Folder 1981年リリース、甲斐バンド3枚目のライブ・アルバム。1枚目の『サーカス&サーカス』が1枚もの、次の『100万ドルナイト』が2枚組で、「3枚目だから3枚組か」と揶揄されたりもしたけど、レコード1枚2,800円・2枚組4,000円が相場の時代、3枚組としては破格の4,920円という特価でリリースされたこともあって、オリコン最高9位と健闘している。
 『Hero』と『安奈』のシングル・ヒットによって、お茶の間への認知も充分広まり、甲斐バンドの活動基盤は安定した。ストーンズやキンクスへのリスペクトが色濃いフォーク・ロックからスタートして、力強さと繊細さとを併せ持つに至った歌謡ロック路線は、時代の趨勢とうまくリンクした。
 セールス効果によるライブ動員も増えてゆく中、バンドはさらにその先を見据えていた。この後、甲斐バンドはシングル・ヒットを狙う戦略から、アルバム制作に重点を置く方針にシフトチェンジする。
 『流民の歌』は、結成からのベーシスト:長岡和弘が脱退して初のアルバム『地下鉄のメロディー』リリース後に行なわれたツアー音源を、主な素材としている。いわゆる『安奈』以降~『破れたハートを売り物に』以前、アルバム主義へ本格移行する直前の記録である。

 『流民の歌』に先立つこと1年ちょっと前、初の武道館公演を収録した『100万ドルナイト』がリリースされている。今の感覚で見れば、「かなり短いスパンでライブ・アルバムがリリースされてるな」と思ってしまうけど、当時のレコード・リリース状況からすれば、案外これが普通だったりする。
 西城秀樹も岩崎宏美も山口百恵も、全盛期の70年代には、ほぼ毎年のようにライブ・アルバムをリリースしている。日本のロックと歌謡曲とを同列に捉えるのは、ちょっと無理があるけど、当時の彼らのポジション=歌謡ロックという位置づけで考えれば、それもちょっと納得がゆく。サザンや中島みゆきだって、本人公認・未公認のベスト・アルバムが乱発されていた時代だったしね。
 「初武道館」という明確な達成目標の克明な記録という意味合いもあってか、アマゾン・レビューでの『100万ドルナイト』の評価は、おおむね好意的である。対して『流民の歌』だけど、こちらは複数公演からの抜粋という弱点もあって、微妙な評価が多い。
 多くのレビューで書かれているように『流民の歌』、歓声と演奏パートとのバランスや繋ぎが悪いため、擬似ライブっぽい感触がある。あるのだけれど、これって実はちょっとだけ誤解がある。
 『流民の歌』の録音はちょっと特殊で、NHKが開発した当時の最新技術「スペースサイザー360コンポーザー」を使用して行なわれた。すごく簡単に言うと、特別なシステムや複数スピーカーを用いなくても、サラウンド効果が得られる、という謳い文句のアイテムだった。
 一応、「四方八方からサウンドや歓声が飛び交い、絶妙な臨場感を味わえる」ということだけど、CDやサブスク音源ではあんまり効果は実感できなかった。もしかして、初版レコードならそのポテンシャルを引き出せるのかもしれないけど、俺もレコードは持ってないし、またほとんどの人がそんな環境を持っているとは思えない。
 CDは2枚組のため、レコード3枚組時代のようなディスク・チェンジの煩わしさはだいぶ解消されたけど、返して言えば、1.5枚分を無理やり1枚にまとめちゃっているため、昔から聴き込んでいるユーザーであればあるほど、居心地の悪い違和感が残る。
 とはいえ、時代に応じて価値観は変わってくる。PC・スマホ主流となった現在は、ディスク交換自体がなくなったため、どんな長尺のアルバムも一気に聴くことができるようになった。
 そうなると、そつなくまとめられた『100万ドルナイト』もいいんだけど、ラフで無骨な肌触りの『流民の歌』の良さが見えてくる。ライブ録音には不向きな武道館で、あれだけの高音質を実現させた『100万ドルナイト』も見事だけど、まるで録って出しのように荒々しい、良質のブートレグみたいな響きの『流民の歌』にこそ、当時のバンドのスタンスが反映されているんじゃないか、と思われる。

