o0800078910666905383 1984年リリース9枚目のオリジナル・アルバム。いまも昔も変わらず、頑固なほど自身のサウンド・ポリシーにこだわってる人なので、レーベル・カラーの強い80年代ソニーにひと括りしてしまうには、ちょっとムリがある。ただこのアルバムでは、時代のトレンドだったMIDIサウンドをバリバリ使用しているせいもあって、結果的に当時のソニー色が強い。
 いきなり話は飛ぶけど、スピードワゴン小沢による、近年のJポップに対する発言が、ちょっとした波紋を呼んだ。
 -『砂糖が甘い』みたいな歌詞で、みんな『ああ、分かる。だよね』って言ってる。当たり前すぎることを詩で書き過ぎて、それをみんな共感してるっていう。
 -だから、『砂糖が甘い』みたいな歌詞を書いて、若者が『分かる』って言うのは、チャンチャラおかしいね」。
 あまりに的確すぎて、わかりみ深い。「そうなんだよ、俺が思ってたのはまさしくソレ、よくぞ言ってくれた」。激しく同意した人も多かったらしい。
 いつからだろうか、行間を読む歌が少なくなっていた。いや歌だけじゃないな、これ。小説なんかも、余白がただの余白になっちゃってる。作者の暗示する意図や婉曲的な表現は、好まれなくなっていた。
 対象レベルを思いっきり引き下げて、「3歳児でもわかるような表現じゃないと、伝わらない」と勝手に気を回しすぎた結果が、いまのJポップの現状だ、と小沢は暴いたのだった。こういう発言って、内部からは出ないよな。第三者だから言えたんであって。
 余計な比喩や言い回しは抜きにして、とにかく反復し続ければ、想いはきっと伝わる。「100万回のアイラブユー」。アイラブユーがゲシュタルト崩壊しちゃってる。

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 とはいえ、昔だってくっだらねぇ歌詞はあった。すべてがすべて、昔は良かったとは言わない。変に回りくどい表現より、ストレートな物言いがいい場合もある。
 飛び抜けた歌唱力や表現力があるのなら、歌詞はできるだけシンプルな方がよい。普遍性を持つスタンダードは、大抵簡潔な表現だ。
 極端な話、シンガーの力量次第で、歌詞の優劣は大きな問題ではなくなる。テクニックと素養に恵まれれば、ドレミファソラシドさえ、ひとつの歌として成立してしまう。
 そんなシンガーのポテンシャルに頼らず、歌詞単体をひとつの作品として成立させようと試みていたのが、松本隆だった。
 はっぴいえんどでは、英米由来のロックサウンドに日本語を違和感なく乗せることに神経を注いだ。その試みはある程度、完成への道筋をつけることができたけど、その前にバンドは空中分解した。松本にとって歌詞は大きな割合を占めてはいたけど、他のメンバーにとっては決してそうではなかった、ということだ。

 東京人のナイーブな感性から紡ぎ出される松本の歌詞は、紋切り型の歌謡曲の歌詞とは一線を画していた。アイドル歌謡ではあまり用いられていなかった婉曲的な比喩や、散文めいていながら映像を想起させるストーリー性は、彼が好んでいたヌーヴェルヴァーグ映画の手法とシンクロしていた。
 ただ、旧態依然とした歌謡界ゆえ、最初から彼のスタイルが受け入れられたわけではない。これまでになかった表現スタイルは、ある者にとってはひどく新鮮に映ったけど、まどろっこし過ぎて敬遠される者の方が多かった。
 太田裕美「木綿のハンカチーフ」がヒットしたことをきっかけに、評価は少しずつ上向き始める。その後も試行錯誤を繰り返し、松田聖子の一連の作品によって、松本は歌謡界の一角にポジションを確立する。

