好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Talking Heads

制御不能の無邪気な怪物、そして音の礫。 - Talking Heads 『Remain in Light』

folder トーキング・ヘッズのアルバム中、最も知名度が高いのが『Remain in Light』であることに異論を唱える人は、多分少ない。スタジオ・アルバムに限定しなかったら、『Stop Making Sense』を推す意見もあるだろうけど、これまた多分、少数派だろう。
 アラフィフの俺のように『Little Creatures』から入った世代だと、『Remain in Light』は当時からすでに80年代ロックを代表する名盤扱いされていたため、別格扱いだった。MTVにもうまく馴染んだフォーク・テイストのポップ・ロック主体の『Little Creatures』に比べ、愛想のないミニマリズムで塗りつぶされた『Remain in Light』は、ちょっと敷居が高かった。
 デビュー~活動休止までを時系列で追っていくと、どんな角度・どんな視点で捉えたとしても、『Remain in Light』がひとつのターニング・ポイントとなるのは間違いない。好き/嫌いや好みの問題ではなく、『Remain in Light』をピークとして、以前/以後という座標軸ができあがってしまう。ていうか、それ以外の視点で語るのは、ちょっとこじつけが過ぎる。
 メンバー4人の思惑やポテンシャルを軽々と超え、制御不能の怪物として生み落とされた『Remain in Light』だけど、何も突然変異であんな感じになったわけではない。ディランを始祖として、ルー・リード→パティ・スミスから連綿と続く、パフォーミング・アートとしてのニューヨーク・パンクを正統に継承しているのがヘッズであり、このアルバムもまた、その時系列に組み込まれている。
 とはいえ『Remain in Light』、オーソドックスなニューヨーク・パンクのフォーマットからは大きくはみ出しており、やはり異彩を放っている。逆説的に、「既存価値の否定」という意味合いで行けば、正統なニューヨーク産のガレージ・パンクである、という見方もできる。あぁややこしや。

Heads

 テクニックよりエモーション、熟練より初期衝動を優先し、ライブハウス直送のガレージ・バンドとしてデビューしたヘッズだったけれど、早々に下積み時代のスキルを使い果たしてしまい、壁にぶち当たることになる。単発契約でそのままフェードアウトしてしまう、数多の泡沫バンドと比べ、彼らのどこに期待する要素があったのか、その辺はちょっと不明だけど、外部プロデューサーによるテコ入れを入れる、という条件で2枚目のアルバム制作の目処が立つ。
 そこでプロデューサーとして抜擢されたのが、ご存知ブライアン・イーノ。ロキシー・ミュージック脱退以降、「枠に囚われない活動」といった言葉そのままに、ボウイのベルリン3部作で重要なファクターとして存在感を示し、偏屈で理屈っぽいロバート・フリップと組んで偏屈で理屈っぽいアルバムを作り、一方で「環境音楽」というカテゴリを創造するなど、もうあちこちから引く手あまた。要は、空気の読み具合にメチャメチャ長けて、メイン/サブ・カルチャーのニッチな隙間を右往左往することに悦に入っちゃう、そんな「意識高い人」である。
 曲も書けなければ、まともに歌うことも演奏することもできない、「自称」ミュージシャン時代は、もっぱら「変な音」担当として、派手なコスチュームと言動に明け暮れていたイーノだったけど、根拠不明な確信と意識高い系の振る舞いが、逆に純正ミュージシャンらの共感を得た。決して自分で手本を示さず、あくまで傍観者の視点から、確信を突くかのように錯覚させる、暗示めいた助言やアドバイスをつぶやくことが、彼の処世術といえば処世術だった。
 しかも、その言動に決して責任を持たない。彼こそ正しく、真の「意識高い系」である。

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 テクニカル面でのプロデュース能力はひとまず置いといて、アドバイザーとしてはすこぶる有能だったイーノの導きもあって、ヘッズはバンドとしての体裁を整え、2枚目『More Songs About Buildings and Food』のリリースに至る。大して欲もなければ野心もない、学生バンドに毛が生えた程度の存在だったバンドは、ここでささやかなブレイクを果たすこととなる。
 続く3枚目『Fear of Music』で、シンプルな8ビート+ファンクのハイブリッドを完成させたヘッズは、その後、イーノとデヴィッド・バーンによる合作『Bush of Ghosts』を経て、呪術的なミニマリズムとアフロティックなビートを取り込んでゆく。フェラ・クティやキング・サニー・アデへのオマージュが強く、厳密に言えばヘッズの発明ではないのだけれど、ポスト・パンクの枠を超えてメジャー・バンドとなっていた当時の彼らとしては、かなりの野心作である。
 思わせぶりなイーノの妄言や思いつきを、いちいち真に受けていたのがバーンであり、逆にどこか醒めたスタンスを崩さなかったのが、クリス・フランツ、ティナ・ウェイマス、ジェリー・ハリスンら他メンバー3名だった。「エイモス・チュツオーラの小説からインスパイアされて云々…」といったアカデミックなウンチクを聞き流し、「なんか良さげなノリのリズム教えてもらったから、レゲエもアフロもファンクも混ぜ込んじゃって、ダンス・ポップに仕上げちゃえ♡」と、軽い気持ちで作った「おしゃべり魔女」が大ヒットしちゃったのが、お遊びバンドのトム・トム・クラブである。
 バーンだけじゃなく、こういったセンスを持った彼ら3人の存在が、実のところヘッズ・サウンドの多様性に大きく作用している。イーノの場合、半製品に絶妙な茶々を入れて完成度を高めることはできるけど、ゼロから具現化することには向いていない。
 人にはそれぞれ、役割がある。

