folder 1985年当時、最新鋭のマシン・スペックを誇ったフェアライトCMIを武器に、日本のテクノ・ポップ界の片隅でひっそりリリースされたデビュー作『Different View』から1年強、『テッチー』や『What’s IN?』界隈でちょっと盛り上がりを見せた、2枚目のオリジナル・アルバム。プロデュースは前回同様、ムーンライダーズ:岡田徹と松浦雅也の共同名義、参加ミュージシャンもほぼ同じなので、いわば姉妹作的な位置づけである。
 『Different View』が、デビュー以前に書き溜めたストック曲中心だったのに対し、『PIC-NIC』は新たに書き下ろした曲ばかりなので、若干マスを意識したメロディ・ラインが多くなっている。CMタイアップが2曲含まれていることもあって、「おもちゃ箱をひっくり返した」ような雑多なサウンド・アプローチは、大衆に分かりやすい「ピコピコ・テクノ」の要素を含んでいたりする。
 YMO散開からすでに久しく、MIDI機材の劇的な進歩に伴い、露骨にピコピコしたモノフォニック・シンセの音色を聴くことは少なくなった。良質なFM音源の台頭によって、生楽器とのギャップが少なくなりつつあった中、初期のPSY・Sは古き良きテクノ・ポップを継承したユニットだった。
 超絶テクニックやバンド・グルーヴでカタルシスを得る、一般的なミュージシャンと違って、松浦はロジックの積み重ねによって快感を得るタイプだった。ジャストなリズムをミリセコンド単位でシミュレートし、パラメーター調整に一喜一憂する、言ってしまえば「ディープなシンセおたく」が、当時の松浦のパブリック・イメージだった。
 そこからストレートにシンセ道を極めてしまうと、クラフトワークや冨田勲方面に行ってしまい、挙句の果てにタンジェリン・ドリームや喜太郎の彼方に行き着いてしまい、そうなるともう帰還不能である。ただ借金してまで個人輸入でフェアライトを購入した松浦、実家が裕福でもなければ、太いパトロンがいるわけでもなかったため、日銭を稼いで減価償却してゆく必要があった。
 霞を食うような音楽では食ってくことすらままならないし、もともとそこまでスノッブでもない。自分のサウンド・ポリシーを歪曲させない程度のポピュラー・ミュージックと対峙し具現化するためには、ワンクッション置いた橋渡しの存在、創作意欲を掻き立てる触媒が必要だった。それが、チャカだった。
 彼女もまた、アマチュア時代はジャズ・ヴォーカル/ソウル・ファンク主体で、ポップスを歌うことはおろか、そもそも日本語で歌う経験が少なかった。互いに未知のジャンルである「ポップス」を共通言語とすることで、絶妙な化学反応への期待、またどっちへ転ぶか見当のつかないスリリングな体験が、接点のない2人を引き合わせた。

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 デビューから解散まで、ほぼ一貫してサウンドの特異性/変遷がクローズアップされていたPSY・Sは、歌詞について言及されることは少なかった。チャカがアルバム内で2、3曲手掛けることはあったけど、その多くは外注に頼っていた。
 ヴォーカリストであるチャカが作詞を手掛けるのが自然なはずだけど、彼女が書いた作品は案外少なく、ほぼ9割は外部作詞家へ委託している。作詞に興味を持てなかったのか、はたまた書いても書いても松浦がことごとくボツ扱いにしたのか。
 ジャズ・スタンダードやソウル・ナンバーを歌ってきた経歴から想像するに、歌いたい楽曲の解釈を深め、自分なりの色づけを施して発信することが、ヴォーカリスト:チャカのアイデンティティだった。楽曲にふさわしいアプローチやパフォーマンスをコーディネートするのと、一からクリエイティブするのとは、まったく別の工程である。
 初期のPSY・Sは、もっぱら松浦主導で楽曲制作やレコーディングが行なわれていたため、チャカのパーソナリティはそれほど強く打ち出されていない。ていうか、この時期のチャカは、限りなくフィーチャリングに近い形の正規メンバーであり、いわばお客様状態、当事者意識もそんなに感じられない。
 思うに、キッチュな音楽性が詰まっていた初期PSY・Sは、伸びしろがたっぷりあった反面、ブレイクする展望もまた未知数だった。同じベクトルを持っていた英国Yazooや日本のメニューに共通しているように、PSY・Sもまた短期間限定のユニットで終わってしまう可能性が強かった。
 メンバーのキャラクターや純粋な楽曲クオリティではなく、いわばフェアライトという飛び道具で注目を浴びたユニットだったため、当初は企画モノ臭が拭えなかったことは否定できない。こういったスタイル先行のユニットが、あまりブランクも空けずコンスタントに活動継続できたのは、実は地味にすごいことなのだ。
 これまでとはちょっと毛色の違うオファーに、興味本位で顔を出してみた、というのが、当時のチャカのスタンスだったと思われる。スタジオ・ブースからの指示に合わせて歌い、終わったら速攻帰宅、ミックスなんかは松浦にお任せ、ほぼ丸投げ。短命に終わる可能性もあったことから、当時からすでに、次のビジョンを考えていたのかもしれない。

