好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

PSY・S

中期以降のPSY・Sについて、いろいろと。 - PSY・S 『Mint-Electric』

folder 前回のPSY・Sの続き。
 初期PSY・Sの2作『Different View』と『PIC-NIC』は、当時の最新鋭マシン:フェアライトCMIの性能に重点を置いたサウンドで構成されていた。今なら一周回ってエモいと言えなくもない、極狭ダイナミック・レンジのチープな音質をベースに、でもそれだけじゃあまりに素っ気なさ過ぎるんで、アクセント的に挿入された最小限のバンド・アンサンブル、そしてチャカのヴォーカル。
 もともと大阪のライブ・シーンをホームグラウンドとし、グルーヴ感あふれる生演奏をバックに、エネルギッシュなジャズやファンクを歌っていた彼女だったからして、松浦雅也謹製による、一部のブレもないシーケンス・ビートに合わせるのは、さぞ至難の業だったと察せられる。有機的なリズムをもねじ伏せてしまうヴォーカライズを敢えて封じ、打ち込みサウンドと同期させるスタイルは、ひとつのチャレンジだった―、とは、振り返ってから言えることで、当時は単にノリで「やってみた・歌ってみた」程度の軽い動機だったと思われる。
 そんな2人が作るサウンド・プロダクトに呼応して、地に足のついた非現実感とも言える世界観を演出していたのが、駆け出しの作詞家兼バンドマン兼歯医者見習いのサエキけんぞうだった。敢えてベタなシチュエーションやストーリー展開を用い、平易な言葉の多用による意味性の排除は、サウンドを主とした松浦のコンセプトと相性が良かった。
 シンプルな言葉のリフレインの揺らぎから生ずるグルーヴ感が秀逸な「9月の海はクラゲの海」から、うしろ髪ひかれ隊や水谷麻里など、小銭稼ぎのアイドル仕事まで易々こなす、振り幅の大きいサエキのバイタリティーは、「言葉への過剰な期待を持たない」という共通項で、松浦と同じベクトルだった。だったのだけど。

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 彼らが所属していたCBSソニー邦楽部門は、80年代に入ってから、長らく主流としていたアイドル・ポップスからの路線拡大を図っていた。ハウンド・ドッグやストリート・スライダーズ、尾崎豊らを輩出したSDオーディションによって期待株を発掘し、時にバンド運営にも介入する担当ディレクターとの二人三脚によって、商品価値を上げていった。
 磨けば光りそうだけど、アラが目立つ金の卵を、地道なキャンペーンとメディア・ミックスの物量構成で認知度を上げてゆくのがセオリーであり、次第に80年代ソニー隆盛の必勝パターンとして確立していった。地道なライブとキャンペーン回りで場数を踏み、決して普段着にはなり得ないアブストラクトなコスチュームと、性急なカット割りが印象的なPVを大量オンエアすることが、手間と時間はかかるけど、ヒットへの近道だった。
 初期PSY・Sはライブ活動を行なっていなかったため、こういった必勝パターンのルーティンとは違うルートを歩んでいた。スタジオで長時間過ごすことを苦に思わない、ガチのシンセオタク:松浦が外に出るのを嫌ったのと、正直、ライブ映えするサウンドではなかったことも、その一因である。
 ていうか、『PIC-NIC』までの彼らに対し、ソニーがどの辺まで期待していたのかと言えば、ちょっと微妙なところである。必勝パターンに当てはめづらい彼らのポジションは、いわば若手育成枠、セールス実績を急かされる・または期待される存在ではなかった。
 当時、同じくCBSソニーに所属していたシンセ・ユニットであり、ジャンル的にかぶる存在として、TMネットワークがいた。松浦同様、生粋のシンセオタクである小室哲哉が描くプログレ・ポップ・サウンド、そして小室みつ子による古典SFファンタジーを主題とした歌詞世界は、デビュー当時、マス・ユーザーに響くものではなかった。
 ただ、制作スタッフとして参加した渡辺美里「My Revolution」のヒットを契機に大きく路線変更、シーケンス・パートを減らしてパワー・ポップ成分を添加、ハードなギター・プレイをフィーチャーした「Get Wild」で一気に注目を浴びることになる。
 リリースされてから35年も経つというのに、最近も「Get Wild退勤」がトレンド入りしたように、いまだ強烈なイマジネーション想起とテンション上げを喚起させるサウンドであり、小室の最高傑作であることに異論はない。
 だって、「アスファルトタイヤ切りつけながら暗闇走り抜け」ちゃうんだよ。こうやって書き出してみると、文脈的にまったく意味不明だけど、それを強引に成立させてしまう世界観の強さ、そして時代や世代を超えて、聴くとアドレナリンを絞り出してしまう魔力を秘めている。聴いてるうち、背後で車が爆発し、銃弾の雨が降り注ぐ。行ったこともないのに、深夜の首都高を爆走した気になってしまう。
 すごいよな小室。ていうか「Get Wild」。

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 リアルタイムで週刊連載を読み、単行本全巻揃えていた、ガチの「シティー・ハンター」ファンだった俺的に、地上波アニメの成功は、「Get Wild」抜きに語れないと思っている。かなりマンガチックにデフォルメされたストーリー/エピソードはともかく、連載初期のハードボイルドな世界観を巧みに活写したタイトルバックは、制作スタッフの強いこだわりと商業性とが。奇跡的なシンクロを見せた好例である。
 80年代、アニメの社会地位は今とは比べものにならないくらい低い時代だった。マンガ・アニメはガキ向けの娯楽といった扱いで、大人になっても見てるのは、変態扱いされる時代だった。
 今で言うアニソンとJ-POPとは、まったく別の文化圏で棲み分けされており、互いのジャンルでクロスオーバーすることは、かなりのレアケースだった。マクロスやガンダムの主題歌・挿入歌がいくら売れようと、世間一般的には「別枠」と捉えられていた。ていうか、J-POPから「そっちの世界」へ足を踏み入れると、半永久的に「アニソン歌手」という烙印がついて回り、二度と「もとの世界」へは戻れないとされていた。飯島真理なんか、今も黒歴史的に話題引っぱってるもんな。
 で、アニメの世界観と程よい距離感を取り、それでいてJ-POPとしても高いクオリティだったため、一般ユーザーにも波及することになった「Get Wild」は、その後のアニソン界のひとつのメルクマールとなった。無理にキャラクターの名前をねじ込んだり、ストーリーやテーマに寄せなくても、主題歌としての機能は果たせるし、作品の選定さえ間違えなければ、オリコン上位を目指すことも可能である、と。
 ひとつの成功例は、同時にひとつの既得権を産むことになる。「Get Wild」のブレイクによって、主題歌枠はソニーの独占となり、次々に推しのアーティストをねじ込むことになる。
 「Get Wild」の後、同様のシンセ・ポップ/ソニー枠でPSY・Sが主題歌を担当することになったのは、こういった事情によるものである。

