folder 前回からの続き。
 パラダイス文章のリークからも察せられるように、今や資産家となってしまったBono 。もはや労働側の代弁者ではなくなってしまったけど、もっと大きな視点に立って、世界情勢のご意見番という立場に収まったのは、ある意味ブレていない証拠でもある。
 いわゆる同種の成り上がりであるBruce Springsteen が、『Born in the U.S.A』の大ブレイク以降、歌うテーマを失って一時スランプに陥ったことがあったけど、この人には当てはまらない。下手に考え込むより即行動、というバイタリティーは、どこかのやり手社長みたいである。
 思いもよらなかった地位と名声に戸惑うのではなく、そのカリスマ性を活用して、あっちこっちへ首を突っ込む。言ってることは、基本シンプルだ。「人間は平等でなければならない」「戦争はやめよう」。要約すると小学校の標語みたいになっちゃうけど、性善説に基づいた行動と実践である。
 その性善説の実証のためには、資金がいる。良いブレーンを抱えるため、彼らの生活を保証してやらなければならない。時には、清濁併せ呑まなければならないことだってある。資本主義において、金は力になる。これは現実だ。
 そのためには、財テクや資産運用だってやる。そりゃ人間だから、私利私欲がまったくないと言ったら嘘になるけど、何かにつけ金は必要になるし、ジャマにはならない。体制または反体制、その他もろもろと闘い続けるため、彼は世界中で大規模ライブを行ない、多くの音楽を売る。まぁでも、iTunesはちょっと余計だったな。

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 Bono という人は多くの人が抱くイメージ通り、熱く真面目でシリアスな人である。そんなパブリック・イメージへの反抗で、90年代は露悪的なトリックスターを演じている部分があったけど、いまはひと回りして最初に戻っちゃったのか、年齢的余裕をまとった自然体で、炭鉱のカナリア的役割を引き受けている。
 右・左を問わず、世界中のあらゆる団体からオファーが舞い込む。意見やアドバイスを求められ、できるだけ誠実に応える。時にはスポークス・パーソンとして動き、時には資金提供も厭わない。案件をチェックするだけでも大変なんだろうな。
 -でも、それで世界が平和になるんなら、それでいいじゃないか。
 そんな声が聞こえてきそうである。
 そんな具合でBono が忙しいため、U2としての活動割合は、どうしても少なくなる。彼らに限らず、大御所バンドともなると、レコーディング→ツアーでまるまる3年くらい活動、その後は長期バカンスというルーティンが当たり前になっている。
 普通のバンドなら、その長期休暇にソロ活動を行なう、というのもルーティンなのだけど、U2については、そういった外部活動の話もあんまり聞かない。他のバンドとの交流エピソードもあまりなく、Pink Floydにも匹敵する内輪感である。パーティやイベントなんかで顔が広いと思われるBonoもまた、知り合いは結構多いんだろうけど、レコーディングに客演したとか、そんな話もない。彼らが創り出す音楽は、U2内で完結しているのだろう。
 デビューから30年以上もメンバー・チェンジを行なわず、しかも第一線で活動し続けているバンドは、世界中どこを探しても、U2以外にいない。そりゃ長い間にはいざこざもあっただろうけど、彼らは1人の脱退者も出さず、また長期の活動休止も行なわなかった。もはや外野ではわかり知れぬほど、彼らの絆は深く、とても濃いのだ。
 クサい言い方になっちゃうけど、「この4人でしか出せない音」が確実にあるのだ。

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 で、Bono以外のメンバー3名。大抵は、弁の立つBonoがインタビューを受けることが多く、たまにEdgeが付き添うくらい。純粋な音楽活動以外で彼らが表立つことはほとんどない。セレブのたしなみとして、ボランティアや団体支援活動も人並みに行なってはいるけど、Bonoほど精力的に行なっているわけでもない。まぁ奴が極端なんだけど。
 ギター・プレイで一時代を築いたEdgeなんて、ロック界における影響力はBonoに引けを取らないはずなのに、とにかく表舞台に立つことを極端に嫌う。U2でプレイできていれば、それで幸せという人である。10年くらい前、Jimmy PageとJack Whiteの3人でドキュメンタリー映画に出てたけど、あれは異例中の異例、U2以外のエピソードは極端に少ない。
 Adam とLarry も、目立ったソロ活動といえば『Mission : Impossible』のカバーくらいで、他に何をやってるのか、見当がつかない。ストイックなバンド・イメージから、さぞかし修道僧みたいに地味な生活送ってるんだろうな、と思って調べてみたら、Adam がなかなかのやらかし、とのこと。
 若い頃は奔放なロックンロール・ライフを満喫していたらしく、メンバーにも迷惑のかけ通しだったらしい。考えてみれば、Naomi Campbellと噂あったよな、この人。

