好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Suzanne Vega

「孤独」と書いて「ひとり」と読む。いい邦題。 - Suzanne Vega 『Solitude Standing』

folder 1987年リリース、2枚目のオリジナル・アルバム。ビルボード・ホット100で最高3位を記録したシングル「Luka」効果もあって、アルバム本体もUS11位・UK2位、全世界では500万枚を超える売り上げを記録した。UKでは「Luka」よりも、DNAによるヒップホップ・カバー「Tom’s Diner」の方がウケが良く、1990年にリバイバル・ヒットしている。CMでも使われたことがあるので、今ならこっちの方が知られてるかもしれない。
 「NYダウンタウンの街角に佇む、アコギを抱えて内省的な歌を口ずさむバスキング・シンガー」というイメージの最大公約数となる存在が、スザンヌだったと言える。ちょっとひ弱そうで色白で、それでいながら凛とした眼差しは、世の中の理不尽さにも屈しない頑なさと意志の強さが表れている。
 マドンナ、プリンス、マイケル以外は、過剰に演出されたアメリカン・ロックと、チャラいブラコンで占められていた80年代USチャートの中で、「Luka」の存在は明らかに異質だった。80年代中盤は、それまで傍流だったCMJチャートの影響力が、本流ビルボードにも波及してきた頃と一致する。R.E.M.やソニック・ユースがメジャーに進出、世代交代がささやかれていた情勢も、「Luka」ヒットの後押しになったんじゃないかと思われる。

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 むしろ80年代中盤に勢いがあったのは、UK勢の方だった。カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、ワム!がチャートを席巻した、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンはすでに沈静化していたけど、それに続いて、UKポスト・パンク以降のアーティストが紹介され始めていた。まだマスへの求心力は弱かったけど、局地的に熱烈な支持を得るアーティストもあらわれてきた。
 本国UKでもコアなファンを生み出していたキュアーやデペッシュ・モードなど、ダークな味わいのアーティストの受け皿となったのが、CMJチャートだった。キャッチーなヒット性は感じられないけど、強烈な個性とカリスマ性が、ビルボードにチャートインする音楽だけでは物足りない層にアピールした。
 日本と違って、コミュニティ・ラジオが普及していたアメリカでは、大学生らが中心となって、メジャーではない音楽を流し続けていた。発信する方も受ける側も、自ら能動的にアンテナを張らないと見つけられない、そんな商業ベースとは縁遠い音楽を、独断と偏見を持って発信していた。基本、それは今も変わらない。

 一般的なヒット・チャートとは様相が違うラインナップのCMJチャートは、UKオルタナ勢のステップアップの場として機能していた。YouTubeやtwitter同様、ここでバズれば一夜で広く名を売ることができたため、無視できないメディアだった。
 単一民族の島国であるUKや日本と違い、アメリカのマーケットは、我々が想像する以上に巨大である。今はだいぶ影響力も薄れてしまったけど、フィジカル・メディア全盛だった90年代までは、ビルボード・チャートのランクインはスターダムの絶対条件だった。
 そんなビルボードに対するサブ・カルチャー的な存在が、CMJチャートだった。メジャー・ヒットだけでは満足しない、人とちょっと違ったジャンルを聴く層は、どの時代・どの場所にも、確実に一定数は存在する。
 わかりやすく例えると、西野カナのファンに混じって灰野敬二聴いてるヤツとか。…わかりづらいよな、当てずっぽうで書いただけだし。

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 普通ならニッチな隙間産業であるはずのCMJ/カレッジ・チャートだけど、そこは世界のエンタメの中心アメリカ、裾野がだだっ広い分だけ、細かなニッチも結構な数に上る。今で言うピッチフォーク的なスタンスだったのがカレッジ・ラジオだった。
 全米の学生自治会が司るカレッジ・ラジオでは、それこそ有象無象の音楽オタクによって、メジャーでは流通していない音楽を片っぱしから発信しまくっていた。もちろん、すべての楽曲が光っていたわけじゃなく、多くは1回流されたっきりでフェードアウトしていたけど、スミスやコクトー・ツインズなど、コンテンポラリーには馴染まないジャンルを広く知らしめたのは、CMJの功績のひとつである。

 スザンヌの場合、下積み自体は長かったけど、デビューしてから「Luka」のブレイクまで、そんなに時間はかかっていない。なので、彼女がカレッジ・チャートから受けた恩恵はあまりないのだけど、だからといって、いま現在もメジャー・アーティスト然とした感じでもない。
 『Solitude Standing』のブレイクによって、メジャー・シーンに引っ張り出された印象が強いけど、スザンヌがヒット・チャートの常連にでいられた時期はほんのわずか、キャリアのほとんどは、メジャーとは言いがたい活動ぶりである。元旦那ミッチェル・フルームとのコラボが多かった90年代は、オルタナ・シーンでの評価が高かったし。
 MTVでのリコメンドがセールスを左右するようになった80年代は、多額の制作費をかけたり、セックス・アピール全開のプレイメイトがうじゃうじゃ出演するPVが乱造されていた。単に良い曲を作るだけじゃなく、ビジュアル映えするキャラクターや、当時はまだ未成熟だったCG技術をバリバリ盛り込んだ映像が、パワー・プレイ率を高めていた。
 本来はレコードの販促物だったPVが、いつの間にか主客逆転、肝心の音楽よりも映像のインパクトが重視されるようになる。そうなると、多少音楽的に難があっても、イメージや話題性だけでブレイクするアーティストも出てくるのは、自然の摂理。

