好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Miles Davis

「ゴチャゴチャ騒ぐと、いてまうぞコラ」という音楽 - Miles Davis 『Rubberband』

folder マイルスの発掘音源といえば、ジャズ・アーティストとして精力的に活動していた50〜60年代のモノに集中している。自身のグループでのレコーディングやライブに加え、他流セッションやサントラ制作など、素材が膨大に残されていたことも、ひとつの要因である。
 正規発表のテイク違いや未整理のセッション・テープなど、もうだいぶ整理され尽くしたと思われるけど、それでもまだ、放送用のスタジオ・ライブや欧米以外のライブ音源なんかは未確認のものも多く、地道な発掘作業は続いている。正統モダン・ジャズの系譜に属するこの時代の作品は、一般的なジャズ・ユーザーからのニーズも強いため、メーカーの力の入れようもハンパない。
 ただ、とっくの昔に絞り切ってしまって、これ以上は何も出てこない『クールの誕生』や、『Kind of Blue』の焼き直しばかりでは、さすがに盛り上がりに欠けてくる。なので、80年代に入ってからは、コルトレーンやウェイン・ショーターらをフィーチャーした、コロンビア時代のアイテムが多くなってくる。
 で、ちょっと潮目が変わったのが、90年代も後半に入ってから。ジャズ・ユーザーの高齢化によって、市場は一時縮小するのだけど、それに取って代わって、若い世代が70年代マイルスへのリスペクトを表明するようになる。
 「首根っこ捕まえて奥歯ガタガタ言わせてまう」サウンドとなった『On the Corner』に端を発する、レアグルーヴ・ムーヴメントの潮流にうまく乗ったことによって、これまでジャズとは無縁だった層の支持を得、電化以降の作品群に注目が集まった。既存ジャズとは似ても似つかぬ音楽だったため、リリース当時は酷評の嵐、セールスも散々だったのだけど、カオティックなリズム主体の呪術的なサウンドは、先入観のないクラブ・ユーザーの支持を得た。
 久しぶりの新たな鉱脈ということもあり、コロンビアも気合が入ったのか、怒涛のペースで電化時代のボックス・セットが多数編纂された。されたのだけど、時代考証の杜撰さが槍玉に上がり、間もなくブームは収束してしまった。時系列を無視した構成が突っ込まれたのは仕方ないけど、「完全版」と称して、テオ・マセロが編集する前の冗長なテイクが延々と続くのは、ビギナーにとってはちょっとした拷問だった。
 そう考えると、テオ・マセロって、やっぱすごいよな。あれだけ膨大な素材の美味しいところだけをピックアップして、どうにかこうにか商品として仕上げちゃうんだもの。

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 電化ブーム以降のコロンビア発掘音源の主流は、これまで見落とされていたロスト・クインテット時代に移行している。ウェイン・ショーターをバンマスとして、チック・コリア、デイブ・ホランド、ジャック・ディジョネットら、それぞれピンでリーダーを張れるメンツを揃えながら、正規のスタジオ音源がなかったこともあって、久々にコロンビアの気合の入りようが窺える。
 この時期のマイルスは、既存ジャズへのストレスがピークに達し、新たな方向性を模索していた頃だった。そんなこんなで試行錯誤を経て、電化サウンドへ徐々に転身を図るのだけど、ロスト・クインテット時代はその過渡期に位置している。
 一応、正規リリースを念頭に入れていたのか、試験的なセッションは幾度か行なわれている。実際に聴いてみると、「熟成されたモダン・ジャズ・サウンドの頂点」という見方もできるけど、脱・ジャズを図ったその後の展開を知ってしまうと、「よくできたお手本通りのジャズ」以外の何ものでもない、とも思ってしまう。
 脱・ジャズを指向して、あまりジャズに染まっていない若手メンバー中心にグループを組んだのに、どうやってもジャズになってしまう。メンバー自身は、既存ジャズに強い不満を持っていたわけではないので、こうなるのは当たり前っちゃ当たり前。ショーター的には会心の出来と自負していただろうに。
 ただ、肝心の大ボスが首を縦に振らなかったため、正規リリースは見送られた。要は思ってたような仕上がりにはならなかった、ということである。なので、そんな中途半端なモノを蔵出しされても、イマイチ盛り上がらない。
 「マイルス」とクレジットされていれば、何でもありがたがるジャズ村の住人ならともかく、ライト・ユーザーを惹きつけるまでには至らない。なので、俺の食指も動かない。

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 そんな消去法で辿っていくと、ほぼ未開拓で手付かずになっているのが、復活後80年代の音源ということになる。全盛期の隅っこを必死でほじくり返すより、この時代の方が良質なテイクが残っている可能性は高い。
 この時期のマイルスは年1の新録アルバム・リリースに加え、異ジャンルのゲストを交えた非公式セッションも多数行なっている。未編集の素材がかなり残っていることは、多くの関係者の証言で明らかになっている。存命している者も多いため、事実確認や編纂作業も比較的スムーズに行くはずである。
 ジャズ以外の音楽を志向した電化マイルスの終着点が混沌のアガ・パンだったとして、その混沌のコンテンポラリー化/再構成が復活以降、その水面下で進行していたのが、さらなる多様性を取り込んだ音楽性の追求だった。ポリリズムを基調としたファンクのビートと、シュトックハウゼンにインスパイアされた音楽理論とのハイブリッドは、自家中毒という終焉を迎えた。再起したマイルスが次に着目したのは、雑多な大衆性への帰還だった。
 要は「rockit」で一躍時代の寵児となったハービー・ハンコックに触発されたということなのだけど、まさかかつての弟子と同じ轍を踏むことは、プライドが許さない。あくまで「着想を得た」という段階でとどめ、マイルスは独自のアプローチを模索することになる。

