1974年リリース、5枚目のスタジオ・アルバム。ソロ・デビューしてまだ4年くらいしか経ってないのに、2枚組アルバムはこれが2枚目。曲によって当たりはずれが大きい人だけど、多産だった時期の…、って、いまもそんな変わんないか。
一応、70年代初頭に隆盛だったアメリカン・シンガーソングライターの系譜でデビューした人だけど、3枚目の2枚組大作『Something/Anything?』で変なやる気スイッチが入っちゃったのか、4枚目の『A Wizard, a True Star』は、アドレナリンだだ漏れのスパゲッティ・モンスターなアルバムになってしまう。
この頃のトッドは、シンガー・ソングライターであると同時に、大方の楽器を演奏するマルチ・プレイヤーであり、さらにつけ加えると、所属レーベル:ベアズヴィル・スタジオのハウス・エンジニアを務めていた。自分で描いて歌って演奏して、さらにコンソールいじってミックスまでやってしまうのだから、こうなると誰も口出しできるはずもない。
こうやって描いてると、周囲を顧みない傍若無人なマッド・サイエンティストみたいだけど、実際のトッドは案外常識人で、客観的なバランス感覚も併せ持っている。自分の作品はとことんマニアックに走ってしまうけど、他人のプロデュースは手堅く、それでいてクライアントのターニング・ポイントとなる作品に仕上げていたりする。
賛否両論はあるけど、ミートローフやグランド・ファンクはセールス実績を残しているし、新たな側面をうまく演出している。人のこととなれば、ちゃんとやれる人なのだ。
一応、処方薬であるリタリンの助けを借りつつ、ソロ活動とエンジニアというマルチタスクをこなしていたトッド、充分オーバーワーク気味だったというのに、そんなの関係ねぇと言わんばかりに、アメリカでも台頭しつつあったプログレッシヴバンドの結成を思いついてしまう。それがのちのユートピア。
ともに『Runt』を製作したトニー/ハント・セールス兄弟を引き連れてツアーに出るのだけど、何しろフワッとした思いつきだけで始めてしまったため、思ってた以上に収拾がつかなくなり、初期ユートピアは空中分解してしまう。ただでさえ忙しいはずなのに、なにやってんだこの人。
バンド構想は一旦仕切り直すことになるのだけど、その合間にトッド、プログレのテーマ探しに没頭したせいか、今度はオカルトにハマってしまう。神智学の祖ブラヴァツキー夫人やルドルフ・シュタイナーの書籍を読み漁ってインスピレーションに火がついたのか、独りスタジオに篭り、一気呵成にレコーディングを終えてしまう。
まだマーケティング戦略も未成熟だった70年代前半は、「地味だけど良質な音楽を供給する」という理想論が、まだ通用していた時代だった。初期ディランのマネジメントだったアルバート・グロスマンによって興されたベアズヴィルは、ファジーな音楽性のトッドにとって、居心地の良い環境だった。
当時の所属アーティスト・ラインナップを見てみると、
ジェシ・ウィンチェスター
ポール・バターフィールド
フォガット
フェリックス・キャバリエ
などなど。
などなど。
「厳選された、良質な音楽の発信」という理想にはかなっており、商業主義に偏らず、こだわりのスタイルを持つ者ばかりである。あるのだけれど、はっきり言っちゃえば、あまり売れそうにない、コスパの悪い連中ばかりである。
1974年のビルボード・アルバム・チャートを見てみると、ポール・マッカートニーやクラプトン、ディランやストーンズなど、錚々たるメンツが名を連ねている。中堅ベテラン組がマーケットを陣取り、新陳代謝が滞っていた時期にあたる。なかなか這い上がれない若手が暴発してパンク・ムーヴメントに繋がるのだけど、それはもう少しあとの話。
そんな膠着したチャート状況ゆえ、この『Todd』も大ヒットするはずがなく、ビルボード最高54位。でも、微妙な成績でもある。お世辞にもバカ売れしたとは言えないけど、全然泣かず飛ばずだったとも言えない。
その後、末長い代表曲となるメロウ・バラード「A Dream Goes On Forever」が収録されており、これがキラー・チューンといえばキラーなのだけど、特別キャッチー路線を狙って作ったとは思えず、言っちゃ悪いけど偶然の産物としか思えない。正直、近年のアルバムは当たりはずれが激しいんだけど、どれも一曲くらいはこういった美メロがあったりして、それだから目が離せなかったりして。そういう意味では、策士だなトッド。
この時点でのトッドのポジションは、シングル「I Saw the Light」と「Hello it’s Me」がスマッシュ・ヒットした程度で、決してヒットメイカーとは言えなかった。アルバム・セールスが重視されていた時代でもあり、普通のメジャーなら大きな顔はできなかったはずだけど、中小マイナーのべアズヴィルの中では、充分な稼ぎ頭だった。