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 「Luka」も「Tom’s Diner」に限らず、スザンヌのPVで凝った作りのものは少ない。ていうか、ほぼない。
 そもそも彼女のキャラクター自体、そんなにビジュアル映えするものではないため、中途半端にコーディネートすると、かえってチグハグなものになってしまう。まぁ初期の文系女子ビジュアル自体、文科系男子を取り込む戦略だった、と言われるかもしれないけど。
 A&Mはもともと、アーティストの意思をかなり尊重したレーベルである。なので、スザンヌにも過剰な演出や押しつけの戦略を当てがったりはしなかった。
 シンディ・ローパーやマドンナが二強だった女性アーティストの中で、ほぼすっぴんメイク然としたスザンヌは、異色を通り越して違和感さえ漂わせていた。シンクラヴィアとゲート・エコーで彩られたダンス・ビート主流のご時勢で、朴訥なアコギの弾き語りスタイルは、アップ・トゥ・デイトなものではなかった。なかったのだけど、でも彼女にとっては、それがベターな選択だった。
 同じ土俵に上がっても、マドンナのような小悪魔性を身につけることはできないし、シンディ・ローパーのような芸人根性は発揮できない。
 持って生まれたモノを変えることはできない。後天的な学習にも、限界があるのだ。

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 このアルバムについて書くと、どうしても「Luka」は切り離せない。飾り気のない文系女子が淡々と綴る、幼児虐待の歌が全世界でヒットすることは、前代未聞だった。
 誰もが何となく知っていながら、口にするのを憚られる。あくまで家族の問題だから。
 被害者である幼な子は、語る術もなければ、声を出すこともできない。すべては内輪の中で処理され、そして、フェード・アウトしてゆく。
 幼い肌につけられた疵は、見た目よりも根深い。成長して目立たなくなったとしても、それは多かれ少なかれ、のちにトラウマとして膿を残す。
 個々で解決するものではなく、あくまで社会問題であることを想起させるきっかけとなったのが、「Luka」だったと言える。ただプライバシーの絡みもあって、簡単に周囲が干渉できる問題ではない。本人によるカミング・アウトももちろんだけど、それを受け入れ、手を差し伸べやすくする環境とシステム作りが必要なのだ。
 スザンヌは、それを声高に訴えるわけではない。ここでは彼女、ソングライターとしてのスタンスを崩してはいない。
 スウェーデンのテレビ番組で放映された幼児虐待の特集を見て、インスパイアを受けたスザンヌ、ここでは架空のキャラクターLukaの視点を通して物語を綴る。
 その歌の中で、Lukaが拳を握りしめたり、声を上げることはない。
 それがごく普通の日常であるかのように、学校でこんな事があったあんな事も、といった調子で。

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 スザンヌにとって「Luka」は大ブレイクのきっかけとはなったけれど、この路線を続ける気は毛頭なかった。彼女にとって、それはあくまで自作曲の中のひとつであり、その後の路線を決定づけるものではなかった。
 「Luka」をステップとして、社会問題を訴えるコメンテーターや政治家へ、という道もあったのかもしれないけど、スザンヌはソングライターであり続ける道を選んだ。
 ニューヨークに踏みとどまったまま、さらなる音楽的チャレンジをスザンヌは望んだ。『Solitude Standing』で得た実績をもとに、次作『Days of Open Hand』では、ミニマル・ミュージックの大家フィリップ・グラスを迎えている。前作路線を踏襲しながらも、ポップ性を減衰させた微妙なサウンドは、「Luka」路線を期待した多くのファンを失望させた。
 売れるはずがないと思いながらも、アーティストとしての矜持を優先させる。スザンヌ本人だけじゃなく、A&Mにとっても、勇気ある決断だったと言える。


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1. Tom's Diner
 有名すぎるので楽曲自体への言及は省いて、ここでは小ネタ。
 2パックからビリー・ブラック & R.E.M.まで様々なヴァージョンがあるけど、近年、インパクトがあったのがジョルジオ・モロダーとブリトニー・スピアーズとのコラボ。すっかり最前線に復活した感のあるモロダーと、歌手以外のゴシップばかり聞こえてくるブリトニーとの相性はいい。いいのだけれど、オケだけ聴くと、トムズダイナー感はまったくない。ないのだけれど、歌に入るとトムズダイナーってわかるようになっている。
 ちなみにこの曲、世界で最初にMP3音源として製作された曲として、一部では有名である。それについては、この本で詳しく書かれている。ハード面だけじゃなく、業界内勢力バランスについても触れているので、興味のある人はぜひ読んでみて。



