Front コンポーザー兼コーディネーターとしての力量は言わずもがななMilesだけど、一プレイヤーMiles Davisとしての評価はあまり声高なものではない。正直、ミュートを多用した音色自体がどうしても一本調子に聴こえてしまうし、ソロフレーズのバリエーションも多い方ではなく、そこだけ取り出して聴くと引き出しの少なさに気づいてしまう。しまうのだけど、バルブが3つしかないトランペットという楽器の構造上、サックスやクラリネットと比べて多彩な音色が出るわけではないし、第一、CBSに移籍して以降のMilesはソロイストとしてのエゴをほぼ封印してしまっている。
 「そこで勝負してるわけじゃねぇし」と開き直られてしまえば、何もいうことがない。戦っているフィールドがそもそも違うのだ。
 そんなことに最近になってようやく気付いた、もうすぐ47歳の俺。

 なので、彼のアドリブやソロのこのフレーズが云々、という議論はあまり意味を成さない。あくまでアルバム全体のクオリティを司る、総監督としての評価が彼の本分である。まぁ評価されようがされまいと、知ったこっちゃねぇと言われそうだけど。
 野球界において「名プレイヤー、名監督にあらず」という言葉があるように、必ずしもトップの人間がスペシャリストである必要はない。むしろ特化された技能は全体を俯瞰する視点が養われず、凝り固まった思想に偏りやすい。実際の得点チャンスにおいて、目に見えた貢献はできないけど、縁の下の力持ち的なキャラクターがリーダーシップを取ると、チームも自然とまとまりを見せてゆくものである。
 現役時代はスター・プレイヤーの名を欲しいままにした長嶋の方法論は、野球理論の枠を超えた突然変異的なものだったため、チームへの浸透はおろか一子相伝すら適わなかった。対して、長嶋・王にも匹敵する実績を重ねながらも、縁の下的なキャラクターゆえスター性では及ばなかった野村克也は、緻密なデータに裏付けされた野球理論を駆使して幾度もチームを優勝に導いた。長嶋理論はオンリーワンのものだけど、野村理論はチーム全体で共有できる。この違いが監督としての人生を二分したんじゃないかと思われる。
 アクティブでいつも陽気だけど、何言ってるのか意味不明なリーダーと、いつも辛気臭い顔でミーティングを重ねるリーダーと、どっちが仕事しやすいのかといえば、まぁ楽しいのは前者なんだろうけど、長い目で見ると、口うるさいリーダーの元、しっかり修行を重ねた方がいいに決まってる。若いうちは楽な方に流れがちだけど、キャリアの最初は厳しく律してくれた方が長く生き残れる。

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 ジャズ界に限らず、ポピュラー・ミュージック・シーンにおいてのMilesの大きな功績は、何も純粋な音楽面だけではない。キャリアを通して常に「ジャズの一歩先」の音楽を提示してきたMiles、モード奏法なりファンクへの接近なり、様々な音楽的変遷を経てオリジナルの音楽を発信し続けてきたけど、それを創り上げるために発掘してきた若手ミュージシャンの養成の方が有形無形問わずデカい。通称Miles Schoolと呼ばれたバンドの歴代在籍数はかなりの数にのぼり、多分誰もが認める首席格のHerbie Hancockを筆頭として、Keith JarrettやMarcus Millerなど、枚挙に暇がない。列挙するのはめんどくさいので、あとは各自調べて。

 学校と銘打ってはいるけど、あくまで通称であって、別にMiles自身がそう謳っているわけではもちろんない。その道のエキスパートやらテクニシャンやら正体不明の輩が跋扈するMilesバンドのもとで一定期間プレイすると、いい意味でも悪い意味でも相互作用がハンパなかったため、自然とプレイヤビリティの進歩を遂げることが多かった。
 なので、腕の覚えのあるミュージシャンなら、一度はその門戸を叩いてみるべき登竜門的な存在になっていた。実際、彼の元から大きく飛躍したアーティストは、枚挙にいとまがない。Herbie HancockやWayne Shorterなどが代表的だけど、膨大過ぎて列挙するとめんどくさい。あとは調べといて。

