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Paul Heaton

元ビューティフル・サウス:ポール・ヒートン栄光の軌跡と紆余曲折 その2 - Paul Heaton & Jacqui Abbott 『What Have We Become?』


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  前回の続き。




 一応、円満な発展的解消に落ち着いたビューティフル・サウス解散を経て、ポール・ヒートンはソロ活動を再開する。2006年サウス最終作『Superbi 』リリース以降、バンドは開店休業だったため、時間だけはたっぷりあった。
 2007年、正式に解散が発表され、翌2008年にはソロ再デビュー作『The Cross Eyed Rambler』をリリースする。相変わらず立ち直り早いし切り替え早いし、尽きない量産ぶりはコステロ並みだなヒートン。
 細かい変遷はあったけど、基本はオーソドックスなアコースティック/フォークポップだったサウス〜ビスケット・ボーイに対し、独りになって思うところがあったのか、ここでは大胆なイメージチェンジを図っている。
 どこから引っ張ってきたのかヒートン、ひと回り世代の違う若手ミュージシャンを集め、新たにバンドを結成した。その名も「The Sound of Paul Heaton」。有名どころはヒートンしかいないので、ほぼバックバンドみたいなものである。しかしダセェネーミングだよな。
 Mark E. Smith率いるFallに一瞬いたSteven Trafford以外、ほぼ無名の若手中心で、インディーポップ/ロックバンド的なアプローチが展開されている。ガレージロックに触発されたラウドめのサウンドに触発されたのか、メロディもシンプルに抑えられ、ヴォーカルも心なしか前のめり気味になっている。
 わざわざバンド名義にするくらいだから、それなりに気合い入れてたはずだし、原点回帰でマメにUKツアーも行なったのだけど、チャートはUK最高43位に終わっている。まっさらの新人バンドならともかく、ヒートンのネームバリューがまったく通用しなかったのは、スタートとしてはちょっと肩透かしだった。
 「まぁロック界隈ではそんなに知名度なかったし、そんなにプロモーションもしてなかったし」と、第2弾『Acid Country』でも引き続き、ギターメインのパワーポップで押し通してみたのだけど、前作よりさらに低い最高51位という結果に終わる。明らかに固定ファン離れてるな。

 ポップなメロディとガレージロックは決して相性が悪いわけではなく、ハードめならメロコア、ソフトに振れてもパワーポップというフォーマットがあるのだけど、そのどちらともリンクせず中途半端だったのは、やっぱ向いてないんじゃなかろうか。かつては英国の標準家庭に一枚はあったサウスのアルバム、そんな保守層が荒ぶるヒートンを求めているとは、とても思えないわけで。
 山下達郎だって、ほんとはAC/DCみたいなハードなサウンドが大好きなんだけど、自分の声質には合わないから、ソフトサウンド路線を選択したわけだし。今はもう無理だろうけど、ヘドバンする達郎も見てみたかった気もする。イヤやっぱいいわ、なんか怖いし。
 さすがに2作続けてコケたことで懲りたのか、バンドは解散、ロック路線にさっさと見切りをつける。多分、周辺スタッフも「そろそろサウス路線に戻った方がいいんじゃね?」と口添えしていたはずだけど、そう言われると逆張りに行ってしまう英国人気質。元メンバー残党で結成されたThe Southの手前、同じ路線は歩みたくない。
 そんな矢先、ちょっと違う方面からオファーが舞い込む。アーティストとしてではなく、サウンドプロデューサーとして。

