好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Todd Rundgren

アドレナリンだだ漏れのスパゲッティ・モンスターなアルバム - Todd Rundgren 『Todd』


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 1974年リリース、5枚目のスタジオ・アルバム。ソロ・デビューしてまだ4年くらいしか経ってないのに、2枚組アルバムはこれが2枚目。曲によって当たりはずれが大きい人だけど、多産だった時期の…、って、いまもそんな変わんないか。
 一応、70年代初頭に隆盛だったアメリカン・シンガーソングライターの系譜でデビューした人だけど、3枚目の2枚組大作『Something/Anything?』で変なやる気スイッチが入っちゃったのか、4枚目の『A Wizard, a True Star』は、アドレナリンだだ漏れのスパゲッティ・モンスターなアルバムになってしまう。
 この頃のトッドは、シンガー・ソングライターであると同時に、大方の楽器を演奏するマルチ・プレイヤーであり、さらにつけ加えると、所属レーベル:ベアズヴィル・スタジオのハウス・エンジニアを務めていた。自分で描いて歌って演奏して、さらにコンソールいじってミックスまでやってしまうのだから、こうなると誰も口出しできるはずもない。
 こうやって描いてると、周囲を顧みない傍若無人なマッド・サイエンティストみたいだけど、実際のトッドは案外常識人で、客観的なバランス感覚も併せ持っている。自分の作品はとことんマニアックに走ってしまうけど、他人のプロデュースは手堅く、それでいてクライアントのターニング・ポイントとなる作品に仕上げていたりする。
 賛否両論はあるけど、ミートローフやグランド・ファンクはセールス実績を残しているし、新たな側面をうまく演出している。人のこととなれば、ちゃんとやれる人なのだ。
 一応、処方薬であるリタリンの助けを借りつつ、ソロ活動とエンジニアというマルチタスクをこなしていたトッド、充分オーバーワーク気味だったというのに、そんなの関係ねぇと言わんばかりに、アメリカでも台頭しつつあったプログレッシヴバンドの結成を思いついてしまう。それがのちのユートピア。
 ともに『Runt』を製作したトニー/ハント・セールス兄弟を引き連れてツアーに出るのだけど、何しろフワッとした思いつきだけで始めてしまったため、思ってた以上に収拾がつかなくなり、初期ユートピアは空中分解してしまう。ただでさえ忙しいはずなのに、なにやってんだこの人。
 バンド構想は一旦仕切り直すことになるのだけど、その合間にトッド、プログレのテーマ探しに没頭したせいか、今度はオカルトにハマってしまう。神智学の祖ブラヴァツキー夫人やルドルフ・シュタイナーの書籍を読み漁ってインスピレーションに火がついたのか、独りスタジオに篭り、一気呵成にレコーディングを終えてしまう。
 それが、この『Todd』。でも、オカルト風味は全然ない。思い始めからどんどんズレて、あさっての方向に行ってしまう、それがトッド・クオリティ。

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 まだマーケティング戦略も未成熟だった70年代前半は、「地味だけど良質な音楽を供給する」という理想論が、まだ通用していた時代だった。初期ディランのマネジメントだったアルバート・グロスマンによって興されたベアズヴィルは、ファジーな音楽性のトッドにとって、居心地の良い環境だった。
 当時の所属アーティスト・ラインナップを見てみると、
 ジェシ・ウィンチェスター
 ポール・バターフィールド
 フォガット
 フェリックス・キャバリエ
 などなど。
 「厳選された、良質な音楽の発信」という理想にはかなっており、商業主義に偏らず、こだわりのスタイルを持つ者ばかりである。あるのだけれど、はっきり言っちゃえば、あまり売れそうにない、コスパの悪い連中ばかりである。
 1974年のビルボード・アルバム・チャートを見てみると、ポール・マッカートニーやクラプトン、ディランやストーンズなど、錚々たるメンツが名を連ねている。中堅ベテラン組がマーケットを陣取り、新陳代謝が滞っていた時期にあたる。なかなか這い上がれない若手が暴発してパンク・ムーヴメントに繋がるのだけど、それはもう少しあとの話。
 そんな膠着したチャート状況ゆえ、この『Todd』も大ヒットするはずがなく、ビルボード最高54位。でも、微妙な成績でもある。お世辞にもバカ売れしたとは言えないけど、全然泣かず飛ばずだったとも言えない。
 その後、末長い代表曲となるメロウ・バラード「A Dream Goes On Forever」が収録されており、これがキラー・チューンといえばキラーなのだけど、特別キャッチー路線を狙って作ったとは思えず、言っちゃ悪いけど偶然の産物としか思えない。正直、近年のアルバムは当たりはずれが激しいんだけど、どれも一曲くらいはこういった美メロがあったりして、それだから目が離せなかったりして。そういう意味では、策士だなトッド。
 この時点でのトッドのポジションは、シングル「I Saw the Light」と「Hello it’s Me」がスマッシュ・ヒットした程度で、決してヒットメイカーとは言えなかった。アルバム・セールスが重視されていた時代でもあり、普通のメジャーなら大きな顔はできなかったはずだけど、中小マイナーのべアズヴィルの中では、充分な稼ぎ頭だった。
 地道でコツコツを身上とし、ヒット曲を出してスターダムにのし上がる気なんてまるでないジェシ・ウィンチェスターに比べれば、まだトッドの方がレーベル運営の貢献度が高かった。自社スタジオ使い放題というやましい目的もあってだけど、ハウス・エンジニアとして所属アーティストらの面倒を見るトッドの存在は大きくなっていった。
 成り行き的にトッドの発言力は強まり、アーティスト活動に歯止めをかける者はいなくなってゆく。地味なジェシ・ウィンチェスターが物申すはずもなく、ていうかみんな、めんどくさいスタジオワークは全部トッドに押しつけてた感もある。

