folder 最高傑作であると共に大ヒット作となった『Synchronicity』リリース後、Policeは活動を休止、しばし開店休業となった。グループ内の人間関係はとっくの昔に破綻しており、それに加えてバンドとしてやれる事はやり切ってしまったため、実質的な解散であることは明白だった。そんな中、『Synchronicity』ツアー終了と共にいち早く動き出したのがStingで、できあがったのがこのアルバム。
 前評判も高かったため、リリースと同時にUS2位UK3位と大ヒット、特に日本ではオリコン最高9位と、Police時代のチャート記録を塗り替えた。
 最初にシングル・カットされた"If You Love Somebody Set Them Free"は、US3位UK26位と好成績の口火を切り、最終的にはシングル・カットが6枚と、ほぼ半数が単独リリースされたことになる。今でこそ、先行リリースされたシングル数枚がまとめられてアルバム・リリースされるケースが増えているけど、80年代まではアルバムからのシングル・カットが多い時代だった。Michael Jackson『Thriller』なんて、ほぼ全部がシングル・カットされてるはず。

 Policeのサウンドの変遷を、ものすごく大ざっぱに分けてみると、「アバンギャルド・ジャズ → パンク+レゲエ → オルタナティヴ色を強めたロック・サウンド」という感じ。それぞれ別の個性を持つ3人のプレイヤーが、これまたそれぞれの音楽性を持ち寄ってハイ・レベルの演奏を披露し、最終的には過去のどのサウンドにも当てはまらない、正しくオンリー・ワンのオリジナル・フォーマットを確立した。ただそれは、同時にバンド終焉の始まりでもあった。

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 『Synchronicity』リリースによって、トップ・アーティストとしてのスタンスを確立したPoliceだったけど、その頂きの向こうにあったのは果てしなく広がる虚無、行き止まりの袋小路だった。もはやトリオ・スタイルでのクリエイティヴィティは失われており、これ以上前に進むことは単なる自己模倣でしかなかった。
 それは Sting 1人に限ったことではなく、他のメンバー Stewart Copelandや Andy Summersにとっても、思うところは同じだった。なので3人とも、ツアー終了後は、三者三様の手法でソロ・プロジェクトに着手することになる。

 もともとエスニック志向の強いStewart は、ドラマーのキャリアを活かした、アフリカン・リズムをメインとしたサウンドのアルバム『Rhythmatist』をリリースした。当時はまだそれほどメジャーではなかったアフロ・ビートとシンセサイザーとのミクスチャー・サウンドは画期的だったけど、まぁ当然ながら売れなかった。本格的なワールド・ミュージック・ブームが盛り上がる前にリリースされた作品なので、もう数年寝かせておけば、エスニックのドサクサで売れたかもしれない。

 同時期にAndyもアルバムをリリースしているのだけど、純粋なソロではなく、あのRobert Frippとの共同名義となっている。彼とプログレ伏魔殿 King Crimson の総帥との間にどんな接点があったのか、誰がそんなコラボを思いついたのか、いまいち不明である。「同郷だから」という、誰も本気で受け取らない理由があった気もするけど、まぁ多分レーベル主導のプロジェクトだと思う。どう考えても「意気投合してバンド結成」というムードの2人ではない。
 それぞれ2人の経歴から想像するに、Andy特有の空間を活かしたディレイ・サウンドと無機質なフリッパートロニクスとの融合と思ってしまいがちだけど、まったくその通り、想像してみた通りの音である。それらにほんのちょっぴり、当時最先端だったテクノ・ポップ風のオケを薄く被せており、その辺は80年代という時代を感じさせる。
 昔「ポッパーズMTV 」でこのアルバムのPVが流れたことがあって、たまたまそれを見てた俺、「あれ、以外とイケるんじゃね?」と思った記憶がある。 PV が作られるくらいだから、レコード会社的にもそこそこ力を入れたのだろうし、またそこそこ売れたのだろう。それでレーベル側が味をしめたのか、それとも2人ともメイン・バンドが休業中でヒマだったのか、再び共同名義・ほぼ同コンセプトでもう1枚製作されている。ミスマッチがうまく嵌った好例である。

