Folder ちょっと前の話になるけど、それほど人も来ないこのブログのアクセス数が、爆発的に伸びたことがあった。これがよく聞くバズるという現象なのかと調べてみたところ、発信源はTwitterだった。
 このユーザーさんに、以前書いた松田聖子『Candy』のレビューを紹介していただき、それをさらに松本隆さんにリツイートしていただいていた。ありがとうございます。
 そうなるともうこっちは大騒ぎ、アクセスが伸びるわ伸びるわ、逆に怖くなっちゃったくらい。すごいよな、有名人パワーって。
 ちょっと遅くなったけど、その波に乗っかる形で、今回は松田聖子。

 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。チャートはもちろん最高1位、当時で63万枚を売り上げおり、年間チャートでも堂々3位にランクインしている。
 先日の山下達郎『メロディーズ』のレビューでも触れたけど、この年は映画『フラッシュダンス』のサントラと、当時、世界を股にかけたディナー・ショー歌手だったフリオ・イグレシアスら洋楽勢が1、2位を独占しており、邦楽ではこのアルバムがトップとなっている。サザンやマイケル『スリラー』、達郎を抑えての成績なので、固定ファン以外への訴求力も強かったことが、結果としてあらわれている。

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 聖子以降の女性アイドル勢力図としては、目立ったところでは河合奈保子と柏原芳恵が中堅ポジションに落ち着き、その後、大豊作となった82年組の台頭、明菜をトップにキョンキョン、松本伊代が後に続いている。これが明けて83年になると状況は一転、のちに「女性アイドル不作の年」として語り継がれている。
 多少なりとも知名度のあったアイドルをピックアップしてみても、シングル・ヒットを放ったのは伊藤麻衣子と岩井小百合くらい、しかも、お世辞にも大ヒットとは言えなかった。のちにバラエティやドラマで注目を浴びることになる松本明子や森尾由美も、当時はその他大勢、行ってしまえば泡沫アイドル扱いだった。
 あまりいい目を見てなかった83年組だけど、今年に入ってから何か吹っ切れたのか、そんな鳴かず飛ばずぶりを自虐的にアピールした「お神セブン」というユニットで活動している。あまりに地味なくくりのため、単発的な小規模イベントくらいでしか需要がないのが現状だけど、長く生き残ってきた面々だけあってトークはそこそこ面白そうだし、生暖かい目で見るには肩も凝らなくていいんじゃないかと思う。なんか俺、すごく適当に書いてるな。
 ちなみに84年になると、菊池桃子や荻野目洋子、岡田有希子らがデビューしており、一気に華々しくなる。ますます谷間が際立つよな。

 70年代の女性アイドルにおけるビジネス戦略は、総じて長期ビジョンに基づいたものではなかった。演歌やムード歌謡以外の女性歌手は消費サイクルが早く、基本、季節商品として一定期間に売り切り、次のシーズンに新たなモデルを導入してゆくという、ファストファッション的な方法論がセオリーとされていた。
 ひとつの楽曲・ひとりの歌手に手間と時間をかけて育ててゆく手法は、草の根的に全国をくまなく巡る演歌や歌謡曲の歌手向けとされ、女性アイドルに応用されるものではなかった。地道なドサ回りで一枚一枚手売りするより、鮮度の良いうちに大量のテレビ出演で認知度を引き上げ、あとは全国キャンペーンで短期回収を図ることが、賢いやり方だとされていた。
 今でこそ、30過ぎで堂々アイドルを名乗ったりで、相対的に寿命は長くなっているけれど、当時は二十歳を過ぎるとアイドル路線は終了、女優に転身するかはたまた結婚・引退するか、道は二択しか残されていなかった。応援する側も演じる側も、そして供給する側も、「アイドル=十代限定」という共通認識を持っていた。ほんのごく一部のトップ以外は、年が明けると、賞味期限切れのレッテルを貼られた。本人の意向が受け入れられることはまずなく、無言のプレッシャーによってフェードアウトを余儀なくされた。
 ビジネスモデルとしては、それほどイレギュラーなものではない。アイドルを演じる方だって、若いうちの想い出作りとして、ある程度は折り込み済みだったはずだ。女優やムード歌謡へのステップとして割り切らない限り、そんなに長く続けられる稼業ではない。
 -アイドルとは、成長してゆくもの、そして、ファンも同様に成長してゆく。
 そんなビジョンを描ける製作者は、まだ少数派だった。鮮度のいいうちにチャチャッと売り逃げることこそ、美徳とされていた時代だったのだ。

