1983年リリース、6枚目のスタジオ・アルバム。セールス的に不利な2枚組でありながら、UK最高5位/シルバー・ディスクも獲得した前作『English Settlement』の勢いに続くはずだったのに、今回UKでは51位と大ハズシ、USでも大健闘48位だったのが、145位と大幅ダウンしている。
本人たちも述懐してるように、確かに地味なアルバムではあるんだけど、でも。さすがにここまで落ち込むとは、思っていなかったことだろう。普通の会社だったら、担当者のクビが飛んでも不思議はない。
マネジメントとの度重なるトラブルや手応えの薄いセールス状況も相まって、この頃のアンディ・パートリッジは神経性ストレスがMAXに達していた。「とにかく人前に出たくない」「ライブなんてやりたくない、スタジオに篭っていたい」など、もろもろのイヤイヤ期を発症しており、そんなどん底のメンタルが反映されていたのが、この『Murmer』。
ライブ演奏を前提とせず、スタジオ・ワークを駆使して作り上げられた密室パワー・ポップは、緻密に丁寧に組み上げられているんだけど、第2次ブリティッシュ・インベイジョン華やかなりし83年としては、地味だな確かに。そこからさらに雑味を抜いて、簡素なバロック・ポップにたどり着いた『Apple Venus』と比べれば、十分アクティヴではあるんだけど、同じヴァージンのカルチャー・クラブには太刀打ちできないよな。
中古レコードの通販をスタートとして、メジャー流通には載せづらいマニアックなプログレを主に取り扱っていたヴァージンも、80年代に入るとすっかりチャート至上主義に鞍替えしてしまう。ピストルズ〜P.I.L.やマガジンなど、ポスト・パンク期のレーベル・メイトは続々抜け、XTCの居心地は悪化する一方だった。
バジェットの大半がカルチャー・クラブやヒューマン・リーグに費やされる中、ビジュアル的なインパクトも薄い彼らへの期待値はわずかなものだった。バカ売れするとは誰も思っていなかったけど、それでもアルバムは制作しなければならなかった。契約は契約だ。
で、どうにかこうにか完パケしたらしたで、プロモーションの一環として、彼らも国内ツアーくらいはノルマとしてこなさなければならない。でもアンディが部屋から出てきてくれないので、それも叶わず。
レコードは売れない、バンドは被害妄想と疑心暗鬼に取り憑かれてるしで、コミュニケーション・ブレイクダウン。担当ディレクターもやる気なくしちゃうだろうし、そりゃ険悪になるわな。
アンディの発案でXTCは結成されたので、彼がフロントマンに収まるのは、当然の流れだった。アーティストとして、自身のビジョンを作品にできるだけ反映させたいと願うのは普通であり、むしろそれをゴリ押しするくらいじゃないと、独自色が出てこない。
曲が書けてギターも弾けて、歌うこともできる。メロディアスなバラードを歌うわけではないので、そこそこピッチが合ってれば、上手いヘタはそこまで重視されない。
要は人前で臆せず、歌いガナれるかどうか。多少のヤジではへこたれない、強靭なエゴとステージ映えするカリスマ性があれば、フロントマンとしての資格は充分だ。
思いつくまま挙げるとこんな感じだけど、そうなるとアンディ、ステージ映えには必須のカリスマ性においては、ちょっと弱い。後年、大量の未発表曲とデモ・テイクを小出しにして話題をつなぎ、世界有数のポップ馬鹿のポジションを築いてゆくプロセスからは、また別のカリスマ性を感じさせるのだけど、ビジュアル面はどんどん世間からズレる一方だし。
ビジュアル映えするというのは、ニューロマのようなファッション・センス云々ではなく、表現者としてのパフォーマンスの問題である。単純な見映えではなく、エキセントリックな言動やパフォーマンス、またはコンセプトなど。
シアトリカルな演出効果を施したりメーキャップに凝ったり、フォーメーション・ダンスや一糸乱れぬハーモニー・ワークだったり。はたまたステージで臓物ぶちまけたり重機持ち込んで暴れたりなど、まぁそこまで行っちゃうと極論だけど、要は「目立ちたい/誰かに認められたい」といった承認欲求の産物が、もろもろの表現衝動であって。
で、XTC。数少ない初期の映像を見てみると、あんまり面白くない。そりゃデビュー間もないから機材や衣装にかける予算もないし、またそんな風潮でもなかったから、一気呵成・勢い優先のバンド演奏になるのは仕方ない。前述したエンタメ的演出へのアンチテーゼとして、パンクが誕生したわけだから。
まともな3コードとも言えない楽曲をただガナり立てたり、エキセントリックな言動ばかりが目立って、肝心の楽曲がショボかったりする、多くのポストパンク・バンドと比べ、XTCは当初からまともだった。多分、そんな連中を反面教師として、「良い曲を最良の形でパフォーマンスする」ことを重視したことが、結果的にバンドの継続につながった。