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 「世界で初めて新作の委託製作のみに特化した国際フェスティバル。2007年に第一回を開催。舞台芸術、ビジュアルアート、ポップカルチャーを融合した作品が特徴的」という趣旨のマンチェスター国際フェスティバル。隔年で約2週間の開催期間中、演劇からオペラ、映画から現代美術からパフォーミングアートまで、世界中さまざまなジャンルのアーティストが参加している。
 過去のラインナップを見ると、スティーヴ・ライヒとクラフトワークのコラボ、マッシヴ・アタックによる映像と音楽のパフォーマンス、デヴィッド・リンチ:プロデュースの舞台パフォーマンスなど、斜め上のサブカル好きには垂涎のプログラムが並んでいる。今年も草間彌生が新作提供していたり映画『マトリックス』をテーマとしたダンスパフォーマンスがあったりして、興味なくても行けば虜になってしまうイベントが盛りだくさんである。
 そんな2011年のラインナップのひとつとして、「七つの大罪」をテーマとしたショウが企画された。マンガや映画『セブン』でも取り上げられた、カトリック由来のテーマである。そのサウンドプロデューサーとして「なぜか」ヒートンが指名された。
 高潔でアーティスティックで先鋭的なフェスティバルに対し、場末のアイリッシュパブでサッカー中継を横目にクダを巻く労働者階級のヒートンは、控えめに見ても場違いである。彼の作風である「市井の一般庶民のドタバタ悲喜劇」と新約聖書とのギャップ萌えを狙ったー、イヤ強引すぎるな、どう好意的に見ても。やっぱ何かの間違いだったとしか思えない。
 地元の強力なコネでもあったのか、はたまたキュレーターが誰かと勘違いしたのか。ヒートン自身も「なんで俺?」って思わなかったんだろうか。

 ただショウのすべてを取り仕切ったわけではなく、大筋のコンセプトは著名劇作家のChe Walkerがシノプシスを書き、舞台演出も実績のあるGeorge Perrinが腕を奮った。そりゃそうだ。
 ヒートンの役割は、シノプシス/テーマに沿った、8楽章から成る組曲を制作することだった。嫉妬や強欲など、テーマにフィットしたシンガーの選出・構成も、彼のミッションだった。強引に1人で歌い分けることも可能っちゃ可能だけど、それじゃただのソロライブだもんな、サエない中年男だけじゃ華もないし。
 これまでとは趣きの違う不慣れな仕事ゆえ、いろいろ苦心惨憺だったことは察せられる。いろいろダメ出し食らったりボツにされたりもしたんだろうな。
 おそらく敬虔なクリスチャンとは思えないヒートン、これまで宗教を揶揄したり遠回しに小バカにしたような楽曲は書いてきたけど、パロディ抜きのシリアスな表現はしたことがなかった。今回はさすがにシニカルな視点は傍に置いて、真摯かつエンタテインメントとして成立してなければならない。
 きちんとしたシナリオがある分、まだ救われたと言える。じゃないと、ヒートン成分が入りすぎてキンクスみたいになっちゃってただろうし。
 世界的には無名だけど、堅実な仕事をするスタッフやアーティストによって、『The 8th』は格調高いエンタテイメントとして演じられた。キリスト教由来のテーマなので、無宗教の俺がどうこう言えるものではないけど、トータル的にはちゃんとしている。ヒートンのくせに。
 ていうかヒートン、この本編ではほぼモノローグのみの役割で、基本的には裏方である。なので、彼目当てだとちょっと肩透かしを喰らってしまう。
 のちにこのプログラム、CD/DVDにまとめられたのだけど、実際の公演では後半でヒートンのソロライブもあり、むしろそっちの方が堅苦しくなくて好評だったらしい。大衆的なアーティストの箔づけとしては有効なんだけど、本人的にもお呼びじゃない感が先立って集中できなかったんじゃなかろうか。
 ちなみにこの年のマンチェスター国際フェスティバル、他のプログラムがやたら充実しており、デーモン・アルバーン制作の京劇オペラやビョークのライブなど、ヒートンが霞んでしまうラインナップが目白押しとなっていた。そりゃ世間の注目はそっちに行くし、そこまで興味のない俺でさえ、やっぱ生ビョークは見たいもの。