 ただしMiles、教え方が上手いわけではない。ていうか、手取り足取り懇切丁寧に教えるキャラクターじゃないことは、雰囲気的にも察せられる。自分のソロ以外のバック・トラックを、ほぼMarcus Millerに投げっぱなしにしていた復活以降は、多少プレイヤーの自主性を尊重してはいたようだけど、この時期のMilesを教育者的な側面で見れば、まぁ失格としか言いようがない。要は70年代体育会系ドラマの鬼コーチそのものだし。
 具体的な指導もせず、俺の言うとおりにプレイしろ、余計なことはするな、でもお前のプレイを使うかどうかは俺次第、フヌけたプレイしかできないんだったらスタジオから出て行け、というスパルタ式である。なのにオリジナリティは求められる。時には全然違う楽器に無理やりチェンジさせられる。こう書いてると、ただの暴君じゃん、この男。

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 ただ、ジャズ・ミュージシャンとしては断トツにネーム・バリューのあるMiles、彼のバンドに参加できることは、知名度的にも技巧的にも大きな飛躍となることは明らかだった。この時点でMiles Davisというブランドはすでに確立されており、「最新作が最高傑作だ」という言葉通り、「ジャズの一歩先」の音楽を次々提示していることは、ミュージシャンの間でも周知の事実だった。
 同業者の間では、帝王Milesたるセッションでの暴言・立ち居ぶるまいは語り伝えられていたので、指名されたことを栄誉と思うと同時に、気構えもあった者も多い。生半可なプレイはできない。
 通常よりギアを数段上げたプレイをしてどうにか認められ、固定メンバーとして加入する。でも、次のセッションでもお呼びがかかるかどうかはわからない。気の抜けたプレイを見せたら即クビだし、第一、帝王のコンセプトが変わってしまったら、バンドごとお払い箱だ。
 そんな死屍累々の積み重ねで出来上がっているのが、Milesのアルバムである。彼に限った話じゃないんだけどね。

 そんなMilesバンドに加入したはいいものの、テクニックの稚拙さ(いま聴けば、そんな悪いものでもなさそうだけど)と、そのプレッシャーからつい手を出したドラッグ禍の末、一旦はクビになったけど、Thelonious Monkのもとで改心してから再復帰、プレイ的にも人間的にもグレードを上げて汚名を覆したのがJohn Coltrane。
 Miles同様、彼も様々なミュージシャンを入れ替えて、代替不能な自身のオリジナリティを追求してきた。きたのだけれど、彼の場合、Milesのスタンスとはちょっと違っている。
 Milesのバンド運営が、スパルタ式のワークショップ的なものだったことに対し、Coltraneの場合はプレイヤビリティより先にエモーショナルな面を重視、運命共同体的なコミューンの形成を思わせる。特に晩年はカバラ思想への傾倒が強く出ており、サウンドやアルバム・ジャケット、発言もろもろもスピリチュアルなムード満載である。

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 彼の代表作となる『My Favorite Things』を配したアトランティック時代は、やたらめったら音で埋め尽くしたシーツ・オブ・サウンズが時代の転換点を象徴していたけど、基本はジャズのセオリーに則ったオーソドックスなスタイルである。テーマがあって各ソロパート、そしてメイン・プレイヤーのアドリブ・プレイ。この頃はまだフォーマットに収まっている。
 数々の名作を生み出した不動の4人、McCoy Tyner (P)、Elvin Jones (Dr)、Jimmy Garrison (B)らは当時、鉄の結束を誇っていた。いたのだけれど、インパルスに移籍する前後くらいから、Ornette Colemanに端を発するフリー・ジャズの流れに煽られて、曲のサイズは長尺になり、冗長とも言えるインプロビゼーションが多くを占めるようになる。それに加えて、前述のカバラ思想にかぶれつつあったColtraneの思想思索がコンセプトに介入するようになり、絶妙なバランスを保っていたバンド・アンサンブルは次第に変調をきたしてゆく。