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 80年代前半の松本隆は、メインである聖子プロジェクトと並行して、膨大な量の作品を書き下ろしている。その守備範囲は幅広く、イモ欽トリオから森進一まで、そりゃもう節操がない仕事ぶり。いや待てよ、もとはと言えば、細野さんや大滝経由の依頼だから、節操ないのは彼らの方か。金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」も手掛けてたよな、この頃って。
 で、基本は職業作詞家である松本、オファーによってテーマや主題は変わってはくるけど、通底に流れるテイストは昔から大きく変化していない。
 他人の温もりを感じ取れるギリギリの距離感を保ちながら、空気を通して伝わってくる感情の揺らぎ。その微かな揺れを、何気ない仕草や表情として写し取る。時に位相や視点を変えることもあるけど、パーソナルの距離感を変えることはない。
 「映画的」とも評される物語の断片は、緩やかなストーリーを形作る。墨流しのようなモノクロ映画が「はっぴいえんど」だったすれば、丹念に淡い色を重ねたカラー映画が「太田裕美」だった、と言える。

 南佳孝は、最初から自分の色を持ったアーティストだった。松本とは、同じ学年で同じ東京育ち、似たような環境で育ったこともあって、2人の価値観は重なり合う部分が多かった。
 音楽より詩作に重きを置いた松本と、ロックに捉われない感受性でオリジナリティを育てていた南。音楽への向き合い方こそ違ってはいたけれど、物の見方や姿勢は東京人共通のものだった。
 程よい距離感と軽いペシミズム。興味のある方向へは、ちょっとだけ歩みを早める。声高に訴えたり、出しゃばったりすることは、ちょっと恥ずかしい。
 熱くなりすぎず、かといって、すべてを斜め見するほど、クールにはなり切れない。
 心のうちは、軽く熱を帯びている。
 -微熱少年。

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 微熱少年からの視点、または微熱少年としての思考というのが、2人の共通認識である。それはいまも一貫して変わらない。
 時代を駆け抜ける同士である2人は、かつてガッツリ向き合って『摩天楼のヒロイン』を創り上げた。丹念に作られたコンセプト・アルバムで象徴的なのは、そのジャケットだ。
 純白のスーツでダンディにキメる24歳の南佳孝。縁取るように添えられた、鮮烈なライト・ブルーの影。そして、左胸に淡く浮かぶ、ロゼ・ワインのような彩りのバラが一輪。
 このアルバムの実質的な主役は松本隆だ。「はっぴいえんど以後」の余韻を残す、松本の言葉に色彩はない。それを象徴するかのように、南の背後は松本のオフホワイトで塗りつぶされている。
 これがデビュー作だった南のカラーは、とても遠慮がちだ。本来の彼の色であるパステル・カラーも、白い背景とスーツに大きく侵食されている。
 松本のモノクロームが強く、南のカラーは打ち消されてしまっている。今でこそ先進性が再評価されてはいるけど、当時は意図が伝わらなかった。セールスは、お世辞にも良いとは言えなかった。

 そんなデビュー・アルバムの不発以降、2人は距離を置くことになる。まったく決裂したわけではなく、その後も松本は南のために詞を書き続けた。ただし、『摩天楼のヒロイン』のように、プロデューサーとして深く関わるのではなく、あくまでいち作詞家として。
 その後の南は、テーマとしてのコンセプチュアルな方法論ではなく、サウンド・プロダクトでの個性確立を志向するようになる。もともと素養としてあったジャズやラテン・テイストをフィーチャーした、AOR構造のソフト・サウンディングは、都会生活者の渇いた心を癒すBGMとして作用した。
 サウンドやコンセプトに合わせて、時に松本以外の作詞家を起用する事で、テーマの幅は広がり、シティ・ポップの筆頭として評価を確立していった。