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 で、 Sting の話。これまでの経歴・実績から比較すると、かなりコンパクトなバジェット、メンツ的にも地味な顔ぶれでスタートしている。その気になれば、もっと大物ミュージシャンを招聘したり、ビッグ・ネームのプロデューサーを起用した、ゴージャスなレコーディングも可能だったはず。しかしStingは過去の実績やネーム・バリューに頼ることを良しとせず、敢えて無名に近い若手ジャズ・ミュージシャンを多く起用、これまでのPoliceとはまったく違ったサウンドを、一から創り上げてゆくメソッドを選択した。
 ここでStingは、バンド・リーダーでありながらも、あくまでStingバンドの一メンバーとして振る舞っている。ボスとして威厳を振るうのではなく、あくまで音楽の前ではすべてのメンバーは平等、切磋琢磨しながらStingサウンドを創り上げてゆく同志というスタンスで参加している。
 普通のバック・バンドなら、大御所Stingの指示通り動き、彼のビジョンを最優先してしまいがちだけど、ここではSting、あくまで素材、触媒の役割を全うしている。未知の可能性を秘めた次世代ミュージシャンらによる、卓越したテクニックとパッションの応酬によって、Sting自身、予想もしなかったほどのバンド・マジックが日々生まれていった。サウンドから曖昧な予定調和は排除され、贅沢ながらも嫌みのない、キチンと均整の取れたサウンド、唯一無二の『Sting’s Music』 が完成した。

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 Sting にとってはこれがソロ・キャリアのスタートであり、また悲しいことに、これが同時に到達点でもある。ライブ・アルバムを挟んでの2作目『Nothing Like the Sun』において、ここで提示されたサウンドは完成の極みを見たけど、進み具合はごくわずかだった。これ以降、サウンド的な冒険は鳴りを潜めた。
 この後 Sting は、主にプライベートな問題(主に肉親の死)を抱えることによってテンションが下がってゆき、ごくパーソナルで地味な内容のソロ・アルバムを連発することになる。
 邦題『ブルー・タートルの夢』。
 これはSting が音楽的冒険に邁進していた頃、幸福な時代の幸福な傑作である。


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1. If You Love Somebody Set Them Free
「free, free, set them free」というコーラスが終始ループしているけど、こういった形のポップ・ソングはあまりなかったんじゃないだろうか。ていうかこれ以後もあまりない、唯一無二のStingのオリジナル。ロックにしては複雑なコード進行、ジャズにしてはポップという、どうにもカテゴライズしづらい音楽である。
 サックスのBranford Marsalisはもろジャズの人。父親は往年のジャズ・ミュージシャン、弟のWyntonもサックス・プレイヤーで、当時はWyntonの方が評論家受けが良かった。スタンダード・ジャズ至上主義のWyntonは兄のロック・フィールドへの進出に反対し、実際小馬鹿にして長年確執が伝えられていた。いたのだけど結果、参加して正解だった、というのを、この曲が証明している。
 


2. Love Is The Seventh Wave
 リゾート気分を連想させる、レゲエというより享楽的なカリビアンなリズムが印象的なナンバー。Police時代ならもう少しアップ・テンポに、キーも高めに歌っていたStingだけど、ここでのキーは低め。ポップ・ソング的に穏やかに歌うことによって、ゆったりとしたグルーヴ感が生まれている。

3. Russians
 当時、意識的な英米のミュージシャンが政治的な立場を明言すること、社会情勢に対して過激な発言を連発することは、日常的な事だった。当時最先端だったシンクラヴィアのエフェクトに包まれながら、冷戦時代のアメリカとソビエトとの対立について歌っている。
 こんな政治的主張の強い曲がUS16位UK12位にチャート・インしたのだから、当時のポピュラー・ソングがいかに社会情勢と密接していたかがわかる。
 