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 で、話は前後するのだけど、『PIC-NIC』のリリース後、PSY・Sはライブ活動を開始する。この松浦の心境の変化が自発的なものだったのか、はたまた外部からの要請だったのか。その辺の細かい事情までは不明だけど、多分どっちもアリだな。チャカが「やりたい」と言ったのか、はたまたソニー系アーティストとのコラボが多くなっていた松浦の覚醒だったのか。
 どちらにせよ、ある程度の外部要因、直接・間接的にソニー側からの巧みな誘導、または柔和な圧力があったことは間違いない。アルバム制作2枚を経て、そろそろ育成枠からの脱却、ファームから卒業の頃合いだった。
 松浦がNHK-FM「サウンド・ストリート」のパーソナリティを務めたことが、ひとつのきっかけだった。番組内の企画として、月ごとにテーマソングを作るにあたり、楠瀬誠志郎やバービー:いまみちなど、異色タッグの楽曲が多く生まれた。
 「ソニーつながり」ということ以外、ほぼ接点のなかったアーティストとの作業は、何かとめんどくさく根気のいるものだけど、ある意味、めんどくさいことを好む松浦じゃないとできないプロジェクトだった。頭でっかちなプログラミングだけでは表現しきれない、生演奏や歌の力は、彼の音楽的語彙に大きな刺激を与える結果となった。
 幅広い支持を得ることができる大衆的なメロディとサウンドを学習し、自分なりに咀嚼した成果が、3枚目 『Mint-Electric』で大きく花開くことになる。シンセの存在感を薄めたオーソドックスなポップ・サウンドは、同時進行で音楽監修を手掛けていたアニメ『TO-Y』サントラでも強く打ち出されている。
 強い吸引力とカリスマ性を放つGASPサウンドの再現が難しく、映像化することは不可能と思われていた『TO-Y』だったけど、アニメでは最初から「再現不能であること」を前提に制作されている。演奏シーンはイメージ喚起のインストに差し替え、他アーティストの楽曲のみソニー系アーティストに置き換えたり、周到にマニアからの非難を回避している。
 「少年サンデー」連載作品という、いわば「シティー・ハンター」同様のシチュエーションであり、これまでの狭いシンセ・ポップ村より広い客層へアピールするサウンドが必要だった。
 サントラに同時収録されているバービーやゼルダ、スライダーズの音圧と肩を並べるには、正直、当時のフェアライトではスペックが全然足りなさすぎた。
 彼らの路線変更は、様々な要素が同時進行で変容し、このタイミングで制作体制にも変化が生じる。作詞のメインライターが松尾由紀夫に変わったことは、地味に大きな変化だった。

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 で、その松尾由紀夫の人となりについては、正直これまで関心がなかったため、ちょっと調べてみた。もともと雑誌編集者が本業で、仕事柄、音楽業界とも付き合いが多く、何かのはずみでオファーを受けるうち、少しずつ手を広げていったらしい。
 80年代に入ってから、日本の音楽業界はジャンルの多様化が急速に進んでいった。単純な物量だけではなく、旧来歌謡曲の文法に固執した既存の専業作詞家では、新世代の感性を表現できなかった。
 既存の文法概念に囚われない、プロの作詞家には書けないストーリーや話法を求め、レコード会社のディレクターたちは、あらゆるジャンルから人材を求めた。松尾もサエキもプロの言葉の使い手ではなかったけれど、自由な発想に基づく目新しさには長けていた。
 時に極端なエキセントリックに走ってしまうサエキに比べ、松尾の選ぶ言葉は、ごくオーソドックスなものが多い。本業ミュージシャン兼歯医者であり、自ら歌うことも多いサエキに対し、松尾の場合、言葉へのこだわりは薄い。
 サエキと違ってアーティスト・エゴや表現欲求といった感覚が薄い分、発せられる言葉は軽い。悪い意味じゃなく、耳障りのよいサウンドには、彼のような曖昧なイマジネーションの方が、相性がいい。
 キャッチコピーの羅列のような松尾の歌詞は、軽い分だけ汎用性は高い。最大公約数的マーケティングに基づいた、明快なコマーシャリズムを意識した文脈は、ニーズに応じた結果だった。
 ムーンライダーズ一連の作品も含め、俺はサエキの歌詞は嫌いではないのだけど、一般ウケするかといえば、ちょっと微妙なモノが多い。「バカ野郎は愛の言葉」は効果的なアイロニーの傑作だけど、「君にマニョマニョ」まで行っちゃうと、ちょっとハイレベル過ぎる。
 イメージ喚起の能力は強いけど、散文調でキレ味良く後を引かない、まるで発泡酒のような松尾の歌詞は、クリエイター松浦との相性が良かった。流暢なストーリー仕立てではなく、耳障りよくキャッチーで、インパクトを重視したコピーライティングのメソッドを応用した彼の言葉は、中期以降のPSY・Sのサウンドを支え続けた。

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 強靭なドラマツルギーを持つ阿久悠や、繊細な言葉の綾を編む松本隆の言葉は、独特のアク、または微かな引っ掛かりを残す。それがひとつの個性となり、ある種の共感を呼び覚ます。ヒットする曲とは、多かれ少なかれ、心のさざ波を喚起させる。
 基本、無味無臭で、オファーに応じて淡い彩りを添える松尾の言葉は、あくまでサウンドに準ずるものであり、強いメッセージ性はない。キャラが薄い分、曖昧なイメージ優先にならざるを得ず、普遍的なスタンダードになるには、ちょっと押しが弱い。
 コンポーザー松浦の美意識として、セールス向上のためとはいえ、ウェットな叙情性やセンチメンタリズムを主題にすることを好まなかった。中途半端なメッセージや意味深な暗喩は、緻密に構築したサウンド・プロダクションに対しては、むしろ邪魔になる。
 極端な話、歌詞なんて何でもいいし、中身も極力薄い方がいい。冷静に考えると、「電気とミント」ってなに言ってんの?となってしまうけど、何となく言い得て妙、アーティスト・イメージを伝えるのには、最適なキャッチコピーである。
 ただ、隙間を埋めただけの空虚な言葉とは、歌う立場からすれば、ストレス以外の何ものでもない。解釈の余地のない、ベタなラブ・ストーリーや刹那な言葉は、感情の込めようがない。
 歌唱スキルが高ければ高いほど、そんな切なさが溜まってゆく。発せられる言葉は、どこにもたどり着けず、キレイさっぱり何も残らない。残るのは、歌い手の徒労感ばかり。
 ライト・ユーザーへの波及力は薄いけど、程よいサブカル風味がニッチな評判を呼んだ初期2枚では、実験的プロジェクトとして、敢えてそういった制約を楽しんでいる様子もあった。それまで経てきたライブ・パフォーマンスとは真逆のアプローチであるPSY・Sのコンセプトは、ゲスト的なスタンスで関わるなら、「これはこれでアリかな?」といった感じで。
 ただ、これが本格的にパーマネントなユニットとなると、ちょっと話は違ってくる。空虚な言葉と作りもの感満載のシーケンス・サウンドは、シリアスなシンガーにとっては重荷となる。
 フェアライトをフロントに据えたサウンド・プロダクションから一転、『Mint-Electric』以降は、チャカの歌を活かすアプローチに変化している。広くアピールしづらいテクノ・ポップにこだわらず、同世代のバービーや楠瀬誠志郎のエッセンスを吸収し、攻めの姿勢に転じることになる。
 そんなサウンドの変化に合わせて、新たなパートナーとして選んだのが、松尾だった。彼の描く世界観、モダンな言葉遣いやシチュエーションは、同時代性を意識したサウンドとの相性は良かったのだけど、歌い手チャカが求めるリアルなドラマ性には少し欠けていた。
 どこか上滑りする言葉と歌、そしてサウンドとの最適解を見つけるため、その後の彼らは試行錯誤を繰り返すことになる。密室的スタジオワークの極致とも言える『Atlas』にて、純正テクノ・ポップの落とし前をつけて以降、彼らは角の取れたポップ・ユニットに変容してゆく。





