岡村ちゃん11年ぶりのニュー・アルバム。近年は結構短いペースでシングルだDVDだエッセイだと、何かとニュー・アイテムのリリースが多かったし、短期ではあるけど年に1、2度コンスタントにツアーも行なっていたので、正直お久し振り感は薄いのが印象。まぁ音信が途絶えることもなかったので、マイペースでやってんだな、と安心していたのは俺だけではないはず。
それでも、このペースの活動がしばらく続くのかなぁと思ってた矢先、年の瀬の一面広告に全国の岡村ちゃんファンはびっくりした。
え、ほんとに出すの?
信頼できるメディアを中心にした露出や、若手アーティストからのリスペクトに応えたコラボなどによって、ファン層は大きく広がっている。もちろん俺のように、もう四半世紀に長きに渡って追い続けているファンもまた健在である。
不思議なことに、岡村ちゃんのファンというのは一途な人が多い。昔は好きだったけど今はキライという人はあまりいない。そりゃ人間だから、他のジャンルに興味が行く場合もあるけど、岡村ちゃんだけはずっと聴き続けているという人は、思いのほか多い。一度虜になると離れられないオーラがあるのだろう。
なので岡村ちゃんのCD、ブックオフではほとんど見かけない。
ファン同様、岡村ちゃんもなんやかや紆余曲折やら変遷やらがあって、卓球と組んでテクノに走ってしまった頃はこれじゃない感が強く、一応音楽に対して真面目に取り組んでる姿勢はわかるけど、微妙な心持ちでいたファンも多かったんじゃないかと思う。
やたらとダンス・ビートを強調して、ヴォーカルもバック・トラックと同じレベルにセッティング、そんな2つをひとつのトラックに無理やり押し込めているので、全体のサウンドにコンプがかかって潰れてしまい、窮屈で聴きづらい音像になっている。
当時はこれが良かれと思ってリリースしたのだろうけど、どこか無理が生じてこじれちゃってたのがこの時代。そのかなりレイヴ寄りのサウンドに新たな可能性を見いだしていたのだろうけど、あいにく岡村ちゃんにそういった方向性を求めてる人は少なかった。
アーティストが自らの信念で鳴らしている音なのだから、ファンとしては行く末を見守るしかなかった。まぁ手放しで絶賛する気にはなれなかったけど。
そんな時期にリリースされたのが、前回のオリジナル・アルバム『me-imi』だけど、正直2、3回くらいしか聴いてない。それまでの持ち味のひとつだったファンクの部分を大きくクローズ・アップしたサウンドが、そこでは暴力的に展開されていた。グルーヴ感の少ない無機的なビートの中で、喘ぐようにシャウトしまくる岡村ちゃん。意図的なミックスなのか、そこでは岡村ちゃんの声もサウンドの中に埋没しており、変にいびつでアンバランスな音の濁流が蠢いていた。そのアルバムでは、岡村ちゃんのもうひとつの持ち味である口ずさみやすいメロディは軽視されていた。歌詞も荒んで斜め上ぽかった上に、歪んだヴォーカルでは何を言ってるのかもわからなかった。
いろいろ紆余曲折もあって、久し振りに現場復帰した岡村ちゃん。スタッフの中には、早々と見切りをつけて離れていった者も少なくなかった。それは誰も止められないことだ。彼らにだって生活がある。それでも、そんな岡村ちゃんに惚れ込んでいたスタッフ、それにファン達はじっと待っていた。
誰も岡村ちゃんを急かそうとはしなかった。ちょっとずつでいいから、まずは自分のペース、自分の言葉をしっかり掴むことが先なことはわかっていたから。じゃないと、また同じ過ちを繰り返してしまう。
次のステップへ進むために、ひたすら前を見ることは重要だけど、自分の足元をきちんと見直すことも必要だ。もう同じ失敗を繰り返すことはできない。じゃないと、信じて着いてきてくれた人たちをまた悲しませてしまう。
結局のところ、最期は自分でなんとかするしかない。ファンだろうが支援者だろうが、結局は見守ることしかできない。
そんな岡村ちゃんが最初に始めたのは、もう一度ファンの前に姿を現わし、いまの自分を見てもらうこと。まずはライブからだった。
これだけみんなを裏切り続けてきたけど、いまの自分を普通に受け入れてくれるのか―。