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 グロスマンの所有する別荘を増改築して作られたベアズヴィル・スタジオは、ニューヨーク郊外の深い森の中にあった。外観は正直ショボいけど、録音ブースはナチュラルな反響を活かすため、高い天井と板張りの床で構成されている。コンソール・ルームも同様、ふんだんに木材を使用しており、機材も整っている。
 トッドはほぼここを根城にして、主にレーベル所属のアーティストのレコーディングを手掛けていた。マイク・セッティングから掃除、弁当の手配など、やることはいくらだってある。要は何でも屋、チーママみたいなものだ。
 何かと神経も使うだろうし、ストレスも溜まる一方だったことだろう。と、思ったのだけど、立ち止まって考えてみると、また別の側面が見えてくる。
 前述した所属アーティストの多くはソロ・シンガーであり、ほぼ弾き語りがメインだった。バックの演奏もピアノか簡素なリズム・セクション程度で、いずれもピークレベルを気にするラウドな音を奏でることはなかった。
 簡単なリハを経て本番だけど、それもせいぜい2、3テイクくらいで終了、いちいちプレイバックしてサウンドチェックするようなジェシ・ウィンチェスターではなさそうなので、レコーディングに手間はかからなかった。
 フォガットのようなハード・ロックだと、全体的に音も大きめのため、音割れしないように気を使わなければならなかったけど、ほぼ自分たちでアンサンブルをまとめられるため、労力はたいしてかからなかった。マイクの向きに気をつけてさえいれば、あとはコントロール・ルームでふんぞり返っていればよかった。
 そこそこ名の知れたメジャー・アーティストからのオファーならともかく、正直、当時でもヒットする要素の見当たらないベアズヴィル・アーティストのレコーディングは、手間のかからない作業だった。手を抜いてるわけではないけど、余計な手を加えず、ナチュラルな質感を保つことによって、彼らのキャラクターや楽曲はより引き立った。
 スタジオワークを短期間で済ませることが、すなわち低コストにつながるため、結果的にトッド、経費削減にも貢献していたことになる。短期間で効率良く、しかも低予算で収めるトッドのプロデュース・ワークは評判を呼び、外部からのオファーも引きも切らなかった。
 手抜きと悟られぬよう、それでいてアーティストにとって最良のメソッドで、彼は数々のアルバムを制作した。与えられたバジェットを守り、そこそこ融通が効くこともあって、業界内での彼の評判は地道に広まっていった。

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 そんなオーバーワークの合間を縫って、70年代のトッドはレコーディングに没頭し続けた。とにかく演って出し・録って出しを続けた結果、大量のテイクが仕上がった。
 第三者的なプロデューサーがいれば、あれこれ削ったり縮めたりして、どうにか1枚に収めようとするところだけど、ベアズヴィルではトッドが王様、誰も進言することもなく、『Todd』はアナログ2枚組としてリリースされた。
 需要と供給を考えれば、どうがんばったってペイしないはずなのに、ベアズヴィルはいつも通り、トッドの要望を受け入れた。「2枚組」と聞いて、「売るの大変だな」って思うより、「おぉ〜、スゲェ豪華じゃん」って受け取るスタッフの方が多かったんじゃないかと思われる。
 前作『A Wizard, a True Star』は、全編カラフルでストレンジな世界観が炸裂したコンセプト・アルバムだったけど、プレ・ユートピアを経てレコーディングに臨んだトッド、ここでは統一したコンセプトを設けず、幅広いジャンルの楽曲をランダムにまとめている。バラードもあればパワーポップもあり、タイトルまんまのヘヴィメタも入っているため、こんなこともできまっせ的な、カタログみたいなものと思えばよい。
 のちのユートピアの予行演習的なハード・プログレや、意識的に多用したシンセの導入など、いろいろ新基軸を試していたりして、全般的にとっ散らかった印象はあるのだけど、そんなアバウトさも含めて、この時期のトッドの作品は親しみやすい。アバンギャルドなアプローチをやってはみたけど、ピッチやテンポが雑なため、綻びが見え隠れしたりして、そんなところに人間性があらわれている。
 演奏パートをもう少し刈り込んだりすれば、無理やり1枚に収めることもできるんだろうけど、そういうことじゃない。圧倒的な無駄パートも含めた、このボリュームだからこそ成立しうるトッド・ワールドが、ここには凝縮されている。





1. How About a Little Fanfare?
 タイトル通り、ファンファーレ。テープ編集によるトッドの宣誓に続き、エレクトロなシンセの洪水。「International Feels」に似たイントロだけど、さらにスペイシ―な世界観が展開されている。

2. I Think You Know
 シームレスに続く、『Runt』に入ってても違和感なさそうなポップ・バラード。セオリー通りに行くのを嫌ったのか、前曲の宇宙空間的な音像がストレンジで、クセが強い。間奏のギター・ソロもミックスがアバウトなせいもあって、居心地の悪さはさらに増している。
 そんな一筋縄では行かない、奇妙な味わいが屈折具合に拍車をかけているわけであって。普通に無難なミックスにすれば万人受けするのは間違いないんだけど、彼もファンも、求めているのはそこじゃなかった。

3. The Spark of Life
 レトロ・フューチャーな未来感が炸裂する、手に入れたばかりのシンセを「これでもか」とばかりに使い倒した、いわば音の博覧会。考えてみれば、このアルバムがリリースされた5年前にアポロ18号が月面着陸したわけで、未来に対して明るい展望があった時代だったのでは?と思うのだけど、あんまりポジティヴな感じには聴こえない。
 っていうか、単にシンセいじってギター弾きまくりたかっただけなんだろうな。「ギター+シンセ=未来っぽくね?」ってお手軽な理由だったんじゃないかと。
 終盤の怒涛のギター・ソロ、ドロドロでエモーショナルなプレイは絶品で、これまで見過ごされがちだったデーモニッシュなギタリストの側面が強く打ち出されている。

