folder 以前、「ソニーというレーベル・カラーを最も象徴しているのが米米クラブだ」と書いたのだけど、あくまで一面を担うものであって、レーベル総体を代表したものかと言えば、「それもちょっとどうか」と自分でも思う。セールスやキャリアの面だけで見ると堂々とした実績ではあるのだけれど、多分そんなポジションとは最も遠いキャラだし、第一米米自身も「イヤイヤそんな大役を仰せつかるなんて恐縮っすよ」と尻込みしてしまうことだろう。立ち位置的にはプロのひな壇芸人であって、メインMCを張る柄ではないのだ。
 そうなると、80年代ソニーの持てるポテンシャルをすべて結集し、しかもそれがきちんと結果として表れ、誰もが「あぁそう考えるとそうかもしれないね」と納得してしまうアーティストとなると、松田聖子という結果に落ち着く。もちろん聖子という類いまれなる素材があってこそだけど、初期ブレーンとしてトータル・プロデュースの任にあった松本隆の存在は欠かせない。この2人の奇跡的な出会いによって、80年代のソニーは大きく躍進したと言ってもよい。

 このアルバムがリリースされたのは1982年、80年デビューなのに、すでにもうオリジナル・アルバムとしては6枚目である。もちろんオリコン1位を獲得、翌年の年間チャートでも堂々12位、40万枚オーバーという記録を残している。この時期の女性アイドルは聖子と中森明菜の2トップ時代にあたり、トップ20に2人で2枚ずつチャートに送り込んでいる。
 ちなみに聖子のアルバムとして代表的なのは、大滝詠一がプロデューサーとして一枚噛んでいる名作『風立ちぬ』であり、一般的にはそちらの方の評価が高い。俺的にも大滝詠一はこのブログでも何度か取り上げているくらいだから、流れで行けばそっちを取り上げるところなのだけど、なぜこのアルバムを取り上げたのかといえば、俺が最初に買った聖子のアルバムだから、という単純な理由による。だって俺、『風立ちぬ』ってちゃんと聴いたことないんだもん。

 80年代アイドルのリリース・スケジュールとして、3ヶ月ごとのシングル、半年ごとのアルバム・リリースは定番の流れだった。それに加えて、コンサートだテレビ出演だ取材だ写真集だ映画撮影だサイン会だエッセイ集だと、とにかくてんこ盛りのスケジュールが組まれるので、ほんと寝る暇もないくらい、レコーディングだってスタジオに入ってすぐ歌わされてワン・テイクかツー・テイクでオッケーというのが日常茶飯事だった。
 アイドルに限らず歌謡界全般において、当時のアルバムというのはベスト盤的な意味合いが強く、ある程度シングルが集まったら、そこにカバー曲やシングル候補のボツ曲を足し、カサ増ししてリリースするというのが一般的だった。何しろハード・スケジュールだったため、レコーディングにそんなに時間をかけるわけにもいかない。曲をひとつレコーディングするくらいなら、その時間で地方営業に行った方が利益も上がるし知名度も上がる、という考え方である。
 そう考えるとこれって、今のJポップ事情と何ら変わらない状況でもある。わざわざアルバム1枚丸ごと聴くという行為が廃れてしまって、市場自体が尻つぼみになってしまうようになるとは、誰も思いもしなかったけど。

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 聖子よりひとつ前の世代、ピンク・レディーや榊原郁恵、石野真子あたりはシングル中心の営業戦略で展開されていたので、これといった代表的アルバムがない。ごくまれに、吉田拓郎が石野真子やキャンディーズに楽曲提供したりなどのアクションはあったものの、そのほとんどはシングルのみ、話題性を集めることが難しいアルバムへの提供はほとんどなかった。社員ディレクターがルーティンでこなす流れ作業的な仕上がりは、お世辞にも凝った作りではなく、ていうか出来不出来を問うレベルの商品ではなかった。大判のブロマイドにおまけでビニール盤が付いてきたようなものである。なんだ、それこそ今と変わんないじゃん。
 その風向きが変わったのが聖子から、と言いたかったのだけど、もうちょっと前に遡る。

 それまではコンセプトもへったくれもない、寄せ集め的な作りだったアイドルのアルバムに変化をもたらしたのが、聖子と同じCBSソニーの先輩にあたる山口百恵である。彼女もアイドル中のアイドル、王道をひた走っていた人だったけど、70年代末辺りから文化人界隈で「山口百恵は菩薩である」という斜め上の風潮が持ち上がってからは、アーティスティックな側面を見せるようになる。
 自らライターとして指名した宇崎竜童・阿木燿子のゴールデン・コンビによる一連のシングル・ヒットを軸として、さだまさしや谷村新司など、主にフォーク系のシンガー・ソングライターを積極的に起用していった。いわゆる職業作曲家によるお仕着せのアイドル・ソングに満足せず、まだ十代ながら「こういった歌を歌いたい」というはっきりしたビジョンを持っていたこと、そしてまた指名を受けた作家陣も、自演曲にも劣らぬクオリティの作品を惜しみなく提供していったことが、百恵の神格化をさらに裏付けしていった。