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 『Remain in Light』制作の準備段階ではイーノ、スケジュールの都合上、不参加を表明していた。イーノの過干渉でストレスフルとなっていたバンド内人間関係を考慮してか、バーンもメンバーのみの製作を了承する。
 『Fear of Music』で手応えを掴んだファンク/ミニマル・ビートの沼にさらに一歩踏み込み、リハーサルではワン・コードを基調とした長時間セッションが繰り返し行なわれている。現行の最新リマスター・エディションでは、当時の未発表セッションがボーナス・トラックとして収録されており、現場の雰囲気を感じ取ることができる。
 決してテクニカルを売りにしたバンドではないため、強烈なグルーヴ感を生み出すほどではないけど、ポスト・パンクから見たアフロ・ファンクのフェイク/リスペクトというアプローチは、案外前例がなく、強い記名性を放っている。
 そうなると、新しもの好きの鼻が嗅ぎつけてくる。ひょんなきっかけでデモ・テープを耳にしたイーノがしゃしゃり出てくるのを止められる者はいなかった。
 既存ロックの「破壊」という意味合いで、ファンクのリズムを借用したPILやポップ・グループと違って、ヘッズの場合、彼らよりはずっと、ミュージシャン・シップに溢れていた。初期衝動のみで、既存のロックを「破壊したつもり」になって、その後を手持ち無沙汰に過ごすのではなく、基本の4ピース・ロックに他ジャンルの要素を取り込んでゆく。
 「破壊」の後、空虚な高笑いを放つ輩には目もくれず、ただ愚直に異ジャンルの音楽性を取り込み、完成度を高めてゆく彼らの姿勢は、ロック・バンドの理想形である。安直な自己模倣を拒み、常に「その先」を追い求めるその姿は、真の意味でのプログレッシヴである。
 なんか持ち上げ過ぎちゃったけど、この時期のヘッズの勢いは、それだけ突出していた。あぁ、リアルタイムで聴きたかった。

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 イーノにそそのかされて、暴走に拍車がかかったバーンと、不本意ながらその煽りで火事場のクソ力を引き出されたメンバー3名の異様なテンションの高まりによって、ベーシック・トラックが完成する。そこでイーノが、テープを切った貼ったの鬼編集を加え、流浪のギター芸人:エイドリアン・ブリューをぶっ込んだり、そんなカオスな経緯の末、『Remain in Light』は完パケに至る。この時期のブリューって、イーノやロバート・フリップにいいように使われてたよな、「変な音」担当として。
 そこで産み落とされたのは、バンド自身では制御不能の怪物だった。狂騒状態のセッション/スタジオ・ワークを経て排出されたのは、彼らのポテンシャルを遥かに超えた、カテゴライズ不能の音の礫だった。
 テープ編集と人力セッションとが混在して編み出された呪術的ビートは、冷徹でありながら、強烈な中毒性と強制的な代謝を促す。張り詰めたミニマリズムは、強迫的な緊張感を誘発し、ヴォーカルは神経をすり減らしながら、嗚咽と見紛う雄叫びを上げる。その声は弱々しくかすれ、そして時に裏返る。
 強力にブーストされた暴力的なリズムに対し、線の細いヴォーカルは翻弄されながらも、一歩手前で踏みとどまり、ミスマッチな存在感を示す。本来、このようなリズム・メインのサウンドでは、グルーヴに飲み込まれない声質、またはシンクロするリズム感が必須なのだけど、ヘッズはそんな予定調和へNONを突きつける。
 強烈なミスマッチを対峙させることで、ヘッズとイーノは80年代の音楽シーンに深い傷痕を刻みつけた。
 その痕跡はいまだ尾を引き、多かれ少なかれ彼らの足かせとなっている。





1. Born Under Punches (The Heat Goes On) 
 1曲目からこんなインパクト充分なアフロ・ファンクをぶっ込んじゃうあたり、仕上がりにかなりの自信があったことのだろう。リズムとノイズとエフェクトを一緒くたに混ぜ込んでいながら、ちゃんと分離も良くてディテールも明快だし、それでいて妙なグルーヴ感があるし。
 このアルバムのどの曲でも言えることだけど、全篇バーンは狂言回しのようなポジションに徹しており、リズムに飲み込まれまいと必死に足掻くその様が、妙にリアル。ヒット・チャートやキャッチ―さもまるで無視していながら、それでいてきちんと商業音楽にまとめ上げてしまうイーノの手腕は、悔しいけど見事。



2. Crosseyed and Painless
 ほぼ終始ワンコードで展開される、こちらはロックなギターがフィーチャーされているので、もう少し開かれた音作りなのかね。いや、間奏のブリューの変なギター・シンセは、やっぱ未知のスパイスとして機能している。
 乱れ飛ぶパーカッションとシンセ・エフェクトがサウンドのメインではあるけれど、ちょっと深く聴き込むと、手数は少ないけどポイントを突いたティナのベース・プレイに耳が行ってしまったりする。バカテクという感じでもないんだけど、ツボを得たシンコペーションはいいアクセントとして作用している。