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 そんな非生産的な消費サイクルに一石を投じたのが、聖子と同じCBSソニー、山口百恵のリリース戦略だった。
 十代少女の美しく儚い瞬間を拡大再生産するのではなく、それまで未開拓だった「成長するアイドル」という概念を持ち込んだのが、ソニーのプロデューサー酒井正利だった。うら若き少女が、ひとりの女として脱皮してゆくプロセス、アイドルとしてNGだった恋愛→結婚という過程を経て、華々しく引退してゆくフィナーレまでのビジョンを描き切ることができたのは、百恵という素材ももちろんだけど、酒井をリーダーとしたCBSソニー制作陣の功績が大きい。
 その百恵不在後、バトンを引き継いだのが聖子だった、という次第。

 とはいえ、最初から聖子が百恵の後継者とされていたわけではない。デビュー時は他の有象無象のアイドル同様、同じ場所からのスタートだった。
 当時、同じCBSソニーの同期に、浜田朱里というアイドルがいた。元気いっぱいでコケティッシュなムードの聖子とは対照的に、浜田は少し背伸びした大人の女性路線を志向しており、ポスト百恵としては、彼女の方が近いところにいた。楽曲の傾向も、後期百恵路線を踏襲したシックなテイストのものが多く、カワイ子ちゃんタイプの女性アイドルとは一線を画していた。
 ただ、百恵のフォロワーとして売り出された浜田だったけど、そのシックさが仇となり、聖子と比べるとアイドルっぽさが薄く、華がないことは致命的だった。女性アイドルのメインユーザーである、イカ臭い中高校生男子にとって、浜田で妄想を掻き立てるのは難しかった。当時、ブリッ子ポジションだった聖子に人気が集中するのは、ある意味理にかなっていた。

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 浜田の失速によって、結果的にポスト百恵の座は、聖子が鎮座することになる。俺が思い出す限り、その後、CBSソニーからは三田寛子や河合その子が続いてデビューしているけど、百恵や聖子ほどの勢いはなかった。南野陽子が取って代わるまで、聖子の長期政権が続くことになる。
 そんなシフトチェンジが明確になったのが、6枚目のシングル「白いパラソル」だった。作詞家として松本隆が初めて起用され、ここからしばらく全盛期の世界観を演出することになる。

 「聖子プロジェクト」における松本の役割は、単なる一作詞家の守備範囲を大きく飛び越え、中・長期的なビジョンに基づいた総合プロデュースを担っていた。歌謡曲の職業作家をあえてはずしたキャスティング、アーティスティックなビジュアル・イメージの演出など、その業務は多岐に渡っていた。
 ソニー・サイドとしても、定番のプロ歌謡曲作家より、新鮮味のあるニュー・ミュージック系アーティスト、特にソニー所属の若手の発掘に力を入れていた。例えば大江千里や楠瀬誠志郎も、キャリアの初期に聖子への楽曲提供を行なっている。知名度も少ない彼らにとっては、ネームバリューにも寄与するし小遣い稼ぎにもなるし、ソニー的にも外部へ委託するより安く上げられるので、互いにwin-winだったんじゃないかと思われる。

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 -シングルだけではなく、アルバムでも高いクオリティを維持する。
 かつて太田裕美で行なった、アーティストとアイドルのハイブリッドという壮大な実験が「聖子プロジェクト」であり、その最初の成果が、初期の名盤『風立ちぬ』である。
 松本の盟友大滝詠一と鈴木茂とをサウンド・プロデューサーに迎え、「ほぼ」はっぴいえんどのメンバーが総力を挙げて作り込んだシンフォニーは、同世代アイドルのクオリティを軽々と超えていた。特に「ロンバケ」フィーバーの余韻をそのまんま移植したA面は、60年代ガールズ・ポップをモダンにビルドアップさせたゴージャスなサウンドで構成されており、聖子ファン以外のうるさ型音楽マニアをもうならせた。