1. Simulation
 ちょっとサイバーなジャズ・テイストのオープニング・イントロは、いつ聴いても新鮮。引き出しの広さだけじゃなく、こういった音像を具現化できる松浦のセンスが光る。単なるシンセオタクじゃないんだよ。
 
 なぜ私たちは ケンカをしないんだろう
 なぜ別れ際が そっけないんだろう
 もしかすると Simulation 恋を真似てるだけ

 ライトで薄っぺらい80年代の上辺を取り繕った恋愛関係をソフトにぶった切る、サエキの歌詞とは対照的な、力強いパワー・ポップにヴァージョン・アップされたサウンドとのコントラストが絶妙。これまでと比べ、チャカの熱量も高い。

2. 電気とミント
 これ以降もほぼ作られていない、彼らにとって唯一のロックンロール・ナンバー。BPMの速いシンプルな8ビートは、サイバーパンクな疾走感が茶華のヴォーカルとフィットしている。
 「シマウマはペシミスト」やら「金星でつなわたりコンテスト」やら「まつ毛の先でスパーク」やら、ひとつずつ抜き出せば意味不明で雰囲気重視、そんあ細けぇことは抜きにして、勢いで押し切っちゃえ的に、松尾のコピーライト的歌詞が炸裂する。
 変に思わせぶりじゃなく、中身がないけどなんかキラキラしてる言葉の羅列は、本文でも書いたように、松浦の理想に適っていた。

3. 青空は天気雨
 バラードの割りには案外重いドラム、そのコントラストで凝ったコーラス・ワークが印象的な、彼らの中では人気の高い曲。いま聴くと、デジタル・サウンドとはもっとも相性の悪いアルト・サックスがちょっと浮いてる感じはするけど、コンテンポラリーに寄せるには、必要な音だったのかね。
 バラードという特性上、松尾の歌詞はシンプルなラブ・ストーリーを端正に完結させているけど、その意味性がちょっと…、といった印象。叙情的な渡辺美里を意識して書いてるようだけど、逆にあざとさの方が見え透いてしまう、というのは厳しすぎるかな。「意味なんかいらねぇんだよっ」とコンソールの前で独りごちる松浦の背中が見えてしまう。
 ちなみにこの曲の一番の聴きどころはイントロ前、グウィーンとスライドするベースの音。本筋とは関係ないけど、そこが一番カッコいい。

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4. TOYHOLIC
 OVA『TO-Y』のために制作され、実際にアニメの中でも使われていた記憶はあるのだけれど、調べてみるとサントラ(正確にはイメージ・アルバム)には収録されていない、多分にいろいろ大人の事情云々で収録されず、どっちつかずになってしまった不幸な曲。浮遊感のあるメロディとサウンド、丁寧にフラットに歌われたチャカのヴォーカルも世界観にフィットしているので、周辺事情を考えなければ、普通にいい曲。
 作詞のあさくらせいらは、松尾同様、80年代を中心に活動してきた人。調べてみると、ribbonを中心に女性アイドルへの提供が多かったらしく、こういったメランコリックでいて不思議少女的でいて、回りまわって普通の世界観、といった印象。後味が残らないという意味では、松浦の理念に適っている。

5. Lemonの勇気
 偏屈なシンセオタクだった松浦が一念発起し、不特定多数の大衆に向けて制作した、この時点で最高レベルの楽曲。イヤでも盛り上がってしまうオーケストレーション、スクエアではあるけれどグルーヴィーなリズム・セクション、そして鳴きまくるギター・ソロ。すべてに隙がなく、聴き手をきちんと想定して書かれたポップ・チューン。
 サエキのくせに前向きで、サエキのくせにキラキラした、まるで松尾をパクったような歌詞世界になっているけど、むしろ松浦のキャッチ―な部分をえぐり出したような、本人的には多分恥ずかしいだろう、「勇気」といったワードを敢えてタイトルに盛り込んでしまう、公開羞恥プレイ。

 のどを潤す 愛が枯れてしまっても
 光感じる 瞳開き 見つめるのさ

 チャカはともかく、斜に構えたサブカル世代の男2人が、敢えて前向きな言葉を用いた「勇気」。その辺を、もっと評価されてもいい。



6. Sweet Tragedy
 で、レコードではここからB面だったのだけど、リアルタイムではここから先を聴いた記憶があんまりない。A面が盛りだくさんで満足しちゃったのか、正直、この曲以降を聴いたのはCD買ってからで、そんなわけで印象が薄い。
 アルバム中、平均1~2曲は収録されている、ノリの良いポップ・チューン。高校生当時は気づかなかったけど、Tragedyって悲劇の意味なんだよな。意味が分かると、ちょっとセンチメンタルな歌詞もスッと入ってくる。
 ヴォーカリストゆえ、発語快感やフィーリングを優先した歌詞の世界観を論じるのは野暮だけど、チャカの意向を優先したのか、アウトロのブルース・ハーモニカが入っているのは、ミスマッチ感が一周回って、逆に面白い試み。まぁ、たまに違う要素を入れるのは悪くない。

7. Long Distance
 当時で言えば、アメリカのスタジアム・ロック、サバイバーっぽい力強いイントロから始まるけど、歌が入れば相変わらずのチャカ節。何かしたかったんだろう。
 作詞の杉林恭雄は、当時、同じソニーのオルタナ・ポップ・ユニット:Qujila(くじらのリーダー。一筋縄では行かない屈折したポップスという点では、中身は全然違うけど、志としては似ているところが多かった。
 バック・コーラスで存在感を発揮しているのが、まだブレイク前の楠瀬誠志郎。この数年後、「ほっとけないよ」でほっとけないポジションにまで昇りつめることになる彼だけど、当時は男性ソロ・シンガーにとっては分の悪い時代だったこともあって、地味な存在だった。シーケンス/アコースティック双方に対応できる彼の声質は、貴重なバイ・プレイヤーだった。

