folder 1987年リリース、清志郎初のソロ・アルバム。チャート・アクションは不明だけど、当時のRCのアルバム・チャートが大体20位前後だったので、多分そのあたりだったんじゃないかと思われる。
 日本のロックの礎を築いたアーティストの1人として、後進に残した影響力は計り知れないけど、データ面だけで見ると、実はそれほど大きなセールスを上げていたわけではない。日本のロックの名盤として取り上げられることも多い、彼らの代表作『ラプソディー』や『カバーズ』も、バカ売れしていたかといえば、そうでもなかったりする。
 その後、完全版が発掘されたりして、累計枚数ではペイしている『ラプソディー』も、最初は宝島周辺の斜め上なサブカル村が騒ぎ立て、次にテレビ出演でのやりたい放題なパフォーマンスでお茶の間に浸透したけど、実際の売り上げには結びつかなかった。発売中止騒動が新聞の社会経済面で取り上げられた『カバーズ』も、話題先行型で瞬間最大風速的に売れたけど、純粋な音楽的評価での結果ではなかったし。

 テレビ出演を拒否することがロックバンドのアイデンティティだった80年代初期、RCはテレビ出演を厭わない、それでいて大衆に媚びたりもしない、独自のポジションをすでに築いていた。演奏する時こそ傍若無人な態度を貫きながら、翻ってトークの場面になると、居心地悪そうに言葉少なくなり、明らかな場違い感を醸し出していた。そんな異質な存在だったからこそ、過剰に芸能界寄りになることもなく、かといって斜に構えてマニアックに走ることもなかった。
 小学生からお年寄りまで、誰もがうっすらその存在を知っており、有名曲もしこたまある。素人に毛が生えた程度の新人から、超絶テクニックを誇る大御所まで、どんなバンドも歌うことができるのが「雨上がりの夜空に」、フェスのエンディングの定番だ。
 誰も知ってるはずなのに、みんなが買った気になっていたため、案外セールス的にはパッとしなかったバンド、それがRCサクセションである。

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 全キャリアを追っている古株のファンは別として、これだけ活動期間が長いと、時代によって嗜好もバラけてくる。単にRCファンといっても、ひと括りにはできない。
 多分、最も多いのは80年代以降、チャボ加入後のファン層だと思われる。いま現在も続く彼らのパブリック・イメージ、派手なステージ・アクションとストーンズ・タイプのロックンロールは、ここで確立された。いまも歌い継がれている名曲も多く、80年代初頭という時代の趨勢とシンクロしたバンドの勢いが詰め込まれている。
 次に多いのが、その前の『シングル・マン』時代前後。いわゆる暗黒期だけど、ここでも「スローバラード」という一世一代の名曲を残している。加えてこの時代、清志郎は井上陽水と「帰れない2人」を共作、『氷の世界』に収録されたおかげで、一瞬だけ印税成金の生活を享受したりしている。
 そこまでのインパクトはないけど、デビュー間もないフォーク時代が至高というマニアも、少なからず存在する。地味だけど味わい深いデビュー曲「僕の好きな先生」は、ちょっとだけヒットしたらしい。当時からフォークの常道を外したステージは、まだ素人だった泉谷しげるに大きな影響を与えている。
 さらにずっと時代は下って、過激さに拍車がかかった『カバーズ』時代が好きなファンも多い。笑ってしまうほどの怒りと焦燥が表面化した、一連の言動やパフォーマンスは、ロックな生き方が生活に根ざしたものであることを、多くの人たちに再認識させた。

 で、俺が好きなRCは、この中には当てはまらない。レーベルで言えば東芝EMI時代、『Feel so Bad』から『カバーズ』以前までという、自分で言うのも何だけど、ちょっと変わった嗜好である。あんまりいないんだよな、この辺を語る人って。
 個人事務所設立で心機一転、新レーベルに移籍したにもかかわらず、セールス的には頭打ち、バンド活動もマンネリ化してまとまりのなかった時代である。知名度の高まりと共に、メンバー以外のスタッフが関わることが多くなり、バンド内の意思疎通がままならなくなるのは、和洋問わず、どのバンドでも起こりうる事態である。
 当時、バンド内のムードは決して良いとは言えなかった。極度の人見知りで知られていたチャボが先行してソロ・アルバムをリリースするくらいだったから、よほどバンドの居心地が悪かったんじゃないかと察せられる。かく言う清志郎もまた、単発的なゲストや客演を積極的に行なっていた。これじゃ人のことを、とやかく言えない。

