folder 1989年リリース、帝王マイルス最後のオリジナル・アルバム。どの辺を最後とするか、人それぞれ解釈はあるだろうけど、完パケまで本人が関わったスタジオ音源という意味において、俺的にはこれが最後である。
 この後にリリースされた『Doo -Bop』は、もともと完パケ・テイクは6曲のみ、ワーナーに制作を託されたイージー・モービーが、残されたアウトテイクや断片フレーズをかき集め、ヒップホップ解釈でつなぎ合わせた、いわば編集モノ。なので、マイルスの意図がきちんと反映されていたかといえば、それもちょっと微妙。微妙だけど、結果的にはクールに仕上がってるので、俺的には結果オーライ。
 サウンド・プロデュースは、当時マイルスの右手というか、ほぼ両腕的存在と思われていたマーカス・ミラー。今回の新機軸は、ゴーゴーのリズムをフィーチャーした、とのことだけど、聴いてみれば通常営業のマイルス風ジャズ・ファンク、そこまでぶっ飛んだ仕上がりにはなってない。
 いわゆるキャリア末期とされているワーナー時代だけど、アーティスト:マイルス・デイヴィスはまだ枯れておらず、この『Amandla』もあくまで通過点だったはず。体力的な不安もあって、死期が近いことも察していただろうけど、「最高傑作は次回作だ」という名言を残しているように、いつもの現在進行形である。
 なので、いわゆるフェアウェル的な華やかさや悲壮感とは無縁、生演奏とMIDI機材との絶妙なコラボレーションが混在している。

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 デンマークでのオーケストラ・セッションで生まれた問題作『Aura』のリリースをコロンビアが拒否したことが発端となり、怒髪天マイルスは長年のパートナーシップを解消、ワーナーへ移籍する。彼クラスなら、どのレコード会社からも引く手あまただったはずだし、実際、水面下での交渉もあちこちで進めていたんじゃないかと思われるけど、なんでよりにもよってワーナーだったのか。
 ロック寄りのフュージョン/クロスオーバーのイメージが強く、80年代のワーナーはジャズ系はそんなに力を入れてなかったはず。ただ、ロック系のドル箱アーティストを多数抱えてウハウハだったワーナー、帝王を迎えるにあたり、契約金には糸目をつけなかった。マイルスもまた、当時はロック/ポップス系とのコラボを増やしてゆく動きもあったため、ブルーノートやアトランティックのようなジャズ本流レーベルとの契約は、最初から考えてなかったと思われる。
 コロンビアでは、永く帝王としてふんぞり返っていたマイルスだったけど、現役復帰以降は、その威光も薄れてゆく。もちろんジャズ・シーンをけん引してきたオピニオン・リーダーであり、功労者であることに変わりはなかったけど、時代はライト・フュージョンと新伝承派と二分化し、マイルスはそのどちらにも属さなかった。
 そのどちらも、もともとはマイルスが道筋をつけたものだったけど、80年代のジャズは彼のリードを求めていなかった。前線復帰したとはいえ、マイルスは古い水夫でしかなかった。往年のレジェンドに、誰も新機軸など求めやしない。コロンビアとしては、「So What」と「Round Midnight」の無限ループで充分だったはずなのだ。
 神々しいレジェンド枠に押し込めて、古参ジャズ・ファンから効率よく集金したいコロンビアの思惑と、進取の気性猛々しいマイルスとの食い違いは、次第に広がってゆく。『You're Under Arrest』でナレーションでゲスト参加したスティングのギャラ支払いでもめて、結局マイルスが自腹を切った、というエピソードは、関係の悪化を象徴している。

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 そんな按配で、何かと騒々しかった80年代のマイルス、日銭を得るための頻繁なライブ活動や、ロック/ポップス系アーティストとのコラボやゲスト出演に費やされたと思われがちだけど、膨大な量の未発表レコーディング素材が残されていたことが明らかになっている。近日リリースされる『Rubberband』を始めとして、ワーナー時代の未発表セッションは、きちんとした形ではまとめられていない。
 ブートで明らかになっている音源もあるにはあるけど、それほど世に出ているわけではない。ワーナー時代の再評価がまだ進んでいなかったせいもあって、今後はいろいろ発掘されるのかね。最近、急に話題になったユニバーサル・スタジオの火災でオシャカになってなければよいのだけれど。

