先日、Prince 『Come』 のレビューで、長年親しんだ本名Princeの名義を捨てて、いまだどう発音していいかわからないシンボル・マーク(一応、公式では「the Artist Formerly Known As Prince」、かつてプリンスと呼ばれた男(笑))に改名して、新たなスタートを切った話を書いた。
それで思い出したのだけど、そういえばRoddy も殿下同様、ほぼ同時期にAztec Camera の名前を捨てて、ソロ歌手Roddy Frameとして再スタートしたのだった。こっちはそこまで話題にならなかったから、覚えている人はあんまり少ないかもしれない。
Aztec最終作となった『Frestonia』は、有終の美を飾るような、清涼かつ静謐なサウンドでまとめられていた。ネオアコから始まって、R&Bだギター・ポップだ教授とコラボだ、と流浪の音楽性を見せてきたRoddy 。その最期は、これまでの歩みをすべてリセットするかのように、シンプルなものだった。
Roddy からすれば、もうAztec Cameraという名義が、煩わしくて仕方なかったんじゃないかと思われる。どれだけ色んなジャンルに手をつけて新境地を開拓しても、結局は「Oblivious最高」って言われちゃうわけだし。これと同じ流れで、Paul WellerもJam解散させちゃったよな。
数年前、『High Land, Hard Rain』リリース30周年ライブが催され、ささやかではあるけれど、概ね好意的に評された。Roddy 自身にとって、初期の作品は若気の至りでしかないのかもしれないけど、往年のファンの多くが、その時代にシンパシーを感じていることは事実である。
決して新しくはない。けれど、その音はピンポイントで、特定の世代の心の琴線を震わせる。今の音楽のトレンドを追うことから降りてしまった、アラフィフ世代のそれに。
彼ら(俺含む)が悪いわけではない。いい悪いで分けるのは、ちょっと乱暴だ。
ただ、Roddyもまた、そんな最前線から降りる道を選んでしまった。メジャーから身を引くというのは、ある意味、そういうことだ。
Beautiful South 同様、初期のネオアコ路線のイメージがずっとついて回っているAztec Camera 、特に日本だと、その枕詞で紹介されることが多い。ていうかそれだけだよな。再発される時は、ほぼ必ずネオアコ絡みだし、実際リリースされるのも、初期2枚ばかりだし。
どちらもアメリカではさっぱりの売り上げだったため、派手に紹介しようにも話題がないこの2組。実際のところ、ネオアコ期の作品は、それほど大きなセールスを上げていたわけではない。Beautiful South最大のヒットは、シニカル・ポップ路線がピークに達した『Blue is the Color』だし、Aztec Cameraも商業的に成功したのは、3枚目の『Love』である。
UK最高3位をマークした、最大のヒット・シングル「Somewhere in My Heart」を収録したこのアルバムでRoddy 、それまで確立したネオアコ色を一掃する行動に出た。トップ40仕様の、ブラコン・テイストのダンサブルなアレンジは、インディーでは獲得し得なかった幅広いファン層をつかむことに成功した。
もともと80年代アーティストの中では端正な顔立ちをしていたRoddy 、当時はしょっちゅうメディアにも露出しており、中性的なイメージのピンナップやフォト・セッションを多く残している。今でもRoddy のイメージといえば、この時代の印象が強い。ちょっとナーバスで、母性本能をくすぐる面影のインディー期を経て、メジャーに移った途端、リア充デビューした、そんな印象。
この路線でもうちょっと進めていけば、AOR寄りのポップ・スターとして、Phil Collinsの後釜ポジションに収まっていたかもしれないのに、コンテンポラリー路線はこれっきりとなってしまう。リア充デビューして、パリピ的ライフを満喫してはみたけれど、やっぱどこか場違い感が拭えなかったのかね。
その後は、あらゆるジャンルを右往左往する、終わりの見えない自分探しの旅。「安住を拒む音楽的冒険」といえば聞こえはいいけど、要は何をやっても「ここじゃない感」が顔を出して思い悩んじゃうんだろうな。
「僕が探し求めていたのは、正しくコレなんだ」と確信を得ても、その数秒後には、収まりの悪さを感じている「もう1人の自分」がいる。「やっぱオレはギター・ロックだぜっ」と思い立って、元ClashのMick Jones を誘って「Good Morning Britain」を歌いながらも、次の瞬間には、スペインに魅了されてスパニッシュ・ギターを奏でてしまう、もう何が何だか予測不能の音楽性。
並みのミュージシャンなら、そんな思いつきや付け焼き刃では、すぐボロが出て散々な仕上がりになってしまうけど、Roddy の場合、器用なぶんだけ、どれもそれなりに形になってしまう。
ひとつのジャンルに深くこだわらないため、場合によっては物足りなく感じる場合もあるにはあるけど、誰もポップ・ソングに、そこまで深くは求めない。そういったフットワークの軽さを、ファンもまた楽しんでいたわけだし。
そんな自分探し的な音楽活動ゆえ、オーソドックスなバンド・スタイルというのは、足かせとなってしまう。メジャー・デビューして間もなく、Aztec Cameraは固定メンバーが続々フェードアウトしてゆき、気づいた頃にはRoddy を中心としたユニット・スタイルへと移行していた。
アルバムごと・シングルごとに曲調を変えるたび、それに応じたメンバーを集める手法は、特別なものではない。パーマネントなバンドを持たないソロ・アーティストなら、よくあるスタイルではある。
とはいえ、定期的にメンバーを一新してしまうと、音作りの前にまず意思疎通、コミュニケーションが必要になってくる。ある程度、顔見知りならまだ難しくはないけど、音楽的な相性となると、こればっかりはやってみないとわからない。
