express』である。レコーディングに時間をかけただけじゃなく、プリプロもしつこく行ない、万全の態勢でスタジオ入りしたにもかかわらず、さらに試行錯誤と右往左往を繰り返して仕上げたアルバムとなっている。
 時代的に、デジタル機材を駆使したレコーディングが主流となり、ここでも一部、リン・ドラムが使用されていたりする反面、メロトロンなんて前時代的なモノも担ぎ出されており、アナログな職人技も随所に盛り込まれている。ややビート感を抑え、ポップス・テイストを強調した『Mummer』のチャート・アクションが地味だった反省を踏まえてか、『Big Express』は原点のギター・ポップをベースに、ヴァーチャルなライブ感を演出したミックスとなっている。
 それだけ細部まで作り込み、人的/時間的にもたっぷりコストをかけたにもかかわらず、結果はUKチャート最高38位と、まことに中途半端なセールスで終わっている。『Mummer』よりはちょっと上がったけど、ターニング・ポイントとなった前々作『English Settlement』には及ばなかった。

 当時、同じレーベルのカルチャー・クラブやヒューマン・リーグにはまったく歯が立たず、次第に立場も悪くなってゆくXTC、当初はアンディに同情的だったヴァージンもサジを投げたのか、初回プレス枚数も減り、広告の出稿量も目に見えて減らされてゆく。ただこれ、彼らが営業部門と折り合いが悪く、プロモーションに消極的だったことも一因なので、ヴァージンばかりのせいとは言いがたい。前にも書いたけど、この時期のアンディ、口を開けばヴァージンの悪口ばっか言ってたもんな。
 ―良いモノを作っていれば、いつかは認められる。実際、手を抜いた部分もなく、細部までこだわり抜いて作られては、いる。
 丁寧な録音テクニックとイコライジングによってサウンドのボトムは太く、音圧の強いギター・ポップとして端正に仕上げられている。そう考えると、U2やエコバニなんかと比べて、ヒット性は高いはずなんだよな。
 じゃあ、なんでU2ほどブレイクできなかったのか、といえば、これがちょっとはっきりしない。ちょっとややこしいコード進行、鼻唄にしづらいメロディ・ライン、にじみ出てくる性格の屈折具合…、などなど、挙げればキリがない。
 でも、いま挙げたこれらって、実は英国人ならごく普通の感性であり、アンディだけが突出しているわけではない。それら全部兼ね備えたモリッシーもいることだし、その辺、英国人はとても寛容だ。
 彼らのような密室ポップを形容する場合、よく使われるのが「おもちゃ箱をひっくり返したようなサウンド」というもので、「バラエティに富んだ内容」という、ポジティブなイメージで使用されることが多い。ただそれって、ネガティヴに言えば「まとまりがない」「散漫」と同義であり、マスに訴求するには、ちょっと弱い。
 『Big Express』で結果が残せなかったことにより、ヴァージンは彼らの活動スタイルに強く干渉してくるようになる。いわば最後通牒だった、とも言い換えられる。
 スタジオワークに入る前に楽曲はすべて用意し、ヘッド・アレンジもあらかた済ませておく。1枚のアルバムにまとめるにあたり、カッチリしたトータル・コンセプトやストーリー性は必要ないけど、とっ散らかった印象を避けるため、アレンジや曲調には、ある程度の統一性を持たせる。
 英国はスタジオ代も高いし、彼らのために長期間予約を入れるのは、コスパ的に良くない。むしろ短期集中でアメリカのスタジオを押さえた方が、彼らも作業に集中できるし、採算も取れる。
 ちょうどコネのあるスタジオがあって、そこには、なかなか腕の立つハウス・プロデューサーがいる。スタジオ経費から宿泊代まで、コミコミで格安で引き受けてくれるらしく、ヴァージン的には願ったりだ。
 そんな彼の名は、トッド・ラングレン。ニューヨーク近郊に立つべアズヴィル・スタジオにて、XTCは『Skylarking』を制作することになる。





1. Wake Up
 軽快なギター・フレーズが左右にパンするのが印象的な、のっけからスピード感にあふれた真正ギター・ポップ・チューン。そんなイントロの印象が強いこの曲だけど、アタック音中心でボトムをバッサリカットしたスネアの響き、3分あたりで奏でられるシンセ・プレイが、すごく気持ち良かったりする。
 実はコリン作であるこの曲、デモ・ヴァージョンが2002年リリースのコンピレーション『Coat of Many Cupboards』で聴くことができるのだけど、そちらではもうちょっとテンポを落とし、中期ビートルズっぽいアプローチになっている。