2. Luka
 本文で内容について触れたので、データ面について。
 シングル発売されたのが87年4月で、最初から爆発的に売れたわけではなかった。ホット100に入ったのは6月になってからで、93位で初登場。その後は59位→47位→37位と、さらに1ヶ月かけてトップ40入り。29位→22位→15位ときて、8月に入ってやっと8位。トップ10入りしてからは、5位→4位→3位と、ジワリジワリといった具合。
 ちょうど「ラ・バンバ」がメチャメチャ売れてた時期だったので、その後は失速してしまうのだけど、十分に健闘した。大してプロモーションもかけていなければ、映画のタイアップもない、これだけ地味な曲がここまで売れちゃったのだから、この辺にアメリカの良心といったものが垣間見えてくる。

3. Ironbound/Fancy Poultry
 幼き日のニューヨークの街角を丹念に描いた、スケッチ的な小品。2部構成となっており、観察者的な視点はウェットにならず、ドライに活写している。頭の2曲が有名すぎるので目立たないけど、初期のスザンヌの作風が色濃く反映されている。

4. In the Eye
 ここでギア・チェンジ、控えめだったリズム・セクションが前に出てきて、やっと80年代っぽいサウンドになっている。スザンヌのサウンドでリズムが強くなるのは90年代以降だけど、その萌芽と言っていいのか。いやないな、ミッチェル・フルームにそそのかされただけだし。
 とはいえ、このアルバムのプロデュースに嚙んでいるのが、レニー・ケイ。あのパティ・スミスの懐刀であり、NYパンクを築いた一人である。こういったアプローチのアンサンブルがあったって、おかしくはない。

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5. Night Vision
 フランスのシュールレアリスム詩人Paul Éluardの作品にインスパイアを受けて書かれたトラック。アコギメインで薄ーくシンセをかぶせる手法は、この時期のシンガー・ソングライターの定番。皮肉じゃないよ、落ち着くんだよリアルタイムで聴いてたから。
 
6. Solitude Standing
 アタックの強いドラム、ミニマルながら適所にアクセントをつけたシンセ・パート、そこへユニゾンで絡むアコギ、闇を引き裂くようなエレクトリック・ギター。アクティブなアンサンブルは、タイトル・トラックに相応しい。
 クレバーな演奏とクレバーなヴォーカル。でも、それらはうっすらと熱を帯び、額に汗をにじませる。こういうサウンドは、メジャーではできなかった。

7. Calypso
 60年代ディランが80年代にタイムスリップして来ると、こんな感じになると思う。いや、フュージョン以前のジョニ・ミッチェルかな。なので、間奏のシンセの音が浮いているのが、ちょっと惜しい。ギター・ソロもちょっとミスマッチ。もっと淡々としてていいんだよ、こういうのって。
 ちなみにタイトルからダンス・チューンを連想すると、肩透かしを食う。音楽ジャンルじゃなくて、ギリシア神話に登場する女神の名前なんだって。ちなみに俺が連想したのは、カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』

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8. Language
 言葉を扱う者ゆえ、言葉そのものについて深く考察すると、どうしてもメランコリックな曲調になってしまう。言葉を重ねれば重ねるほど、真実からは遠く離れてゆく、というのを体現している。どこか詰まり気味の発声は、真摯に向き合う者ゆえの特権でもある。

9. Gypsy
 なぜかUKのみで、シングル先行リリースされている。オーソドックスなフォーク・ソングといった風情なので、ここまで張りつめていた緊張感をほぐす意味でも、こういう曲が1曲くらいはあってもよい。でも、曲順的にはもうちょっと前に配置するべきだよな。もうアルバムも終盤だもの。
 これだけ曲調が違うのは、プロダクションそのものが違うから。なんで入れたんだろうね。嫌いじゃないけど。

10. Wooden Horse (Caspar Hauser's Song) 
 軽い響きだけど強いアタックのタムと、シングル・ノートのベースで構成された、その後のインダストリアル調を彷彿させる、ある意味冒険的な曲。叩きつけるようなギターとは対照的に、クレバーさを保つスザンヌ。
 スペルは微妙に違うけど、あのカスパー・ハウザーを主題に取り上げている。wikiを見てもらえばわかるけど、曲順的にはここしかないな。わかる人にしかわからないけど、目立つ場所には入れられないもの。
 でも日本には、ビジュアル系でジル・ド・レイってのもいるんだよな。ファンの人って、意味わかってんのかな。

11. Tom's Diner (Reprise)
 ラストは1.のインスト。街角のジャグ・バンドが演奏してる風なアレンジ。BGMとしてはちょうどいい。



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カーソン・マッカラーズを知っていますか。 - Suzanne Vega 『Lover, Beloved』

folder 近年、村上春樹による新訳『結婚式のメンバー』刊行によって、ちょっとだけ話題になったカーソン・マッカラーズ、彼女の半生と作品をテーマとして、Suzanne Vega によって歌われたコンセプト・アルバム。
 日本では「ルカ」と「トムズ・ダイナー」以降、ほとんど目立った紹介もされず、アーティストとしてのピークはとうに過ぎたと思われがちなSuzanne、同じく70年代くらいまでの文学少年/少女らにコアな人気を博していたマッカラーズも、今ではほとんどの作品が絶版で、容易に手にすることができない状態が続いている。この組み合わせでドカンと売れることはまずあり得ず、アーティストの創作欲求に基づいたもの、文化事業的な側面が強い作品である。要は地味ってことで。
 売れる作品を作ることは、アーティスト活動を継続するために重要なことではあるけれど、表現欲求とはまた別のベクトルである。マッカラーズもSuzanneも、大きくエンタメ路線に偏った人物ではない。むしろ逆行する形、大衆のニーズからは離れたところで、地道に良質の作品を作り続けているイメージが強い。