4. An Elpee's Worth of Toons
 濃厚でコンセプチュアルな3曲から一転して、地上に降り立ち、間の抜けたポップ・ソング。アメリカの古いドラマの挿入歌へのオマージュなのか、チップマンクスみたいなコーラスが入っていたりふざけたモノローグが挿入されたり、かと思えば、終盤で再びシンセの洪水になったり、いろいろ目まぐるしくせわしない曲。
 でも最後は「I Want to be Loved」とシットリ締めくくるあたり、やっぱトッドってロマンチスト。

5. A Dream Goes On Forever
 おふざけでさんざん遊んだ後、代表曲となるトッドの絶品バラード。ここでこれを入れてくる構成センス、その見事さは、やっぱトッド、優秀なプロデューサーである。他の曲との落差がすごい分、ベストや単曲で聴くより、『Todd』で聴く方がよく聴こえてしまう。
 ここまでの楽曲は、ほぼすべてトッドのセルフ・レコーディング。この曲もメロディの秀逸さで目立たないけど、結構な割合で音が詰め込まれており、オーディオ的な見地で言えば、褒められるものではない。リマスター音源で聴いても、そもそものマスターが雑なので、あんまり改善したように聴こえないし。
 そういうのを補って余りある、メロディとパフォーマンスの妙。と言いたいところだけど、まぁクセは強い。本人は至って真剣なので、周囲はあたたかく見守ろう。
 



6. Lord Chancellor's Nightmare Song
 今度はのっけからオペラ。なんでこんなの入れたんだろ、この人。タイトル通り、トッドの見た悪夢、頭の中で流れてる音を再現してみたのだろうけど、整然と並べられるわけでもなく、ミュージカル的なSEやチープなピアノ、最後に爆発。
 -理解しようと思うんじゃない、感じるんだ。
 確かにそうだ。この曲に限らずトッド、理解を求めるアーティストじゃない。

7. Drunken Blue Rooster
 全パートを独りで演奏してみた、3分のインスト・チューン。そんなに長い曲じゃないのに、いつものトッド同様、この曲も曲調がコロコロ変わる。自分がプロデューサーなんだから、もっと薄めて分割して、きちんと構成すればアルバム1枚に展開することも可能なはずだけど、そうはしたくないんだな。

8. The Last Ride
 ちゃんとしたバンド・スタイルでレコーディングしたおかげもあって、アンサンブルも比較的まともで、ちゃんと聴こえるクールなロッカバラード。変に冗長にならず、ソリッドな展開には「やればできるじゃん」と思ってしまう。そうなんだよ、やればできるんだよ、トッド。
 間奏のソプラノ・サックスの響き、あと終盤のエモーショナルなギター・ソロも、効果的に聴こえるのは盤石なアンサンブルがあってのものであって。ただ、ちゃんとしてるんだけど、こんな曲ばっかだと、それはそれで物足りなくなってしまう。ファンとしては、トッドの暴走するところを見たいのだ。




9. Everybody's Going to Heaven/King Kong Reggae
 変拍子もバンバン入れた、それでもまともなハードロック。グランジのルーツのような荒れたヴォーカル、リズム/リードともしっかり構成された中盤のギター・パート。6分の長尺だけど、飽きる展開がまるでない、ちゃんとしたロック・チューン。でも、レゲエの要素はまるでない。
 
10. No. 1 Lowest Common Denominator
 再びハードなギター・チューンだけど、今度はスローなブルース・タッチ。退廃的なコンセプトに基づく曲調はブラック・サバスに通ずるところもあるけど、トッドの場合、これだけやりたいわけじゃないんだよな。引き出しの多さというか、落ち着きのなさっていうか。
 
11. Useless Begging
 なので、ここでギアチェンジ、シンセ中心のポップ・バラード。また独りでで全部やってるけど、比較的バランスの取れたシンセ・ポップ。ただ2分過ぎたあたりでタップ・ダンスを思わせるパートに移り、実はミュージカルの一節だった、と気づかされる。イヤ余計な演出入れなくてもいいのに。でもそんなムダなパートも、またトッド風味。

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12. Sidewalk Cafe
 リズムボックスとシンセを巧みに組み合わせた、再びレトロ・フューチャーなインスト・ポップ。2分程度というサイズ感がいいんだよな。これがヨーロッパ・プログレなら、アナログ片面20分くらいに展開しちゃうところだけど、ここではコンパクトにまとめている。

13. Izzat Love?
 ややリズムの立った、ちょっとだけ体温を上げたポップ・バラード。ややリズムが走り気味なのは、独りレコーディングなのでご愛敬。バンド・スタイルで3分程度に展開すれば、もっと知られてもいい曲なのに。2分はちょっと短すぎ。

14. Heavy Metal Kids
 いま現在のヘヴィメタ感ではなく、ハードロックからの発展形としてのヘヴィ・メタル。略した方じゃなく、あくまでヘヴィーなメタル。自分で書いててめんどくせぇな。
 この時代にヘヴィ・メタルという言葉が一般的だったかどうかは知らないけど、今の耳で聴くと、ちょっと賑やかなハードロックだよな。この曲単体で聴くとそうでもないんだけど、やはりアルバム一連の流れでは、すごくよく聴こえてしまう。
 アナログ2枚組の長尺だからこそ、飽きさせず、最後まで聴き通せてしまう構成力、そして勢いと適度なアバウトさ。プロデューサー:トッドの手腕を感じさせる。

15. In and Out the Chakras We Go (Formerly: Shaft Goes to Outer Space)
 って思ってたら、またスペイシーかつフューチャーなプログレッシヴ。Outer Spaceって言ってるくらいだから、異星人との邂逅を表現しているのだろうけど、時々、ジョー・ミークみたいなキッチュ感がにじみ出ている。
 そうなんだよな、こういうチープな未来感って、ジョー・ミークが先駆けだったよな。多分、トッドなら聴いてたと思うけど。