最初はすごく勇気がいったと思う。ヤジや罵声が飛び交っても何も言えやしない。
―でも、やらなくちゃ。
どれだけ無様であろうとも、前に足を出さない限り、はじめの一歩は踏み出せないのだ。
思いのほか、みんな快く受け入れてくれた。
お詫びや謝罪ではない。
いま自分はこうやって生きている。それをありのまま見せることが、いまの自分の義務なのだ。
謝る必要なんてない。それはただの「言葉」でしかないのだから。それよりは、思い立ったらすぐ行動だ。
でも、「前のめりな自分」を見せることはできたけど、「新しい自分」を形として出すのはまだ難しかった。
「これまでの自分」と「これからの自分」。
どう表現していいのかわからなかったのだ。
これまでの岡村ちゃんは、音楽に対して真摯に向き合いすぎたあまり、ネガティヴな自分との折り合いが付かなくなっていた。
煮詰まる創作作業と、終わりの見えないレコーディング。その作業は孤独の極みだ。
毎日スタジオに通い、終日エンジニアとの共同作業だった昔とは違い、今はDTMが劇的に進化しているおかげもあって、極端な話、外へ一歩も出ず誰とも会わなくても、それなりの作品が出来てしまう。むしろ技術スキルが上がれば上がるほど、他者の介在を拒むようになる。やろうと思えばすべて独りでできちゃうし。
ただし、スキルが上がるということは、自ずとジャッジメント、自分の要求水準も確実に上がっていくということ。作り込めば作り込むほど、以前のレベルでは満足できなくなる。なので、細かなディテールに手を入れる。そうなるとトータル・バランスが崩れて一旦組み直しになる。そして、その繰り返し。
遅々として進まないスケジュール、そして差し迫る締め切り。
そんな生活は確実に人を蝕んでゆく。
そういった轍を踏まぬようにしたのか、近年の岡村ちゃんの行動範囲はかなり広くなった。とは言っても、そのほとんどはスペシャ界隈かブロス関連、いずれも長い信頼関係に基づくメディアに限定されているのだけれど。
これまでとは異ジャンルの人たちとも積極的に交流することによって、そのおかげなのか、人間としての幅も広く深くなった。表情から卑屈なねじれは消え、満面の笑顔とまでは行かないけど、少なくとも攻撃的な姿勢は消えた。
ジャパニーズ・ファンクのフロンティア的存在のひとりだったため、若手からリスペクトされることは昔から多かったけど、かつてはどう接してよいのかわからなかったのか、どこかぎこちなさが見て取れた。
それに引き換え、近年はどこか吹っ切れたのか、お声がかかれば積極的にコラボに顔を出しているし、むしろ若手に対して「好きにいじってくれ」とでも言いたげに、わざと不遜な態度を取ったりしている。そういったことが衒いもなく、自然に振る舞えるようになったのは、ひとつの人間的成長である。
そんなこんなもあって届けられたのが、このアルバム。
確かに既発シングルの曲は多い。新たに書き下ろされたのは半分弱で、しかも最後の曲はあの”ぶーしゃかLOOP”だ。
ほんとリリース直前まで収録曲が公開されず、ネット上でもありとあらゆる予想が出ていたけど、まぁ開けてみれば何となく思ってた通りの結果である。肩透かしに合った人もいただろうけど、ここは何事もなくリリースにこぎ着けることができたのを素直に喜びたい。
なんとなく今後もこのパターン、不定期にリリースされたシングルを、頃合いを見てまとめるというスタイルが続くんじゃないかと思われるけど、岡村ちゃんが元気に歌い踊り、時々苦虫を噛み潰したような表情を見せるだけで充分だ。
取り敢えずお帰り、岡村ちゃん。
札幌に来たら顔を見に行くよ。もう決めた。
岡村靖幸
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1. できるだけ純情でいたい
