51iRe5jF6VL 1984年リリース、前作『Nested』から6年ぶり、7枚目のオリジナル・アルバム。US最高182位という成績なので、正直、あまり知られてない作品である。彼女が精力的に活動していたのは60年代末から70年代にかけてなので、後期の作品はどうしても印象が薄い。

 以前、初期のLauraの歌が苦手だと書いた。それは今も変わらない。
 一般的にLaura Nyroといえばその初期のイメージが強く、「キリキリ張り詰めた切迫感」「むき出しの激情ソング」という枕詞で紹介されることが多い。実際、認知度が高いのも、初期の3作に集中しているし。
 対して後期の作品は、チャート・アクションが示すように印象が薄く、日本でも本国アメリカでもやんわりとスルーされている感が強い。激動の時代を駆け抜けた後のウイニングラン、いわば全力疾走でゴールした後の余韻で作られたもの、と受け止められている。磨かれる前の原石は魅力的だったのに、いざ磨いちゃうとイヤ実際うまくまとまってはいるんだけど、変に角が取れすぎちゃって新鮮さが失われたというか。

 Lauraに限った話ではなく、キャリアの長いシンガー・ソングライターの多くは、こういったジレンマを抱えている。サウンド・メイキングの多様化を「商業主義に走った」と一蹴され、ソングライティングのスキルが上がると「技巧に走った」と責められる。
 粗野でアラの目立つ初期作品より、完成度は確実に上がっているはずなのに、古くからのファンは、いつまでも全盛期と自身の青春期とをオーバーラップさせてしまう。なので、彼らは音楽的なクオリティより、初期衝動や未完成のサウンド・スタイルを好む。
 まぁ、わからなくはないけど。

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 デビューから一時休業までの彼女にとって、音楽とは人生のすべてであり、思いのたけをぶつける手段だった。ソウルやジャズ、ゴスペルをルーツとした彼女の歌は、未加工の素材が放つ儚げな美しさを醸し出していた。白人版Nina Simone とも称されるソウルフルなヴォーカルやパフォーマンスは、あのMiles Davisさえ一目置くほどだった。
 むき出しのエゴと相反する少女性。ピアノ、そして音楽そのものとガチで格闘するかの如く鬼気迫るプレイは、ライブだけでなく、残されたスタジオ音源からも露わになっている。
 この時代のLauraに音を楽しむ余裕はない。そこにあるのは、叩きつけるピアノと絞り出す肉声、音楽そのものをねじ伏せようと足掻く力技だ。
 音楽だけでなく、自らを取り巻くすべてに対して、シリアスにならざるを得ない時代だった。自分の表現を押し通すため、拳を握り奥歯を噛みしめることが、60年代を生き抜くライフスタイルだった。身を守るために尖らせたヤマアラシの棘は、聴く者の心を搔きむしり、時に容赦なく深い傷痕を残した。

 70年代に入り、潮が引くように喧騒が収まり、真空状態のような空白が訪れた。平和な時代の到来と共に、棘はその突き刺す対象を失った。握りしめた拳はぶつけるべき対象がなくなり、ただ虚を打つばかりだった。
 どこかに怒りをぶつけていないと収まらない者は、時代のステージから降りていった。怒りの対象は曖昧模糊に形を変え、巧妙に表舞台から姿を消していた。60年代の余韻は怠惰と虚無に紛れていった。
 憑き物が落ちたように、Laura もまた、握りこぶしと張り詰めていた糸を緩めた。パートナーを見つけ、そして新たな命を授かった。かつて心の寄る辺にしていた音楽に取って代わり、新しい家族が彼女にとっての生きがいとなった。
 そして彼女は一旦ステージを降り、家庭に入る道を選んだ。それに伴って、引きつっていた笑顔が少し和らいだ。子ども相手には、その方がよい。

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 ハイペースでアルバムをリリースしていた引退前と比べ、復帰後の彼女のリリース・ペースはひどく緩慢になった。
 一時、音楽業界から身を引き、客観的な視点を身につけたLaura の音楽は、明らかに変化した。素朴なピアノ弾き語りと、豊かな表現力を持つ歌声だけで成立していた初期と比べ、ジャズ・フュージョン系のミュージシャンを多く起用して、緻密なアンサンブルを構築するようになったのが後期である。ネガティヴな恋愛観を主軸としたパーソナルな世界観は一掃され、家族愛や自然への賛美など、地に足のついた一人の母親の目線は、後期に培われた。
 それは、音楽のミューズに愛されたアーティストとして、成長の証である。でも大抵、古くからのファンは劇的な変化を嫌う。いつまでも「あの頃」のLauraを求めてしまうのだ。前を向いて進むアーティストにとって、それはめんどくさい相手である。

 あまりにテンションの高いパフォーマンスゆえ自制が効かず、例えばレコーディングにおいても、テイクごとに全力を使い切ってしまう。体力的な問題もあったのか。ほぼリテイクなし・一発録音で仕上げていたのが、初期のLaura である。細かなアラやミスプレイもなんのその、整合性よりエモーショナルな部分を重視していたため、バック・トラックにまで気を配る余裕を持てなかった。
 対して熟考を重ね、レコーディングに時間をかけるようんなったのが、復帰後のlauraである。