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 なのでこの『8th』、これまでのヒートンのキャリア中、CDセールスは最低ランクだった。まぁ本人歌ってるわけじゃないしね。
 収益性はともかく、クリエイティヴ面で手ごたえを感じていたら、その後も地道に続けているはずだけど、いまのところそんな動きもない。当時の劇評に目を通すと、それほど批判的な意見は見受けられないのだけど、だからと言って絶賛もない。
 ヒートンにしてみれば、たまたまスケジュールが空いてた時に舞い込んだ請け負い仕事であり、評判良ければ、そっち方面へ行くのもアリかな?と思ってはいたけど、リアクションの薄さと作業の煩雑さに辟易しちゃったんじゃなかろうか。いつもの自作自演と違って、お題はガチガチに決まってるし、そもそも長編小説的な組曲を書くタイプではなく、短編小説の作風だし。
 なので、ヒートンのキャリア中、ほぼなかったことにされているこの『8th』。セールス面でもクリエイティヴ面でも、ほぼ得るものはなかったのだけど、大きな出逢いがひとつあったため、重要なターニングポイントとなっている。
 プロジェクトに参加したシンガーの多くは初顔合わせだったのだけど、おそらくヒートンの強い希望だったのか、旧知のジャッキー・アボットが参加していた。

 「もうこんな下品な歌は歌いたくない」という理由で脱退したブリアナ・コリガンの後釜として、アボットはサウスの2代目女性ヴォーカリストに就任した。脱退後、ソロデビューを経て、学校の先生になったコリガン。もともとまともなキャリアを歩んできた人だから、相当我慢してたんだろうな。
 そんな反省もあったのかヒートン、アボット加入以降、あからさまで下品なエロを表現することは減ってゆく。チマチマした小市民のソープオペラは相変わらずだったけど、クセの少ないアルトヴォイスはヒートンの声質とも相性が良く、数々のヒット曲を生み出す名パートナーとなった。
 そんなサウスの黄金期を支えていたアボットだけど、2000年に脱退を表明することになる。幼い息子が自閉症と診断され、多忙なツアーに帯同することが困難になったのが理由だった。
 事情が事情なため、脱退はスムーズに受け入れられるのだけど、思えばこの辺からサウスの凋落が始まっている。三代目女性ヴォーカリスト:アリソン・ウィーラーを加入させて建て直しを図るのだけど、一度止まった勢いはもとに戻らなかった。フェードアウトするように解散したサウス以降、彼女もまたThe Southに合流することになる。
 ソロ活動も行なわず、ほぼ引退状態だったアボットに声をかけたのは、偶然だったのか何か意図があったのか。多分、どっちもだろう。
 ほぼ10年、表舞台に出ていなかったにもかかわらず、彼女の歌はヒートンの書いた曲にすっぽり収まった。たった一曲だけだけど、彼女の歌う「Envy」は、ヒートンの世界観を巧みにかつ自然に表現していた。
 「彼女はは私が一緒に仕事をした中で最高の歌手の 1 人であり、私の過去の一部でもあります」とヒートンはアボットを絶賛している。「私はいつもジャッキーを念頭に置いて曲を書きました」。ここまで言うと調子良すぎるけど、実際、彼のメロディに最適なハーモニーを合わせられる/メロディに選ばれたのが、彼女だった。
 大げさな表現ではない。実際、2人のハーモニーを待ち望んでいた音楽ファンが多かったのだ。

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 最初のコラボアルバム『What Have We Been?』は、発売間もなくUKチャート3位、たちまちゴールド認定された。この週のトップがマイケル・ジャクソンの遺作『Xscape』、2位がコールドプレイという、ビッグネームに続いての3位だから、発売週によってはトップだった可能性もある。
 ライブはどこもソールドアウト、テレビ出演も引っ張りだこで、これまでの迷走はなんだったのやら。盟友アボットの力を借りながら、ヒートンは再びトップシーンに躍り出る。といっても、相変わらずの普段着ファッションは変わらなかったけど。
 その後もマイペースを守りつつ、コンスタントにコラボは継続しており、今年も3枚目のアルバムがリリースされた。こちらはUK1位。天下獲ったなヒートン。
 もう過去の人ではない。ちゃんとしたメインストリームを歩む真っ当なアーティスト。それが現在のポール・ヒートンだ。
 ただ、キャリア総括ベストに『The Last King Of Pop』ってタイトルつけちゃう茶目っ気残ってるけど。