そんな彼らの「純音楽主義/ビジュアル映えはそれほどちょっと」という基本コンセプトは、デビューから現在に至るまで、わりと一貫している。スクール・カースト的に中の下クラスで結成された軽音部を彷彿させる初期ピンナップから始まり、登録数少なそうな中年YouTuberみたいな風体のアンディ近影も、そういう意味ではまったくブレがない。
デビューから最終作まで、アルバム・ジャケットの変遷を追ってみると、まともなアーティスト・ショットを使用しているのは、デビュー作『White Music』くらいしかない。一応、『Black Sea』でも顔出しはしているのだけど、何の暗喩だかオマージュだか意味不明な19世紀の潜水服のコスプレでトーンも暗めだし、ハイセンスを狙ったとは言いがたい。
そう考えると、「60年代サイケデリック・リスペクトな屈折ポップ」というサウンド・コンセプトを投影させた、中期ビートルズ風にデフォルメしたイラストの『Oranges and Lemons』が、彼らのパーソナリティを最もうまく表現できているのかもしれない。変にこじれた中年トリオのパネマジとしては、よくできているとは思う。
奇をてらったパフォーマンスに頼るのではなく、純音楽主義に基づき、楽曲のクオリティを上げることでバンド活性化につなげていこうよ、っていうのが、中期以降XTCの成長戦略だったんだろうな。まぁそれも、あくまでアンディ個人の願望と妄想の産物なんだけど。
ライブ・バンドとしての彼らのキャリアは、おおよそ76〜82年までと短いもので、その後はスタジオ・ワーク主体の活動へシフトしてゆくこととなる。ネット環境が整った現在なら、Adoみたいに一切顔出しせずの活動も可能だったはずだし、また彼らクラスの知名度であれば、無観客ライブ配信も充分収益化できるのだけど、生まれた時期を半世紀くらい間違えちゃったのが、彼らの不運である。
メンタル不調がある程度落ち着いてからのアンディは、プロモーションの一環としてラジオ番組に出演、そこで無観客パフォーマンスを数回行なっている。なので、レコーディング以外の演奏がまったくダメなわけではない。
内輪でのラフなライブ演奏ならともかく、キッチリした段取りに則ってステージに上がるのが、とてつもないプレッシャーというだけで。今となっては、人前で演奏するより、懐古エピソードや御託ならべる方が多いため、それもやりたがらないだろうけど。
じゃあXTC、バリバリの現役活動時のライブ・パフォーマンスは、一体どんな感じだったのか。一応、79年に来日公演を行なってはいるのだけど、実際に見た人は相当レアだし音源も映像も残っていないので、確かめようがない。自国UKでさえ、キャリアの浅かった彼らの単独ライブはホールクラス程度だったため、やはり観た人は限られる。
のちに開陳された膨大な音源アーカイヴが物語るように、早い段階からデモ制作やレコーディングに注力していた彼ら、ライブへかける比重は相対的に少なくなっていった。なので、今世紀に入るくらいまで、彼らの動く姿を見る手段は、ごくごく限られていた。
80年代以降の彼らとリアルタイムで接してきた俺が思いつく限りでは、MTVでランダムにオンエアされる『Skylarking』以降のPVくらいかな。一応、それ以前の初期PVを集めたVHS『Look Look』が国内発売されていたのだけど、流通量が少なかったのか、現物を見たことがない。
なので、XTCのファンの多くは、全盛期のライブはおろか、まともに動く彼らを見ることさえ叶わなかった。「映像」=と「テレビ」と同義だった、北海道の中途半端な田舎の高校生は、ほぼ不意打ちのようにオンエアされる「Dear God」や「Mayor of Simpleton」を待ち望んで、深夜テレビを見続けるしかなかったのだった。
そんな時代もあったよね、と懐かしむのもいまは昔、バンド活動もフェードアウトし、半隠居状態となった近年に入ると、演奏する彼らの姿が手軽に見ることができるようになった。YouTube様さまだよ。
まだデビューして間もない79年のメンバーは、アンディとコリンに加え、バリー・アンドリュースとテリー・チェンバースのオリジナル・ラインナップ。ライブでの再現性を重視したレパートリーが多く、時に勢いづいて走り過ぎてしまうリズムも、まぁご愛嬌。ブランクを置かず、集中したスケジュールのおかげもあって、おおむねアンサンブルはまとまっている。
もうひとつは、82年のロックパラスト。この前年、アンディがステージ・フライトを訴え始め、ちょっとムリしていた時期に当たる。
『English Settlement』がスマッシュ・ヒットしたことで、ここでもうひと押しふた押し、と展開したいところだったのだけど、すっかりメンタルやられちゃったアンディ的にはそれどころじゃなく、居心地のいいスタジオに引きこもり続ける始末。それでもどうにか引っ張り出してみても、以前のテンションはどこへやら、心ここにあらず。