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 かなり以前からその存在が知られており、長らく伝説と伝えられていた、この「ラバーバンド・セッション」。2016年のレコード・ストア・デイで4曲入りEPがまず公開され、2019年に11曲入りのアルバムとして正式リリースされた。
 ただ、「参加した」と伝えられていたチャカ・カーンやアル・ジャロウのトラックは収録されておらず、レイラ・ハサウェイやレディシーに取って代わられて、ちょっと拍子抜けした印象もある。単なる構想だけだったのか、それとも契約関係がクリアにならなかったのか、大人の事情も絡んでいるんだろうけど、そのうち「秘蔵音源」と煽って追加トラックが出てくるのかもしれない。
 復活後のマイルスは、もっぱら「バック・トラックをマーカス・ミラーに丸投げし、最後にチョロっとソロを吹き込んで完パケ」というのが常態化していた。腹心のパートナーとして、マーカスに絶大の信頼を置いていたことは間違いないけど、ジャズの枠組みに窮屈さを感じ始めていたのも、また事実。
 どうやってもフュージョンかジャズ・ファンクの縮小再生産に行き着いてしまうことがストレスとなったマイルス、そこに安住することを潔しとせず、並行しながら新機軸を模索している。当時はまだヒット曲の範疇を出なかったシンディ・ローパーやマイケル・ジャクソンの曲を取り上げたり、スティングをレコーディングに参加させたりなどして、ジャズの解釈を広げようと奔走していた姿は窺える。
 ただ、そのどれもが「ポップ・ソングのジャズ的解釈」という風にしか受け取られず、ジャズ村を超えた反響を得ることはできなかった。ジャズの巨匠がジャズ・ミュージシャンを使って演奏するわけだから、そりゃジャズにしかならない。「ジャンルなんて関係ない」という建て前はあるけど、やっぱジャズの人が演奏すれば、それはジャズとして受け取られてしまう。

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 尊大な態度と変幻自在な音楽性によって、あまり言及されていないけど、ソロイストとしてのマイルスは、決して技巧的でも独創的でもない。誤解を恐れずに言えば、トランペッターとしてのマイルスはコロンビア以前で進歩を止めており、その後はむしろ全体的なサウンド・コーディネート、コンセプト・メイカーとしての成長が大きく上回っている。
 見どころのある若手を積極登用して好きにやらせてみたり、アコースティック楽器を電気楽器に持ち替えさえたり、JBやスライのリズムを「盗め」とのたまったり、それもすべてジャズの拡大解釈を進めるがため、マイルスが先駆けて行なってきたことである。アンサンブルの仕上がりの頃合いを見計らって、最後に龍の眼を入れるが如く、記名性が強く印象的なフレーズを吹き入れる。それが長らくマイルスのメソッドだった。
 そう考えると、既存ジャズとは大きく乖離したこのラバーバンド・セッションもまた、これまでのマイルスのサウンド・メイキングに則った作品ではある。ただ、構想途中でワーナーとの契約が本決まりとなり、記憶の外に行っちゃったわけで。
 ハービーの成功を横目に、R&Bやファンクのエッセンスをドバドバ注入することからスタートしたこのセッションだけど、あれもこれもやってみたいと詰め込んだあげく、なんだか収集がつかなくなってしまい、そのうち誰かにまとめさせようとほったらかして、で、結局忘れちゃった―、というのが真相なんじゃないかと思われる。すでに彼の眼は、もっと先を見据えていたわけだし。

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 ワーナーへの移籍を決断したのは、プリンスとの共演が念頭にあった、という説がある。非公式ではあるけれど、コラボしたとされる音源は、ちょっとネットを探せば山ほど転がっている。まぁ真偽のほどは定かじゃないけど。
 ただ、この時点でマイルスの関心はさらに向こう、殿下よりさらに過激で先鋭的なヒップホップへと向かっていた。パブリック・エネミーのチャックDともコンタクトを取っていたり、結構具体的に話は進んでいたらしいし。
 今回の『Rubberband』はコロンビアもワーナーも絡んでいない、いわば契約の隙間を狙ったアイテムだけど、今後、両レーベルが本気を出してくれれば、ほかの未発表セッションのお蔵出しも近いと思われる。ついでと言ってはなんだけど、ペイズリー・パークの倉庫に所蔵されているはずのセッション音源も、そろそろ公開してもらいたい。
 だって、「帝王」「殿下」だよ?これって、字面だけでもすごくね?


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1. Rubberband of Life
 一声聞いただけではっきりわかるマイルスの合図で始まる、メイン・トラック。
 Ledisiという女性ヴォーカルは初耳だったため、wikiで調べてみると、これまでグラミーに12回もノミネートされている、いわば大御所シンガー。データを見てみると、なんと13歳の頃のヴォーカル・プレイらしい。どうやら帝王とは別録りだったこともあって、特別気後れすることもなく、自由奔放なヴォーカルを披露している。
 ランディ・ホールのギター・プレイは普通のジャズのインプロ・スタイルで、マイルスのホーン・プレイもまぁ普通。そんな按配なので、やはりこの曲はリズムとヴォーカルが主役のR&B。クインシー・ジョーンズほどメロディに寄っていないのが、ヒット性の少なさではあるけれど、マイルスの狙いはそこじゃなかった、ということだ。



