Front 1987年の「ルカ」の大ヒットによって、Suzanne Vega が世に知られるようになったのは、「偶然」と「必然」、それらのジャストなタイミングの巡り合わせだった。
 HeartやWhitney Houston、懐かしいところではStarship など、大味なアメリカン・ロックやソフトR&Bが上位を占める中、ヒットチャートの良心とも言うべき、良質のフォーキー・ポップが一定の支持を得たというのは、エレ・ポップに食傷気味になっていた大衆のニーズから来る「必然」、それと、80年代アメリカ音楽業界内におけるメイン・カルチャーとサブ・カルチャーとの微妙なパワー・バランスから生じた「偶然」の産物である。
 時々あるんだよな、アメリカのチャートって。不特定多数をターゲットに制作された全方位型ポピュラー・ソングに対する、カウンター・カルチャーとしてのカレッジ・ラジオの存在が、バカにできない。
 大衆的なヒットとは一線を画した、ちょっと斜め上の非商業的なアーティストが多勢を占めるラインナップが、大学生を中心とした20代の音楽ファンの支持を得ていた。ただ、年を追うに連れて、R.E.M.らを筆頭とした、カレッジ・チャート出身のアーティストがビルボード・チャートの方にも進出するようになり、世代交代の後押しを進めることになる。
 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの勢いに押されて、新陳代謝が遅れていたアメリカ勢のカンフル剤として、ニューヨークやLAだけじゃない、地方出身のインディー・アーティストが取って替わるようになったのも、これまた歴史的な「必然」。
 そこのチャートが時々、大きくバズったりして、BanglesやTimbuk 3なんかがメジャー展開するきっかけになったりして。SmithereensやSonic Youthなんかも、スタートはここからだったんだよな。

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 デビュー間もない頃のSuzanneは、老舗A&Mによる良質なディレクションによって、純然なフォークというより、薄くかぶせられたシンセとアコースティック・サウンドとの程よいミックス、フォーキー風のポップ・バラードという印象だった。フェミニズムやエロチシズムからは遠く離れた、引っ込み思案な文学少女を思わせる出で立ちは、過剰にデコレーションされた女性アーティストと比較すると、一種の清涼剤的佇まいを漂わせていた。訥々と精々しく言葉を紡ぐ、女の子とも女性、どちらとも取れる26歳の歌声は、ひっそりとした登場の仕方だった。
 チャートで多勢を占めていた、MIDIダンス・ポップとは、感触が大きく違っている。歌をメインとするため、バックのサウンドは控えめにしてある。できるだけ意味をはっきり伝えるためか、「歌う」というよりは「呟く」といった印象のヴォーカル・スタイル。声量は大きいものではないけれど、きちんと対峙して聴けば、発せられる言葉はきちんと聴き取れる。キレイな発音なので、リスニングもしやすい。逆に言えば、ついでで聴き流す音楽ではない、ということだ。聴く方にも、それなりの姿勢が必要だ。

 多くの人が、第一印象として「地味」と思ったに違いない。まぁ弾き語りスタイル自体、派手さを競うジャンルでもないし。最初こそハードルはちょっと高めだけど、聴き込んでいくと、ニューヨークを生き抜く都市生活者の孤独、その何気ない生活シーンを素直に切り取った心象風景は細やかだ。陳腐な表現だけど、ちょっと触ればたちまちヒビが入るかもしれない、そんな繊細なガラス細工のような作品は、静かに、そして聴き手の心に呼応するように、わずかに熱を帯びる。
 決して強い自己主張があるわけではない。むしろもっと引いた視点、自ら張り巡らせた薄い膜を通して、クレバーかつ慈愛に満ちたアングルによって、作品の主人公は息吹を吹き込まれる。

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 なのでSuzanne 、基本的には、拳を握りしめて声高々にメッセージを発する人ではない。社会派を気取った発言をする人でもないし、児童虐待を含めた社会問題をあからさまに批判するわけでもない。ただ、そんな現状が身近にある。それを歌にしただけのことだ。
 ルカはSuzanne の分身ではない。ルカはあくまで歌の題材、たまたま新聞かテレビで児童虐待のニュースを見て、インスピレーションを感じ取って作品に仕上げただけの話である。彼女の歌の中では、ルカはむしろ異質なテーマであり、その多くは半径5メートル以内の身近な心象風景を切り取ったものだ。
 なので、第2第3のルカを求められても困ってしまう。市場、そしてファンのニーズはルカ的なモノにあるかもしれないけど、すでに彼女の視点は別のところへ行ってしまっているのだ。
 逆に、ここまでイメージが固定されてしまったのなら、別のアプローチを試しくたくなるのも、アーティストとしての矜持である。第一、そこまで弾き語り主体にこだわってるわけじゃないし。

