folder 近年、村上春樹による新訳『結婚式のメンバー』刊行によって、ちょっとだけ話題になったカーソン・マッカラーズ、彼女の半生と作品をテーマとして、Suzanne Vega によって歌われたコンセプト・アルバム。
 日本では「ルカ」と「トムズ・ダイナー」以降、ほとんど目立った紹介もされず、アーティストとしてのピークはとうに過ぎたと思われがちなSuzanne、同じく70年代くらいまでの文学少年/少女らにコアな人気を博していたマッカラーズも、今ではほとんどの作品が絶版で、容易に手にすることができない状態が続いている。この組み合わせでドカンと売れることはまずあり得ず、アーティストの創作欲求に基づいたもの、文化事業的な側面が強い作品である。要は地味ってことで。
 売れる作品を作ることは、アーティスト活動を継続するために重要なことではあるけれど、表現欲求とはまた別のベクトルである。マッカラーズもSuzanneも、大きくエンタメ路線に偏った人物ではない。むしろ逆行する形、大衆のニーズからは離れたところで、地道に良質の作品を作り続けているイメージが強い。

 -カーソン・マッカラーズ(Carson McCullers、本名:Lula Carson Smith、1917年2月19日 - 1967年9月29日)はアメリカの作家。彼女はエッセイや詩だけでなく、小説、短編、戯曲を書いた。処女小説『心は孤独な狩人(原題:The Heart is a Lonely Hunter)』ではアメリカ南部を舞台に、社会に順応できない人間や排除された人間の魂の孤独を探究した。他の小説も同様のテーマを扱い、南部に舞台を置いている。

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 俺とマッカラーズとの出会いは、遡ること四半世紀前、白水社Uブックス版の『悲しき酒場の唄』が初めてだった。その当時ですら、彼女の本はほぼ絶版状態で、大きめの本屋でも入手できたのは、それくらいしかなかった。のっぽの美女と短軀の男というエキセントリックな設定で繰り広げられる不器用な愛の交歓は、そりゃあもう地味なストーリー展開ではあったけれど、妙にグイグイ引き込まれてしまう求心力を秘めていた。
 人種差別が平気で横行していたアメリカ南部の暗部を寓話的に描くマッカラーズの筆致は、問題提起というより軽めのゴシック・ロマンスといった趣きでまとめられており、文学かぶれの20代の男の中途半端な知識欲を満たすに足るものだった。

 当時の俺は休日になると、リュックを背に札幌市内の古本屋を片っぱしから回り、絶版文庫を中心にかき集めていた。マッカラーズの他の著作も、そうやって手に入れたものだ。
 当時はまだ、ブックオフのような大手も少なく、いわゆる商店街の古本屋がたくさん残っていた。ネット通販やヤフオクも黎明期だったため、競取りなんかの影響もほとんどなく、きちんと足を使って探せば、大抵のモノは手に入る時代だった。
 特に北大周辺の学生街だと、相当古い岩波文庫も充実していたし、新潮文庫のモームがまとめて店頭に出ていた時なんか、狂喜乱舞したものだった。
 考えてみりゃ、地味な20代だな、これって。

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 20代のうちに矢継ぎ早に作品を上梓し、順風満帆なキャリアを築くはずだったマッカラーズの文学的成果は、ほぼその初期でピークを迎えてしまっている。30代に入ってからは、家庭の事情やら家族の介護やら、またそこから誘発された精神的な不安定により、創作ペースは緩慢となる。もともと量産型の作風ではないゆえもあって寡作となり、鮮烈なデビュー以上の成果は残せなかった。
 繊細な筆致によるデリケートな文体、また精神的・肉体的に何らかの欠落を持ったキャラクターを好んで用いながら、決してその奇矯さだけに捉われず、素朴さと冷徹さとを併せ持った南部人の閉鎖性を活写した作風は、ナイーブな日本の文学少年/少女らにも、好意的に受け止められた。閉鎖的な読書体験を持つ人間の通過儀礼として、マッカラーズやサガンは、根強い人気を誇っていた。
 俺がこれまで読んだマッカラーズは、上記のほか、新潮文庫版の『心は孤独な旅人』、福武文庫版の『夏の黄昏』の3冊。今はもう、どれも手元にない。あくまで通過儀礼としての読書体験である。文学少年である日々は、もうとっくの昔に過ぎてしまったのだ。
 『結婚式のメンバー』も読むには読んだけど、以前のような感情の機微を捉えることはできない。
 読み返すには、まだちょっと早いのかな。