地道でコツコツを身上とし、ヒット曲を出してスターダムにのし上がる気なんてまるでないジェシ・ウィンチェスターに比べれば、まだトッドの方がレーベル運営の貢献度が高かった。自社スタジオ使い放題というやましい目的もあってだけど、ハウス・エンジニアとして所属アーティストらの面倒を見るトッドの存在は大きくなっていった。
成り行き的にトッドの発言力は強まり、アーティスト活動に歯止めをかける者はいなくなってゆく。地味なジェシ・ウィンチェスターが物申すはずもなく、ていうかみんな、めんどくさいスタジオワークは全部トッドに押しつけてた感もある。
グロスマンの所有する別荘を増改築して作られたベアズヴィル・スタジオは、ニューヨーク郊外の深い森の中にあった。外観は正直ショボいけど、録音ブースはナチュラルな反響を活かすため、高い天井と板張りの床で構成されている。コンソール・ルームも同様、ふんだんに木材を使用しており、機材も整っている。
トッドはほぼここを根城にして、主にレーベル所属のアーティストのレコーディングを手掛けていた。マイク・セッティングから掃除、弁当の手配など、やることはいくらだってある。要は何でも屋、チーママみたいなものだ。
何かと神経も使うだろうし、ストレスも溜まる一方だったことだろう。と、思ったのだけど、立ち止まって考えてみると、また別の側面が見えてくる。
前述した所属アーティストの多くはソロ・シンガーであり、ほぼ弾き語りがメインだった。バックの演奏もピアノか簡素なリズム・セクション程度で、いずれもピークレベルを気にするラウドな音を奏でることはなかった。
簡単なリハを経て本番だけど、それもせいぜい2、3テイクくらいで終了、いちいちプレイバックしてサウンドチェックするようなジェシ・ウィンチェスターではなさそうなので、レコーディングに手間はかからなかった。
フォガットのようなハード・ロックだと、全体的に音も大きめのため、音割れしないように気を使わなければならなかったけど、ほぼ自分たちでアンサンブルをまとめられるため、労力はたいしてかからなかった。マイクの向きに気をつけてさえいれば、あとはコントロール・ルームでふんぞり返っていればよかった。
そこそこ名の知れたメジャー・アーティストからのオファーならともかく、正直、当時でもヒットする要素の見当たらないベアズヴィル・アーティストのレコーディングは、手間のかからない作業だった。手を抜いてるわけではないけど、余計な手を加えず、ナチュラルな質感を保つことによって、彼らのキャラクターや楽曲はより引き立った。
スタジオワークを短期間で済ませることが、すなわち低コストにつながるため、結果的にトッド、経費削減にも貢献していたことになる。短期間で効率良く、しかも低予算で収めるトッドのプロデュース・ワークは評判を呼び、外部からのオファーも引きも切らなかった。
手抜きと悟られぬよう、それでいてアーティストにとって最良のメソッドで、彼は数々のアルバムを制作した。与えられたバジェットを守り、そこそこ融通が効くこともあって、業界内での彼の評判は地道に広まっていった。
そんなオーバーワークの合間を縫って、70年代のトッドはレコーディングに没頭し続けた。とにかく演って出し・録って出しを続けた結果、大量のテイクが仕上がった。
第三者的なプロデューサーがいれば、あれこれ削ったり縮めたりして、どうにか1枚に収めようとするところだけど、ベアズヴィルではトッドが王様、誰も進言することもなく、『Todd』はアナログ2枚組としてリリースされた。
需要と供給を考えれば、どうがんばったってペイしないはずなのに、ベアズヴィルはいつも通り、トッドの要望を受け入れた。「2枚組」と聞いて、「売るの大変だな」って思うより、「おぉ〜、スゲェ豪華じゃん」って受け取るスタッフの方が多かったんじゃないかと思われる。
前作『A Wizard, a True Star』は、全編カラフルでストレンジな世界観が炸裂したコンセプト・アルバムだったけど、プレ・ユートピアを経てレコーディングに臨んだトッド、ここでは統一したコンセプトを設けず、幅広いジャンルの楽曲をランダムにまとめている。バラードもあればパワーポップもあり、タイトルまんまのヘヴィメタも入っているため、こんなこともできまっせ的な、カタログみたいなものと思えばよい。
のちのユートピアの予行演習的なハード・プログレや、意識的に多用したシンセの導入など、いろいろ新基軸を試していたりして、全般的にとっ散らかった印象はあるのだけど、そんなアバウトさも含めて、この時期のトッドの作品は親しみやすい。アバンギャルドなアプローチをやってはみたけど、ピッチやテンポが雑なため、綻びが見え隠れしたりして、そんなところに人間性があらわれている。
演奏パートをもう少し刈り込んだりすれば、無理やり1枚に収めることもできるんだろうけど、そういうことじゃない。圧倒的な無駄パートも含めた、このボリュームだからこそ成立しうるトッド・ワールドが、ここには凝縮されている。
