Folder 80年代初期にチャートの常連だったラッツ&スターが活動休止に至った経緯は、複合的な要因が絡み合ってのものだけど、単純に考えるとシャネルズから改名以降のセールス不振が大きく響いている。
 新生ラッツ&スターとしてのシングル第一弾「め組の人」は、当時有数のヒットメーカー井上大輔のペンによるもので、オリコン1位80万枚を売り上げる大ヒットを記録した。改名に至るゴタゴタを払底するため、ここで一発ヒット曲を出さなければならなかったのが、ラッツが当時置かれていた状況だった。

 化粧品CMとのタイアップの絡みであらかじめタイトルは決まっており、新生第1弾をアピールするため、当初は井上同様、ヒットメーカーだった大滝詠一がプロデュースする予定だった。かつての師匠との再会は話題性充分だったはずなのだけど、当時『Each Time』レコーディングにかかりきりだった大滝のスケジュールが取れず、企画がお流れになったのは、わりと有名な話。
 そういった経緯もあって、2曲目はぜひ師匠の作品で、というのは必須の流れだった。

 大滝プロデュースを最大のセールスポイントとしたアルバム『Soul Vacation』は、ジャケット・デザインを世界的アーティストAndy Warhol に依頼、アレンジャーには村松邦男と井上鑑を起用、当時のナイアガラ・ファミリーを贅沢に使った意欲作となった。
 シングル・カットされた「Tシャツに口紅」も、前作と雰囲気を変えたマイナー・タッチのしっとりしたバラードとなっており、2曲並べることで陰陽のコントラストがくっきり浮かび上がってくる。この曲はラッツ時代の名曲として、今もファンの間では人気が高い。ついでに、俺のカラオケの定番となっているナンバーでもある。
 ただ当時のチャート・アクションは、アルバム3位シングル18位と、中途半端な売り上げに止まってしまう。今ではテレビ出演においても、「夢で逢えたら」と共に選曲される率が高い楽曲なので、「別れの街」や「違う、そうじゃない」クラスの売り上げだったと誤解されているけどとんでもない。当時からすでに。隠れた名曲扱いだったのだ。確かに「め組の人」と比べてアダルティーなサウンドは、当時のヒット曲と比べて明らかに地味だった。
 シングル・リリースのペースが早かった80年代において、2曲目で大きく失速してしまったことによって、その後のラッツのチャート・アクションは下降線を辿ることになる。

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 そういった現状に、ただ手をこまねいていたわけではない。新機軸として、シングルで田代をメインに据えたり、企画色が強いけど、マーチン姉の鈴木聖美をフィーチャーした「ロンリー・チャップリン」は、リリースから四半世紀経った今も、夜の街界隈を賑わす定番デュエットである。あるのだけれど、あくまでどれも単発的な効果に終わり、ラッツ本体へのフィードバックには至らなかった。
 良い意味で姐御肌的存在だったお姉ちゃんとのコラボは、結果的に鈴木姉弟の発言力が増す方向へ作用したため、グループの連帯感は緩やかに崩れていった。

 グループとしてのオファーが少なくなってゆくことによって、自然と個々の仕事が多くなり、これまでの一枚岩体制からシフトチェンジ、ラッツ本体の活動は次第にフェードアウトしてゆく。
 もともとパーティ・バンド的なニュアンスも濃かったシャネルズ時代から、ライブMCでのおちゃらけたトーク・コーナーはあったのだけど、末期のライブでは田代と桑野主導による幕間のコント・パートが設けられており、純音楽主義的な他メンバーとの不協和音がシャレにならなくなっていた。
 他メンバーほど音楽面に執着がなく、志村けんに目をかけられた2人はTVバラエティの世界へと進出、それを機に他メンバーも業界内外へそれぞれ散っていった。バス担当の佐藤善雄が、のちにプロデューサーとしてゴスペラーズを世に送り出したのは、わりと有名な話。
 まとめ売りなら需要は少ないけど、個性に応じたバラ売りによってニーズを創り出せるのなら、結果的に全体の寿命は延びる。大元のブランド・イメージも維持できるし、グループと所属事務所の選択は間違ってはいなかった。