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 時節柄、休日といっても家に引きこもることが多いため、古いアルバムを聴き直す機会が多い。新しい音楽を遠ざけているわけじゃないけど、メンタルが求めているのかね、最近は10代・20代に夢中になったジャンルを掘り返している。
 そんな流れで甲斐バンド、『英雄と悪漢』から『シークレット・ギグ』まで、一気に通しで聴いてみた。ちなみに『シークレット・ギグ』以降の甲斐バンドは、俺的には思い入れも薄く、ちょっと別モノである。歯切れの悪い言い方だけど、まぁそういうこと。

 ライブ活動主体だった甲斐バンドがスタジオ・ワークへのこだわりを強めていったのが、『流民の歌』リリース前後とされている。年間100本以上のライブを敢行してきたバンドはこれ以降、レコーディングに力を入れるようになり、相対的にライブの回数は少なくなってゆく。
 スタジオ・ワークにこだわる=従来のレコーディングに不満を感じていた、ということである。ライブ演奏のテンションを、レコーディングでも再現したい―。ライブで本領を発揮するバンドであるほど、高くなる障壁である。
 初のライブ・アルバムとなる『サーカス&サーカス』は、録音自体そこまで分離の良いものではないため、歓声も演奏もダンゴになっちゃってる部分もあるけど、それを覆すテンションの高さが伝わってくる。重厚さや安定感には欠けているけど、「そんなのいいから勢いでねじ伏せちまえ」的な若気の至りが、むしろ潔ささえ感じてしまう。
 そんな無鉄砲さに惹かれて、「じゃあオリジナルはどうなの?」とスタジオ・アルバムを聴いてみると―、ライブと比べてまったくショボい。ライブで練り上げたアンサンブルをそのままスタジオに移植しているので、サウンドの差異はそれほどないはずなのに、なんか違う。デモテープ聴きながら忠実になぞっている、そんな拙さばかりが印象に残る。
 ―何でこんなに違ってしまうのか。
 恐らく本人たちも、そう自問自答していたんじゃないかと思われる。

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 甲斐バンド一気聴き一巡目は、俺の中でそんな結論となった。まだボブ・クリアマウンテンと会う前だったし、国内スタジオの技術的な遅れという問題もあった。針飛びを恐れるがあまり、ピーク・レベルがかなり低めに設定されていたことから、当時の日本のレコードは総じてダイナミズムに欠けていた。
 「甲斐バンドはやはりライブなのだ」という確信を持って二巡目、今度はライブ・アルバムに絞って聴いてみた。NY3部作以降はともかく、それ以前のスタジオ音源はまた別の機会に。
 初ライブ・アルバム『サーカス&サーカス』が放つ勢いは、観衆とバンドとの一体感によって成立している。熟練には程遠いバンドを支える観衆の熱狂、それに呼応して、普段以上のアドレナリンを放出するバンド、それらの相互作用によって。
 初期甲斐バンド楽曲の多くは、甲斐が影響を受けたアーティストへのオマージュやリスペクトが強く反映されている。ライブを重ねることでアンサンブルを整え、オーディエンスの反応を見ながらアップデートしているため、詞曲のクオリティは高い。
 高いのだけど、そのままスタジオ・セッションに移植しても、その通りにはならない。無観客ではアドレナリンも十分ではなく、その中途半端さがパフォーマンスにモロに影響する。
 ピーク・レベルを遵守したクリアなサウンドは、鮮明である分、ボトムの貧相さが露呈してしまう。あとでエフェクトなりコンプレッサーをかけたとしても、素材の状態が良くなければ、どうしたって一緒である。
 拙いながらも試行錯誤を重ね、スタジオ・テイクは発展途上としても、長年ライブで育ててきた楽曲については、ある程度満足ゆくクオリティに仕上げることができた。『サーカス&サーカス』とは、そんな位置づけのアルバムである。

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 で、次の『100万ドルナイト』になると、またちょっと違ってくる。前作との間はまる2年なのだけど、『Hero』以降にリリースされたこと、キャリア初の武道館公演ということもあって、スターダムを全速力で駆け上がる勢いが克明に記録されている。
 短いスパンでのリリースのため、『サーカス&サーカス』とかぶる曲も多いし、アンサンブルも大きな変化はないのだけど、下世話な話、バジェットが大きくなったことによる余裕と達成感が、出てくる音にも影響を与えている。勢い余って力み過ぎな印象もあったバラード・ナンバーも、ここでは硬軟使い分けてドラマティックな表情を見せている。
 ライブ・バンドとしてはひとつの到達点であり、事実、このアルバムをベストに推すファンも多い。ライブで起こり得る偶発性や奇跡という点において、やはりこの時期が甲斐バンドとしてのピークだった、というのは俺も同意。