2. This Is It
 そのランディ・ホールが主役となり、バリバリ弾きまくっているのが、この曲。ドラム・プログラミングのセンスが好きなんだけど、これはオリジナルじゃなくって、多分21世紀になってからの後付けなのかね。
 かなりロックに寄ったギター・プレイだけ取り上げれば、よくできたフュージョンだし、シンセの音色はまぁ古いのは否めない。ただ、イコライズを強くかけたマイルスの音色、そして繊細なフレーズ選びは、現役感を強く感じさせる。

3. Paradise
 マリアッチとラテンとフュージョンをぶち込んでシェイクして、上澄みを掬い取った残りを再構成した、それぞれのミスマッチ感が逆に親和力となって調和しちゃった、という奇跡のような曲。ハープ・アルバートみたいになりたかったのかね。正直、マイルスのソロもそんなにいらない、狂騒的なリズムと効果的なブレイクがクセになる。
 マイルス自身も思ってたんじゃないのかね。無理に俺のソロ入れなくても、充分成立するんじゃね?って。単なるソロイストではなく、コンポーザーとしての野生のカンが発揮されている。

4. So Emotional
 かの有名なダニー・ハサウェイの実娘、レイラを大きくクローズアップした、言ってしまえばレイラの曲にマイルスが参加した、という感じの楽曲。マイルスがメインじゃなければ、普通にリリースされてアニタ・ベイカー程度ならねじ伏せてたんじゃないかと思うのだけど。
 でもレイラ、こんな風に他のアーティストのフィーチャリング、例えばロバート・グラスパーでの客演なんかでは独自の世界観とスタンスを醸し出していてすごく良かったんだけど、自分のソロ・アルバムになると、途端に魅力を失ってしまう。スパイス的に使われれば強いキャラを発揮できるんだけど、ソロになるとなんか個性が薄くなってしまう。そんな気がするのは俺だけかね。



5. Give It Up
 『doo-bop』の元にとなる、ゴーゴー/ヒップホップ/ファンクのテイストが強い、ストリート感覚を意識したナンバー。ラップとサンプリングがなく、リズム・セクションも人力で行なっているため、コロンビア末期のサウンドとの関連性も窺える。
 マイルス的にはこのサウンドをヒントに、もっとストリート感覚を強調したビジョンを描いていたらしいけど、『Star People』あたりのサウンドが好きな俺としては、この辺のサウンドでもう少し続けて欲しかったな、といったところ。

6. Maze
 マイク・スターンが参加していることから、当時のレギュラー・バンドを主体としたアンサンブル。なので、いわゆるジャズ/フュージョン的な演奏をちょっとひねったモノになっているけど、根っこがジャズなので、そこまで奇をてらった印象はない。5.同様、ちょっとサビを利かせたジャズ・ファンクといった味わい。この辺は、マイルスのソロも歌心があって好きなんだけど。

7. Carnival Time
 当時としては最先端のMIDIバリバリのシンセ・サウンドだったんだけど、いま聴くと、音色がいちいちウゼェ。ダンス/シンセ・ポップはおそらくスクリッティ・ポリッティからインスパイアを受けたものなんだろうけど、いやいや御大、ちょっとムリし過ぎだって。

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8. I Love What We Make Together
 ここに来て、ランディ・ホールがついにヴォーカルに手を出してくる。あぁこれはアル・ジャロウのための曲だな。イイ感じのAOR/フュージョン・ポップなんだけど、ヴォーカルがちょっと泥臭い。もっと軽やかに歌ってくれた方が、曲調的にはしっくり来る。もしかして、何年かしたら隠し玉として、アル・ジャロウ・ヴァージョンが出てくるのかね。

9. See I See
 ちょっとだけコロンビア末期に先祖返りした、リズムを強調したジャズ・ファンク。ほんとはもうちょっと突き抜けたアプローチで行きたかったんだろうけど、結局ジャズ臭が抜けきらなくて中途半端になっちゃのが、手に取るようにわかってしまう。
 聴いてみて思ったんだけど、ZAPPのロジャー・トラウトマンあたりと組んでみれば、面白かったんじゃないかと。あの人、器用だったしね。

10. Echoes in Time / The Wrinkle
 前半は、『TuTu』や『Aura』で見られた、薄いバッキングを基調としたワン・ホーン・スタイルのバラード。モダン・ジャズ・スタイルのプレイは往年のファンにとってはたまらないんだろうけど、そもそも本文でも書いてるように、俺的にはマイルスのソロ・プレイってそんなに惹かれないんだよな。
 なので、後半のシンセ・ファンク・ベースの方が気に入っている。

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11. Rubberband
 シンセ・ベースの音が好き。ここで使われているOberheim PPG Waveという機材は、デジタル・シンセの分類ではあるけれど、アナログ・フィルターを通していることで、普通のMIDIとは違う音色になる、と調べたら書いてあった。妙に重たいんだよな、存在感あって。
 マイルスのプレイ?うん、まぁいいんじゃないの?



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「次回をお楽しみに」のはずだったのに。 - Miles Davis 『Amandla』

folder 1989年リリース、帝王マイルス最後のオリジナル・アルバム。どの辺を最後とするか、人それぞれ解釈はあるだろうけど、完パケまで本人が関わったスタジオ音源という意味において、俺的にはこれが最後である。
 この後にリリースされた『Doo -Bop』は、もともと完パケ・テイクは6曲のみ、ワーナーに制作を託されたイージー・モービーが、残されたアウトテイクや断片フレーズをかき集め、ヒップホップ解釈でつなぎ合わせた、いわば編集モノ。なので、マイルスの意図がきちんと反映されていたかといえば、それもちょっと微妙。微妙だけど、結果的にはクールに仕上がってるので、俺的には結果オーライ。
 サウンド・プロデュースは、当時マイルスの右手というか、ほぼ両腕的存在と思われていたマーカス・ミラー。今回の新機軸は、ゴーゴーのリズムをフィーチャーした、とのことだけど、聴いてみれば通常営業のマイルス風ジャズ・ファンク、そこまでぶっ飛んだ仕上がりにはなってない。
 いわゆるキャリア末期とされているワーナー時代だけど、アーティスト:マイルス・デイヴィスはまだ枯れておらず、この『Amandla』もあくまで通過点だったはず。体力的な不安もあって、死期が近いことも察していただろうけど、「最高傑作は次回作だ」という名言を残しているように、いつもの現在進行形である。
 なので、いわゆるフェアウェル的な華やかさや悲壮感とは無縁、生演奏とMIDI機材との絶妙なコラボレーションが混在している。