3. The Great Curve
 またまた延々と連なるパーカッション、またまたワンコード・ファンクの無限ループ。レコードで言えばA面ラストだけど、全篇こればっかり。ここまで畳みかけられると、いやでも虜になる。ていうか、ここまでダメ押ししないと伝わらない音なのだ。
 流暢とは言えぬ朴訥なバーンのヴォーカルに対し、やたらソウルフルなノナ・ヘンドリックスのコーラスとは相性が合わなさそうだけど、これもリズムの洪水によるグルーヴ感が成せる技。このリズムがないと、多分噛み合わない。
 「象の雄叫び」と評されたブリューのギター・プレイは、やはりいつ聴いてもカッチリ音世界にハマっている。もともとはこれが「素」なんだから、ボロクソに言われながらクリムゾンやることなかったのに。ブリューの世間のニーズは、ここにあったはずなのに、当時は気づかなかったのかね。

4. Once in a Lifetime
 アフロ・ファンクとエレクトロの融合。シャーマニックなバーンのヴォーカル。ほぼ素材コラージュのような方法論で制作された『Bush oh Ghosts』から進化して、アフリカン・リズムを咀嚼してヘッズのメロウな部分をちょっと足して創り上げられたのが、コレ。
 シングル・カットもされて、今ではほぼ彼らの代名詞的な有名曲でありながら、当時のUSでは100位前後とパッとしなかった。UKでは最高14位にチャート・インしており、この辺は英米の嗜好の違いが見て取れる。いや、いい悪いじゃなくてね。
 今回初めて知ったのだけど、なぜかロバート・パーマーがギターとパーカッションで参加している。コーラス参加とかならまだわかるけど、なんでギター?贅沢な、っていうか、もったいない使い方だよな。



5. Houses in Motion
 パーカッションがあまり前面に出ておらず、バーンのダブル・ヴォーカルとオリエンタルなギター・リフが主役の、メロディとコードは従来のヘッズを踏襲している。ここでもまた、ブリューの象の雄叫びが聴こえる。
 ボウイ成分がちょっと強いかな。彼なら多分、こんな感じになるんじゃないか、と何となく思う。

6. Seen and Not Seen
 ダウナーなヴォーカルを抜いたら、あらアンビエント・テクノ。リズム・メインのわかりやすいアフロティックではなく、漆黒の密林を想起させる、底知れぬ闇が広がっている。
 思わせぶりな散文的な暗示をつぶやくバーンは、ひたすら俯き加減で言葉を探り、そして紡ぐ。

7. Listening Wind
 漆黒の密林は、まだ続く。闇夜を切り裂く猛禽類の雄叫びは、どこから響くのか。
 ブリューもイーノも、ここではシャーマニックなバーンに跪く。ここまでずっと張り詰めた緊張感を維持しており、ここでもサウンドは妖しげな獣の芳香に満ちているのだけど、バーンは静かに狂い、そして正気を保とうとする。
 少なくとも、ここでのバーンの声は、これまでと比べて最も「素」だ。

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8. The Overload
 裏ジャケのグラマン戦闘機を思わせる、静かなプロペラ音。執拗なリズムは嘘のように引き、虚無感にあふれるダークで重い空間。救いの見えぬ深淵は、ポップでライトな80年代とは相反し、けっして交じり合おうとしない。
 能天気なアメリカ人:ブリューの出番もなく、ここではイーノの存在感も薄い。これがヘッズの素顔だとしたら、それはちょっと斜め上過ぎるしペシミズムが強すぎる。
 ちょっとはブリューの爪のアカでも煎じて飲めばよかったのだろうかね。肩が凝っちゃうよ。






代表作以外もちゃんと聴いてみようよ。 - Talking Heads 『Naked』

folder 1988年リリース、ヘッズ最期のオリジナル・アルバム。シンプルで親しみやすいバンド・サウンド2作から一転、250度くらい斜めを向いたエスニック・サウンドは、それまで振り回されながらもしがみついてきた固定ファンを混乱に導いた。俺も混乱した。何じゃこの音、それにジャケット。
 既存のロックやポップのフォーマットとは、装いも中身もあまりに違っていたため、大して売れなかったんじゃね?と思っていたけど、調べてみればUS19位・UK3位と、案外堂々とした成績。西欧ポピュラー音楽が自家中毒にはまっていた80年代後半という時節柄もあって、スノッブなロック・ユーザー中心に評価は高かった。
 当時、スティングやピーター・ガブリエルを代表とするロック・セレブらが、民族音楽専門のレーベルを設立したり、その流れでアフリカ勢のサリフ・ケイタやユッスー・ンドゥールが大きくフィーチャーされたりして、『Naked』が受け入れられる下地は、ある程度整っていた。リーダーのデビッド・バーンからすれば、「いやいや、ボクはもっと前から『Bush of Ghosts』作ってたし」とでも言いそうだけど。