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16. Don't You Ever Learn?
 のちのユートピアの序章とも言える、ドラマティックなハード・プログレなバラード。『Something/Anything?』~『A Wizard, a True Star』から連綿と続いてきた、スタジオ・マジックの検証作業のひとつの結果となったのがこの曲であり、そんな重要な曲だからこそ、このラス前という配置に置いてきたのだろう、と察する。
 
17. Sons of 1984
 そのユートピアのお披露目と言えるライブ・ステージ2か所で、トッドはこの曲のコーラスを録音した。歌ったのは、その時の観衆。
 今ならもっと臨場感あふれる音像になるよう、マイク・セッティングや機材にもこだわるんだろうけど、「こうやってみよう」っていうコンセプトが先立ち、音はそんなに良くない。ただこういうのって、記録より記憶なんだよな、結局のところ。結果的に、そんな手作り感が良い方向に作用している。
 全員で歌ってもらうためもあって、メロディもそんなに凝っておらず、そんなところにトッドの人の良さがあらわれている。どんなに悪ぶっていてもこの人、ちょっとひねくれてはいるけど、憎めないんだよな。





「やればできる子」YDK - Todd Rundgren 『2nd Wind』

folder 1991年リリース、ワーナーでは3枚目、トッド13枚目のオリジナル・アルバム。チャート的には相変わらず低空飛行だったけど、音楽メディアでの評判は好意的なものが多かった覚えがある。
 何から何まで自分でやらなければ気が済まず、ソロはほぼセルフ・レコーディングを貫いていたトッド、バンド・スタイルのセッションをベースとした前作『Nearly Human』で手応えを掴んだのか、ここでは引き続きギターとヴォーカルに専念している。ユートピア自然消滅後、長らく音楽活動から遠ざかっていた盟友ロジャー・パウエルも参加しており、これを契機にユートピア再結成が実現するのだけど、単発ライブのみで終息してしまったのは、ちょっと残念。
 同じ手法は2度と繰り返さない―、ていうか、やろうとしても、いつも違う結果に落ち着いてしまうトッド、ここでは単なるスタジオ・セッションではなく、観客を入れてのステージ・ライブ一発録りを敢行している。そりゃまた無茶な、「単なる思いつきじゃね?」と勘ぐりたくなってしまうけど、案外ヨレたりダレるシーンもなく、すっきり仕上げている。
 ライブ慣れしたメンツを揃えていることもあって、演奏はしっかりしている。あんまり整い過ぎているので、逆にライブ感は薄くなりがちだけど、そこは結果オーライでアバウトなトッド、ピッチのずれや不安定さを「そこが味だっ」と言い切る豪快さで押し切っており、演奏に負けない臨場感を醸し出している。…なんだこりゃ、あんまり褒めてないな。
 ジョー・ジャクソンも同様の趣向、「レコーディング中は騒ぐな喋るな拍手もするな」というお達しのもと、『Big World』を制作しているのだけど、こっちはピンと張り詰めた緊張感がみなぎっている。どちらがいいか悪いかじゃなく、俺はどちらのアルバムも好きなのだけど、バンマスの性格によってムードが違う好例である。

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 自分の声をサンプリング変調して、奇妙な響きのリズム・パートを作ったり(『A Cappella』)、ヴィンテージ機材を取り寄せて、可能な限り原曲に近づけた完コピ・カバーを作ったり(『Faithful』)、アルバムごとに何かひとつテーマを設け、思いつきのアイディアの具現化するのが、アーティスト:トッド・ラングレンのアイデンティティだった。ただそれは高貴な理想ではなく、「単に面白そうだから」といった蒼い好奇心が発露となっている。
 他のアーティストの例にもれず、トッドの書く歌詞のテーマもまた、愛や平和へのメッセージ、また真っ当なラブ・ソングも多いのだけど、それらはあくまで二次的なものでしかない。それより先立つのは、「ビートルズの覆面バンドっぽいのがやりたい(『Deface the Music』)」とか、「素材だけ提供して、あとは聴き手が自由にミックス・ダウンできるようにしたら(『The Individualist』)」などなど、純粋な好奇心の方なのだ。「なのだ」って言い切っちゃったら、怒られるかもしれないけど。
 とはいえ、このワーナー期のトッド、案外まともというか、表面的には比較的オーソドックス、それほどクセもなく、コンテンポラリー・サウンドを志向していた時期とされている。厳密には、ワンショット契約でリリースされた怪作『A Cappella』もあるのだけれど、少なくとも前作『Nearly Human』とこの『2nd Wind』はテイストも似ており、ひねりも少ないので、とっつきやすい印象ではある。
 あるのだけれどでも、トッド・ラングレンというアーティストに対して、「キチンとしている」とか、整合性なんかを求める人が、一体どれだけいるのかといえば、多分少ない。わざわざトッドを初めて聴こうとする動機として、「スタジオ・レコーディングの魔術師」やら「ファジーに揺れるコード進行」など、普通のトップ40ヒットからはみ出した要素に惹かれるケースが圧倒的に多いため、このアルバムがビギナー向けというのは、ちょっと微妙である。
 そう考えると、べアズヴィル期をちゃんと聴いてきた、ある程度の中・上級者向けという位置づけになる。もしかしてすごく低い確率だけど、インタラクティブ期から入ったユーザーが、そこから順繰りに遡って聴いてみたら、新鮮な感動なのかもしれないけど。
 …ねぇよ、そんなレア・ケース。