 -カーソン・マッカラーズ(Carson McCullers、本名:Lula Carson Smith、1917年2月19日 - 1967年9月29日)はアメリカの作家。彼女はエッセイや詩だけでなく、小説、短編、戯曲を書いた。処女小説『心は孤独な狩人(原題:The Heart is a Lonely Hunter)』ではアメリカ南部を舞台に、社会に順応できない人間や排除された人間の魂の孤独を探究した。他の小説も同様のテーマを扱い、南部に舞台を置いている。

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 俺とマッカラーズとの出会いは、遡ること四半世紀前、白水社Uブックス版の『悲しき酒場の唄』が初めてだった。その当時ですら、彼女の本はほぼ絶版状態で、大きめの本屋でも入手できたのは、それくらいしかなかった。のっぽの美女と短軀の男というエキセントリックな設定で繰り広げられる不器用な愛の交歓は、そりゃあもう地味なストーリー展開ではあったけれど、妙にグイグイ引き込まれてしまう求心力を秘めていた。
 人種差別が平気で横行していたアメリカ南部の暗部を寓話的に描くマッカラーズの筆致は、問題提起というより軽めのゴシック・ロマンスといった趣きでまとめられており、文学かぶれの20代の男の中途半端な知識欲を満たすに足るものだった。

 当時の俺は休日になると、リュックを背に札幌市内の古本屋を片っぱしから回り、絶版文庫を中心にかき集めていた。マッカラーズの他の著作も、そうやって手に入れたものだ。
 当時はまだ、ブックオフのような大手も少なく、いわゆる商店街の古本屋がたくさん残っていた。ネット通販やヤフオクも黎明期だったため、競取りなんかの影響もほとんどなく、きちんと足を使って探せば、大抵のモノは手に入る時代だった。
 特に北大周辺の学生街だと、相当古い岩波文庫も充実していたし、新潮文庫のモームがまとめて店頭に出ていた時なんか、狂喜乱舞したものだった。
 考えてみりゃ、地味な20代だな、これって。

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 20代のうちに矢継ぎ早に作品を上梓し、順風満帆なキャリアを築くはずだったマッカラーズの文学的成果は、ほぼその初期でピークを迎えてしまっている。30代に入ってからは、家庭の事情やら家族の介護やら、またそこから誘発された精神的な不安定により、創作ペースは緩慢となる。もともと量産型の作風ではないゆえもあって寡作となり、鮮烈なデビュー以上の成果は残せなかった。
 繊細な筆致によるデリケートな文体、また精神的・肉体的に何らかの欠落を持ったキャラクターを好んで用いながら、決してその奇矯さだけに捉われず、素朴さと冷徹さとを併せ持った南部人の閉鎖性を活写した作風は、ナイーブな日本の文学少年/少女らにも、好意的に受け止められた。閉鎖的な読書体験を持つ人間の通過儀礼として、マッカラーズやサガンは、根強い人気を誇っていた。
 俺がこれまで読んだマッカラーズは、上記のほか、新潮文庫版の『心は孤独な旅人』、福武文庫版の『夏の黄昏』の3冊。今はもう、どれも手元にない。あくまで通過儀礼としての読書体験である。文学少年である日々は、もうとっくの昔に過ぎてしまったのだ。
 『結婚式のメンバー』も読むには読んだけど、以前のような感情の機微を捉えることはできない。
 読み返すには、まだちょっと早いのかな。

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 世代的に、Suzanneもまた、マッカラーズを読むことは通過儀礼だったのだろう。ただ、彼女をテーマにアルバム1枚作っちゃうくらいだから、その思い入れはずっとガチだったんだろうけど。
 きっかけは2011年まで遡る。Duncan Sheikと共作した戯曲『Carson McCullers Talks About Love』をオフ・ブロードウェイで上演、自ら舞台に立ったことで、さらなるインスピレーションが掻き立てられる。そこで培われた世界観をもとに、Suzanne はアルバム制作に着手する。
 アルバム・リリース当時のインタビューを読むと、最初からシンガーを志していたのではなく、ニューヨークのパフォーミング・アーツ・スクールでダンサーとしてスタートしたことを告白している。てっきりソングライター一筋かと思っていたけど、あらゆる可能性を模索していたんだな。ちょっと意外。
 余技というか、趣味で行なっていた弾き語りが注目されるようになってメジャー・デビュー、女優としてのキャリアは一旦幕を閉じる。
 「ルカ」の大ブレイクによって、アーティストとしての地歩を固め、Mitchell Froomとのコラボ以降、日本ではあまりインフォメーションされていないけど、アーティストとしてはコンスタントに精力的な活動を続けている。Froomとの別離以降は迷走した時期もあったけれど、これまでリリースしたほとんどの作品をアコースティックで歌い直した『Close-Up Series』で吹っ切れたのか、復調して新たなキャリアを築き上げている。

