2006年リリース、34枚目のオリジナル・アルバム。オリコン最高10位。ま、こんなものか。ただ、TOKIOの『宙船』のセルフ・カバーがちょっと話題になったはずだけど、あんまりセールスには影響しなかったみたい。
 前回も書いたように、今さらチャートで動じる御仁ではない。

 「夜会を愛する中島みゆきファン」は多いだろうけど、「夜会の中島みゆきを『最も』愛するファン」とは、一体どれだけいるのだろうか。おおよそ30年の舞台キャリアを持つパフォーマーであり、実績的には申し分ないのだけど、多分そんなにいないんじゃないかと思われる。
 夜会について深く調べていると、かつて『2/2』が映画化されていたことを、いま初めて知った。みゆきが関与しているのは原案のみ、瀬戸朝香や渡部篤郎が主要キャストとして出演しているのだけど、これまで俺が知らなかったくらいだから、ほとんど話題にもならなかったのだろう。
 『2/2』に限らず、他の演目も別キャストで上演したら、多分同じ結果になるんじゃないかと思われる。この辺が、歌と演劇との違いになる。
 工藤静香や研ナオコがみゆきの歌を歌うことに、違和感を覚える人は、おそらく少ない。極端な話、島津亜矢でもみはるでも、ある程度の感銘を与えることは可能だ。
 どれだけアレンジやリズムを変えたり、アプローチを変えたとしても、そこには表現者:中島みゆきの強いエゴが残っている。創造者としての強いアイデンティティが、フレーズなり言葉に刻まれていることで、歌い手側はその世界観に引きずられる。
 単に音符を追うだけじゃなく、パフォーマーなりの新たな解釈を吹き込むには、強力なエゴと直感、さらに洞察力が必要となる。それらを生まれつき持ち合わせるのは選ばれし者であるけれど、それを披露する機会を得る者となると、さらに限られてくる。
 柏原芳恵や桜田淳子らは、そう言った面ではバランスよく秀でていたのだけど、長く続けてゆくには、また別の才能や努力、そして時と運が必要になってくる。そう考えると、静香って最強だよな。

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 『シャングリラ』でも『リトル・トーキョー』でも何でもいいけど、夜会原作を他の演劇集団が演じたとして、まぁワイドショーでちょっと取り上げられることくらいはあるかもしれないけど、でも、ただそれだけ。よほどコアなみゆきファンでも二の足を踏むだろうし、俺も札幌で観れたとしても、多分行かない。
 みゆきが原作を書いたからといって、彼女が出演しない舞台/ミュージカルを観に行きたいかといえば、多分そうはならない。シェイクスピアやつかこうへいと違い、みゆきの書くストーリーは、観劇の直接的な動機付けにはなり得ない。
 彼女の生み出す歌は、アジア諸国を含め、あらゆるシンガーに歌われている。なのに、夜会のパフォーマンスは、みゆき自身じゃないと成立し得ない。

 前回も書いたけど、開始してからずっと年1回のペースで行なわれて夜会は、21世紀に入ってからはペースを落とし、ほぼ2年に1回の開催となっている。準備期間に余裕を持ったことによって、舞台美術や演出も年を追うごとに大掛かりになっている。
 コンサートでもミュージカルでも演劇でもない、中島みゆきオリジナルの舞台芸術として、夜会は定着した。膨大な下準備のもと、緻密に編まれたストーリー構成、相反するライブ感から生ずる舞台上のマジック、そして、商業舞台として欠かせぬエンタメ性の追求。
 以前も書いたけど、2年に1回、2〜3週間程度の興行なので、単体で採算が取れるものではない。なので、DVD発売から映画上映、夜会楽曲に絞ったコンサートなど、あらゆる手段で資本回収に走らざるを得ないのが現状だ。
 ヤマハ経営陣の最古参として、おそらく現社長より影響力が強いと思われるみゆきだから継続していられるけど、もっと昔に打ち切られていたとしても不思議はない。言っちゃえば、他のベテラン・アーティスト同様、普通の興行だけで十分食っていけるんだろうし。