 3枚目のアルバム『War』がプラチナ認定されるほどのセールスを上げ、U2は本格的なアメリカ進出を果たす。ただ、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの最中でありながら、同世代のアーティストと比べ、気負いが弱かった感は否めない。日本でも大人気だったCulture Club やDuran Duran に負けるのはまぁ仕方ないとして、知名度的には同等だったHuman LeagueやSpandau Balletにも、実際のセールスでは負けていた。
 彼らと違って、強力なシングル・ヒットがなかったため、U2は中途半端なポジションに甘んじていた。アルバムは売れるんだけど、誰も知ってるキャッチーな曲がない、いわゆるロキノン系アルバム・アーティストってやつ。New OrderもStyle Councilも、最後までそのハードルをクリアできなかった。
 アメリカ市場を意識はしてはいるけど、どうにも攻めあぐねる状況が続く。ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗ったアーティストは、そのほとんどがダンス系だった。アメリカ的なワイルドネスとは対極の、ユニセックスなビジュアルがMTVのコンセプトとうまくはまっていた。要するに、U2とはまったく逆のベクトルだった。
 上記の条件を彼らに求めるのには、ちょっと無理がありすぎた。チャラいラブソングもなければ、ダンス・ミックスなんて器用な真似ができるはずもない。時代背景からいって、彼らはアウトオブデートな存在だったのだ。
 とはいえその10年くらい後、思いっきりディスコ路線に舵を切った怪作『POP』をリリースしちゃうんだけど、それはもう少し後の話。

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 『焰』でアメリカへの強いリスペクトを表明、『Joshua Tree』でブルースを取り込んだサウンドをモノにした彼ら、その研究成果をドキュメントとしてまとめたのが『Rattle and Hum』だった、というのが俺的U2解釈。ザックリしてるけど、おおよそはこんな感じ。
 年を追うごとにブルース色が強くなるU2サウンドの構築には、プロデューサーDaniel Lanoisの影響がもちろん大きいのだけど、さらに拍車をかけることになったのが、Steven Van Zandt提唱による反アパルトヘイト・プロジェクト「Artists United Against Apartheid」への参加。これが転機となった。
 当初、シングルのみの活動で終わるはずだったのが、参加アーティストの機運が高まった末、アルバム制作へと発展する。世代・人種を超えたコラボレーションが企画され、BonoはKeith Richards、Ron Woodとレコーディングを行なうことになる。
 パンクの洗礼を受けてU2を結成したBono にとって、1977年以前の音楽とは旧世代に属するものであり、認めるものではなかった。Stonesなんて旧世代の本丸だってのに、よくオファー受けたよな。
 Keithもまた、そんな彼の鼻っ柱の強さに、かつての自分を投影したのか、案外フランクに接し、意気投合してしまう。その辺はミュージシャン同士、語るよりプレイすることで親交は深まり、その後も良好な関係は継続する。
 で、本チャンのレコーディングが開始される。Stonesといえばブルース。ていうかこの2人だったら、ほぼそれしかできない。あとはせいぜいルーツ・レゲエくらい。
 多分、スタジオで呑んだくれてめんどくさくなったのか、楽曲製作をBonoに丸投げしてしまう。しかも、まともに聴いたことがないのをわかっていながら、ブルース縛りで。エラい無茶振りだ。
 それでも怖いもの知らずの熱血漢だったBono、Keithからありったけのブルースのレコードを借り、一晩かけて聴きまくる。絵に描いたような一夜漬けで学習し、ブルースの真髄の上っつら程度は撫でられる楽曲を、どうにか一晩でモノにする。
 それが「Silver and Gold」。初めてにしては、まぁ悪くない。

