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 3ヶ月くらい前から、アメリカの音楽雑誌「Rolling Stone」が発表した「Rolling Stone Magazine 500 Greatest Album Of All Time」の全作レビューという企画を進めている。思っていたより手間がかかり、「…やんなきゃよかった」と思い直すことも多々あるけど、まぁまぁそれなりに楽しくやっている。


 名前だけは知ってたけど、ちゃんと聴いたことのなかった60年代の名盤から2000年代のヒップホップまで、多岐にわたるジャンルを片っぱしから聴いている。能動的に聴く気がなかったモノ、サラッと流し聴きしかしてなくて、すっかり記憶の彼方にあったけど、改めて向き合ってみたら案外良かったアルバムなど、何かと発見は多い。
 日常的にメタリカやアウトキャストを聴く人生じゃなかったし、これだけまとめてビートルズを聴いたのも久しぶりだった。フランク・オーシャンとドレイクは何回聴いても入り込めなかったけど、カニエ・ウエストとビヨンセは、思ってたよりも惹きつけられた。
 そんな按配なので、ずっとアメリカの音楽ばかり聴いていた。ていうか、ほぼそればっかり。そうなると、その反動でそろそろ違うものを聴きたくなってくる。
 ランキングの性格上、UKモノは少なく、しかも俺の好きな80年代モノとなると、ほぼ壊滅状態である。今のところ100位まで聴いたけど、U2でさえ、まだランクインしていない。
 なので、ランキングとは無縁の音楽だって聴きたくなってくる。こんな時の俺は、10代の頃、貪るように聴いてきた80年代UKサウンドを欲するようになる。

 近年はずいぶん大人しくなっちゃったけど、サッチャー政権が猛威をふるった80年代のイギリスには、自称・他称を問わず、社会に物申す系のアーティストが結構いた。日本ではボノやモリッシーがよく知られているけど、他にも例を挙げると、当初は硬派なレゲエ・バンドだったUB40、米米クラブ「トラブル・フィッシュ」の元ネタ提供として有名な、一見チャラいビジュアルとは裏腹に、実はゴリゴリの労働党支持者だったブロウ・モンキーズ:ドクター・ロバートなど、掘ればザクザク出るわ出るわ。
 そういえばスタイル・カウンシルも、一時、労働党運動に深く首を突っ込んでいた。ボノもデビュー当初から、眉間に皺寄せてアパルトヘイトやIRA批判を訴えていた。ビッグになり過ぎちゃって、アンチもその分多くなったけど、いまだ体制に噛みつくスタンスであり続けているのは、もうこの人だけになっちゃったな。
 インディー/メジャーを問わず、当時のUKミュージック・シーンには、一癖も二癖もある強者が揃っていた。それくらいキャラが強く口が立っていないと、秒進分歩で変わりゆく情勢に追いつけなかったのだ。
 そんな一人親方だらけの業界ゆえ、横のつながりは少なくならざるを得ない。一応、反体制の御旗の元に寄り集まっても、その中でも主張は人それぞれ、100人いれば100通りの主義主張があったりして、まとまるものもまとまらない。
 反体制の多数派に対して反旗を翻し、その数が多くなったらなったで、さらに反乱分子が生まれ、さらに少数派が手を組んで反々体制派が生まれたり…、あぁめんどくせぇ。日本の野党もこんな感じだもんな。
 そんなわけで、一国一城の主たちがそれぞれ好き勝手をのたまうだけで、なんら建設的な意見が出るわけでもない。堂々巡りの論議が延々続くうち、サッチャー退陣を機に彼らの勢いはフェードアウトしていった。
 身近に噛みつき吠える相手がいなくなったことで、ある者は海外の政治情勢へ目を向け、またある者は、新たに社会問題化しつつあった原発や環境破壊へその矛先を変えた。くどくど苦言ばかりをまくしたてながら、何ら行動へ移さなかった者は、シレッとした顔でノンポリのポップ・ソングへ回帰していった。

