俺が思い出せる限り、デビューしてからメンバー・チェンジを行わず、不動のメンツで活動し続ける最古のバンドは、おそらくU2である。他にもいるのかもしれないけど、取り敢えず思い浮かばない。多分他にもいると思う、知らんけど。
長いキャリアを持つバンドにありがちで、例えばストーンズなら「レーベル設立前が一番」「イヤイヤ、ビル・ワイマンが抜けてから尻上がりに良くなってるよ」とか、サザンなら「『Kamakura』前まで」「やっぱデビュー前が一番彼ららしかった」って、レアな意見もあったりする。共通するのは、やはり最初に聴いた作品が思い入れも深く、何回も聴き直したりすることも多い。
俺にとってのU2もまた同様で、聴き返すのは『The Joshua Tree』周辺の作品が多い。彼らが世界的なブレイクを果たし、日本で紹介されることが増えたのもこのアルバムからなので、俺のようなアラフィフ世代のU2ファンは、日本で大きな割合を占めている。
「尊大な怖いもの知らずでエモーショナル」なヴォーカルと、「態度は控えめながら、アレンジの引き出しの多い」コンポーザー兼ギター、「態度は控えめ・プレイも控えめ」なリズム・セクションらの勢いは、80年代UKロック・シーンを席巻した。と言いたいところだけど、初期のU2はたんなる「実直なギター・バンド」でしかなく、他のバンドとの優位性がイマイチあやふやだった。
多彩なギター・サウンドなら、狡猾なキュアー:ロバート・スミスの方がバリエーションもあり、演出力も秀でていた。アイルランドの独立問題や宗教観をリアルに活写したメッセージ性においても、まだ現役だったクラッシュの方が明快でインパクトがあった。
爛熟期の80年代UKロック・シーンは、ゴシック/ハードコアからネオアコまで、極端に玉石混合なジャンルが乱立していた。まだキャラ確立されていない初期U2サウンドは、まぁ若手としては器用だけど、いわば類型的ギター・ロックの延長線上の域を出ず、UKローカルの域を出なかった。
彼らが一歩抜きんでるには、もうひと工夫必要だった。
サウンド・コーディネートの多くを担っていたエッジが、この時点でギタリストとしてのエゴを優先して、あの浮遊感あふれるディレイとリヴァーブにこだわり続けていたら、U2のポジションは全然違ったものになっていたはずである。ギターいじりが昂じて、マイブラ先取りしたシューゲイザーのフロンティアくらいにはなっていたかもしれないけど、まぁ売れないわな。
トータル・サウンドの完成度を高めるため、彼らはブライアン・イーノとダニエル・ラノワの子弟コンビををサウンド・プロデュースに迎える。何となく想像つくと思うけど、師匠イーノが思いつき担当、忠実な弟子ラノワが実務担当。
既存のロック・バンドのセオリーである、ギター中心の音作りからの脱却が、『焔』のサウンド・コンセプトだった。複層的にダビングされたギター・サウンドは、トラック数を大幅に絞り、リヴァーブを深め静謐なシンセで隙間を埋めた。
ひとつひとつの楽器パートのボトムを重視し、際立たせることで、トータル・サウンドに深みが増した。手のうちをすべて明らかにするのではなく、曖昧でミステリアスな部分を敢えて残すことが、イーノの思惑だった。
ボノの発する声も言葉も、サウンドに倣い、変容していった。直情的な告発や不満を書き連ねていた初期とは違い、『焔』からのボノは、ある種の使命感をまとうことを意識して振る舞い、そして言葉を発した。堅牢なサウンドに裏打ちされたボノのパフォーマンスは、次第にカリスマ性を増してゆく。
バンドとプロデューサー・チーム双方のアーティスト性、そしてマーケットのニーズとが次第に擦り合わされ、最初の到達点となったのが、『The Joshua Tree』だった。発売当時からすでに最高傑作とされ、日本を含む全世界でブレイクのきっかけとなったのが、このアルバムだった。
そのスターダムへの過程を、リアルタイムで目の当たりにしていた俺世代のロック・ファンにとって、U2は避けて通れない存在である。もう好きとか嫌いとかを抜きにして、いわば問答無用の存在感を有しているのが、この『The Joshua Tree』というアルバムである。
いわば最初の到達点、すべて吐き出しちゃった感があったのか、その後のU2はサウンド・コンセプトのフレキシブル化、言っちゃえば紆余曲折を辿ることになる。ある意味、ここからがリ・スタートと言うべきか。
UKギター・バンドとしては、自他ともに認める完成度となった『The Joshua Tree』によって、サイケデリック・ファーズともアラームともG.I. オレンジともミッドナイト・オイルにも、大きな差をつけたU2。普通なら調子こいてしまうところだけど、その辺はクソ真面目でストイックな彼ら、次回作のコンセプトで迷走することになる。