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 腺病質を思わせる繊細な横顔。
 わずかに残されたマッカラーズの肖像を見て思うのは、そんなイメージ。決してアクティブには見えないその儚さは、80年代デビュー間もない頃のSuzanne のイメージとかぶるところが多い。そういった繊細な文学少女的なイメージで売られることを、彼女自身が甘んじて受け入れていた面もあっただろうし。
 ただ近年の画像を見ると、そのイメージは見事に打ち砕かれる。抱けば壊れてしまいそうな、中性的な細身の躰は、今では薄い肉のヴェールで包まれている。ダーク・スーツを纏えば着痩せするのか、知的なビジネス・パーソン的風情だけど、肌の露出の多いノー・スリーブになると、途端にオバちゃんになる。日本での彼女のイメージは80年代で止まってしまっているけど、確実に歳はとっているのだ。
 外見は変わったとはいえ、彼女の中にマッカラーズ的な特性は確実に残っている。ただそれは、儚げで危うい感受性ではない。彼女が受け継いだのは冷徹な観察眼、どこまでも客観的な作家的視点だ。
 すでにSuzanne は、街角で孤独に佇む少女ではない。前回も書いたように、彼女は逃げ場もなければ戦う術もない、非力なルカではないのだ。

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 もしSuzanneがマッカラーズの人生に憧れて、その道程をなぞるだけだったなら、もっと早い段階で才能が枯渇していたか、あるいは引退していたかもしれない。
 ただ、彼女はそうはならなかった。彼女がマッカラーズに見ていたのは、作品へ取り組む姿勢、物語を紡ぐためのスキルだ。
 刺激的な題材は、強いインパクトを残しはするけれど、次回作はより強い刺激を期待される。インパクトのインフレはとどまるところを知らず、遂にはネタ切れを起こして自滅する。「ルカ」の大ヒットによって迷走し、一歩踏み外せば社会問題専門家にもなりかねなかったところを、Suzanneは踏みとどまった。
 作品のキャラクターと同化するのではなく、適切な距離を保つ。それが彼女の処世訓だった。
 作品との距離感を詰め過ぎた挙句、筆が進まなくなってフェード・アウトしてしまった者は多い。少女漫画家の三原順、または作家の尾崎翠など。
 それぞれ事情はあるだろうけど、いずれも早いうちに、その芸術的キャリアを終えた。その後の長い人生を、彼女らは創作とは縁遠いところで生活し、そして静かに消えていった。その後半生が幸せだったのか、また彼女たち自身が、自ら望んでそんな道を選んだのかどうか。

 Suzanneはその轍を踏まず、まだ歌い続けている。
 彼女自身がそういった道を望み、地道ながらも着実に、きちんと目の行き届いた作品を世に送り出している。



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1. Carson's Blues
 軽めの南部ブルースで幕を開ける。プロローグ的な役割のため、コンセプトを象徴するような散文詩は状況設定的。深読みするよりはむしろ、世界観をつかむためのもの。

2. New York Is My Destination
 初期の弾き語りスタイルを思わせる、ジャジーなムードのトラック。舞台がニューヨークなのに、なぜか大草原のど真ん中で歌う映像が存在する。謎だ。

3. Instant of the Hour After
 このアルバムは基本、書き下ろしなのだけど、唯一、2011年リリースの『Close-Up Vol. 3, States of Being』で先だって音源化されている。基本アレンジはそんなに変わらないのだけど、『Lover, Beloved』ヴァージョンの方がヴォーカルが奥に引っ込んでいるため、ちょっと聴きやすい。やっぱり濃いよな、『Close-Up Series』。

4. We of Me
 チャートにはかすりもしなかったけど、一応、シングルとしてリリース。確かにこの作品群の中では最もポップで聴きやすい。



5. Annemarie
 音像から言って、最もマッカラーズ的な特性を体現しているのは、このトラック。内に秘めた情熱が零れ落ちるヴォーカル、ミニマルなピアノのフレーズ。精密に構築された空間は、人を不安に陥れる

6. 12 Mortal Men
 マッカラーズ的人生の時系列をなぞっているのか、この辺からメランコリックな楽曲が多くなる。静かではあるけれど、アブストラクト。これもまたSuzanneが長いキャリアで獲得してきた独自の話法。

7. Harper Lee
 ニューヨークの場末のクラブでの弾き語りを思わせる、センテンスの多いフォーク・カントリー。架空の作家ハーパー・リーを軸に、プルーストやグレアム・グリーン、カポーティなど、彼女が好みそうな文豪の名が散りばめられてる。フィッツジェラルドなんかも好きなんだな、やっぱり。

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8. Lover, Beloved
 タイトル・トラックゆえ、マッカラーズ作品の世界観の一部を象徴している。悲観的な結末が多くを占めていることは、彼女が同性愛者であった点に起因する。彼女が生きた1940年代は、現在よりマイノリティへの風当たりが強く、それを公言することは社会的に抹殺されることを意味した。
 とても恋愛に対して前向きになることができない状況、その反動から紡ぎだされる極端な寓話性は、後世を生きるSuzanneにも大きく影響を与えた。