 一般的なロック史観でヘッズが取り上げられる際、紹介されるのは、大抵『Remain in Light』である。当時、非ロックの急先鋒だったプロデューサー、ブライアン・イーノが、精神的な師弟関係にあったバーンをそそのかして創り上げた、頭でっかちで踊りづらいダンス・ビート・アルバムが、これ。
 黒人のサポート・ミュージシャン中心で演奏されたベーシック・トラックを素材に、2人で思いつくままままに、テープを切り貼りしたりエフェクトかけたり、ある意味コンセプト・アートの延長線上で『Remain In Light』は製作された。ポスト・ロック以降の方向性のひとつである、ホワイト・ファンク~ミクスチャーの源流として、今も確固たる地位を築いている。
 いるのだけれど、ほぼ主役と言っちゃってもいいくらい、サポート・ミュージシャンをフィーチャーし過ぎたため、結果的に他メンバー3名の影が薄くなり、バンド内の人間関係は悪化してしまう。「バーンがそういう態度なら、俺たちだって勝手にやるさ」となかばヤケクソな動機でトム・トム・クラブを始めるが、思いのほかこれが大ヒットしてしまう。アカデミックな視点では『Remain in Light』が圧倒的に支持が高いけど、一般的な80年代ヒットとしては、「Once in a Lifetime」より「おしゃべり魔女」の方がよく知られている皮肉。
 バンドとイーノ、どっちを選ぶか岐路に立たされたバーンは、最終的にイーノとのコラボを解消、一旦仕切り直しの意味も含めて、総決算となるライブ・アルバムをリリースする。これが『Stop Making Sense』。バーンのコンセプチュアル・アート趣味が炸裂する映画の方が有名かもしれない。これもロック史では、よく取り上げられている。

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 俺がリアルタイムで知ったヘッズはその後、シンプルなバンド・サウンドに回帰した『Little Creatures』と『True Stories』。このブログでも開設初期にレビューしているくらいなので、個人的な思い入れは深い。実際、いまも年に一度は聴いている。
 頭でっかちなスノッブさが取れ、カジュアルなヘッズのアルバムとして、こちらも根強い人気を保っている。チャート上位に入ったシングル曲も多い時代で、日本での認知度が高いのは、むしろこのあたりなのかもしれない。
 で、これらのアルバムは大方語り尽くされちゃったせいもあるのか、近年はデビュー前後、まだイーノが絡む前の荒削りな時期の評価が高い。アート・スクール出身特有のアイディア一発勝負、頭脳と体とが噛み合ってないアンバランスさによって、唯一無二の奇妙なアンサンブルを生み出している。
 イーノにかどわかされて洗脳される前、コンセプトとテクニックとが整理されていないサウンドは、当時のニューヨーク・シーン、ガレージ・パンクのルーツとして貴重な記録である。本人たちにしてみれば黒歴史だろうけど、実際、この時期のライブは人気が高く、ネットやブートでも大量に転がっている。興味があればぜひ。

 と、だいたいこの辺が、ヘッズの代表的なアルバムとされている。かい摘んで代表作3枚となれば、この5枚から選ばれることが多い。なので、『Naked』が紹介されることは、まずない。ていうか見たことない。
 ポスト・ロックと称するには、ちょっと突き抜けすぎるサウンド・アプローチだった『Naked』。業界内での反応は、まんざらではなかった。中村とうようがどう評価していたかは忘れちゃったけど、この手のサウンドは容認しないといけないんじゃね?的なムードが漂っていたよね、ミュージック・マガジン。
 圧倒的な絶賛もなければ批判もない、周りがどう扱っていいのか困ってしまうアルバム、それが『Naked』である。どんなスタイルであれ、次回作がリリースされていたら、一時の気の迷いだったということで、表立った批判、または擁護する声も出てきたんだろうけど、何しろこれが最終作なので、如何ともしがたい。
 かつて『Remain in Light』リリースの際、あからさまなアフロ・リズムの引用・借用で批判の矢面に立たされたヘッズだったけど、『Naked』では、そんな声もあまり上がらなかった。だって、バンドの実体がもうないんだもの。
 リリース以降、いくつかのインタビューを受けただけで、解散ツアーも行なわれず、ヘッズは自然消滅する。すでにバーンの心は、ソロ・プロジェクトへ向いていた。

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 前回のボウイのレビューでもちょっと書いたけど、いわゆる過去の名盤より、ちょっと完成度は劣るけど、リアルタイムで聴いてきた作品の方にシンパシーを感じることは、ままある。俺の中でのヘッズは、現在進行形で聴いていた『Little Creatures』から『Naked』までであり、それ以前のアルバムは後追いのため、イマイチ愛着は薄い。
 特にイーノ時代だけど、あのあたりは前述のミュージック・マガジン臭、これを認めないと、意識的なロック・ユーザーとは言えない、そんな選民思想がジャマして云々…。
 いや、何度もトライしたのよイーノ時代も。入れ込み具合はどうあれ、どのアルバムも満遍なく聴いてはいる。いるのだけれど、ピンと来ない。来ないから書けない。愛情もないのに書いたって、言葉は上滑りするだけだ。

 非ロックとしてのエッセンス的な使い方ではなく、真っ向から取り組んだアフロ・キューバン/ラテン・サウンドは、当時のバーンの志向が大きく反映された結果である。ワールド・ミュージック専門のレーベル「ルアカ・バップ」を設立するくらい入れ込んでいたバーン主導のもと、『Naked』は多くのゲストミュージシャンを招いてレコーディングされた。
 ポスト・ロック的アプローチと、多くのサポート・ミュージシャンが参加しているという2点において、『Remain in Right』との相似点も多いけど、決して頭でっかちなサウンドにはなっていない。結局のところ、やはりこれはバンドのアルバムである。
 暴力的なバンド・グルーヴが渦巻く『Remain in Right』のコアは、強力なリズム・セクションが生み出すミニマル・ビートだ。サウンドの中心にどっしり構えたビートは、呪術的な求心力でアンサンブルを支配する。
 それに抗うが如く、エキセントリックな奇声を放つバーン。リズムをねじ伏せるため、ヒステリックなパフォーマンスで対抗する。その背中は、冷たい汗でじっとり濡れている。切迫した緊張感は、バンドの基礎体力を日増しに削り取ってゆく。
 『Naked』もサポート・ミュージシャンの割合は多いけど、演奏でのメンバー4人の貢献度は高い。背中を伝う汗も冷えていない。
 職人プロデューサー、スティーブ・リリーホワイトはイーノと違い、バンドの基本グルーヴを尊重した上で、サポート・ミュージシャンのエッセンスを加えていった。単なる思いつきやサウンド偏重に陥らず、レコーディングのプロとして、バランスを重視したサウンドを創り上げた。

