folder 2001年にリリースされたスタカンの最終スタジオ・アルバム。実際の活動終了から10年以上経ってからのリリースのため、目立ったプロモーションも行なわれず、当然チャートインもしなかった。なので、ほぼ存在すら知られていないアルバムである。
 リリースされなかった「幻のアルバム」ということで、マニアの間では、当時から存在だけは知られていた。これまでの作風とギャップがあり過ぎて、「セールス展望が見えない」と言う理由で、ポリドールからリリースを拒否されたというのは、あんまり聞いたことがない。当時の彼らの零落振りを示すエピソードである。

 スタイル・カウンシルは、ジャムを解散したポール・ウェラーが、「パンク以外ならなんでもいい」というお題目のもと、ファッショナブルな音楽を目指したプロジェクトである。「スタイル評議会」というユニット名が象徴するように、固定した音楽性を求めず、ロックっぽさから遠ざかる縛りを自らに課することで、成長していった。
 ジャズやボサノヴァ、ラテンやソウルなど、過去の音楽遺産のエッセンスをちょっとずつ拝借し、再構成する作業は、ポスト・パンクの中でも異端だった。逆説的に、それは最もパンク・スピリットに則った行動だったとも言える。
 一曲ごとに違うコンセプトのサウンドを表現してゆくには、既存のバンド・スタイルでは限界があった。後期ジャムの反省を活かし、スタカンはミック・タルボット以外のメンバーを固定せず、フレキシブルなメンバー構成で活動していた。
 ウェラー自身が歌わず、EBTGのトレーシー・ソーンがメイン・ヴォーカルを取った初期の名曲「Paris Match」は、アーティスト・エゴを通すことより、純粋な楽曲主義を優先したことの象徴でもある。そういえばユニコーンにも、アルバム・ヴァージョンは民生ヴォーカルだけど、シングル・ヴァージョンは坂上二郎ヴォーカルの「デーゲーム」という曲があるのだけれど、イヤ、これはちょっと方向性違うな。

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 そんな風にサウンド・コンセプトを最優先し、従来のポール・ウェラー像=モッズ・ヒーローからのイメチェンを推し進めたことが、初期スタカンのブレイクにつながったと言える。硬派なモッズ・サウンドの自己否定として、ワーキング・ウィークやEBTGらのスタイルは、格好のモデルケースだった。
 ロック以外のジャンルを深く極めるのではなく、耳触りが良く、ノリのイイ部分をちょっとずついただいて加工する手法は、ある種のムード音楽を志向していたウェラーのビジョンと一致していた。そんな適度のインチキさ加減こそが、初期の彼らの魅力だったのだな、と今になって思う。
 ファッション・ショーやハイソなラウンジで流れていても違和感ない、イーノの環境音楽よりもポップなコンセプトに基づいて、シングルごとに新たなサウンドを世に問うていたのが、2枚目『Our Favorite Shop』までの彼らだった。だったのだけど、正面切ってホワイト・ソウルとがっぷり四つに組んだ3枚目『Cost of Loving』から、どうも雲行きが怪しくなってゆく。

 曲ごとに、ミュージシャンやクリエイターが入れ替わり立ち替わりする事でバラエティ感が生まれ、当たりもあればハズレもある、そんな玉石混合なところが、初期スタカンの魅力だった。それがサブ・メンバーのSteve WhiteとD.C. Leeが正規メンバーに格上げされることによって、サウンド・コンセプトはアルバム単位で統一されるようになる。
 柄にもなく『Pet Sounds』リスペクトを強く打ち出した4枚目『Confesstions of A Pop Group』が思っていたより売れず、常勝ユニット:スタカンの立場は危うくなってゆく。以前よりも確実にチャート・アクションは悪くなっていたし、レッド・ウェッジに代表される労働党支持活動への傾倒は、ライト・ユーザーの支持を得られなかった。
 そんな状況だったため、ユニットの結束は次第に弱まっていった。でもただ1人、そんな空気も読まず、ハイ・テンションだったのがウェラーだった。ロック以外の音楽を探し続けた末、このタイミングでたどり着いた未知の音楽、まだ一般的ではなかったガレージ・ハウスとの出会いだった。
 当時のUKハウス・シーンはといえば、異端児KLFがアンダーグラウンドで暴れ回っていたくらいで、メジャー・アーティストで手をつけた者は、まだいなかった。クラブ・シーンでも、まだごくわずか、先物買いのDJらが騒いでいたくらいで、一般的なものではなかった。少なくとも、「Top of the Pops」でフィーチャーされるほどの現象ではなかった。