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 そんなこんなで、それぞれが自分なりのカラーを固めた頃合いで、2人は再び手を組む。それが『冒険王』だ。
 『冒険王』では、松本が久し振りにスタジオに詰め、総合プロデュースを行なっている。この時期、ほぼ作詞家専業だった彼がレコーディングの現場に出向いたのは、かなり珍しいことだった。
 経験を積んだことで、2人とも表現テクニックは向上していた。当初、モノクロームでしか描けなかった松本は、主に女性アーティストを手がけることによって、柔らかく淡い色を使うことを覚えた。南もまた、デビュー時の曖昧な色使いではなく、「ここには、この色」と、強いこだわりを表に出すようになっていた。
 彼らが創り上げたのは、これまでとは違うビビットな色、強い色調を用いた「かつての未来」だった。それはまだ「微熱少年」以前、2人がまだ小学生だった頃。高度経済成長の最中にあった60年代、まだ見ぬ未来は、常に肯定的だった。
 彼らが思い描く未来は、鮮やかな極彩色の希望だった。12色のクレヨンや絵の具で、彼らはまだ見ぬ数十年後の世界を夢想しながら、拙く描いていた。
 レトロ・フューチャーの先駆けとも言える『冒険王』の世界には、かつて「こうなったらいいな」と願う少年達の無邪気な想いが描かれている。往年の挿絵画家、小松崎茂によるビビットなアートワークは、2人によって構築されたおもちゃ箱的世界観を反映している。
 陰影が強く重厚感のある小松崎の油彩画とは対照的に、2人が描く未来は、淡い色調のパステル画だ。あくまでこれまで獲得してきた技術やテクニック、そして手法を用いて、「かつての未来」を描く。少年時代の未来、そして現実の未来とも違う、ヴァーチャルな世界観が、『冒険王』のテーマとなっている。
 なので、シングル・ヒットした「スタンダード・ナンバー」は、このアルバムから大きく浮いている。全然違うコンセプトで作られたから仕方ないけど、セールス考えると入れざるを得なかったんだろうな。そこは大人の判断だ。


冒険王
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南佳孝
ソニー・ミュージックレコーズ (1994-11-02)
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1. オズの自転車乗り
 ちょっと控えめなスペクター・サウンドに、レトロな電子音と50年代ポップス風コーラス。きらびやかな未来感を表現した3分間の魔法。ヴォーカル・スタイルはいつもの南佳孝だけど、清水信之のアレンジがアーバンっぽさをほど良く打ち消している。

2. 80時間風船旅行
 スウィング・ビートに乗って軽やかに駆け巡るオーボエの音色は、古き良きハリウッド映画を想起させる。ベーシック・リズムは丁寧に作られているため、MIDI黎明期の打ち込みとはいえ、十分にグルーヴしている。
 他意のない歌詞はどこまでも素直で前向き、なので南のヴォーカルもメロディも、ここでは優し気な表情を見せている。

3. 素敵なパメラ
 またまた舞台は変わって、今度は60年代ポップ・ソウル。のちにシングル・カットもされた、キュートなポップ・チューン。混じり気なしのステレオタイプのラブ・ソングでありながら、サラッと「付き合えばすぐわかるさ 男の値打ちがね」という一節を滑る込ませる松本のセンスがたまらない。大滝詠一だったら、照れて歌えないんだろうな、こういうフレーズって。
 こんな言葉をサラッと口にできてしまうのが、大人なんだろうな。中途半端な田舎の高校生は、そんな風に思っていたのだった。

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4. COME BACK
 全篇英語詞、なのでこれだけ松本詞ではない。ビートを強調したソフト・ファンク。エフェクトを強くかけた南のヴォーカルは、ちょっとSFっぽい。1分程度の幕間的商品。

5. PEACE
 60年代末と思われる学生運動の情景が描かれているけど、あくまで傍観者的な視点。緩やかなレゲエ・ビートなので、のどかささえ感じられる。ゴダールやコルトレーンなど、時代を象徴するワードもどこか緩やか。みんながみんな、ゲバ棒持って火炎瓶振り回してたんじゃないんだよ、ということなのだろう。
 微熱少年は、そんなことで熱くなったりはしないのだ。