並のロック・バンドなら、無難な売り上げキープとファンのニーズに沿って、『The Joshua Tree』の二番煎じ・三番煎じと行くところだけど、潔いというか意識高いというか、その線は選ばなかった。「ロックは常に成長しなければならない」という使命感の前では、それは不誠実だった。
別の選択肢として、取り敢えずやみくもに前に進むことをやめ、「一旦立ち止まって原点回帰」というルートもある。バンド結成時の理念に立ち返り、自分たちが影響を受けたクラシック・ロック、さらに遡ってリズム&ブルースをモチーフにするとか。
で、当時のU2サウンドになかった要素というのが、そのリズム&ブルースを含めたブラック・ミュージック全般。サン・シティ・プロジェクトにて、キース・リチャーズとロン・ウッドとレコーディングすることになって、ブラック系全般ズブの素人だったボノが、ストーンズ組2人から指導を受けて、どうにかこうにか「Silver and Gold」を書き下ろした、っていうのは、わりと有名なエピソード。「パンク以前のレコード・コレクションは持ってない」と豪語していたのが、当時のボノ。いやいやビートルズやストーンズ1枚くらいはあっただろ、世代的に。破天荒だったんだな、ボノ。
で、そんな出逢いがきっかけだったのか、次作『Rattle and Hum』は、ブルースを主体とした、アメリカン・ルーツ・ミュージック全般へ大きく舵を切ることになる。ある種、殉教者的な佇まいを見せていた『The Joshua Tree』から一転して、泥臭いマッチョイズムと荒々しいライブ感が、新展開のU2だった。
ただ、もともとブルースにそれほど思い入れのない彼ら、例えばB.B.キングとのコラボ「When Love Comes to Town」に顕著なように、どこか取ってつけた感/無理してる感があったことも、また事実である。「真面目に努力してブルースを学習する」彼らの姿勢は、素の持ち味がにじみ出ており、それはそれでまた面白いのだけれど、でも自分たちでも「これじゃない感」があったんだろうな。
なので、この路線は単発で終わる。アーティストとしてのポジションは爆上がりしたけど、純粋な音楽的成果としては、やや不首尾だったのが、この時期。ここまでが80年代。
ルーツ探しの旅にけりをつけ、再び新規巻き直しとなった90年代U2。無難に収めるなら、ほんとの原点回帰で『焔』〜『The Joshua Tree』の焼き直し、または潔く解散というルートなのだけど、彼らが選んだのは、ベテランとなってしまった「ロック・バンド:U2」の解体だった。
で、ここからちょっと駆け足になるけど、シーケンス・ビートを多用し、クラブ・ユースを強く意識した『Acthung Baby』、さらにテクノ要素の大幅増によって、ダンス+アンビエント色を強めた実験作『Zooropa』と続く。清廉潔白公明正大質実剛健なイメージだったボノもまた、露悪的な発言や冒涜的なステージ・コスチューム、歌詞の内容も官能的だったり不条理さを際立たせたり、これまで培ったパブリック・イメージの破壊に勤しんでいる。
フロントマンとして、率先して「80年代U2の自己否定」を実践していたボノ、この時期から過剰なトリックスターとして、悪魔に扮したメイクで「俺がマックフィストだ」とのたまったり、インタビューでも毒を吐きまくったり。ただこれらのパフォーマンス、神格化されて抹香臭くなってしまったU2の軌道修正の一環であることを忘れてはならない。
彼らのレパートリーの重要曲である「Lemon」や「Numb」、「One」が生まれたのはこの時期であり、80年代のストイシズムな視点からは生まれ得なかった作風である。清濁あわせ飲むことによって、表現力に幅と深みが生まれ、既存曲の解釈=当時のステージ・パフォーマンスにも、それはあらわれている。
で、やっと辿り着いたよ『POP』。前2作はまた別の機会に書くとして、今はこっちを書きたかったのだ。
「80年代U2=ロックバンドのフォーマット」の自己否定を推し進め、ダンス・ビートを追求した彼らが行き着いたのが、ディスコのリズムとサウンドだった。8ビートの対極として位置づけた、フィジカルの強化、そして下世話な世界観は、既存イメージの破壊行為として、かなり振り切れたものだった。
先行シングルがそのまんま、「Discothèque」。やっちまったな。U2ファンだけじゃなく、世界中のロック・ユーザーが同じ思いだった。そこまでやる?