8. Cubic Lovers
 リアルタイムではあまり聴いてなかったけど、CDで聴くようになってから改めて「いい曲じゃん」と気づいた、フワッとしていながら地に足のついたポップ・ソング。ここまで前面に出していたバンド・アンサンブルを最小限にとどめ、シンセオタク・モード全開で、それでいてヴォーカルを活かすよう配慮して作られている。
 「ノイズのカレイドスコープ」やら「キュービックの恋人たち」やら「プリズムの虹」やら、深追いすると迷宮入りしてしまう松尾ワールドが炸裂しているけど、あくまでヴォーカル&インストゥルメントをメインとして考えるのなら、イメージ優先の松尾の歌詞は正しい。「何でもかんでも、自己主張入れりゃいいってもんじゃないんだよ」と、心の中で叫ぶ松浦の背中が見えてくる。

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9. ガラスの明日
 ラストは大団円、という感じでアッパーなロック・チューン。こういったサウンドだとチャカのフィールドだし、実際、歌詞も自分で書いているのだけど、ちょっと不完全燃焼。サビはどうにか勢いで持たせているけど、Aメロの歌い方がうまく消化できていない。
 もうちょっと弾けてもよかったんじゃね?と思ってしまうけど、レコーディングに充分時間が取れなかったんだろうか。はたまた松浦が強引にOKテイクにしちゃったか。






初期PSY・Sの歌詞について。 - PSY・S 『PIC-NIC』

folder 1985年当時、最新鋭のマシン・スペックを誇ったフェアライトCMIを武器に、日本のテクノ・ポップ界の片隅でひっそりリリースされたデビュー作『Different View』から1年強、『テッチー』や『What’s IN?』界隈でちょっと盛り上がりを見せた、2枚目のオリジナル・アルバム。プロデュースは前回同様、ムーンライダーズ:岡田徹と松浦雅也の共同名義、参加ミュージシャンもほぼ同じなので、いわば姉妹作的な位置づけである。
 『Different View』が、デビュー以前に書き溜めたストック曲中心だったのに対し、『PIC-NIC』は新たに書き下ろした曲ばかりなので、若干マスを意識したメロディ・ラインが多くなっている。CMタイアップが2曲含まれていることもあって、「おもちゃ箱をひっくり返した」ような雑多なサウンド・アプローチは、大衆に分かりやすい「ピコピコ・テクノ」の要素を含んでいたりする。
 YMO散開からすでに久しく、MIDI機材の劇的な進歩に伴い、露骨にピコピコしたモノフォニック・シンセの音色を聴くことは少なくなった。良質なFM音源の台頭によって、生楽器とのギャップが少なくなりつつあった中、初期のPSY・Sは古き良きテクノ・ポップを継承したユニットだった。
 超絶テクニックやバンド・グルーヴでカタルシスを得る、一般的なミュージシャンと違って、松浦はロジックの積み重ねによって快感を得るタイプだった。ジャストなリズムをミリセコンド単位でシミュレートし、パラメーター調整に一喜一憂する、言ってしまえば「ディープなシンセおたく」が、当時の松浦のパブリック・イメージだった。
 そこからストレートにシンセ道を極めてしまうと、クラフトワークや冨田勲方面に行ってしまい、挙句の果てにタンジェリン・ドリームや喜太郎の彼方に行き着いてしまい、そうなるともう帰還不能である。ただ借金してまで個人輸入でフェアライトを購入した松浦、実家が裕福でもなければ、太いパトロンがいるわけでもなかったため、日銭を稼いで減価償却してゆく必要があった。
 霞を食うような音楽では食ってくことすらままならないし、もともとそこまでスノッブでもない。自分のサウンド・ポリシーを歪曲させない程度のポピュラー・ミュージックと対峙し具現化するためには、ワンクッション置いた橋渡しの存在、創作意欲を掻き立てる触媒が必要だった。それが、チャカだった。
 彼女もまた、アマチュア時代はジャズ・ヴォーカル/ソウル・ファンク主体で、ポップスを歌うことはおろか、そもそも日本語で歌う経験が少なかった。互いに未知のジャンルである「ポップス」を共通言語とすることで、絶妙な化学反応への期待、またどっちへ転ぶか見当のつかないスリリングな体験が、接点のない2人を引き合わせた。

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 デビューから解散まで、ほぼ一貫してサウンドの特異性/変遷がクローズアップされていたPSY・Sは、歌詞について言及されることは少なかった。チャカがアルバム内で2、3曲手掛けることはあったけど、その多くは外注に頼っていた。
 ヴォーカリストであるチャカが作詞を手掛けるのが自然なはずだけど、彼女が書いた作品は案外少なく、ほぼ9割は外部作詞家へ委託している。作詞に興味を持てなかったのか、はたまた書いても書いても松浦がことごとくボツ扱いにしたのか。
 ジャズ・スタンダードやソウル・ナンバーを歌ってきた経歴から想像するに、歌いたい楽曲の解釈を深め、自分なりの色づけを施して発信することが、ヴォーカリスト:チャカのアイデンティティだった。楽曲にふさわしいアプローチやパフォーマンスをコーディネートするのと、一からクリエイティブするのとは、まったく別の工程である。
 初期のPSY・Sは、もっぱら松浦主導で楽曲制作やレコーディングが行なわれていたため、チャカのパーソナリティはそれほど強く打ち出されていない。ていうか、この時期のチャカは、限りなくフィーチャリングに近い形の正規メンバーであり、いわばお客様状態、当事者意識もそんなに感じられない。
 思うに、キッチュな音楽性が詰まっていた初期PSY・Sは、伸びしろがたっぷりあった反面、ブレイクする展望もまた未知数だった。同じベクトルを持っていた英国Yazooや日本のメニューに共通しているように、PSY・Sもまた短期間限定のユニットで終わってしまう可能性が強かった。
 メンバーのキャラクターや純粋な楽曲クオリティではなく、いわばフェアライトという飛び道具で注目を浴びたユニットだったため、当初は企画モノ臭が拭えなかったことは否定できない。こういったスタイル先行のユニットが、あまりブランクも空けずコンスタントに活動継続できたのは、実は地味にすごいことなのだ。
 これまでとはちょっと毛色の違うオファーに、興味本位で顔を出してみた、というのが、当時のチャカのスタンスだったと思われる。スタジオ・ブースからの指示に合わせて歌い、終わったら速攻帰宅、ミックスなんかは松浦にお任せ、ほぼ丸投げ。短命に終わる可能性もあったことから、当時からすでに、次のビジョンを考えていたのかもしれない。

