
大滝詠一の時にも書いたけど、ジミヘンや尾崎豊の時のように、「話題が盛り上がってるうちにある物全部出してしまえ」という方針で乱発リリースしてしまうと、結局はアーティストのブランド・イメージを大きく損なうことになり、長い目で見れば時代の徒花として消費され尽くされてしまう。そこには商売人としての彗眼はあるけれど、作品への愛情はない。残された作品を丁寧に扱うことで商品価値も上がり、永続的なファンの獲得に繋がってゆく。
結局、亡くなった本人ではどうしようもないので、残されたスタッフや遺族次第ということになる。これまで応援してくれたファンの気持ちを考えれば、墓場荒らし的に闇雲なリリース・スケジュールは逆に首を絞めてしまうだけだ。
そう考えると、David Bowieのようにきちんと余命から逆算したリリース・スケジュールを立てることが、最も賢く手堅いやり方なんじゃないかと思う。きっと彼の場合だと、今後数年先まで綿密に計画されているだろうし、サプライズ的に発掘音源映像が見つかったとしても、それはあらかじめ計画されていたかのように、滞りなく遂行されるだろう。
対して突然死、例えばKurt Cobainのようなアクシデント的急逝だと周囲も混乱し、どさくさ紛れのリリース・ラッシュが横行する。Nirvanaの元メンバーもそうだけど、やっぱ一番めんどくさそうなのがCourtney Love。何かあれば口出しして揚げ足取ったり、計画が進まなさそうな印象が強い。あくまで印象だけどね。
で、Lauraの場合だと前者に当てはまる。本人がはっきり死期を意識したのはいろいろな説があるけど、前作『抱擁』リリース時には何となく意識はしていたらしい。気づいた頃には病状はかなり進行していたため、手術によるガン摘出もままならない状態。タイム・リミットを意識した時点でLaura、最後に3枚のアルバムを制作することを決意する。
まずは全曲書き下ろしのオリジナル・アルバム、そして、これまで自分が影響されてきたアーティストのお気に入り曲のカバー・ヴァージョンをまとめたアルバム、もうひとつが、これまでの総決算的なライブ・アルバム。
人生の終焉を意識したことで日増しに強くなった創作意欲も相まって、すべてのプロジェクトが並行して行なわれた。何しろ時間がないのだ。いつ気力と体力が潰えるか分からぬギリギリの状況で、Lauraは次々に曲を書き、そして最後のツアーに出た。しかし、自身の予想以上に病状は悪化の一途を辿り、進行中だったレコーディングは中断、療養生活に入ることになる。
-わかってはいたはずだ。2度と現場に復帰することはなかった。
そのうちの2つのプロジェクト、スタジオ・レコーディングのマテリアルがここでは併せて収録されている。全16曲中、オリジナルとカバーとが半々ずつ、ピアノソロ・スタイルのオリジナルと、バンド編成で録音されたカバーとが交互に収録されている。もともとは別々のコンセプトで制作されていたアルバムがひとつにまとめられているのだけど、こういった形がLauraの意図によるものなのか、それはわからない。
もしかして、生前に何かしら遺言めいたものを残していたのかもしれない。死者の沈黙はできるだけ好意的に受け取るしかない。その辺はスタッフや遺族の良心に委ねるしかない。多分、この形が最もベターな選択なのだろう。
Lauraのアルバムで有名なのが初期のCBS3部作で、ディスク・ガイドやアマゾン・レビューでも、この時代の作品が紹介されることが多く、思い入れが深い人も多い。村上春樹の小説『ノルウェイの森』の中にLauraの”Wedding Bell Blues”について触れる一節があるように、60年代末の彼女は何かしら特別なオーラを放っていた。
「女」という性を剥き出しのまま叩きつけるヴォーカル・スタイルは、時代とは逆行する様にソウルフルで、レアな感情を未加工のまま投げ出している。
確かに良い。良いとは思う。でも、何度も続けて聴きたくなるかといえば、いつも最後まで聴き通すことができない俺。
誤解を恐れずに言ってしまうと、「一本調子で退屈してしまう」というのが、アメリカの女性シンガー・ソングライターに対する俺の偏見である。なので、Rickie Lee JonesもCarley Simon もまともに聴いたことがない。ヒット曲単体でなら楽しめるのだけど、アルバム通してだとすぐに退屈してしまうのが、お決まりのパターンである。