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 で、だいぶ前に聴いてからずっとほったらかしていたけど、つい最近になって思い出し、久しぶりに聴いてみたらツボにハマったUKバンド。それがThe The。一部では「英国インディー界最後の良心」と称されている通り、デビューからブレずに独自路線を貫いている人である。
 「人」と言ったけど、ファンの人なら誰でも知っているように、The Theはマット・ジョンソンのソロ・プロジェクトである。固定のメンバーはマットのみ、他のメンバーは流動的で、アルバムごとにビジョンにかなったメンツを集める方式を取っている。
 なので、同じメンツでアルバム2枚を作るのがほぼ稀な、まるで70年代キング・クリムゾンのようなユニットである。ジョニー・マーが加入していた時期は、ライブ活動にも積極的だったため、結構ロック・バンドっぽい雰囲気があったけど、それ以外はワンショット契約のスタジオ・ミュージシャンを起用することが多く、実質ソロみたいなものである。
 明確なビジョンを具現化できる実行力と説得力を兼ね備えているため、極端な話、マットのヴォーカル以外は、いくらでも差し替え可能である。返して言えば、The Theの世界観は他人の介入の余地がないほど完成されているため、中途半端な解釈を入れる隙間がない。
 どの音もどの言葉も、熟考の末、然るべき場所に据えられたものであり、そこに演奏メンバーの主観は必要ない。ヘタなアドリブを入れたりなんかすると、しばらく口を聞いてくれないか、はたまたコンソールのフェーダーをそっとミュートされそうである。
 特にこの『Infected』では、中東情勢に対する米軍の関与や英国内の階級闘争、ネガティブな男女関係の不条理さに至るまで、ロックでは深く掘り下げられたことのないテーマが多く取り上げられている。こう書くと、さぞマニアックかつ無愛想なサウンドと思われがちだけど、実は案外聴きやすい。
 現状を嘆くアジテーターとしてではなく、最小限のマーケティングを念頭に置いた優秀なサウンド・クリエイターを優先させることで、ロック・ユニット:The Theは成立している。そのバランスのさじ加減、自己プロデュース能力の高さこそが、いまだ孤高の存在として屹立している証左でもある。

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 ジョニー・マーと袂を分かってからのThe Theは、次第に活動ペースも落ち、あまり話題を聞くこともなくなった。いつの間にメジャー契約も終了し、今世紀に入ってからは、ほぼ開店休業状態、忘れられた存在になっていた。 
 3年ほど前、そのジョニー・マーと久々にコラボしてシングルを発表したのだけど、それもまた微妙な仕上がりだった。今の時点ではマット、本気でThe Theを復活させたいのかどうか、ちょっとわからない状態である。
 ここ数年のマットは、もっぱら実兄ジェラルドと設立したネット・ラジオを媒体として、表現活動を行なっている。お互いアラ還であるはずなのに、この2人、昔からめっぽう仲が良く、ジェラルドがプロデュースした映画のサントラをマットが製作し続けている。
 ちなみに『Infected』を含め、The Theのアルバム・アートワークの多くを担当していたのが、もう1人の兄アンディだったりもする。もう仲がいいとかじゃなく、単なる同族企業だなこりゃ。
 そんなわけで、日本では現在も活動状況が分かりづらい状況が続いている。ただオフィシャル・サイトを見てみると、物販コーナーは日本円表記で設定されているため、日本からのニーズはそれなりに高いんじゃないかと思われる。
 サントラ・シリーズ『Cineola』もすでに4枚目、一応、The The名義でのシングル・リリースもマイペースで行なっているため、決してリタイアしているわけではない。むしろメジャーの枷がなくなった分、自由奔放な創作意欲は、むしろ加速している感もある。
 -言いたいことはまだたっぷりあるし、切っ先が鈍ったわけでもない。ただ昔と違って、ファンにダイレクトに伝える手段は、格段に増えた。
 メジャーにこだわるメリットが激減した現在において、彼のようなアーティストが発信し続けてゆくためには、小規模ではあれ、自前のメディアを持つことが最適解だったのだろう。それをネット黎明期の頃から実践していたわけだけど、それが果たして必然だったのか、それとも妥協の産物だったのか。