David-Byrne

 バンドとは、一回こっきりのプロジェクトではない。完成形を重視するがあまり、近視眼的な独裁ぶりでは、メンバーの相互不信が内部崩壊の引き金を引く結果となる。スティーリー・ダンのスタイルを続けるには、相応の覚悟とスキルが必要なのだ。
 やっぱイーノなんだよな。良し悪しはあれど、センスだけじゃ長くは続かない。


Naked [Explicit]
Naked [Explicit]
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Parlophone UK (2006-02-13)



1. Blind
 CDをセットして、いきなりこのイントロが流れてきた時のことだけは覚えている。「あれ、中身違ってね?」サンバ/ラテンの狂騒的なリズムの洪水は、当時、ロック・オンリーの俺の耳には、強烈な違和感が先立った。ただ聴き続けるたびに違和感は薄れ、次第に馴染んでしまう俺がいた。メロディはよくできてるんだよな、バーンの曲って。
 ビルボードのメインストリーム・ロック・チャートでは39位、UKでも59位とまずまずの成績。まったくカスらなかったわけではない。ロックにこだわらず、コンテンポラリー・ポップとして幅広い支持を得た楽曲。ちなみにPVは、アメリカ大統領選を皮肉った設定のもと、なぜか凶暴なモンキー・レンチがその座を奪おうと暴れ回る、といったまるでモンティ・パイソン的なネタ。エイリアンとターミネーターが憑依した顔つき(?)のモンキー・レンチの演技は必見(?)。



2. Mr. Jones
 リゾート・ホテルのディナー・ショーを連想してしまう、ややゆったり目のラテン、ていうかマンボ。1.同様、バーンのメロディのクセが良い方向に作用して、単なる享楽的なラテンに陥ってはいない。その辺が非ラテン・ミュージシャン的なアプローチであり、スティーリー・ダンと同じテイストを思わせる。

3. Totally Nude
 カリビアン・テイストなスティール・ギターが心地よいナンバー。肩の力の抜けたゆったりしたリズムは、まどろみを誘う。何となく、マラカスを振りながらダラダラ歌うバーンの姿を想像してしまう。

4. Ruby Dear 
 あまりサポート勢も入らず、こじんまりとしたバンド・スタイルでレコーディングされた小品。なので、このアルバムの中では従来ヘッズ・テイストが最も強い。ドラム・パターンこそアフロっぽいけど、借り物のリズムではなく、バンドが訴求したうえでのビートとなっている点が、アンサンブルの充実を示している。この線のサウンドで、もう1枚くらい作って欲しかったよな。

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5. (Nothing But) Flowers
 イントロのベース・ラインが特徴的な、様々なアイディアが詰め込まれてほどほどに整理されたナンバー。フォーマットこそラテンだけど、ヘッズ独自のサウンドとリズムに昇華されている。
 当時、モリッシーと仲違いして課外活動に明け暮れていたジョニー・マーが参加。リズムに囚われず、持ち味であるネオアコ風味の音色で拮抗しているのは、好感が持てる。参加するからには、自分の痕跡を残しておきたいし。



6. The Democratic Circus
 あまりコード感を感じさせない、ゆったり流れるメロディとリズムは、この後のバーンのソロ作でも強く反映されている。思えばヘッズが純粋なロック・バンドであったのはごく初期だけであり、ほとんどの時期は傍流を走っていた。たまたまロックのフィールドに入れられただけであって、バーンの音楽性のコアはあまり変わっていない。
 ここでもドブロをフィーチャーしているけど、ロック的な使い方はされていない。やっぱアートの人なんだよな。

7. The Facts of Life
 と思っていたら、急にロックっぽいビートが。エコーが深く、エフェクト臭が強いドラムの音とシンセ・エフェクトは、ストレートなポスト・ロックを感じさせる。直球ど真ん中の次世代ロックっていうのも、なんか変な例えだな。
 ほぼバンド4人でのセッションのため、むしろ実験的な色彩が強い。ボーナス・トラックの12.みたいに、なんか別のプロジェクトのアウトテイクに聴こえてしまう。曲単体としては好きだけど、アルバム・コンセプトからはちょっと浮き気味。

8. Mommy Daddy You and I
 トラディショナル楽器であるはずのアコーディオンを、こういった使い方でフィーチャーするのは、ヘッズならでは。実験精神こそが本領であることを示したナンバー。『True Stories』に入ってても違和感ない、オーセンティックな味わいのメロディ。そこにバーンのヴォーカルがスパイスとして加わる。他のシンガーなら流麗に歌い流してしまうところを、強いクセとアクセントでもって、一家団欒をひと捻りする。
 

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9. Big Daddy
 ホーン・セクションのメンツから見て、「Blind」と同じセッションでレコーディングされたナンバー。性急なビートでせっつかれる「Blind」より、こっちの方が好きな人も多いはず。リゾート・ホテルっぽさが無駄にゴージャス感を演出しているけど、そのフェイク感こそが、まさしくヘッズ。アフロやラテン・ビートだって、本気で体得しようと思っているわけじゃないし。