 そんな事情もあって、Suzanne が『99.9F』を作るにあたり、漠然と描いていたのが、従来のフォーク・ポップ路線からの脱却だった。商業政策的には、このままソフトなBilly Bragg的路線という選択もあっただろうけど、その辺はアーティストに寛容なA&M、口出しはして来ない。
 ただSuzanne、「じゃあどんな感じで?」という具体策が独りでは思いつかなかったため、各方面へデモ・テープを送りまくる。いわゆるプロデューサー・コンペである。
 ほとんどのコンポーザーは、従来路線を基軸とした、前述Billy Bragg的アプローチだったのに対し、唯一、「俺が違う路線でやってみる、ていうか歌はいいけど、これまでのサウンドはあんまり良くないし」と手を挙げたのが、当時はまだ新進気鋭だったプロデューサーMitchell Froomだった。
 俺が彼の名前を知ったのは、Elvis Costello 『King of America』でのアーシーなハモンド・プレイに耳を引かれたからだった。それからしばらくは、キーボード・プレイヤーとしての活躍が多かったFroomだけど、エンジニアTchad Blakeとチームを組んだあたりから、方向性が一変、プロデューサー/サウンド・メイカーとして、個性と記名性の強いアルバムを次々と制作するようになる。
 彼らの初期プロデュース・ワークで最も有名なのが、Los Lobosの『Colossal Head』。誰もが「ラ・バンバ」で終わった一発屋と思っていた彼らに、当時のトレンドだった音響派要素を含んだヴァーチャル・ラテン・テイスト+インダストリアル・タッチのエフェクトをデコレーションし、そのミクスチュア感覚が、レトロ・フューチャー感を演出して、まったく新たなキャリアを築き上げたのだった。
 なんかここだけ、CDショップのPOPみたいだな。

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 『Colossal Head』でドーンと名が売れるちょっと前、どんなジャンルでもインダストリアル・エフェクトを突っ込めば、全然違うサウンドにビルドアップできる、というサウンド・コンセプトだけはあったFroomの元に、Suzanneのデモが届く。
 言葉とメロディは揃っている。ヴォーカル・スタイルだって、きちんと独自のモノを持っている。あとは飾りつけだ。足すべき音と、いらない音。
 フォーク/シンガー・ソングライターのテーゼに基づいて書かれたメロディは、破綻も少なく流麗ではあるけれど、それが仇となって、時に平坦に聴き流されてしまう。調和の取れた作品はアートではあるけれど、完全ではない。アンチテーゼとしての破壊と混乱が内包されていなければならないのだ。
 静謐なメロディとヴォーカルと対比して、通底音のように鳴り響くメタル・パーカッションの破裂音と、不似合いなノイズ・エフェクト。そのアンバランスさは、初期のガラス細工のような儚さとは種類が違う。その不安定さは、秩序の破壊を孕んだ激しい熱だ。そして、その熱はSuzanneのヴォーカルをも浸食し、体温を引き上げる。

 初期3作までは、そのクレバーさゆえ、平熱より低めのテンションでいることが多かったSuzanne だったけど、ここではタイトル通り、華氏99.9度、摂氏で言うと37.8度と、軽い「微熱」状態でいることが多い。楽曲の骨格は従来と大きく変わらないので、シンプルなアレンジの楽曲では平熱で歌っている。アルバム構成として、これは正解だ。
 全部がインダストリアル・フォークだと一本調子になって、聴く方だって疲れてしまうし飽きてしまう。今みたいに、シャッフルして好きな曲だけピックアップ、っていうんだったら何でもいいけど、まだみんな、アルバムは最初から最後まで聴き通す時代の作品である。ペース配分を考慮して選曲というのは、とても重要なファクターなのだ。

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 イメージ・チェンジというのが事前にインフォメーションされていて、市場の期待値もそれなりに大きかったのだけど、セールス的には、USで辛うじてゴールド獲得、前作までと比べ、そこそこの売り上げに終わった。「ルカ」的なイメージを求めていたにわかファンを中心に、Froomが槍玉に上がったことは、まぁとばっちり。
 ただ、彼女がここで得たスキル、そして新たな方向性への道筋がついたことは、大きな収穫だった。単なるフォーキー・ポップ以外の言語を獲得したことで、その後のSuzanneの創作意欲は旺盛になってゆく。
 その後、数作に渡って2人の共同作業は続き、それに伴ってプライベートでの距離も縮まってゆく。『99.9F』リリースからちょっとして、2人は私生活上においてもパートナーとなり、1子を授かってしまう。ほんとよく聴く話だよな、プロデューサーとアーティストの色恋沙汰。今ちょうど、テレビで小室哲哉の不倫疑惑のニュースを見ていたので、特にそう思う。
 ただ、2人のパートナーシップはそんなに長くは続かず、Suzanneの音楽性の変化、アコースティック路線への回帰を機として、わずか3年で解消に至る。ゲスい見方だけど、創作スタイルの切れ目が、縁の切れ目だったのかね。