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 この『2nd Wind』を最後に、トッドはワーナーとの契約を終了、その後は混沌としたインタラクティブの沼にハマり、長年のファンを置き去りにしたまま、しばらく迷走期に入る。最近はドナルド・フェイゲンとコラボするなど、ちょっと地に足が付いた活動も多いけど、相変わらずのゴーイング・マイウェイ振りである。
 リンゴ・スターやホークウインドを手伝ったり、新生ユートピアでツアー回ったり、いまだ引く手あまたの活動振り、御年70を過ぎて精力的ではあるのだけれど、ワーナー期以降、代表作と言えるアルバムから遠ざかっているのも、また事実である。近年はスタジオに籠るよりよりも、ライブの方が楽しそうなので、じっくり腰を据えたアルバム制作への関心が薄くなっているのだろう。取り敢えずは引退もせず、好き放題歌いまくってるだけで十分、と思わないと。
 で、そのワーナー~べアズヴィル期を遡って聴いてみると、エキセントリックな仮面の裏側、彼のロマンチストの素顔が見えてくる。どうしてもサウンド優先になってしまうため、あまり重要視されることのない歌詞の世界観を読み解いてゆくと、「自信が持てず、社会にもうまく順応できない男の嘆き」が、そこかしこに投影されている。その反動で、敢えて空気を読まず、はっちゃけ過ぎてしまう自己憐憫の心情吐露も合わせて。
 不器用な言葉をカモフラージュするかのように、感情の赴くまま、鍵盤が押さえられ、メロディが奏でられる。常道のコード・パターンとは響きが違うその調べは、不安定な揺らぎを見せる。
 べアズヴィル期の作品中、いわゆるメロディ主体とされるのが、初期のラント2部作、それと『Hermit of Mink Hollow』と『Faithful』のB面といったところで、いずれも根強い人気を保っている。どの作品にも共通しているのは、ナイーブな感性を象徴するヴォーカルの揺らぎ、そしてメロディである。
 ヒット曲のルーティンに収まらず、ルート音も定まらないフレーズは、座りの悪い引っかかりを残す。すべての人に強く訴えかける大衆性には薄いけど、アンバランスなクセの強さは、時にごく一部の者の心を揺らがせ、穏やかな痕跡を残す。

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 主に勢い優先のパワー・ポップとメロウなバラードで構成された『2nd Wind』だけど、いくつかミュージカル風、ロック・オペラにインスパイアされた楽曲が収録されている。
 1967年、脚本家ジョー・オートンは『A Hard Day’s Night』に続くビートルズ映画のオファーを受け、ミュージカル『Up Against it』の脚本を書いた。当時のマネージャー:ブライアン・エプスタインは作品の仕上がりに満足せず、脚本はお蔵入りになるのだけど、1986年、オフ・ブロードウェイでの初演が決まり、その音楽監督にトッドが指名される。
 もともと熱狂的なビートル・マニアであるトッドにとって、FAB4関連のオファーは、願ったり叶ったりの仕事だった。「もしかして、俺もジェフ・リンみたいにメンバーと共演できるんじゃなかろうか」って妄想してたのかもしれないし。
 このプロジェクトのため、トッドは多くの曲を書き下ろしたのだけど、『2nd Wind』にはそのうち3曲が収録されている。のちに、完全収録されたアルバム版『Up Against it』がリリースされることになるのだけど、それはまだ先の話。
 ソロやユートピアでは自分の趣味に走るトッドだけど、XTCの例に漏れず、外部プロデュース依頼では案外まともな仕事を心掛けているトッド、「ちゃんとした」ミュージカルを意識した作りになっている。なので、『2 nd Wind』ではこのパートだけ組曲形式でひとつながりとなっており、ここだけちょっと浮いた構造になっている。

 何でこんな歪な構成にしちゃったのか―、ちょっと考えてみた。
 ここだけピックアップしちゃうから、違和感なのだ。こういった曲も含め、ロックもポップスもバラードも、あらゆるジャンルをいっしょくたにした総合エンタテイメント=ロック・オペラが、『2 nd Wind』の本質なんじゃないか、といま気づいた。
 その手がかりのひとつ、インスパイアされたのが、映画『ファントム・オブ・パラダイス』のリバイバル上映だったんじゃないか、と勝手に推察してみる。
 トッドが『Up Against it』プロジェクトに取り掛かっていた80年代末、世界中でカルト映画の再評価ブームが巻き起こった。ロジャー・コーマンの一連の作品や『ピンク・フラミンゴ』、『ホーリー・マウンテン』など、当時は顧みられることのなかった映画が続々発掘され、ミニシアター上映会やビデオ化で盛り上がっていた。
 『アンタッチャブル』の大ヒットでメジャー監督の仲間入りを果たしたブライアン・デ・パルマの初期監督先品として、この『ファントム・オブ・パラダイス』も、ブームに乗じて日の目を見ることになった。俺もまた、そのブームに巻き込まれた1人である。
 あらすじを書いちゃうのはヤボだしメンドイので、詳しく知りたい人はwikiで見てもらうとして、特筆しておきたいのが、主人公のウィンスロー・リーチ。ネタバレ防止で深くは触れないけど、ウィンスローとトッドの生き様や行動は、アレコレすごくかぶるのだ。
 「才能がありながら、ヒットに恵まれない作曲家」という設定なんて、ロマンチストのトッドが自己投影したって、全然不思議はない。金も地位も名声も、すべてを手に入れた謎のプロデューサー:スワンとの間に繰り広げられるスリリングな心理戦や攻防は、アーティストの創作意欲を掻き立てる対立構造である。
 何やかやを経て、結局悲惨な末路を辿るウィンスローの生き様は、トッドのペシミズムを強く刺激する。もしかして『ファントム・オブ・パラダイス』を見ていないかもしれないけど、エキセントリックな仮面とロマンチストな素顔を使い分けるトッドもまた、そんなウィンスローにシンパシーを感じていたのかも、と思いたい。





1. Change Myself
 ロジャー・パウエルのキラキラ眩いシンセ、柔らかに、それでいて熱く取り囲むコーラス隊。ヴォーカルは相変わらずヘロヘロだけど、これだけ作り込まれたアンサンブルだと、それもまた味として聴こえてしまう。いつものトッドだったらAMラジオ向けに全体にグシャッとコンプをかけてしまうところを、ここではオーソドックスなミックスが功を奏し、まともなグルーヴ感が流れている。