前作『Zooropa』までの製作陣は、イーノやラノワなど、多かれ少なかれロックに関わりのあるスタッフで占められていた。どれだけ暴走したとしても、それはロックの範疇で行なわれたものであり、振り回されていたファンやメディアにとっても、何とか着いていこうと思わせるところがあった。
ただ『POP』では、その常連イーノとラノワの名はなく、ソウルⅡソウルやゴールディを手掛けたハウィー・Bが、共同プロデュースとして初参加している。マッシヴ・アタックからビョークまで、当時はヒット請負人的なポジションだった彼を押さえちゃうくらいだから、金に糸目つけなかったんだろうな、きっと。
既存ロックからのはみだし加減には拍車がかかり、ハウィーの代名詞でもあるトリップホップを始め、ブレイクビーツやテクノ・ビートの使い方も大胆となり、アルバム冒頭3曲でのロック的要素は激減した。特に「Discothèque」は、ロックはおろか、ボノのヴォーカル以外、U2の要素を探すことが難しい。
しつこいようだけど、その「Discothèque」の「これじゃない」感、「デジタル世代を意識して最先端に仕上げたつもりだけど、限りなくダサい」アルバム・ジャケットの微妙さは、翻弄されながらもどうにかしがみついていた当時の俺でさえ、遂に振り落とされた。タワレコでほぼ発売日に速攻買ったんだけど、たいして聴かずに速攻売っぱらっちゃったのも、いまは昔。
U2ファンの間では極めて評判の悪い、まるでなかったことのようにされている『POP』。ただ、リリースからほぼ四半世紀、俺もU2も歳を取った。恥ずかしい過去もまた、それはそれでいまの自分を形作ってきたことは間違いないのだ。
アラフィフとなり、いろいろと寛容になった俺は、そんな彼らも含めて受け入れることにした。「どんな駄作だって、いいところはあるよきっと」と、上から目線の気持ちで久しぶりに聴いてみたのだった。
そんな経緯だったので、正直、全然期待してなかったのだけど、当時、乗り越えられずにいた3曲目を過ぎてからは、印象が変わってしまった。「アレ、こんなに良かったっけ?」。
ディスコだダンス・ビートだトリップホップだグラウンド・ビートだというコンセプトで作られているのは冒頭3曲だけで、それ以降はちゃんとロック・スタイルのU2である。もちろん、先祖返りのUKギター・ロックではなく、シーケンスやエレクトロニカも自分たちなりに消化して、アンサンブルとの親和力を高めている。
かつてエッジが発明した、繊細に空間を埋めるディレイ・サウンドは少なく、ボディのナチュラルな鳴りを活かしたプレイが中心となり、ボトムの太さが際立った。ディテールよりグルーヴ感を優先したリズム・セクションは、16ビートを通過したこともあって、もったりした重さから解放されている。
バンド・コンセプトの言い出しっぺであるボノはといえば、これがまったく変わりない。ボノは相変わらず、ボノのまま。尊大な自信はさらに勢いを増し、若き血潮がたぎる使命感は、世界を憂うほどまでになった。
なので『POP』、何かと誤解されることの多いアルバムである。俺のように、3曲目の壁を乗り越えることができれば、90年代に対応した進化形U2を堪能できるのだけど、リリース当時は力尽きてしまったのだった。そんなのは多分、俺だけじゃないはずだ。
もうちょっと要領よく考えたら、冒頭3曲だけ分割して、マキシ・シングルでリリースしたり、それか思いっきりクラブ層にターゲット絞って、12インチ・シングル切っちゃう手もあったはず。部外者で素人の俺がそう思うくらいだから、スタッフもいろいろ案はあったと思うんだけど、バンドとしては、そうはしたくなかったんだろうな。「こういうのもロックだし、U2だし」ってことで。
1. Discothèque
当時はボロクソに酷評されたというより、「えっ…、こんなんなっちゃってるの?」という戸惑いの方が多かった、U2史上最も暴挙と喧伝された先行シングル。とはいえ、US10位・UK1位と堂々の成績を残しており、市場には一応受け入れられたという形。まぁ話題性は充分だった。
