folder YMOというユニットは約5年、実質的な活動期間は3年程度という短いものだったのだけど、その間にオリジナル・アルバムを6枚、ライブ1枚に『増殖』1枚と、思っていた以上に多作である。そんなタイトなスケジュールの中、2度のワールド・ツアーやTVへの露出、当時のマルチメディアを駆使した活動を展開している。それに加えて各自のソロ活動、アルバム・リリースや楽曲提供、他アーティストとのコラボも積極的に行なっているのだから、そのバイタリティーは尋常なものではない。
 近年のバンドやユニットも、かつてのような運命共同体的に常に行動を共にしてるわけではなく、民主的なバンド運営からこぼれ落ちたマテリアルをソロ活動にフィードバックしているけど、ソロ活動へ向かう芸術的衝動がちょっと弱い。全部が全部じゃないけれど、民主主義では括れない、独善的なオリジナリティが弱いのだ。
 どうせ独りでやるんだから、もっとはっちゃけてもいいんじゃね?と余計な心配をしてしまうくらい、どうにもお行儀が良いものが多い。Jポップのフォーマットにのっかったロックなんて、本人たちもやってたって面白くないだろうに。
 とは言っても、そのソロ活動の余技的な心持ちで歌謡界に進出したことによって、今も連綿と生き残り続けているJポップのフォーマットが80年代に形作られ、彼らYMOもその辺で一枚噛んでいるのは皮肉。

 フュージョン・テイストの特性が強い最初の2枚の印象が強いため、いまだYMOといえば、「テクノポップのハシリ」といったイメージを持っている人も多い。70年代末~80年代初頭の社会風俗が紹介される際、彼らがフィーチャーされるのは大抵、「ライディーン」や「テクノポリス」、今じゃCGと呼ぶにはあまりに原始的なファミコン・テイスト満載のPVと相場が決まっている。こうした見解は、たぶん今後も変わらないと思われる。当時のわかりやすい「ナウ」の象徴として、音楽に興味のない者にとっては、結局その程度の印象でしかない。
 いわゆる「シンセをメインとした音楽」といえば、冨田勲やELPなど、クラシックをベースとしたアンサンブルが主流だったのが、Kraftwerkがそこにミニマリズムを導入したことによってリズムの概念が生まれ、さらに加えて、当時隆盛のディスコ/ソウルのファンキー・テイストを持ち込んだのが、YMOの音楽的発明だとされている。DEVOもいたけど、日本じゃそこまで一般的じゃなかったし。

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 で、業界人的な盛り上がりのまま、大衆的な広がりを見せぬままくすぶってしまったDEVOに対し、YMOが独自のキャラクター・デザインとして押し出していったのが、東洋的なオリエンタリズム。英米中心だった当時のポピュラー音楽情勢において、極東の島国とは未知の部分が多く、そんな日本から発信された彼らの音楽は、一部で熱狂的なファンを得た。今にして思えば奇抜な戦略ではあるけれど、そのおかげで今も続くYMOチルドレンの萌芽は定着化したので、それはそれで結果オーライだったわけで。

 大まかに分けると、デビュー作と『Solid State Survivor』までが「前期」。パブリック・イメージとしてのYMO像がストレートに反映されたのが、この時期である。
 普通なら、ここからさらに突っ込んだ世界戦略を想定して、同コンセプトのアルバムをもう1~2枚くらい制作するもの。実際、アルファ側もA&M側もそういった心づもりでいたはずなのだけど、メンバーの疲労は解消される暇もなく、日に日に蓄積するばかりだった。思いのほか大衆レベルにまで浸透してしまったYMOシンドロームによって、当時の下世話な芸能マスコミに揶揄されることも多かった。「テクノポリス」や「東風」の二番煎じ三番煎じばかりを求めてくるレーベル側との折衝もまた、彼らのストレスを増大させていった要因のひとつである。
 もし彼らが鉄のメンタルを持って、ヒット曲量産マシンとしてビジネスライクに割り切った活動を続けていたとしたら…。まぁ続かなかったよな、きっと。エレクトロ・ディスコの泡沫バンドとして、歴史の一ページには刻まれていただろうけど、後年まで語り継がれるようなモノにはなってなかったと思われる。