 で、ここでマーチン。解散という最悪の事態を回避、ホームグラウンドであるラッツのアイデンティティを保ってゆくため、マーチンはエピックとソロ契約、ただ独りアーティスト活動を続けて行くことになる。
 とは言っても、単なるラッツの延長線上というわけにはいかない。「ドゥーワップ+オールディーズに歌謡曲のメロディ」という方法論はこの時点で行き詰まっており、ひとりラッツでは立ち行かなくなるのは目に見えていた。
 グループ時代はそれほど前面に出してなかったけれど、マーチンは同じヴォーカリストとして、Marvin Gayeをリスペクトしていた。優秀なソングライターでありながら、時にダイナミックに、時にセクシャリティを強調した彼のステージ・パフォーマンスは、R&B要素を持つ男性ソロ・ヴォーカリストにとって、目指すべき理想形だった。

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 ただ当時のソニーにとって、それは苦手分野のひとつだった。大沢誉志幸の時にも書いたけど、70〜80年代のソニーは、彼のような男性ソロ・ヴォーカリストへの販売戦略が不得手だった。アメリカ進出を模索していた矢沢永吉が、グローバル展開を見据えてワーナーへ移籍したように、良くも悪くもドメスティックな営業戦略で収まってしまうところが、世界的なアーティスト育成の不調に直結している。プレステは世界中のどこにでもあるのにね。
 Marvin をプロトタイプとした和製R&B路線は間違っていなかったのだけど、未開拓の分野ゆえ、マーチン含め周辺スタッフもまた、試行錯誤していたんじゃないかと思われる。

 その和製R&B〜ファンク路線は、松崎しげるをプロトタイプとするディナー・ショー路線とは別のベクトルへ向かうことになる。演歌/歌謡曲とも相似点が多いメロディアスなフィリー・ソウルをルーツとするのではなく、リズムを主体に構成された同時代のファンク〜ヒップホップから着想を得ることによって、80年代洋楽チャートともリンクしていった。
 のちに登場する久保田利伸のブレイクによってコンセプトが固まり、彼を中心としてバブルガム・ブラザーズや安藤秀樹らによるソウルメイト一大勢力を築くことになるのだけど、それはもう少し後の話。マーチンがデビューの時点では、まだ黎明期だった。同じ男性ソロ・アーティストだったとしても、フォーク/ロック系の佐野元春や尾崎豊と同じ手法ではダメなのだ。事実、ヒップホップ色の強い『Visitors』が正当に評価されるまでには、ずいぶん待たなければならなかったし。

 そのような黎明期のソニーR&B部にいたのが、大沢誉志幸。
 希代の名曲「そして僕は途方に暮れる」のヒットによって、デビューから積み上げてきたデジタル・ファンク・サウンドも脚光を浴びるようになっていた。その路線の完成形となったアルバム『in・Fin・ity』も、高い評価とセールスを記録して、ようやくひとつの方向性が定まった頃だった。
 デビュー前から、職業作家としての活動も並行して行なっていた大沢、この頃はアーティストとしてだけでなくライターとしても脂が乗っており、山下久美子「こっちをお向きよソフィア」や吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」など、いまも彼らの代表曲になっている楽曲を立て続けに書き下ろしている。売れたわけじゃなかったけど、ビートたけしにも書いてるんだな、この人。
 ファンクとR&Bと、微妙にジャンルは違えど、同世代で聴いてきた音楽もかなりカブってる2人の相性は良く、コラボするのは成り行きとしても自然の流れだった。