で、四半世紀経ち、あんまり先入観を入れずに聴いてみたところ、普通にクールなデジ・ロックとして成立している。まぁこれをU2としてやったから、あれだけ騒がれたんであって。
取り敢えず「ディスコ」をお題を先に決め、「ディスコ」ってワードを入れてプレイしてみたら、案外形になっているっていうか。ベーシックのバンド・サウンドはクレバーで、まぁボノがちょっとテンション高いけど、結局、ちゃんとしたU2ブランドで成立している。
2. Do You Feel Loved
ドラム・ループを効果的に使った、同じくビート強めのデジ・ロック。この時期、ナイン・インチ・ネイルズやスマッシング・パンプキンズ、P.J.ハーヴェイなど、主にUSオルタナ系との仕事を手掛けていたフラッドをメイン・プロデュースに起用していたことも、『POP』のクオリティの高さにあったんじゃないか、と今ごろになって気づいてしまう。
もしかしてボノ、彼が同時期に手掛けていたデペッシュ・モードとの仕事を見て、「なんかあんな感じで」とか言ったんじゃないかと思われる。いやいやあんたら、あそこまで振り切ってグルーヴできてないし。
3. Mofo
『Acthung Baby』以降、ロック・バンドとしてのグルーヴ感は獲得できた彼らだけど、ダンス・チューンの場合となると、使う筋肉も感覚もまた違ってくる。『POP』収録曲の中で、最もハード・テクノ~エレクトロ色が強いチューンで、ボノのヴォーカルもバンド・アンサンブルも、ここではパーツの一部でしかない。
「Lemon」同様、若くして亡くなったボノの母親について書かれた歌で、抒情的で切ない内容なのだけど、サウンドはその正反対で、かなり自己破壊的。当初、ブルース・ナンバーとして書かれた「Mofo」は、紆余曲折を経て、最も激しさを増したアレンジで彩られた。
その真意は、誰にも知りえない。
4. If God Will Send His Angels
EU諸国で4枚目のシングルとしてリリース、UK12位。4枚目のカットとしては、なかなか健闘した方。多少、シンセのエフェクトは入るけど、ほぼバンドでの演奏がメインとなった、いわばここからが通常営業。
こういった曲調は80年代にもよくあったので、古くからのファンは馴染みやすいけど、もしかして3曲目までが好きなファンだったら、逆に古臭く感じるのかもしれない。まぁ昔よりはもう少しくだけて、地に足の着いた感じはあるけど。
5. Staring at the Sun
ほぼ出オチみたいなインパクトを持った「Discothèque」以降、エレクトロとバンド・セットとのすり合わせが消化不良だったけど、ここに来て一気にクオリティが上がる。言い訳不在のバラード・メロディに骨太のアンサンブル、それでいてアウト・オブ・デイトに寄り過ぎないスタジオ・ワーク。
US26位・UK3位はなんか中途半端なチャート・アクションだけど、間違いなくこの時期のベスト・パフォーマンス。カナダとアイスランドでは首位獲得していることから、緯度が高く日の短い国では、共感できるのだろう。なんだそれ。
6. Last Night on Earth
このアルバムのレコーディング中に「POP Mart」ツアーを行なうことが決定し、タイトなスケジュールとなった末、最後にレコーディングされたのが、『Zooropa』セッション中に書かれたこの曲。要は当時、ボツだったってことなんだけど、よくこんな曲お蔵入りさせたよな。「みんなが思うU2」としては、理想的なサウンドだもの。
ただ、その出来の良さ、いわば「端正にまとまってる」感が、当時の「U2の自己否定」というコンセプトにはそぐわなかった、ってことなのだろう。時間がなくてアウトテイクを流用したって結果ではあるけれど、逆にこの曲が世に出るきっかけになった、ってことなので、それはそれで結果オーライ。