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 デンマークでのオーケストラ・セッションで生まれた問題作『Aura』のリリースをコロンビアが拒否したことが発端となり、怒髪天マイルスは長年のパートナーシップを解消、ワーナーへ移籍する。彼クラスなら、どのレコード会社からも引く手あまただったはずだし、実際、水面下での交渉もあちこちで進めていたんじゃないかと思われるけど、なんでよりにもよってワーナーだったのか。
 ロック寄りのフュージョン/クロスオーバーのイメージが強く、80年代のワーナーはジャズ系はそんなに力を入れてなかったはず。ただ、ロック系のドル箱アーティストを多数抱えてウハウハだったワーナー、帝王を迎えるにあたり、契約金には糸目をつけなかった。マイルスもまた、当時はロック/ポップス系とのコラボを増やしてゆく動きもあったため、ブルーノートやアトランティックのようなジャズ本流レーベルとの契約は、最初から考えてなかったと思われる。
 コロンビアでは、永く帝王としてふんぞり返っていたマイルスだったけど、現役復帰以降は、その威光も薄れてゆく。もちろんジャズ・シーンをけん引してきたオピニオン・リーダーであり、功労者であることに変わりはなかったけど、時代はライト・フュージョンと新伝承派と二分化し、マイルスはそのどちらにも属さなかった。
 そのどちらも、もともとはマイルスが道筋をつけたものだったけど、80年代のジャズは彼のリードを求めていなかった。前線復帰したとはいえ、マイルスは古い水夫でしかなかった。往年のレジェンドに、誰も新機軸など求めやしない。コロンビアとしては、「So What」と「Round Midnight」の無限ループで充分だったはずなのだ。
 神々しいレジェンド枠に押し込めて、古参ジャズ・ファンから効率よく集金したいコロンビアの思惑と、進取の気性猛々しいマイルスとの食い違いは、次第に広がってゆく。『You're Under Arrest』でナレーションでゲスト参加したスティングのギャラ支払いでもめて、結局マイルスが自腹を切った、というエピソードは、関係の悪化を象徴している。

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 そんな按配で、何かと騒々しかった80年代のマイルス、日銭を得るための頻繁なライブ活動や、ロック/ポップス系アーティストとのコラボやゲスト出演に費やされたと思われがちだけど、膨大な量の未発表レコーディング素材が残されていたことが明らかになっている。近日リリースされる『Rubberband』を始めとして、ワーナー時代の未発表セッションは、きちんとした形ではまとめられていない。
 ブートで明らかになっている音源もあるにはあるけど、それほど世に出ているわけではない。ワーナー時代の再評価がまだ進んでいなかったせいもあって、今後はいろいろ発掘されるのかね。最近、急に話題になったユニバーサル・スタジオの火災でオシャカになってなければよいのだけれど。

 俺にとってのマイルスとは電化以降なので、いわゆるモダン・ジャズ時代のアルバムは、あまりちゃんと聴いたことがない。以前レビューした『Round About Midnight』は、メロウでありながらクールな佇まいが感じられて好きなのだけど、他のアルバムはあんまり身を入れて聴いていない。
 いや一応、ジャズの歴史・教養として、ひと通りの代表作は聴いてのよ。プラグド・ニッケルもマラソン・セッションも『クールの誕生』も。ジャズを聴き始めて間もない頃、右も左もわからないから、取り敢えずディスク・ガイドに載ってる歴史的名盤選んどきゃ間違いないべ、と買った『Kind of Blue』。結局2、3回聴いただけで、どっか行っちゃったし。
 俺的には、ワーナー時代のアルバムも結構好きなのだけど、コロンビアを離れてからタガがはずれ、コンテンポラリーに寄りすぎたせいもあって、世間的には評判はあまりよろしくない。最晩年というバイアスがなければ、まともに評価されることも少ない。
 ただ、90年代のレア・グルーヴ〜クラブ・ムーヴメントの盛り上がりによって、リアルタイムではあまり顧みられなかった電化時代が再評価されたように、そろそろこのワーナー時代にスポットライトが当てられるんじゃないか、と俺は勝手に思っている。コロンビア時代はもうかなり深いところまで掘り尽くされちゃったので、まともな未発表テイクが残っているのは、もうこの時代くらいしか考えられない。