そんなアンディの心境を象徴するかのように、フェスの雰囲気もあるけど、ステージ・セットやライティングも全体的にダークな味わいが漂っている。この時期のサウンドになると、トリオでのライブ再現は厳しいので、テープ使用は仕方ないとしても、やる気のないゴシック・パンクのようなアンディのヴォーカルは、時に呪詛のように響いてたりする。
そんなテンション低めの状況で制作された『Mummer』だけど、先入観抜きで聴いてみると、当時からの持ち味であったポップなメロディと、ほどよくアコースティックなサウンドとがバランスよく配置された良作である。かつての沸点低めなパワー・ポップの面影、ギターをかき鳴らしてがなり立ててた「Statue of Liberty」のような高揚感は、どこにもない。
熱病のような昂りを否定するわけではないけど、それを再び演じられる場所に、彼らはもういなかった。がむしゃらで前向きだった、そんな蒼き熱血は、過去になったのだ。
ライブでの再現性、そこで得られるカタルシスを自ら放棄し、スタジオを根城としたアンディは、多重ダビングやエフェクトを駆使して、レコーディングの沼にはまり込んでゆく。エンジニアを務めたスティーブ・ナイもまた、アンディに負けず劣らずのスタジオおたくだったことから、暴走を止める者がいなかったことも、その後の彼らの方向性を決定づけてしまった。
もしアンディがそこまで思い詰めず、ライブ活動のペースを落としてバランス良く活動し続けていたら、『Mummer』ももう少しはじけたサウンドになっていたのかもしれない。それかもっと徹底的に、がっつりスタジオ・マジックの追求に走った末、シンクラヴィアまみれのテクノ・ポップに走る資質もあったはず。
なぜかそっちには行かなかったんだよな。『Mummer』もそれ以降もだけど、テクノロジーのトレンドを追うことはなかったし、ここで使われてるのもメロトロンだもの。
何が何でも人力にこだわってる風はないんだけど、まだ「変な音が出る箱」程度のスペックしかなかったポリ・シンセを使いこなすより、エフェクターやコンソールを駆使して変調させたサウンドを得ることにこだわっていたのが、当時の彼らだった。あ、どっちにしろ結果は「変な音」か。
演奏テクニックやメッセージ性をどんどん脇に追いやってライブ感を薄め、突飛なサウンドやジョンブル由来の皮肉とペーソスが取って代わったことで、XTCのバンド・コンセプトはマニアックなコアに向かって収斂してゆく。出口のない袋小路を延々とうろつくことは、病んだアンディにとっての対処療法であったのだ。
そんなポップ馬鹿の暴走を、結果的に食い止める役割を担っていたのが、もう1人のソングライター:コリン・ムールディングだった。アンディほどひねりのない、ポップの王道セオリーを踏襲した彼の楽曲は、ひとつの理想像であり、また手近な仮想敵だったとも言える。
1. Beating of Hearts
オリエンタル調のアラビックな旋律のイントロで幕を開ける。呪術的なアフロ・ビートをバックに、アイリッシュっぽいメロディやギターはあらゆるパターンで変調させたりして、ストレートな表現がどこにもない。
そんなエフェクトや細かい装飾を作り込んでゆくことが、この時期の彼らであり、『Mummer』の主題だったのだな、と気づかされる曲。そりゃ全体的にサウンドは古いんだけど、アイディアの方向性は今も十分通用する。
2. Wonderland
テクノ・ポップ風味のシーケンス・ビートと、中期ビートルズのポール・マッカートニーが書きそうな、キャッチ―なフックを散りばめたメロディは、コリン・ムールディングによるもの。みんな驚かせる「変な音」に執着していたアンディに対し、彼の場合は比較的まともで、実はシングル・カットされているナンバーも地味に多かったりする。
コリン的80年代解釈による「Strawberry Fields Forever」といった趣きのサウンド・プロダクションは、ヒット・チャート上位に食い込むほどの貪欲さには欠けているのだけど、比較的まともなのを選ぶとしたら、これくらいしかなかったのだろう。苦労したよな、ヴァージンの担当者。
3. Love on a Farmboy's Wages
タイトルが示す通り、サウンド的にもほぼ何のひねりもない、牧歌的なフォーキー・チューン。このレコーディングを最後に脱退することになるテリー・チェンバーズを引き留めるため、アンディはこの変則シャッフル・リズムを思いついたらしいのだけど、あんまりお気に召さなかったらしい。
普通に叩かせればいいものを、何でこんなひねくれたリズム・アプローチにしちゃうんだろうか、と思ったけど、インパクト薄い曲だから、こういったアクセントがないと、印象薄いか。でもそれならそれで、ほかにもっといい曲あったんじゃね?とも思ったりもする。