彼女たちが悪いのではない。これは単に好みの問題だ。その中でもJoni Mitchellは比較的聴くことができるのだけど、シンガー・ソングライター成分が強い初期、『Blue』以前はフォークの香りが強すぎて、今でもちゃんと聴けずにいる。ジャズ/フュージョン期に移行した後なら、どれも普通に聴いているのだけど。
思うところがあって最近Carole Kingを聴こうと思い、『Tapestry』にトライしてみたのだけど、やっぱりイマイチだった。70年代女性の方シンガー・ソングライターのアルバムとしては最もポピュラーで間口も広いはずなのだけど、やっぱりダメだった。自分でも何でだろうと思っている。
俺が日常的に聴いている数少ない女性シンガー・ソングライターの1人であるLauraだけど、ハマったのがここ半年くらいのことで、しかもまだ『抱擁』とこれくらいしかちゃんと聴いていない。すべてのアルバムを片っぱしから聴いていくタイプのアーティストではないのだ。むしろそういった聴き方が許されないムードがある。1枚のアルバムを大切にじっくりと、それでいて真剣に対峙するのではなく、もっとカジュアルに聴くことができるシンガー、それが俺にとってのLauraである。BGMより早くもうちょっと引っかかりのある、それでいて観葉植物や洗練された家具のような、ごく普通の生活にスッと馴染んでくる音楽。
最初はサウンドのせいだと思っていた。俺の聴く2枚は90年代の録音なので、音質は当然過去のアルバムより良い。特に『抱擁』はGary Katzプロデュースなので、これ以上はないというくらいLauraとの親和性は高いサウンドを創り出している。
試しに、音質的にはほぼ同じ条件に近いリマスター音源の初期アルバム、最新のベスト・アルバムも聴いてみた。いいことはわかってる。でも、やっぱりどうも馴染めない。Carole Kingと同じ現象の再来だ。
これは音楽の優劣の問題ではない。クオリティは当然として、音楽へ向けるパッションだって、強いものを感じ取ることはできる。でも、最終的にその音楽を気にいるということは、それを創り出したアーティストの世界観に入り込めるかどうか、というのが一番大きいファクターになる。その入り口の手前なのに、俺はどうにもその一歩を踏み出せずにいるのだ。そこでは最上のクオリティもパッションも用意されていることはわかっているのに。
なぜだ?
俺が初期ではなく、後期Lauraに惹かれる理由がなんなのか、自分なりに気づいたのが、楽曲に対するヴォーカライズの解釈の違い。
初期のアルバムも曲はいいのだ。うまいよなぁ、と感心してしまう。特に5th DimensionやThree Dog Nightらがカバーした一連のヒット曲など、きちんとアーティスト・エゴも満たしつつ、不特定多数にアピールできる楽曲ばかりである。Laura自身は特別大きなヒットを出したわけではないけど、彼女の曲をカバーした人はいくらでもいる。どちらかといえば玄人受け、プロが歌ってみたくなる曲が多いのだ。
で、Lauraが自演したテイクを聴くと、自作曲であるにもかかわらず、ヴォーカルの粗さが目立ってしまう。もともと美声やテクニカルな歌唱力がセールス・ポイントではないLaura 、特に初期のヴォーカルは時代性もあって、パッションを未加工のまま投げ出した印象が強い。
テクニックを副次的な要素としたヴォーカライズは、時に聴く者の琴線にダイレクトに響くけど、その届く先は限られてしまう。曲調によっては細やかな感情の機微を伝えるため、緩急をつけた方がよい場合もあるのに。この頃のLauraのスタイルは、ほとんどがパワフルな自然体だ。
自然体とはよく言うけれど、自己の成長と共に感受性も変化してゆき、年齢に応じて創作の傾向も変化してゆくのもまた、自然の摂理である。かつて若気の至りで作った歌を、その当時のテンションのままで歌えるだろうか。同じように歌うこと自体は難しいことではない。懐メロに徹するのならそれもいいだろう。しかし歳を経るにつれて、解釈の仕方は変わってくる。
作った当時は見えてなかったこと、無意識のうちに書き連ねていた一節にどんな意味が込められていたのか、後になってわかってくる場合だってある。あの時はただがむしゃらに、感情の赴くままに歌っていただけだったけど、今ならもっと違った見せ方ができる。力まかせにねじ伏せるのではなく、その歌に込められた意味をきちんと伝えるには、もっと違った表現の仕方はあるのでは?