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 初期2枚の作詞の多くを手掛けていたのは、ミュージシャン/作詞家/時々歯科医のサエキけんぞうだった。当時はインターンやパール兄弟立ち上げと重なって、サエキ自身も何かと忙しかったはずだけど、業界内からの評判の良さなりしがらみやら何やらで、うしろ髪ひかれ隊からPSY・Sまで、幅広い(っていうか手あたり次第)ジャンルの作詞提供を行なっている。
 大量生産型の陳腐なラブ・ストーリーを基調とした、既存の職業作家による言葉は、松浦の描く世界観と相性が合わなかった。ポストYMO/テクノを通過したサウンドに、古い文法で書かれた紋切り型のドラマツルギーは、一周時代を回った今なら、それはそれでネタとしてアリだけど、80年代当時は「ダサい」の一言で片づけられた。
 テクニックや語彙の豊富さには劣ってはいたけど、松浦やチャカと同じ空気を吸い、同じような音楽を聴いてきた同世代のサエキとは波長が合い、コンセプトの理解・意思疎通も互いにスムーズに運んだ。
 「普通でありながら普通じゃない」。そんなちょっと位相のズレた彼の世界観は、フェアライトのドライな質感とうまくシンクロした。ロック/ポップスではあまり使われることのないワードを用いながら、ありふれた日常や心象風景を語り、そこに生じる微妙なギャップや不条理感をすくい取るサエキのメソッドは、松浦に限らず、多くのポスト・パンク世代からの支持を得た。
 「新たなサウンドには、新たな言葉を―」。
 松浦がそう言ったのか、それとも岡田徹が言ったのかどうかは不明だけど、使い古されたドラマツルギーや大上段なメッセージを含まないサエキの言葉は、松浦のサウンド/チャカの声との相性が良かった。

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 『Different view』では、ほぼヴォーカルに専念していたチャカが唯一日本語で書いたのが、「私は流行、あなたは世間」。一節を抜き出してみる。

 色あせた ひとつぶの涙の
 残された意味もわからない間に
 脱ぎ捨てたコートの ポケットに
 いつの日か私も 消えてゆく

 強く印象に残るキャッチコピーを兼ねたタイトルに対して、描かれる情景はごく凡庸である。インパクトの強い言葉を使っているわけでもなければ、さして技巧を凝らしているわけでもない。
 ただ、デビュー前まで彼女が歌い続けてきたジャズやソウルのスタンダードの多くで、周りくどい比喩や表現は使われていない。目にした情景を素直に、想いを直截な言葉であらわすことは、彼女にとって自然な行為だった。
 自分で作り上げた歌詞の世界観に没入し過ぎず、精緻に組み上げられた松浦のデジタル・サウンドというフィルターを通すことで、適度な距離感が生まれる。作者の一方的な価値観を押し付けず、聴き手側の解釈を多様化させることで、多くのスタンダード・ナンバーは長く歌い聴き継がれる名曲となった。
 で、本業:パール兄弟/副業:作詞家/時々歯科医インターンであったサエキ。バンドで語る言葉と、オファーに応じて他人に語らせる言葉との境界線があるのかどうかは不明だけど、早い段階から自分なりの文法を確立してきた人である。もしかして、個性確立のため、相当な陰の努力をしていたのかもしれないけど、そんな素振りは見せず、サラッとやってのけてしまうのは、汗っぽさを嫌う彼ら世代の特徴なのかもしれない。
 初期PSY・Sの代表作とされる「Another Diary」で、サエキはチャカにこう語らせている。

 ドーナツ色の瞳で
 ブランコに揺られてるあのころ
 思わぬ告白に クシャミして始まる
 恋の甘ずっぱい お伽噺は見せられない

 こうやって文章にすると、ベタなアイドル・ソングそのまんまではある。もしかして、「うしろ髪ひかれ隊向けに書いた歌詞と間違って入稿しちゃったんじゃね?」と邪推してしまうけど、これがチャカによって歌われると、ピタッとハマる不思議。
 おニャン子クラブが「ドーナツ色の瞳」と歌うとツッコミどころ満載だけど、松浦のサウンドでチャカが同じ言葉を歌うと…、まぁやっぱりヘンだけど、とっ散らかったテクノ・ポップというフィルターを通すと、「心地よい不条理」なんてものに変化する。やっぱイメージって大事だな。
 普通に歌うだけでレベル爆上げとなるチャカのヴォーカルに対比するように、敢えて隙間の多いシーケンス・ベースのデジタル・ポップを配置することで、ヴォーカル&インストゥルメンタルのコントラストがさらに際立つ。声とサウンド、その2つの要素で充分成立してしまっているので、歌詞は極力イメージ喚起優先に、バックグラウンドが透けて見えるドラマ性は余計となる。
 ―無機質でありながら有機的、ロジカルでありながらエモーショナル。
 それが、初期PSY・Sのざっくりしたコンセプトだった。
 言葉と音、そして声との強いキャラクターがうまく対峙しながら融和し、シンセ・ポップの進化を予見していたのが、『Different View』であり、その路線を確立したのが『PIC・NIC』だった。小さなコミューンで頭を寄せ合いながら作られたそのサウンドは、同世代のアーティストをも引き寄せ、そして少しずつ大きな輪となってゆく。





1. Woman・S
 コレでならどうだ!と言わんばかりの凝ったリズム・アレンジでスタートするパワー・ポップ。やはり初期だけあってサウンドの主張が強いけど、徐々にチャカのパーソナリティが前面に出てきている。
 ギターやベースの味付けは多少あるけど、「シンセ機材一台でここまでできるんだ」という見本市的なサウンド・プロダクションが、ちょっと前に出過ぎちゃってるのかね、いま聴いてみると。タテノリのリズム・パターンじゃなくて、ジャジーなヨコノリのテイストだったら、アシッド・ジャズのハシリという路線もあったんじゃないか、と今にして思う。



2. Everyday
 プロデューサーの岡田徹もそうだけど、窪田晴男(g)も安部王子(g)も、基本はロック畑の人のため、ソウル/ファンクの要素は基礎知識程度で、そこまで深く応用が利くわけではない。そう考えると、このセッションのメンツで唯一、ブラコン的な要素を持つのはチャカくらいで、そのパーソナリティが強く出ているのが、この曲。
 ここはやはり自分のフィールドと捉えたのか、ヴォーカルのノリがまず違う。そんな中でもハード・ロック的なギターがサンプリングされていたりして、遊びの部分がうまく抽出されている。「何でもありまっせ」的に全部詰め込むのではなく、こういったファンク風味に絞ったアレンジの方が、チャカのヴォーカルは活きる。

3. コペルニクス
 メランコリックな郷愁を誘う、そんなイントロとメロディに、やたらキレまくったギター・ソロをオフ気味にかぶせている、そんな対比が印象的なポップ・バラード。

 もしも誰かのセリフが
 癪にさわっているなら
 朝の寝ぼけたベッドで
 猫になってるその子と会いましょう

 比較的ひねりのない素直なメロディ・ラインに、こんな言葉を乗せてしまう、この頃のサエキの言語感覚の切れっぷり。疎外感とほのかな孤独、厭世観をサラッと軽く描き、さらに余計な感情を乗せずに歌いきってしまうチャカのヴォーカル。
 