 逆説的に言えば、「聖子であって聖子にあらず」、俺的には「これってやっぱ、大滝詠一の作品だよな」感が強い。誤解を恐れずに言えば、ほぼオケはロンバケなので、大滝のカラーが強すぎる。当時のヴォーカル録りはなかなか難航したらしく、聖子も天性のカンの良さでどうにか歌いこなしている。大滝思うところの女性アイドル像はうまく具現化されているのだろうけど、聖子ファンの立場からすると、ちょっとデフォルメされ過ぎなんじゃね?感が相まっている。
 デビューしてまだ2年足らず、まだ百恵ほどキャラクターを確立していなかった聖子に対し、記名性の強いナイアガラ・サウンドは、ちょっとアクが強すぎた。大滝のプロデュース力は見事ではあるけれど、でもこのサウンドだったら聖子である必然性はない。
 そんな反省を踏まえたのか、単独のサウンド・プロデュースというスタイルはこれ一回のみで終わる。その後は松本とCBSソニー若松宗雄ディレクターがコンセプト立案、カラーに合ったコンポーザーをその都度起用してバラエティを持たせる方針に起動修正される。変にナイアガラ一色で染めてしまうより、多種多様なタイプの楽曲を歌いこなしてシンガーの経験値を上げてゆく方が、育成戦略としては得策だった。

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 で、そんなメソッドと聖子のポテンシャルとがうまくシンクロし、一曲ごとのクオリティの高さとトータル・コンセプトが具現化されたのが、この『ユートピア』ということになる。やっと辿り着いた。
 『風立ちぬ』が「大滝詠一プロデュース」という明確なサウンド志向をアピールしているのに対し、『ユートピア』は個々の楽曲レベルが高いこと、また聖子自身の歌唱反射神経がピークに達しているため、特にコンセプトで縛らなくても統一感が醸し出されている。一貫した美意識に基づいた松本の世界観、そして聖子同様、どのジャンルの楽曲にも対応できる現場スタッフらの連携がうまく噛み合ったことによって、芸術性だけでなく、セールス面でも大きく貢献している。

 作曲クレジットを見ると、財津和夫や 細野さんはいわゆるレギュラー、これまでの実績も含め、登板率は高い。杉真理なんかは同じCBSソニーの絡みだろうけど、そんなメンツの中でちょっと異色なのが、甲斐よしひろ。レコード会社も違えば、楽曲提供に力を入れていた時期でもないのに、なぜか2曲も書き下ろしている。
 甲斐自身がソニーへ売り込んだとは考えづらく、恐らく松本か若松かがオファーしたのだろうけど、ニューヨーク3部作の製作中でハードボイルド・モードだった彼にアイドル・ポップの発注をかけるとは、なかなかの英断である。しかも、仕上がってきたのが「ハートをRock」、シングル以外の人気投票では上位に入る隠れ名曲である。60年代ロックだけではなく、古い歌謡曲をも幅広いバックボーンとしていた甲斐のソングライティング力はもちろんだけど、多分、そんな背景を知らずにオファーをかけた松本らの慧眼ぶりも、なかなかのものである。

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 そんな選び抜かれた猛者たちが、「松田聖子」というアイドル=偶像をモチーフとして、メロディを作る。甲斐も細野さんも、自作自演のシンガー・ソングライターである。なので彼ら、普段は自身が歌うために曲を作る。他人に向けてメロディを書くには、違う角度からのアプローチが必要になる。
 極力、聖子の歌唱スキルやキーに応じたメロディを書く者もいれば、頑として我流を崩さない者だっている。松本とレコーディング・スタッフによるトータル・コーディネートを通すことによって、ある程度の平準化は成されるけど、それぞれ固有のクセはどうしたって出てくる。
 ヴォーカル録りや解釈に時間はかけられない。睡眠時間すら大幅に削られた過密スケジュールの中、求められるのは瞬発力だ。
 仕事の合間を縫ってスタジオに飛び込み、仮ヴォーカル入りのオケを聴きながら、歌詞を頭に叩き込む。何回もテイクを重ねる時間もないし、第一、喉がそんなに保たない。
 必要なのは、脊髄反射と洞察力、そして度胸。
 80年代を通して、それらの要素が最も秀でていたのが、松田聖子という存在である。