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 世代的に、Suzanneもまた、マッカラーズを読むことは通過儀礼だったのだろう。ただ、彼女をテーマにアルバム1枚作っちゃうくらいだから、その思い入れはずっとガチだったんだろうけど。
 きっかけは2011年まで遡る。Duncan Sheikと共作した戯曲『Carson McCullers Talks About Love』をオフ・ブロードウェイで上演、自ら舞台に立ったことで、さらなるインスピレーションが掻き立てられる。そこで培われた世界観をもとに、Suzanne はアルバム制作に着手する。
 アルバム・リリース当時のインタビューを読むと、最初からシンガーを志していたのではなく、ニューヨークのパフォーミング・アーツ・スクールでダンサーとしてスタートしたことを告白している。てっきりソングライター一筋かと思っていたけど、あらゆる可能性を模索していたんだな。ちょっと意外。
 余技というか、趣味で行なっていた弾き語りが注目されるようになってメジャー・デビュー、女優としてのキャリアは一旦幕を閉じる。
 「ルカ」の大ブレイクによって、アーティストとしての地歩を固め、Mitchell Froomとのコラボ以降、日本ではあまりインフォメーションされていないけど、アーティストとしてはコンスタントに精力的な活動を続けている。Froomとの別離以降は迷走した時期もあったけれど、これまでリリースしたほとんどの作品をアコースティックで歌い直した『Close-Up Series』で吹っ切れたのか、復調して新たなキャリアを築き上げている。

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 腺病質を思わせる繊細な横顔。
 わずかに残されたマッカラーズの肖像を見て思うのは、そんなイメージ。決してアクティブには見えないその儚さは、80年代デビュー間もない頃のSuzanne のイメージとかぶるところが多い。そういった繊細な文学少女的なイメージで売られることを、彼女自身が甘んじて受け入れていた面もあっただろうし。
 ただ近年の画像を見ると、そのイメージは見事に打ち砕かれる。抱けば壊れてしまいそうな、中性的な細身の躰は、今では薄い肉のヴェールで包まれている。ダーク・スーツを纏えば着痩せするのか、知的なビジネス・パーソン的風情だけど、肌の露出の多いノー・スリーブになると、途端にオバちゃんになる。日本での彼女のイメージは80年代で止まってしまっているけど、確実に歳はとっているのだ。
 外見は変わったとはいえ、彼女の中にマッカラーズ的な特性は確実に残っている。ただそれは、儚げで危うい感受性ではない。彼女が受け継いだのは冷徹な観察眼、どこまでも客観的な作家的視点だ。
 すでにSuzanne は、街角で孤独に佇む少女ではない。前回も書いたように、彼女は逃げ場もなければ戦う術もない、非力なルカではないのだ。

