
ラジオのパワー・プレイを意識した、サビのフックが効いたコンテンポラリー路線は、レーベル営業サイドからの意向だけではなく、コステロの上昇志向のあらわれでもあった。当時、すでにレジェンドだったポール・マッカートニーとのコラボなんて、インディーのスティッフやデーモンだったら、コーディネートできなかったろうし。
アメリカ市場重視の戦略は見事ヒットし、よってコステロのポジションは、確実にステージ・アップした。ライブのギャラ・ランクも上がったし、同世代のスティングなんかとも肩を並べるようになった。
本人承諾済みだったのかどうかは不明だけど、かつては「コステロ音頭」なんてふざけた邦題を許してしまうくらい、それほどマーケットを強く意識したキャッチー路線を試みて、見事玉砕した過去を持つコステロ、悲願かなってマス・セールスを手中にすることができた。で、そうなると満足しちゃったのか、その後は商業性から一歩引いた作品を連発するようになる。
現代音楽のカテゴリーに属するブロドスキー・カルテット(『The Juliet Letters』)やビル・フリーゼル(『Deep Dead Blue』)との共演や、趣味性丸出しで、有名曲がほとんどないカバー・アルバム(『Kojak Variety』)など、売り上げ全部合わせても『Spike』1枚に届かないモノばかり。敢えてメジャーの逆張りを狙ったのか、はたまたワーナーへの露骨な嫌がらせなのか、生粋の英国人気質が、ラインナップから垣間見えてくる。
アトラクションズのリユニオンという、年季の入ったファンにとってはたまらない企画(『Brutal Youth』)も、内輪もめによって単発に終わってしまう。同じ傾向のサウンドはあんまり続けない、ていうか、すぐ飽きて別路線へ興味が向いてしまうコステロ、その後はコンテンポラリーと言ってもアダルティな方向、アクティヴなパワー・ポップ路線とは次第に距離を置くようになる。
考えてみればワーナー在籍中、「ちゃんとした」メジャー志向のアルバム・リリースは、全体の半分程度であり、チャート・アクションも微妙なモノがほとんどである。パブ・ロック〜パンク・ムーブメントをベースとしたパワー・ポップ路線中心だったインディー時代の方が、むしろチャートを意識したアプローチが多いくらい。
いわば「勝ち組」の余裕、ベテランの風格を盾として、思いついたアイディアを好き放題にやらせてくれるワーナーという会社は、コステロにとって、都合の良い存在だったと言える。契約枚数を消化する都合もあったと思うけど、『Juliet Letters』みたいなアルバム、営業サイドとしてはやりづらかっただろうな。
当時のワーナーは、アトランティックやリプリーズを始めとして、エレクトラやサイアーなどポピュラー系のレーベルを、続々吸収合併の過程にあった。豊富なアーカイブを武器に、ロック名盤を廉価で普及させた「ナイス・プライス」シリーズは、ワーナーの大きな功績のひとつである。これは俺もお世話になった。
当時のレーベル2大巨頭が、マドンナとプリンスだったことからわかるように、ワーナーはロック/ポップスにウェイトを置いていた。コステロもまた、インディーでは望めない、世界的な販売網と強力なプロモーション体制を求めていた。当初、利害は一致していたはずなのだけど、時がたつにつれ、次第に齟齬が生じてくる。
シンプルなロックンロールからスタートしたコステロの音楽的志向は、キャリアを重ねるにつれ、飛躍的に拡大していった。本格的なクラシックやジャズ・スタンダードをも視野に入れた彼の探究心は、ワーナーではもはやフォローし難くなっていた。
待遇自体にそれほど不満があったとは思えないけど、レーベル・カラーにそぐわない作品、場違いのアルバムばかり作るのも、お互い良い結果を生まない。一般にほぼニーズのない、現代音楽系の作品だって、一応リリースしてはくれるけど、取り扱いに慣れていないワーナーのスタッフでは、制作ノウハウも薄いし、プロモーションだって不得手なのは、結果が証明している。
そんな経緯もあってコステロ、同じメジャーでありながら、さらに幅広いジャンルを取り扱うポリグラム・グループへの移籍を決意する。
ロックやポップスはもちろんのこと、ワーナーではフォローの薄いクラシック、はたまたテクノからレイヴ、ラップまで、あらゆるジャンルを取り扱うポリグラムは、同じく何でもかんでも首を突っ込みたがるコステロにとって、まさに理想の環境だった。契約金やリリース枚数、プロモーション体制などなど、チェック条項は途方もない数にのぼるけど、コステロが最も重視したのが創作の自由度、特定のジャンルに縛られない活動形態の保証だった。
コステロ:ポリグラム間で結ばれた契約条項の中、他アーティストではあまり盛り込まれることのない特異点、それが「マルチ・レーベル契約」だった。ざっくり言ってしまうと、楽曲の傾向に応じて、最もテイストの合うグループ内レーベルを選択できる権利である。