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 初期2枚の作詞の多くを手掛けていたのは、ミュージシャン/作詞家/時々歯科医のサエキけんぞうだった。当時はインターンやパール兄弟立ち上げと重なって、サエキ自身も何かと忙しかったはずだけど、業界内からの評判の良さなりしがらみやら何やらで、うしろ髪ひかれ隊からPSY・Sまで、幅広い(っていうか手あたり次第)ジャンルの作詞提供を行なっている。
 大量生産型の陳腐なラブ・ストーリーを基調とした、既存の職業作家による言葉は、松浦の描く世界観と相性が合わなかった。ポストYMO/テクノを通過したサウンドに、古い文法で書かれた紋切り型のドラマツルギーは、一周時代を回った今なら、それはそれでネタとしてアリだけど、80年代当時は「ダサい」の一言で片づけられた。
 テクニックや語彙の豊富さには劣ってはいたけど、松浦やチャカと同じ空気を吸い、同じような音楽を聴いてきた同世代のサエキとは波長が合い、コンセプトの理解・意思疎通も互いにスムーズに運んだ。
 「普通でありながら普通じゃない」。そんなちょっと位相のズレた彼の世界観は、フェアライトのドライな質感とうまくシンクロした。ロック/ポップスではあまり使われることのないワードを用いながら、ありふれた日常や心象風景を語り、そこに生じる微妙なギャップや不条理感をすくい取るサエキのメソッドは、松浦に限らず、多くのポスト・パンク世代からの支持を得た。
 「新たなサウンドには、新たな言葉を―」。
 松浦がそう言ったのか、それとも岡田徹が言ったのかどうかは不明だけど、使い古されたドラマツルギーや大上段なメッセージを含まないサエキの言葉は、松浦のサウンド/チャカの声との相性が良かった。

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 『Different view』では、ほぼヴォーカルに専念していたチャカが唯一日本語で書いたのが、「私は流行、あなたは世間」。一節を抜き出してみる。

 色あせた ひとつぶの涙の
 残された意味もわからない間に
 脱ぎ捨てたコートの ポケットに
 いつの日か私も 消えてゆく

 強く印象に残るキャッチコピーを兼ねたタイトルに対して、描かれる情景はごく凡庸である。インパクトの強い言葉を使っているわけでもなければ、さして技巧を凝らしているわけでもない。
 ただ、デビュー前まで彼女が歌い続けてきたジャズやソウルのスタンダードの多くで、周りくどい比喩や表現は使われていない。目にした情景を素直に、想いを直截な言葉であらわすことは、彼女にとって自然な行為だった。
 自分で作り上げた歌詞の世界観に没入し過ぎず、精緻に組み上げられた松浦のデジタル・サウンドというフィルターを通すことで、適度な距離感が生まれる。作者の一方的な価値観を押し付けず、聴き手側の解釈を多様化させることで、多くのスタンダード・ナンバーは長く歌い聴き継がれる名曲となった。
 で、本業:パール兄弟/副業:作詞家/時々歯科医インターンであったサエキ。バンドで語る言葉と、オファーに応じて他人に語らせる言葉との境界線があるのかどうかは不明だけど、早い段階から自分なりの文法を確立してきた人である。もしかして、個性確立のため、相当な陰の努力をしていたのかもしれないけど、そんな素振りは見せず、サラッとやってのけてしまうのは、汗っぽさを嫌う彼ら世代の特徴なのかもしれない。
 初期PSY・Sの代表作とされる「Another Diary」で、サエキはチャカにこう語らせている。