 『流民の歌』は一旦置いといて、次は『Big Gig』以降。『シークレット・ギグ』は余興というかアンコールみたいなものなので別枠として、『Big Gig』と『Party』は、もう以前とは別のバンドである。
 ライブ音源とも十分拮抗できる、ボトムの太いスタジオ・レコーディング実現のため、甲斐は多くのサポート・ミュージシャンを大量起用した。さらに磨きをかけるため、多くの予算を割いて、ニューヨーク:パワー・ステーションのミックス・ダウン技術を導入した。妥協なきスタジオ・ワークによって、後期甲斐バンドのサウンドは緻密な肉体性を獲得するに至った。
 ライブの肉体性をスタジオで具現化することが、後期甲斐バンドが追求したテーマであった。あらゆる手段を講じることによって、そのクオリティは極限まで研ぎ澄まされた。
 ただサポート・メンバーへの依存度が高すぎたため、ステージでの再現が困難な楽曲が増えたことも、また事実。スタジオ・テイクを再現するため、ライブではテープやシーケンス使用も多くなっていった。
 『Party』は特にその傾向が強く、サポートの助力もあって、スタジオ音源と負けず劣らぬサウンド・クオリティとなった。なったのだけど、初期ライブで見られた偶発性は、そこでは失われていた。
 「それが進歩だ/完成形だ」と言われてしまえばそれまでだけど、「いや、そこ求めていたわけじゃないし」という声もあったりして。

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 で、『流民の歌』。『100万ドルナイト』で頂点に達したライブ・パフォーマンスがどう変化してゆくのか。東芝の要請もあって短いスパンで出すことになったライブ・アルバムだけど、人と同じこと/以前やったことを繰り返さないのが、当時の甲斐バンドの美学だった。
 モノクロで統一されたアートワーク、荒々しいミックスが象徴するように、この時期の甲斐は焦燥感とプレッシャーとが相まって、近寄りがたい殺気を放っている。かつてはコール&レスポンスから生ずる相乗効果によって、カタルシスを得ていた観衆に対しても、強い対抗心を剥き出しにしている。
 共感を誘う一体感を拒む、そんなザラついた空気は強い違和感を放つ。
 「俺たちの居場所はここじゃない」。
 この時すでに、彼らはずっと先を見据えていたのだ。
 一度作り上げたものを壊すことでしか、前に進むことができない―。そんな性を、当時の甲斐バンドは背負っていた。誰がそれを強いたわけではないのに、でも彼らは、それを受け入れた。他にも道はあったはずなのに、彼らは新たな道を切り開いて行くことを、自ら選んだのだった。
 ライブ・パフォーマンスの偶発性に頼らず、スタジオ・レコーディングのクオリティを上げてゆくことが、『流民の歌』以降の彼らの課題だった。そして、その試みは大きな成果となり、『Love Minus Zero』でやり切った彼らは一旦、活動に終止符を打つこととなる。
 ただ、安定を拒み、前のめりにぶっ倒れることも辞さない、そんな模索する甲斐バンドもまた、強烈な求心力を放っていたりする。洗練という言葉が最も似合わない。それがこの頃の彼らだ。
 ―とにかく仰向けに倒れなければ、今より確実に前へ進む。そんな姿勢や生き様が克明に刻まれているのが、この『流民の歌』なんじゃないかと思う。





1. 翼あるもの
 当時としては珍しい、パーカッションによるオープニング。当時、甲斐はリズム・アプローチで暗中模索しており、これまでのロック・アレンジに効果的なプラスアルファを加えるため、やたらパーカッションを多用していた。
 オリジナルは稚拙なレゲエ・ビートだったのだけど、ここではギターとのユニゾン、キーボードも効果的に使われているため、ギアが確実に一段上がっている。

2. 地下室のメロディー
 そういえば、これもオリジナルはスカ・ビートだったよな。オリエンタルなギターの音色が印象的な、これまでとはテイストの違うナンバーだった。パーカッションの連打以外は、スタジオ・テイクとそれほど大差はないのだけど、演奏が前に出たミックスによって、オリジナルの歌謡曲っぽさが薄まっている。
 
3. 一世紀前のセックス・シンボル
 70年代ストーンズのサウンドをオマージュし、歌詞もまるで直訳のようなリスペクトに溢れたバッド・ボーイズ・ロック。一聴ではラフなホンキートンクだけど、乱れ飛ぶパーカッションの響きが、祝祭感を演出している。