 もしか言葉を持たずに
 生きてゆけたらどうする?
 すぐに夕焼け見ながら
 からだ寄せあい彼方に駈けてゆく

 単に突き放すのではなく、こんな前向きな逃げ道もちゃんと用意してくれる。単に自虐を嘆くのではないところが、ある一定の距離を置いた「言葉」へのリスペクトを感じさせる。

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4. Ready For Your Love
 恐らくデビュー前のプレイテックスのスタイルをモチーフとした、ファンク寄りのダンス・チューン。チャカのカウントで始まるヴァーチャル・セッション風のシンプルなダンス・ポップは聴いてて心地良いし、このアルバムの中では最も古びて聴こえないトラックでもある。
 要は松浦色が薄い=あんまりフェアライト見本市的なカラーが薄い、ということなのだけど、まぁチャカのソロだもんな、これじゃ。前述したように、もっとヴォーカルに艶を出せばアシッド・ジャズになるのだけど、そっち方面は行きたくなかったのかね。まぁ当時のソニーだから、ブラコン色は弱いのだけど。

5. BRAND-NEW MENU (Brand-New Folk Rock Version)
 セイコー腕時計ALBAのCMソングとして、当時テレビで耳にした人も多いはず。わかりやすいテクノ・ポップとして、万人向けに作られている。テレビで流れたシングル・ヴァージョンは、これでもかと言うくらいダメ押しのデジタルっぽさが強かったけど、アルバム・ヴァージョンはアコギのストロークが全面にフィーチャーされ、ちょっとテクノ風味を薄めている。何回も聴いたのはアルバムの方だけど、初PSY・S体験として、インパクトが強いのはシングルの方、というのが俺の私見。



6. Another Diary
 同じくALBAのCMソング。「ねぇ~おさななじみだねぇ~」という歌い出しは、そういえば日本のポップ・ソングではあんまりない言葉の選び方だよな、と、ずっと思っていた。センチな言葉だけど、ベタに聴こえないヴォーカルと文脈、これが初期PSY・Sの特色であり、そこが最も強くあらわれているのは、この曲なんじゃないか、と。
 3分半あたりのコーダのファンキーなフェイクに、チャカのあふれ出る歌への想いが込められている。ほんとはここまでハジけたいのに、リミッターをかけられている。この方向性も、今にして思えばアリだったんじゃないかと。

7. May Song
 「サウンド・ストリート」のマンスリー・ソングでかかっていたこともあって、古いファンにとってはなじみの深い曲。ドラムがあってギター・ソロがあって、ポリ・シンセがあってエフェクト的なリズム・パターンがあって…、という整然とした配列は、作る方のこだわりなのだろうけど、変にメリハリがつきすぎて、サウンド見本市的に聴こえてしまう。そこがやや古臭く聴こえちゃうんだろうな。
 間奏のカントリーっぽいギター・ソロは、岡田徹あたりが窪田晴男にサジェスチョンして弾かせたんだろうけど、まぁそこだけはちょっと破綻があって面白くはある。

8. Down The Slope
 なので、こういったチャカのヴォーカル映えをフィーチャーした楽曲の方が、賞味期限が長くて今も普通に聴けちゃったりする。まぁ松浦のビジョンとは微妙に違っちゃので、PSY・Sらしさは抜けちゃうわけだけど。
 変にファンキーに、リズム優先のトラックにすると、PSY・Sのオリジナリティが主張できなくなってしまうので、中~後期はポップ>ファンキーという図式になってゆく。

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9. ジェラシー "BLUE"
 で、この曲は珍しくオーソドックスなバラード。ポップもファンキーもロックもほぼない、当時の渡辺美里が歌ってもおかしくない、ちゃんとしたバラード。「ちゃんと」ってした言い方はおかしいけど。
 こういった曲ではちょっとチャカの弱点が出てしまって、これが英語詞ならもっときれいに聴こえるんだろうけど、日本語だと一本調子に聴こえてしまう。松浦にしてはサウンドも変に凝ってないし、素直なメロディとアレンジなのだけど、チャカのヴォーカルが負けちゃってるのが、ちょっと惜しい。

10. Old-Fashioned Me
 ブロウ・モンキーズなど、UKポップのキャッチ―な部分をうまく取り込んだサウンド・アプローチが好きなのだけど、やっぱチャカがちょっと、な。自分で書いた歌詞なのに、どうもうまく歌いこなせていない。自分で書く言葉を歌うのが恥ずかしかったのかもしれない。



 ホントはこの後の時代、松尾由紀夫が作詞担当の時代も書いたのだけど、思ったより長くなったので、ここで一旦切る。前回もそうだったけど、PSY・Sを語ると、いつもどうしても長くなる。
 なぜだ?






音楽の女神は誰にでも見えるものではない。 - PSY・S 『Two Spirits』

folder で、前回の続き。ほんとはこっちが本題だったんだけど、思いのほか前置きが長くなっちゃったので、2つに分けちゃった。

 2枚目の『Pic-Nic』までは、フェアライト・マスター松浦によるジャストなリズムと、ピーク・クライマックスの薄いサウンド、そこにナチュラル・コンプの声質を持つチャカが、童謡歌手のようなフラットなヴォーカルを乗せるという、-何かこうして書いてると、味も素っ気もない、コンセプチュアルなサウンドを展開していたのだった。
 そのくせ、楽理とテクノロジーで理論武装した頭でっかちと思いきや、松浦の手から編み出されるシンプルで口ずさみやすいメロディは、当初からごく一部のポップ・マニアの注目を集めていた。過剰にマシンスペックにこだわった「キーボード・マガジン」読者より、サブカル寄りな「テッチー」読者に人気があったのは、そんな理由が大きい。

 典型的な理系脳の松浦と、アクティブなバンドマン系列のチャカとのチグハグなコンビネーションのズレは、単発的に見れば面白いものだけど、継続して活動するユニットとなると、普通はあっという間にネタ切れになる。当時はシンセ周りの技術革新が、ハイパーインフレ状態だったおかげもあって、当初のウリだったフェアライトも物珍しさが薄れつつあった。
 ここで松浦が、当初のコンセプトを頑固に貫いて、マシンのアップデートを主軸としたサウンドを続けたとしても、新型マシンの品評会になるだけだし、それだってキリがない。CDとして発表すると同時に新たなアップデートが告知され、途端に過去の遺物となる繰り返しだ。
 もう5年くらい遅くデビューしていたら、テクノポップの「ポップ」を取って、テクノ〜ニュージャック・スウィング~ハウス方面へ向かっていたのかもしれないけど、まぁ踊れない松浦なら無理か。「レーベル・カラーと合わない」とか言って、ソニーも止めてただろうし。

