folder ニューヨーク3部作をリリースする以前の甲斐バンドは、一般的には ”HERO” や ”安奈”など、ちょっとロック・テイストの入ったニュー・ミュージック系の歌謡ロック・バンドとして認知されていたのだけど、熱狂的なファンの間では断然、ライブ・バンドとしての評価が高かった。

 デビューから一貫して毎年100本以上の全国ツアーを続けていたことについては、素直にスゲェと言えるけど、それだけの需要・集客力があったことも、また驚き。しかも年を経るごとに、そのキャパは増大しているのだ。
 ライブ・ハウスから小ホールを経て、このアルバム・リリース時点では、すでに大ホールじゃないと収容できないくらいまで、ファン層が拡大していた。当時アリーナ・ツアーはまだ一般的じゃなく、武道館でさえ敷居が高かったので、収容力の大きなハコといえば市民・県民会館クラス、そこで数をこなさないことには、大勢のファンのニーズに応えられなかったのだ。
 そういった大人数を一挙に集めるための会場といえば、あとは後楽園球場くらいしかなかったのだけれど、当時はプロ野球がテレビのコンテンツとして絶大な力を有していた頃、野外ライブに最適なシーズンは、どの球場もフル稼働していたため、彼らロック・バンドが割り込む余地はなかった。
 そういった限られた条件をうまくクリアできたのが、花園ラグビー場やNHKホールであり、のちの両国国技館や現都庁建設前の新宿都有地である。どこもロック・バンドのライブ会場で使われるのは初めてで、それだけ甲斐バンドの集客力が絶大だった時代の話である。

 そのようにライブの評判は上々だったのだけど、同時に囁かれていたのが「ライブはいいんだけどね」という評である。
 確かにレコードは売れていた。”HERO”の大ヒットによって、シングル・アルバムともセールスは安定し、チャートの常連にもなっていた。ライブの客層も女性中心だったのが、ロック色を強めたことによって男性客も多くなり、結果、ファン層に広がりができた。
 とにかくライブ・パフォーマンスは絶好調だったので、2枚組ライブ・アルバム『100万ドル・ナイト』をリリースした後、ほんの1年程度のインターバルで、今度は3枚組のライブ・アルバム『流民の歌』をリリースしている。それだけライブの需要が強かったのだ。
 ただ、そのライブの躍動感がレコーディングとなると小さくまとまってしまい、どうしても歌謡ロックの延長線上、どうにもショボく聴こえてしまうというのが、バンドの長年の課題だった。
 ライブとレコーディングは別物と割り切って、ライブ中心のスタイルを選択すれば、また方向性は違っていたのだろうけど、日本ではGrateful Deadのようなスタイルのバンドが商業的に成立できるほど、音楽ビジネスは確立されていなかったし、彼らもまた、インプロビゼーションや長時間のアドリブなど、そういった演奏スキルを売りにしたバンドではなかった。
 ましてやシングル・ヒットを生み出したバンドとして、その後はレコード会社からのプレッシャーも強くなっていたはずだし、バンド運営的に見て、継続的なレコード・セールスは必須案件だったのだ。

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 ニューヨーク3部作の1枚目という位置付けのこのアルバム、前作『破れたハートを売り物に』からサウンド・メイキングに対して意欲的になってきており、それに引っ張られる様に、歌詞も大きく変化している。
 基本的には男と女、その2人の関係性を描いた歌詞が多いのは従来通りなのだけど、その関係性、特に男性の強さに焦点を当てて描いているのが、大きな特徴である。
 これまでの甲斐の曲に登場する男たちは、愛を歌い、そして叫んでいる。ただ、それは一方的な自己愛であり、相手側、彼女の心中を想うまでには至っていない。言ってしまえばそれは「恋」であり、独りよがりのものでしかないのだ。
 ここでの甲斐は、同じ言葉を発しても、紆余曲折を繰り返してきた男としての充分な重みが感じられる。薄っぺらな言葉ではなく、ちゃんとしたバックボーン、あらゆる物を背負った大人の男としての言葉なのだ。
 強靭なサウンドに拮抗するためには、強くしなやかな肉体=言葉が必要だった。
 どの曲にも共通して言えるのは、これまでの経験・生活感に根ざした世界ではなく、ある種のフィクション性が強まっていること。ただそれらは、あくまで実際の甲斐のアイデンティティから出てきたものであり、決してファンタジーな絵空事ではないのだ。
 従来ユーザー向けなのか、”Blue Letter”の様に歌謡曲テイストが強いテーマもあるのだけど、”ブライトン・ロック”に代表されるような、ひときわ攻撃性の強い無国籍な歌詞を書けるようになってきたのは、ひとつの転換点だと思われる。
 「ロックが良い/歌謡曲が悪い」という単純な二元論は無意味だけど、甲斐の選択したパワー・ステーション・サウンドには、これまで良しとされていた日本的なウェットな感性が、むしろ足枷になってしまう。なので、その後甲斐の描く世界がハード・ボイルド・タッチ、言ってしまえばマッチョイズムが強い傾向になってゆくのは、いわば必然だった。

