前々回がSuzanne Vega、前回がJoni Mitchellと、公私を共にする男性クリエイターとの出会いが、音楽性のターニング・ポイントとなった女性を取り上げてきた。基本、クリエイターとアーティストとの間に、上下・師弟関係はないはずのだけど、キャリア次第によっては、ある種の緊張感が介在してくる、というところまで書いた。
で、今回はSade 。この人の場合、そういった法則はまるで通用しない。
どれだけ時代が移り変わろうと、また結婚・出産というイベントも無関係、時代やトレンドとはまったく無縁のところで、その音は鳴っている。
Sadeというユニットが、下々の戯れ言・色恋沙汰に惑わされず、一貫した音楽性を保っていられたのは、ヴォーカルSade Aduのワンマン・バンドではなく、他メンバー3名の意思やコンセプトがきちんと反映された、合議的ユニットであった点も大きい。
歌詞は一貫してAduが書き、作曲のメインは不動の盟友Stuart Matthewmanが行なっている。ユニットであるからして、アレンジや歌詞の改変など、互いの作業への干渉もあるにはあるだろうけど、「Sade」という確立された世界観のもと、大きな逸脱はない。
そりゃ年を経るにつれて、人生観・男性観だって変わってくるし、それに伴って使う言葉やメッセージだって変わってくる。でも、プライベートや私観が反映されることはない。Sadeらが目指す音楽観にとって、それらはむしろ雑味でしかないのだ。
何年経とうと変わらぬ、味とクオリティ。アーティストからの赤裸々の主張は見られないけど、彼らにとって肝心なのはそこではない。
柔らかなスネアとパーカッションのリズム、それに絡めるようなベース・ライン先行のメロディ、ギターはほんの添え物で、フリューゲル・ホーンやテナー・サックス、鍵盤系でアクセントをつけるサウンドを確立したのは、何もSade が初めてではない。それらは、ポスト・パンク以降のアシッド・ジャズ勃興期から多用されていた方法論であり、目新しいものではなかった。
-それは昔々、遡ること千九百八十年代の中ごろ、巷の歓楽街では「かふぇ・ばぁ」やら「ぷぅる・ばぁ」なる、いなせな寄り合いどころが若衆の人気を集めるようになった。そこでは夜な夜な、腰の軽い男女が集い、軽薄で中身のない会話が飛び交っていたそうな。そんな中、雰囲気演出歌舞音曲として流れていたのが、「わぁきんぐ・ういぃく」や「すたいる・かうんしる」、「すぅいんぐ・あうと・しすたぁ」と申す演者らによる、そこそこ「じゃじぃ」で大人っぽい、なんとなく知的欲求を満たした気になる音楽ぢゃった。「しゃぁでぇ」もまた、当時はそんな枠にはめられた新参音楽集団に過ぎんかった、ちゅうことぢゃ。
…なに書いてんだ、俺。
じゃあ、上記で挙げたアーティストのほとんどが、セールス不振による方針転換や、煮詰まりによるユニット解消を余儀なくされている中、なぜ彼女らだけが今も揺るがぬステイタスを保っていられるのか?