1. Moulding of a Fool
 直訳すれば「愚か者の形」だけど、Mold=カビのダブルミーニングにかけてるっぽい。だってヒートンだもん。
 リーディングトラックだけあって、爽やかで軽快なポップソングだけど、歌ってる内容はひねくれた視点で相変わらず性格悪い。間奏でなぜかギターが荒ぶってるけど、こういう曲調ならアクセントとして機能している。

2. D.I.Y.
 アボットがリードを取る、ロカビリータッチのトラック。こちらも軽やかでメリハリの効いた小品なのだけど、「自分より若い娘に彼氏を取られた」って内容なので、やはりスパイスが効いている。アメリカ人を小バカにしたような脳天気なコーラスも小気味よい。




3. Some Dancing to Do
 ファズ入ったギターから始まる、やや大仰なサウンドプロダクトのデュエットソング。2人とも、彼らにしては情感込めてドラマティックに歌い上げているのだけど、内容は「レストランや映画館、病院、高速道路出口など、とにかく行列でテンションガタ落ち」って、どうでもいいこと。そんな他愛もないことをわざわざ歌にしてしまうところが、ヒートンの個性でもある。

4. One Man's England
 センテンスを目いっぱい詰め込んだ、全盛期のサウス節全開のフォーク・ポップ。古き良き大英帝国から現在までの風刺を盛り込んだ内容になってるっぽいけど、ネイティヴじゃないとわかりづらい歌詞。でもこのポップさは嫌いじゃない。

5. What Have We Become
 5曲目と言う地味な配置のタイトルチューン。こちらも全盛期サウスを彷彿させる、時代が時代だったらシングルヒットしていたはずのナンバー。アボットのヴォーカルに幅があり、時々、上品なスティーヴィー・ニックスみたいに聴こえたりもする。
 こうしてここまで聴いてみると、確かにサウスの演奏スキルじゃ望めないアイディアやアレンジがあったりして、やっぱこの2人でやるのが正解だったと、改めて思う。

6. The Snowman
 DeepLで翻訳したのを読んだだけだけど、比較的皮肉も暗喩もなさそうな、ストレートな寓話調のポップバラード。もしかして裏があるのかもしれないけど、俺の英語力じゃ無理だ。
 なので、普通に楽しもう。メロディとハーモニーは文句のつけようがない。

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7. Costa del Sombre
 サウンドこそハードめだけど、昔のメキシコ歌謡っぽさ漂うレトロ風味のメロディは、案外日本人にもヒットするんじゃないかと思う。橋幸夫もメキシカンロックって歌ってたし、我々日本人はもともと、こういった異国情緒エキスの濃いサウンドやメロディを好む傾向にあるのだ。
 いわゆるパロディなのだけど、サウンドもメロディもしっかり作り込まれており、2人とも巻き舌多用したりしている。

8. The Right in Me
 このアルバムの中では異彩を放つ、ボトムの効いたガレージポップ。ていうかどの曲も統一性なく、結構曲調ばらけてるか。何もコレだけが特別じゃない。

9. When It Was Ours
 「Some Dancing to Do」同様、大げさなアレンジ・凝ったアンサンブル・ドラマティックなヴォーカルと3つ揃ってるけど、相変わらず歌ってるのはどうでもいいことばかり。「再び墓地やパブ、クラブへ行こう」なんてイミフで中身がないことを、全力で歌う2人。いい年してコレをやることに、一つの意味がある。