9. The Ballad of Miss Amelia
 アメリアはご存じ、『悲しき酒場の唄』の主人公。いとこのライモンとマーヴィンは、最後に彼女の心を踏みにじるような行ないをするのだけど、それを暗示してか知らぬふりか、Suzanneは淡々と物語を紡ぐ。

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10. Carson's Last Supper
 最後は大団円。罪深き者も悩める者も、みんな一緒に食卓を囲み、ゆったり最後の時を迎えよう。
 メランコリックな脱力感ながら、慈愛的な微笑みをもってささやきかけるSuzanne。






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スザンヌさんの大胆なイメチェン作 - Suzanne Vega 『99.9F』

Front 1987年の「ルカ」の大ヒットによって、Suzanne Vega が世に知られるようになったのは、「偶然」と「必然」、それらのジャストなタイミングの巡り合わせだった。
 HeartやWhitney Houston、懐かしいところではStarship など、大味なアメリカン・ロックやソフトR&Bが上位を占める中、ヒットチャートの良心とも言うべき、良質のフォーキー・ポップが一定の支持を得たというのは、エレ・ポップに食傷気味になっていた大衆のニーズから来る「必然」、それと、80年代アメリカ音楽業界内におけるメイン・カルチャーとサブ・カルチャーとの微妙なパワー・バランスから生じた「偶然」の産物である。
 時々あるんだよな、アメリカのチャートって。不特定多数をターゲットに制作された全方位型ポピュラー・ソングに対する、カウンター・カルチャーとしてのカレッジ・ラジオの存在が、バカにできない。
 大衆的なヒットとは一線を画した、ちょっと斜め上の非商業的なアーティストが多勢を占めるラインナップが、大学生を中心とした20代の音楽ファンの支持を得ていた。ただ、年を追うに連れて、R.E.M.らを筆頭とした、カレッジ・チャート出身のアーティストがビルボード・チャートの方にも進出するようになり、世代交代の後押しを進めることになる。
 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの勢いに押されて、新陳代謝が遅れていたアメリカ勢のカンフル剤として、ニューヨークやLAだけじゃない、地方出身のインディー・アーティストが取って替わるようになったのも、これまた歴史的な「必然」。
 そこのチャートが時々、大きくバズったりして、BanglesやTimbuk 3なんかがメジャー展開するきっかけになったりして。SmithereensやSonic Youthなんかも、スタートはここからだったんだよな。

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 デビュー間もない頃のSuzanneは、老舗A&Mによる良質なディレクションによって、純然なフォークというより、薄くかぶせられたシンセとアコースティック・サウンドとの程よいミックス、フォーキー風のポップ・バラードという印象だった。フェミニズムやエロチシズムからは遠く離れた、引っ込み思案な文学少女を思わせる出で立ちは、過剰にデコレーションされた女性アーティストと比較すると、一種の清涼剤的佇まいを漂わせていた。訥々と精々しく言葉を紡ぐ、女の子とも女性、どちらとも取れる26歳の歌声は、ひっそりとした登場の仕方だった。
 チャートで多勢を占めていた、MIDIダンス・ポップとは、感触が大きく違っている。歌をメインとするため、バックのサウンドは控えめにしてある。できるだけ意味をはっきり伝えるためか、「歌う」というよりは「呟く」といった印象のヴォーカル・スタイル。声量は大きいものではないけれど、きちんと対峙して聴けば、発せられる言葉はきちんと聴き取れる。キレイな発音なので、リスニングもしやすい。逆に言えば、ついでで聴き流す音楽ではない、ということだ。聴く方にも、それなりの姿勢が必要だ。

 多くの人が、第一印象として「地味」と思ったに違いない。まぁ弾き語りスタイル自体、派手さを競うジャンルでもないし。最初こそハードルはちょっと高めだけど、聴き込んでいくと、ニューヨークを生き抜く都市生活者の孤独、その何気ない生活シーンを素直に切り取った心象風景は細やかだ。陳腐な表現だけど、ちょっと触ればたちまちヒビが入るかもしれない、そんな繊細なガラス細工のような作品は、静かに、そして聴き手の心に呼応するように、わずかに熱を帯びる。
 決して強い自己主張があるわけではない。むしろもっと引いた視点、自ら張り巡らせた薄い膜を通して、クレバーかつ慈愛に満ちたアングルによって、作品の主人公は息吹を吹き込まれる。

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 なのでSuzanne 、基本的には、拳を握りしめて声高々にメッセージを発する人ではない。社会派を気取った発言をする人でもないし、児童虐待を含めた社会問題をあからさまに批判するわけでもない。ただ、そんな現状が身近にある。それを歌にしただけのことだ。
 ルカはSuzanne の分身ではない。ルカはあくまで歌の題材、たまたま新聞かテレビで児童虐待のニュースを見て、インスピレーションを感じ取って作品に仕上げただけの話である。彼女の歌の中では、ルカはむしろ異質なテーマであり、その多くは半径5メートル以内の身近な心象風景を切り取ったものだ。
 なので、第2第3のルカを求められても困ってしまう。市場、そしてファンのニーズはルカ的なモノにあるかもしれないけど、すでに彼女の視点は別のところへ行ってしまっているのだ。
 逆に、ここまでイメージが固定されてしまったのなら、別のアプローチを試しくたくなるのも、アーティストとしての矜持である。第一、そこまで弾き語り主体にこだわってるわけじゃないし。