理由はいろいろ考えられるけど、俺の私見で言えばひとつ、「弾きすぎない」ことが挙げられる。
何だかんだ言っても、Sade のメインはヴォーカルAdu であり、ファンのほぼ全部が、彼女の歌を聴きたがっているのは事実である。ごくまれに、「バッキングのアンサンブルがいい」という変わり者もいるかもしれないけど、多分、ごく少数だろう。いや皆無だよな、きっと。結果、他メンバー3名は裏方、縁の下の力持ち的立場でしかない。
ただ、彼ら3名がそれで腐ってるわけではなく、むしろ良かれと思って裏方に徹している節が強い。かつて3名はSweetback名義でアルバムをリリースしているけど、これもSade 本体が開店休業中の余技で作ったようなもので、本人たちは大して乗り気じゃなかったらしい。
当初から、表と裏の役割分担が明確だったため、変な自己顕示欲に捉われなかったSweetbackは、キャリアを重ねるにつれ、その存在感を後退させてゆく。Aduの歌を引き立たせるためには、余計なリズムやメロディは必要ない。
現時点での最新アルバム『Soldier of Love』になると、バッキングはもうシンプルそのもの、「これ以上はない」というくらい、そぎ落とされたサウンドで統一されている。あくまでメインはAduの歌声、被されているのは荘厳なコード弾きシンセのみ、という曲も多い。
ここまで来ちゃったんなら、もうZARDみたいに独りユニットとして開き直っても、誰も何も責めないんじゃないかと思われるけど、そういうことじゃないんだろうな。
Sadeのサウンドは、決して独りではできない。「弾かずして奏でる」を極めたSweetbackがいないと、成立しないのだ。なんか禅問答みたいになっちゃったな。
どのバンドにも言えることだけど、ヴォーカル対インストゥルメンタルのパワー・バランスは、永遠の課題である。サウンドへの地道な貢献度と、華やかなポピュラリティーの獲得とは、相入れるものではない。「ヴォーカルが目立ちすぎるから」「バックが前に出すぎだ」、いろいろ揉めて消滅してしまったユニットの多いことやら。
何年かに一度、じっくり作り込んだアルバムをリリースし、それを引っさげて世界ツアーを丹念に回る、と言うのが、いわゆる大物アーティストのパターンであり、彼女もまた、そのルーティンは変わらない。ツアー終了後は、ゆったりバカンスか、はたまた創作期間に当てるのも同じ。
プライベートでは2度の結婚を経て、今はイギリスの片田舎で静かな暮らしを送っているSade Adu。一時はジャマイカに住んでいたこともあったようだけど、もともとイギリス出身の彼女、やはり住み慣れた故国の方が生活しやすいし、不意の仕事にも対応しやすいのだろう。
Sadeについてめちゃめちゃ詳しいこのサイトによれば、一人娘アイラのインスタに、母Sade とのショットが時々掲載されており、貴重なプライベートを垣間見ることができる。
イギリス南西部の田舎コッツウォルズの古い民家を改装したその住まいは、特別、セレブ仕様の豪邸ではない。正直言って地味・質素である。間違いなく、セレブ級の資産は持っているはずなのに、そういったパーティに顔を出してる風でもないし、音楽賞なんかのイベントにもほとんど顔を出さない。微笑みながらアイラと抱き合うショットから見ると、ほんと普通の母親である。
そういった普通の生活を望んで、やっと安住の地を手に入れた女性の姿が、ここに収められている。
で、2枚目のアルバム『Promise』。前年、バカ売れしたシングル「Smooth Operator」が収録されたデビュー・アルバム『Diamond Life』、これまた世界中でバカ売れした。その余韻が醒めぬうちにと、わずか一年のスパンで製作されている。その後のリリース・ペースからすると、かなりの突貫工事でレコーディングされたっぽいけど、アゲアゲ調子の勢いで、難なく乗り切っちゃった感は強い。とっ散らかった印象もなく、手抜きな部分も見受けられないことからすると、ユニットとしての総合力がすでに確立されていた、ということなのだろう。
2枚目ということもあって、当然新機軸的なものはなく、基本は『Diamond Life』の延長線上になる。熟成とか掘り下げもなく、まんまその世界観。そりゃそうだよな、デビューが不発だったらともかく、ちゃんとヒットしているのに、わざわざ方向転換なんかするわけないよな。
ただこの時点で、四半世紀過ぎても不動のサウンドになるとは、誰も思っちゃいなかったけど。
1. Is It A Crime
