1985年リリース、15枚目のオリジナル・アルバム。チャート的にはUS61位・UK25位と、まぁそこそこのポジション。80年代前半のヴァンのチャート・アクションは、ほぼこの辺が指定席であるけれど、多くの同世代アーティストの中では健闘している方である。
ニュー・ウェイヴ以降、MIDIを始めとする楽器テクノロジーの劇的変化に翻弄され、多くのベテラン・アーティストがこの時期、「やっちまった」感のある作品を連発し、だいたいが玉砕している。ポール・マッカートニー『Press to Pray』然り、ミック・ジャガー『Primitive Cool』然り、80年代中盤のディラン一連の作品然り。
今でこそみな、何ごとにも動じず悟り切った雰囲気だけど、いま挙げた人たちはこの時代、多かれ少なかれ迷走期を経験している。「時代に即したサウンド・アプローチに載っからないと」と、レコード会社に尻を叩かれて、不似合いなシーケンスまみれのデジタル・サウンドやダンス・ミックスをリリース、それまでのファンから失笑されて赤っ恥かいたアーティストの多いこと。
トップ40やニュー・ウェイヴから一歩進んで、「大御所ディランにも手を伸ばしてみようか」と思い立ち、無難に『Blonde on Blonde』や『Highway 61 Revisited』あたりを選んどきゃよかったものを、何を血迷ってか手にしたのが、当時の最新作『Knocked Out Loaded』。…バカだ俺。肩透かし感もハンパない。
本人的にもこの時期は黒歴史と思っているのか、Bootleg Seriesでも取り上げる気はなさそうである。まぁそんなに需要もなさそうだし。
ヴァンの場合、時代によって多少の変遷、サウンドのニュアンスの違いはあるにはあるけど、本流からそこまで逸脱したものはない。ソウルフルなヴォーカルを軸に組み上げられたアンサンブルなので、それを脅かす形にはならない。なので、どの時代からピックアップしても、そんなに大きなハズレはない。
ただ、安定している分だけ変化に乏しいという難点もある。ブレの少ない品質を安定供給し続ける彼の存在は、多くのアーティストにリスペクトされているのだけれど、不特定多数のユーザーに行き渡るほどの明快さがないため、ちょっと伝わりづらくて敷居も高い。
海外ではディランと並ぶビッグ・ネームだというのに、日本での人気は相変わらず「ない」に等しい状態が続いている。「来日していない最後の大物」という言葉も今は昔、今さらアジアをターゲットにしようだなんて思っていないだろうし、わざわざ招聘しようとするイベンターだって、多分いない。
それなりのポジションゆえ、ライブ会場も大収容の武道館クラス、もしくはプレミア感優先のビルボードあたりを用意しなくちゃならない。とはいえ、日本におけるヴァンのポジションを考えると、どちらのケースも採算・集客的にちょっと難しい。
そんな按配なので、日本のレコード会社も今さらプッシュする気もなさそうである。営業側から見たポジションとしてのヴァンは、現役の懐メロ歌手的ポジションのため、リスクを背負って新譜キャンペーンを張っても、大したリターンは見込めない。
なので、『Moondance』と『Astral Weeks』だけが、定期的にリイッシューされ、他の年代のアルバムはガン無視、といった状況が数十年続いている、といった具合。
以前のレビューでも書いたけど、世間一般的にヴァンのクリエイティヴィティのピークは、70年代前半あたりとされている。多くのディスク・ガイドやレビューでも、ピックアップされるのはこの時期に集中している。
なので、80年代のヴァンを取り上げたレビューは、あんまり見たことがない。前述した他のベテランと比べて、流行りに惑わされず堅実な仕事ぶりが顕著なのだけど、破綻がない分だけ面白くないのかね。キャラは濃いんだけど、頑固一徹と偏屈さばかりがイメージ先行して、どうにもいじりづらいのが災いしてるのか。
リリースされた当時、北国の中途半歩な田舎の高校生だった俺は当然、このアルバムの存在を知らずにいた。俺的にほぼ同カテゴリだったディランなら、まだそこそこの基礎知識はあったけど、当時のヴァンの情報なんて皆無に等しく、80年代の活動を知ったのは、ずっと後になってからだった。
前述の2枚がほぼどのディスク・ガイドにも載っていたため、当時も名前くらいは知ってたけど、それ以上先へ興味が行くことはなかった。ラジオでも耳にする機会がないので、出逢いようがない。