7. Gone
ここ数年、やさぐれたヴォーカルが多かったボノ、当時としては珍しく、ストレートにエモーショナルなスタイルで歌っている。細かいシーケンスやサンプリングなどの小技はあるけれど、ここはバンド・セットが主役。
あんまりソロらしいソロを弾くことのない、エッジのギター・プレイが大きくフィーチャーされている楽曲なので、ライブの定番となっており、ファンの間でも人気は高い。デジ・ロック風味はまるでないけど、あからさまなエレクトロ臭がないこともあって、この辺が90年代U2の到達点だったんじゃないかと、個人的には思う。
「10知るためには、12調べなければならないし、じゃないと気が済まない」って言ってたのは大瀧詠一だったけど、確かに両極端を知らなければ、真ん中ってつかめない。でもこの時の大滝、確か日本映画か苔の研究についての発言だったかな。
本業と関係ねぇことばっか張り切ってたよな、あの人。
8. Miami
ほぼハウィー・Bの仕切りとなる、もうリミックス・ヴァージョンって言っちゃっていいアブストラクトなダンス・チューン。とは言っても、これで踊るのはかなりきつい。もっと密室的な、スタジオ・ワークで作られた音楽。
ザックリした音色のギター・リフと人力ドラム・ループは、当時のロック・ファンには敬遠されたんだろうけど、USオルタナを通過していれば、そこまで拒否反応を催すものではない。
まぁ王道ロックからはかなり逸脱した路線なんだけど、でもそこに新たな可能性があったのは確かなんだよな。あのまま『The Joshua Tree』路線だけ続けてたら、単なる懐メロバンドで終わっちゃってたろうし。
9. The Playboy Mansion
なんか『Zooropa』っぽい、ゆるいトリップホップ。ほんとにクラブでトリップしながら聴いてたら、多分、この曲が一番ハマるんだろうけど、日本じゃ伝わりづらいよな。
ブルースを習得したことによって、それをあからさまに出すことはなくなったけど、シーケンスを使いながらも、生のグルーヴ感とマッチングさせられる点が、彼らの強みなんではないか、と。十分なベテランであるはずなんだけど、モダン・レコーディングへの適応力の高さ・貪欲な吸収力こそが、彼らの原動力なのだ。
そう感じさせるのは、あとはレッチリかな。ほかに誰かいるかな。多分いるだろうな、知らんけど。
10. If You Wear That Velvet Dress
思わせぶりなバラードっぽい導入部から、徐々に音数も増えてゆくのだけど、間奏のエッジのギター・プレイに心奪われる。繊細に音を重ね、一音・ワンフレーズの残響音までをも計算に入れた、かつてよく聴いた音。
「まだこんなこともできるんだ」と思わせつつ、「もう、ここではない」とも。彼らはもっと、まだ見ぬ先の音を追い求めているのだ。
11. Please
ある意味、アルバムのメイン・トラックとも言える、アイルランドで現在進行形で起きていた諸問題を切々と訴えたバラード。「POP Mart」ツアーでは「Sunday Bloody Sunday」とセットで歌われることが多く、ライブのハイライトとなっていた。
朦朧と虚ろなボノの声は、当初、無常観にあふれているけど、次第にその響きは熱を帯び、遂にはピークに達する。かつてなら、多重ダビングされたエッジのギターがカタルシスを煽るところだけど、ここでのエッジは野太いコーラスにとどめている。その小手先の少なさにこそ、彼らの成長を感じさせる。
12. Wake Up Dead Man
「Please」同様、沈鬱としたバラード。ループされる女性コーラスの異様さ、そして抑制されたアンサンブル。ちっとも『POP」でもないし、ディスコでもない。それでも、彼らはラストをこの曲で締めなければならなかった。
答え?そんなのあるもんか。何でも正解なんて、あると思うな。
彼らはここで、そう言っている。