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 もしSuzanneがマッカラーズの人生に憧れて、その道程をなぞるだけだったなら、もっと早い段階で才能が枯渇していたか、あるいは引退していたかもしれない。
 ただ、彼女はそうはならなかった。彼女がマッカラーズに見ていたのは、作品へ取り組む姿勢、物語を紡ぐためのスキルだ。
 刺激的な題材は、強いインパクトを残しはするけれど、次回作はより強い刺激を期待される。インパクトのインフレはとどまるところを知らず、遂にはネタ切れを起こして自滅する。「ルカ」の大ヒットによって迷走し、一歩踏み外せば社会問題専門家にもなりかねなかったところを、Suzanneは踏みとどまった。
 作品のキャラクターと同化するのではなく、適切な距離を保つ。それが彼女の処世訓だった。
 作品との距離感を詰め過ぎた挙句、筆が進まなくなってフェード・アウトしてしまった者は多い。少女漫画家の三原順、または作家の尾崎翠など。
 それぞれ事情はあるだろうけど、いずれも早いうちに、その芸術的キャリアを終えた。その後の長い人生を、彼女らは創作とは縁遠いところで生活し、そして静かに消えていった。その後半生が幸せだったのか、また彼女たち自身が、自ら望んでそんな道を選んだのかどうか。

 Suzanneはその轍を踏まず、まだ歌い続けている。
 彼女自身がそういった道を望み、地道ながらも着実に、きちんと目の行き届いた作品を世に送り出している。



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1. Carson's Blues
 軽めの南部ブルースで幕を開ける。プロローグ的な役割のため、コンセプトを象徴するような散文詩は状況設定的。深読みするよりはむしろ、世界観をつかむためのもの。

2. New York Is My Destination
 初期の弾き語りスタイルを思わせる、ジャジーなムードのトラック。舞台がニューヨークなのに、なぜか大草原のど真ん中で歌う映像が存在する。謎だ。

3. Instant of the Hour After
 このアルバムは基本、書き下ろしなのだけど、唯一、2011年リリースの『Close-Up Vol. 3, States of Being』で先だって音源化されている。基本アレンジはそんなに変わらないのだけど、『Lover, Beloved』ヴァージョンの方がヴォーカルが奥に引っ込んでいるため、ちょっと聴きやすい。やっぱり濃いよな、『Close-Up Series』。

4. We of Me
 チャートにはかすりもしなかったけど、一応、シングルとしてリリース。確かにこの作品群の中では最もポップで聴きやすい。



5. Annemarie
 音像から言って、最もマッカラーズ的な特性を体現しているのは、このトラック。内に秘めた情熱が零れ落ちるヴォーカル、ミニマルなピアノのフレーズ。精密に構築された空間は、人を不安に陥れる

6. 12 Mortal Men
 マッカラーズ的人生の時系列をなぞっているのか、この辺からメランコリックな楽曲が多くなる。静かではあるけれど、アブストラクト。これもまたSuzanneが長いキャリアで獲得してきた独自の話法。

7. Harper Lee
 ニューヨークの場末のクラブでの弾き語りを思わせる、センテンスの多いフォーク・カントリー。架空の作家ハーパー・リーを軸に、プルーストやグレアム・グリーン、カポーティなど、彼女が好みそうな文豪の名が散りばめられてる。フィッツジェラルドなんかも好きなんだな、やっぱり。

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8. Lover, Beloved
 タイトル・トラックゆえ、マッカラーズ作品の世界観の一部を象徴している。悲観的な結末が多くを占めていることは、彼女が同性愛者であった点に起因する。彼女が生きた1940年代は、現在よりマイノリティへの風当たりが強く、それを公言することは社会的に抹殺されることを意味した。
 とても恋愛に対して前向きになることができない状況、その反動から紡ぎだされる極端な寓話性は、後世を生きるSuzanneにも大きく影響を与えた。

9. The Ballad of Miss Amelia
 アメリアはご存じ、『悲しき酒場の唄』の主人公。いとこのライモンとマーヴィンは、最後に彼女の心を踏みにじるような行ないをするのだけど、それを暗示してか知らぬふりか、Suzanneは淡々と物語を紡ぐ。

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10. Carson's Last Supper
 最後は大団円。罪深き者も悩める者も、みんな一緒に食卓を囲み、ゆったり最後の時を迎えよう。
 メランコリックな脱力感ながら、慈愛的な微笑みをもってささやきかけるSuzanne。






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