2. Love Science
 シンセ・ベースがブンブン鳴り響く人力テクノ、それに強めのファンク風味。あ、それってデジタル・ファンクか。当然、線の細いヴォーカルのため、どファンクまで黒くはないのだけど、誰もトッドに本格ファンクを期待しているわけではないので、こういったフェイクも、また味のひとつ。
 ていうか、どんなリズム・どんな意匠であったとしても、あの声で歌われてしまえば、すべてトッド’sミュージックになってしまう。それはそれで強い個性であるけれど。

3. Who's Sorry Now? 
 初期ユートピアみたいな変則リズムは、ワーナー時代ではあまり披露することがなかったのだけど、考えてみればライブ・アルバムであるので、こういったライブ映えする楽曲もひとつくらいあったっていい。
 そうなんだよな、これで生演奏なんだから、結構な手練れを揃えたものだ。ベアズヴィル時代と違って、バジェットもそこそこデカかった賜物。

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4. The Smell of Money
 ここからで、3曲が『Up Against it』のために作られた楽曲が続く。ヴォードヴィル調のバラードで、ミュージカルというより新作オペラのムードに近い。曲調自体はあんまり馴染みがないため、俺的にはそれほど心動かされることはないけど、ちょっと芝居がかったヴォーカル・スタイルは、案外ミュージカルに向いていたりする。
 ガタイもデカいし、ステージ映えするかもしれないけど、あのルックスじゃ配役も限られるか、きっと。

5. If I Have to Be Alone
 ミュージカルという括りを抜きにして、きちんとコンテンポラリーを意識して作られた絶品バラード。エモーショナルでありながら繊細、トッドも珍しく丁寧に歌い上げている。メランコリックなアルペジオやドラマティックなシンセ、心地よく響くスネア、すべてのサウンドのバランスが有機的に絡み合っている。シングル・カットしなかったのが悔やまれる。



6. Love in Disguise
 女性シンガー:Shandi Sinnamonとのデュエット・ナンバー。ミュージカルっぽいコーラスも入るので、手に手を取り合って歌い上げる2人の情景が、何となく目に浮かぶ。
 Shandiについてwikiを見てみると、『フラッシュ・ダンス』や『ベスト・キッド』のサントラに参加した後、「セーラームーン」英語版にて、セーラーマーキュリー役でヴォーカル参加したりしている、とのこと。あぁなんてムダ知識。

7. Kindness
 トッドお得意の大味なバラード。壮大でドラマティックで、この辺はアメリカン・ハード・プログレを指向していたユートピアの路線に近い。あの頃はもっとプログレ風味が濃かったため、ジャーニーやスティックスには及ばずじまいだったけど、10年経ってやっと追いついた感がある。
 もうちょっと早く気づけばよかったのに、ってのは大きなお世話か。

8. Public Servant
 で、前述のハードの面が強くなり、ギターのアンサンブルをもっと厚めに、バスドラ多めにすると、こんな感じになる。弱々しくナヨっとした感じで歌うトッドもいいけど、それとはまた別に、こんな感じでギター・ソロを引きまくるトッドも、また良かったりする。
 昔はせせこましく設備も悪いベアズヴィル・スタジオで、しかもミックス作業に時間をかけることもできなかったけど、そういった問題をすべてクリアすると、こんな感じでちゃんとしたサウンドになったりする。やはり世の中、金のかけ方なのかね。

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9. Gaya's Eyes
 ケニー・Gみたいなサックス・ブロウと、ロジャーのシンセとのシンクロが美しい、まるでトップ40狙ってるんじゃね?と思ってしまうバラード。比較的まともなコードで書かれているため、メロディも安定してるし、ヴォーカルもきちんと緩急使い分けて、まるでプロみたい。
 実際に演奏された曲順は不明だけど、ステージも中盤に差し掛かって喉がこなれてきた感が伝わってくる。歌ってて気持ちよさそうだもの、トッドったら。

10. Second Wind
 最後は90125イエスのようなハード・ポップ・プログレで締める。ここでコレ持ってきたか、トッド。やっぱ男だな。
 こうやって書いてると茶化してるように見えるけど、いや褒め言葉だって。結局最後は俺の好き放題にやるぜ的なオーラが満載で、実際、これなら観衆も盛り上がったんじゃないかと思われる。そりゃそうだ、トッドのファンばかりだもの、どこかひと癖ないと満足しないはずだもの。









トッドの音楽療法 - Todd Rundgren 『Healing』

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 1981年リリース9枚目、前作『Hermit of Mink Hollow』から3年振りのオリジナル・アルバム。この頃のトッドにしてはブランクが空いてるよなぁ、と思ってしまいがちだけど、この間にユートピアとして2枚、ライブを1枚リリースしているので、いやいや相変わらずのワーカホリック振りである。ほぼ同時期、日本では大滝詠一が同様のリリース・ペースで活動していたけど、こちらは途中で息切れ。まぁ勝ち負けの問題じゃないけど。
 トッドの場合、市場のニーズに応えての多作ではなく、誰も頼んでないのにレコーディングしまくっていただけなので、このアルバムもビルボード最高48位と、何とも微妙な成績。「Can We Still Be Friends」のようなキラー・チューンもなかったため、ヒットの基準のひとつであるトップ40入りは逃してしまう。
 とはいえ、もともとトップ40入りすること自体が珍しいので、本人的にはそこまで気にはしていなかったと思われる。正直、周囲もその辺は諦めていただろうし。
 別にこの時期に限ったことではなく、キャリアを通して大きなヒットを飛ばしたことはないけど、一部の熱狂的マニアや業界人にはウケが良いため、存在がフェードアウトすることはないのが、この人の特質である。何かと使い勝手が良いのか、リンゴ・スターのオールスター・バンドでワールド・ツアーを回ったり、ほとんど関連性のないカーズ再結成に参加したり、まぁフットワークの軽いこと。あ、カーズは黒歴史だったな。