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 で、その大沢は当時、主なブレーンとしてホッピー神山を引き入れており、多分その流れで彼も主要スタッフとしてクレジットに名を連ねている。普通に考えると、メジャーとアンダーグラウンドとのボーダーで活動していたホッピーとのコラボは貴重だし、その流れで参加している布袋寅泰はもっと異色である。当時はBOØWYでブイブイ言わせてたのにね。
 座付き専属作家とレコード会社主導によって築き上げられた歌謡曲の世界は、80年代に入ってからは、はっぴいえんど/ティン・パン・アレー一派がレコーディングを仕切り出し、なし崩し的にはロック系アーティストの参加が多くなる。ロックは金にならないけれど、アイドル関連は確実に収入になるので、中途半端なポリシーを捨てさえすれば、需要はいくらでもある時代だった。
 良く言えば、「他流試合を重ねたことによるスキルの向上」といった見方もできるけど、当時の布袋がマーチンや中島みゆきだけでなく、今ではスッカリ有名になったナウシカの蟲の鳴き声までやっていた、というのを聞くと、なんか日本版Adrian Brew 、ギターの便利屋的印象を受けてしまう。ホッピーもホッピーで、この時期の仕事で有名なのは吉川晃司や布袋の一連のプロデュースだけど、うしろ指さされ組なんて仕事もやってるんだもの。何でもアリだな。

 ディレクターやマーチン本人の方向性がまだ充分固まっておらず、サウンド・プロデュースに徹した大沢もホッピーも、通常の歌謡曲仕事よりは丁寧な仕事をしてはいるものの、R&Bと歌謡曲とのブレンド配分を決めかねている部分が垣間見える。まぁ実質的なデビュー作なので、かっちりした方針も何もないのは当たり前の話だけど。これまでのようなラッツのコーラス・ワークがない分、サウンド的に薄くなるのを回避するため、ひとクセとギミックの多い大沢&ホッピーのアレンジは正解だった。
 『Mother of Pearl』は、マーチンのソロ・ワークの基本指針を決定づけ、その後は山下達郎や小田和正ら気鋭のクリエイターによって、サウンドは磨かれてゆく。和製Marvin Gayeと称される彼が本領を発揮するのはもう少しあと、「ロンリー・チャップリン」で見せたベタなお水っぽさを放つ「別れの街」からである。


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1. ふたりの焦燥
 脱・ラッツという流れを作るためには必要だった、もろ大沢誉志幸チーム、いやPINKのサウンド・プロダクションをそのまんま移植したようなエレクトリック・ファンク。跳ねまくるスラッピング、ボトムを思いっきり膨らませたバスドラ、縦横無尽にスキを見て変なギミックを奏でるキーボード。やっぱりホッピーの仕事だ。
 でももっとすごいのは、こんな一面をまるで見せてこなかったはずなのに、いとも簡単に自分のフィールドに引き寄せてしまうマーチンのテクニック。普通ならサウンドに埋もれてしまうところを、たやすくねじ伏せてしまえるのはさすがだし、こんなトリッキーなサウンドをぶつけて来たホッピーのプロデュース能力も絶妙。
 
2. 別の夜へ〜Let's Go〜
 ホッピーのアレンジメントは続き、今度は新進気鋭の若手作曲家だった岡村ちゃんのペンによるファンク・チューン。詞先か曲先かはわかりかねるけど、言葉の乗せ方には後年の岡村ちゃんのセンスが感じられるし、サビ以外ははっきりしないメロディ・ラインは岡村ちゃん特有のもの。これもまたマーチンがうまく料理しているけれども、若気の至り的な岡村ちゃんヴァージョンも聴いてみたいところ。

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3. ガラス越しに消えた夏
 ギミック色の強いファンクで幕を開けた後、ここでクール・ダウン。シングル15位と成績以上に記憶に残り、「Tシャツに口紅」同様、やはりこれも早すぎた名曲と称された。
 深いエコーの奥深くで奏でられるギターは布袋寅泰によるもの。バラードでは飛び道具を多用できず、U2のEdgeをモチーフとしたサウンドは、正直彼のカラーとは微妙にずれている。やっぱ便利屋的な使われ方だな。
 コード的にはセオリーからはだいぶ外れた構成なのだけど、日清カップヌードルCMとのタイアップを考慮したのか、プロデューサー大沢は技巧を凝らして奇跡的に甘くビターなメロディに仕上げている。シンガーを想定して書き分けることもできる人なのだ。