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 大枠のストーリーを追うことで、より魅力が伝わる夜会楽曲は、正直、単体では存在感が大きく目減りする。そのままシングル・カットできそうな曲もあるけど、シーンの状況説明で終わる幕間の楽曲だってあるわけだし、その辺は玉石混交、まぁどのアルバムにだって言えることか。
 夜会楽曲を除いた近年のみゆきのアルバムの楽曲構成は、
 ① 書き下ろしオリジナル (過去のストック使用もあり)
 ② 他アーティストへ提供した楽曲のセルフ・カバー 
 ③ 外部オファーによるTV・映画のタイアップ曲
 に、おおよそ分別される。以前だったら、②も各アルバムに分散せず、何年かに一度、『おかえりなさい』や『回帰熱』のようにアルバム1枚にまとめていたのものだけど、そこに投入する時間も体力も、捻出するのが難しい。
 単純に歌を作り、そして歌う。もう、それだけやってればいい立場ではないのだ。
 アーティストとして、パフォーマーとして、執行役員として、ラジオ・パーソナリティとして、それぞれの関りがあり、それぞれの段取りが決まっている。そのどれもが大切な仕事であり、疎かにはできない。がむしゃらに完徹できた20代・30代とは違い、気力・体力は確実に落ちている―。
 年を追うにつれ、アルバム内のオリジナル楽曲率は減ってはいる。いるのだけれど、夜会向けの楽曲も書いているため、実際の創作ペースは昔とそれほど変わっていないはずだ。多少のスランプを迎えたこともあっただろうけど、音楽の女神(ミューズ)はその素振りを決して見せない。

 表現者としての中島みゆきは、時に暴走する時期を迎えることがある。サウンド・メイキングに迷走した80年代のご乱心期が顕著だったけれど、それも瀬尾一三に出逢ったことによって、スタジオ・ワークの試行錯誤は大幅に軽減された。
 抜群の信頼を置く瀬尾にアレンジやサウンド・コーディネートの大部分を託すことによって、純粋な創作活動に専念できるようになったみゆきだけど、それでも曲の出来不出来はある。長いキャリアの中では、「これはちょっと何だかな」という曲も、出てきたって不思議はない。何しろ人間離れしたミューズなので、凡人から見てると分からないけど、リリースしてから「やっちまったな」と後悔した曲も、公言はしてないけどあったんじゃないかと思われる。
 「舞台は魔物」とはよく言ったもので、夜会プロジェクトに没入し、時に足元が見えなくなる。原点であるはずの「歌うたい」、吟遊詩人としての中島みゆきを再確認する作業が必要になる。

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 実際にみゆきが公言しているように、『ララバイSINGER』はシンガー・ソングライター中島みゆきにとって、原点回帰の作品として製作された。オリジナルとタイアップ、それにセルフ・カバーによって構成されているため、リリース前から知られていた曲も多く収録されている。
 このアルバムで大きな話題となったのが、オリジナル楽曲のクオリティの高さだ。特にタイトル曲は、単純なリメイクやインスパイアに終わらず、デビュー曲をモチーフとしながら、まったく同じ世界観をまったく違う時空でシンクロさせている。
 純粋な歌うたいとして、また時間軸を超えた物語を連綿と紡ぐシャーマンとして、みゆきは存在する。物語のルーツはみゆきの中に常にあり、そしてそれは、形を変えることはあれど、突き詰めるとひとつの物語に過ぎない。

 ももクロだろうが夜会だろうが、みゆきはひとつのことしか歌っていない。
 みゆきはずっと、そこにいた。


ララバイSINGER
ララバイSINGER
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中島みゆき
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1. 桜らららら 
 もともとはデビュー・アルバム『私の声が聞こえますか』の収録候補曲だったということだから、おおよそ40年前の曲。「歌詞が1番しかできてなくて、収録を見送った」とのエピソードが残っているけど、完成品とされるこのヴァージョンを聴いても、どの辺を追加したのか、正直疑問。だって、らららら抜いたら、そんなにセンテンスないじゃないの。
 多分、1番と思われる序盤の歌詞や、ひねりがなく牧歌的なメロディは、確かにアマチュア時代の延長上にある。なので、出来がどうした、じゃないんだよな。原点に立ち返るっていうのが重要なわけだし。