99.9 F
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Suzanne Vega
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1. Rock in This Pocket (Song of David) 
 いきなり銅鑼を打つようなメタル・パーカッションが響いてくるので、最初はちょっと驚きだけど、歌に入るといつものSuzanneのスタイル。ギターを中心とした構成に変化はない。トーキング・スタイル思いきや、ちゃんとサビは印象的にメロディアスになってるし。テルミンみたいなエフェクトを始めたのは、多分Froomからかな。



2. Blood Makes Noise
 ベース・ラインがめちゃカッコいいと思ったら、AttractionsのBruce Thomasだった。こういった手数が多くリード楽器みたいな音は、やっぱりCostelloと場数を踏んでただけのことはある。あの人、ギター・ソロはめったに弾かないから、Steve Nieveが手が空いてない時は、メロディ担当しなくちゃなんないし。そういえばドラムはJerry Marotta。プロデューサー人脈からいって、ワーナー時代のCostelloのラインナップだ。
 ビルボードのモダン・ロック・チャートでは、なんと1位を獲得。



3. In Liverpool
 リバプールというタイトルなので、Beatlesについて歌ってるのかと思って歌詞を見ると、どうもあんまり関係ないらしい。どっちにしろ、俺の語学力じゃ深い考察は無理だ。誰か教えて。
 ここでいったんクールダウンして、オルタナ系は引っ込めて平熱の状態。しっとり落ち着いたフォーク・バラードは心に沁みる。シングル・カットされ、UK52位。従来イメージの楽曲は、固定客の心をつかんでいると言える。

4. 99.9F°
 ここでドラム・ループが出てくる。終始クールなスタンスで、後期のEverything But the Girlを思わせるシーケンス中心のサウンドは、微熱状態をイメージさせない。それとも、相手(男)に熱を持つよう促しているのか。
 ビルボードのモダン・ロック・チャートでは13位、UKでも46位をマーク。インダストリアル・ハウスといった曲調に合わせたコンセプチュアルなPVも、ちょっと話題になった。

5. Blood Sings
 なので、サウンドの新機軸ばかりが注目されがちだけど、こういった平熱で歌われる楽曲の良さが引き立ってくることも、Froomの計算のうちだったと思われる。やや官能的と思われる歌詞に対して、シンプルなアコギの響きが、案外いいバランス。女性を出した言葉をあまり多用しなかったSuzanneにとって、これもまた新たな試み。

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6. Fat Man and Dancing Girl 
 またまたCostelloさん人脈から引っ張ってきたJerry Scheff (b)が参加。基本、シンプルなベース・ラインの人なので、シンプルなドラム・ループとの相性は良い。寓話性さえ感じさせるトピカル風な弾き語りは、初期のスタイルを彷彿とさせる。

7. (If You Were) In My Movie
 ある男を映画の登場人物に見立て、様々なストーリーの上で動かす、といった妄想的な短編小説を思わせる。言葉が主体の楽曲にこそ、こういったリズム・ボックス的にシンプルなビートの方が、変にサウンドに注目しなくてもい。肝心なのはストーリー、そしてそれを淡々と紡ぐヴォーカルの説得力なのだ。

8. As a Child
 バグパイプとループを効果的にミックス、ベースがリードするバッキングに合わせ、軽快に歌うSuzanne。グーグルの直訳しか見てないので、確かなことは言えないけど、結構皮肉めいた警鐘めいた言葉遣いが多く感じられる。こういったのも、トピカル・フォークの伝統なんだろうな。

9. Bad Wisdom
 再び平熱タイプのアコースティック・スタイル。ニューヨークの街角に立ち、バスキング・スタイルでギターをつま弾くSuzanneの凛とした姿が想像できる。かっちりした短編小説を思わせる歌詞は、母との確執を描いている。「悪知恵」なんてタイトルをつけるくらいだから、こちらも一筋縄では行かない、毒を利かせたテイストになっている。それを淡々と歌うSuzanneの潔さといったら。

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10. When Heroes Go Down
 このアルバムの中で最もロック寄り、エフェクトを利かせたギターを前面に出したナンバー。英雄の失墜を皮肉と警句を交えた軽い内容なので、2分弱とコンパクトにまとめている。

11. As Girls Go
 シーケンス再び。根っこは変わらないのだけど、やはりリズムが立つとここまで印象って違っちゃうんだな。見境なく女と付き合う男への痛烈な皮肉は、中島みゆきの世界とリンクする。なぜかここだけ参加しているRichard Thompsonが、珍しく情感こもったエモーショナルなギター・ソロをちょっとだけ披露。

12. Song of Sand
 珍しくストレートに戦争を取り上げた、彼女なりのプロテスト・ソング。弱者へのいたわりや権力への怒りをあらわにしており、どこまでも熱い。その対比として、整然とした弦楽四重奏が、その熱を鎮める。

13. Private Goes Public
 当初は日本・EU向けのボーナス・トラック扱いだったけど、今ではこれも正規曲としてクレジットされている。シンプルな弾き語りスタイルによる、2分弱の小品。多分、何かを暗示しているのだろう、抽象的な言葉の羅列は語感を優先しているように思える。






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