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 いまと違って80年代の音楽情報収集は、もっぱら雑誌メディア主体だった。たまに出る歌番組でのトークは適当すぎたため、深く掘り下げたい音楽ファンは、音楽雑誌の批評やインタビューを隅から隅まで熟読していた。そんなニーズに応えるように、雑誌編集の方も熱気を放ち、主観と客観おり混ぜた記事を発信していた。名物編集者やライターなんてのもいたし、いい時代だったよな。
 そんなメディアの活況を盛り立てていたのが、ロキノンの渋谷陽一、80〜90年代の洋楽バブルの立役者である。トップ40だけにとどまらない、ニッチなジャンルにもスポットライトを当て、洋楽マーケットの裾野を広げたのは、彼の功績である。
 「ジミー・ペイジこそ至高」といった自身の趣味嗜好とは別に、経営者判断として雑誌拡販のため、シーン全体の活性化を図った。80年代のニュー・ウェイブ、90年代のオルタナ・シーンが日本に根付いたのは、ロキノンを入り口とするユーザーが多かったから他ならない。なんかちょっと持ち上げすぎだな。
 80年代中盤の渋谷は、ロキノン・ジャパンの創刊によって、裾野を日本のロックにまで広げている。ロキノン時代から長きに渡って、渋谷がインタビューを行なっていた1人が清志郎だった。

 俺世代にとって、RCのインタビューといえば渋谷陽一、というのが決定的に刷り込まれている。他メディアのインタビューなら、ロックンロール的なアバウトさで挑んでいる清志郎も、ある意味、断定的かつ緩急使い分けた渋谷の話術に引き込まれ、ペースが乱れているのが紙面を通しても伝わってくる。
 掛け合い漫才のような導入部から、次第に渋谷の独断ありきのトーク運び、それをおちゃらけてはぐらかす清志郎。あらゆる角度から深堀りして本音を引き出そうとする渋谷に対し、ほんの少し言葉少なげに本音を口にしてしまう清志郎。
 他のインタビュアーとはひと味違う掛け合いは、ひとつの芸として昇華していた。なので、北海道の中途半端な田舎の高校生は、新譜がリリースされるたび、そのページを繰り返し読んだのだった。
 日本語のロックでは、主に歌詞の言及にこだわりを持っていた渋谷であったため、RCに対しては、特に言葉使いや世界観を深く突っ込んでいた。セックス&ドラッグ&ロックンロールのセオリーをなぞりながら、半歩はずれたセンテンスやストーリー性、そして垣間見えるロック少年の叙情性は、渋谷がクローズアップしたからこそ、広まったイメージだと思うのだけど、なんか渋谷ばっかり持ち上げすぎだな。

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 ロキノンだったかジャパンだったか、それともブリッジのインタビューだったか記憶に定かではないのだけど、歌詞に重きを置いて進行する渋谷の手法に、清志郎が不満を呈したことがあった。実際のインタビューでは、サウンドやアレンジのことだって喋ってるのに、誌面ではいつもカットされている。歌詞もそりゃ大事だけど、バンドマンなんだから、もっと音楽面のことも書いてほしい、と。
 それに対して渋谷、「だって、みんな関心があるのはそっちだから」と、流してしまう。で、またいつもの掛け合いが始まる。
 インタビュアーであると同時に、編集長であり経営者である渋谷からすれば、読者のニーズは歌詞の背景、そして作者のキャラクターにある、といった主張である。活字では、サウンドのニュアンスを伝えるにも限界があるので、編集者判断としては間違っていない。
 粗野でワイルドなビジュアルとは対照的に、少年の目線を通した心象風景を描く清志郎、といったアーティスト・イメージは、戦略的には間違っていなかったと思う。渋谷を含むメディア側もまた、彼の存在を広く知らしめるため、それが良策と判断したわけだし。