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 で、この『Modernism』が市場に、ていうか発売前の段階ですら受け入れられなかったのは、思うにウェラーの異ジャンル消化能力の衰え、特に現在進行形のサウンドへの適応力不足が要因だったと考えられる。プロ・デビュー以前、雑多に吸収してきたジャズやボサノヴァなどの既知の音楽と違い、ハウスという音楽を咀嚼できる柔軟性に欠けていたとでも言うべきか。
 もともとウェラーのサウンド・メイキングは、素材にそれほど手をかけない、直裁的な手法が多く取られている。何かのきっかけで着想を得ると、初期衝動をあまり損なわず、できるだけ手を加えず、ストレートに表現するのが特徴である。
 ジャム時代の未発表テイクには、影響を受けた楽曲のカバーも多く含まれているのだけど、例えばカーティスの「Move on Up」やJBの「I Got You」などは、もうそのまんま完コピと言っていいくらい、ヒネりがない。とはいえ、あのガナリ声と叩きつけるギターの響きがあれば、ちゃんとポール・ウェラーのオリジナルとして成立させてしまうのが、この人の持ち味なのだけど。

 ソウルでもファンクでもレゲエでも、プロ・デビュー以前に吸収してきた要素ならまだしも、80年代以降の音楽、例えばテクノやラップなどのエッセンスを、ベテランのウェラーが偏見なく取り込むのは、ちょっと無理があった。特にハウスなんかは構造上、匿名性が強いので、明確なオリジナリティを出すには、とてつもなくハードルが高いジャンルである。
 このアルバムで展開されているサウンドは、時代の先取り感だけにフォーカスを当てると、かなりトレンドに沿った方向で成功している。いるのだけれど、フォーマットにこだわり過ぎたあまり、スタカンの名で出す必然性がなくなっちゃっている。
 直輸入仕様のシカゴ・ハウスを、ほぼヒネることもなく、そのまんまで出しちゃったため、これまでのスタカンの文脈からは、大きくはずれてしまっている。サンプリングと四つ打ちビートをベースに、ほとんどヴォーカルが入ってないトラックだったり、メンバーがほぼ参加していない曲もあったりして、かなり挑戦的な内容となっている。
 これまでのアルバムと比べると、ウェラーの存在感はかなり薄い。レーベル側からすれば、どう売ったらいいのか頭を抱えてしまう内容だ。これじゃリリース拒否されてもしょうがない。
 ていうか、よくこれでプレゼンしたよな、ウェラー。どれだけ空気読めなかったんだろうか。

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 『Modernism』のキャンセルに伴い、リリース契約の履行を迫られたウェラーは、ベスト・アルバム『Singular Adventures』の編纂に取り掛かる。いわば契約消化的な内容だけど、これがどういうわけか、UK3位と久々のヒットを記録してしまう。市場のニーズとアーティスト・エゴとの乖離を自覚したウェラーは、この辺りからスタカンの解散を意識するようになる。
 最後のあがきとして、1989年、スタカンは「King Truman」の変名でアシッド・ジャズを取り入れたシングル「Like a Gun」をこっそりリリースする。関係性が良好だったブレイク時ならまだしも、上層部に思いっきり嫌われた『Modernism』以降だったこともあって、ポリドールは態度を硬化、発売3日で回収を命じてしまう。
 そんなこんなでスタカンはひっそりと解散、各メンバーはそれぞれの路を歩むこととなる。なので、棚上げされた『Modernism』は顧みられることもなく、そのままお蔵入りとなった。
 その後、『Stanley Road』の大ヒットによって、ウェラーはソロとして復活、その勢いに便乗して、1998年、スタカン時代の5枚組コンピレーション『Complete Adventures』がリリースされる。その目玉トラックとしてインフォメーションされたのが、『Modernism』トラックの完全収録だった。まぁ微妙な反応ではあったけれど、とにかくこういった経緯で『Modernism』は初めてその全貌を現わした。
 さらにその後、全カタログのリマスターが行なわれ、その流れで『Modernism』は初めて単独リリースされた。されたのだけど、リリース前から鬼っ子的存在として喧伝されていたため、ここでもコレクターズ・アイテム以上の関心を寄せることはできなかった。
 今にして思えば、せめて現役で活動している間、『Cost of Loving』の後にリリースしていれば、ミクスチャー・ロックの先駆けとして、ハッピー・マンデーズ程度には売れていたかもしれない。今さら言ってなんだけど、「我が道を行く」という前のめりの姿勢だけは、もうちょっとみんなに知られてほしい。