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松田聖子
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1. ピーチ・シャーベット
 甘くてキュートでそれでいてちょっぴり背伸びした大人の女性に憧れてでもどこかあどけなさの残る爽やかなカップルの様子を、敢えてベタなストーリーに仕上げている。「Sexy」なんてコーラス、まるで身もフタもない。1曲目なんだから、紋切り型でもいいんだよ。
 ちょっとオールディーズ風味なメロディを書いたのは杉真理。同時期に、堀ちえみ出演のセシルチョコレートCMソング「バカンスはいつも雨」によって、一気に知名度を上げている。この時期の彼は、ノリに乗っていた。
 ステレオタイプな歌詞とメロディということは、女性アイドルの話法に則って作られているため、表現力が試されるのだけど、ここでの聖子のヴォーカルは、ほんと神がかっている。こんな風に歌われちゃ、当時の中高校生男子は、一気に心が持ってかれてしまう。

2. マイアミ午前5時
 地味ながらも正統派のメロディを書く職人来生たかおによる、リリース当初から人気の高かった隠れ名曲。当時、アイドルのアルバム収録曲は世間的にも重要視されておらず、ヒット曲以外は穴埋め曲で構成された乱造品も珍しくなかった。そんな中、聖子のアルバムはどれも高いクオリティで維持され、ラジオで紹介されることも多かった。そういったアイドルは、多分聖子が最初だったはず。
 語感と直感で「マイアミ午前5時」って決めちゃったんだろうけど、この曲も1.同様、なかなかクセの強い楽曲。軽快なアレンジとは裏腹に、描かれるストーリーは別れをテーマとしており、そのギャップ感がちょっと異様。

 初めて出逢った瞬間に 傷つく日を予感した

 こんなアップテンポで、普通乗せるか?こんなフレーズ。

 マイアミの午前5時
 街に帰る私を やさしく引き止めたら
 鞄を投げ出すのに

 「まちにかえるわしを やさしくひきとたら」。
 わかりやすく強調部分を太字で表現してみた。ちょっとハスキーで甘え調の聖子のヴォーカルをより効果的にするため、発語感まで緻密に計算している松本の歌詞。ヴォーカルを引き立たせるためには、時にソングライティングのエゴも抑え込んでしまう。それだけ松本が強く肩入れしていたことがわかる楽曲でもある。



3. セイシェルの夕陽
 もう35年も前の曲なのに、今も幅広い年齢層から熱い支持を得ている、大村雅朗作曲の名バラード。これの前の『Candy』収録「真冬の恋人たち」も、大人びた切ない少女の憂いを引き出すメロディ・ラインだったけど、それがさらにヴァージョン・アップ、普通ならあり得ない南海のリゾートというシチュエーションを、違和感なく演出している。いや、やっぱ強引だよな、二十歳前後の女の子が傷心旅行で海外へ、しかも当時マイナーだったセイシェルへ行くなんて、普通ありえない。
 そんな非現実的な設定で歌詞を書き、ポンと聖子に丸投げしてしまう、まるで千本ノックのような鬼しごき振り。いや、非現実=偶像、すなわちそれってアイドルの必須条件か。じゃあいいか。
 で、35年前の楽曲だし、それなりに打ち込みも使われているのに、あんまり古臭い感じがしないのは、俺の好きなAORテイストがたっぷり盛り込まれているおかげか。こうして聴いてると、聖子の表現力の豊かさがたっぷり詰まっている曲として、特筆しておきたい。考えてみれば、アイドルも含めた今の女性シンガーで、こんな風に細やかなテクニックと情感とを兼ね備えて歌う人って、もういなくなったよな。

4. 小さなラブソング
 聖子本人の作詞による、タイトル通りステレオタイプのアイドル・ソング。聖子とは相性の良い財津和夫のメロディは、破たんもなく安心して聴き通すことができる。まぁ無難な出来なんだけど。でも聖子のヴォーカルだけは尋常じゃないレベル。甘さの中に変幻自在のテクニックをぶち込んでいる。聴き流すこともできる箸休めの曲だけど、この時期の聖子は油断できない。