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4. カーテン
 スタジオ・テイクでは、淫靡なムード演出が稚拙で、歌謡曲とシティ・ポップのどっちつかずだったのが、ここでは骨太なリズムとギターが、強く背中を押している。「さぁおいで ここに来て」というフレーズも、オリジナルは囁き程度だったのが、ここでは強引に手を引いている印象。
 それよりも何よりも、この曲のハイライトはやはり後半のギター・バトル。「ギター・バトル」という言葉自体、すでに死語になっているけど、そそり立つテンションとカタルシスの放射は、問答無用のナルシシズム。

5. 嵐の季節
 先日、リモート・セッションでも配信されていたけど、あらゆる困難な状況において存在感を発揮する、ある意味、彼らのキラー・チューン。ここぞという時、この曲を聴いて背筋を正すヘヴィ・ユーザーは多い。
 「そうさ コートの襟を立て じっと風をやり過ごせ」
 無謀に立ち向かうのではない。かといって、背を向けるわけでもなく。
 拳は、これ見よがしに振り上げるものではない。ポケットの中で握りしめ、時が過ぎるのをじっと待つ。それが大人の男である、と甲斐は訴え続ける。



6. ポップコーンをほおばって
 言わずと知れた彼らの代表曲であり、ライブの定番。ライブ・アルバムの収録率も高く、よって、発表されただけでもいろいろヴァージョンはあるのだけど、まぁアンサンブルはほぼ不変。崩せないんだろうな、きっと。
 起承転結もはっきりして、英語のフレーズはひとつも使ってないのに、それでもちゃんとロックに聴こえてしまう、非常に完成度の高い楽曲である、と気づいたのはつい最近。持ち上げすぎかもしれないけど、デビュー時からこんなの作っちゃうと、後が大変だったことが察せられる。

7. 氷のくちびる
 「Hotel California」にそっくりだなんだ、というのは昔から言われてたけど、まぁ今さら蒸し返すのは野暮なのでスルーして、それより気になるのは録音の悪さ。ここまで比較的クリアな音質だったのだけど、マイクが声拾ってなかったり音割れしたり、評判の悪い歓声のアンバランスなんかが、ここで全部露呈している。
 もうちょっと何とかならなかったのかね、と思うのだけど、演奏のテンションはこれが一番だったのか。その辺はちょっと謎。

8. 最後の夜汽車
 スタジオ・テイクとあまり変わらない構成で演奏される、ファン以外にも人気の高いバラード。明石家さんまがフェイバリットに挙げ、近年ではMISIAがカバーしたことによって、知名度は案外高い。
 ライブならではの臨場感、そして感極まる甲斐のヴォーカルを堪能するには、最適のナンバー。ツボを押さえる感傷的なメロディーでありながら、ベタつく印象がしないのは、甲斐の声質に依るところが大きい。

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9. 安奈
 逆に、ライブによって無骨な印象となるこの曲は、むしろスタジオ・テイクの方が良かったりする。リズムが前に出過ぎてるせいもあるけど、この曲はいい意味で歌謡曲なので、むしろ淡々としたバッキングでメロディーを強調した方が、しっくり来る。
 そう考えると、スタジオでもライブでもあまりブレることのない、安定した甲斐のヴォーカルが光っている。テレビで歌われる「安奈」は力み過ぎなところがあるけど、こんな感じでサラッと歌う方がフィットしている。

10. 二色の灯
 スタジオ・テイクはメロウなフォーク歌謡といった風情。あんまりよく知らないけど、ガロのアルバム曲っぽい。対してライブはちょっとテンポを落とした弾き語り。悲し気に響くブルース・ハープ、強くつま弾かれるアコースティック・ギターが、無骨に吐き出される。
 決して間口の広い曲ではないけど、甲斐バンドのダークな側面を最も反映していることは確か。きちんと対峙して聴き入ってしまう魅力がある。

11. きんぽうげ
 アフロティックなリズムの乱舞に続き、最高潮に達した観衆の声援。言わずと知れたライブの定番であり、名曲であるけど、あんまりコンガが似合う曲ではないよね。
 映像を喚起させる情景描写を20代そこそこで書き上げてしまった甲斐の文才も然ることながら、幾度も演奏しているおかげで安定したアンサンブルも絶品。ただ、安定し過ぎというか、破綻もないのでそんなに面白くはない。