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 ジャンル的にはポスト・パンク〜オルタナの類にカテゴライズされるThe Theだけど、実際に聴いてみると、そこまでアングラ臭が強いわけではない。お世辞にも美声とは言えず、街のチンピラみたいな訛りはパンク世代の特徴だけど、楽曲に応じて多彩なアプローチを取るし、ピッチもしっかりしている。
 アンチ・ポップであることを目的化とせず、メッセージとメロディを活かすため、インダストリアルとコンテンポラリー・ポップのミクスチャーを推し進めていたのが、初期The Theのサウンド・コンセプトだったと言える。前述の左翼系ロック・バンドの多くが、コンボ・スタイルにこだわりすぎたがゆえ、どの曲もソリッドなギター・ロック一辺倒で押し切らざるを得なかったのに比べ、独りユニットではその制約もない。固定メンバーを持たなかった分、ステレオタイプのロックにこだわらないスタイル構築が、初期The Theの強みだった。
 この次作『Mind Bomb』は、スミスを脱退して間もないジョニー・マーの加入によって、オーソドックスなロック・スタイルが多くなるのだけど、この『Infected』まではロック・サウンドの拡大解釈、従来ロックのフォーマットを用いながらも、多彩なサウンド・プロダクションが展開されている。
 当時のUKインディーの主流だった、リフで全体を引っぱるギター・ロック系の楽曲は案外少なく、むしろリズムを前面に出したダンス・ビート系に力を入れている。まだメジャーでは多用されていなかったメタル・パーカッションや変調シンセ・ドラム、時にはチープなリズム・ボックスなど、楽曲に応じて多彩に使い分けている点から、クリエイターとしてのセンスがバシバシ伝わってくる。

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 当初、マットのソロとして製作されたデビュー作『Soul Mining』を経て、名義上はこの『Infected』がThe Theとしてのデビュー作となる。ユニットとしてのバラエティ感を出すようエピックが要請したのか、はたまたマット自身の意向だったのかは定かではないけど、ゲスト・ヴォーカルとして、ネナ・チェリーとアンナ・ドミノが参加している。
 詳細は楽曲解説で書くとして、これだけメッセージ性がゴリゴリのアルバム・コンセプトでありながら、それぞれタイプの違う2人のパーソナリティを活かした楽曲を書き分けることに成功している。あくまで楽曲ありき、「ビジョンにかなったヴォーカルを探したら彼女たちだった」と思いたいけど、まぁそんな調子のいい話ねぇな。
 ドスの効いたマットのヴォーカルで見過ごされがちだけど、特にネナ・チェリーをフィーチャーしたトラックを聴くと、まぁちょっと硬めではあるけれど、ポップのセオリーに則ったメロディ・センスの良さに気づかされる。強烈な社会派メッセージと重厚なコンセプトの影に隠れてしまっているけど、もっとクセの薄い男性ヴォーカルに差し替えたら、耳障りの良いポップ・ソングとして、充分成立するんじゃないか、と。
 ポップなメロディ・ラインとディープなメッセージ性、さらに加えて多彩なサウンド・アプローチを操れるスキルと知識。さしてキャリアも長くない20代のアーティストには似つかわしくない、老獪とも言い換えられる自己プロデュース能力は、The The = マット・ジョンソンの秀でた面である。





1. Infected
 メタリックなビートとニュー・ウェイヴのギター・サウンドをミックスし、そこにソウルフルなコーラス・ワークをぶつける。こうやって書き出すと支離滅裂だけど、これをどうにかグシャッとひとつにまとめ上げてしまうことで、存在感の強さを見せつけている。
 モータウン・サウンドのエッセンスも注入したメロディはすごくポップだけど、全体的にゴツゴツしたテクスチュアはまさしくロック。突如フィーチャーされるファンクネスなトランペットの音色もソリッドなパーカッションも、どれも鋭く研ぎ澄まされて、無駄な要素が何ひとつない。
 ちょっと持ち上げ過ぎかもしれないけど、インディー/メジャーの垣根を易々と取っ払ってしまうトラック。よく作れたよな、こんなサウンド。
 アルバムから2枚目のシングル・カット、UK最高48位。案外売れている。



2. Out of the Blue (Into the Fire) 
 「孤独を埋めようとして娼婦を抱いたけど、事を終えても満たされず、しまいには女から罵声を浴びせられて、さらに落ち込んでしまった」男を、シンガー・ソングライター・タッチで歌い描いたトラック。メロディックなトーキング・スタイルで顛末が語られるのだけど、心象風景を補足するサウンド・エフェクトが凝っており、バック・トラックだけでも興味深い。
 