 初期のフォーク・トリオ・スタイルは、清志郎が能動的に選択したものではない。日本のフォークのセオリーである、叙情的でもなければ高らかなメッセージを唱えるわけでもない。フォーク村の中において、彼の書く曲は明らかに異質だった。
 長いことかけてどうにか口説き落としたチャボの加入によって、やっと理想のロックコンボ・スタイルが整うことになる。ギター一本の弾き語りでも、充分間を持たせることが可能な清志郎だけど、やっぱり彼は派手な演出が似合う。
 いくら理想形とはいえ、バンド運営も安定してくると、表現者としては何かと欲が出てくる。せっかくなら、もっといい音でレコーディングしたいし、バンド以外の音も入れてみたい。ストーンズ・ベースのバンド・サウンドも悪かないけど、たまには違うベクトル、アバンギャルド・ジャズや歌謡曲だってやってみたい。
 ソロでどくとる梅津バンドやピンククラウドに客演したり、RC本体でもハワイ・レコーディングを敢行したり、スタジオ・ライブ一発録りを行なったり、実は様々な試行錯誤を繰り返しているのが、80年代のRCである。ただ、セールスに結びついたのは話題先行型の坂本龍一とのコラボくらいで、そのほとんどはあまり話題にならなかった。
 バンドマンとしての成長を目指しながら、その姿勢が世間のニーズと重なることは少なかった。そんな世間とのギャップが、のちに解散を招く遠因となる。

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 で、『Razor Sharp』。やっとたどり着いた。
 ソロ・デビュー作となるこのアルバム、もともとソロ製作ありきで作られたものではなく、ある意味、成り行きでこうなっちゃった、という経緯がある。
 当初、ロンドンで行なったミニ・アルバムのミックス・ダウンの仕上がりが気に入った清志郎、次回はレコーディングもロンドンで行なうことをメンバーに打診する。ただチャボを含め、他のメンバーがそれを拒否、痺れを切らした清志郎が単身ロンドンへ向かうことになる。渡英ギリギリまで折衝が続いたので、バンドは現地調達、顔合わせしてすぐレコーディングという、何とも泥縄なスケジュール。
 なので、レコーディングにあたって召集されたブロックヘッズのメンバーは、清志郎の希望でも何でもなく、向こうで勝手にコーディネートされたものである。準備期間もほとんどなかったため、取り敢えず手の空いてるバンドに片っ端から声をかけ、どうにかスケジュールを抑えたスタッフの苦労と言ったらもう。
 ブロックヘッズからすれば、東洋の得体の知れぬバンドマンが、ジャパン・マネーを振りかざしてやって来るわけだから、なめてかかっていたことは明白である。どうせ暇を持て余していたし、適当に合わせておけば、いい小遣い稼ぎになるんじゃないか、と。
 当時、フロントマンのIan Dury は、俳優業ばかりで音楽活動に本腰を入れていなかった。要は開店休業状態が長く続いていたため、まとまった期間のまとまった収入は、彼らにとってもありがたいものだった。
 対して清志郎、RCを連れて来れなかったからオファーしたのであって、ブロックヘッズには何のリスペクトもない。バンドの存在はおろか、Ianのことさえ知ってたかどうか、それすら怪しい。事前に彼らのアルバムくらいは聴いてたと思うけど、実際にスタジオに入ってみないと、ほんとのところはわからない。
 言葉も通じなければ音楽性だって微妙に違う、ましてや手合わせしたことのないバンドマンらの思惑が同期するまでには、ある程度の時間が必要になる。もともと饒舌とは言えない清志郎、ただでさえ言葉の壁があるため、意思疎通もままならない。
 バンド側もまた、怪しげな扮装の寡黙な東洋人が何を考えているのか、何を求められているのかイメージがつかめず、演奏はどうしたって探り探りになる。微妙な忖度が交差するおかげで作業は綱渡り、残された時間はどんどん少なくなる。