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 そんなディープな方向へ向かわなかったのは、デビュー時同様、これまたラジオの企画、当時松浦がDJを務めていたNHK –FM「サウンド・ストリート」内の企画がきっかけだった。既発表曲のリアレンジや、ソニー系アーティストを中心としたコラボから交流が生まれ、以前レビューしたコンピレーション・アルバム『Collection』として結実することになる。そんな共同作業を介してから、松浦の音楽制作への姿勢が微妙に変化してゆく。
 長時間スタジオに篭り、すべてのベーシック・トラックをほぼ独りで作るというのは、想像以上に孤独な作業である。ほんの少しのドラム・リヴァーブの長短や、ストリングスのピッチ調整など、こだわればキリがない。
 頭の中で鳴っている音が確実なわけではない。あぁだこうだとCRT画面とにらめっこしながら延々、「これかな?」という音を探すのだ。ただ、そこまでこだわり抜いた音だって、完成テイクというわけではない。時間に追われ締め切りに追われ、「まぁこれなら大体満足できるかな」程度のレベルであって、ほんとなら、時間さえ許せば永遠に終わることはない。しかも、それらの細部へのこだわりとは、多くのリスナーに理解できるものではなく、報われることはほんのわずかなのだ。
 バービーいまみちやゼルダらとスタジオを共にすることによって、何もかもフェアライトでまかなってしまっていた従来のサウンドは、『Collection』を境に大きく変化する。基本のシンセ・サウンドは変わらないけど、バンド演奏によるアンサンブル・マジックを目の当たりにしたことによって、少しずつそのエッセンスを導入するようになる。
 もちろん、そこは理系脳の松浦であるからして、レコーディングの段階でいろいろ加工はしているけど。

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 その後のPSY・Sは、本来のレコーディング・ユニットとは別に、ライブ演奏用に結成された流動的ユニット「Live PSY・S」を始動、それぞれ独自の進化を遂げてゆくことになる。
 テクノポップのライブといえば、YMOを端とするシンセ機材の山積み、メーカー協賛による品評会的な物々しさを想像しがちだけど、Live PSY・Sはそのセオリーから大きく外れている。もともと本格的なライブ活動を開始したのが、オーソドックスなバンド・アンサンブルを前面に出した3枚目『Mint-Electric』リリース後からだったこともあって、アルバム音源をベースとしたバンド・サウンドを、可能な限り忠実に再現することに力を注いでいた。
 共同作業によるスタジオ・マジックには、ある程度の理解は示したけど、だからといって、冗長なアドリブやインプロビゼーション、それにまつわるバンド・マジックを盲信する松浦ではない。隅々までシミュレートし、破綻のないアンサンブルをかっちり作り込んだ。そして、チャカには敢えて縛りを課さず、ステージ上では自由奔放に歌わせた。
 ただこれも計算のうち、もともと松浦が書く楽曲は、突発的な転調や不協和音を使わず、案外オーソドックスなコード進行で構成されており、譜割りを崩したりフェイクを入れたりの小技が使いづらいのだ。カラオケで歌ってみればわかるよ、譜面通りに歌うだけで精いっぱいだから。

 そんな理路整然さを推し進め過ぎることが、逆にライブ感を損なってしまうことを危惧したのか、ステージ演出はやたらエンタメ性が爆発している。80年代特有のサブカル系が調子に乗った、やたらデコボコ立体的な機能性無視のコスチュームに身をまとうチャカを中心に、ポップ系アーティストのステージ・パフォーマンスの走りとなった、南流石による振り付けは、当時のソニー系アーティストでも目立って注目を引くものだった。バンマスである松浦は、一歩引いて機材の山に埋もれるのが定位置だったけど、時々ハンディ・キーボードやギターを抱えて前に出たりして、裏方に徹するストレスをほんの少し解消したりしていた。
 次第にシーケンスの割合が少なくなって、キーボードのベンダーを小刻みに動かしたり手弾きが多くなったり、次第に普通のバンド化してゆくことになるLive PSY・S=松浦だったけど、果たしてそれは進化だったのか、はたまた試行錯誤だったのか。

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 で、『Two Spirits』。
 ライブ・アルバムという体裁でリリースされている。いるのだけれど、正直、臨場感はかなり薄い。普通は収録されているMCや歓声がばっさりカットされているため、「ちょっとエコーが多めの演奏かな?」と意識してからやっと、「そういえばライブだったんだ」と気づくくらいである。
 ライブ録音したテープ音源を加工・手直しするという発想は、何もPSY・Sが始めてではない。ライブ時の偶発的なインプロビゼーションを素材として、Frank Zappa やKing Crimsonは、数々のアルバムを量産した。レコーディングしていない新曲を試したり、また既発表曲でも、その日によって全然違うアドリブやオブリガードが繰り出されたりなど、演奏のたび違うテイクがボコボコ生み出された70年代。そりゃ未だにブートやアーカイブも売れ続けるわけだよな。
 ただ松浦の場合だと、ちょっと事情が違ってくる。彼の中で、ライブ録音されたテープ素材とスタジオ・テイクとは、同列のものである。ちょっとしたタッチ・ミスやピッチのズレは、ライブならではの醍醐味ではない。それらはファンが聴きやすい商品として、また、自身の納得ゆく形に整えられなければならないのだ。

 アンサンブルを整えるためにテイクの差し替えを行ない、歓声やMCをノイズと捉え、ばっさりカットしてしまう。複数のライブ音源をひとつにまとめるため、ピークレベルは均等にそろえる。
 大幅に編集されたトラックは、精密部品のごとくきれいに研磨され、スタジオ・テイクと遜色ないオーディオ・クオリティとなった。
 -え?CDと変わんないの?
 理系脳ゆえの細部へのこだわりと潔癖さが過剰にフル回転したあげく、トータリティは増して、収録時期の違いは目立たなくなった。多分最初こそ、先にリリースされたベスト・アルバム『Two Hearts』から漏れた人気曲の補完として、スタジオ・テイクとは別の側面を見せる思惑だったのだろう。ただ松浦のアーティスティックな暴走によって、次第にコンセプトが変容してゆくのを、ソニー側は誰も止めようとしなかったのか。
 サウンド的にも円熟期に入り、セールスもそこそこのポジションで落ち着いてしまったし、今のところ新局面も見当たらないしで、ちょっとした閉塞感を見せつつあったのが、この時期にあたる。もともとシンセを中心としたサウンド作りゆえ、長期的活動のビジョンが見えづらい形態なのだ。なので、10年も続いただけで、それはもう奇跡と言ってもよい。

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 かつてJoe Jackson は、全曲書き下ろしの新曲で構成したライブ・アルバム『Big World』をリリースした。開演前/公開レコーディング前の注意として、「観客は一切の物音や歓声を上げてはならない」。「これはレコーディングを優先したものであり、いわば観客であるあなたもレコーディング・メンバーの一員なのだ」と。
 やたら上から目線で常識破りな指示だったけど、ほとんどの観客はみな固唾を飲んでステージを見守った。参加ミュージシャンらも、通常のライブとは違う緊張感の中、ひたすら演奏に集中した。異様なテンションによる相乗効果は、尋常じゃないクオリティの完成品として昇華した。
 『Big World』も『Two Spirits』同様、余計な音は刻まれていない。ただ明らかに違うのは、『Two Spirits』の曲間が無音であるのに対し、『Big World』の曲間、音と音の隙間に込められているのは、ミュージシャンらの高潔なプライドと、信頼関係で結ばれた観客、それらがステージ上で一体となった連帯感である。そして、そんな空気感を余すところなく記録しようと奮闘するエンジニアらの献身ぶりである。
 すべては音楽のミューズのもと、単純に良い音楽を作るためのプロセスなのだ。