10. I Am Not a Muse
 珍しくリズムループを使った、ヒートンにしては「今風」のトラック。「俺は音楽の女神なんかじゃない」ってどういう意味?
 「俺はジャズにもヒップホップにも興味なければ、ブルースにだって関心ないんだ」とモノローグ調で語ってるけど、要は「饅頭怖い」みたいなもの。全編DTMなのも、逆説的に「好き」っていってるようなもので。

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11. Stupid Tears
 彼らのレパートリーの中では数少ない、ストレートなラブソング。歌詞がノーマルな分だけ、せめてサウンドでアクセントをつけようという意図なのか、The Sound of Paul Heatonみたいなガレージ・ロック。ただアボットのヴォーカルがある分、ヒートンだけでは単調になるのをうまく回避している。

12. When I Get Back to Blighty
 サザンが往年の歌謡曲にインスパイアされたような、ドリーミーなバラードポップ。ドライな声質のアボットのヴォーカルによって、甘さがほどほどに抑えられており、そこがいい塩梅。これも日本ウケしそうなんだけどな。









元ビューティフル・サウス:ポール・ヒートン栄光の軌跡と紆余曲折


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  1990年代のイギリスでは、幅広い人気を誇っていた庶民的バンド:ビューティフル・サウス。露悪な皮肉とペーソスに塗れた彼らの歌は、他人の不幸をこよなく愛する英国人のツボにハマっていた。
 穏やかでポップなサウンドと、英国人特有のひねくれた悪意とペーソスに満ちあふれた作風は、老若男女問わず受け入れられた。ただ世紀末を迎えるあたりから、チャートの趨勢はEDM主体のダンスポップに取って代わられ、人気は下降してゆく。
 少しは時流に合わせるよう、レーベルからのプレッシャーでもあったのか、7作目『Painting it Red』は、かつての盟友ノーマン・クック = ファットボーイ・スリムにリズムトラックのアドバイスを依頼、彼らにしてはダンスビート寄りのトラックが収録されている。ただ、変に勢いあまって2枚組にしたことで、微妙なセールスに終わってしまう。
 従来ファンが買ってくれたことで、初動売り上げは確保できたものの、チャートアクションの勢いはなかった。これで伸びしろがないと判断されたのか、リリース契約も更新されず、窮地に陥ってしまう。
 先行きの不透明感とマンネリズム、レーベル移籍交渉が進まなかったこともあって、メンバーの士気も低下、バンド活動も停滞してゆく。周囲の雑音なんてどこ吹く風、マイペースを貫いていた印象だったけど、時代に取り残された現実を突きつけられ、モチベーションはダダ下がりした。
 ただ、完全に忘れられるにはまだちょっと早すぎたサウス、この時点で気持ちを切り替えて、小規模ライブ中心のツアーバンドとして生き残る道もあった。コンテンポラリーなスタンダード曲はないけど、そこそこのスマッシュヒットはたくさん持っていたため、市民会館クラスのハコなら充分埋められる知名度は持っていた。