12. 涙の十番街
 なので、当時のレイテスト・アルバム『地下鉄のメロディー』収録曲である、演奏回数の少ない楽曲の方が、逆に面白かったりする。正直、スタジオ・テイクはどのパートもコントラストが強くて、ミックス的には単にクリアなだけで失敗しているのだけど、ライブではうまく改善されている。
 中途半端な歌謡ロックを、ライブのテンションによって、ソリッドなロックに転換できる。そんな地力が、当時の甲斐バンドにはあった。

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13. HERO(ヒーローになる時、それは今)
 言わずと知れた大ヒット・チューン。多分、イベンター側もファン側としても、いつ演ってくれるか待ち望んでいただろうけど、ここはギター中心のライブ・アレンジですっきりまとめている。まぁこの曲だけのために、ストリングス配置するのも現実的じゃないし。
 今じゃテレビ出演の際も気軽に応じてくれるこの曲だけど、解散前までは敢えてセットリストから外されることも多く、いわばレア曲であった。そう考えると、貴重なテイクではある。

14. LADY(レディー)
 オリコン首位を獲得した「Hero」の直前にリリースされたシングルであり、当時最高94位だったことで、そのギャップの大きさだけで語られることが多い重厚なバラード。スタジオ・テイクの甲斐の声は少し甘さが勝って、未練を引きずった男の純情が表現されていたけど、ここでは激情的かつ傷心を跳ね返そうとする男のマッチョイズムが浮き上がっている。
 甘くメロウな甲斐のヴォーカルも魅力的だけど、時に暴力的でさえあるライブの顔は、その後のハードボイルド路線への伏線とも取れる。

15. ビューティフル・エネルギー
 ただマッチョだ豪快だ、とばかりでは肩が凝る。一本調子にならぬよう、ここで思いっきりポップな松藤登場。ドラムスでありながらメロディアスな特性を持つ松藤が奏でるシティ・ポップは、ちょうどいいブレイクとなっている。
 
16. 汽笛の響き
 ヴォーカルは甲斐だけど、これも松藤作の軽快なカントリー・ロック。当時はシングル「感触」のB面としてリリースされ、それほど認知度は広くなかったはずなのだけど、コア・ユーザーには人気だったのかね。
 まるでオーヴァーダブしたように、歓声がフェード・インしてくるあたり、ポップなメロディーが親しみやすかったんじゃないか、と勝手に想像。

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17. 荒馬
 ニール・ヤングへのオマージュのような、荒々しいストローク、そして情緒的なスライドの響き。これも初出は「ビューティフル・エナジー」のB面と地味な扱いだったのだけど、ライブ映えする無骨さとダンディズムは、強い存在感を醸し出している。

18. 天使(エンジェル)
 ツアー中にシングル・リリースされたアルバム未収録曲。ポップな味わいのフォーク・ロックなバッキングと、ロック・テイストの甲斐のヴォーカルとのギャップが気になるけど、当時はコレで充分ウケが良かったんだろうな。
 この数年後、甲斐はこの曲をマッチョにブーストしてリメイクするのだけど、正直、俺はそっちの方が好き。まぁでも、歌詞とフィットするのはオリジナルのアレンジなんだけど。

19. 漂泊者(アウトロー)
 スタジオ・テイクと遜色ない、いやライブにも負けないスタジオ・テイクといった方がいいのか、とにかく刹那な疾走感とグルーヴが支配する、猪突猛進タイプのハードなロック・チューン。とにかくカッコいいの一言。
 こんな破壊的な曲がオリコン最高14位まで行ってしまったのは、時代状況から考えてもすごいこと。



20. 100万$ナイト
 アンコールに応えて歌われた、当時の定番となっていたラスト・ナンバー。直前に飛び込んできたジョン・レノンの訃報を聞き、彼に捧げられている。そんな事情もあってか、感極まった前回『100万ドルナイト』ヴァージョンより、さらに情緒的になっている感がある。
 もともとセンチメンタルな曲なので、古いファンには馴染みが深いのだろうけど、ちょっと遅れてファンになった俺的には、それほど思い入れは薄い。まぁそれは人それぞれ。
 ただ一節、
 「真夜中にふと襲う やりきれなさに どこで二人が間違えたのか 考えてみるさ」。
 甲斐が何を描写し、書きたかったのかー。
 それがずっと気になっている。