1. How About a Little Fanfare?
タイトル通り、ファンファーレ。テープ編集によるトッドの宣誓に続き、エレクトロなシンセの洪水。「International Feels」に似たイントロだけど、さらにスペイシ―な世界観が展開されている。
2. I Think You Know
シームレスに続く、『Runt』に入ってても違和感なさそうなポップ・バラード。セオリー通りに行くのを嫌ったのか、前曲の宇宙空間的な音像がストレンジで、クセが強い。間奏のギター・ソロもミックスがアバウトなせいもあって、居心地の悪さはさらに増している。
そんな一筋縄では行かない、奇妙な味わいが屈折具合に拍車をかけているわけであって。普通に無難なミックスにすれば万人受けするのは間違いないんだけど、彼もファンも、求めているのはそこじゃなかった。
3. The Spark of Life
レトロ・フューチャーな未来感が炸裂する、手に入れたばかりのシンセを「これでもか」とばかりに使い倒した、いわば音の博覧会。考えてみれば、このアルバムがリリースされた5年前にアポロ18号が月面着陸したわけで、未来に対して明るい展望があった時代だったのでは?と思うのだけど、あんまりポジティヴな感じには聴こえない。
っていうか、単にシンセいじってギター弾きまくりたかっただけなんだろうな。「ギター+シンセ=未来っぽくね?」ってお手軽な理由だったんじゃないかと。
終盤の怒涛のギター・ソロ、ドロドロでエモーショナルなプレイは絶品で、これまで見過ごされがちだったデーモニッシュなギタリストの側面が強く打ち出されている。
4. An Elpee's Worth of Toons
濃厚でコンセプチュアルな3曲から一転して、地上に降り立ち、間の抜けたポップ・ソング。アメリカの古いドラマの挿入歌へのオマージュなのか、チップマンクスみたいなコーラスが入っていたりふざけたモノローグが挿入されたり、かと思えば、終盤で再びシンセの洪水になったり、いろいろ目まぐるしくせわしない曲。
でも最後は「I Want to be Loved」とシットリ締めくくるあたり、やっぱトッドってロマンチスト。
5. A Dream Goes On Forever
おふざけでさんざん遊んだ後、代表曲となるトッドの絶品バラード。ここでこれを入れてくる構成センス、その見事さは、やっぱトッド、優秀なプロデューサーである。他の曲との落差がすごい分、ベストや単曲で聴くより、『Todd』で聴く方がよく聴こえてしまう。
ここまでの楽曲は、ほぼすべてトッドのセルフ・レコーディング。この曲もメロディの秀逸さで目立たないけど、結構な割合で音が詰め込まれており、オーディオ的な見地で言えば、褒められるものではない。リマスター音源で聴いても、そもそものマスターが雑なので、あんまり改善したように聴こえないし。
そういうのを補って余りある、メロディとパフォーマンスの妙。と言いたいところだけど、まぁクセは強い。本人は至って真剣なので、周囲はあたたかく見守ろう。
6. Lord Chancellor's Nightmare Song
今度はのっけからオペラ。なんでこんなの入れたんだろ、この人。タイトル通り、トッドの見た悪夢、頭の中で流れてる音を再現してみたのだろうけど、整然と並べられるわけでもなく、ミュージカル的なSEやチープなピアノ、最後に爆発。
-理解しようと思うんじゃない、感じるんだ。
確かにそうだ。この曲に限らずトッド、理解を求めるアーティストじゃない。
7. Drunken Blue Rooster
全パートを独りで演奏してみた、3分のインスト・チューン。そんなに長い曲じゃないのに、いつものトッド同様、この曲も曲調がコロコロ変わる。自分がプロデューサーなんだから、もっと薄めて分割して、きちんと構成すればアルバム1枚に展開することも可能なはずだけど、そうはしたくないんだな。
8. The Last Ride
ちゃんとしたバンド・スタイルでレコーディングしたおかげもあって、アンサンブルも比較的まともで、ちゃんと聴こえるクールなロッカバラード。変に冗長にならず、ソリッドな展開には「やればできるじゃん」と思ってしまう。そうなんだよ、やればできるんだよ、トッド。