ミディアム・テンポのファンク・ナンバーからスタート。耳を惹くのは手数の多いベース・ライン。重心の低いサウンドに有機的なアコギを絡ませるのは、岡村ちゃんの数ある手法のひとつ。間奏のスパニッシュ風ソロ・ギターが無国籍・時代感を喪失させる。ここは21世紀?それともはるか未来のファンク・サウンド?いつの時代に持って行っても通用してしまう、岡村ちゃんサウンド。終盤のゴリゴリ・ベースとギター・カッティングの絡みはオーソドックスなファンクそのもの。でも、誰も今じゃやりたがらない。今どきこんな使い古されたサウンドでオリジナリティを出せるのは、岡村ちゃんだけだ。
サウンドに合わせたのか、歌詞は終始ネガティヴなムードが漂っている。「会いたくて会いたくて震える」のはひと昔前の西野カナだけど、ここでは会いたくてもどかしく独りよがりな独身男が、身悶えながら想いを吐き出している。
復帰一発目のオープニングとしてはめちゃめちゃ地味だけど、岡村ちゃんを長く見守り続けてきた長年のファンとしては、赤裸々なスタイルが逆に信頼できる。
2. 新時代思想
2011年ごろからスタートした別プロジェクト、覆面DJユニット「OL Killer」の活動をフィードバックしたような、クラブ・サウンドに接近したナンバー。以前はエッセンス程度でしかなかったけど、それなりに力を入れているのか、各地でのライブ終了後のアフター・ショウでは盛況、とのこと。
「世間じゃ戦争だ政治だ経済だとかいろいろ騒がれてるけど、僕はそんなのどうでもよくて、ほんとはただキミとイチャイチャしたいだけなんだっ」というのが90年代の岡村ちゃんのスタンスだったのだけど、あれから年月を経て、もうちょっと世間に目を向けるようになったのか…、と思ってたらやっぱ全然変わってなかった。結局は「ただイチャイチャしたいだけなんだっ」と言いたいことをまどろっこしく大掛かりな舞台装置を誂えて訴えたいだけなこと、それを50近くになってやってしまうところに、多くの男たちは希望を抱く。
でも、勘違いするなよ、岡村ちゃんだからいいんであって、他のアラフォー男がやってもイタイだけだから。
3. ラブメッセージ
映画「みんな!エスパーだよ!」主題歌としてリリースされたシングル。時期的にはもっとも近作。ちなみにオリコン最高23位をマーク。まぁ近年のシングル・チャートになんてほとんど意味はないけど。
リリースされた頃は正直、岡村ちゃんのシングル・リリースもコンスタントになって来ていたので、若干食傷気味であまりちゃんと聴いてなかったのだけど、このアルバム・この曲順で聴いてみると、まったく違った表情。ちょっとだけ時代に遅れたダンス・ビートに乗って、ポジティヴなメッセージが歌われている。
ブリッブリのベースもサビのコーラスもカッコイイのだけど、全体的に音が割れ気味なのがちょっと気になるのは俺だけ?もうちょっとミックスに配慮してほしかった。
4. 揺れるお年頃
ほとんど岡村ちゃんのヴォーカルと叩きつけるようなアコギだけで成立しているナンバー。岡村ちゃんのサウンドを聴くたび、あぁアコギというのは弦楽器じゃなくって打楽器なのだな、といつも思う。
90年代ならもっとファンキーに仕上げたアレンジになったと思われるけど、ここはメッセージ性を強く押し出し、敢えてシンプルなサウンドで勝負している。
新しい靴を履いたら
どんなスマイルでも なっちゃうもんさ Baby
俺的にはこのクダりが気に入っている。
5. 愛はおしゃれじゃない
2014年リリース、Base Ball Bearの小出祐介とのコラボレーション名義で発表された。打ち込みメインの四つ打ちビートにギター・リフが絡む、今風のバンド・サウンド仕様。俺的にはこのアルバムではベスト・トラックだし、正直、岡村ちゃんのこれまでの楽曲の中でもベスト5には確実に食い込んでくるほどの出来なんじゃないかと思ってる。
多分、岡村ちゃん単独じゃなくって、小出君と組んだのがキーだったんじゃないかと思う。「かつての岡村ちゃん」サウンドを「学習」として知ってはいるけど、当然小出君は世代的に全盛期を知るはずもない。そんな小出君が昔の岡村ちゃんをシミュレートして、「岡村さん、ちょっとこんなのやってみてくださいよ」とか何とか言ってみて、「じゃあちょっとやってみっか」的に岡村ちゃんもその気になって昔のテンションでやってみた感が強く出ているのだ、悪い意味じゃなくって。