 楽曲制作に携わっておらず、印税収入の恩恵も少ない演奏陣からすれば、フロントマンの青臭い苦悩なんてのは他人事でしかない。進んでソロ活動したり客演したりもせず、とにかく演奏して日銭を稼ぐことだけが、彼らの処世術だった。
 特別、演奏テクニックに秀でていることもなく、現状維持を望む連中を重荷に感ずるのは、何もいま始まったことでもない。おそらくずいぶん前から、火種はくすぶっていたのだろう。
 クリエイティヴ面でスランプになったわけではない。歌うテーマはいくらだってある。ライターズ・ブロックなんて言葉とは縁遠いヒートンにとって、袋小路にはまったバンドの現状は、別な見方で言えば転機でもあった。ソングライターとしてパフォーマーとして、まだ伸びしろがあると思っていたヒートンは、早々にソロ活動に乗り出すことになる。
 初ソロアルバム『Fay Chance』は、外部ミュージシャンを多く起用しているけど、作詞作曲は全部ヒートンなので、基本は従来サウス路線を踏襲している。一曲目でスクラッチが導入されていたり、なんちゃってブルース風な楽曲もあったりして、サウスとの差別化を意識したバラエティ感はあるにはあるけど、まぁ「ほぼサウス」。
 サウスとの違いを強調するためか、アーティスト・クレジットも「ビスケット・ボーイ」に改めた。さらに別名「クラッカーマン」っておまけもついている。彼流のジョークなんだろうけど、ちょっと何言ってるかわかんない。
 EDMを使用した一部のトラック以外はいつものビューティフル・サウスであり、メンバーへの配慮や気遣いもなかった分、クリエイターの意図が充分反映された良作なのだけど、やっぱ「変な名前」が災いして反応は薄く、UK最高95位とチャートでは低迷した。あまりの手応えのなさにヒートンも思い直し、「ビーバス・アンド・バットヘッド」のパクりみたいなイラストから、無難なポートレートにジャケットを変更、ヒートン名義で翌年再販してみたけど、結果は変わらなかった。
 もしかして、アメリカのインディー市場を意識して、あんなアートワークにしたのだろうか。イヤ無理だってキャラに合わんし。

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 ソロプロジェクトは大コケしたけどそれはそれ、さっさと気持ちを切り替えたヒートン、サウス再始動のため、バンドメンバーらを招集する。言い方悪いけど、自ら考えて動くような連中ではないので、拒否するはずがない。よく言えば従順なんだよなみんな。
 前作のセールス不振で微妙な関係になっていたGo! Discsともどうにか和解、本格的な再始動を踏まれ、サウスは新アルバムを制作する。ていうかヒートン。
 「今さら「Little Time」や「Don’t Marry Her」の時代じゃねぇだろ」と開き直ったのか、従来路線を踏襲しつつDTMもそこそこ多用した、ビスケット・ボーイ路線の『Gaze』を発表する。サウンドプロダクトもコンセプトも時流からはずれてないし、サウス名義だったらもっと受け入れられるんじゃね?とでも思ったのか。
 控えめながら自信を持って世に送り出したはずなのに、結果はUK最高14位と肩透かし。これまで着いてきてくれたコアユーザーがさらに目減りして、いよいよ落ち目感が漂ってくる。
 活動休止前までは、どのシングルもそこそこスマッシュヒット、アルバムもトップ10常連でプラチナ獲得も当たり前だったのに、『Gaze』はシルバー獲得がやっとというレベルにまで落ちてしまう。そりゃ多くの同年代バンドと比べれば充分な成績だし、リリース契約があるだけまだ恵まれている方なのだけど、ヒートン的にもレーベル的にも、期待値上げ過ぎちゃった感がある。

 どっちが先に三行半を叩きつけたのかは不明だけど、Go! Discsを飛び出したサウス、普通ならここで活動もフェードアウトするところだけど、捨てる神あればなんとやらで、大メジャーのソニーUKに移籍する。何がどんな経緯で、英国ローカルの右肩下がり中年バンドと契約に至ったのか。ディレクターのコネかエージェントの強さか、はたまた闇の力でも持っていたか。
 一応、契約アーティストではあるけど、今さら猛プッシュしてくれるポジションではなく、かといってお荷物になるほどひどい売上でもない。ある程度の固定ファンもいるから、おおよその売上予測も立つので、「まぁ好きにやってれば?」という放置プレイ。
 心機一転で仕切り直しと行きたいところだけど、移籍後初のアルバムは、なぜかカバー集だった。ヒートンがスランプで何も書けなかったのか、はたまた担当ディレクターにダメ出しされまくったのか。それならそれで、楽曲コンペで集めそうなものだけど、そこまでの予算は組めなかったんだろうな、だってサウスだし。
 実際聴いてみると、キャラに合ったメロディタイプの楽曲中心で構成されており、無難で危なげない仕上がりになってはいる。もともとサプライズやスリルを求める音楽性じゃないし、まぁ確かにサウスっぽく仕上がってはいるんだけど、本人たちのやる気のなさがにじみ出てくる、そんなネガティヴな無難さが漂っている。
 食ってゆくため/次回作リリースのため、いわば消化試合のようなアルバムゆえ、プロモーション・ツアーも積極的に行なわれず、UK最高11位と、これまた中途半端なチャートで終わってしまった『Golddiggas, Headnodders and Pholk Songs』。それでもそこそこロングテールで売れたのか、最終的にゴールドディスクを獲得している。多分、本人たちは不本意だったろうけど。