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 で、もうひとつの方向性、「アーティスティックなアイドル」として展開していたのが百恵だけど、そこから発想の転換、「アイドル性を持ったアーティスト」を志向していたのが、同じくCBSソニー所属の太田裕美である。
 スクールメイツというキャリアのスタート、同期にキャンディーズのメンバーがいたことから、そのまま行けばど真ん中のアイドル路線を歩むはずだったのが、シンガー・ソングライターとしての適性と「ザ・芸能界」ナベプロの方針によって、ニューミュージックと歌謡曲とのボーダー・ラインで活動するようになる。
 当初はフォーク調のサウンドがメインだったのが、松本隆稀代の傑作”木綿のハンカチーフ”の大ヒットによってお茶の間での知名度が高まり、次第にアイドル的活動の方がメインになってゆく。本人的には自作自演アーティストとしてのアイデンティティを重視したかったのだけど、自作曲が採用される機会も少なく、現役当時はそれがストレスになっていたようである。
 80年代に入る頃からアイドル活動をセーブして、次第にアーティスト活動をメインにシフトさせてゆくのだけど、当時はまだソニーにも彼女のようなタイプのアーティストを育ててゆくノウハウがなく、一貫した方針を立てられなかったことは不幸でもある。
 この年代で同傾向のアーティストとして、代表的なのが竹内まりやと杏里が挙げられる。この2人も太田同様、当初はアイドル的活動が中心だったのだけど、うまくアーティスティックな方向性へシフトできたのは、長期的ビジョンを持ったブレーン・スタッフの存在に尽きる。消費期限の短いアイドルより、マイペースで息の長い活動ができるアーティスト路線を選択できたことが、彼女らの命運を分けた。てことは、悪いのはナベプロか、やっぱ。

 で、聖子の場合だけど、今でこそ彼女も作詞・作曲・プロデュースもこなすようになっているけど、当時は類型的なアイドルのひとりでしかなく、自作といえば簡単なポエムくらい(とは言ってもそれすら怪しいのだけど)、太田のようにピアノで弾き語りするスタイルでもなく、またそういった需要もなかった。なので、方向性としては百恵にかなり近い。
 百恵と聖子に共通するのは、「まだ何物でもないひとりの少女が、たゆまない努力と修練を経ることによって、ひとりの女性として磨きをかけ、そしてひとりの人格として成長してゆく過程」をドラマティックな演出のもと、リアルなドキュメントとして見せていったことである。デビューして間もない垢抜けない少女が、スポットライトと観衆の洗礼を受けてスターとしての人格を形成し、そして次第にに洗練されてゆく様を、悲喜劇を交えたサクセス・ストーリーとして成立させた。明快な起承転結を思わせるそのストーリーは、第三者の感情移入を容易にさせる。刻一刻と変化するアイドル=女性の成長ストーリーは、一度ハマると第三者的な視点では見れなくなり、時にそれは家族よりも、恋人よりも近しい存在になりうる。
 この頃はまだマーケティング理論もおそまつなものだったので、現代の視点からするとそのストーリー展開にもツメの甘い部分が見受けられるのだけど、そのハンドメイド感、手探りでの演出は親近感をより密にさせる。今どきのあざとい感じが少ないのだ。

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 とはいえ百恵の時代はまだ歌謡曲的なテーゼが強く支配しており、結局のところはヒット・チャート至上主義、シングルを軸にしたコンセプトで進行していたため、アルバムまで徹底していたかといえば、ちょっと微妙になってくる。いま振り返ってみると、個々の楽曲のクオリティは高いのだけど、アルバムに即したプロモーションが行なわれることはなかったため、本格的な再評価はいまだ行なわれていない。
 で、その辺の反省から転じてビジネス・チャンスを見いだしたのか、高いクオリティの楽曲をシングルだけじゃなく、アルバムにおいても等価値で練り上げてゆき、既存のアイドルとはひと味違ったイメージ戦略で演出されていたのが松田聖子であり、その総監督的ポジションについたのが松本隆だった、という構図。