 調性を無視して無定形なフリー・ジャズのフォーマットは、もともとすべての静寂を自らの音で埋め尽くしたいColtraneの思惑と合致していた。世の中のポピュラー音楽の比重がジャズからロックへと移行してゆく中、旧態依然としたジャズ界に未練がないようなら、変容してゆくのは自然の流れだったとも言える。
 極限まで磨き上げられた熟練の4ビートは大衆にそっぽを向かれつつあり、旧来のジャズ・シーン全体が自家中毒を起こし始めていた頃である。ちょっとでも危機感を感じて生き残りを模索するのなら、違うアプローチを考えても当然である。そのアプローチがいささか極端だったわけで。

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 鉄の結束を誇るバンドが徐々に崩壊の一途をたどって行ったのは、そのアプローチをみなが十全に理解できなかったことに尽きる。彼以外のメンバーは純正のジャズ・ミュージシャンであって、イデオロギーを共にして集まっていたわけではない。もはや「高邁」と形容できる、カバラ思想を根幹とした後期のColtraneのコンセプトを咀嚼するには、旧来のジャズの感覚では追跡不能だった。それは哲学的な要素が大きく絡んでおり、演奏能力は二の次になる。
 Jimmy Garrisonは最後まで頑張った方だと思うけど、多分理解はしていなかったんじゃないかと思われる。出てきた音だけで判断される旧来タイプではなく、「なぜその音を出すのか」というところまで問われてしまう、新タイプのミュージシャンが登場しつつあった頃でもある。あぁめんどくさい。
 正統ジャズ・ミュージシャンと入れ代わりとなったのが、主にフリー・フォーム系を得意とするミュージシャンたち。そりゃPharoah Sandersみたいに一本立ちしていった者もいたけど、多くはイデオロギー主体でリズム・キープすら怪しげな輩であって、大成しなかった者も多い。
 なので、その理想的なコミューンは内部での居心地はいいんだろうけど、それが実際の音楽に反映されていたかといえば、ちょっと疑問。ぶっちゃけた話、Coltrane的には「俺のソロがメインなんだから、あとは正直、ゴールデン・ボンバーみたいに当て振りでいいんじゃね?」と思ってのかもしれない。
 だってColtrane以外は誰でもいいんだもん、どうせ彼の独演会になっちゃうし。バンドの体裁を整えるため、妻Aliceまで引き込んでしまうのは、それはちょっと…と思ってしまう。

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 で、Milesに戻るけど、同じくカオティックなベクトルは変わらないけど、Coltraneと比べてコンセプトがどーしたイデオロギーがどうした、という音楽はない。Milesは基本、プレイヤビリティを重視した人選を行なっており、それは晩年まで変わらなかった。その時代ごとアルバムごとによって嗜好が変わり、時にロック寄りの人選になったり、次の日にはファンク寄りの人選に一新してしまう場合もある。すべては彼の意のままである。
 あくまで判断するのは出てきた音、それに対してイエスかノーか、ただそれだけだ。
 ぶっきらぼうな指示しか出さない帝王のマウンティングに対して、各プレイヤーがあれこれ知恵を絞り技術を弄る。Milesが出す指示はと言えば、当時、黒人の間ではヒップとされていたJBとSlyのレコードを聴かせて、「この音、このリズムなんだ!」とウロウロするだけ。
 そんな経緯を経てできあがったのが、『On the Corner』。集団演奏をメインとした複合リズムが再現不能なレベルにまで昇華した、混沌の塊である。こういう時はやっぱ活躍するな、Teo Macero。