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 名ミックス・エンジニアBob Clearmountainに代表されるパワー・ステーション・サウンドとは、決して目新しいものではない。単純に言ってしまえば、聴かせたい音は大きく、それでいて、その他の音もしっかり聴こえてる、メリハリの強い音が特徴である。良く例えられる独特のドラム・リヴァーブも、サウンドの構成要素のひとつでしかない。彼の功績とは、ロック・サウンドにマッチしたダイナミックな音空間のコーディネートなのだけど、いまだに誤解が多い。
 そうした音圧の強いサウンド・メイキングに負けないよう、甲斐が行なったのが、外部ミュージシャンの積極的起用である。もともとこの時点で、甲斐バンドのメンバーはヴォーカル、ギター、ドラムの3人、1979年にベースが脱退してからは補充することもなく、外部ミュージシャンの導入はすでに常態化していた。なので、「バンド」と名乗ってはいたけれど、事実上はバンド・スタイルをベースとした「ユニット」形態になっていた。
 前作からサウンド面の強化は課題となっていたので、主要メンバー不在のレコーディングも多くなっていったのは、結局のところは出来上がってくる音、結果を重視したことによるものだろう。

 Bobの話に戻ると、当時は正式にはパワー・ステーション・スタジオのハウス・エンジニア、いわゆる雇われている立場だったのだけど、それなのに仕事を自分で選び、その上、気に入らないアーティストなら、平気でオファーを断ってしまう、それはもう頑固な男として知られていた。それだけ自分の仕事にプライドを持っているのか、自分で納得したサウンドでなければ依頼を受けない、職人気質を貫いていた。
 この3部作と前後するのだけど、日本の某有名バンドが甲斐バンド同様、彼にミックスをオファーして素材を送ったところ、あまりのクオリティの低さに幻滅、けんもほろろに断られたというのは、割と有名な話。なので、金さえ積めば受けてくれる、というのではないのだ。
 もちろんギャラは相応のものなので、結局一流どころのアーティストとの仕事が多くなる。Rolling StonesやRoxy Music、Bruce Springsteenなどが主な顧客だけど、どれもアーティストとしてのアイデンティティをしっかり持った連中ばかりである。

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 そのBobがオファーを受けた要素のひとつに、甲斐のドメスティックな歌唱法がある。
 これは甲斐がデビューしてから、そしていま現在でも一貫しているのだけど、彼は日本語を「日本語」として、きちんとはっきりした発声で歌う。英語のテイストに近づけようと巻き舌を多用したり、崩した日本語で歌うシンガーは当時から多かったけど、多分英語におもねった歌い方・サウンドを志向していたら、Bobは受けなかったはずである。
 日本国内でさえ鼻で笑われるスタイルが、海外で通用するはずがない。日本人が日本語で勝負するのなら、海外の真似ごとじゃダメなのだ。

 多分、甲斐もそういったことはわかっていたのだろう。身にまとう肉体をコーディネートしてもらっても、コアの部分を変えることは譲らなかった。Bobへの最初のプレゼンとなった”破れたハートを売り物に”においても、しっかりと一節一節、聴き取りやすい日本語を貫いた。
 何よりも言葉を、メッセージを伝えることが大事なのだ。いくら洋楽テイストの強いサウンドになったとしても、それはほんとに訴えたいメッセージを、より良く伝えるための手段でしかない。
 サウンドと言葉との有機的な結びつき。
 それがニューヨーク3部作の大きなテーマである。


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1. BLUE LETTER
 アルバム・リリース直前に先行シングル・カットされた、当時から人気の高かったナンバー。オリコン最高39位。基本パターンは"安奈"を踏襲しているため、親しみやすいメロディ・ラインが特徴。口ずさみやすく覚えやすいのだけど、いま聴いてみると、重ったるいメロディと歌謡曲テイストのサウンドが鼻についてしまう。
 シングル・ヒット以外の甲斐バンドのナンバーでは最初に好きになった曲なので、愛着はある。でも今では「たまに聴けりゃいいや」といった感じ。カラオケで歌い過ぎたのも、飽きがきてしまった要因だろう。

 “もろかった月日と 落とせるはずもない
  罪とおまえのために 今夜 涙を流す“

 一歩間違えると演歌だけど、ラストのサビ繰り返し前、この一節が書けるアーティストは、当時の甲斐くらいしかいなかった。



2. ナイト・ウェイブ
 甲斐バンド初の12インチ・シングルとしてカットされた、ここからがBobの仕事の真骨頂。”破れたハートを売り物に”から続くパーカッションの乱れ打ちは、どれも一音一音がはっきり聴き取れる。ちょっとショボいオーディオ・セットでもきちんとメリハリの音が出るくらい、完成された音場になっている。
 