 ドーナツ色の瞳で
 ブランコに揺られてるあのころ
 思わぬ告白に クシャミして始まる
 恋の甘ずっぱい お伽噺は見せられない

 こうやって文章にすると、ベタなアイドル・ソングそのまんまではある。もしかして、「うしろ髪ひかれ隊向けに書いた歌詞と間違って入稿しちゃったんじゃね?」と邪推してしまうけど、これがチャカによって歌われると、ピタッとハマる不思議。
 おニャン子クラブが「ドーナツ色の瞳」と歌うとツッコミどころ満載だけど、松浦のサウンドでチャカが同じ言葉を歌うと…、まぁやっぱりヘンだけど、とっ散らかったテクノ・ポップというフィルターを通すと、「心地よい不条理」なんてものに変化する。やっぱイメージって大事だな。
 普通に歌うだけでレベル爆上げとなるチャカのヴォーカルに対比するように、敢えて隙間の多いシーケンス・ベースのデジタル・ポップを配置することで、ヴォーカル&インストゥルメンタルのコントラストがさらに際立つ。声とサウンド、その2つの要素で充分成立してしまっているので、歌詞は極力イメージ喚起優先に、バックグラウンドが透けて見えるドラマ性は余計となる。
 ―無機質でありながら有機的、ロジカルでありながらエモーショナル。
 それが、初期PSY・Sのざっくりしたコンセプトだった。
 言葉と音、そして声との強いキャラクターがうまく対峙しながら融和し、シンセ・ポップの進化を予見していたのが、『Different View』であり、その路線を確立したのが『PIC・NIC』だった。小さなコミューンで頭を寄せ合いながら作られたそのサウンドは、同世代のアーティストをも引き寄せ、そして少しずつ大きな輪となってゆく。





1. Woman・S
 コレでならどうだ!と言わんばかりの凝ったリズム・アレンジでスタートするパワー・ポップ。やはり初期だけあってサウンドの主張が強いけど、徐々にチャカのパーソナリティが前面に出てきている。
 ギターやベースの味付けは多少あるけど、「シンセ機材一台でここまでできるんだ」という見本市的なサウンド・プロダクションが、ちょっと前に出過ぎちゃってるのかね、いま聴いてみると。タテノリのリズム・パターンじゃなくて、ジャジーなヨコノリのテイストだったら、アシッド・ジャズのハシリという路線もあったんじゃないか、と今にして思う。



2. Everyday
 プロデューサーの岡田徹もそうだけど、窪田晴男(g)も安部王子(g)も、基本はロック畑の人のため、ソウル/ファンクの要素は基礎知識程度で、そこまで深く応用が利くわけではない。そう考えると、このセッションのメンツで唯一、ブラコン的な要素を持つのはチャカくらいで、そのパーソナリティが強く出ているのが、この曲。
 ここはやはり自分のフィールドと捉えたのか、ヴォーカルのノリがまず違う。そんな中でもハード・ロック的なギターがサンプリングされていたりして、遊びの部分がうまく抽出されている。「何でもありまっせ」的に全部詰め込むのではなく、こういったファンク風味に絞ったアレンジの方が、チャカのヴォーカルは活きる。

3. コペルニクス
 メランコリックな郷愁を誘う、そんなイントロとメロディに、やたらキレまくったギター・ソロをオフ気味にかぶせている、そんな対比が印象的なポップ・バラード。

 もしも誰かのセリフが
 癪にさわっているなら
 朝の寝ぼけたベッドで
 猫になってるその子と会いましょう

 比較的ひねりのない素直なメロディ・ラインに、こんな言葉を乗せてしまう、この頃のサエキの言語感覚の切れっぷり。疎外感とほのかな孤独、厭世観をサラッと軽く描き、さらに余計な感情を乗せずに歌いきってしまうチャカのヴォーカル。
 
 もしか言葉を持たずに
 生きてゆけたらどうする?
 すぐに夕焼け見ながら
 からだ寄せあい彼方に駈けてゆく

 単に突き放すのではなく、こんな前向きな逃げ道もちゃんと用意してくれる。単に自虐を嘆くのではないところが、ある一定の距離を置いた「言葉」へのリスペクトを感じさせる。