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 もともと能動的に製作したソロ・アルバムではない。準備期間も少なかった。ホワイト・ファンク色の強いブロックヘッズの演奏と、80年代UK特有の硬質なサウンド・プロダクションは、スタックス・ソウルをバックボーンとした清志郎との相性は、決して良いわけではなかった。
 ただ、円熟という名の予定調和にまとまりつつあったRCのサウンドに最も危機感を抱いていたのが、清志郎である。できあがってしまったものを崩すためには、相応のエネルギーが必要となる。そのエネルギーが足りない場合は、別方向からの衝撃、外部からの刺激が効果的となる。
 いわばRCを仮想敵として、清志郎はこのアルバムを作った。疲弊した既存のロックを打ち壊すため、ミック・ジョーンズとジョー・ストラマーは、粗くラウドなパンク・ロックを世に問うた。歴史は何度も繰り返す。
 まとめることを目指していないため、ヴォーカルとバンドとのギャップは、違和感としてそのまま投げ出されている。でも、それこそが清志郎の求めたビジョンだったのかもしれない。


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1. WATTATA (河を渡った)
 基本は変則リズムを交えたベーシックなブルースだけど、異質なギターの音色がインダストリアル感を演出している。弾いているのはSteve Hillageというプログレ畑の人。フランスの大御所プログレ・バンドGongに参加していたり、カンタベリー畑のKevin Ayersとコラボしたりしている。俺もよく知らないけど、ひと言でまとめると、「レココレ読者が好きそうなアーティスト」。これで何となくわかってもらえるんじゃないかと思う。
 サウンドに100%満足してるわけではなさそな清志郎、ブロックヘッズのプレイ自体は至極オーソドックスなものだけど、スタジオ・ブースでの作業ウェイトが大きいので、ニューウェイブ感が強い。G2との共作なので、渡英前から準備していた曲なのだろうけど、RCでやってたらどうなっていたのか。多分、テンポの速い8ビートだろうな。



2. 90 DAYS - 免停90日
 アクの強いオープニングから一転して、RCタイプの王道ロックンロール。官憲批判と下ネタとの絶妙なブレンドは、清志郎のお手のものだけど、バンドにそれが通じていたのかどうか。多分、雰囲気でわかっちゃうんだろうな、こういうのって。
  このアルバム、ほとんどのドラムを叩いているのは、元クラッシュのトッパー・ヒードン。80年代を象徴する、極端に加工されたドラム・サウンドとは相性が悪いんじゃないかと思っていたけど、案外違和感ない。考えてみれば、パンクの源流のひとつがパブ・ロックであったため、ブロックヘッズとの相性が悪いはずがない。
 
3. AROUND THE CORNER / 曲がり角のところで
 シングルとしてもリリースされ、夜ヒットでも披露された軽快なポップ・チューン。当時、TV出演の際は英国からの来日アーティストといった設定で、清志郎のトークはすべて英語、通訳を介して行われていた。まぁいつも通り設定は甘いので、すぐボロが出ちゃうんだけど。
 話は飛ぶけど、サザンが「チャコの海岸物語」をリリースした際、大衆のニーズをつかむため、敢えてヘタウマにトシちゃん(田原俊彦)の歌い方を参考にした、と発言していた。ここでの清志郎もまた、敢えてポップ性を強調したかったのか、トシちゃんっぽいヴォーカルで通している。
 ブロックヘッズの面々による、拙い日本語コーラス「アイタイ」「アブナイ」が味わい深い。ちなみにドラムは、ブロックヘッズのチャーリー・チャールズにチェンジ。軽いグルーヴ感は、清志郎との相性も良い。ほんとなら、レコーディング・メンバーはほぼブロックヘッズなので、彼がメインで叩くのが当然なのだけど、チャーリーの体はガンに侵されており、無理の効く状態ではなかった。その後、一時快方に向かったけど、1990年9月、彼はこの世を去る。



4. ワザト FEEL SO SAD (CANADA SEVEN)
 穏やかな16ビートに導かれる、ファニーなポップ・バラード。柔らかなアコギを軸に、肩の力を抜いたヴォーカルの清志郎。でも、これってブロックヘッズじゃなくても良かったんじゃね?と、ふと冷静になって思う。RCとのレコーディングを前提としての曲作りだったため、新たに書き下ろすには時間が足りなかったのだろう。ブロックヘッズのキャラクターは生きていないけど、これは仕方がない。