 そんな事情もあって、Suzanne が『99.9F』を作るにあたり、漠然と描いていたのが、従来のフォーク・ポップ路線からの脱却だった。商業政策的には、このままソフトなBilly Bragg的路線という選択もあっただろうけど、その辺はアーティストに寛容なA&M、口出しはして来ない。
 ただSuzanne、「じゃあどんな感じで?」という具体策が独りでは思いつかなかったため、各方面へデモ・テープを送りまくる。いわゆるプロデューサー・コンペである。
 ほとんどのコンポーザーは、従来路線を基軸とした、前述Billy Bragg的アプローチだったのに対し、唯一、「俺が違う路線でやってみる、ていうか歌はいいけど、これまでのサウンドはあんまり良くないし」と手を挙げたのが、当時はまだ新進気鋭だったプロデューサーMitchell Froomだった。
 俺が彼の名前を知ったのは、Elvis Costello 『King of America』でのアーシーなハモンド・プレイに耳を引かれたからだった。それからしばらくは、キーボード・プレイヤーとしての活躍が多かったFroomだけど、エンジニアTchad Blakeとチームを組んだあたりから、方向性が一変、プロデューサー/サウンド・メイカーとして、個性と記名性の強いアルバムを次々と制作するようになる。
 彼らの初期プロデュース・ワークで最も有名なのが、Los Lobosの『Colossal Head』。誰もが「ラ・バンバ」で終わった一発屋と思っていた彼らに、当時のトレンドだった音響派要素を含んだヴァーチャル・ラテン・テイスト+インダストリアル・タッチのエフェクトをデコレーションし、そのミクスチュア感覚が、レトロ・フューチャー感を演出して、まったく新たなキャリアを築き上げたのだった。
 なんかここだけ、CDショップのPOPみたいだな。

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 『Colossal Head』でドーンと名が売れるちょっと前、どんなジャンルでもインダストリアル・エフェクトを突っ込めば、全然違うサウンドにビルドアップできる、というサウンド・コンセプトだけはあったFroomの元に、Suzanneのデモが届く。
 言葉とメロディは揃っている。ヴォーカル・スタイルだって、きちんと独自のモノを持っている。あとは飾りつけだ。足すべき音と、いらない音。
 フォーク/シンガー・ソングライターのテーゼに基づいて書かれたメロディは、破綻も少なく流麗ではあるけれど、それが仇となって、時に平坦に聴き流されてしまう。調和の取れた作品はアートではあるけれど、完全ではない。アンチテーゼとしての破壊と混乱が内包されていなければならないのだ。
 静謐なメロディとヴォーカルと対比して、通底音のように鳴り響くメタル・パーカッションの破裂音と、不似合いなノイズ・エフェクト。そのアンバランスさは、初期のガラス細工のような儚さとは種類が違う。その不安定さは、秩序の破壊を孕んだ激しい熱だ。そして、その熱はSuzanneのヴォーカルをも浸食し、体温を引き上げる。

 初期3作までは、そのクレバーさゆえ、平熱より低めのテンションでいることが多かったSuzanne だったけど、ここではタイトル通り、華氏99.9度、摂氏で言うと37.8度と、軽い「微熱」状態でいることが多い。楽曲の骨格は従来と大きく変わらないので、シンプルなアレンジの楽曲では平熱で歌っている。アルバム構成として、これは正解だ。
 全部がインダストリアル・フォークだと一本調子になって、聴く方だって疲れてしまうし飽きてしまう。今みたいに、シャッフルして好きな曲だけピックアップ、っていうんだったら何でもいいけど、まだみんな、アルバムは最初から最後まで聴き通す時代の作品である。ペース配分を考慮して選曲というのは、とても重要なファクターなのだ。

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 イメージ・チェンジというのが事前にインフォメーションされていて、市場の期待値もそれなりに大きかったのだけど、セールス的には、USで辛うじてゴールド獲得、前作までと比べ、そこそこの売り上げに終わった。「ルカ」的なイメージを求めていたにわかファンを中心に、Froomが槍玉に上がったことは、まぁとばっちり。
 ただ、彼女がここで得たスキル、そして新たな方向性への道筋がついたことは、大きな収穫だった。単なるフォーキー・ポップ以外の言語を獲得したことで、その後のSuzanneの創作意欲は旺盛になってゆく。
 その後、数作に渡って2人の共同作業は続き、それに伴ってプライベートでの距離も縮まってゆく。『99.9F』リリースからちょっとして、2人は私生活上においてもパートナーとなり、1子を授かってしまう。ほんとよく聴く話だよな、プロデューサーとアーティストの色恋沙汰。今ちょうど、テレビで小室哲哉の不倫疑惑のニュースを見ていたので、特にそう思う。
 ただ、2人のパートナーシップはそんなに長くは続かず、Suzanneの音楽性の変化、アコースティック路線への回帰を機として、わずか3年で解消に至る。ゲスい見方だけど、創作スタイルの切れ目が、縁の切れ目だったのかね。