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 取り上げるテーマが母性愛やフェミニズムに傾倒するに従い、Lauraのサウンドはバンド/アンサンブル主体に移行してゆく。感情の赴くままパッションをぶつける、ピアノをメインとしたシンプルな初期サウンド・スタイルは、コンセプトとフィットしなくなっていた。大らかな母性を含んだLaura の歌声と言葉は、フュージョン系のアーティストを多数起用して、彩りの深いソフト・サウンディングを希求した。
 これまでとは違うベクトルのメッセージを余すことなく伝えるため、サウンドには緻密さと確かな表現力が求められる。レコーディングにかける時間は膨大なものになった。
 復帰後間もなく、彼女はシングル・マザーとなり、家族と過ごす時間を何よりも優先した。並行して、表現者としての自分もいる。家族優先での活動は断続的となり、まとまった時間を取るのも困難になる。
 家族と過ごす時間を優先し、何年かに一度、まとまった時間を捻出して音楽活動を行なう女性アーティストとして、竹内まりやとダブる部分も多い。ただ、まりやは山下達郎という、公私を共にするパートナーに恵まれたおかげで、焦らずマイペースな活動ぶりである。
 離婚後のLauraもまた、プライベートにおいてはMaria Desiderioというパートナーと出会ったけれど、音楽面での固定したパートナーは、遂に持たずじまいだった。両方を満たすパートナーに出逢えなかったのか、それとも、彼女が要求するレベルに達する者がいなかったのか。
 そうなると、すべてを独りで行なわなければならない。

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 『Mother’s Spiritual』制作にあたり、一時的にパートナーシップを組んだのが、旧知の仲だったTodd Rundgrenである。関係ないけど、そういえば山下達郎に雰囲気似てるよな。
 この時期のToddは、ソロ・デビューから長らく所属していたべアズヴィルと契約解消し、少しの間、表舞台から遠ざかっていた頃である。シングル・ヒットを狙ってパワー・ポップ路線に転じていたUtopiaは、セールス不振によって活動がフェードアウト、ソロ・アーティストとしてよりプロデューサーの仕事が多くなり、何をやってもうまく行かなかった時期にあたる。
 もともと、『A Wizard, A True Star』でのブルーアイド・ソウルへの熱烈なオマージュも、「Gonna Take a Miracle」を始めとしたLauraの歌からインスパイアされたものであるし、Nazz時代にバックバンド結成を持ちかけられたりなど、まぁ狭い業界なので何かと繋がりはあったらしい。
 アーティストとしては互いにリスペクトはしているのだろうけど、何となくToddが便利屋的にこき使われてるんじゃないかと思ってしまうのは、きっと俺だけではないはず。Lauraを有能なアーティストとして見ていたのか、それとも1人の女性として見ていたのか―。
 振り回されてる感のあるToddの本心は半々だったろうけど、少なくともLaura にとって、Todd Rundgrenという男性は重要ではなかった。彼女のため、スタジオ・ワークの細々した仕事や調整を引き受けてくれる彼に、好意以上の思いを持っていたとは思えない。
 結局、Liv Tyler の時もそうだったけど、恋愛対象になるほどじゃないんだよな、この人。

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 女性シンガー・ソングライターにありがちな、「男女間の恋愛」というパーソナルな狭義に収まらず、もっと広いレベルの人間愛や家族愛、そしてオーガニックな自然への感謝が、『Mother’s Spiritual』のメインテーマである。女性運動への傾倒もあって、フェミニズムを礼賛する曲も含まれているのだけれど、これは前述のMarioとの出逢いが大きく影響している。
 『Mother’s Spiritual』は1982年からレコーディングが開始されているが、そのセッションでは納得いく仕上がりが得られず、年末に一旦録音を中断している。復帰以降のジャズ・フュージョン系サウンドは、Laura自身のシビアなプロダクションによって、当時望めるべく最高のサウンドに仕上がっていたけど、彼女のジャッジはさらにレベルが上がっていた。
 -こんなんじゃ足りない。
 頭の中で思い描くサウンドの具現化のため、Lauraは15万だか20万ドル以上をかけて、自宅スタジオを新設する。思い立ったらすぐ、インスピレーションがひらめいたらすぐにレコーディングできる環境を手に入れたことによって、彼女の創作意欲は拍車がかかることになる。
 プレイヤビリティは尊重しながら、あくまで歌をメインに聞かせるためのサウンドを追求した末、『Mother’s Spiritual』で一応の帰着点を得た。一聴する分には、単なる耳障りの良いAORだけど、聴きこんでゆくにつれ、隅々までLauraの主張と美学が濃密に刻まれているのが感じられる。


