マイルスの発掘音源といえば、ジャズ・アーティストとして精力的に活動していた50〜60年代のモノに集中している。自身のグループでのレコーディングやライブに加え、他流セッションやサントラ制作など、素材が膨大に残されていたことも、ひとつの要因である。
正規発表のテイク違いや未整理のセッション・テープなど、もうだいぶ整理され尽くしたと思われるけど、それでもまだ、放送用のスタジオ・ライブや欧米以外のライブ音源なんかは未確認のものも多く、地道な発掘作業は続いている。正統モダン・ジャズの系譜に属するこの時代の作品は、一般的なジャズ・ユーザーからのニーズも強いため、メーカーの力の入れようもハンパない。
ただ、とっくの昔に絞り切ってしまって、これ以上は何も出てこない『クールの誕生』や、『Kind of Blue』の焼き直しばかりでは、さすがに盛り上がりに欠けてくる。なので、80年代に入ってからは、コルトレーンやウェイン・ショーターらをフィーチャーした、コロンビア時代のアイテムが多くなってくる。
で、ちょっと潮目が変わったのが、90年代も後半に入ってから。ジャズ・ユーザーの高齢化によって、市場は一時縮小するのだけど、それに取って代わって、若い世代が70年代マイルスへのリスペクトを表明するようになる。
「首根っこ捕まえて奥歯ガタガタ言わせてまう」サウンドとなった『On the Corner』に端を発する、レアグルーヴ・ムーヴメントの潮流にうまく乗ったことによって、これまでジャズとは無縁だった層の支持を得、電化以降の作品群に注目が集まった。既存ジャズとは似ても似つかぬ音楽だったため、リリース当時は酷評の嵐、セールスも散々だったのだけど、カオティックなリズム主体の呪術的なサウンドは、先入観のないクラブ・ユーザーの支持を得た。
久しぶりの新たな鉱脈ということもあり、コロンビアも気合が入ったのか、怒涛のペースで電化時代のボックス・セットが多数編纂された。されたのだけど、時代考証の杜撰さが槍玉に上がり、間もなくブームは収束してしまった。時系列を無視した構成が突っ込まれたのは仕方ないけど、「完全版」と称して、テオ・マセロが編集する前の冗長なテイクが延々と続くのは、ビギナーにとってはちょっとした拷問だった。
そう考えると、テオ・マセロって、やっぱすごいよな。あれだけ膨大な素材の美味しいところだけをピックアップして、どうにかこうにか商品として仕上げちゃうんだもの。
電化ブーム以降のコロンビア発掘音源の主流は、これまで見落とされていたロスト・クインテット時代に移行している。ウェイン・ショーターをバンマスとして、チック・コリア、デイブ・ホランド、ジャック・ディジョネットら、それぞれピンでリーダーを張れるメンツを揃えながら、正規のスタジオ音源がなかったこともあって、久々にコロンビアの気合の入りようが窺える。
この時期のマイルスは、既存ジャズへのストレスがピークに達し、新たな方向性を模索していた頃だった。そんなこんなで試行錯誤を経て、電化サウンドへ徐々に転身を図るのだけど、ロスト・クインテット時代はその過渡期に位置している。
一応、正規リリースを念頭に入れていたのか、試験的なセッションは幾度か行なわれている。実際に聴いてみると、「熟成されたモダン・ジャズ・サウンドの頂点」という見方もできるけど、脱・ジャズを図ったその後の展開を知ってしまうと、「よくできたお手本通りのジャズ」以外の何ものでもない、とも思ってしまう。
脱・ジャズを指向して、あまりジャズに染まっていない若手メンバー中心にグループを組んだのに、どうやってもジャズになってしまう。メンバー自身は、既存ジャズに強い不満を持っていたわけではないので、こうなるのは当たり前っちゃ当たり前。ショーター的には会心の出来と自負していただろうに。
ただ、肝心の大ボスが首を縦に振らなかったため、正規リリースは見送られた。要は思ってたような仕上がりにはならなかった、ということである。なので、そんな中途半端なモノを蔵出しされても、イマイチ盛り上がらない。