2. ただ・愛のためにだけ
 岩崎宏美のシングルとして書き下ろされたナンバー。キャリア的にはほぼ同期の2人だけど、そういえばコラボってなかったし、なんかイメージが合わないよな。どちらかといえば優等生キャラのイメージが強かった岩崎宏美ゆえ、「女」「性」のテイストが強いみゆきの楽曲は、多分周りもオファーしなかったんだろうな。
 ちなみに岩崎宏美のヴァージョンを聴いてみたのだけど、まぁピッチ的には当然うまい。うまいのだけど、「岩崎宏美が歌う中島みゆき」というイメージが強い。こうして文字にして書いてみて、「アレ、なんか俺、当たり前のこと書いてるな」って気づいた。
 どうにも2人は交じり合わない様になっている、と言いたいだけ。みゆきヴァージョン?まぁ、アベレージは超えてはいる。

3. 宙船 (そらふね) 
 考えてみれば、みゆきが男性シンガー(グループ)に書き下ろした例自体がそんなになかったのだった。俺がパッと思いつくところでは、前川清に提供した「涙」、あと何かあったっけ。
 もともとはこのアルバムのメイン・トラックとして書かれた、とのことだけど、書いた後にTOKIOに渡しちゃって、それから改めてレコーディングした、という経緯があるから、ヴォーカルのタッチは荒々しく、長瀬テイストが強い。まぁ引っ張られた、ってところか。
 理屈っぽさや暗喩も少なく、ストレートで男っぽい歌詞は、裏表なく、万人に届きやすい。ただ、TOKIOに提供することが決まってから、多少の修正があったはずなので、ほんとの初期デモ・ヴァージョンも聴いてみたいところ。あるかどうかは不明だけど。

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4. あのさよならにさよならを
 ともちゃんこと華原朋美に提供したシングル曲のセルフ・カバー。当然、TKプロデュースじゃないので、方向性が迷走していた休業直前の時期だったと思われる。
 せっかくなのでYouTubeでオリジナルを聴いてみたところ、漂ってくるメンタルの不安定さゆえか、気合の入ったヴォーカルを聴くことができる。普通にバラード・シンガーとしてうまいし、表現力も充分。この路線で続けられていたら、とちょっと悔やまれる。
 みゆきヴァージョン?さっきも言ったけど、アベレージは超えてるって。でも、それだけかな。

5. Clāvis -鍵-
 やっぱ静香だな。この時点で8年ぶりのコラボだったらしいけど、みゆきも静香もお互い、きっちりツボを押さえて仕上げている。ロッカバラードに仕上げた静香ヴァージョンと、マリアッチ・テイストのみゆきヴァージョン、どっちも秀逸。
 歌詞は静香をイメージして書かれたせいもあって、変な思わせぶりもないストレートなラブ・ソング。押しの強い女を歌わせたら天下一品の静香の存在により、みゆきもこういったスタイルの歌詞を書けるようになった、とは言い過ぎかね。



6. 水
 いろいろ解釈の別れる歌。水が何を意味しているのか、をずっと問い続けている。哲学なのか形而上学か、見方によって「愛」なのか、それとも「エゴ」なのか。どれと断定できるものではない。
 ただ、ひとつ。言葉数が多いんだよな。暗示的な表現なら、もっとセンテンスをそぎ落としても良かったんじゃないか、というのは大きなお世話。昔の楽曲を引き合いに出して悪いけど、「縁」っていうプログレッシヴな曲を書いてるんだからさ。