ましてや80年代の田舎、店頭には視聴機もなければ貸しレコにも置いてるのを見たことがない。コンスタントにリリースを続けてはいても、日本ではまともに紹介されないので、いつまで経っても「まだ見ぬ大御所」的イメージばかりが先行していた。
そんな地味な状況にちょっとだけ風穴を開けたのが、アイルランドのトラッド・バンド:チーフタンズとのコラボ作『Irish Heartbeat』だった。これまで培ってきたジャズだニュー・エイジだブルー・アイド・ソウルだを一旦チャラにして挑んだ、ほぼ直球ストレートのアイリッシュ・トラッド作品である。要するにドメスティックな民謡なのだけど、そこで見せた無骨さがキャリアに箔をつける結果となり、英国では久々のヒットとなった。
ここ日本でも、当時エスニック/トラディショナル関係には諸手を挙げてウェルカムだったミュージック・マガジン界隈が盛り上がった。インテリ崩れのスノッブが飛びついたことによって、コップの中の嵐はちょっとだけ波立った。まぁ広く外へ向くことはなかったけど。
『Sense of Wonder』の前にリリースされた『Inarticulate Speech of the Heart』は、UKでは24位とそこそこの成績だったのだけど、なぜかニュージーランドでは最高4位と、思いもよらぬところでバズっている。イギリスとは地理的に思いっきり正反対だし、共感する部分は恐ろしく少ないはずなのだけど、一体ヴァンの音楽のどこが彼らのツボにはまったのか。
思惑と違った部分でウケたことでヘソを曲げたのか、これを機にヴァン、突如音楽業界からの引退を宣言してしまう。極端な浮き沈みを経験することもなく、クオリティを大きく損なった様子でもない。この時期、一体何があったというのか-。
70年代末から、スピリチュアル/宗教色の濃いコンセプトのアルバムを連発していたヴァン、そのストイックな趣きは、余人を近寄せない求道者そのものだった。多くの同世代アーティストが時代に乗り遅れまいと無様な若作りに励むのを横目に、ひたすら動ぜず我が道を貫く道を選んだ。
ただ、どれだけ行き着いても終着点はない。それくらい、自己研鑽の道のりは果てしなく、そして尽きない。
先の見えぬ探求の袋小路に見えるのは自己批判であり、耐えられなくなった者は、他者に救いを求める。それを人は「宗教」と呼ぶ。
そういえばディランもこの時期、ユダヤ教に改宗した、とか何とか騒がれてたよな。
そんな袋小路を回避したのかそれとも飛び越えちゃったのか、前言撤回してリリースされたのが、この『Sense of Wonder』。表面的には、90年代以降の豪放磊落な俺様伝説の萌芽が見て取れる。
いわゆる人生やら哲学やら宗教やら、突き詰めればキリがないプログレッシブなテーマから解放されたのかと思われる。でも、声の張りにはまだデリケートな揺らぎが窺える。
「常に前進していなければならぬ」といった強迫観念と、「まだ極め足りない」という渇望との板挟みがそうさせたのか、ソフトAORと竹を割ったようなソウルとの微妙な混ざり具合。虚ろな確信を頼りに、次の音/次の言葉を探るその姿からは、わずかなブレが垣間見える。
「これでいいんだ」「間違いないんだ」と信じる背中。そう絶えず言い聞かせながら、前のめりにヴァンは前へ進む。
大英帝国的にはドン底とも言えた1985年、シーケンスやサンプリング、フェアライトに惑わされることなく、私小説的な精神世界を描き切った点は、もっと評価されても良い。変にエンタメにおもねったりせず、苦悩を苦悩のままさらけ出すその勇気は、他のアーティストより一歩も二歩も先んじている。
この鬱屈した時期を乗り切ったことが、90年代以降の俺様伝説への自身へとつながっている。単にこじらせていたわけじゃないのだ。
Sense of Wonder
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1. Tore Down a la Rimbaud
「伝説の詩人」というより、「ポール・ヴェルレーヌを愛欲に狂わせた早熟の美少年」という評判の方が高い、アルチュール・ランボーを歌った楽曲。もともと着想を得たのが1975年で、完成させるまで10年かかったといういわくつきの曲でもある。