それでもポップ・ユニット:XTCとして、アルバムの中ではわかりやすいメロディということだったのか、一応、シングル・カットもされているのだけど、結果はUK最高50位。ま、こんなもんか。
4. Great Fire
かつてはそこそこライブ・サーキットを回っていた彼らの面影を、多少思い起こさせてくれるナンバー。全盛時とまでは行かないけど、そこそこバンド・アンサンブル感が出ており、シングル・カットされたのもうなずける。
ただ後半に入るにつれてストリングスが入ってELOっぽくなったり、フェイザーやエコーかましたりして、曲調が目まぐるしく変化してゆくのが、とっ散らかった印象として残る。あれもこれも詰め込んだ結果、それでも4分弱でまとめるのはさすが。
スタジオ・ワークに専念すると、ここまでのものができる。でも、いいモノを作れば、必ず売れるわけではない。世に広く知らしめる手段が必要なのだ。そのためのプロモーション活動だったりライブ・ツアーだったりするわけで。
5. Deliver Us from the Elements
コリン作による、ミステリアスなポップ・チューン。「まだまともな方」としての認知が高いコリンだけど、やはりアンディの毒気に多少煽られたのか、グレゴリオ聖歌みたいな多重コーラスや、火山爆発みたいなエフェクト、テープ逆回転させていたり、実は何かと実験的。のちのサイケ・ユニット:Dukes Of Stratosphearにも嬉々として参加していたくらいだから、そういった資質はあるのだろう。
6. Human Alchemy
同時代ではピーター・ガブリエルがアフロ・ビートに傾倒していたように、西欧音楽の限界を見たアーティストらが、未知の第三世界リズム/サウンドを取り込んでいた時期にあたり、アンディもまたキャリアの初期からレゲエやダヴなど、果敢に取り組んでいた。
ガブリエルにもアンディにも、またデヴィッド・バーンにも共通することなのだけど、真摯にのめり込めばのめり込むほど、その不定形なビートと旋律は、彼らのサウンドのコアから遊離してゆく。どれを聴いてもそうなんだけど、借り物的なミスマッチ感は否めない。
これって悪い意味じゃなく、そんな食い合わせの悪さが起こすケミストリー、いわば相容れなさから誘発されるギャップこそが、彼らのオリジナリティである、と言いたいのだ。特にアンディ、グルーヴ感からは程遠いんだよな。
ただ、そういった偶発性の最たるものであるライブ感の否定、細かくシミュレートされた工芸品的サウンドというのが、当時のアンディ/XTCの理想形だったわけで。本人が聞いたらあんまりいい気はしないだろうけど、ニュー・ウェイヴの系譜的には正しいサウンドなんだよな、この曲って。
7. Ladybird
『Mummer』のラインナップの中では、最も彼らのルーツに忠実な、中期ビートルズ・テイストの濃いポップ・チューン。時期で言えば『Rubber Soul』あたり、『Revolver』に行かず、そのままキャリアを重ねていけば、こんな感じになったんじゃないかと思われる。
スタジオ室内楽っぽさは、のちの「Chalkhills and Children」~『Apple Venus』につながる系譜であり、とっ散らかったポップ馬鹿テイストを好む層からすれば、オーソドックス過ぎるんだけど、アルバムの流れ的には、こういった箸休めも必要なんだよな、と勝手に納得してしまったりする。
8. In Loving Memory of a Name
アンディとしては比較的まともなポップ・バラードの後に続く、コリンのナンバーだけど、ここでは立場が逆転して、こっちの方が変化球が多い。耳ざわりの良いポップな曲調なんだけど、ドラム・パターンがやたら走ってたり変な転調があったり、後半のコーダ突入あたりからまたテープ逆回転が入ったりして、実はカオスだったりする。
9. Me and the Wind
アンディの声質が『Skylarking』以降になってるな、という印象。もうライブに合わせてキーを低めにしたりすることもないので、こういった曲調もレコーディング的にアリなのだろう。
音数はそんなに入っていないのだけど、オペラチックなアンディのヴォーカルが全体を引っ張っており、そういう意味で言えばもっともソロっぽさが出ているのが、この曲。様々なエフェクトによる小ネタも適度に効いており、地味だけど案外良曲。
10. Funk Pop a Roll
とは言っても、ラストに収録されたコレ、パワー・ポップ・テイスト全開のアッパー・チューンに全部持っていかれてしまう。なんだ、まだライブっぽくできるじゃん、と錯覚してしまいそうだけど、このテンションを続けることができなくなってしまったのだ、彼らは。
最後、アンディが「バイバイ」とシャウトするエンディングといい、最高なんだけど、多分、負のパワーだったんだな。地球上で彼らは3分しかテンションが持たないのだ。