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 なので、『Solid State Survivor』の続編的なアルバムではなく、俗に「中期」と称される2枚のアルバム、『BGM』と『テクノデリック』を生み出したことによって、時代風俗的側面だけでなく、きちんとした音楽的実績の爪痕を深く残すに至った。
 特にUK、ポスト・パンク~ニュー・ロマンティックスに連なる一連のニューウェイヴ現象に大きな影響を与えたその実験は、「自らが生み出したテクノ的メソッドのさらなる純化」である。耳触りの良いメロディも流麗なシンセの調べもダンサブルなビートも一旦チャラにして、YMO個々の実験性や芸術性、単なる好奇心を無邪気かつシビアに突き詰めていったのが、この味も素っ気もない2作である。
 ある意味「何でもアリ」だった80年代初頭においても、その先鋭性は突出し過ぎていたこと、また「従来」のYMOを期待していたライト・ユーザーの理解をあまりに超えていたため、セールスは思いっきり激減する。過剰に売れてしまったことで逆に危機感を持つようになった彼らにとって、ユーザーを選別するという作業は必然だったのだ。

 で、初期と中期との狭間、ある意味中途半端な位置づけとなるのが、この『増殖』。長い長い世界ツアーを終えてひと段落ついた頃、次のアルバムについてのミーティングが行なわれたのだけど、正直3人ともYMOに飽きちゃっていたので、具体策がなかなか固まらなかった。ずっと顔を突き合わせていたおかげもあって不仲が強まっていたし、そもそも3人ともソロ・アーティストとして十分やっていけるスキルがあったので、各自好きなことを行なうため一旦ブランクを置きたい、との考えもあった。
 ユーミンが抜けた後のアルファ邦楽部門は、主にカシオペア & YMOの双頭体制となっていた。当初から欧米でも通用する音楽、海外進出を前提とした独自の活動プランでレーベル運営を行なっていた。そういった事情もあって、英語発音での苦労の少ないインストゥルメンタル部門には特に力を入れており、YMO同様、カシオペアもアルファ時代は頻繁に世界を回っていた。それが本人たちの意に沿うものだったかどうかは別として、新興レーベルが放つ強力な熱意、それに感化されたアーティストの使命感によって、どうにかこうにか自転車操業はうまく続いていた。

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 せっかく盛り上がりの機運を見せたブームの熱気を冷やしたくないため、レーベルとしては何がしかのニュー・アイテムを制作して欲しかったのだけど、基本、アーティストの自主性を重んじる方針のアルファとしては無理強いもできずにいた。せめてもの代案として、前回リリースしたライブ盤『公的抑圧』の続編的なモノを制作するようオファーしたのだけど、メンバー側はかたくなに拒否を貫いた。レーベル側の都合でギター・パートをオミットされてのリリース形態は、彼らに不審を抱かせてもおかしくはなかった。
 まぁそんなこんなや大人的な政治の駆け引きもあったりなかったりして、微妙な折衷案としてまとまったのが、この『増殖』である。幸宏提案によるスネークマン・ショーとのコラボ、コントと曲とを交互に挟んだミニアルバム。曲数も少なく、いわゆる企画盤なのでさほどプレッシャーもないし、言ってしまえば片手間でチャチャッと作ってしまった感が強い。
 いわゆるやっつけ仕事でリリースされたアルバムのため、通常のリリース・パターンとは形態を変え、当初は初回10万枚の限定盤の予定だった。だったのだけど、その予約オーダーが予定を大きく上回ってしまったため、結局通常リリースとなってしまう。それだけすごかったんだよな、当時の勢いが。