 この松本主導による「聖子プロジェクト」概要については、松本本人以外でもさんざん語られているので、ここではサラッと流しておく。単なる一作家に収まらず、前述した大人への成長ストーリーをディテールまできっちり描いた上、スタッフの思惑以上に伸びしろのあった聖子の急成長に伴って、随時コンセプトをブラッシュ・アップさせていたことは特筆に値する。
 このアルバムでは、その松本とのコラボレーションも順調に進行していたこともあって、これまでとは少し方向性を変えて、収録シングル曲は”野ばらのエチュード”のみという地味な構成になっている。数多のアイドルのアルバムとは一世を画し、キャッチーな曲の寄せ集めではなく、20歳を迎えつつある女性の虚ろな心境をうまくパッケージングした、シックな味わいで統一されている。
 この後ももう少し「聖子プロジェクト」は遂行されてゆくのだけど、彼女の結婚が報じられると共に、それは突然の終焉となる。松本にとって聖子とは、白いキャンバスのごとく無色無地の素材であり、自身の思い描く「普通の少女の成長ストーリー」を投影してゆくには格好の対象だった。ただ、成長とは自我の形成であり、自意識は日増しに強くなってゆく。松本のビジョンと聖子のそれとでは次第にズレが生じるようになり、それは少女時代の終わり、一方的な恋から相互的な恋愛を知ることによって、切実さは失われてしまう。
 蜜月は終わってしまったのだ。


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松田聖子
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1. 星空のドライブ
 タイトルから想起させるスペイシーなエフェクトからスタートする財津和夫作品。シングル曲8.もそうだけど、この頃は財津メロディとの相性が良く、”白いパラソル”などシングルの採用率も高い。母体のチューリップも1000回記念ライブを行なったりなど、キャリア的にも脂の乗っていた時代でもある。
 いま聴いてみると、思ってたよりヴォーカルのハスキー感が強調されている。この少し前に喉を痛めたせいもあって、デビュー当時と比べると声質が微妙に変わっている。アイドル然とした初期のファニー・ヴォイスが一般的な印象だけど、ややかすれ気味に変化することによって細やかな「憂い」を表現することも可能になった。それを受けた松本の歌詞も、以前より年齢設定を上げることによって、「少女」目線の世界観が少し広がっている。
 ここでの聖子は、彼氏に対して少し上から目線。異性が単なる憧れの対象ではなく、対等に近い立場からの視点で描かれている。

2. 四月のラブレター
 いま聴いてみると、"恋のナックルボール”をそのまんまマイナー展開した、大滝詠一作オールディーズ・タッチのスロー・ナンバー。この時期はまだ『Each Time』のレコーディング前だけど、すでにある程度の構想が固まっていたことが窺えるナンバー。
 しっかし歌いこなすのが難しいサビだなこりゃ。これをきちんと解釈して歌いこなす聖子もそうだけど、まるっきり自分のキーで作った大滝も大瀧で。

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3. 未来の花嫁
 当時隆盛だったテクノポップ歌謡的なイントロで始まる、ノリの良いポップ・チューン。財津和夫が書いた聖子ナンバーの中では1、2を争うクオリティのメロディで、調べてみると実際今でも人気の高いナンバー。そう、初期聖子はシングルB面やアルバム収録曲にも名曲が山ほどある。”制服”だって”Sweet Memories”だって、最初はB面扱いだったし。
 友達の結婚式にカップルで出席するというシチュエーションから、実年齢よりもう少し上の設定になっている。

 あなたはネクタイを ゆるめながら
 退屈な顔
 私たちの場合 ゴールは通そうね

 プロポーズはまだなの
 ねぇ その気はあるの
 瞳で私 聞いてるのよ

 強くたくましくなった女性のように見えるけど、すべては心の中の声であって、彼に対してはっきり言葉にしてるわけではない。
 まだそこまで強くなってはいないことを暗示させる、松本隆ならではの陰陽の世界。



4. モッキンバード
 聖子プロジェクトでは初登場の南佳孝によるミディアム・ポップ・ナンバー。思えばデビュー作プロデュース以来、松本とは旧知の仲なので、遅まきながらの登場といった感じ。冒頭いきなりアカペラのサビメロが、いかにも南といったメロディ・ライン。この頃の南はシティ・ポップの先陣を切った活躍ぶりで、自身のアルバムでも名曲を連発していた。
 ちなみにモッキンバード、俺が知ってたのはギターのブランドだけど、歌詞の内容からして、それとは関係ないよなぁと思って調べてみると、マネシツグミというスズメに似た鳥のことだった。多分、語感で選んだとものと思われる。だって、何の変哲もない普通の鳥だもん。