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 で、『Amandla』。ここ数作、ほぼサウンド・メイキングには参加せず、マーカスが作ったカラオケにチャチャっとフレーズを吹き込んだモノが多かったのだけど、ここではライブ・バンドと行なったセッション音源がベースとなっている。ちょっとしたダビングやエフェクト処理でマーカスが手を加えている部分もあるけど、多くはライブで練り上げたアンサンブルを、スタジオでさらに磨きをかける、といったプロセスで仕上げられている。
 これまでは「またマーカスかよ」と、ちょっと辟易していたのだけど、この時期に行なわれた未発表セッションの存在を知ってしまうと、また見方が違ってくる。オフィシャル・リリースの流れだけ見れば、最晩年までマイルスとマーカスとの蜜月は続いていたと思われがちである。
 ただ丹念に歴史を辿ってゆけば、マーカスとの作業もマイルスにとってはオン・オブ・ゼムに過ぎなかったことが、明らかになっている。新たな刺激を求めて、時に自ら触媒となって、様々な異文化交流・異種格闘技が行なわれている。
 プリンスやチャカ・カーンとのセッションは有名だし、また、一度スタジオに呼ばれたけど、それっきり声がかからなかった、というミュージシャンは数知れず。最終的にマイルスが思うところのレベルに至らず、お蔵入りしてしまった音源は山ほどあるのだ。
 ただいくら没テイクとはいえ、そこはマイルス、二流のアーティストと比べれば、レベルは全然高い。彼のビジョンと違った仕上がりだったり、はたまた契約関係で表に出せなかった音源だったりの理由であって、クオリティ云々の問題ではない。
 そうなると、やっぱりユニバーサル・スタジオの火事が気になってしまう。とんでもないレベルの文化遺産逸失だぞ、あれって。

 で、当時のマイルスの思惑と一致したサウンドを作っていたのがマーカスだったのだけど、必ずしもそれに満足しているわけではなかった。なので、数々の未発表セッションや他アーティストへのゲスト参加なども、まだ見ぬネクスト・ワンを追ってのプロセスだった、と思えば納得が行く。
 復活以降のマイルスは、単独でクリエイトするのではなく、他者とのコラボレーションによる化学反応にウェイトを置いていた。自ら率先してサウンド・コーディネートするより、常に新たなアイディを得るためにアンテナを張り巡らせ、異ジャンル交流を積極的に行なっていた。
 ただそんなメソッドがすべてうまく行ったわけではない。旧知のミシェル・ルグランならともかく、多くのセッションは具体的な形に仕上げることができず、やむなくお蔵入りとなったわけで。
 そう考えれば、マイルスを納得させた上、ワーナーからの商業的見地も考慮した作品を何枚も作っているのだから、マーカスのレベルの高さ、いい意味での使い勝手の良さがダイレクトに反映されている。
 そう考えれば、テオ・マセロとのパートナーシップ解消は痛手だったよな。まぁ、お互い潮時だったんだろうけど。


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1. Catémbe
 この時期のマーカス・アレンジの典型、丁寧に構築されたシーケンス・ビートと効果的に配置されたシンセやソプラノ・サックス、その上を縦横無尽に吹きまくる御大。きちんと先読みしてシミュレートされながら、思惑とはちょっとズレたフレーズをぶち込んでくるのは、やはりスタジオ内での真剣勝負ならでは。
 とはいえ、絶対マイルスじゃないと、という必然性は感じられないサウンド・アプローチ。コンボ・スタイルのように、「打てば返ってくる」というセッションではないので、まぁ仕方ないか。

2. Cobra
 『Tutu』に続き、再度ワンショットでの登板となったジョージ・デューク:プロデュースのトラック。ケニー・ギャレット(sax)やマイケル・ランドゥ(g)が参加しているのが目を引くけど、そこまでの存在感をアピールするに至っていない。敢えて言うなら、ここでのマイルスのミュート・プレイはちょっと重厚感が増しており、ライブ感が引き出されている。やっぱ打って響かないと、底力は出ないものだな。

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3. Big Time
 ゴーゴーというにはややゆったり目だけど、マーカス尽くしだとのっぺりしたフュージョンで終わってしまうので、こういった毛色の違ったトラックがあった方が、アルバム構成的にはメリハリがつく。
 当時、やたらロック・サイドに急接近していたJean-Paul Bourelly(g)のプレイに触発されたのか、マーカスのベース・ソロもイイ感じに走ってる。まだ30前だったものね、マーカス。そりゃコンソールいじってるより楽しいわな。

4. Hannibal
 ケニー・ギャレットが吹くパートになると、途端にフュージョンになっちゃうのだけど、それ以外はマイルス渾身のプレイがあちこちに散りばめられて、聴きどころが多い。その後、ライブで定番になったくらいなので、まだ広がる可能性を秘めていたトラック。控えめながら、徐々にバンド・グルーヴの熱量を上げてゆくオマー・ハキムのドラム・プレイも必聴。

5. Jo-J
 やたらポップなアレンジで、当時は「なんか違う」感が強く、いまもそこまで思い入れの薄いトラック。「なんかこう、イケてるヤツ」って感じで御大にリクエストされてマーカスがシコシコプログラミングしてる様が目に浮かぶ。
 ただ、この後の『Doo-Bop』や未発表作『Rubberband』に象徴されるように、「いかにもジャズ/フュージョン」からの脱却を図っていたマイルスにとって、これもまたひとつの足掛かりだったのでは、と今になって思う。ここからもう少し発展してゆくはずだったんだろうな。

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6. Amandla
 タイトル・トラックは、比較的スタンダード・ジャズに近いシンプルなバラード。俺の好きな「Round Midnight」とテイストが似てるせいもあってか、聴いた回数は多い。ここではケニー・ギャレットもちゃんとジャズの顔をしている。
 ジョー・サンプル(p)が参加しているだけで、こんなにも空気感が違うものなのか。「このくらい、いつだってできるんだぜ」とダークにほくそ笑むマイルスの表情が透けて見えてくる。



7. Jill
 今まで気にしていなかったのだけど、この曲をプロデュースしたJohn Bighamって誰?と思ってググってみると、フィッシュボーンのギターの人だった。
 80年代中盤に出てきたミクスチャー・ロックの先駆けで、日本ではそこまでそこまでブレイクしなかったけど、御大はこんな新人クラスにもチェック入れてたんだな。ていうかマーカスが「こんな若手いますぜ」って口利きしたのかね。
 マーカスの場合、どうはっちゃけてもフュージョンになってしまうので、現在進行形のリズム・アプローチを取り入れるため、こうやって新世代・異ジャンルのアーティストを繰り返していたのだろう。このアルバムではこれ1曲だけだけど、まだ発表していないテイクもあるんじゃないの?