大きめのCDショップで例えれば、クラシックならクラシック、歌謡曲なら歌謡曲のコーナーがあり、それぞれのジャンルに特化した担当者がつく。ジャンルへの思い入れが強い者、興味がなくても取り組んでるうちにのめり込んでくることもあって、陳列やPOP作成にも熱が入り、それは売り上げにも直結する。演歌コーナーでバルトークは不似合いだし、ジャズ・コーナーにあいみょんがあっても、売る方も買う方もちょっと困ってしまう。
なのでコステロ、ジャズならヴァーブ、クラシック系ならグラモフォン、ポピュラー系ならポリグラムと、作品にふさわしいレーベルから自由にリリースできる権利を獲得した。餅は餅屋って言うくらいだし、ジャズ作品ならジャズ・レーベルで仕切ってもらった方が、製作面でもプロモーション手法でも有利である。
ちなみに、かつてイングウェイ・マルムスティーンがフル・オーケストラとガチの共演作をリリースし、クラシック・コーナーに陳列されているのを見たことがある。本人的にはマジメに取り組んだと思う。思うのだけれどでも、荘厳なムードのデザインが多いクラシックCD群の中で、いつものメタラー・メイクでポージングするイングウェイのいでたちは、強い違和感を放っていた。
どっちに置けばいいのか、はたまたどっちにも置いた方がいいのか。おそらくショップ側も、扱いに困ったんだろうな。内容をとやかく言う気はないけど、適材適所が微妙なポジションというのも、ちょっと考えものである。
業界内ランク的には、恐らくポール・マッカートニー以上とも言えるバート・バカラックとのコラボ(『Painted From Memory』)で幕を開けたポリグラム期のコステロは、商業的にも芸術的にも大きく飛躍した。予想の向こう側を突き抜けた棚ボタ大ヒット「she」でさらに知名度は上がり、マルチ・レーベル契約をフル活用して、アンネ・ソフィー・フォン・オッターやアラン・トゥーサン、それぞれ両極端のコラボ作をリリースしたり、その無軌道な活動振りはさらに加速してゆく。
とはいえ。でもね。
そうは言ってもコステロ、多岐に渡る活動の中、最もニーズが高いのは、やっぱりロック・コンボ・スタイル、古くはアトラクションズ、今ならインポスターズだったりする。そりゃ歳も歳だから、バラード集やカクテル・ジャズに手をつけるのも仕方ないんだけど、でもやっぱり彼が最も生き生きしてカッコよく見えるのは、ジャズマスターかき鳴らしてがなり立てる姿なのだ。
本人的にもその辺は理解しているのか、クラシックやジャズに特化した趣向でない限り、「Radio Radio」や「Red Shoes」はライブの定番である。またこの辺の曲演る時って、テンション高いんだよな、オーディエンスもコステロも。
で、『Momofuku』。「ニューヨークの馴染みのヌードル・バーの名前」がタイトルの由来ということだけど、要はタイトル考えてる時、目についた看板から適当につけたのだろう、と察せられる。もともと、このアルバムの制作に至る経緯自体、結構行き当たりでアバウトであるし。
ロサンゼルスのロック・バンドRilo KileyのヴォーカリストJenny Lewis のソロ・アルバムのレコーディングに、インポスターズのベーシストDavey Faragherが参加、そのツテで、コステロにもお呼びがかかる。手ブラじゃなんだから、提供できる楽曲をいくつか用意してスタジオに出向いたのだけど、リハーサルやセッションを重ねているうちに盛り上がってしまい、コステロ自身のアルバム制作に発展してしまう。何だその70年代的なノリは。
フル・アルバム制作ともなれば、そこから楽曲制作やらスタジオやミュージシャンのブッキングなんかで時間がかかりそうなモノだけど、そこは多作のコステロ、ジェニーのレコーディングと並行して、チャチャっとアルバム1枚分の楽曲を準備してしまう。そこから1週間という短期集中でレコーディングを行ない、翌々月にはもう店頭に並んでいた、って、なんてインスタントな流れ。
4ピース・ほぼ一発録りスタイルでレコーディングされたため、一聴すると初期アトラクションズのサウンドに近いのだけど、きっかけとなったジェニーのレコーディングの流れから、オルタナ・カントリーのテイストもミクスチャーされている。Rilo Kiley周辺のゲスト・ミュージシャンの影響もあって、ラウドかつブルージーではあるのだけれど、ただアバウトな作りではなく、細かなダビングを施したりなどして、ちゃんと製品として流通することも考えて作られている。
ワーナー期同様、ポリグラム時代もジャンルを縦横無尽に駆け回り、とっ散らかったキャリアは相変わらずのコステロである。あれこれ手当たり次第、思うがままに手をつけてはいるけど、何だかんだ言ってもファンが求めているのはロック・スタイルのコステロであり、それを本人もわかっているのも、また事実。
この後も、さらにカントリー沼にズッポリハマったり、ルーツと組んでぎこちないヒップホップに走ったり、はっきり言って節操はない。「ないからどうした」と言い返されてしまいそうだけど、でもそろそろバンド・スタイルのコステロが聴きたいよな。