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 Keithの思いつきの無茶ぶりを発端として、U2はブルースに開眼する。デビューしてしばらくは、「骨太なバンドが無理してニューウェイブしてる」的な、なんかギクシャクしたビジュアル・イメージだったのだけど、サン・シティ以降は大きく変化した。
 長髪を後ろに引っ詰め、マッチョなタンクトップ姿のBono。このスタイルは各界に大きな影響を与え、当時のハリウッド映画でのアウトローやスナイパーの基本フォーマットになった。引きこもりのギターおたく丸出しだったEdgeも、スタイリストのお仕着せをやめて、無精ひげにカウボーイ・ハットという、寡黙で男臭いファッションに変化した。
 サウンドにもそのテイストは顕著にあらわれ、遂にヨーロッパの枠を超えたU2、ここからアメリカン・ルーツ路線に突入する。と同時に、それはひとつのスタイルの終焉でもあった。
 さらにU2は変化する。






1. Helter Skelter
 ライブとスタジオ録音半々という変則的なスタイルであるとはいえ、オープングをカバー曲にするというのは、あんまり聞いたことがない。言わずと知れたBeatlesのカバー。アレンジはほぼそのまんま。何かと曰くつきの曲を初っ端に持ってくるというのも、ちょっとあざとい。

2. Van Diemen's Land
 なかなかレアなEdgeヴォーカルのナンバー。昔のプロテスト・フォークみたいな曲調だよな、という印象だったので調べてみると、反逆罪で流刑に処されたJohn Boyle O'Reillyという人物にインスパイアされて書いた、とのこと。朗々と切々と歌うヴォーカルは、Bonoほどのバイタリティーは望むべくもないけど、好感の持てる声質ではある。

3. Desire
 UK1位US3位を記録したリード・シングル。原初ロカビリーを吸収し、ロックのカッコよさとワイルドネスを追求すると、こんな風に仕上がる。PVでは、冒頭でBonoがナルシシズム漂う笑みからスタート。88年と言えば、英米でもオルタナ・シーンが盛り上がってきて、世代交代の波が迫っていた頃だけど、「そんなの関係ねぇ」という豪快さがにあふれている。



4. Hawkmoon
 なぜかDylanがオルガンで参加。歌わないDylanに意味があるのかと思ってしまうけど、少なくともセッション時はメンバー、盛り上がったんだろうな。それとも気ぃ遣いまくりだったのか。
 当時の彼らがどれだけDylanにリスペクトしていたのかは不明だけど、「こんな風に弾いてくれ」とか頼みづらいだろうし、やりづらかったんじゃないかと察せられる。前半は静かに、後半から次第に盛り上がり、最後はゴスペル・コーラスで幕、という凝った構成。Bonoも肩に力が入りまくったヴォーカルを披露している。そう考えると、Dylan参加は触媒として正解だったのか。

5. All Along the Watchtower
 で、続くのがDylan作による有名曲のカバー。ライブということもあるしDylanもいないので、逆にこっちの方がアンサンブル的にはまとまっている。俺的にこの曲、Dylanよりもジミヘンよりも先にU2ヴァージョンで初めて知ったため、一番馴染みがある。俺以降の世代は、大抵そんな具合かと思われる。

6. I Still Haven't Found What I'm Looking For
 マジソン・スクエア・ガーデンでのゴスペル・シンガーたちとの競演。オリジナルはもっと大陸的なゆったりしたリズムが基調だったのが、ここではそこにエモーショナルなコーラスが加わり、ロックとゴスペルとの理想的な邂逅が実現している。
 もちろん元の曲のクオリティが高いからなし得たセッションだけど、こうしてシンガー達のオーラによって、全体のグレードが上がってしまうのは、もともとの層の厚さとポテンシャルの高さがモノを言う。アメリカという大国の底力が垣間見えてくる。

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7. Freedom for My People
 ニューオーリンズかどこかのストリート・バンドのセッション。それを通りすがりに眺めるメンバーたち。いわゆる幕間。