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 叙情的なメロディメーカーしての一面が強く浮き出た『Hermit of Mink Hollow』製作後、その反動からかトッド、ライブ活動に力を入れるようになる。地味で悶々とした宅録レコーディング作業は、精神衛生上、長く続けるものではない。
 べアズヴィルのハウス・エンジニアもプロデュース・ワークも最小限に抑え、引きこもり生活からの脱却を図ったトッド、ライブ・シーン本格参戦のため、ユートピアの改革に手をつける。
 表向きには「プログレッシブ・ロックによる壮大な音世界の構築」というお題目を掲げながら、実は「単にステージでギターを弾きまくりたいだけ」という動機で結成されたユートピアは、オリジナル2枚目の『太陽神RA』がUS79位UK27位と、この時点でもそこそこの支持を得ていた。ジャンルとしてのプログレはすでに行き詰まっていたけど、ハードロック要素が強く、ライブ映えするアメリカン・プログレには、まだ需要があったのだ。
 当時のプログレ・セオリーに則って、主旋律より各パートのインプロビゼーションの方が長いため、どの曲も最低10分以上だった。―何となく神秘っぽく、何となくミステリアス。「大風呂敷ではあるけれど、その実、大したことは何も言ってない」コンセプト至上主義は、大ざっぱなアメリカ人には受け入れられやすいものだった。そこにキラキラしたシンセ・フレーズや、手クセ満載の速弾きギター・ソロを付け加えれば、レコード売り上げはともかくライブではウケた。

 なので、初期ユートピアが決して悪かったわけではないのだけど、活動のメインをバンドに据えることにしたトッドの意向もあって、大掛かりな方向転換が行なわれる。当時のトッドの構想としては、「ユートピアで商業的な成功を収めることで経済的な基盤を固め、バンド活動の合間に趣味的なソロを作る」というのがあったらしい。この時点では、わずかにソロの方が上だったけど、まぁどっちもどっち。戦略としては、間違ってないんだよな。
 ライブ・バンドとしてはそこそこ定評があったけど、セールス的にはあと一歩だったユートピアのテコ入れとして、従来のアメリカン・ハード・プログレ路線から、ハード・ギター・ポップ路線に転換する。字面だけではちょっとわかりづらいけど、要するに、曲の尺が短くなった。
 アルバム片面をまるまる費やす冗長な一大組曲は一掃され、ラジオでオンエアされやすい4分程度にダウン・サイジングされた。何となく高尚で斜に構えたコンセプトも取っ払われ、歌詞のテーマはごく普通のロック・バンドと変わらなくなった。
 トッド的には、同じ音楽性だったスティックスやジャーニーが宗旨替えしてブレイクしたのだから、そこに追随したのだろうけど、ユートピアは思惑ほど売れなかった。両バンドにならって、キャッチーな音楽性を志向するのは間違ってはいなかったけど、もうひとつ肝心なところを忘れていた。
 トミー・ショウやスティーブ・ペリーなど、ビジュアル映えするフロントマンの存在が、ユートピアには欠けていた。トッドも決して見栄えが悪い方ではないのだけど、トミーのような美少年要素も、またスティーブのようなハイトーン・ヴォイスもなかったのは致命的だった。
 もしかして、最初から気づいてたのかも、と思う反面、トッドの性格を考えれば「ガチでイケる」と思っていた節もある。だってこの人、自意識強そうだもの。

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 せっかく路線変更したにもかかわらず、プログレ時代とそんなに変わらぬチャート・アクションが続いたため、打開策としてユートピアはライブ本数を増やしてゆく。
 当たればデカいアメリカン・ドリームだけど、そこに至るまでは相当の努力を要する。ただレコードを出しだけではダメで、世に広く知らしめる手段を取らなければならない。そのためには、ラジオでパワー・プレイされなければならないし、全米くまなく地道にライブで回らなければならない。
 いわゆるプロモーション・ツアー、言ってしまえばドサ回りだけど、そんなにすぐ効果があらわれるものではない。演歌のドブ板営業よろしく、粗末な設備の会場だってあるし、常に満員御礼というわけでもない。
 べアズヴィルに手厚いサポートを期待できるわけもなし、当時のライブ収支はどんぶり勘定。先の展望が見えず、肉体的にも精神的にも疲弊してゆくメンバー。そしてトッド―。
 約2年、バンド活動に専念したトッドが出した結論が、「…俺ってやっぱ、ソロ体質だよな」という自覚だった。ソロとバンド、並行してやるからストレスも分散するのであって、どっちかに偏ってしまうと、たちまちストレスが集中してしまう。
 考えてみれば当たり前の結果だけど、こういうのってやってみないとわからない。

 で、『Healing』。
 当時の邦題『トッドの音楽療法』が象徴するように、疲弊した自身への癒しとも言える、穏やかなサウンドで構成されている。激しいディストーション・ギターや強烈なバスドラを排し、シンセとリズム・マシンを用いて、ほぼ独りでレコーディングされている。
 長年練り上げたものではなく、衝動的にスタジオに飛び込んで、一気呵成に組み立てられたそのサウンドは、プライベートな色彩に満ちている。生来のポップ気質が滲み出ているため、息が詰まるほど厭世的ではないけど、発表を前提としない個人的な音で満たされている。
 「聴きたかったら聴けば。サービスはないけど」。自己陶酔と憐憫の強いその空間は、他者に開かれたサウンドを追求していた当時のユートピアとは、一線を画している。
 ヒット性やライブ・パフォーマンスを考えず、最もヴォーカル映えするキーで作ったサウンドをバックに、悦に入って歌うトッド。言ってしまえば自作カラオケ、またはニコ動の歌い手的な、自己満足優先の楽曲が並んでいる。