8. Mr. Pastorius
 タイトルが示す通り、1987年、不慮の死を遂げたジャコ・パストリアス(b)に捧げられた鎮魂歌。とはいえ、タイトルをつけたのはジャコに心酔していたマーカスで、デモ・テープの段階で打診したところ、マイルスはただうなずいただけだったらしい。もともとレクイエムなんてガラじゃないし、ジャコとプレイしたって聞いたことないので、ちゃんとした経緯は不明。
 それでもそれなりに才能は認めていたのか、リリシズムあふれるプレイが全篇に渡って展開されている。「ちゃんとした」ジャズをやろうと思ったのか、久しぶりにある・フォスター(d)まで駆り出されてるし。
 いややっぱり、「このくらいのことは、いつだってできる」人なのだ。
 ―でも、それだけじゃ足りなかった。そういうことだ。




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「ゴチャゴチャ言わんと聴かんかい」という音楽 - Miles Davis 『Get Up With It』

folder 1974年リリース、引退前最後のMilesバンド、1970年から74年にかけてレコーディングされた未発表曲のコンピレーション。後年になって評価が高まった電化マイルス期のスタジオ録音というのは、1972年の『On the Corner』までであり、それ以降の作品はすべてライブ録音である。そういえばそうだよな、改めて気づいた。
 多分、この時期のMilesはアルコールとドラッグによる慢性的な体調不良を抱えていたため、支払いが遅く時間の取られるスタジオ作業より、チャチャっと短時間で日銭の入るライブに重点を置いていたんじゃないかと思われる。野放図な当時の生活を維持するため、コロンビアのバンスもバカにならない金額になっていただろうし。
 とはいえ、まったくスタジオに入らなかったわけではない。この時期のセッションを収録したコンピレーションは、以前レビューした『Big Fun』もあるし、裏も表も含めて発掘された音源は、そこそこある。
 この時期のMilesセッションは、「長時間テープを回しっぱなしにして、後でスタジオ編集」というスタイルが確立していたため、マテリアルだけは膨大にあるのだ。それがまとまった形にならなかっただけであって。

 実際、収録されているのは、そのとっ散らかった72年から74年のセッションが中心となっており、70年のものは1曲だけ。その1曲が「Honky Tonk」なのだけど、メンツがまぁ豪華。John McLaughlin、Keith Jarrett、Herbie Hancockと、当時でも十分重量級だった面々が名を連ねており、これだけ聴きたくて買った人も相当いたんじゃないかと思われる。
 リリース当時は、酷評か黙殺かご乱心扱いだった『On the Corner』の布陣では、プロモーション的にちょっと引きが弱いので、無理やり突っ込んだんだろうな。Miles もコロンビアも、そのくらいは考えていそうだもの。

Miles Davis LA 1973 - Urve Kuusik

 前述したように、この時期のMilesのレコーディングは、1曲通しで演奏したテイクが完パケとなることが、ほぼなかった。『On the Corner』も『Jack Johnson』も『Bitches Brew』も、プロデューサーTeo Macero による神編集が施されて、どうにか商品として出荷できる形に仕上げられている。
 「テーマとアドリブ・パートの順繰りをざっくり決めて、チャチャっと何テイクかセッション、デキの良いモノを本テイクとする」、そんなジャズ・レコーディングのセオリーとは明らかに違う手法を確立したのがMilesであり、彼が生み出した功罪のひとつである。プレスティッジ時代に敢行した、超スパルタのマラソン・セッションを経て、既存の手法ではジャズの枠を超えられないことを悟ったMilesがたどり着いたのが、レコーディング設備をも楽器のひとつとして捉えるメソッドだった。当時のポピュラー・シーン全般においてもあまり見られなかった、偏執狂的なテープ編集やカットアップは、電化に移行しつつあったMilesとの相性が格別良かったと言える。

 メロディやテーマもコードも埋もれてしまう『On the Corner』で確立されたリズムの洪水は、セッションを重ねるごとにインフレ化し、次第にポリリズミカルなビートが主旋律となる。メインだったはずのトランペットの音色も、電化によって変調し増幅され、音の洪水に埋没してゆく。制御不能となったリズムに身を委ね、自ら構成パーツのひとつとなることを望むかのように。
 『On the Corner』までは、バンマスとしての役割を辛うじて果たしてはいたけど、これ以降のMilesは、自ら生み出したリズムの怪物に振り回され、侵食されてゆく過程を赤裸々に描いたと言ってもよい。
 「混沌をコントロールする」というのも妙な話だけれど、『On the Corner』期のセッションでは、そのヒントが得られたはずだった。JBやSlyによって発明されたリズムからインスパイアされ、メンバーにもファンクのレコードを繰り返し聴かせた、というエピソードが残っているように、新たな方向性を見出して邁進するMilesの昂揚感が刻まれている。