8. Silver and Gold
 Edgeのギターにブルースっぽさを求めるのは無理があるけど、Bonoはそれなりにサマになっている。前述したように、努力の結果生まれた曲だけど、ツボをつかんで形にできちゃうのだから、こういうのってやっぱセンスだよな。このまま経験値を稼げば、ホワイト・ブルースを極めることだってできただろうに、途中でやめちゃったのは、まぁ演奏陣があんまり響かなかったんだろうな。U2ファンは彼らにその方向はあんまり求めてなかったろうし。

9. Pride (In the Name of Love) 
 そんな按配なので、こういったU2スタンダードの楽曲が活きてくる。『Josua Tree』を通過して見えてきたもの、そして彼らが獲得してきたものが、強く浮き出ている。ワールドワイドのライブを行なったことによって、ヨーロッパ的な繊細さと線の細さがなくなった。旧い曲に新たな息吹が吹き込まれている。

10. Angel of Harlem
 ここから3曲は、初期のプレスリーがレコーディングで使用していたサン・スタジオでのセッション。昔ながらの狭いブースに、メンバー4名とMemphis Horns4名が所狭しとなってプレイしている。Abbey Roadと並ぶロックの聖地でレコーディングできるとあってか、メンバーの顔もゆるんでリラックス気味。緊張よりうれしさの方が先んじているよう。
 曲調としてはロックンロールというより、昔のスタックス・ソウルをスローにした印象。



11. Love Rescue Me
 Dylanとの共作で、バック・ヴォーカルでも参加。ほんとはDylanがメイン・ヴォーカルの予定だったのだけど、ちょうど彼が参加していたTraveling Wilburysとの兼ね合いがあったため、Bonoが歌うことになった、とのエピソードがある。
 70年代までのDylanっぽく、暗喩と言葉足らずと謎かけが交差する歌詞はともかく、熱いソウル・バラードとして良曲。

12. When Love Comes to Town
 ブルース界のレジェンドB.B. Kingとの共作・デュエット。さすが長い芸歴を誇るだけあって、彼が登場すると圧がすごい。まぁバンドも、まともに立ち向かっても勝てるわけないから、自分たちのできる仕事をしっかりまとめている。
 こうやって改めて聴いてみると、ブルースにしてはかっちりスクエアなU2のリズムって、アメリカ的なルーズさと合わないんだな、というのがわかってくる。グルーヴとは別の、ロジカルな組み合わせでU2のサウンドが成り立っていること、そして、小さくまとまりがちなサウンドを豪快にぶち壊すBonoとのバランスが、トータルとして成立してるんだな、ということを。


 
13. Heartland
 もともと『The Unforgettable Fire』セッションで生まれた曲で、『Josua Tree』の選考に漏れ、そしてやっとここで収録された曲。なので、このアルバムの中ではちょっと異色のUKテイストが強いサウンド。教科書みたいに典型的なEdgeのディレイ・マジックが炸裂している。

14. God Part II
 「僕は聖書を信じない 僕はヒトラーを信じない 僕はBeatlesを信じない…」と延々内情吐露を歌うJohn Lennonの「God」をモチーフに、Bonoが噛みついたのは、Lennonの露悪的な伝記を書いたAlbert Goldman。なんでBonoがそこまでLennonに肩入れしてるのかは不明。あんまり当時のU2っぽくないやさぐれた演奏は、アメリカン路線への行き詰まりを暗示させる。

15. The Star Spangled Banner
 で、ここでジミヘン。アメリカ国歌をインサートしたのは、単なるリスペクトなのか、それとも徒労感からなのか。どちらにしろ、ポジティヴな意味合いとは思えない。

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16. Bullet the Blue Sky
 『Joshua Tree』収録。ニカラグア軍事政権へのアメリカ国家介入に怒りを表明した、ひどくシリアスな曲。怒りと共に浮かび上がるのは、強大な力の壁の前で佇むだけの無力感。でも、事実を広く知らしめることで、小さな力を寄せ集めることはできる。

17. All I Want Is You
 殺伐とした楽曲のあと、ラストはストレートなラブソング。パーソナルな視点で書かれているため、普遍的な内容でありながら、古びることはないスタンダード。ストリングス・アレンジはVan Dyke Parks。当時は『Pet Sounds』再評価で、ちょっとだけ話題になった。
 ラストの盛り上がり具合はすごくいい。でも俺、『Song Cycle』聴いたけど、1回聴いて売っちゃったんだよな。