「マイルス」とクレジットされていれば、何でもありがたがるジャズ村の住人ならともかく、ライト・ユーザーを惹きつけるまでには至らない。なので、俺の食指も動かない。
そんな消去法で辿っていくと、ほぼ未開拓で手付かずになっているのが、復活後80年代の音源ということになる。全盛期の隅っこを必死でほじくり返すより、この時代の方が良質なテイクが残っている可能性は高い。
この時期のマイルスは年1の新録アルバム・リリースに加え、異ジャンルのゲストを交えた非公式セッションも多数行なっている。未編集の素材がかなり残っていることは、多くの関係者の証言で明らかになっている。存命している者も多いため、事実確認や編纂作業も比較的スムーズに行くはずである。
ジャズ以外の音楽を志向した電化マイルスの終着点が混沌のアガ・パンだったとして、その混沌のコンテンポラリー化/再構成が復活以降、その水面下で進行していたのが、さらなる多様性を取り込んだ音楽性の追求だった。ポリリズムを基調としたファンクのビートと、シュトックハウゼンにインスパイアされた音楽理論とのハイブリッドは、自家中毒という終焉を迎えた。再起したマイルスが次に着目したのは、雑多な大衆性への帰還だった。
要は「rockit」で一躍時代の寵児となったハービー・ハンコックに触発されたということなのだけど、まさかかつての弟子と同じ轍を踏むことは、プライドが許さない。あくまで「着想を得た」という段階でとどめ、マイルスは独自のアプローチを模索することになる。
かなり以前からその存在が知られており、長らく伝説と伝えられていた、この「ラバーバンド・セッション」。2016年のレコード・ストア・デイで4曲入りEPがまず公開され、2019年に11曲入りのアルバムとして正式リリースされた。
ただ、「参加した」と伝えられていたチャカ・カーンやアル・ジャロウのトラックは収録されておらず、レイラ・ハサウェイやレディシーに取って代わられて、ちょっと拍子抜けした印象もある。単なる構想だけだったのか、それとも契約関係がクリアにならなかったのか、大人の事情も絡んでいるんだろうけど、そのうち「秘蔵音源」と煽って追加トラックが出てくるのかもしれない。
復活後のマイルスは、もっぱら「バック・トラックをマーカス・ミラーに丸投げし、最後にチョロっとソロを吹き込んで完パケ」というのが常態化していた。腹心のパートナーとして、マーカスに絶大の信頼を置いていたことは間違いないけど、ジャズの枠組みに窮屈さを感じ始めていたのも、また事実。
どうやってもフュージョンかジャズ・ファンクの縮小再生産に行き着いてしまうことがストレスとなったマイルス、そこに安住することを潔しとせず、並行しながら新機軸を模索している。当時はまだヒット曲の範疇を出なかったシンディ・ローパーやマイケル・ジャクソンの曲を取り上げたり、スティングをレコーディングに参加させたりなどして、ジャズの解釈を広げようと奔走していた姿は窺える。
ただ、そのどれもが「ポップ・ソングのジャズ的解釈」という風にしか受け取られず、ジャズ村を超えた反響を得ることはできなかった。ジャズの巨匠がジャズ・ミュージシャンを使って演奏するわけだから、そりゃジャズにしかならない。「ジャンルなんて関係ない」という建て前はあるけど、やっぱジャズの人が演奏すれば、それはジャズとして受け取られてしまう。
尊大な態度と変幻自在な音楽性によって、あまり言及されていないけど、ソロイストとしてのマイルスは、決して技巧的でも独創的でもない。誤解を恐れずに言えば、トランペッターとしてのマイルスはコロンビア以前で進歩を止めており、その後はむしろ全体的なサウンド・コーディネート、コンセプト・メイカーとしての成長が大きく上回っている。
見どころのある若手を積極登用して好きにやらせてみたり、アコースティック楽器を電気楽器に持ち替えさえたり、JBやスライのリズムを「盗め」とのたまったり、それもすべてジャズの拡大解釈を進めるがため、マイルスが先駆けて行なってきたことである。アンサンブルの仕上がりの頃合いを見計らって、最後に龍の眼を入れるが如く、記名性が強く印象的なフレーズを吹き入れる。それが長らくマイルスのメソッドだった。