10. Bill
 呪術っぽいドラム・パターンが既視感を思わせる。『Remain in Light』のアップグレード版的な。サポートがなくても、ここまでできる。すでにそういったエッセンスは取り込んでしまった。なので、もうやる必要はない。そりゃ解散って選択肢になるわな。
 コーラスとして参加しているカースティ・マッコールだけど、どんな経緯で参加してるのか長年不思議だったけど、考えてみれば当時の彼女、リリーホワイトの奥さんだったことに、さっき気がついた。すごい小さなレベルだけど、点と線とがつながった。

11. Cool Water
 初期ガレージ・パンク期のサウンドをリブートすると、こんな感じになる。レコーディング環境や演奏テクニックが洗練され、先走った勢いが追い付かず、実現できなかったアイディアもじっくり熟成されている。
 基本的なスタンスは変わっていない。ただ見せ方が違うだけで。ただそれも、ヘッズの不定形を象徴しているのかもしれない。バーンのソングライティングを軸に、ヘッズは常に変容してきた。そして、その行為は幕を閉じる。
 
12. Sax and Violins
 初回オリジナルは11.で終わっており、これはいわばボーナス・トラック。初出は1991年、ウィム・ヴェンダース監督による映画『夢の涯てまでも』サウンドトラック。後にベスト・アルバム『Sand in the Vaseline: Popular Favorites』と『Once in a Lifetime』に収録された。
 俺が最初に聴いたのは前者ベストで、ヘッズの新たな局面が見られたことで、当時微かな期待をしたけど、遂に果たされることはなかった。当時の未発表セッション「Lifetime Piling Up」と併せて、一時はヘビロテ状態だった。
「まだできるのに」という反面、無様な末期を見せず、「ここでおしまい」と言い切ってしまう潔さもまた、アーティスト=デヴィッド・バーンのプライドだと思う。





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イーノがいなくたってやっていけるじゃん - Talking Heads 『Speaking in Tongues』

folder 1983年リリース、Talking Headsの5枚目のアルバム。問題作呼ばわりされた『Remain in Light』から2年ぶりに制作されたアルバムのため、ちょっと影は薄い。しかも、この後に今でも名作として語り継がれているライブ・アルバム『Stop Making Sense』があり、そこではオリジナルを凌駕したと評されるダイナミズムあふれるライブ・ヴァージョンが披露されているため、ますます分が悪い。そこで前期のキャリアに一旦区切りをつけてからの『Little Creatures』なので、ほんと存在感は薄い。
 その『Little Creatures』がまたセールスを大きく伸ばしたので、あんまり売れてないんじゃないかと思われがちだけど、チャート的にはUS15位UK21位と、中堅ニュー・ウェイヴ・バンドとしてはまずまずの成績を収めている。
 ここ日本においても、「ミュージック・マガジン」界隈で強くプッシュされていたのが功を奏したのか、オリコン最高72位と微妙にチラッと顔を出している。シャレオツでトレンディなカフェ・バー文化の片棒の端っこくらいは担っていたおかげもある。

 大方のHeadsファンの認識通り、この『Speaking in Tongues』、3作に渡って続けられたプロデューサーBryan Enoとのコラボ解消を経ての作品なので、サウンド的にも過渡期的な位置付けで受け止めてる人が多い。前作で極めつくしたアフロ・ファンクのテイストを残しつつ、メロディに比重を置いたホワイト・ファンクは、彼らのオリジナルなアイディアにあふれているのだけれど、熱心なファンでさえ前作の勢いで売れただけと思ってる人も多い。実際、俺もそんな風に思っていた。
 ニューヨークの文化系ガレージ・バンドからスタートして、歌メロに光るものがあったのにもかかわらず、コンセプチュアル・アートへの憧憬が深いByrneと、イギリスの変態グラム・バンド出身の楽器のできないプロデューサーEnoとの出会いは、当初から強烈な化学反応を起こし、次第にアフロ、ファンク色が強くなり、現代アートの様相すら帯びてくるようになる。次第に基本リズムはカオティックに暴力的になり、サポート・メンバーの方が多くなって、バンドとしてのアイデンティティは霞んでゆくようになる。
 そんな経緯をリアルタイムで見てきた現役世代なら、このアルバムのサウンドは聴きやすいけどどこか物足りなく感じてしまうのも事実。俺のように『Little Creatures』や『Stop Making Sense』から注目し始めた後追い世代的には、『Naked』の前、最後から2番目くらいに聴けばいいんじゃね?的なスタンスのアルバムである。

Heads

 以前『Little Creatures』のレビューで、David Byrneの本質は「どこにでもいる普通の人である」と書いたけど、そこにもうひとつ付け加えて、「傍観者的なスタンスの人」なんじゃないかと思うようになってきた。
 これまでもアフロを始めとしたワールド・ミュージック関連、または現代音楽など様々なジャンルを渡り歩いてきたByrne。どの作品もそれなりに器用に演じているように見える。Heads解散後にコラボしたアーティストは数知れず、そのどれもが評価は高く、そつなくこなしてるように映る。映るのだけど、どこか不定形、どんな色にもすぐ染まるけど、元の色が何なのか、ていうかこの人、自分の主張やらメッセージなんてのは果たしてあるのかどうか―。
 彼としては、自分の異質な部分が他者とのかかわり合いに齟齬をきたし、そういった自分に馴染めずにいる期間が長かった。エキセントリックなパフォーマンスに身を投じたりアーティスティックな活動に専念したりなどして、すべてが好評というわけではなかったけど、そのうちの幾つかは高い評価を得て、坂本龍一と共にアカデミー賞を授賞したりもした。
 それでもどこか違和感は拭えない。完全にアバンギャルドの方面に足を突っ込むのにも抵抗がある。時々はギター1本の弾き語りスタイルでステージに立つのも、その表れだ。