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 でも、考えてみればトッド、人のプロデュースは別として、自己満足を優先しない作品を作ったことは、後にも先にもないのだった。商業的な成功よりはむしろ、とにかく自分で「あ、コレやりたい」というシンプルな動機、初期衝動だけで「やってみた」作品群が、のちのち再評価で盛り上がったわけで。
 ドラムを叩けばリズムが揺れたりヨレたり、ヴォーカル・ピッチがズレても問題なし。練習してうまくプレイするより、いまやりたいことを優先する。録音もミックスも、細かいことにはこだわらない。まずは、やってみる。失敗も振り返らず、常に新しいことにチャレンジする。そんなロック少年的なシンプルな衝動が、狭いけどコアな層にヒットして、熱狂的な固定ファンを今も生み出し続けている。
 なので、何度も聴くには痛い『Healing』だけど、これもトッドのサウンド一大絵巻のひとつなのだ。ワーナー以降は正直、当たりハズレも多いトッドだけど、べアズヴィル時代のアルバムは、どれもはずすことができない。


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1. Healer
 ケルト民謡のようなオープニングでちょっとビックリするけど、そこから先はいつものトッドのメロディ。山下達郎も顔負けの多重コーラスは入るわ品評会のような多彩なシンセの音色、案外ツボにハマるリズム・パターンといい、お腹いっぱい。ていうか詰め込み過ぎだよな、ビギナーが聴くと。でも、これが過剰こそ至高であるトッドなのだ。

2. Pulse
 タイトルが象徴するように、新たな波動を様々な音色のシンセで表現している。中盤からのリズミカルなマリンバっぽいリズム・パートは、ガチのプログレ。セオリーならここから10分以上続くところを、ここでは3分に圧縮。これ以上は沼にハマってしまう。

3. Flesh
 かなりエモーショナルなヴォーカルを支える、荘厳なシンセの響き。これこそまさしく独りカラオケ状態。他人からすれば癒しには聴こえないけど、作る本人としては、カタルシスを得ることで充分満たされたことが窺える。音圧が高いのといろいろ詰め込んだおかげで、ナチュラルにコンプがかかっている。ここまでやって、トッドの通常パターン。

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4. Golden Goose
 『Runt』のアウトテイクにシンセ・パートを加えたような、思いっきり脱力してしまうマーチ風ポップ・チューン。これもまたひとつの癒しの形。アルバム構成的にも、ひと息つくにはちょうどいい頃合い。やっぱプロデューサー目線ははずせない。

5. Compassion
 誰もが認める名曲バラード。ややフラット気味のハスキーなヴォーカル、黄金パターンからははずれているのに親しみやすい美メロ、いずれもトッドの必勝パターンである。正直、このヴァージョンはシンセがコッテリなので、ヴォーカルをメインとしたライブ・ヴァージョンの方がいい。



6. Shine
 8分を超えるアメリカン・ハード・プログレ。ユートピアでもそうだけど、トッドの場合、ここに加えてオールド・タイプのロックンロール風味も添加されるので、他のプログレ・バンドと比べてポピュラー性が強いのが、ひとつの特徴である。なので、このトラックも序章の重厚なパートさえ抜いちゃえば、ノリも良いソリッドなロックなのだけど、本人的には全部含めての「Shine」なので、そんなのは余計なお世話。終盤なんてライブ映えするギター・ソロも炸裂しているので、間口が狭いのがちょっと惜しい。
 ここまでレコードではA面。トータル・タイム27分ちょっと。音質を優先しての理想的な収録時間が20分程度なので、当然カッティング・レベルは低くなる。それもトッド的には通常営業。

7. Healing, Part I
 ポリリズミックなシンセのリフを基調に、控えめなギター・ストロークとリズムが挿入される、トッドにしては抑えたアンサンブルが印象的なトラック。終盤はジャジーななサックス・ソロがムーディに締める。
 タイトルが示すように、ここからがトッド言うところの「癒し」であり、それは聴き手にも向けられるような、柔らかな感覚。宗教的な崇高ささえ漂う世界。

8. Healing, Part II
 宗教的な真っ向臭さはさらに強まり、ガムランからインド風味から、隠し味としてのアフロ・タッチ、もう何もかもごちゃまぜにぶち込んだ模様。ギターのアルペジオのみが正気を保っているけど、ダウンの時に聴いたら持ってかれそうな危険さを孕んでいる。

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9. Healing, Part III
 1・2部のエッセンスをミックスした、組曲のまとめ。8.のようなダウナー感は一掃され、もっとポップに開かれた感が増している。ここまで3部作、よくあるコンセプト・アルバムと違って、パーツの切り貼りというよりは楽曲として独立しているため、重苦しさはそれほどでもない。まぁでも8.だけはちょっと勘弁だな。

10. Time Heals
 初回リリース時はボーナス・シングルとして収録されており、実際に単独でシングル・カットもされた。CDになってからはほぼ正規扱いとして収録されており、実際、俺もボーナス扱いだとは長らく思っていなかった。
 「これがユートピアの理想形だったんじゃないの?」と思ってしまうくらい、キャッチ―でソリッド、それでいてトッドのエッセンスもしっかり織り込まれている。なので、ビルボードのMainstream Rockという専門チャートではあるけれど18位にランクインしているくらい。
 ただトッドからすれば、壮大な組曲の後に、こんなポップ・チューンが続くと、世界観が壊れてしまうことを恐れたのだろう。だからボーナス扱いだったのであって、同時にそれだけのインパクトを残す楽曲でもあるという証明。



11. Tiny Demons
 で、そのシングルB面。こちらはもう少しダークな質感。いつ盛り上がるか、待っているうちに終わってしまう、そんなナンバー。タイトルと言い、UKゴシック系のバンドっぽいよな、そういえば。Cureとか聴いてたのかな、トッドも。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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