 イコライジング前のライブ音源を聴きまくった松浦は、編集作業時、何を思ったのか。
 ミューズの囁きを耳にした上で、ライブ感をフォーマットしたのか、それともミューズの存在に気づけなかったのか。
 それは松浦自身にしかわからないことだ。


トゥ・スピリッツ
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PSY・S
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1. Parachute Limit
 5枚目のアルバム『Non-Fiction』収録、こちらでもオープニング・ナンバー。スタジオ・ヴァージョンはリズム・セクションが強く、バンド・サウンド的なミックスでチャカの存在感もちょっと薄めだけど、ここではヴォーカルが大きくミックスされ、女性コーラスもフィーチャーされて臨場感がある。

2. Teenage
 デビュー・アルバム『Different View』のオープングを飾った曲。ほぼフェアライト一台で作られたオリジナルより、当然サウンドの厚みは段違い。頭でっかちなテクノポップが、ステージではドライブ感あふれるハイパー・ポップに生まれ変わっている。しかしチャカ、ライブでも安定した歌唱力をキープしているのはさすが。

3. Kisses
 6枚目『Signal』収録、またまたオープニング・ナンバーの3連発。なんかこだわりでもあるのかそれとも偶然か。Supremesを思わせるモータウン・ビートを持ってくるとは裏をかかれたな、と感心した思い出がある俺。だって、松浦にそんな素養があるとは思わなかったんだもの。アルバム自体がLive PSY・Sによって制作されているので、スタジオ・ライブともあまり違和感が少ないのが、この時期の曲。

 女のコ あれもしたいし これもしたいの
 キス したい スキよ
 男のコ 迷わないでね 遊ばないでよ
 キス してね

 単純だけどきちんと練られたポップな歌詞、それに一体感のあるサウンド。この辺がユニットとしてのピークだったんだろうな。



4. Christmas in the air
 オリジナルは1986年リリース、杉真理主導でソニー系アーティスト中心に企画されたクリスマス・アルバム『Winter Lounge』に収録。当然、入手困難な時期が長かったため、この時点ではいわゆる「幻の曲」扱い、ここでのライブ・ヴァージョンでしか聴く機会がなかった。なので、こっちがオリジナル的な感覚を持つファンも多い。
 時期的に2枚目『Pic-Nic』のアウトテイクと思われ、ガジェット的な使い方のギターやベースがテクノポップさを演出していたのだけど、ここではアコギもナチュラルな響きで、むしろオーガニックな味わい。でもクリスマスのワクワク感はちょっと足りないかな。

5. Paper Love (English Version)
 『Different View』収録、なんとここではスローなレゲエ、これはこれでまたクール。オリジナルは日本語だったけど、ここでは全編英語で通しており、前身プレイテックス時代の痕跡を見ることができる。

6. 青空は天気雨
 3枚目『Mint-Electric』収録、ここではベースのボトムが効いたクール・ファンクなテイスト。ファンの間でもオリジナル以上に人気が高く、またよほどアレンジが気に入ったのか、ライブ・アルバムとしては珍しくシングル・カットもされている。



7. TOYHOLIC
 続いて『Mint-Electric』収録曲。タイトルからわかるように、当時、絶大な人気を誇ったロックバンド漫画『TO-Y』のオリジナル・ビデオ・アニメの主要テーマとなったナンバー。印象的なコマの空白と細い線描のイメージに合致した、浮遊感のあるサウンドは、映像にマッチしていた。その世界観は変わらない。

8. Everyday
 『Pic-Nic』収録。ギターのフレーズが結構ファンクしているのだけど、奥に引っ込んだ配列となっているので、アンサンブルを損なわず切れ味の鋭いポップ・チューンに生まれ変わっている。オリジナルは、ベースがやたらブーストされたテクノポップといった味わいだけど、俺的にはライブ・ヴァージョンの方が好みかな。

9. Friends or Lovers
 そういえばそうか、これってアルバム未収録曲だったんだ、たった今気がついた。PSY・Sの中では最も高いセールスを記録した、人気としてもクオリティとしても、文句なしの代表曲なのに、そうか入ってなかったんだ。ドラマの主題歌にもなったしPVもよく深夜テレビで流れてたしで、よく聴いたよな。
 
 友達と 恋人と
 決めるから こじれるのかな
 クラッシュしてる みんな
 宝石も 香水も
 好きだけど 満たされないね
 (ねぇもっと) リラックスして

 この時代になると主に松尾由紀夫が作詞を手掛けており、コンセプトにもブレがないため、普通にオリコン・シングルとも渡り合えるクオリティになっている。やっぱりあれだな、抽象的な歌詞もある程度、ターゲットやテーマを絞り込まないと散漫なだけなんだな。

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10. 冬の街は
 今となってはPSY・Sにとっても、そしてシオンにとっても代表曲のひとつになっている、これまたアルバム未収録曲。この曲が生まれる発端となった『Collection』がソニー系アーティストで固められていたため、他のレコード会社所属だったシオンのこの曲は、リリースが見送られてしまった、という大人の事情が絡んでいる。
 ただ楽曲の力はあまりに強い。PSY・S、シオンとしてだけでなく、80年代を代表する裏名曲としての座をずっと保持し、ここに収録となった。
 暗喩の多い抽象的な歌詞は、Led Zeppelin 「Stairway to Heaven」からインスパイアされてると思うのだけど、それって俺だけかな。



11. EARTH~木の上の方舟~
 『Non-Fiction』収録、大味なアメリカン・ロックをベースに、MIDI混入率を多めにしてみました的な仕上がり。前の曲と比べるとちょっと地味かな。ここでひと休みといった印象。

12. Silent Song
 『Collection』収録、当時から人気の高かったパワー・ポップ。バービーいまみち参加によって楽曲の完成度は約束されたようなもので、時代を思い起こさせるギターのディレイもリフも、適度にからむ松浦のソロも、何もかも完璧。でもね、いまみちの音はもうちょっと大きめにしても良かったんじゃないかと思う。

13. 私は流行、あなたは世間
 ラストを飾るにふさわしい、PSY・Sの出発点。シンセドラムの音やリズムは時代によって微妙に変化していくけど、チャカの声は不変だ。特にこの曲ではビブラートもコブシもシャウトも何もない、小手先の技を使わずストレートな、正弦波ヴォイスで朗々と言葉を紡ぐ。松浦が奏でるサウンドも、敢えて最先端ではなく、原初のテクノ的メソッドの音をあえて探して使っている。

 しっかし、名曲ばっかりだな、こうやって聴き通すと。




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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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