ほどよく抑制されたファンキー・サウンドをバックに、力強いヴォーカルを響かせるヴァン。テーマとは裏腹に、BL要素はまったく見られない。
2. Ancient of Days
ギターのオブリガードが小気味よい、1.と同じテイストのほどよくソフト、ほどよく泥臭さの漂うチューン。ヴォーカルもちょっと肩の力が抜けており、90年代以降のふっ切れたサウンドに近い。このまま行っちゃえばよかったのにね。
3. Evening Meditation
タイトルにMeditation(瞑想)なんてワードが入ってるくらいだから、ちょっとメランコリックに寄っている。ハミングともスキャットとも取れるケルト風のメロディは、ムーディでアルバム・ブレイクとしてちょうどいいんだろうけど、多分、顔はしかめっ面なんだろうな。そんな情景が伝わってくる。
4. The Master's Eyes
ディランの「Basement Tapes」のアウトテイクって言ったら、100人中5人くらいは信じちゃいそうな、ザ・バンドみたいなカントリー・ロック。大陸的なゆったりしたリズム、ほど良くゴージャスなホーンと女性コーラスは、ライブ映えするだろうし、これはこれでいいのだけど、85年だよ?さすがに時間軸がずれまくっている。
5. What Would I Do
レイ・チャールズのカバー。偉大な先人にリスペクトしているのか、いつもよりちょっと丁寧に、情感を込めて歌いあげている。LPレコードではA面ラストを飾っているので、その辺も意識しているのか。この時代、ハモンドの響きは古臭く聴こえていただろうけど、一周回って30年も経つと、この音以外はハマらないよな、と思えてくる。
6. A Sense of Wonder
B面トップを飾るタイトル・チューン。シンセがちょっと前に出たAORとホワイト・ソウルとのハイブリッド。トラック数が多く、ちょっとスピリチュアル風味も添加しているため、エコー成分もちょっと多め。当時まだ四十路に入るか入らないかだったはずだけど、もう神格化しようとしていたのか、それとも周りからはやし立てられていたのか。まぁ、こっちの路線にドップリ行かなくて正解だったんだろうけど。
7. Boffyflow and Spike
始めからコッテリお腹いっぱいだったため、箸休め的なインスト・チューン。軽快なギター・リフによる出だしから、とうとうヴァンもニュー・ウェイヴの煽りを受けたのか、と思ったけど、ケルティックなフィドルが入ってきて、あぁやっぱり、と思った次第。クレジットを見ると、演奏は若手ケルト・ロック・バンドMoving Heartsによるもの。6.でもバッキングを担当しており、どうりでテイストが違うと思った。こういうのって、聴くだけじゃわからない。やはり最低限の情報とインフォメーションは必要なのだ。
8. If You Only Knew
ブルース・テイストの濃いジャズ・ピアニスト:モーズ・アリソンのカバー。ジャジーなロッカバラードというかファンキーなジャズ・ヴォーカルというか、カテゴライズなんてしゃらくさいモノを蹴散らしてしまう、カッコ良さしか伝わってこないチューン。ホット&クールの使い分け、そしてクレヴァ―なバッキング、セクシーな女性ヴォーカル。
時代なんて関係ない。スピリチュアルもニュー・エイジも吹っ飛んでしまうキラー・チューン。
9. Let the Slave (Incorporating the Price of Experience)
と、舌の根も乾かぬうちに畳みかけてほしいところだけど、煌びやかなステージが暗転したようなアコースティックなバラード。カバーならはっちゃけることができるけど、いざ自作曲になると内面をさらけ出そうとしちゃうのが、この時期のこの人の難点。後半はたっぷりモノローグで埋めちゃうし。そういうのはいいんだって。
10. A New Kind of Man
テイストが似ていることから、おそらく1.と同じセッションで録られたと思われるラスト・チューン。いろいろあったけど、終わり良ければすべて良し、といいたいところ。少なくとも、次回作への明るい展望が見られる力強いソウル・サウンド。
と言いたかったけど、次回作はシリアスな『No Guru、No Method、No Teacher』。眉間のしわはまだしばらく取れそうにない。
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