 結局のところこの人、根っこは至って「普通の人」である。ちょっとめんどくさい表現だけど、「アバンギャルドに憧れてる普通の人だけど、そういった面もちょっとは持ってる人」というのがByrneを評するのには正しいんじゃないかと思う。
 実際、Enoを始めとしたその筋の人たちにも評判は良いし、最近ではポップのフィールドであるSt. Vincentとのコラボも記憶に新しい。Byrneとコラボしたがる誰もが、ちょっとエキセントリックなポップ・スターとしてのDavid Byrneをイメージしており、筋金入りの前衛音楽家としてのByrneを求めているわけではない。異質な中の普通の要素、オーソドックスな中の前衛的な部分に惹かれるからこそ、世界中のアーティストがこぞってオファーするのだ。
 見た目からして飄々とした趣きなので、小手先でなんでも器用にできちゃいそうに思われがちだけど、基本どの作品においても共通するのは微かな違和感、ここじゃない感だ。アフロ・ビートにもブラジル・ミュージックにも映画音楽にも現代音楽にも普通に溶け込んでいそうだけど、そのアクの強いヴォーカルは確実にどのサウンドからも浮いており、一聴して「あ、Byrneが歌ってる」とバレてしまう。匿名性とは極めて無縁の人なのだ。
 なので時々、ヴォーカルを入れないインストに走ってしまう時もあるのだけれど、これがまた総じてつまらない。基本は至って「普通の人」なので、記名性が薄いサウンドだと、存在そのものが消えてしまう。「ラスト・エンペラー」だって、騒がれたのはほとんど坂本龍一だったし。

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 そうなると、Byrneにとって一番しっくり馴染むサウンドは何なのかと言えば、今でも時々行なっているギター1本による弾き語りスタイル、またはシンプルな3〜4ピース構成のバンド・スタイルということになる。なんだ、それじゃただのHeadsじゃん、ということになってしまうのだけど、結局はそこに行きついてしまう。できるだけ過剰なアレンジは施さず、楽曲の基本構造をむき出しにし、その特異性のあるヴォーカルを最大限活かせるスタイルが、彼の音楽性を最もダイレクトに伝える手段である。
 旧来のシンガー・ソングライター的に、流麗で整ったメロディ・ラインを書くわけではないけど、今でもレパートリーの定番である”Heaven”はわかりやすい名曲だし、実際このアルバムの中にも、強力なリズム中心のアレンジに隠されてはいるけど、ギター1本で成立する楽曲は含まれている。
 そのアレンジを引っぺがして残るのは、それこそByrne特有のオリジナリティあふれる楽曲たちである。時系列に捉われないライブのセット・リストは新旧様々な配列であれど、ほとんど違和感がない。
 結局のところ、この人は何も変わってない。どれだけ周囲の環境が変化しようとも、確実に変わることのない表現衝動の硬いコアがあるのだ。

 で、このアルバム、これまでとサウンドは似てるけど、Enoの不在ということが大きく影響している。前回同様、サポート・ミュージシャンは多く、特にBernie Worrellなんかは相変わらずドヤ顔で弾きまくってるけど、これまでよりは大きくフィーチャーされておらず、バンドのシンプルな構成がわかりやすいセッティングになっている。
 これまでEnoの仕切りだと、すべてのパートがサウンド構成のパーツとして扱われ、彼主導によるカオティックなミックスによって、大きなグルーブ感を演出していた。そうなるとテクニック的には分が悪いHeadsらのプレイは埋没してしまい、バンドとしてのアイデンティティが希薄になってしまう弊害があった。ここではバンドによるセルフ・プロデュースになっているので、方法論的には一緒だけど、ベクトルは全然違っている。
 これまでは大まかなコード進行だけ決めたジャム・セッションを行ない、延々と回し続けたテープの中からおいしいところをつまんで編集技で仕上げるという手法だったのが、今回はByrneがある程度しっかり楽曲の骨子を作ってからスタジオ入りするやり方に変わっている。まずは基本メンバーのみでベーシック・トラックを作り、そこにサポート・メンバーのエフェクト・プレイを足してゆくプロセスを経ているので、仕上がりが違うのも当然である。

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 呪術的なグルーブ感を想起させるポリリズミックなアフロ・ビートは、特にミニマル傾向の強いEnoにとっては狙い通りのサウンドだったのだけど、それはあまりにアクが強すぎて、ポップ・ミュージックとしては冗長すぎる面があった。なので、そこら辺を改善して、今回はもっとソリッドにコンパクトにまとまったホワイト、ファンクが展開されている。
 ニュー・ウェイヴの流れから生まれたHeadsメンバーのチープな音色と、手練れのセッション・ミュージシャンらによる太く安定したサウンドとのギャップが激しかったのがEno時代だとしたら、ここでのHeadsのメンバー達は地にしっかり足をつけてプレイしている。
 なので、強いリズムに流されない、独自のホワイト・ファンクの発展形がここにはある。Enoでもサポート・メンバーでもなく、ここでしっかりイニシアチブを握っているのはHeads達自身である。