「90年代の岡村ちゃんサウンドをそのままビルド・アップして、若手バンドのアップ・トゥ・デイトな息吹を吹き込んだモダン・サウンド」として創り上げられたのが、こういった成果として現れた。
くちびるをつけてみたい 君のそのくちびる 今夜
くちびるをつけてみたい
春色 夏色 秋冬 君色々
マスカラつけたなら僕も 君のように泣けるのだろうか
君と同じ口紅つけたなら そのくちびるが 何味かわかるのかな
50も近い男がこれを歌えてしまうのだから…、勘違いするなよ、岡村ちゃんだから許されるんだ。
6. ヘアー
シングル”ラブメッセージ”のカップリングとしてリリース。復活後にリリースされたシングル・カップリングはどれもここには未収録だったので、これは多分お気に入りだったんじゃないかと思われる。
結構なロック・テイストも強いファンク・チューンになってるけど、歌詞の詰め込み具合やサビのスタイルなんかに絶好調だった90年代初期の香りがする。特に「全身ヘアーが立つ クレイジーな気分」の譜割りなんて、ゾクッと来る。
7. ビバナミダ
前作”はっきりもっと勇敢になって”から6年1か月ぶりに発売されたシングル。ここから復活に向けての歩みが始まった記念すべきシングル。この頃はもう、まず新譜が出たというだけで大騒ぎになっていたことを思い出す。
打ち込み主体のダンス・ビートにアコギのかき鳴らしというのは復活以前にも基本フォーマットとなっていたけど、近年はさらにスラップ・ベースをかませて来るのがマイブームになっているらしい。ファンク・リズムのボトムがグッと下がることで、グルーヴ感が増すこと、単調なリズムにアクセントをつけるのも、ミュージシャンとしての勘がそうさせるのだろう。
ちょっとチープなシンセがディスコ・テイストを強調しているのと、以前のシングルよりヴォーカルがオン・ミックスになっているのがポイント。
いくら便利なれど 星は未知なもの
だから電車を飛び降り 会いに行こう
ミニ履く子 いつも気になるよ
だから電話もかけずに 会いに行こう
8. 彼氏になって優しくなって
復活後3枚目のシングルで、オリコン最高15位。まぁそれはどうでもいいか。
これも実はシングルでリリースされた時はあんまり聴きこんでなかったのだけど、やはりアルバムのこの流れで聴いたら、メッチャカッコいいことに気づいてしまった。ていうか、気づくのが遅かった。
岡村ちゃんのヴォーカルも全盛期並みに復活しているのももちろんだけど、バック・トラックはもしかして一番かもしれない。ベースとドラムの絡み、アコギの入り方、どれも特別な音色は使っていない。なのに、このグルーヴ感って何?なんでこんなファンキーなトラック作っちゃえるの?
9. ぶーしゃかLOOP
もともとはオフィシャル・サイトのトップで流れていたループ・トラックをきちんとした形に編集したもの。うーん、シングル・カップリングならアリだと思うけど、このアルバムにはちょっとなぁ、という印象。特にこのアルバム、全9曲というコンパクトさだけど、もっと長尺で曲数が多い中でのブリッジ的な扱いなら活きたんじゃないかと思えるけど。それかアナログ盤で最後に『Sgt. Pepper’s』パターンで延々ループするとか。
取り敢えずリリースしてくれただけで嬉しいのだけど、ファンの勝手な注文としてひとつ。
やっぱりバラードが欲しいよね、しかもちょっとベタなやつ。
“カルアミルク”や”イケナイコトカイ”クラスのスローバラードを聴きたいところ。
ファンキーでダンサブルな岡村ちゃんもいいけど、メロウでドラマティックな岡村ちゃんもまた魅力のひとつなのだ。
次回はその辺を期待したいところ。
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岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』 (TOKYO NEWS MOOK 479号)
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