2. All You Pretty Girls
 お次はアンディ作、当時はこれがリード・シングルとして先行リリースされた。
 旧き良き大英帝国の船乗りを主題としており、「新しいおもちゃ」リン・ドラムをあれこれいじくり回して、旧き良きケルト風味のエフェクトやらコーラスやらをぶち込んでいる。どれもひとつひとつは食い合わせが悪そうだけど、そこを強引にポップに仕上げてしまうのが、やはりアンディ流。かなり練り込んだよな、これって。
 デモ・ヴァージョンは奇妙なレゲエ・テイストをベースに、ややゴシックっぽいコーラスやエフェクトが飛び交って、こりゃ食い合わせが悪い。でも、これがどうやったら、あんなポップに仕上がるんだ?謎だ。



3. Shake You Donkey Up
 ハイパー・アクティヴなオルタナ・カントリ―とでも言えばいいのか、英国人のくせして上っ面でロカビリーの真似事をしてみました的な、何とも形容しがたいサウンド。テレビの西部劇ドラマに面白半分で劇伴つけたら、多分こんな感じになる。
 しっかしアンディ、フィドルは入れるわロデオ・ボーイみたいな掛け声は入れるわ、まぁふざけてる。真面目にやってるとはとても思えないけど、でもアプローチとしては面白いし、悔しいけど完成度も高いときてる。

4. Seagulls Screaming Kiss Her Kiss Her
 そういえば90年代に、日本にこんな名前のバンドがいたよな、と思い出して調べてみると、もうとっくの昔に解散してた。音は聴いたことない。
 この時期の彼らにしてはとてもまともな、とっても真っ当なポップ・ソング。『Oranges and Lemons』に入ってても、全然違和感ない。この路線のXTC、俺はすごく好きなのだけど、まぁ売れるスタイルではない。もう5年くらい遅かったら、シングル・カットの可能性もあったかも。

5. This World Over
 核戦争で荒廃した世界を描いた、チマチマした世界観をうろついている彼らにしては、珍しくシリアスで壮大なテーマを取り上げている。なんだどうした、そういうのはプログレの仕事だろ。
 コード進行もまともだし、構成も均整がとれてるし、ちゃんとドラマティックに歌いかけるシーンまで用意されている。U2っぽさがうまく表現されているけど、でもそんなの誰も求めちゃいない。もっと世捨て人っぽく、小さくまとまらなきゃ、あんたら。世界の行く末なんて、大して興味ないんだろ?

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6. The Everyday Story of Smalltown
 なので、世界の終末を嘆く彼らより、小さなど田舎のどうでもいい日常を描く彼らの方が、ファンとしては愛着があるし、またニーズも多い。牧歌的な風景を切り裂くがごとく、猛烈な黒煙を吐いて突進する蒸気機関車。変に社会派気取って嘆くふりするより、こういった彼らの方が、よっぽどサマになる。

7. I Bought Myself a Liarbird
 ぎくしゃくしたリズムとせわしない転調がめまぐるしい、とっ散らかった印象をとっ散らかったまま完パケにした、まことに「らしい」ポップ・チューン。デモ・ヴァージョンはジャジーなテイストとオルタナっぽさが相まって、これはこれでいいのだけど、もっとメリハリをつけていびつな感じを完成形としたのは、なかなかやるじゃん、アンディ。

8. Reign of Blows
 インチキなブルース・ハープがフィーチャーされているけど、全然ブルースっぽくない、しかもちゃんとしたロックでもない。ギターの音色もフレーズも確実にロックっぽいのだけど、どこかフェイクっぽい。
 こんな感じの曲をいくつかまとめてライブで聴いてみたかったけど、かなわぬ夢だったな。あ、いいよ、今さらやらなくたって。

9. You're the Wish You Are I Had
 『Help!』までのビートルズがそのまま成長したら、こんな感じになったんだろうな。彼らにしてはまともなビートルズ・リスペクトなギター・ポップ。単なるビート・ポップのアップデートではなく、ポスト・ニューウェイヴのフィルターを通しているため、メロディも古臭くなっていない。
 これもスタジオじゃなく、ライブで練り上げていたら臨場感がプラスされたのだろうけど。いや、それじゃ面白くないか。単なる二流のパワー・ポップで終わってしまう。

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10. I Remember the Sun
 中期ビートルズにがっつり寄せたサビのフレーズは、やっぱりコリンが手掛けたものだった。さすがに俺も、これくらいは判別がつく。
 アンディに比べればずっとまともで、端正な楽曲だけど、その辺はグループ内のバランスだよな。どっちも破天荒だったら、空中分解しちゃうし。

11. Train Running Low on Soul Coal
 最後はアンディ、リン・ドラムのスペックを最大限駆使して、騒々しい操車場のイメージ化に成功している。丁寧に重ねられたギターのフレーズ、やたら堂々としたヴォーカライズなど、この曲だけ聴けばコンテンポラリーなアプローチとして、うまくコーディネートすればヒットも夢じゃなかったはず。
 でもね、こういった曲に似合うビジュアルは、やっぱりボノやロバート・スミスなんだよな。おでこの広い丸眼鏡ヅラで歌われても、感情移入しづらいし、映えない。それもあって、あんまり露出したくなかったのかね。