 俺にとってのマイルスとは電化以降なので、いわゆるモダン・ジャズ時代のアルバムは、あまりちゃんと聴いたことがない。以前レビューした『Round About Midnight』は、メロウでありながらクールな佇まいが感じられて好きなのだけど、他のアルバムはあんまり身を入れて聴いていない。
 いや一応、ジャズの歴史・教養として、ひと通りの代表作は聴いてのよ。プラグド・ニッケルもマラソン・セッションも『クールの誕生』も。ジャズを聴き始めて間もない頃、右も左もわからないから、取り敢えずディスク・ガイドに載ってる歴史的名盤選んどきゃ間違いないべ、と買った『Kind of Blue』。結局2、3回聴いただけで、どっか行っちゃったし。
 俺的には、ワーナー時代のアルバムも結構好きなのだけど、コロンビアを離れてからタガがはずれ、コンテンポラリーに寄りすぎたせいもあって、世間的には評判はあまりよろしくない。最晩年というバイアスがなければ、まともに評価されることも少ない。
 ただ、90年代のレア・グルーヴ〜クラブ・ムーヴメントの盛り上がりによって、リアルタイムではあまり顧みられなかった電化時代が再評価されたように、そろそろこのワーナー時代にスポットライトが当てられるんじゃないか、と俺は勝手に思っている。コロンビア時代はもうかなり深いところまで掘り尽くされちゃったので、まともな未発表テイクが残っているのは、もうこの時代くらいしか考えられない。

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 で、『Amandla』。ここ数作、ほぼサウンド・メイキングには参加せず、マーカスが作ったカラオケにチャチャっとフレーズを吹き込んだモノが多かったのだけど、ここではライブ・バンドと行なったセッション音源がベースとなっている。ちょっとしたダビングやエフェクト処理でマーカスが手を加えている部分もあるけど、多くはライブで練り上げたアンサンブルを、スタジオでさらに磨きをかける、といったプロセスで仕上げられている。
 これまでは「またマーカスかよ」と、ちょっと辟易していたのだけど、この時期に行なわれた未発表セッションの存在を知ってしまうと、また見方が違ってくる。オフィシャル・リリースの流れだけ見れば、最晩年までマイルスとマーカスとの蜜月は続いていたと思われがちである。
 ただ丹念に歴史を辿ってゆけば、マーカスとの作業もマイルスにとってはオン・オブ・ゼムに過ぎなかったことが、明らかになっている。新たな刺激を求めて、時に自ら触媒となって、様々な異文化交流・異種格闘技が行なわれている。
 プリンスやチャカ・カーンとのセッションは有名だし、また、一度スタジオに呼ばれたけど、それっきり声がかからなかった、というミュージシャンは数知れず。最終的にマイルスが思うところのレベルに至らず、お蔵入りしてしまった音源は山ほどあるのだ。
 ただいくら没テイクとはいえ、そこはマイルス、二流のアーティストと比べれば、レベルは全然高い。彼のビジョンと違った仕上がりだったり、はたまた契約関係で表に出せなかった音源だったりの理由であって、クオリティ云々の問題ではない。
 そうなると、やっぱりユニバーサル・スタジオの火事が気になってしまう。とんでもないレベルの文化遺産逸失だぞ、あれって。

 で、当時のマイルスの思惑と一致したサウンドを作っていたのがマーカスだったのだけど、必ずしもそれに満足しているわけではなかった。なので、数々の未発表セッションや他アーティストへのゲスト参加なども、まだ見ぬネクスト・ワンを追ってのプロセスだった、と思えば納得が行く。
 復活以降のマイルスは、単独でクリエイトするのではなく、他者とのコラボレーションによる化学反応にウェイトを置いていた。自ら率先してサウンド・コーディネートするより、常に新たなアイディを得るためにアンテナを張り巡らせ、異ジャンル交流を積極的に行なっていた。
 ただそんなメソッドがすべてうまく行ったわけではない。旧知のミシェル・ルグランならともかく、多くのセッションは具体的な形に仕上げることができず、やむなくお蔵入りとなったわけで。
 そう考えれば、マイルスを納得させた上、ワーナーからの商業的見地も考慮した作品を何枚も作っているのだから、マーカスのレベルの高さ、いい意味での使い勝手の良さがダイレクトに反映されている。
 そう考えれば、テオ・マセロとのパートナーシップ解消は痛手だったよな。まぁ、お互い潮時だったんだろうけど。