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 2006年、移籍後初となる念願のオリジナルアルバム『Superbi』がリリースされた。ソニーもそこそこプロモーションに力を入れたのか、UK最高6位と久しぶりにトップ10入りを果たす。次週には急降下しちゃったけど。
 せっかくそこそこのヒットを打てたにもかかわらず、いまいちモチベーションが上がらないのはヒートンだけではなく、その他メンバーも同じだった。手応えがあろうとなかろうと、今さら一喜一憂する年代でもないし関係性でもない。もうずいぶん昔に、バンドを寿命を迎えていたのだ。
 以前ほどライブも行なわず、それに伴って達成感もカタルシスも得られなくなり、翌年、ビューティフル・サウスは解散する。「音楽的な類似性」というコメントを残したけど、誰も笑いもしなければ、関心さえ持たれなかった。
 お別れライブもなければ記念シングルもない、メンバー同士のあからさまな中傷や暴露合戦もなし。ファアウェル感のまったくない、円満離婚手続きのような解散だった。
 それほど盛り上がらなかったのは、正確には「解散」ではなく「ヒートンが抜けた」というのが周知の事実だったせいもある。「解散する/しない」じゃなく、「ヒートンに振り回されたくない」と思っていたメンバーが相当数いたらしい。事実、サウス解散後、多くのメンバーはサウス楽曲をレパートリーとした新バンドThe Southに合流している。
 あんな飄々とした風情だったけど、キツいこと言わなきゃならないこともあったんだろうなヒートン。嫌われ役しなくちゃならない事もあっただろうし。どんな組織でもあり得ることだ。

 ほんとはこれ以降のヒートンの足跡、再ソロデビューの不振と迷走、ジャッキー・アボットとの再会を契機とした完全復活まで書き進めていたのだけど、そこにたどり着くまでに結構な分量になった。なので、ここで一旦切って、続きは次回。
 ここまで書いてきてなんだけど、ちゃんと聴いてみるといいところも多い『Fat Chance』。ビスケット・ボーイとして向き合うからショボく思えちゃうわけで、最初っからヒートン名義でリリースしてりゃ、こんな扱いじゃなかったはず。
 そんな空気の読めなさ・ズレてる感もまた、彼の魅力なわけで。そういうことにしておこう。




1. Lessons In Love
 逆回転テープ処理みたいな響きのギターが印象的な、ヒートンにしてはざっくりしたサウンドがオープニング。「サウスとは違うんだ」感を強調したいことが伝わってくる。
 このアルバムの多くのセッションは、ジョー・ストラマーのバンドにいたMartin Slattery (Key)とScott Shields (Dr)を伴って行なわれ、サウンドメイキングに大きく貢献した2人も作曲クレジットされている。なので、全体的にリズムは立っている。

2. Mitch
 グラウンドビートとブルースの融合、取ってつけたようなスクラッチなど、いろいろ新局面を見せているトラック。なぜか元サウスのDavid Rotherayが作曲クレジットされているので、おそらくバンド時代のボツ曲の再演と思われる。後期のサウスのアルバムに入っててもおかしくない出来なんだけど、あの演奏陣じゃ満足できなかったんだろうなヒートン。

