d9dc25e1760cc1aeb76b394c942f4bc2b93ee725_l 前回の続きだけど、ちょっと話は逸れて松本隆の話から。
 70年代まで、多くの歌謡曲は職業作曲家によって作られていた。歌う人と作る人、そして演奏する人との分業サイクルがうまく回っていた時代の話である。
 80年代に入ってからは、そんな王道路線とはまた別の流れが出てくる。既存歌謡曲のセオリーからちょっとズレた、ニュー・ミュージック系アーティストらの台頭である。70年代にも、宇崎竜童やさだまさし、谷村新司らが山口百恵にシングル曲を書き下ろしており、前例がなかったわけではないのだけれど、まだ一般的なものではなく、局地的な現象でしかなかった。ブレイクスルーの決定打となるのは、その百恵の引退後、松本隆主導による松田聖子プロジェクトからである。
 ちなみに大滝も山口百恵に楽曲提供しているのだけれど、『ロンバケ』リリースから間もないこともあって、ネームバリューはまだ浸透していなかった。しかもアルバム収録曲だったため、話題にすら上らなかった。

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 70年代の松本は、作詞家として駆け出しだったこともあって、筒美京平をはじめとする歌謡曲フィールドでの仕事が多かった。
 wikiの作品一覧をざっと見てみると、あいざき進也から渋谷哲平、岡田奈々まで、主にアイドル仕事が多くを占めている。あのねのねまで手掛けているくらいだから、片っぱしからオファー受けていたんだろうと察せられる。
 そんな具合で実績を積み重ね、ヒットメイカーとしてのポジションも盤石となったところで舞い込んだのが、聖子プロジェクトだった。短期使い捨て的な扱いだった従来アイドルとは違うメソッド、アイドルとアーティストのハイブリッドが、ソニー・スタッフの描くイメージだった。前例のない、そんなラフスケッチ的なモチーフに息を吹き込むには、かつてアーティストとしても活動していた松本のビジョンが必要不可欠だった。
 純潔性と天真爛漫さを前提とした一女性アイドルの成長ストーリー、少女から女性へのはかなげな成長過程を、楽曲を通して描いてゆく。当初は意味も深く呑み込めず、背伸びして大人を演じていた百恵だったが、次第に楽曲テーマと自身の成長とがシンクロし始め、遂には菩薩とまで称される境地に到達する。リアルタイムで描かれるビルドゥングス・ロマンは、結婚・引退という鮮やかなフィナーレを迎えるに至る。
 百恵の時代、「大人の女性」になるには、アイドルの前提を捨てなければならなかった。恋愛・結婚と純潔性とは相反するものとされていたし、淑女にとって天真爛漫さもまた卒業すべきものだった。
 聖子プロジェクトの本質は、そんな百恵時代のアンチテーゼでもある。
 -大人になったって、カワイイ人はいっぱいいる。アイドルだからって、恋愛しちゃいけないわけじゃない。むしろ、恋愛もしないでラブソングを歌うのって、なんか矛盾してない?-
 デビューからもうすぐ40年、すったもんだはあったけど、新たなテーゼをいくつも作りながら活動を続ける聖子。どれだけ波乱万丈であろうと、歌の中では「永遠の少女」である聖子の心臓は、剛毛が生えまくっているのだろう。

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 作詞だけでなく、松本が総合プロデュースに関わることによって、聖子の楽曲クオリティは飛躍的に向上する。従来歌謡曲のスタッフよりはむしろ、かつての盟友たち、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ人脈のアーティストを重用した結果だった。
 職業作曲家による、ファニーで甘い金太郎飴な仕上がりのアイドル歌謡とは違って、どうしたって個性のにじみ出てしまうシンガー・ソングライターの楽曲は、それぞれ特有のテイストがあった。「アイドル・松田聖子」というキャラクターを想定して、それぞれ自分なりの「アイドルっぽい楽曲」を書くのだけれど、従来歌謡曲の定石とは、多かれ少なかれズレが生じる。そのズレがひとつの個性となり、記名性の強い聖子のヴォーカルとの相乗効果を生み出すのだ。