5. ブルージュの鐘
 後に傑作”ガラスの林檎”を生み出すことになるmはっぴいえんど時代からの盟友、細野晴臣が初登場。ここでは大滝詠一に対抗したのか、壮大なスケールを持つスペクター・サウンドを披露。
 ちなみにブルージュとは、運河が張り巡らされたベルギーの古都。古い石造りの建物がロマンティックな郷愁を誘う、ってなんか観光ガイドみたいだな。

6. Rock`n`roll Good-bye
 再び大滝詠一作による、タイトル通りのロックンロール・ナンバー。もともとはElvisをルーツとした人なので、こういったサウンドならいくらでも作れちゃうんだろうな、きっと。でも自身のジャッジが厳しすぎて、なかなかOKテイクを出せないのも、この人ならでは。
 後の"魔法の瞳”を思わせるエフェクト、テープ逆回転など、いろいろスタジオで遊んでいるのだけど、これが『Each Time』へとつながる実験として考えると、なかなか興味深い。



7. 電話でデート
 再び南によるしっとりしたミディアム・ナンバー。4.では少し聖子サイドに気遣いすぎた感もあったけど、この曲の方が聖子との相性が良い。地味だけどね。うっすらとバックで鳴るレゲエ・ビートとライトなブルース・ギターとのマッチングが絶妙。大村雅朗の神アレンジである。
 やや年齢が後退して、ちょっとしたケンカ中の高校生の電話中というシチュエーション。ママが心配してるというくだりなど、今では成立しない歌詞の世界は同世代の共感を誘う。そうなんだよ、長電話するとプレッシャーがすごいんだよ。しかもうち、電話は茶の間だったんで、コードを長く引っ張って自分の部屋で喋ってたもの。

8. 野ばらのエチュード
 財津3曲目。11枚目のシングルで、オリコン1位。やはりシングル向けということで、Aメロ→Bメロ→サビというパターンを踏襲しており、アルバムの中に入ると少し地味な印象になってしまう。ヒット・シングルをこんな地味なポジションに配置してしまうことは普通ありえないのだけど、アルバムとしてのコンセプトをきっちり固めていたことによって、ここに入れるしかなかったのだろう。
 聖子の名前が入れば何でも売れた時代だし、それなりにクオリティは高いのだけど、同年にリリースされた"赤いスイートピー”のインパクトが強すぎて、シングルとしても地味な印象。そろそろ財津との蜜月も終わりに近づいていたのだ。

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9. 黄色いカーディガン
 再び細野。久しぶりに聴いてみると、なかなかソリッドなテクノポップ歌謡だったのでビックリ。いいじゃん、これ。
 再び大滝詠一にとどめを刺そうとしたのか気まぐれなのか、モダン・テイストのスペクター・サウンドに仕上がっている。これもなかなか難しいヴォーカライズだけど、よく歌えたよなこんなの。細野の仮歌って、音域狭そうで参考にならなさそうだし。

10. 真冬の恋人たち
 ほぼ全編でアレンジを務めている大村雅朗作曲による、ラストを飾るに相応しいバラード・ナンバー。実はコーラスに杉真理が参加しているので、てっきり杉作曲だと思っていた。メロディなんてビートルズ・オマージュに満ちあふれたポップ・チューンだし。
 あまり仰々しくならないところが、この曲の魅力だと思う。初期聖子のバラードとして有名なのが”Only My Loveで、確かにあれはあれでメルクマール的な名曲なのだけど、あまりに名曲然とし過ぎて時にクドイ感じになってしまうのも事実。このくらい肩の力が抜けた小品の方が、この時期の聖子には合っている。






 松田聖子=松本隆がアイドルの新たな方向性を切り開いたことによって、「アーティスティックな方向性のアイドル」が存在することも可能になり、それはのちに森高に引き継がれ、現代のももクロまで続くことになる。
 それまで一元的だったアイドルという存在が多様化し、様々な解釈が可能になったことは、ソニーの功績大である。
 ただ、しかし。ソニーとしては、まだ未解決の問題が残っていた。
 発想の転換である「アイドルっぽいアーティスト」の路線について、ソニーはまだ諦めていなかった。前述のまりやや杏里が好評を記したように、その路線にニーズがあることは間違いがなかった。
 太田裕美の成長戦略が消化不良だった反省を踏まえ、今度はもっとコンパクトに、小さなバジェットから始めることにした。松本のコネクションを活用した既存のシンガー・ソングライターではなく、自前のソニー所属若手アーティストを積極的に登用することによって、予算の抑制と共に新世代の育成も兼ねる方針を取った。前例に捉われない自由な感性のもと、彼らの実験的なサウンドは先入観の薄いティーンエイジャーらの心をつかむようになる。
 その研究成果の実践として世に出たのが渡辺美里である。
 長くなり過ぎたので、次回に続く。