6. 浮かぶ飛行島
 SFマニアにはお馴染み、昭和初期に活躍した小説家、海野十三の代表小説からインスパイアされた、ミステリアスさ漂うナンバー。ジャケット・アートワークのイメージには、最も近い。ここでは南も少年のような声を聴かせ、松本もジュブナイル的な冒険譚を淡々と表現している。

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7. 火星の月
 ほんの1分足らずのピアノ・バラードだけど、松本隆的宇宙が色濃く反映されている。
 
 火星に ふたつの月がのぼるよ
 俺は 最後の煙草 くゆらし
 運河には 朽ち果てた 宇宙船
 気味の写真 胸に抱いて 眠るよ

 舞台が宇宙なだけで、松本の技が炸裂している。受けて立つように、南もまたいつものタッチでアーバン・テイストを醸し出している。

8. 宇宙遊泳
 南があまり使用しない、残響の長いドラムが、無音である宇宙の深遠さを表現している。ヴォーカルのタッチは、いつもの南。レトロSFっぽい暴走した電子音は、ちょっと安直かな。まぁマンガっぽくていいのか、これはこれで。でも、スティール・ドラムは案外ハマってる。
 壮大なテーマを歌っているにもかかわらず、南が歌うと世界は初期村上春樹テイストになってしまう。やれやれ。僕は宇宙で射精した。

9. 真紅の魔都
 このアルバムの中でも人気の高い、疾走感あふれるデジタル・ファンク。やっぱソニーだから、大沢誉志幸っぽいのかな、と思ってたら、レコーディングにはPINKのメンバーが参加していた。そりゃ似るわ。
 アーバンなサウンドに戯画調の歌詞とのミスマッチ感が、逆に個性を際立たせている。この路線でもう何曲かやってほしかったな。

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10. スタンダード・ナンバー
 薬師丸ひろ子のヴァージョンが有名だけど、当時はこちらも結構な確率で耳にすることが多かった。強いアタックのピアノ、ジャジーなホーン・セクション、やたらグルーヴィーなベース・ライン。でも、どのパートも決して熱くなり過ぎないクールさを保っている。
 映画主題歌ということもあって、松本にしては珍しく、ストーリー性が明快で映像喚起力が強い。作詞家としては最も脂の乗っていた時期なので、このアルバムでは封印していたレトリックや断定的なフレーズを多用している。

 愛ってよくわからないけど 傷つく感じがいいね
 泣くなんて馬鹿だな 肩をすくめながら
 本気になりそうな 俺なのさ

 どのフレーズもゾクゾクしてしまう。あぁ、全部書き出したい。



11. 黄金時代
 古き良きラグタイムに乗せて、『摩天楼のヒロイン』のリベンジといったテイストの歌詞。ダンディを突き抜けてもはやコミック的なシチュエーションは、肩の力が抜けてしまう。控えめなシンセが古色蒼然をうまく打ち消している。

12. 冒険王
 この レコーディング中、一通の訃報が2人の心を突き動かした。
 冒険家、植村直己。享年43歳。世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたのち、連絡が途絶える。いまだ遺体は発見されていない。
 ここで歌われる冒険王の舞台は、植村の冬山ではなく、アマゾンを思わせる密林のジャングルだけど、未知を追い求める姿勢に変わりはない。2人にとってのヒーローが植村だった、と単純には言えないけど、製作途中にあった『冒険王』への影響があったことは確かである。
 ラストを飾るのは、植村に捧げられた荘厳なストリングス・バラード。ギミックもエフェクトもない、正攻法のナンバー。
 
 君を愛してる 分かるだろう
 もしも帰らなければ 忘れてくれよ
 忘れてくれよ

 忘れられるわけ、ないじゃないか。「愛してる」なんて言われたら、なおさら。
 「忘れてくれよ」のリフレインは、未練のかたまりだ。
 -でも、それが男なんだよ。2人とも、そう言いたいのさ。



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