当然、作風は変化してゆく。真摯なアーティストなら当然の帰結だ。キャリアを重ねることで自然と技術的スキルは上がっていったけど、彼女の場合、それに加えて結婚と出産を経験した。そんな事情もあって活動ペースは緩やかになり、音楽への対峙の仕方、受け止め方に変化が現れた。
そして晩年。もはや声高に何かを伝えたいわけじゃない。強い口調で言うべきことは、若かりし頃に言ってしまった。
これまでに作った歌は、かつてのように吐き出すのではなく、もっと楽曲に寄り添って、素材の良さを引き出す姿勢で。
これから作る歌は無理に絞り出すのではなく、自然にこぼれ出たもの。それらを丁寧に拾い上げ、最上のミュージシャンによる最上のサウンドで。湧き出てきたメロディを歌詞を、素直に歌っていこう。
『抱擁』もそうだったけど、ここでのLauraも強い口調ではない。作品のイメージを虚飾なく伝えるよう、すごくフラットに歌っている。バンド・スタイルの時なんて、ほんと楽しそうに歌っている。
音程的に、感情的に優れているというのではなく、サウンドとの親和性がものすごいのだ。
Angel in the Dark
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Laura Nyro
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1. Angel In The Dark
1995年8月のバンド・セットからスタート。
ちなみにメンバーは、
John Tropea (g)
Freddie Washington (b)
Bernard Purdie (d)
Michael Brecker (tenor sax)
Randy Brecker (trumpet)
Bashiri Johnson (per)
といった面々。俺が連想したのがSteely Dan。まぁ似てなくもない。録音スタジオがあのパワー・ステーションだったとは、いま初めて知った。
豪華メンツをこれ見よがしにフィーチャーするのではなく、堅実でスクエアなバッキングで抑制させるのはDanと同じ手法。特にBrecker兄弟のフレーズなんて『Aja』のデジャ・ヴ。
サウンドと共にLauraの歌声も抑制されながら、これが最も曲の良さを引き出したスタイルだと思う。
2. Triple Godess Twilight
こちらは4月に行なわれたソロ・セット。1.同様、コーラスも自身で多重録音している。重く陰鬱としたテーマを緊張感あふれるピアノで表現しているのだけど、不思議と重い感じは少ない。多分、初期のLauraならもっとパワフルに表現したのだろうけど、ここではもっと優しく諭すように、かみ砕くような口調で歌っている。歌詞の中身を理解してもらいたいがゆえ、晩年はこういったスタイルを選ぶようになったのだろう。
3. Will You Still Love Me Tomorrow
オリジナルはCarole Kingが提供した女性コーラス・グループShirellesの1960年のヒット。その後も様々なアーティストによってカバーされており、実は俺が最初に知ったのはAmy Winehouseのヴァージョン。Carole本人も『Tapestry』でセルフ・カバーしており、つい最近俺もそれを聴いてたはずなのだけど、ゴメン、聴き流してた。
俺的にはアバズレなAmyヴァージョンが基準となってしまうのだけど、1.よりさらにシンプルなバッキングはメロディ本体の良さを引き立たせている。自身が影響を受けた歌として、その魅力を引き出すため、敢えてアコースティックに、それでいてややパーカッシブなプレイを求めたのだろう。
今度は少しメンツを変えて、
Jeff Pevar (g)
Will Lee (b)
Chris Parker (d)
Carole Steele (Per)
といった面々。ホーンレスのこじんまりしたセット、ここでのWill Leeのオーソドックスなプレイは名演。
4. He Was Too Good To Me
Richard RodgersとLorenz Hartというコンビは、あの”My Funny Valentine”を作った著名コンポーザーであり、これは1930年初演のミュージカル『Simple Simon』というミュージカルのために制作されたものの、開演直前にボツになってしまったといういわくつきの曲。だからといって駄作なわけではなく、古今東西カバーしてるアーティストは多い。Carly SimonやNina Simoneも歌ってたらしいけど、俺は知らなかった。
ここでのLauraは混じりっ気なしのピアノ・ソロ。ヴォーカルも初期の発生の強さを彷彿とさせている。ルーツ的な楽曲なので良し悪しをいうものではないけど、俺的にはCarlyのヴァージョンが案外気に入った。
5. Sweet Dream Fade
1.と同じメンバーによるセッション。4.のような超有名なスタンダード・ナンバーの後に来ても遜色なく古びないクオリティ。中盤からテンポ・アップしてポップ性が強くなるのだけど、媚びた感じもなく普通に楽し気に歌うLaura。やっぱすごいわBrecker兄弟。Bernard Purdieのフィル・インも適格。
6. Serious Playground