間奏のソプラノ・サックスの響き、あと終盤のエモーショナルなギター・ソロも、効果的に聴こえるのは盤石なアンサンブルがあってのものであって。ただ、ちゃんとしてるんだけど、こんな曲ばっかだと、それはそれで物足りなくなってしまう。ファンとしては、トッドの暴走するところを見たいのだ。
9. Everybody's Going to Heaven/King Kong Reggae
変拍子もバンバン入れた、それでもまともなハードロック。グランジのルーツのような荒れたヴォーカル、リズム/リードともしっかり構成された中盤のギター・パート。6分の長尺だけど、飽きる展開がまるでない、ちゃんとしたロック・チューン。でも、レゲエの要素はまるでない。
10. No. 1 Lowest Common Denominator
再びハードなギター・チューンだけど、今度はスローなブルース・タッチ。退廃的なコンセプトに基づく曲調はブラック・サバスに通ずるところもあるけど、トッドの場合、これだけやりたいわけじゃないんだよな。引き出しの多さというか、落ち着きのなさっていうか。
11. Useless Begging
なので、ここでギアチェンジ、シンセ中心のポップ・バラード。また独りでで全部やってるけど、比較的バランスの取れたシンセ・ポップ。ただ2分過ぎたあたりでタップ・ダンスを思わせるパートに移り、実はミュージカルの一節だった、と気づかされる。イヤ余計な演出入れなくてもいいのに。でもそんなムダなパートも、またトッド風味。
12. Sidewalk Cafe
リズムボックスとシンセを巧みに組み合わせた、再びレトロ・フューチャーなインスト・ポップ。2分程度というサイズ感がいいんだよな。これがヨーロッパ・プログレなら、アナログ片面20分くらいに展開しちゃうところだけど、ここではコンパクトにまとめている。
13. Izzat Love?
ややリズムの立った、ちょっとだけ体温を上げたポップ・バラード。ややリズムが走り気味なのは、独りレコーディングなのでご愛敬。バンド・スタイルで3分程度に展開すれば、もっと知られてもいい曲なのに。2分はちょっと短すぎ。
14. Heavy Metal Kids
いま現在のヘヴィメタ感ではなく、ハードロックからの発展形としてのヘヴィ・メタル。略した方じゃなく、あくまでヘヴィーなメタル。自分で書いててめんどくせぇな。
この時代にヘヴィ・メタルという言葉が一般的だったかどうかは知らないけど、今の耳で聴くと、ちょっと賑やかなハードロックだよな。この曲単体で聴くとそうでもないんだけど、やはりアルバム一連の流れでは、すごくよく聴こえてしまう。
アナログ2枚組の長尺だからこそ、飽きさせず、最後まで聴き通せてしまう構成力、そして勢いと適度なアバウトさ。プロデューサー:トッドの手腕を感じさせる。
15. In and Out the Chakras We Go (Formerly: Shaft Goes to Outer Space)
って思ってたら、またスペイシーかつフューチャーなプログレッシヴ。Outer Spaceって言ってるくらいだから、異星人との邂逅を表現しているのだろうけど、時々、ジョー・ミークみたいなキッチュ感がにじみ出ている。
そうなんだよな、こういうチープな未来感って、ジョー・ミークが先駆けだったよな。多分、トッドなら聴いてたと思うけど。
16. Don't You Ever Learn?
のちのユートピアの序章とも言える、ドラマティックなハード・プログレなバラード。『Something/Anything?』~『A Wizard, a True Star』から連綿と続いてきた、スタジオ・マジックの検証作業のひとつの結果となったのがこの曲であり、そんな重要な曲だからこそ、このラス前という配置に置いてきたのだろう、と察する。
17. Sons of 1984
そのユートピアのお披露目と言えるライブ・ステージ2か所で、トッドはこの曲のコーラスを録音した。歌ったのは、その時の観衆。
今ならもっと臨場感あふれる音像になるよう、マイク・セッティングや機材にもこだわるんだろうけど、「こうやってみよう」っていうコンセプトが先立ち、音はそんなに良くない。ただこういうのって、記録より記憶なんだよな、結局のところ。結果的に、そんな手作り感が良い方向に作用している。
全員で歌ってもらうためもあって、メロディもそんなに凝っておらず、そんなところにトッドの人の良さがあらわれている。どんなに悪ぶっていてもこの人、ちょっとひねくれてはいるけど、憎めないんだよな。