4. Children's Crusade
 紛争地帯の少年兵士の事を嘆く、センチメンタルな曲。ここでのBranfordの切ないソロはもちろん聴きどころだけど、Sting(b)とのリズム・セクション・タッグのOmar Hakim(Dr)もまた、複雑な展開を難なく作り出している。末期のWeather Reportに参加、その後も様々なセッションを行ない始めた頃で、当時若干23歳、売出し中の若手だった。

5. Shadows In The Rain
 Police『Zenyatta Mondatta』収録のセルフ・カバー。前述のレビューでも書いたように、Policeヴァージョンは掴みどころのない地味な曲扱いだったけど、ここでは若手ミュージシャンと組むことによって、ジャズ・テイストのジャンプ・ナンバーとして見事に蘇った。バンド・マジック誕生の瞬間が垣間見えるナンバーであり、セッションの様子が生々しく記録されている。
 このナンバーではどのプレイも光っているのだけど、特に際立っているのが、当時Marsalis兄弟周辺のセッションを集中的にこなしていたKenny Kirkland(key)による、ファンキーな間奏ソロ。フュージョン・ブームに対抗する新伝承派ムーヴメントの中でデビュー、古典に忠実なスタンダード・プレイばかりが取り上げられていたけど、このアルバムでは印象が一遍、若さを剥き出しにした荒削りともいえるグルーヴを醸し出している。

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6. We Work The Black Seam
 エスニック・ムードあふれるリズムに合わせ、感情を抑えて歌うSting。ここでは少し『Synchronicity』時代を髣髴させる、後期Policeサウンドを展開している。
 自由奔放でアタックの強いStewartと、あくまでメインストリーム・ジャズのマナーに則って、硬軟取り混ぜたアプローチのOmar。この時代のStingには、Omarのプレイがしっくりきていたのだろう。

7. Consider Me Gone
 ブルース・テイストの濃い、ジャズ寄りのナンバー。Policeの前に所属していたジャズ・ファンク・バンドLast Exitの発展型とも取れるサウンドを展開している。ジャケット・フォトが象徴するように、モノクロ調のナンバーが並ぶアルバムの中でも、この曲は特に地味さが突出している。俺自身、アルバム・リリース当時はまだ二十歳前、こういった地味な曲はガンガン飛ばして聴いてたけど、40を過ぎてくると、こういったのもアリじゃね?と寛容な心で聴けるようになっている。
 こんな曲を30台半ばで作ってしまったこと、そしてそれをマス・セールスに乗せてしまう手腕は、改めて当時のアーティスト・パワーを感じさせる。

8. The Dream Of The Blue Turtles
 タイトル・ナンバーであり、1分少々のインスト・ナンバー。ここでの主役はKirkland。セッションの合間のお遊び的肩慣らし的なナンバーと思われるが、さすが実力派ミュージシャンの集団であり、キッチリひとつの作品として仕上げている。

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9. Moon Over Bourbon Street
 Stingが唯一アップライト・ベースを使用した純粋なジャズ・ナンバー。伝統的な4ビートをバックに、荘厳なオーケストラをバックに渋く歌い上げている。音数は少ないけど、かなり時間をかけてレコーディングしたと思われ、贅沢に磨き上げられたサウンドに仕上がっている。

10. Fortress Around Your Heart
 3枚目のシングル・カットで、US8位UK49位まで上昇。最初はクレバーなプレイだった演奏陣も次第に熱が入ってきて、大きなグルーヴを作り出している。Stingの饒舌なヴォーカルがそうさせているのだ。
 キャッチーさも併せ持つポップ・ソングながら、プレイヤビリティも満足させる、微妙なバランスの基で成り立っている、Sting渾身のオリジナル・ナンバー。
 





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