そう考えると、既存ジャズとは大きく乖離したこのラバーバンド・セッションもまた、これまでのマイルスのサウンド・メイキングに則った作品ではある。ただ、構想途中でワーナーとの契約が本決まりとなり、記憶の外に行っちゃったわけで。
ハービーの成功を横目に、R&Bやファンクのエッセンスをドバドバ注入することからスタートしたこのセッションだけど、あれもこれもやってみたいと詰め込んだあげく、なんだか収集がつかなくなってしまい、そのうち誰かにまとめさせようとほったらかして、で、結局忘れちゃった―、というのが真相なんじゃないかと思われる。すでに彼の眼は、もっと先を見据えていたわけだし。
ワーナーへの移籍を決断したのは、プリンスとの共演が念頭にあった、という説がある。非公式ではあるけれど、コラボしたとされる音源は、ちょっとネットを探せば山ほど転がっている。まぁ真偽のほどは定かじゃないけど。
ただ、この時点でマイルスの関心はさらに向こう、殿下よりさらに過激で先鋭的なヒップホップへと向かっていた。パブリック・エネミーのチャックDともコンタクトを取っていたり、結構具体的に話は進んでいたらしいし。
今回の『Rubberband』はコロンビアもワーナーも絡んでいない、いわば契約の隙間を狙ったアイテムだけど、今後、両レーベルが本気を出してくれれば、ほかの未発表セッションのお蔵出しも近いと思われる。ついでと言ってはなんだけど、ペイズリー・パークの倉庫に所蔵されているはずのセッション音源も、そろそろ公開してもらいたい。
だって、「帝王」と「殿下」だよ?これって、字面だけでもすごくね?
マイルス・デイヴィス
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1. Rubberband of Life
一声聞いただけではっきりわかるマイルスの合図で始まる、メイン・トラック。
Ledisiという女性ヴォーカルは初耳だったため、wikiで調べてみると、これまでグラミーに12回もノミネートされている、いわば大御所シンガー。データを見てみると、なんと13歳の頃のヴォーカル・プレイらしい。どうやら帝王とは別録りだったこともあって、特別気後れすることもなく、自由奔放なヴォーカルを披露している。
ランディ・ホールのギター・プレイは普通のジャズのインプロ・スタイルで、マイルスのホーン・プレイもまぁ普通。そんな按配なので、やはりこの曲はリズムとヴォーカルが主役のR&B。クインシー・ジョーンズほどメロディに寄っていないのが、ヒット性の少なさではあるけれど、マイルスの狙いはそこじゃなかった、ということだ。
2. This Is It
そのランディ・ホールが主役となり、バリバリ弾きまくっているのが、この曲。ドラム・プログラミングのセンスが好きなんだけど、これはオリジナルじゃなくって、多分21世紀になってからの後付けなのかね。
かなりロックに寄ったギター・プレイだけ取り上げれば、よくできたフュージョンだし、シンセの音色はまぁ古いのは否めない。ただ、イコライズを強くかけたマイルスの音色、そして繊細なフレーズ選びは、現役感を強く感じさせる。
3. Paradise
マリアッチとラテンとフュージョンをぶち込んでシェイクして、上澄みを掬い取った残りを再構成した、それぞれのミスマッチ感が逆に親和力となって調和しちゃった、という奇跡のような曲。ハープ・アルバートみたいになりたかったのかね。正直、マイルスのソロもそんなにいらない、狂騒的なリズムと効果的なブレイクがクセになる。
マイルス自身も思ってたんじゃないのかね。無理に俺のソロ入れなくても、充分成立するんじゃね?って。単なるソロイストではなく、コンポーザーとしての野生のカンが発揮されている。