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4. Ready For Your Love
 恐らくデビュー前のプレイテックスのスタイルをモチーフとした、ファンク寄りのダンス・チューン。チャカのカウントで始まるヴァーチャル・セッション風のシンプルなダンス・ポップは聴いてて心地良いし、このアルバムの中では最も古びて聴こえないトラックでもある。
 要は松浦色が薄い=あんまりフェアライト見本市的なカラーが薄い、ということなのだけど、まぁチャカのソロだもんな、これじゃ。前述したように、もっとヴォーカルに艶を出せばアシッド・ジャズになるのだけど、そっち方面は行きたくなかったのかね。まぁ当時のソニーだから、ブラコン色は弱いのだけど。

5. BRAND-NEW MENU (Brand-New Folk Rock Version)
 セイコー腕時計ALBAのCMソングとして、当時テレビで耳にした人も多いはず。わかりやすいテクノ・ポップとして、万人向けに作られている。テレビで流れたシングル・ヴァージョンは、これでもかと言うくらいダメ押しのデジタルっぽさが強かったけど、アルバム・ヴァージョンはアコギのストロークが全面にフィーチャーされ、ちょっとテクノ風味を薄めている。何回も聴いたのはアルバムの方だけど、初PSY・S体験として、インパクトが強いのはシングルの方、というのが俺の私見。



6. Another Diary
 同じくALBAのCMソング。「ねぇ~おさななじみだねぇ~」という歌い出しは、そういえば日本のポップ・ソングではあんまりない言葉の選び方だよな、と、ずっと思っていた。センチな言葉だけど、ベタに聴こえないヴォーカルと文脈、これが初期PSY・Sの特色であり、そこが最も強くあらわれているのは、この曲なんじゃないか、と。
 3分半あたりのコーダのファンキーなフェイクに、チャカのあふれ出る歌への想いが込められている。ほんとはここまでハジけたいのに、リミッターをかけられている。この方向性も、今にして思えばアリだったんじゃないかと。

7. May Song
 「サウンド・ストリート」のマンスリー・ソングでかかっていたこともあって、古いファンにとってはなじみの深い曲。ドラムがあってギター・ソロがあって、ポリ・シンセがあってエフェクト的なリズム・パターンがあって…、という整然とした配列は、作る方のこだわりなのだろうけど、変にメリハリがつきすぎて、サウンド見本市的に聴こえてしまう。そこがやや古臭く聴こえちゃうんだろうな。
 間奏のカントリーっぽいギター・ソロは、岡田徹あたりが窪田晴男にサジェスチョンして弾かせたんだろうけど、まぁそこだけはちょっと破綻があって面白くはある。

8. Down The Slope
 なので、こういったチャカのヴォーカル映えをフィーチャーした楽曲の方が、賞味期限が長くて今も普通に聴けちゃったりする。まぁ松浦のビジョンとは微妙に違っちゃので、PSY・Sらしさは抜けちゃうわけだけど。
 変にファンキーに、リズム優先のトラックにすると、PSY・Sのオリジナリティが主張できなくなってしまうので、中~後期はポップ>ファンキーという図式になってゆく。

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9. ジェラシー "BLUE"
 で、この曲は珍しくオーソドックスなバラード。ポップもファンキーもロックもほぼない、当時の渡辺美里が歌ってもおかしくない、ちゃんとしたバラード。「ちゃんと」ってした言い方はおかしいけど。
 こういった曲ではちょっとチャカの弱点が出てしまって、これが英語詞ならもっときれいに聴こえるんだろうけど、日本語だと一本調子に聴こえてしまう。松浦にしてはサウンドも変に凝ってないし、素直なメロディとアレンジなのだけど、チャカのヴォーカルが負けちゃってるのが、ちょっと惜しい。

10. Old-Fashioned Me
 ブロウ・モンキーズなど、UKポップのキャッチ―な部分をうまく取り込んだサウンド・アプローチが好きなのだけど、やっぱチャカがちょっと、な。自分で書いた歌詞なのに、どうもうまく歌いこなせていない。自分で書く言葉を歌うのが恥ずかしかったのかもしれない。



 ホントはこの後の時代、松尾由紀夫が作詞担当の時代も書いたのだけど、思ったより長くなったので、ここで一旦切る。前回もそうだったけど、PSY・Sを語ると、いつもどうしても長くなる。
 なぜだ?