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 「じゃあ、さらにリズムのインフレを人為的に起こしたら、一体どうなるのか?」というフィールド・ワークが、いわばこの時期のライブであり、スタジオ・セッションである。エンドレスに続くリズム・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感に対し、無調のメロディをカウンターとしてぶつける、というのが、当時のMilesのビジョンだったんじゃないかと思われる。
 大勢による複合リズムに対抗するわけだから、単純に音がデカい、またはインパクトの強い音色でなければならない。なので、Milesがエフェクターを多用するようになったのも腑に落ちる。もはや「'Round About Midnight」のような繊細なプレイでは、太刀打ちできないのだ。
 「俺のソロの時だけ、一旦ブレイクしろ」と命令も無意味で、それをやっちゃうと、サウンドのコンセプトがブレる。リーダーの一声で制御できるリズムなんて、Milesは求めていないのだ。
 強いアタック音を追求した結果、ギターのウェイトが大きくなるのも、これまた自然の流れである。ただ、Milesが求めるギター・サウンドは、一般的なプレイ・スタイルではなかった。かつてはあれだけお気に入りだったMcLaughlinの音でさえ、リズムの洪水の中では大人しすぎた。
 カッティングなんて、気の利いたものではない。弦を引っ掻き叩く、まるで古代の祝祭のごとく、暴力的な音の塊、そして礫。流麗さや優雅さとはまるで対極の、感情のうねりと咆哮-。

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 そんな流れの中では、どうしても分が悪くなるのが、ピアノを筆頭とした鍵盤系。アンプやエフェクトをかませてブーストできるドラムやギターの前では、エレピやオルガンは立場が薄くなりがちである。
 もう少しパワーのあるシンセだって、当時はモノフォニック中心で、スペック的には今とは段違い、ガラケーの着メロ程度のものだったため、あまりに分が悪すぎる。メロディ・パートの表現力において、ピアノは圧倒的な優位性を有してはいるけど、でも当時のMilesが求めていたのは、そういうものじゃなかったわけで。
 リズム志向とは別枠で、電化マイルスが並行して模索していたのが、Stockhausenにインスパイアされた現代音楽の方向性。メロディ楽器というより、一種の音源モジュールとしてオルガンを使用、自ら演奏しているのが、収録曲「Rated X」。ゾロアスターの教会音楽や二流ホラー映画のサントラとも形容できる、既存ジャズの範疇ではくくれない実験的な作品である。
 ただこういった使い方だと、いわゆるちゃんとしたピアニスト、KeithやHerbie、またChick Coreaだって使いづらい。言っちゃえば、単なるロング・トーンのコード弾きだし、いくらMilesの指示とはいえ、やりたがらないわな。

 「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」という言葉があるように、ジャズの歴史は主に、プレイヤビリティ主導で形作られていった。すごく乱暴に言っちゃえば、オリジナル曲もスタンダード・ナンバーも、あくまでセッション進行の目安に過ぎず、プレイヤーのオリジナルな解釈やテクニック、またはアンサンブルが重視される、そんなジャンルである。
 スウィングの時代なら、口ずさみやすいメロディや、ダンスに適したノリ重視のサウンドで充分だったけど、モード・ジャズ辺りから芸術性が求められるようになる。「ミュージシャン」が「アーティスト」と呼ばれるようになり、単純なビートや旋律は、アップ・トゥ・デイトな音楽と見なされなくなっていった。
 時代を追うに従って、ジャズの芸術性は次第に高まっていった。そんな中でも先陣を切っていたのがMilesである。若手の積極的な起用によって、バッサバッサと道なき道を開拓していった。

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 ただ、ジャズという枠組みの中だけでは、新規開拓も限界がある。60年代に入ったあたりから、モダン・ジャズの伸びしろは頭打ちを迎えることとなる。
 プレイヤーの表現力や独創的な解釈に多くを頼っていたモダン・ジャズは、次第にテクニック重視と様式美に支配されるようになる。ロックやポップスが台頭する中、冗長なインタープレイと腕自慢がメインとなってしまったジャズは、すでに伝統芸能の領域に片足を突っ込んでいた。
 ヒップな存在であったはずのMilesが、そんなジャズの窮状に明確な危機感を感じたのが、ファンクの誕生だった。「-今までやってきた音楽では太刀打ちできない」、そう悟ったのだろう。
 いわば電化マイルスとは、既存ジャズへの自己否定とも言える。好き嫌いは別として、モード以降のジャズを作ったのがMilesであることは明確だし。

 これまでのジャズの人脈とはちょっと外れたミュージシャンを集め、冗長なアドリブ・パートを廃し、ひたすら反復リズムを刻むプレイに専念させる。そこにスター・プレイヤーや名演は必要ない。集団演奏によって誘発される、邪悪でデモーニッシュなグルーヴ。それが電化マイルスの基本ビジョンだったと言える。
 これまでジャズのフィールドにはなかった現代音楽やファンク、エスニックの要素を取り入れた、複合的なごった煮のリズムとビートの無限ループ。その音の洪水と同化しつつ、クールな頭脳を保ちながら最適なソロを挿し込む作業。その成果のひとつ、電化マイルスの第一の到達点が『On the Corner』だった。

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 じゃあ、その次は?
 Milesが隙間なく組み上げたサウンドとリズムの壁は、盤石なものだった。なので、あとはもう壊してゆくしかない。
 ただ、完璧に壊すためには、完璧に創り上げなければならない。もっとリズムを・もっと激しく。リズムのインフレの始まりである。
 こうなっちゃうと、もう何が何だか。どこが到達点なのかわからなくなる。
 -完璧なサウンドなんて、一体誰が決める?
 そりゃもちろんMilesだけど、そのジャッジはとても曖昧だ。ただでさえ、酒やドラッグで精神も脳もやられているため、朝令暮改が日常茶飯事になる。昨日言ったこと?ありゃナシだ。もう一回。
 未編集のまま放り出された録音テープが溜まりに溜まり、いつものTeoに丸投げするけど、もはや彼の手にも追えない。だって、あまりに脈絡が無さすぎるんだもの。どう繋いだり引き伸ばしたりしても、ひとつにまとめるのは無理ゲー過ぎ。