 聖子のブレイクだけが主因ではないだろうけど、同時多発的に他のレコード会社も、ロック/ニュー・ミュージック系アーティストへのオファーを行なうようになる。
 80年代前半は歌謡曲最期の全盛期、ちょっと名の売れたアイドルなら、シングルは3ヶ月、アルバムは半年のリリース・ペースだったため、従来の職業作曲家だけではすべてをカバーできなかった。必然的に、ちょっとでも作詞作曲ができる者であれば、声がかかることになる。お茶の間での知名度が低いアーティストにとっては、名前を売るチャンスになるし小銭稼ぎにもなるので、お互いwin-winだったんじゃないかと思われる。
 ちなみに俺が最も驚いた組み合わせが、鮎川誠作曲による堀ちえみのシングル「Deadend Street GIRL」。しかもB面作曲が村田和人、A・B面作詞は共に鈴木博文。ディレクターの個人的趣味を反映したとしか思えないけど、これをセッティングできたのは、ある意味神だ。

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 で、こうなるとレコーディング・スタジオはフル稼働になる。それに伴って、スタジオ・ミュージシャンらの需要も、自然と多くなる。正確な数は不明だけど、何百もの歌手がハイペースでアルバム・シングルをリリースするので、インペグ屋も頭数を揃えるだけでもひと苦労。手の空いてる者には、片っぱしから声をかけてゆく。
 ミュージシャン側からすれば、音楽性云々はまぁ置いといて、歌謡曲のオファーはギャラもいいし何テイクも録るわけではないので効率的、ミュージシャン・エゴを引っ込めてビジネスと割り切れば、美味しいことこの上ない。
 市場原理的に、要領が良くて腕に覚えのある者に、オファーは集中することになる。ディレクターの意向を察知して、チャチャっと短時間でプレイをまとめてしまう者。細かいところを詰めていくとキリがないので、仕事の早い者が重宝される。
 ミュージシャン側としても、できれば数をこなしたいので、手早くまとめてくれるディレクターはありがたい。物理的に時間をそうもかけていられず、かといってオファーは引っ切りなしのため、一日何件も掛け持ちする者もあらわれる。

 さて、ここまでが長い前置き、そしてここからが本題、やっと大滝の話。
 ナイアガラ関連のセッション・スパンが次第に長くなっていったのは、大滝の創作意欲の衰えが主因であることは間違いないけど、そんなアーティスティックな事情とはまた別に、スケジュールとタイムコストの問題もあったことも遠因である。
 それを誘発したのが、スケジュールと予算の関係もあったと察せられる。
 『Each Time』以降も、ナイアガラ・セッションに呼ばれることは、ミュージシャン達にとってのステイタスであることに変わりはなかった。なかったのだけれど、前述の事由も相まって、大滝が求める演奏スキルを持つミュージシャンたちを一堂にそろえるのは、困難になりつつあった。
 腕に覚えのあるメンツをズラリとそろえたナイアガラ・セッションに参加することは、ミュージシャン達にとっても大いに収穫のある機会ではあったけれど、拘束時間が何かとネックになった。日に何件もレコーディングを抱える者も少なくなく、それらのスケジュール調整ひとつとっても膨大な手間と下準備を要した。
 完成の目途が立たないセッションに予算を割くことに対し、ソニー社内でも難色を示す者も少なからずいた。地価も高い乃木坂・六本木のスタジオ償却を早めるためには、若手アーティストにチャンスと機会を与えて稼働率を上げた方が、よっぽど効率的だった。