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5. 天国のキッス
 4月に先行リリースされた、13枚目のシングル。もちろん最高1位、年間チャートでも16位にランクイン、初期のバラードの代表曲が「赤いスイートピー」なら、アップテンポにおけるひとつの頂点である。細野さん作曲・アレンジのため、ほぼ同時期に制作された「君に、胸キュン。」とオケがまんまなのは仕方がない。
 
 愛していると 言わせたいから
 瞳をじっと 見つめたりして
 誘惑される ポーズの裏で
 誘惑している ちょっと悪い子

 他愛ない恋の駆け引きを簡潔に描写している。あまり説明口調にならないのが松本の歌詞の特徴であり、だからこそ、シンガーによる解釈と表現力とが問われる。彼の意図を最も深く理解していたのが、当時の聖子だった。

6. ハートをRock
 聖子以外にも明石家さんまやTOKIOにも楽曲提供している甲斐、ここではなぜか本名甲斐祥弘名義でクレジットされている。なんか感じだと微妙な気がするのは、俺だけじゃないはず。
 大村雅朗アレンジによるモータウン・ビートは、ある意味、70年代から続くアイドル・カバーの伝統に則っており、そのマナーに従って、聖子も可愛くキュートなアイドルとして、この曲を料理している。
 なので、甲斐もステージでこの曲をセルフ・カバーしているのだけど、それはやっぱちょっと無理やり感が強い。まぁファン・サービスみたいなものだけど、やらかしちゃったよな。



7. Bye-bye playboy
 初期はシングル楽曲を多く書き下ろしていた財津和夫だったけど、この時期になると彼の曲がシングル候補に挙がることもなくなり、ほぼアルバム楽曲専門となっている。とはいえ、ムラの少ない安定した楽曲制作力は得難い存在であり、聖子プロジェクトにおける彼の登板率は、恐ろしく高い。特別、松本隆と近しい存在でもなさそうだけど、大きくはずすことのない安心感は、何かと便利な存在だったのだろう。なんか抑えの投手みたいなポジションだよな。
 ちょっとキーを高めに設定した、旧タイプのアイドル・ソング。ちょっと苦しめの高音部分が、声の魅力を最大限に引き出している。

8. 赤い靴のバレリーナ
 甲斐よしひろ2曲目、今度は瀬尾一三アレンジによる正統派バラード。歌詞もそれに呼応してか、センチメンタルの極致をこれでもかと抉るように掘り下げている。恋をするとネガティヴになってしまう女の子の憂いを巧みに表現している。前髪という小道具を使うところなんて、そりゃもう技巧的。

9. 秘密の花園
 「天国のキッス」からさかのぼること2か月前、12枚目のシングルとしてリリースされた。もちろん最高1位、TV出演時のタイトな白のマイクロミニが、世の男子の妄想をさらに搔き立てた。
 リリースされるまで紆余曲折があったことは、よほどのファンでも知らないはず。俺も調べてみて初めて知ったくらい。
 もともとシングル向けの楽曲を財津和夫にオファーしていたのだけど、締め切りまでにプロデューサーのOKが出ず、財津は辞退する。リリース日が迫る中、急遽、ユーミンが引き継いで、どうにか間に合った、という逸話が残っている。
 スケジュールの都合上、先に仕上がった詞に曲が後付けされる、なかなか珍しいケースだけど、そこをどうにかねじ伏せて形にしてしまうのは、さすがユーミン。でもユーミンのことだから、この甘ったるい寓話的な歌詞だったら、鼻で笑ってたんだろうな、という気がしてならない。

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10. メディテーション
 ラストはこれが初登場、上田知華作曲による変則リズムのミディアム・スロー。松武秀樹参加による影響もあって、ゴリゴリのシンセ・ベースが全篇流れており、それでいてクラシックがバックボーンの上田特有のつかみづらいメロディは、このアルバムの中でも異色の存在。これまでのセオリーと違うリズムとメロディに、さすがの聖子もついてゆくのが精いっぱいといった感じ。
 後年再評価されることを前提としているならともかく、通常のアイドル・ポップスとしてはちょっと異色すぎるかな。松本の歌詞にしては珍しく抽象的でスピリチュアル風味も漂っており、なかなか捉えどころのない曲。だから面白いんだけど。



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