99.9 F
99.9 F
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Suzanne Vega
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1. Rock in This Pocket (Song of David) 
 いきなり銅鑼を打つようなメタル・パーカッションが響いてくるので、最初はちょっと驚きだけど、歌に入るといつものSuzanneのスタイル。ギターを中心とした構成に変化はない。トーキング・スタイル思いきや、ちゃんとサビは印象的にメロディアスになってるし。テルミンみたいなエフェクトを始めたのは、多分Froomからかな。



2. Blood Makes Noise
 ベース・ラインがめちゃカッコいいと思ったら、AttractionsのBruce Thomasだった。こういった手数が多くリード楽器みたいな音は、やっぱりCostelloと場数を踏んでただけのことはある。あの人、ギター・ソロはめったに弾かないから、Steve Nieveが手が空いてない時は、メロディ担当しなくちゃなんないし。そういえばドラムはJerry Marotta。プロデューサー人脈からいって、ワーナー時代のCostelloのラインナップだ。
 ビルボードのモダン・ロック・チャートでは、なんと1位を獲得。



3. In Liverpool
 リバプールというタイトルなので、Beatlesについて歌ってるのかと思って歌詞を見ると、どうもあんまり関係ないらしい。どっちにしろ、俺の語学力じゃ深い考察は無理だ。誰か教えて。
 ここでいったんクールダウンして、オルタナ系は引っ込めて平熱の状態。しっとり落ち着いたフォーク・バラードは心に沁みる。シングル・カットされ、UK52位。従来イメージの楽曲は、固定客の心をつかんでいると言える。

4. 99.9F°
 ここでドラム・ループが出てくる。終始クールなスタンスで、後期のEverything But the Girlを思わせるシーケンス中心のサウンドは、微熱状態をイメージさせない。それとも、相手(男)に熱を持つよう促しているのか。
 ビルボードのモダン・ロック・チャートでは13位、UKでも46位をマーク。インダストリアル・ハウスといった曲調に合わせたコンセプチュアルなPVも、ちょっと話題になった。

5. Blood Sings
 なので、サウンドの新機軸ばかりが注目されがちだけど、こういった平熱で歌われる楽曲の良さが引き立ってくることも、Froomの計算のうちだったと思われる。やや官能的と思われる歌詞に対して、シンプルなアコギの響きが、案外いいバランス。女性を出した言葉をあまり多用しなかったSuzanneにとって、これもまた新たな試み。

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6. Fat Man and Dancing Girl 
 またまたCostelloさん人脈から引っ張ってきたJerry Scheff (b)が参加。基本、シンプルなベース・ラインの人なので、シンプルなドラム・ループとの相性は良い。寓話性さえ感じさせるトピカル風な弾き語りは、初期のスタイルを彷彿とさせる。

7. (If You Were) In My Movie
 ある男を映画の登場人物に見立て、様々なストーリーの上で動かす、といった妄想的な短編小説を思わせる。言葉が主体の楽曲にこそ、こういったリズム・ボックス的にシンプルなビートの方が、変にサウンドに注目しなくてもい。肝心なのはストーリー、そしてそれを淡々と紡ぐヴォーカルの説得力なのだ。

8. As a Child
 バグパイプとループを効果的にミックス、ベースがリードするバッキングに合わせ、軽快に歌うSuzanne。グーグルの直訳しか見てないので、確かなことは言えないけど、結構皮肉めいた警鐘めいた言葉遣いが多く感じられる。こういったのも、トピカル・フォークの伝統なんだろうな。

9. Bad Wisdom
 再び平熱タイプのアコースティック・スタイル。ニューヨークの街角に立ち、バスキング・スタイルでギターをつま弾くSuzanneの凛とした姿が想像できる。かっちりした短編小説を思わせる歌詞は、母との確執を描いている。「悪知恵」なんてタイトルをつけるくらいだから、こちらも一筋縄では行かない、毒を利かせたテイストになっている。それを淡々と歌うSuzanneの潔さといったら。

Vega-1991

10. When Heroes Go Down
 このアルバムの中で最もロック寄り、エフェクトを利かせたギターを前面に出したナンバー。英雄の失墜を皮肉と警句を交えた軽い内容なので、2分弱とコンパクトにまとめている。

11. As Girls Go
 シーケンス再び。根っこは変わらないのだけど、やはりリズムが立つとここまで印象って違っちゃうんだな。見境なく女と付き合う男への痛烈な皮肉は、中島みゆきの世界とリンクする。なぜかここだけ参加しているRichard Thompsonが、珍しく情感こもったエモーショナルなギター・ソロをちょっとだけ披露。

12. Song of Sand
 珍しくストレートに戦争を取り上げた、彼女なりのプロテスト・ソング。弱者へのいたわりや権力への怒りをあらわにしており、どこまでも熱い。その対比として、整然とした弦楽四重奏が、その熱を鎮める。

13. Private Goes Public
 当初は日本・EU向けのボーナス・トラック扱いだったけど、今ではこれも正規曲としてクレジットされている。シンプルな弾き語りスタイルによる、2分弱の小品。多分、何かを暗示しているのだろう、抽象的な言葉の羅列は語感を優先しているように思える。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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