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 ちょうどこの頃、山下達郎は『Pocket Music』を作る際、この問題に直面した。
 これまでセッションの常連だったミュージシャンたちが多忙となり、時間をかけて演奏を練り上げてゆくことが困難になりつつあった。ヘッド・アレンジ主体のバンド・セッションは、ウォーミング・アップも含めて、ある程度まとまった時間が必要になる。
 そうなると、スケジュール調整もそうだけど、高騰しつつあったギャラとスタジオ代が、結構バカにならない。ムーン・レコードを立ち上げて間もなかったため、会社の基盤は十全とは言えず、そんなに予算もかけていられない。
 なので達郎、レコーディングのスタイル変更を余儀なくされる。ほとんどの演奏を自分で行なうか打ち込みでまかない、技術的に難しい部分だけスタジオ・ミュージシャンに弾いてもらう手法を選択するようになる。
 達郎のように、おおよその楽器なら大抵弾きこなしてしまうマルチ・プレイヤーだったら、そんな手法もアリだけど、これはかなり特殊な例である。ミュージシャンだからといって、誰も彼もみんな、ギターもドラムもピアノもできるわけではない。Todd Rundgrenみたいにヘタウマで開き直っちゃうのもひとつだけど、アレはアレでちょっとレアなケースか。

 バンド経験の少ない大滝にマルチ・プレイヤーのスキルを求めるのは、ちょっと難しい。そもそも卓越したソングライターであり、シンガーではあるけれど、プレイヤーとしての彼の評判はあまり耳にしない。優れたプレイヤーが身近にいることが多かったせいもあって、プレイヤー・スキルの上達がどうしたとか、そんなのは優先事項ではなかったのだろう。周囲も求めていなかっただろうし。
 以前も書いたように、大滝詠一というアーティストは、音楽をアカデミックに学んだわけではなく、プレイヤビリティにこだわってきた人ではない。もっと言ってしまえば、ゼロから作品を構築するアーティストでもない。彼の創り上げてきた作品は、どれも過去の膨大なアーカイブへのリスペクトに基づいたものであり、自らのメッセージ性の発露といったものからは、遠く離れている。
 なので、彼の本質はパフォーマーというよりコーディネーター、良質な作品を創り上げるための環境設定にこだわりの強いプロデューサーである。ただ仲間うちの中では歌がうまく、しかもセンスの良いマッシュアップな楽曲が書けたことが、ちょっとベクトルがズレちゃったわけで。

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 もともと非売品扱いを前提として作られたことばかりが喧伝されている『Snow Time』、冬の楽曲が集まらず、かといって新録がうまくまとまらなかったため、苦肉の策としてインストで埋めたんじゃないか、というのが俺の推論。企画の段階では本人もやる気だったんだろうけど、早い段階でバンザイしちゃって早々に方針転換しちゃったんじゃないかと思われる。
 もしここで何曲かでもリリースできるレベルの楽曲ができていたら、はたまたCDサイズにこだわらず、『CM Special』のようなミニ・アルバム形態でリリースしていれば、流れはもう少し変わっていたのかもしれない。歴史に「もし」はないというけれど、そんな選択肢もあったんじゃないのか、と。
 でもこの時期、松本隆とは袂を分かっていた。その別れはしこりを残すものだったのかどうか-。それは本人たちにしかわからない。
 彼が書くメロディには、松本の言葉が必要だった。
 それは本人が一番、よくわかっていたはず。わかっていたのに。できずにいたのかね。


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1. フィヨルドの少女
 中途半端なタイミングでシングルとしてリリースされ、初版『Each Time』には収録されていなかったため、馴染みのない人も多いだろうけど、かなり気合の入ったサウンドが展開されている。大滝のヴォーカルもかなり技巧的で緩急のタイミングが見事、ある意味、ナイアガラ・サウンドの完成形がパッケージされている。
 「さらばシベリア鉄道」をメジャー展開したようなコード進行は、陰陽の関係となっており、円環構造が成立している。相変わらず現実感が薄く、書き割りのような舞台設定でありながら、細かな感情の機微を丹念に描くことによってリアルさを増幅させる松本隆の歌詞も、言葉数は少ないながらも完成の極みに達している。やっぱり、ここが2人のコラボの潮時だったのか。