ピアノのアタック音が強くなる、初期を思わせるバラード・ナンバー。この時期の楽曲は、ある意味これまでのキャリアの総括的な意味合いも含んでいるので、こういった曲が並ぶのも流れとしては間違っていない。それでも解釈の違いか見せ方の違いか、ガツガツした印象が少ないおかげもあって聴きやすい。終盤のフェード・アウトするファルセットはちょっと苦手だけど。
7. Be Aware
2.のバンド・セットによる、Burt Bacharachのカバー。ジャジー・テイストも交えた彼の作風はLauraとのシンクロ率は高く、テクニックを要する楽曲を自分のものとしている。言い方は悪いけど、ある意味お抱えシンガーであるDionne Warwickだと、うまいけど引っ掛かりがないんだよな。
8. Let It Be Me
オリジナルは古いシャンソンだけど、実際にヒットしたのは1960年のEverly Brothers。楽曲提供で付き合いのあった5th Dimensionもカバーしており、その流れもあってここで取り上げられたかと思われる。エモーショナルなピアノ・バラード。
9. Gardenia Talk
ボサノヴァのリズムを基調とした、穏やかな午後のお茶の時間にピッタリくるミディアム・スロー。普通ならマッタリしそうな曲調のはずなのだけど、なにしろリズムがPurdie、関係なくグルーヴしたアタックを聴かせている。
10. Ooh Baby, Baby
言わずと知れたSmokey Robinson & Miracles、1964年のヒット。前曲に引き続き、バンド・セットでのレコーディング。ソウル・レジェンドの一人であるSmokeyであるからして、昔からカバーされることが多く、後で彼がオリジナルだった、と気づくケースが多い俺。この曲も最初に聴いたのはZappのヴァージョンなので、そっちの印象が強い。Smokeyの楽曲全般に言えることだけど、俺的にはオリジナルよりカバーされたヴァージョンの方が、楽曲の良さが鮮明に浮かび上がる印象。いやもちろんオリジネイターが一番なんだろうけど、特にSmokeyの場合、60年代モータウン・サウンドでレコーディングされちゃうと、どの曲も一緒くたに聴こえてしまう。
ここでは力強くソウルフルなLauraの一面が披露されている。体力的にもきつかっただろうに。
11. Embraceable You
George Gershwin作によるBilly Holidayのスタンダード・ナンバー。ある年齢以上の女性シンガー・ソングライターにとって、Billyというのはひとつの「越えなければならない」、そしてまた「決して超えることのないだろう」壁であって、真っ向から対峙しづらい相手である。それは単に音楽だけの問題ではなく、生き様なんかも含めているわけで。
その「Lady Day」と真剣に向き合えるようになったのが、やっと晩年を意識してから。ここでのLauraはひどくストレートで、そして渾身の力を込めてピアノに歌に集中している。おそろしくパワーを使ったのだろう。
12. La La Means I Love You
言わずと知れたDelfonics1968年のヒット。フィリー・ソウルといえばもうこの曲、というくらい定着してしまった。俺が最初に知ったのはTodd Rundgrenで、次にPrince。カテゴリー的にはかなり遠い2人だけど、少年期に影響を受けたものはあまり変わらない、という事実。Toddとも親交の深いLauraだからこそ、この選曲は納得。彼も10.をカバーしてるしね。
13. Walk On By
またまたDionne Warwick、ていうかBurt Bacharachのカバー。オリジナルがファニーで上品なポップスだったのに対し、ここでは少しソウルフルなピアノ・バラード。これはオリジナルもいいなぁ。
14. Animal Grace
自然・環境問題を題材としたピアノ・バラード。最後までエコロジーな視点を忘れなかったという点では一貫してるけど、思想的には受け取り方は人それぞれ。音楽は音楽として、俺的にはあまり興味ない。きれいなバラードだけどね。
15. Don't Hurt Child
本編ラストは未来ある子供たちへ向けた、大きな母性愛を感じさせる、スケール感の大きいナンバー。声高に拳を振り上げるのではなく、まずは良い楽曲を歌うこと、メッセージは副次的なものであり、楽曲としての整合性をまずは大事にしている。たった3分なのがちょっと惜しい。
16. Coda
シークレット・トラックとして収録。15.が終わって4分強の無音トラックの後、唐突に始まる1.の別テイク。実質1分半程度なので、もうちょっと聴いていたい。
ある意味、ほとんどすべての男が抱く女性の理想像、「となり家の年上のお姉さん」像の条件を完璧に満たしているのが、このLaura Nyroという女性ではないのか、と勝手に思う。
微妙に程よい距離感、取っつきづらそうでいて、話してみたら案外気さく、時々勉強も教えてくれたりして、あんなコトやこんなコトの手ほどきなど、あらゆる妄想を掻き立てられるような。
そんなくっだらねぇことを想う、46歳の春。
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Lauraを受け入れられるようになったのはここ最近で、
順を追って聴いてる最中です。
初期を聴けるようになるまでは、まだかかりそうですね。