 ジャズ・シーンにはそれなりの衝撃を与えた『On the Corner』リリース後、そのライブ・バージョンと言う触れ込みでリリースされたのが、この2枚組。ジャケット・デザインも同じCorky McCoyを起用しているので、どうしても姉妹作的な扱いになってしまうし、CBS的にもその線での展開を狙っていたんじゃないかと思われる。実際、バンドのメンツも相当かぶってるし、『Bitches Brew』からの模索だった変態ファンク・ビートは、ここで完成を見ている。
 ただ、『On the Corner』がTeo Maceroエンジニアリングによる、超絶テープ編集の芸術的帰結だったのに対し、こちらはそのメソッドを流用して、ある程度までの再現を狙った刹那的な作品。
 当然、アンサンブル的にも違ってくるし、オーバーダブと言っても限界がある。まぁ忠実に再現しようだなんて思ってなかったのは明白で、あくまできっかけ作りとしてのテーマ設定、そこから有機的な展開を図っていくのは、ジャズの本道である。



In Concert: Live at Philharmonic Hall
Miles Davis
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1. Rated X
 後の発表されたコンピレーション『Get Up with It』に収録されるまでは、このライブ・ヴァージョンが初出だった。オリジナルでは終始エレクトリック・オルガンを弾いていたMilesだけど、ここではトランペットを使用している。もちろんこの時期なので、その音色はエフェクターで原形を留めぬほど歪曲されている。
 テンポも半分程度の落とされてのスタートだけど、そこはやはりライブ、次第に興が乗って駆け足になってゆく。ダンス・トラックとして考えると、このヴァージョンの方が秀逸。

2. Honky Tonk
 ほぼ切れ目なく突入するのは、やはりTeoの為せる業。強引にぶった切った流れながら、それがコンセプトとしてはマッチしている。こちらも後に『Get Up with It』に収録されたナンバーで、当時としてはライブの定番だった。
 スタジオ・ヴァージョンはギターをメインとした、ホンキートンクというよりはブルース色の方が強かったのだけど、こちらもテンポを落としてギターのファンク・テイストが濃くなって、そのドス黒さに磨きがかかっている。

3. Theme From Jack Johnson
 レコードではここからB面。タイトル通り、『A Tribute to Jack Johnson』をモチーフとしたセッション・ナンバー。ロック色が強かったオリジナルでは、主にJohn McLaughlinがメインとなっていたけど、ここではMilesがほぼ全編吹きまくっている。ていうか例のギター・リフがない分、別の曲に聴こえてしまう。取り敢えず導入部のテーマだけ決めて、あとはアドリブの展開でまったく別の曲になってしまうのは、ジャズではよくあること。

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4. Black Satin/The Theme
 ご存知『On the Corner』収録曲。レアグルーヴ方面でもいまだ不動の人気を誇っているので、何かと耳にすることも多い。こうして聴いてみると、ポリリズミックな編集を施したオリジナルが秀逸なため、ここでのヴァージョンがどこか冗長に聴こえてしまうのは、俺がオリジナルに慣れているせいか?
 ダンス・トラック的な視点で言えば、機能性に優れているのは、もちろんオリジナル。でも、この予測不能の展開はやはりライブならではの持ち味。



5. Ife
 ここからアルバムの2枚目。レコードではここからまるまる1面が1曲という、怒涛かつ苦痛の展開に突入する。体力的に、そんな頻繁に聴けるものではない。
 後にコンピレーション『Big Fun』で収録されており、この時点では未発表作品。ていうか『On the Corner』のボツテイク。スタジオ・テイクが整然とまとめられているのに対し、ここでは逆にその未整理かつ冗長な面が長所に転じ、熱を帯びるリズム・トラックに煽られるようなMilesのソロが聴ける。

6. Right Off/The Theme
 『A Tribute to Jack Johnson』ではロック色が強かったこのナンバー、ここではギターは大きく後退し、リズム隊のAl Foster、そしてMtumeの独壇場となっている。空間を埋め尽くすリズムは観衆を不安へと陥れ、肉声と錯覚するMilesの音色がさらにどん底へ突き落す。そして残るのは虚無。



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