 “お前の髪に 降りかかる銀の 波の飛沫に
  今夜お前は とてもきれいだ
  紫のうねり 光る岸辺まで
  輝く闇の中で 二人 溶けそうだ“

 甲斐にしては珍しく抽象的な言葉が並ぶ、あまり類を見ない歌詞である。文脈よりもむしろイマジネーションを重視した、シチュエーションを限定しない方法で書かれている。浮遊感のあるサウンドなので、言葉に大きく意味を持たせることを避けたのだろう。



3. 観覧車 ’82
 前作のリテイク・ヴァージョン。前回がPaul McCartneyテイストのポップ・ロック調だったのに対し、こちらはリズムを強調、3ピース・バンドにこだわらず、サウンドを厚めにして、バラエティに富んだ音を入れている。
 昔からファンの間でも意見が割れているのだけど、実はリテイク前のヴァージョンの方が人気が高い。AOR的要素も強いモダンな82年ヴァージョンに対して、オリジナルはサウンド的に拙く、当時のバンドのポテンシャルで出せる音のみで構成したところが、古いファンの情に訴えるところがある。俺も昔はオリジナルの方が好きだったのだけど、エッジの立ったサウンドと言えば、間違いなくこちらの方が秀でている。
 でも、やっぱり歌詞。こちらは歌謡ロックを引きずっており、そこがちょっと青臭い感じ。まぁそれも彼らの魅力のひとつなのだけど。



4. ブライトン・ロック
 このアルバムの中では最もハードで、ドライブ感が強い曲。これまでにないギターのリフレインの響き、乾いたブラス・セクションなど、聴きどころはいろいろあるのだけど、俺的には全編に流れるパーカッション系の響きが一番好き。
 最近、名曲リクエスト・ランキングにおいて、見事堂々の第1位を獲得したのには、ちょっとビックリした。大方の甲斐バンド・ファンはメロディアスなナンバーを選ぶのがほとんどだったのだけど、この曲が上位に食い込んできたというのは、時代の流れを感じる。
 後年の『Love Minus Zero』にも直結する、ハード・ボイルド・タッチの世界観が、すでにここで完成されている。

5. 無法者の愛
 ここからアルバムではB面。シングル・カットというよりはむしろ、アルバム・リリースの半年ほど前に発売されたナンバーなので、プレ『虜』と言った方がしっくり来る。
 ロックというよりはむしろAORテイストが強く、Tom Scottみたいなアルト・サックス・ソロも展開される、非常に乾いた質感が印象的。以前ならこういったナンバーは、もっとウェットに情感たっぷりに歌っていたものだけど、爽やかささえ感じられるくらいサッパリと歌っている。なので、あまり「無法者」っぽく聴こえないのが,難と言えば難。ミドル・テンポの甲斐バンドのナンバーでは、この曲も人気が高い。

6. 虜
 ほぼワン・コードで展開する、ミステリアスなアレンジのタイトル・ナンバー。昔からTalking Headsとの類似点が語られているこの曲だけど、俺もかなりインスパイア度が強いんじゃないかと思う。
 でも甲斐って、あまりドロドロしてるのが似合わないと思ってるのは、俺だけではないはず。声質が乾いているので、情念を引きずらないのだ。
 どこか無理してるんじゃないの?といつも思ってしまう。

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7. 呪縛(のろい)の夜
 で、こちらもTalking Headsとの比較がされているけど、これはうまく消化してサウンドに還元できてるんじゃないかと思ってる。ギター・カッティングと変則アフロ・ビート、思いっきりヴォコーダーを通して音色を変換させたコーラスもまた、イイ感じのおどろおどろしさが演出できている。
 
8. フィンガー
 シンプルなブルース進行による、ステージ映えする楽曲。それでもそのドライブ感をうまく音源化できたのは、やはりバンドの成長とBobの臨場感あふれるミックスの賜物だろう。
 
  ”可愛い子ちゃん 愛なんて
  キスのように 儚いものなのさ”

 歌詞にも登場するMick Jaggerを意識しているのだろうけど、この当時でさえ「可愛い子ちゃん」なんてキーワードは珍しく、こそばゆい感じがしたものだ。

9. 荒野をくだって
 Bruce Springsteenへのリスペクトが凄まじい、ラストは落ち着いたバラード。こういったバラードもまた、昔ならもっとお涙ちょうだい的なウェット感が強かったのだけど、ここでの甲斐は恐ろしく疲れたような、脱力した歌いっぷり。
 ギターとハーモニカ、そして甲斐のヴォーカル。たったこれだけの音しか入ってないのに、音像豊かなサウンド構成力は、さすが一流のエンジニアの仕事。シンプルなものほど、空間把握のセンスが試されるのだ。




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