3. The Perfect Couple
 これはヒートン単独のクレジット。おそらく独りでスタジオにこもってるうちに仕上げちゃったんじゃないかと思われる。
 初期サウスのメロディに近いため、逆に女性コーラス不在の物足りなさを感じてしまう。こういった甘いタッチのメロディなら手クセでいくらでも書けるだろうし、ちょっとスパイス効かせるためバンド・スタイルにしてるんだろうけど、もう一味が欲しい。

4. Last Day Blues
 サウス時代からキーボードのサポートで付き合いのあったDamon Butcherとの共作によるバラードナンバー。そんなに凝ったコード進行でもなく、シンプルな構造なのだけど、気心知れてる昔馴染みとのコラボは、安心して聴くことができる。
 アルバム全体をサウスとは違う展開にしたいのはわかるんだけど、やっぱこういった曲の方がヒートンのキャラが明確になってるし、彼の曲である必然性が見えてくる。この当時、彼の中では「抑えの曲」だったんだろうな、従来ファン向けの。

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5. Man's World
 再びButcherとの共作。「Last Day Blues」よりも少しザックリして、バンドスタイルのバラード感が演出されている。ヒットチャートでは太刀打ちできないけど、アルバム中の佳曲としては充分なアベレージ。

6. Barstool
 R&B/ダンスコンテンポラリー系のサウンドプロダクトを使った、ヒートンにしてはちょっと攻めた感のあるポップバラード。EDMバリバリに入れて、ヒートンのヴォーカルも全編エフェクトかけてて、女性ヴォーカルもセクシー系だ。
 これまでは色気の薄い女性ばかり起用していたのに、だいぶ背伸びしてがんばってる。こっち路線もやってみたかったのかもしれないけど、でも「ビスケット・ボーイ」名義でやるのはシクったよなヒートン。

7. Poems
 なので、ここでバンドスタイルのアレンジが出てくると、ちょっとホッとする。ゲスト女性ヴォーカルのZoe Johnstonもフラットなスタイルで安心する。アコギ主体なので往年のネオアコっぽさも漂い、ゴメンやっぱこういう方が好きなんだ。

8. If
 同じくアコギがメインだけど、ピッチフォーク系ユーザーを想定したような、ビスケット・ボーイ感のあるトラック。ソリッドなベーシックリズムをバックに、ちょっぴり粗野なヴォーカルでつぶやくヒートン。
 のちのThe Sound of Paul Heatonに連なるサウンド。ここでやめ解きゃよかったのに、手ごたえ感じちゃったんだな。

9. The Real Blues
 ギターやエレピはブルースっぽいけど、ヴォーカルにブルースっぽさはひとっつも感じられないので、やっぱシャレでつけてるんだろうな、このタイトル。こういったキッチュで自虐な視点を忘れないのがヒートンの持ち味なので、あまり突っ込んじゃいけない。まぁ聴き流そう、いい意味で。

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10. Proceed With Care
 考えてみればハウスマーティンズ、あのまま解散せずにネオアコ・ポップ路線を続けていれば、こんな感じになっていたのかもしれない、と思わせるトラック。そう考えるとこのアルバム、「もしビューティフル・サウスが存在してなかったら?」という異世界モノなのかもしれない。
 それくらい好きなトラック。

11. Man, Girl, Boy, Woman
 おそらく自宅で機材いじってるうちに何となくかたちになっちゃった、密室感の強いEDMトラック。おそらく自分で打ち込みなんてできやしないだろうから、プリセット中心に適当にかぶせてうち、こんな感じになっちゃったんじゃないかと思われる。
 ヒートンの別サイド、ややダークなモノローグ(ラップじゃない)中心のサウンドアプローチは嫌いじゃない。全編コレだとキツいけど、アクセントとしては悪くない。







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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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