話も合う飲み友達だからといって、バンド運営がうまく行くかと言ったら、それはまた別問題である。そこまで単純な話ではないのだ。
運命共同体的な意識で永続的な活動を行なうのがバンドであるならば、ソロ・プロジェクトというのはもっとドライで刹那的、作り上げたら終わりである。次のプロジェクトも同じメンツになるとは限らないのだ。
多様な音楽性を表現することに絞って言えば、それは有効な手段ではあるけれど。
もはや名前だけのバンドAztec Camera を終了させ、ソロ・デビュー作となった『North Star』。名前も変えたし心機一転、と行きたいところだけど、サウンド・コンセプトは、ほぼ『Freatonia』を踏襲したものになっている。レコーディングに参加したメンバーもほぼ引き継がれているので、似ているのは当たり前か。
Roddy にとって、Aztec Cameraというブランドが、もはやその程度のものでしかなかった、という証でもある。名義変更もワーナーとの契約に伴うだけのものであって、特別感傷的になる事象ではない。それよりは次回作、『Frestonia』構想時からすでにずっと先を見ていた、ということであって。
-これで完璧、というわけではない。バンド・サウンドというには、Roddyのパーソナリティが強く、アンサンブルも面白いものではない。
ただ、Aztec の看板を背負ったままでは、またワーナーの庇護を受けてでは、そして独りよがりの才能だけでは、表現しきれない、そんな世界を見てしまったのだ。
迷いがないわけではない。
「本当にこの音でいいのか?」。
スタジオで苦闘しながら、Roddyはそう思っていたのかもしれない。
でも、そんな迷いを小手先で器用にまとめてしまうのではなく、バンドの力を借りながら、前へ進もうとする気概があらわれている。
オープニングから「Back to the One」だもの。再スタートには、ふさわしいタイトルだ。
The North Star
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Roddy Frame
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1. Back To The One
ギター・プレイが多彩で、これまでと違う気概を感じさせる。弦のスクラッチ音なんて、これまで聴こえなかったもの。しっかりしたリズム・アレンジから言って、従来のプロデューサー主体、Roddyの主観のみで作られたのではなく、バンドときちんとコンタクトを取って練り上げたものなのだろう。
今ごろになってバンド・マジックに魅せられたのか、ヴォーカルもちょっと荒々しくてラフな感じ。繊細さよりカタルシスを選んだ、そんな印象。
2. The North Star
曲調だけで見ると、後期Aztecのメロディ・ラインだけど、バンド・セットでのレコーディングだけあって、疾走感がプラスされている。曖昧な音色のアンビエント調シンセでごまかすのではなく、ここではギターを弾きまくっている。アコギも上手いけど、やっぱエレキだよな、この人。
とは言ってもノリ一発・勢いだけでおしきるのではなく、中盤のセンチメンタルなヴァ―スでキュンとさせるのは、さすが。サラッとこういう構成にしちゃうから、なかなかあなどれない。
3. Here Comes The Ocean
80年代初期を思わせる、ちょっと古めのエフェクトをかけたギターのアルペジオをベーシックに、メランコリックなメロディを聴かせるナンバー。これこそ教授に磨きをかけてもらった方が良さげな気がするけど、バンドでチャレンジするのも、なかなか一興。ネオアコ風味がノスタルジーを誘う。
4. River Of Brightness
壮大なスケール感を想起させる、ダイナミックなアレンジのミドル・バラード。Roddy自らつま弾くマンドリンの音色が、トラディショナルっぽい。かつてなら、もっと重厚に、長尺のバラードに展開しそうなところを、すっきり4分台にまとめている。
5. Strings
シリアスなバラード。教会を思わせる荘厳としたハモンドが鳴り続ける。こういうのも1曲くらいはあっていいけど、陰鬱としたムードは、あんまり好みじゃない。あくまで俺目線だけど。
6. Bigger Brighter Better
なので、こういったサラッと大人びたアコースティック・ナンバーが出てくるとホッとする。実際、ファンの間でも人気が高く、ライブでも定番となっている。弾き語りでも十分間が持つ曲なので、使い勝手もいいんだろうな。テーマも前向きだし。
7. Autumn Flower
でも、ちょっと油断すると、こういったしっとりしたナンバーが出てくる。ピアノメインじゃなければ、もうちょっと軽く聴けるんだけどな。
8. Reason For Living
シングルにもなった、こちらもセットリストには高確率で入るロッカバラード。あんまり端正にまとめるより、ちょっととっ散らかったくらいの方が、この人の場合は入り込みやすい。多分、自分でプレイしてても、こういったテンション高めの楽曲の方がハマることはわかってるはずなんだけど、なんかこじれちゃうんだよな。そんなにポップ・スター時代にトラウマがあったのか。
9. Sister Shadow
ネオアコというよりは、オーソドックスなスタイルのフォーク・ロックといった印象。別段、新しいことをやっているわけではない。好きにギターを弾きまくって、朗々と歌っているだけだ。でも、それがいい。俺たちが求めているRoddyの姿とは、まさしくこれなのに。
10. Hymn To Grace
アルバム最後は、しっとりしたエピローグ的な弾き語りバラード。いま思えば、これが次作『Surf』の予告編だったのか。歌声とギター・プレイ。たったそれだけなのに、心に染み入ってくる。でもね、全篇これで通しちゃった『Surf』。あれは極端だよ。1~2曲だから、いいんであって。
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