5. MELODY MAKER / メロディーメーカー
 いくらRC向けだったとはいえ、このようにソウル・ベースの楽曲なら、むしろブロックヘッズの方に分がある。ここでの主役はギターのJohnny Turnbull。手クセっぽいオブリガードをたっぷり聴かせてくれる。この泥臭さはやはりパブ・ロックならでは。サウンドのエフェクトも控えめなので、バンドの素の姿が浮き上がっている。

6. RAZOR SHARP・キレル奴
 CureやJesus & Mary Chain辺りのUKゴシック的なテイストの響きでありながら、演奏自体は至極まっとうなパンク・ロック。ミックスやエフェクトが時代性を感じさせるのは、各楽器の分離が変に良すぎるから。これが支持された時代だったのだ。
 終盤のオーティス張りの清志郎のフェイクは、すでに唯一無二。演奏自体も熱がこもっている。良い音楽は万国共通という事実を象徴する楽曲。

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7. SEMETE (GOING ON THE ROAD)
 この曲だけ、RCのホーン・セクション、梅津和時と片山弘明が参加している。山下洋輔(P)も参加しているため、変拍子で乱れまくりのジャズ・セッションがベースとなっている。アクの強い3人が参加していることもあってか、全体的に演奏はまとまりがない。まとまることを求めていないのが、このセッションのテーマでもある。でも、こうして聴いてみると、ブロックヘッズの方がきちんとしてるよな。

8.  CHILDREN'S FACE
 コンソールでの調整は最低限に抑えられているため、このアルバムの中では比較的素のバンド・アンサンブルを聴くことができる。しかもブルース・タッチのファンク。清志郎・ブロックヘッズとも、最もオイシイ展開の楽曲でもある。俺的に一番好きなトラックは、実はこの曲でもある。

 子供の顔したアイツより 信頼できるぜ大人の方が
 子供はすぐに 気が変わる
 約束なんかは 破られた方だけが 覚えてるのさ

 少年の心や視点なんて評価を笑い飛ばすような、中身が子供な頭でっかちの連中への痛烈なメッセージ。いっぱしの大人を気取りながら、ガキみたいな所作の連中は、いつの時代も一定数存在する。そんな連中とも、折り合いをつけたりつけなかったり。あぁ世の中ってめんどくさい。

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9. あそび
 もともとは1971年頃に書かれており、そのまま忘れられていたけど、今回復活して収録された。多分、制作中に曲が足りなくなって、ストックから引っ張り出してきたんじゃないかと思われる。わざわざこの曲をやるために準備していたとは思えないし。
 かなり初期の曲なので、ボキャブラリーも少なく、コード進行も近年の作風とは違って浮遊感がある。いわゆるロック・バンドとしてのRCとはまったく違うテイスト。でもブロックヘッズに合う曲じゃないよな。

10. IDEA / アイディア
 この時期の清志郎の楽曲の中では、最も破綻なくまとまっており、構成もしっかりしたロック・バラード。俺的には「スローバラード」と双璧をなす傑作と思っているのだけど、RC名義じゃなかったため、埋もれてしまっている。G2が絡んでいるため、もともとRCでもある程度、デモテイクは作られていたんじゃないかと思われるけど、それを凌駕する演奏のブロックヘッズ、一世一代の演奏。言っちゃ悪いけど、彼らがこんなロック的な演奏ができるだなんて、思いもしなかった。

11. BOO-BOO-BOO
 ラストはシンプルなパーティ・ロックンロール。完全に清志郎のフィールドで演奏は進む。ファンクもロックも関係ない、単にノリの良いロックンロール。これがRCなら、もう少しザラッとした肌触りのソリッドな演奏でまとめたんだろうけど、ブロックヘッズの連中も、こういったプレイはお手の物。しかもここで大きくフィーチャーされているのが、Ian Dury。ダミ声で入る「アラヨ」とか「ホラネ」といった合いの手は、時に攻撃的になりがちな清志郎のヴォーカルをほどよく和らげている。



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