Amandla
Amandla
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1. Catémbe
 この時期のマーカス・アレンジの典型、丁寧に構築されたシーケンス・ビートと効果的に配置されたシンセやソプラノ・サックス、その上を縦横無尽に吹きまくる御大。きちんと先読みしてシミュレートされながら、思惑とはちょっとズレたフレーズをぶち込んでくるのは、やはりスタジオ内での真剣勝負ならでは。
 とはいえ、絶対マイルスじゃないと、という必然性は感じられないサウンド・アプローチ。コンボ・スタイルのように、「打てば返ってくる」というセッションではないので、まぁ仕方ないか。

2. Cobra
 『Tutu』に続き、再度ワンショットでの登板となったジョージ・デューク:プロデュースのトラック。ケニー・ギャレット(sax)やマイケル・ランドゥ(g)が参加しているのが目を引くけど、そこまでの存在感をアピールするに至っていない。敢えて言うなら、ここでのマイルスのミュート・プレイはちょっと重厚感が増しており、ライブ感が引き出されている。やっぱ打って響かないと、底力は出ないものだな。

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3. Big Time
 ゴーゴーというにはややゆったり目だけど、マーカス尽くしだとのっぺりしたフュージョンで終わってしまうので、こういった毛色の違ったトラックがあった方が、アルバム構成的にはメリハリがつく。
 当時、やたらロック・サイドに急接近していたJean-Paul Bourelly(g)のプレイに触発されたのか、マーカスのベース・ソロもイイ感じに走ってる。まだ30前だったものね、マーカス。そりゃコンソールいじってるより楽しいわな。

4. Hannibal
 ケニー・ギャレットが吹くパートになると、途端にフュージョンになっちゃうのだけど、それ以外はマイルス渾身のプレイがあちこちに散りばめられて、聴きどころが多い。その後、ライブで定番になったくらいなので、まだ広がる可能性を秘めていたトラック。控えめながら、徐々にバンド・グルーヴの熱量を上げてゆくオマー・ハキムのドラム・プレイも必聴。

5. Jo-J
 やたらポップなアレンジで、当時は「なんか違う」感が強く、いまもそこまで思い入れの薄いトラック。「なんかこう、イケてるヤツ」って感じで御大にリクエストされてマーカスがシコシコプログラミングしてる様が目に浮かぶ。
 ただ、この後の『Doo-Bop』や未発表作『Rubberband』に象徴されるように、「いかにもジャズ/フュージョン」からの脱却を図っていたマイルスにとって、これもまたひとつの足掛かりだったのでは、と今になって思う。ここからもう少し発展してゆくはずだったんだろうな。

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6. Amandla
 タイトル・トラックは、比較的スタンダード・ジャズに近いシンプルなバラード。俺の好きな「Round Midnight」とテイストが似てるせいもあってか、聴いた回数は多い。ここではケニー・ギャレットもちゃんとジャズの顔をしている。
 ジョー・サンプル(p)が参加しているだけで、こんなにも空気感が違うものなのか。「このくらい、いつだってできるんだぜ」とダークにほくそ笑むマイルスの表情が透けて見えてくる。



7. Jill
 今まで気にしていなかったのだけど、この曲をプロデュースしたJohn Bighamって誰?と思ってググってみると、フィッシュボーンのギターの人だった。
 80年代中盤に出てきたミクスチャー・ロックの先駆けで、日本ではそこまでそこまでブレイクしなかったけど、御大はこんな新人クラスにもチェック入れてたんだな。ていうかマーカスが「こんな若手いますぜ」って口利きしたのかね。
 マーカスの場合、どうはっちゃけてもフュージョンになってしまうので、現在進行形のリズム・アプローチを取り入れるため、こうやって新世代・異ジャンルのアーティストを繰り返していたのだろう。このアルバムではこれ1曲だけだけど、まだ発表していないテイクもあるんじゃないの?

8. Mr. Pastorius
 タイトルが示す通り、1987年、不慮の死を遂げたジャコ・パストリアス(b)に捧げられた鎮魂歌。とはいえ、タイトルをつけたのはジャコに心酔していたマーカスで、デモ・テープの段階で打診したところ、マイルスはただうなずいただけだったらしい。もともとレクイエムなんてガラじゃないし、ジャコとプレイしたって聞いたことないので、ちゃんとした経緯は不明。
 それでもそれなりに才能は認めていたのか、リリシズムあふれるプレイが全篇に渡って展開されている。「ちゃんとした」ジャズをやろうと思ったのか、久しぶりにある・フォスター(d)まで駆り出されてるし。
 いややっぱり、「このくらいのことは、いつだってできる」人なのだ。
 ―でも、それだけじゃ足りなかった。そういうことだ。




Rubberband
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