 なので、『On the Corner』以降の作品が、このようなコンピレーションかライブ編集モノばかりなのは、致し方ない面もある。逆に言えば『Get Up With It』、無理にコンセプチュアルにまとめることを放棄し、多彩な実験を無造作に詰め合わせたことによって、当時のMilesの苦悩ぶりが生々しく表現されている、といった見方もできる。
 誰もMilesに「ハイ、それまでよ」とは言えなかった。自ら崩壊の過程を線引きし、その線をなぞるように坂道を転げ落ち、最期のアガ・パンにおいて、志半ばで前のめりにぶっ倒れた。
 後ろ向きには倒れなかった。これが重要なところだ。試験に出るよ。





1. He Loved Him Madly
 1974年、ニューヨークで行われたセッション。レコーディング中、Duke Ellingtonの訃報の知らせを聞き、追悼の意を込めてプレイされた。そんな事情なので、ミステリアスな沼の底のような、地を這うようなサウンド。呪術的なMtumeのパーカッションと交差するように、ジャズと呼ぶにはオルタナティヴ過ぎなPete Coseyら3本のギター。ジャズとして受け止めるのではなく、かなりイっちゃったプログレとして捉えことも可能。あんまり抑揚のないプレイだけど、Pink Floydがジャズをやったらこんな感じ、と思えば、案外スッと入ってこれるんじゃないかと思われる。
 ちなみにMiles、前半はほぼオルガンに専念、後半になって浮遊感に満ちたワウワウ・ソロを披露している。

2. Maiysha
 一昨年話題となった、Robert Glasper & Erykah Baduコラボ曲の元ネタ。1.とほぼ同時期に行われた、カリプソ風味のセッション。またオルガンを弾いてるMiles。この頃、マイブームだったんだろうな。
 カバーだオリジナルだと区別する気はないけど、この曲においては、Glasperのアイディア勝ち。Erykah Baduもこういったコラボにお呼びがかかることが多いけど、シンガーに徹したことによって、変なエゴが抑えられて程よい感触。
 Milesが土台を作ってGlasperがコーディネート、彼女によって完成された、と言ってもいいくらい、渾身のクオリティ。漆黒の重さを求めるならオリジナルだけど、ポップな歌モノを求めるなら断然こっち。多分Miles、Betty Davisにこんな風に歌って欲しかったんじゃないか、と勝手に妄想。



3. Honky Tonk
 ジャズ・ミュージシャンがロックをやってみたら、こうなっちゃました的な、McLaughlinのためのトラック。一瞬だけスタメンだったAirto Moreiraのパーカッションが泥臭い風味で、単調になりがちなサウンドにアクセントをつけている。まだ電化の発展途上だった70年のレコーディングなので、Milesもオーソドックスなプレイ。彼が思うところの「ロック」はブルースに大きく寄っており、ジミヘンの出すサウンドに傾倒していたことが窺える。
 そんな感じなので、KeithとHerbieの影はとてつもなく薄い。どこにいる?

4. Rated X
 「人力ドラムン・ベース」と俺が勝手に評している、キャリアきっての問題作。要はそういうことなんだよな。ジャズというジャンルからとことん離れようとすると、ここまで行き着いちゃうってことで。テクノと教会音楽が正面衝突して癒着してしまったような、唯一無二の音楽。無限リズムの中を徘徊し、気の赴くままオルガンをプレイするMiles。本職なら選びそうもないコードやフレーズを放り込みまくっている。



5. Calypso Frelimo
 カリプソとネーミングされてるため、享楽的なトラックと思ってしまうけど、実際に出てくる音は重量級のファンク。『On the Corner』リリース後間もなくのセッションのため、余韻がハンパない。なので、ワウワウを効かせまくったMilesのプレイも至極真っ当。このタッチを深く掘り下げる途もあったはずなのだけど、サウンドの追及の末、ペットの音色さえ余計に思うようになってしまう。

6. Red China Blues
 1972年録音、珍しい名前でCornell Dupree (G)が参加、ドロドロのブルース・ナンバー。ハーモニカはうなってるし、ホーン・セクションもR&B風。「へぇ、よくできまんなぁ」と絶賛したいところだけど、誰もMilesにオーソドックスなブルースは求めていないのだった。ギターで弾くフレーズをトランペットで鳴らしているあたり、こういった方向性も模索していたんだろうけど、まぁそんなに面白くはない。自分でもそう思って、ボツにしちゃったんだろうな。

7. Mtume
 レコードで言うD面は人名シリーズ。タイトル通り、パーカッションをフィーチャーしたアフロチックなナンバー。もはやまともなソロ・パートはなく、引っかかるリフを刻むギター、そしてパーカッションの連打連打連打。
で、Milesは?存在感は薄いけど、最後の3分間、ビートを切り裂くようなオルガンの悲鳴。さすがフレーズの入れどころがわかってらっしゃる。

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8. Billy Preston
 あのBilly Preston。Beatles 『Let it Be』で一躍脚光を浴びた、あのBilly Prestonである。ソウル好きの人なら、「Syreetaとコラボした人」と思ってるかもしれない。でもこのセッションBlly Prestonは参加してないという不思議。どこいった?Bille Preston。
 曲自体はミドル・テンポの軽めのファンク。このアルバムの中では比較的リズムも安定しており、Milesも真っ当なプレイ。あ、こんな言い方じゃダメだな、電化が真っ当じゃないみたいだし。





 
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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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