1. A New Decade
 当時としてもヒネりのないオーケストラ・ヒットはダサかったと思うのだけど、一周回ったダサカッコよさを狙った、ってのは邪推かね。
 「ウェラーが全然歌ってない」とか「単なるインストのダンス・チューンじゃねぇか」などなど、いろいろ不満はあるだろうけど、コンセプチュアルなアルバムのプロローグとして捉えたら、まぁそんなに腹は立たない。本文で書いたように、「ある種の環境音楽」として捉えるなら、一番最初のコンセプトに回帰した、という見方もある。

2. Can You Still Love Me?
 なので、本編はここから始まると思った方がいい。初出はシングル「Promised Land」のB面としてリリース。UK27位の成績だったため、あんまり話題にもならなかったけど、新機軸を打ち出してる、という意味ではもっと評価されてもいい。
 無理やりハウス・ビートに馴染もうとして浮き上がってるウェラーのヴォーカルのミスマッチ感を冷笑気味に愉しむのもアリだけど、それよりも耳を引くのがミック・タルボットのオルガン・プレイ。シーケンス・ビートをものともせず、強引にグルーヴィーなソロやフレーズをぶち込んでいる。

3. The World Must Come Together
 リズム優先で作られた楽曲が多い中、比較的メロディが立ってキャッチー度の強いナンバー。メロディやコーラスの入り方なんかは初期に結構近いので、わざわざこんな風に解体しなくても良かったんじゃないの?と余計なお世話を焼きたくなってしまう。
 もしかして、デモ・テイクはもっとシンプルに作られているのかもしれないけど、リリース前に打ち捨てられちゃったアルバムなもんだから、テープも残ってないのかな。
 前曲同様、ミックの鍵盤プレイが特筆されるところ。リズム・トラックを抜けば、ジャズ・ファンク風のフレーズがそこかしこで聴ける。



4. Hope (Feelings Gonna Getcha)
 どの曲にも言えることだけど、もともと純粋なハウスDJやクリエイターではない彼ら、「オリジナル・テイクのハウス・ミックス」、いわゆるリミックス集というスタイルでリリースしていれば、もう少し固定ファンのニーズにも沿ってたんじゃないかと思われる。ただ、そういった折衷案のような、まず旧来のやり方で様子見する、というのが気に入らなかったのだろう。
 やると決めたら即やってみる。そんなスピリットが多くのシンパを生んだのだろうし。
 ハウス+アシッドジャズのハイブリッド的なサウンドは、クラブ・ユーザー以外にとっても門戸が広い。だからといって、ディープなクラブ・ユーザーがスタカンを聴いていたとは思えないけど。

5. That Spiritual Feeling
 JB’sのメイシオ・パーカーとフレッド・ウェズリーがホーン・セクションで参加した、オーソドックスなジャズ・ファンク。この辺のサウンドは俺的には大好物だけど、でもわざわざスタカンで聴きたい音ではない。こういう時、タルボットは出過ぎず目立ち過ぎずでいながら、きちんと自分の仕事をしているけど、ウェラーのギターはほぼ存在感がない。わかってたじゃねぇか、そんなの。まぁ慣れないハウス・ビートでお腹いっぱいになった頃合いで、箸休め的なブレイク。

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6. Everybody's on the Run
 初出は最後のシングル「Long Hot Summer 89」のB面として。とはいえ、7インチ/12インチ・シングルそれぞれミックスが全然違い、ほとんど別のサウンドになっている。この辺はねずみ算式に大量のリミックス・ヴァージョンをリリースしていた初期に通ずるものがあるけど、やっぱハウス・ビートがウザい。
 シンプルなオリジナルがあってこそのハウス・ヴァージョンならわかるけど、最初っからハウス・サウンドなもんだから、骨格のリズムやメロディがもったいなく感じてしまう。

7. Love of the World
 なので、逆に開き直って、ここまで振り切っちゃった方がむしろ潔ささえ感じてしまう。「ガレージ・ハウスが好きなんだ」という初期衝動そのまんまに、お気に入りのトラックメイカーに手伝ってもらいながら、見よう見まねで取り組んでみた成果が、このトラック。まぁスタカンって名乗る必要のないサウンドだけど、当時の彼のビジョンが最も伝わってくるトラックである。

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8. Sure Is Sure
 解散後もウェラーに請われてベースを弾き続けたカール・ハインズとの共作がラスト・チューン。このアルバムの中では数少ない、ハウス・ビートの薄い楽曲であるため、旧来ファンも馴染みやすく、比較的人気は高い。
 さっきも書いたけど、折衷案として、このテイストのサウンドで1枚作ってから、12インチなりリミックス・アルバムでアブストラクトなグラウンド・ビートで攻めれば、ポリドールの態度もそんなに悪くなかったと思うのだけど、そういった回りくどいやり方は嫌いな人なんだよな。