3. Heartland
 先行シングルとしてUK最高29位を記録した、今もThe Theの代表作として、その筋では結構知られているトラック。80年代UKニュー・ウェイヴ好きな人にはマストなアイテム。
 全面的にピアノとストリングスがフィーチャーされ、ロック的な要素はかなり排除されている。一面的にジャジーなポップとも言い切れず、ソウルやブルース、ラグタイムもごった煮にして、アメリカ音楽への強いリスペクトを一大絵巻として描き切っている。
 ただ、そんなアメリカ音楽の遺産への姿勢とは相反して、吐き捨てるように語られるのは、帝国主義への痛烈な皮肉とアンチの表明。流暢な女性ヴォーカルがリフレインするのは、「ここは合衆国51番目の州」という自虐の言葉。そんな現実さえもポップにコーティングし、広く世に流布させるマットの思惑が深く刻み込まれている。



4. Angels of Deception
 シンセ音源のストリングスとウッド・ベースを絡ませた、全般的に落ち着いたサウンドだけど、時おりテンションが上がり、また静かになる繰り返し。クセの強い楽曲が並ぶ『Infected』の中ではおとなしめのトラックだけど、やはりここでもゴスペル・タッチのコーラスが多用されたりなど、何かとソウル・ミュージックからのインスパイアが見受けられる。
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5. Sweet Bird of Truth
 リビア爆撃に参加したアメリカ兵の苦悩を一人称タッチで描写した、このアルバムのメイン・トラック。ちょうど両国間の緊張状態がMAXだった頃にリリースされたため、一時は放送禁止に指定された、曰くつきの作品でもある。微々たるものではあれ、それだけ当時のThe Theに影響力があったことを窺わせるエピソードだな。
 当時、インディー・シーンで人気のあったインダストリアル系アーティスト:ジム・フィータスのプロデューサー:ロリ・モシマンが参加していることもあって、サウンドはゴリゴリのメタル・タッチでまとめられ、マットのヴォーカルも深くエフェクトをかけたモノローグが主体となっている。
 取り上げるテーマがテーマなだけに、無愛想でシリアスなテイストなのだけど、その中で唯一の緩衝地帯として存在するのが、ゲスト・ヴォーカルのアンナ・ドミノ。「クレプスキュールの女神」と称された彼女が、なんでこんな畑違いの場所にあらわれたのかはちょっと不明だけど、男臭さ満載の空間にささやかな安らぎを与えてはいる。

6. Slow Train to Dawn
 ギターの音色が古き良きUKニュー・ウェイヴ臭甚だしい、このアルバムの中では比較的ロック・スタイルの濃いトラック。ゲスト・ヴォーカルのネナ・チェリーは、ジャズ・トランぺッター:ドン・チェリーの養女で、すでにニュー・ウェイヴ界隈では知られた存在だった。でも俺は知らなかった。いま調べて初めて知ったよ、スリッツ、ニュー・エイジ・ステッパーズ、リップ・リグ&パニックって、マイナーだけど全部知ってる名前だよ、どれもちゃんと聴いたことはないけど。
 この時点でポジション的に、どちらが格上だったのかは定かではないけど、多分、血筋的にネナの方だったんだろうな。新進気鋭のサウンド・クリエイターに指名されて、「参加してやった」的なところもあったんだろうけど、相手を喰うような勢いで歌うわ叫ぶわで、マットとしては「してやったり」ってとこだったんだろうか。
 本文でも書いたように、実質的なデュエット・ナンバーとなったこの曲、ソウルもファンクもロックもごった煮にして、正しくThe The王道の楽曲なんだけど、UKチャートでは最高64位。俺はすごい好きなんだけどな、こういうの。



7. Twilight of a Champion
 スウィング・ジャズとシンセ・ベースと銃声音を強引にひとつにまとめ上げた、流麗なメロディのバラード。って、書いててなんかよくわからん。でも、聴いて思ったことをそのまま書いただけ。聴けばわかるさ、きっと。
 ここまで聴いてて、ストリングス・シンセの使い方がうまい人だな、というのが印象に残る。単にメロディックな使い方ではなく、強いアタック音とのコントラストとの配置・バランスが絶妙なんだよな。

8. The Mercy Beat
 80年代テイスト濃いエフェクトをきかせたアルペジオは、やはりUKニュー・ウェイブの定番か。当時、みんなが使いまくっていたフェアライトのプリセット音も、強くブーストされたバスドラも、何もかも懐かしい。懐かしいけど、古びてはいない。普通なら、もっと音が痩せているはずなのに。
 録音レベルにも神経を使ったマットの慧眼が、ここにも生きている。