2. さらばシベリア鉄道
 青く澄み渡る空を仰ぐフィンランドの景色と打って変わって、シベリアには陽が射すことはない。どこまでも続く雪の平原と吹雪。その中を疾走する鉄の塊、シベリア鉄道。フィヨルドの景色に目も心も奪われるのなら、シベリアの冷気は人の心を挫けさせる。大自然の前に、人は無力だ。そんなことを思わせてしまう。
 映画のワンシーンのような状況設定の歌詞は、憂いを漂わせる大滝の声、そして旋律を希求する。過剰なまでにドラマティックなサウンドには、ベタなメロドラマが似合う。

3. レイクサイド ストーリー
 『Each Time』ではラストを飾る、コンパクトな設定のポップ・バラード。名曲揃いのアルバムの中、フェイバリットを選ぶのは難しく、いろいろ意見が分かれるところだけど、俺的には抒情的なロマンチシズムが漂うこの曲が、割と気に入っている。時に「ペパーミント・ブルー」になったり「1969年のドラッグレース」に行っちゃうこともあるけど、まぁ30年も聴き続けてるんだもの、その時の気分でコロコロ変わったりもする。まぁこの曲が気に入ってるときは、ちょっと気持ちが弱ってる時だけど。
 『Each Time』はナイアガラ・サウンドの到達点という意見ももちろんわかるけど、近年の俺的にはこれ、大滝のヴォーカルを聴くためのアルバムだと思う。すべては歌を引き立たせるため、サウンドはあくまで飾りでしかない。何十年も聴いてて耳に残るのは、彼の歌なのだ。それがわかってきたここ最近。

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4. スピーチ・バルーン
 で、ほんとに冬を思わせる楽曲は在庫切れとなり、ここからはあんまり冬テイストが感じられない曲が続く。これも正直、季節感ってないよな。敢えて言えば秋っぽい感じ。
 小編成のセッションっぽい、シンプルなバッキングと、力を抜いた大滝のヴォーカル。何かとインパクトの強い楽曲が並ぶ『ロンバケ』の中では、比較的おとなしく箸休め的なフォーク・タッチの曲だけど、こういう曲もあってこそ、全体のメリハリがつく。どの曲順に入れてもそれなりにはまるので、使い勝手の良い曲でもある。

5. 木の葉のスケッチ
 タイトルだけでもう秋っぽさ満載。冬がテーマだったんじゃなかったの、トータル感出したかったら、「思い出は霧の中」か「クリスマス音頭」でも引っ張り出してくればよかったのに。まぁちょっと強引すぎるか。
 そういったのは別として、近年の松本の歌詞としては珍しくストーリー仕立てで展開されている。「木綿のハンカチーフ」のカップルの10年後を描いている、と俺は勝手に思っているのだけど、いかがだろうか。

6. 夏のリヴィエラ
 このアルバムの目玉となる、森進一提供曲の英詞セルフカバー。とは言っても、リリース当時は未発売だったんだから、あんまり意味ないか。中途半端な田舎の高校生が業界向けのプロモ盤を手に入れられる術もなく、確かラジオか何かで一回聴いたきり、しばらく幻の楽曲扱いだった。少なくとも、のちに一般発売されて大騒ぎとなったのが、このトラックである。
 当然ながら究極のハスキー・ヴォイスの森進一とは対極で、甘いクルーナー・ヴォイスで通す大滝。昭和30年代日活映画を思わせる歌詞の世界観は、松本にしてはややボトムが効いており、そういう意味では森進一の表現力の方が勝っている。まともに立ち向かっても歌い負けしてしまうので、敢えてバイアスのかからない英語で通したんじゃないかと思われる。
 でも、デモテープで日本語で歌ってるよね、絶対。今のところ、それは発掘されてないみたいだけど。「夢で逢えたら」だって日の目を見たんだから、そのうち出てくるだろう、と俺は信じている。



 ごめん、残りはインストなので、思い入れはほとんどない。あとは勝手に解釈しといて。そこまでナイアガラーじゃないので、何でもかんでも絶賛したくないんだ。

7. FIORD / 哀愁のフィヨルドの少女
8. SIBERIA / 哀愁のさらばシベリア鉄道
9. RIAS / リアスの少年
10. AURORA / オーロラに消えた恋 
11. TUNDRA / 雪のツンドラ
12. YOKAN / うれしい予感



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