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 で、ここからが本題。
 あくまで仮説としてだけど、今で言うサブカル系とのコネクションがうまいこと時代風俗とリンクしたため、初期を上回る社会現象を巻き起こしたこの『増殖』がなかったら、YMOのスタンスはどうなっていたのか-。
 純粋に音楽的な変遷から見ると、プレ=テクノ期とされる初期から中期へのニューウェーヴ的作風への移行は、『増殖』がなくても行われたはず。OMDやUltravox、Gary NumanらUKテクノ/エレクトロ・ポップの台頭は時代的に避けられなかったし、互いに刺激し合うことによる相乗効果は、彼らをより実験的な方向性へと導くことになる。
 ただ、それらの変遷も音楽的な側面だけで見れば華やかなものではあるけれど、ただそれだけでは「ライディーン」「テクノポリス」だけの泡沫インスト・バンド、言ってしまえば二流のフュージョン・グループ程度で終わっていた可能性もある。
 音楽的に新しいものは何もないけど、確実に時代のニーズにマッチしたという点において、『増殖』の存在意義は想像以上にデカい。得体の知れない無国籍フュージョン・バンドから、ハードなインダストリアル・テクノから、お手軽なお茶の間コントまで、あらゆるファクターを包括するユニット「YMO」誕生の瞬間を切り取った作品である。

 YMOというワードさえ知らなかった北海道の片田舎の小学生と彼らとのファースト・コンタクトは、音楽ではなく幕間のコントだった。いま聴けば放送コードに抵触しまくりの下世話なコントは、そろそろドリフを卒業しかかっていた小学校高学年の少年にとっては強く惹きつけられるものだった。意味不明な面も多々ありながら、怪しげで淫靡なムードは背伸びしたがりの小学生のイカ臭い欲望を掻き立てた。
 正直、彼らの音楽は二の次だった。俺がYMOをきちんと聴くようになったのはもう少し後の話である。だけど、そこに無造作に詰め込まれた音楽は数年後、時限爆弾のタイマーの如く炸裂する。それが「君に、胸キュン。」

 当時は関東限定でニッチな人気を擁していたスネークマンだったのだけど、このアルバムに参加してからは爆発的な人気を集めることになる。コントやお笑いの人間が余技的に歌のレコードを出すことはこの時代でもあったけれど、純粋なコントのアルバムを、しかも複数枚出してどれもそこそこのヒットを記録した、というのは、その後もほとんど例がない。いま思えばパワープレイ的にラジオで流すこともできなかったはずだし、ヒットしたことがほんと不思議でならない。
 なぜか俺も『海賊版』のカセット持ってたし。


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1. JINGLE "YMO"
 ラジオDJ風に畳みかける小林克也のナレーションからスタート。これまでと同じインストで、これまでと同じシンセ・サウンドでも、明らかにこれまでと違う。これまでよりフェイクな香り、これまでより3割増しなファンキー・テイスト。たった20秒の中に詰め込まれた近未来感。

2. NICE AGE
 シームレスで続くのは、インチキ臭さ満載のファンキー・ポップ・チューン。何げにバック・ヴォーカルで参加しているサンディーのエキゾチカ、中盤でいろんな隠喩を含んだナレーションを無機的に読み上げるのは、ミカバンド解散後、久しぶりに存在が確認された福井ミカ。大村憲司のギター・リフもニューウェイヴ臭漂ういびつなエフェクトがかけられて、作り物っぽさが漂っている。
 でも、歌詞はやたら前向きでポジティヴ。病んだ80年代初頭を象徴する、自虐的な偏愛に満ちた楽曲。狭義のテクノとはすでに見切りをつけている。



3. SNAKEMAN SHOW
 「KDD」と称される、スノッブで流暢な英語での会話が延々と続く。当時の社会風俗を知らないと完全には理解できないし、正直今でも全部わかってるわけではないけど、いわゆる「外人」が身近な存在ではなかった田舎の小学生にとって、なんとなくこれが「アメリカン・ジョーク」というものなのだな、と独り勝手に理解していた。

4. TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE)
 そんなインチキなアメリカ人もどきと東洋の演奏家とが集まって、妙なテンションのままレコーディングに突入、何となくできあがっちゃったのが、YMO楽曲の中でも人気の高いコレ。最近もCMで使われていたし、多分カバー曲であることを知らない人の方が大部分なんじゃないかと思われる。
 これもよく知られているけれど、ここでの細野さんのベースは長いキャリアの中でも3本の指に入るほどの名プレイ。通常なら決してメインとはなり得ないベースという楽器が、ここでは完全に主役となっている。



5. SNAKEMAN SHOW
 3.のコントの続き。基本、中学生でもわかる単語とヒアリングしやすい発音で構成されているため、後半になればなるほどブラック臭が強くなっていくのがわかる。

6. HERE WE GO AGAIN ‾TIGHTEN UP
 日本で初めてラップを導入したのが誰なのかは不明だけど、DJとしてのマシンガン・トークをリズムに乗せ、まがい物テイストながらそれをきちんと商品化してしまったのが、YMOとスネークマン・ショーとの奇跡的な融合による成果だったんじゃないか、と今にして思う。
 ただ使用言語が英語だったため、全世代に浸透することはなく、日本語ラップは一時雌伏の時を長く過ごすことになる。大衆化するまでにはあと数年後、吉幾三の登場を待たねばならなかった。

7. SNAKEMAN SHOW
 彼らの中では最も有名な警察コント「ここは警察じゃないよ」。俺世代にとって最もインパクトが強かったのがコレだった。友達の兄経由でこれが友達の間で知れ渡り、一時は誰もがあいさつ代わりに「警察だ、開けろ!」「だ~れ~?」、これの延々ループが止まらなかった。
コントというのは基本、時代と共に風化しやすいものだけれど、俺的には今でもそれなりに面白く聴けてしまう。時事的ではない彼らのコントは普遍性が高いと思うのだけど、若い世代はどうなんだろうか?まぁ伝わりづらいか。

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8. CITIZENS OF SCIENCE
 比較的、初期のシンセの使い方に則った、それでいてファンク・テイストを増量したナンバー。でも出来上がったサウンドは完全にバタ臭い。とても日本のミュージシャンの香りはない。もうこの頃から、彼らの興味はUKニューウェイヴやインダストリアル/後のハードコア・テクノへと向いていたのだ。

9. SNAKEMAN SHOW
 コント「林家万平」。当然、林家三平のパロディなのだけど、もしも彼が同時通訳を介しての中国公演を行なったら…、といった体のシチュエーション。これもよくマネしたな。

10. MULTIPLIES
 YMOがYMOとしてのアイデンティティを一旦封印し、敢えてシンセを捨てて生演奏を主体としたスカ・インスト。ギターの音色やフレーズなどに、Ventures系のサーフィン/ホットロッドのパロディ要素も認められる。
 このアルバムに挿入したコントもそうだけど、とにかく何でもアリ、シンセじゃなくてもYMOであり、コントをやってもYMOである。ましてやコント・パートのほとんどに彼らは参加していないのだから。
 『増殖』というのが徹底的なYMOの解体作業である、というのが垣間見える秀作。

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11. SNAKEMAN SHOW
 コント名「若い山彦」。別名「いいものもある、悪いものもある」。スネークマンの2人の丁々発止振りに、どうにか割り込もうとスノッブなスタンスで挑むけれど勢いに負けてしまう、そんなYMOらが微笑ましい。

12. THE END OF ASIA
 元ネタは教授ソロ『千のナイフ』収録曲。オリジナルは初期YMO的なヒリヒリしたフュージョン風味が強いけど、ここでのヴァージョンはもっとのどか、教授言うところの浮世絵的、のどかな珍道中的なアレンジが施されている。
 最後の伊武雅刀のセリフは逆説的に日本の音楽市場を揶揄している。こういった楽曲ならいくらでも書けるはずなのに、どうにもインテリ的に見られたいがため、妙に難解な方へ傾倒してしまう教授の偏屈さ。企画盤だからこそ、遊び的なアレンジ、牧歌的なメロディで遊んでしまった、奇跡的な秀作。



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