後年からは想像できない、ビッグ・バンド・ジャズ風のホーン・セクションを前面に出したナンバー。この頃はサウンドの存在感も大きく、ピアノやらサックスやら力が入りまくり。組曲的な展開の大作を1曲目に持ってくるのは、なかなかのチャレンジャー。長いっちゃ長いんだけど、冗長になり過ぎてないのは、やっぱりベテラン・プロデューサーRobin Millarのバランス感覚なんだろうな。
2. The Sweetest Taboo
初期の代表作であり、今もSadeの代名詞的役割を果たしている。UK31位に対しUSではなんと5位、AORチャートではトップを獲得してる。大ざっぱなアメリカ人のニーズを捉えたのが不思議でならなかったけど、改めて聴いてみてスッキリした。
全然、複雑じゃない。ほどほどにダンサブルなラテン風味のリズムは、わかりやすいシャレオツ感を演出している。ここ日本でも、大昔の洋楽と言えばラテン・テイストが強いものが人気を博してたので、根っこは同じなんだな、と納得。
3. War of the Hearts
ちょっと安めのシーケンス・リズムが夏の海辺を連想させる、涼しげなアコースティック主体のトラック。まぁAduの声が入ると季節感は薄まっちゃうけど。
4. You're Not the Man
収録時間の関係上、レコードには入っておらず、CDのみ収録だった、いわゆるボーナス・トラック的扱い。明快なジャジー、わかりやすいゴージャス感。この時期のSadeサウンドは、まだジャズ・ファンクの意匠をなぞった音作りであり、こういったジャズ・ヴォーカル的な曲が多くを占めている。
案外、一筋縄ではない曲の構成から、既存のジャズとはちょっと違う萌芽は見せているのだけど、それにはもうちょっとの時間が必要。
5. Jezebel
シングルにはなっていないけど、隠れ名曲としてファンの間でも人気の高いナンバー。ここではジャズ・テイストは大きく減衰され、むしろAOR/R&Bの話法で描かれている。感傷的なサックスの音色、極力抑えられたバッキングなど、後年のSadeサウンドの端緒が見える。
6. Mr Wrong
ここまで5分・6分超の重量級の楽曲が多かった『Promise』収録曲の中で、3分に満たない小品。前述した、ベース・ライン先行/パーカッションによるサウンドはいつまでも聴いていられるクオリティ。もうちょっと長くしてもよかったのに。
7. Punch Drunk
LPでは未収録Sweetbackらによるインスト・ナンバー。まぁジャジーではあるし、トレンディな空間には持ってこいなサウンドだけど、でもそれだけ。ジャジーではあるけど、ジャズではない。やはり彼らのサウンドは、Aduと不可分なのだ。まぁ本人らも、野望を抱く人たちじゃなさそうだし。
8. Never as Good as the First Time
Sadeとしてはおそらく最速BPMと思われる、ソウル・バラード的佳曲。こういったアプローチもできるんだ、という印象。シングルとしてもそこそこ売れたんだし、R&B方面へ進出する可能性もあったのだろうけど、本人的にはあんまり乗り気じゃなかったのかな。激しくダンサブルなSadeも、ちょっと見てみたかったかも。
9. Fear
こうやってアルバム最初から順を追って聴いてみると、現在確立されたSadeサウンドに至るまでには、あらゆる試行錯誤が繰り返されたのだな、と改めて思う。スパニッシュ風ギターと荘厳なストリングスとがフィーチャーされたこの曲も、完成度はとても高いのだけど、アルバムとしての統一感という意味で言えば、結構異端である。逆に言えば、あらゆる方向性を示唆、可能性を秘めていた、という証でもある。
10. Tar Baby
で、あらゆる可能性を並べて、最後に残ったのが、ここで奏でられるサウンドだったんじゃないかと思われる。言い方は悪いけど、ステレオタイプのSadeサウンドである。聴いてて落ち着くのは、やっぱりこのテイスト。正直、全編9.みたいな音だったら、肩が凝ってしまう。
11. Maureen
ただ、そういったステレオタイプだ完成形だを吹っ飛ばしてしまうのが、この曲。リズムが立ってバッキング先行のサウンドになっているけど、これがイイ感じのグルーヴ感。シン・ドラの響きだけ時代を感じさせるけど、次第に熱を帯びてくるクールなヴォーカルは、軽快感すら思わせる。
あと20年ほど待てば、レアグルーヴとして再評価されそうな、そんなイカしたチューン。
THE ULTIMATE COLLECTION
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