7. あなたでなければ
 「千葉ロッテマリーンズのチェイス・ランビン内野手の応援歌の原曲」ということらしいけど、プロ野球なんてしばらくまともに見てないんで、ちょっと不明。ただ明快なサビと歌詞、ノリの良いアンサンブルは、球場で聴くと気持ちいいかもしれないな。
 
 あなたでなければイヤなんです
 あなたでなければダメなんです
 似たような人じゃなくて 代わりの人じゃなくて
 どうしてもあなたにいて欲しいんです

 ストレートな愛の告白だけど、直接届いているのかどうか。「もしダメならダメで、次行きゃいいか」という潔さと諦観が交差している。

8. 五月の陽ざし
 決してメイン・トラックにはなりそうもない、地味なピアノ・バラードだけど、細やかなメロディ・ラインと丁寧なヴォーカルが、シンガー・ソングライターとしての基本に立ち返る気概を感じさせる。
 遥か昔、渡せずじまいだった彼へのプレゼントの小箱の中には、丁寧に綿にくるまれたドングリの実がひとつ入っていた。考えてみれば、あまり知らない女の子にドングリ飲の実をプレゼントされたら、どう思うだろうか。そりゃ気持ち悪いわな、意味わかんないもの。
 こうやって書いちゃうと、エキセントリックとしか思えないストーリーさえ、きちんと体裁よくバラードに仕上げてしまうライティング・スキルの高さ。さすがみゆき。

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9. とろ
 ラジオの時の声質をそのまんま持ってきた、近年では親しみやすいメロディとサビを持ったナンバー。とはいえ演奏はしっかりしており、アンサンブルもきちんと考えられて配置されている。
 単にほんわかした歌と思ってはいけない。みゆきがこんな風におふざけで歌うときは、大抵悲しい歌だ。いつもの調子で歌ったら泣き出してしまうのを、実は心の中で必死に抑えている。
 ただ単に、巻き舌で「とぉ~ろっ」て言いたかっただけかもしれないけど。

10. お月さまほしい
 みゆきは昔から「月」をテーマとして扱うことが多く、この曲も月夜を舞台にしており、様々な解釈が飛び交っている。BL風味が取り沙汰されることが多いけど、いやいや、そうじゃないって。
 俺の勝手な解釈で行くと、この曲は「空と君のあいだに」の続編。犬の視点で呼んでみると、スッキリする。

11. 重き荷を負いて
 最初に聴いた時から、強いインパクトだった。「がんばってから死にたいな」というフレーズは異質でありながら、心の抉れにすっぽり収まった。
 かつてみゆきは「傾斜」で、日増しに厳しくなる登り坂を歌った。

 「悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら
 忘れるよりほか ないじゃありませんか」

 あれから四半世紀経ち、みゆきも老婆に近い年齢となった。忘れるわけにはいかない。放り出すわけにもいかないのだ。
 俺がこの曲を初めて聴いたのが37歳だったけど、自分に響くようになったのは、40過ぎてからだった。ストレートで無骨だけど、染み渡ってくる。演歌って、こんな感じなんだろうか。

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12. ララバイSINGER
 ファンの間でも大きな話題となったタイトル曲。なぜこの時期、この曲調・このテーマを選んだのか。結局のところは、みゆきしかわからない。
 シンプルに考えれば、ララバイ=子守歌だけど、誰に向けて歌っているのか。誰か他人か、それとも自分か。

 歌ってもらえるあてがなければ 人は自ら歌びとになる
 どんなにひどい雨の中でも 自分の声は聞こえるからね

 とても人を眠りにつかせようと歌う内容ではなく、ていうか、むしろ寝かしつける気なんて、まるでない。まぁ「アザミ嬢のララバイ」だって、そんなのは皆無だったけど。
 歌人にならざるを得ない絶望的な孤独、そしてそれをどこか望んでる自分。
 気の狂いそうな絶望の中でも、自分のために歌うことくらいはできる。
 もしそれができなくなれば―。
 まぁ寝るか、そろそろ。「もうおやすみ」って言ってるし。



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