 このセッションでアイデンティティを取り戻したHeads達、Enoと創り上げたフォーマットでの完成形は取り敢えず見えたので、次は新たなフォーマットを独自で見つけ出すこと。極力サポートも入れず、DIY精神に基づいたサウンドの構築。
 そこで生まれたのが『Little Creatures』である。


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1. Burning Down The House
 ビルボード最高9位にランクインしたHeads最高のヒット曲。え、これが一番なの?と思ってしまうけど、データとしてはこれが最高位をマークしている。シングル・ヒットにしては渋すぎる感触。
 ここでシンセで参加してるWally Badarouはイギリスのジャズ・ファンク・ポップ・バンドLevel 42のメンバー。白人でここまでシンセをファンキーに弾きこなす人はなかなかいない。セッション自体はHeads中心の仕切りだったけど、Badarouの参加はかなり刺激になったんじゃないかと思われる。Jerry Harrisonはあんまりいい顔しなかったと思うけど。



2. Making Flippy Floppy
 どこか未来的、フューチャー・ファンクを思わせる、ほとんどワン・コードで押し通すHeads流ホワイト・ファンクの完成形。かつてJBが”Ifeelgood”で提起したファンクの原型は時を経て様々な傍流に枝分かれし、ここにたどり着いた。
 予測不能なジャム・セッションではなく、きちんと隅々までシミュレートして構築された、冷たい汗がほとばしる頭脳型ファンク。間奏のギター・シンセの音色は遠いアフリカの漆黒の夜、猛り狂う猛獣達の雄叫びを連想させる。

3. Girlfriend Is Better
 ここでのTina Weymouthのベース・プレイはもっと評価されてもいいんじゃないかと思う。女性ベースでここまでボトムの太いビートをかませる人はなかなかいない。何しろTom Tom Clubの一翼を担った人なので、独特のリズム感については知られているけど、この曲の重厚感に一役買っているのは、間違いなく彼女。
 後半アウトロの延々続くシンセ・エフェクトも、ドロッとしたグルーブ感の塊が無造作に投げ出されている。



4. Slippery People
 『Remain in Light』のサウンド・フォーマットでありながら、そこからアクの強いサポート陣を抜いた構成のナンバー。その名残りなのか、ミニマル・コーラスに呪術的なアフロ・テイストが残っている。
 強力なサポートを抜いたベーシックなバンド・セッションにおいても、これだけグルーヴィーなスロー・ファンクをプレイできるのだから、当時のバンドの成長が窺えると共に、アマチュアリズム漂うニュー・ウェイヴの香りがすっかり消し飛んでしまっているのも事実。
 彼らはもう、立ち上がった頃よりもずっと遠いところまで来てしまったのだ。

5. I Get Wild/Wild Gravity
 これまでよりもメロディの力がが強くなり、次作『Little Creatures』路線の萌芽が垣間見えてくるナンバー。強靭で揺るがないリズムに紛れてしまっているけど、こういったセンチメンタルな作風もまた、Byrneの別の側面である。マイナー・コードを多用しながらもウェットにならず、ドライな質感を保っているのは、人よりフォーカスがちょっとズレている彼の声質によるもの。
 ベタにならないというのは、それだけでひとつの個性だし、他人が歌ったHeadsのカバーがどれもしっくり来ないのは、やはりオンリーワンの人だから。

6. Swamp
 タイトル通り、泥臭いブルースが基本構造なのだけど、それが全然泥の香りがせず、むしろスタイリッシュに聴こえてしまうのがByrneの持ち味。Chris Frantzのドラムはアタック音が強いけど響きが軽いのが特徴で、コッテコテのファンクやブルースが苦手な人にとっては、そこがいい感じに聴きやすくなっている。
 Byrne自身もまた、もともとソウル成分の少ない人なので、ある程度の完成形をシミュレートして作られたサウンドは非難されることも多いけど、文科系視線での研究成果として、ベタなファンクよりは面白く聴ける。予定調和だけが完成形ではないのだ。

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7. Moon Rocks
 わかりやすいギター・カッティングから始まるライトなファンク・チューン。このアルバムの中では軽いタッチだけど、ミニマルなナチュラル・トーンのギターがファンクの真髄を象徴している。
 後半に進むにつれ、バンドのプレイが熱くなってゆくのがわかる。基本はみんなクレバーだけど。

8. Pull Up The Roots
 ここで再びTinaのベースが全体をリードしている。Chrisのプレイは基本ジャストなリズムなので、こうして聴いてみると、土台のリズムが磐石であるがゆえに、エキセントリックなByrneの奔放なプレイが光るのがわかる。
 素人くささが売りであるニュー・ウェイヴ系バンドが多い中、Headsというのはオーソドックスな部分でも頭ひとつ抜きん出ている。やっぱ売れてるバンドは違うよな。

9. This Must Be The Place (Naive Melody)
 第2弾のシングル・カット。US62位UK51位はまぁこんなところ。次作の予告編とも言える、歌心にあふれたメロディ・ラインとシンプルなバッキングが展開されている。ギター・プレイもファンクというよりはすでにロックのリズムに移行している。
 これまでのディープなリズムに食傷気味になっていたのか、それともシングル向けにキャッチーなラインを考えたのか、ボーナス・トラック的にポップ・チューンに仕上げており、このアルバムのテイストと微妙に違っている。なので、ラストに持ってきたのは正解。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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