4. So Emotional
かの有名なダニー・ハサウェイの実娘、レイラを大きくクローズアップした、言ってしまえばレイラの曲にマイルスが参加した、という感じの楽曲。マイルスがメインじゃなければ、普通にリリースされてアニタ・ベイカー程度ならねじ伏せてたんじゃないかと思うのだけど。
でもレイラ、こんな風に他のアーティストのフィーチャリング、例えばロバート・グラスパーでの客演なんかでは独自の世界観とスタンスを醸し出していてすごく良かったんだけど、自分のソロ・アルバムになると、途端に魅力を失ってしまう。スパイス的に使われれば強いキャラを発揮できるんだけど、ソロになるとなんか個性が薄くなってしまう。そんな気がするのは俺だけかね。
5. Give It Up
『doo-bop』の元にとなる、ゴーゴー/ヒップホップ/ファンクのテイストが強い、ストリート感覚を意識したナンバー。ラップとサンプリングがなく、リズム・セクションも人力で行なっているため、コロンビア末期のサウンドとの関連性も窺える。
マイルス的にはこのサウンドをヒントに、もっとストリート感覚を強調したビジョンを描いていたらしいけど、『Star People』あたりのサウンドが好きな俺としては、この辺のサウンドでもう少し続けて欲しかったな、といったところ。
6. Maze
マイク・スターンが参加していることから、当時のレギュラー・バンドを主体としたアンサンブル。なので、いわゆるジャズ/フュージョン的な演奏をちょっとひねったモノになっているけど、根っこがジャズなので、そこまで奇をてらった印象はない。5.同様、ちょっとサビを利かせたジャズ・ファンクといった味わい。この辺は、マイルスのソロも歌心があって好きなんだけど。
7. Carnival Time
当時としては最先端のMIDIバリバリのシンセ・サウンドだったんだけど、いま聴くと、音色がいちいちウゼェ。ダンス/シンセ・ポップはおそらくスクリッティ・ポリッティからインスパイアを受けたものなんだろうけど、いやいや御大、ちょっとムリし過ぎだって。
8. I Love What We Make Together
ここに来て、ランディ・ホールがついにヴォーカルに手を出してくる。あぁこれはアル・ジャロウのための曲だな。イイ感じのAOR/フュージョン・ポップなんだけど、ヴォーカルがちょっと泥臭い。もっと軽やかに歌ってくれた方が、曲調的にはしっくり来る。もしかして、何年かしたら隠し玉として、アル・ジャロウ・ヴァージョンが出てくるのかね。
9. See I See
ちょっとだけコロンビア末期に先祖返りした、リズムを強調したジャズ・ファンク。ほんとはもうちょっと突き抜けたアプローチで行きたかったんだろうけど、結局ジャズ臭が抜けきらなくて中途半端になっちゃのが、手に取るようにわかってしまう。
聴いてみて思ったんだけど、ZAPPのロジャー・トラウトマンあたりと組んでみれば、面白かったんじゃないかと。あの人、器用だったしね。
10. Echoes in Time / The Wrinkle
前半は、『TuTu』や『Aura』で見られた、薄いバッキングを基調としたワン・ホーン・スタイルのバラード。モダン・ジャズ・スタイルのプレイは往年のファンにとってはたまらないんだろうけど、そもそも本文でも書いてるように、俺的にはマイルスのソロ・プレイってそんなに惹かれないんだよな。
なので、後半のシンセ・ファンク・ベースの方が気に入っている。
11. Rubberband
シンセ・ベースの音が好き。ここで使われているOberheim PPG Waveという機材は、デジタル・シンセの分類ではあるけれど、アナログ・フィルターを通していることで、普通のMIDIとは違う音色になる、と調べたら書いてあった。妙に重たいんだよな、存在感あって。
マイルスのプレイ?うん、まぁいいんじゃないの?
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