Mother's Spiritual
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1. To a Child
 世の中は悪意と欺瞞に満ちている。まだ知恵も経験も乏しい子供を守るために、母親は慈愛のまなざしを持って、外部から必死に守らなければならない。愛息Gilはまだ6歳。目を離せない年頃だ。自ら選択したシングル・マザーという生き方に対し、まだ気張っていた心情が窺える。
 後年、『Walk the Dog and Light the Light』にてセルフカバーしており、そこでのLauraはピアノ1本をバックに芯の強い女性として振る舞っていた。ここでの彼女はサウンドに細やかに気を配り、日々の疲れを感じさせる力ない口調である。どちらも彼女の本質だけれど、俺的にはここでの「To a Child」が好みである。



2. The Right to Vote
 初期のR&Bタッチを想起させる、軽快なカントリー・ロック。そう、サウンド自体は結構泥臭いのだけど、Lauraの声はむしろ冷静なのだ。バックトラックのドライブ感と、心ここにあらずといった感のヴォーカル&ピアノとの齟齬は、すでにサウンド的に次の方向性を模索していたことが現れている。

3. A Wilderness
 なので、変にバンド・グルーヴを強調するより、このようにヴォーカル・バックアップに徹した「ちょっと引いた」アンサンブルの方が、スタジオ・トラックとしては秀逸。ライブだと2.の方が映えるのだけれど、マザー・アース的なテーマの曲には静謐なサウンドの方が親和性が高い。この曲もそうだけど、ギターの音が太い。繊細に爪弾いているだけにもかかわらず、存在感が強い。こういった響きにも凝ったんだろうな。

4. Melody in the Sky
 ちょっとだけファンキーなギターのカッティングから始まる、セッションっぽくレコーディングされているナンバー。初期の彼女ならエゴが出過ぎていたところだけど、肩の力を抜いて軽く流す感じなので、聴く方もまったりできる。

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5. Late for Love
 サウンド的には1.のバリエーションといったアレンジ。マザーアース的なテーマでは、ヴォーカルを活かした「引いた」サウンドになるのは、次作『Walk the Dog and Light the Light』でも引き継がれる。

6. A Free Thinker
 「自由な思索家」と訳すのか、ソングライターとして表現者としての自身を相対化したファンキーなバンド・サウンド。でも最後は「地球を救えるでしょうか?」で締めちゃうんだよな。まぁそういうアルバムだから、仕方ないけど。

7. Man in the Moon
 Toddがシンセでクレジットされている。とはいってもこれまでのバンド・アンサンブルに変化はなく、彼の存在感は正直薄い。ていうか、「いたの?」といった感じ。うっすらコーラスに参加しているっぽいけど。
 考えるに、バンド・スタイルのレコーディングはToddがバンマス兼アレンジ補助といった感じの役回りだったと思われる。何かと要求の多いLauraと実働部隊であるバンドとの橋渡し役といった感じで。なので、ほぼ全編セッションにはいたのだろうけど、段取りを組み立てるのが主でミュージシャンとしては目立った演奏はしておらず、クレジットをどこかに入れとこうか、とねじ込んだのがこの曲だったわけで。

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8. Talk to a Green Tree
 ちょっと不穏さをあおるコード進行と演奏による、フェミニズム寄りのマザーアース楽曲。サウンド的には最もグルーヴ感とキレがあるのが、このトラック。人によっては説教くさい歌詞に聴こえるかもしれないけど、洗練されたブルース・ロックは捨てがたい。

9. Trees of the Ages
 再びTodd参加。コスミックなシンセの音色は、壮大な地球を憂うLauraの思想とフィットしたのだろう。彼もいくつになっても夢見がちなキャラクターだし。でも、女性という点において彼女の方が地に足がついており、そこに微妙な齟齬が生じた。繋ぎとめてくれるタイプの女性じゃないしね。

10. The Brighter Song
 曲調としては穏やかだけど、女性の権利と自然保護を高らかに訴える、結構肩に力の入った歌。そういったテーマを抜きにすると軽快なミドル・チューン。でも切り離して考えられなんだよな。

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11. Roadnotes
 ローズっぽい響きのエレピはこれまでとタッチが違うので、Laura自身の弾き語りと思われる。冒頭からいきなりジプシーなんて言葉が飛び出し、時間軸も宇宙レベル。ただ主題はパーソナルな家族との時間。壮大なテーマだな。

12. Sophia
 Doobieっぽいファンキーなオープニングが単純にカッコいい。Lauraのヴォーカルも心なしか熱がこもっている。でも、初期のような混沌はなく、きちんとコントロールされたアンサンブル。どの曲もそうだけど、3~4分程度にまとめられてるので、ダラッとした印象がないのも、このアルバムの秀逸な点。



13. Mother's Spiritual
 ラストはしっとりピアノのみのバラード。「愛と平和」をテーマにしていると抹香くさく思われがちだけど、そんな揶揄も凌駕してしまう「すっぴんの力」。「女」であり「母」であるという時点で、大抵の男はすでに「勝てない」ということを思い知らされる。

14. Refrain
  Gilの笑い声を交えた1.のループ。親バカと思われようが構わない。そういった決意を盤面に刻み、アルバムは終焉を迎える。




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