4. 輝きと呼べなくて
 アレンジといい構成といい「わがままジュリエット」そのまんまで、リリース日を調べてみると、どちらも1986年2月となっており、パクリというよりはむしろ、PINKや布袋周辺のトレンドがこういったサウンドだった、と捉える方が自然。氷室もマーチンもどっぷりロックやソウルに引き寄せるのではなく、ほんの少しだけ歌謡曲側に歩み寄った下世話なテイストを付け加えることで、マスに希求するテーマを展開している。

5. メランコリーな欲望
 と思ったら、インダストリアルなイントロはまるっきりニューウェイヴ、とてもドゥーワップ・ヴォーカルの楽曲とは思えない。タイトルといいサウンドといい、どちらかといえば吉川に提供した方がしっくり来たんじゃないかと思われる。マーチンのヴォーカルは通常運転だけど、バッキングとのミスマッチ感はハンパない。従来と違う方向性で、というオファー通りの仕事だとは思うけど、ベクトルがこじれ過ぎている。

6. 今夜だけひとりになれない
 ここからはB面。岡村ちゃん同様、当時はまだ新進気鋭の作曲家という立場だった久保田利伸によるナンバー。これまた当時の最新鋭機材フェアライトをてんこ盛りに使ったサウンドは、UKダンス・ポップとのリンクを感じさせる。
 もともとガチガチのソウル・シンガーではなく、ポップな楽曲も料理できる柔軟性のある人なので、泥臭いブルースより、むしろこういったポップ・センスの強い楽曲の中でこそ、この人は個性を発揮できる。

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7. ときめくままに
 なので、このようなフィリー・ソウル80年代ヴァージョン的なポップ・ソングだと、マーチンのフットワークの軽さが見えてくる。かなり歌謡曲サイドに近づいたベタなメロディと、硬質なギター・カッティングが案外マッチしている。爽やかささえ感じてしまうサビは、こういった方向性もアリだったかもしれない、とさえ思わせる。でもこれって、久保田っぽくないよね。

8. One more love tonight
 アレンジで登場するのが、当時売れっ子マニピュレーターとして、幅広いジャンルから引っ張りだこだった藤井丈司。ホッピーもそうだけど、「歌を聴かせる」という目的より、自分たちがいかにして遊ぶか、いかにトリッキーな方向へ進むかが目的化してしまって、歌が埋もれてしまっているのが、ちょっと残念。
 結果的に、エンジニア主導のサウンドは数年経つといとも簡単に風化して、再聴するにはちょっと二の足を踏んでしまう。

9. Just Feelin' Groove
 アブストラクトな楽曲を挟んでから聴くと、すごくホッとしてしまうスタンダードなゴスペル・ポップ。単なる多重コーラスではなく、録音にかなり気を使っていることが窺える分離の良さは、やはりバジェットの大きさがモノを言う。8.に続き藤井も参加しているけど、ここは大沢のサジェスチョンが強く作用している。

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10. 追想
 ラストは唯一、マーチン作曲によるバラード・ナンバー。ラッツ時代を彷彿とさせるメリハリのあるメロディーは、キャリアの中でも1,2を争う出来となっている。サウンドも小技を使わず、ここでは歌を聴かせるシンプルなアレンジで収めている。
 このアルバムの中では保守的なナンバーであり、ホッピーのギミックが炸裂した楽曲と比べると地味で影は薄い。けれど、やっぱヴォーカリストにとっては歌を伝えることがもっとも重要なのだ。それがわかっただけでも、十分な収穫だったと言える。




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