先日、スティーヴ・ニーヴのライブ・ストリーミング・ショーにコステロがリモート出演、そこで「Peace, Love and Understanding」と新曲「Hey Clockface」を披露、元気に回復した姿を見せてくれた。弾き語りのバラードだったけど、アレンジ次第でまたはっちゃけた感じになるかもしれない。
信じて、待とう。
1. No Hiding Place
景気のいいファズ・ギターのストロークから始まるオープニング。サウンドのパーツ自体はラウドだけど、メロディアスなフレーズと適度なコーラス・ワークが盛り込まれている。疾走感とは言い難いテンポだけど、手練れの風格ともいうべき独自のタイム感が心地よい。
2. American Gangster Time
ここから盟友スティーヴ・ニーヴが参加。彼のオルガンが入るだけでアンサンブルが締まる。コステロも対抗してか、ファズの響きが重いギター・ワーク。スタジオ・セッション風のレコーディングは、この人が最も得意とするところ。
3. Turpentine
スペイシーっぽかったりラウドだったりブルージーだったり、いろいろなアプローチのギターが浮遊し、全体に強くコンプをかけたリズムとコーラスで形成された、ネガティヴなジャングル・ビートのナンバー。時々、こういったオルタナティヴに走るのは、今に限ったことじゃない。終盤コーダ部分のシャウトは、往年のアングリー・ヤングマンぶりを彷彿させる。
4. Harry Worth
演奏はインポスターズ、脱力したコーラスはジェニーのレコーディング参加組によるセッション。ワーナー移籍後に確立した、ボサノバっぽく浮遊するメロディがクセになる。ヴォーカル処理はデッド気味、シンプルなサウンドがメロディの秀逸さを引き立たせている。
5. Drum & Bone
ドラムに力を入れたかったのか、インポスターズのピート・トーマスに加え、もう一人叩いているのが、テネシー・トーマスという女性ドラマー。トーマス繋がりかと調べてみたら、なんとピートの娘だった、という親子共演ネタ、といったオチ。
2分ちょっとの小品なので、彼女の印象はあんまりない。ソロ弾き語りでも成立しちゃう曲なので、バンド・アレンジにする途中経過、といった印象。
6. Flutter & Wow
サザン・ソウルへのオマージュ濃いバラード。ちょっと土臭く泥臭い、米国風味のウェットに流されるところを、英国人のクレバーな感性によって、アウト・オブ・デイトを免れている。
フレーズごとに響きをコントロールさせる、コステロのヴォーカル・テクニック、盤石としたリズム隊の力が、それを可能にしている。
7. Stella Hurt
ちょっと落ち着いた流れから一転、荒々しく響くファズ・ギターとツイン・ドラムが暴れ回る、強い当たりのロック・チューン。ジェニーその他によるvocal supergroupも、ここでは大活躍、コステロも血管浮き上がるくらいにがなりまくっている。
8. Mr. Feathers
ミステリアスなテープ逆回転ピアノのフレーズが印象的で、でもそれが終わったらオーソドックスなポップ・バラード。中期ビートルズを意識したのか、ピアニカや多重コーラスをダビングしたり、シンプルな割には凝ったプロデュース。『Spike』あたりに入ってても違和感なさそうだな。
9. My Three Sons
変にひねりを利かせず、良いメロディをシンプルに仕上げたカントリー風バラード。転調する美しいサビをフォローするように、David Hidalgo(ロス・ロボス)の奏でるHidalgueraの音色が心地よい。
10. Song With Rose
GSっぽいギターの響きとスティールのアンサンブルが、日本人には好みかもしれない。あ、だから百福なのか(ウソ)。でもメロディは日本人好み。タイトなリズム隊と丁寧に重ねたギターとコーラスが、単なる勢い一発ではないベテランの術としてあらわれている。
11. Pardon Me, Madam, My Name Is Eve
こちらも似たような傾向、時に甘く流れがちなメロディを支える、盤石なバッキング、加えて丁寧なコーラス・ワークが光っている。ちょっとメロウだけど一筋縄では行かない、カントリーもロックンロールもオルタナも一手に引き受けた、懐の深さが窺える。
12. Go Away
スタジオ・セッション風にフェード・インから始まる、ラストはコステロ風オルタナ・ロック。かつてはコステロ自体がオルタナだったけど、もうそんなことは言えない。そんな時期は、とっくの昔に過ぎてしまったのだ。
立場は違ったとはいえ、今もアングリー・ヤングマンであることに変わりはない。燃え盛るパッションは静かに、時に若い血とぶつかり合うことで勢いを吹き返す。
ほぼデュエットと言えるジェニーとのつばぜり合いを見せ、幕は閉じる。
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